兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)i2
LAST UPDATE2001-01-18 18:40
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救援物資を車で運んできて、公園に積み上げて配っていたとき、何度も取りに来ているおばさんがいました。
“なんやこいつ、あつかましいなあ”
と思っていると、声をかけられました。
「ちょっと兄ちゃん、そのタンクに水入ってるんやろ、タンクごと持ってきてよ」
“なんでこんなあつかましいおばはんに貴重な水をごそっとあげやんなあかんねん”
と思いつつも、両手にタンクを持っておばさんのあとを着いていってびっくり、
大きなテントには、大勢の人が疲れて寝ころんでいました。
そのおばさんは、一人で、その大勢の人の分を運んでいたのです。
無料の炊き出しをしているすぐそばで、有料の青空カレー屋さんがありました。どさくさ商売ならともかく、倒壊した店を立て直そうとしているんだったら、ボランティアなんて、自立のさまたげに他ならない。それでも、その有料のカレー屋さんだけでは、みんな腹が減る。
下の記事には実は新聞社がカットした部分があります。大阪から会社を休んできたというサラリーマンの兄ちゃんと須磨の短大生2人と俺との5人グループで回っていたときです。ある小さな公園のテントの避難者に米などを渡したとき、でてきたおばさんが、紙コップに熱いお茶を入れてくださり、パンをくれたのです。せっかくの配給のパンだからと、みんな最初は遠慮したのですが、そのおばさんの眼を見て、俺は「喜んで食べよう」と思いました。人と人が初対面で出会って、一方が一方に物を与えるなんて、やっぱり不自然だし、お互いつらいんです。あちこち回っていながら黒ちゃんも心の中にそういう部分がつかえていました。
保育園では、毎晩が、ボランティアはどこまですべきかの議論でした。 自立のさまたげになっていないか、自分たちの自己満足になっていないか、組織の都合や視野がズレを生じていないか。山口組のベンツが救援物資を置いていったり、待機中の自衛隊の大型車がむちゃくちゃじゃまだったり、おしめがないと嘆いているテント生活のおばあさんがいて、ちょうど目の前の避難所におしめが山と積まれているのに、役所から派遣されてきていた職員が、全然融通がきかなかったりしました。差し迫った状況で、自分の目で見、自分の頭で考え、判断し、行動する意志と、同時にその判断や行動を批判する視点を、常に自分に問わざるをえなかったのです。
そんな状況で、的確な判断と行動をするために見失ってはならないものとは何か、と考え続けていました。
あのパンをくれたおばさんの目が、それを教えてくれました。どうも、うまくは言えませんが、大切な何かを学んだと思います。
そのパンの袋はまだ大事に持ち歩いています。
(1995年2月7日、学級通信「笑顔38」、2000年12月19日加筆)
新聞記事(1995年2月7日毎日新聞)・・・・272k(i-modeでは無理です)