kurochanの夢
2002-01-09
ここだけの話だけどさ、僕の本当の夢をちょこっとだけばらすとね、僕は物書きになりたいんだよね。
僕は、話をするにせよ、文を書くにせよ、フィクションよりも体験談の方が、まだまし(得意?)だと思っているんだけれども、それと旅好きに音楽好きをかけ合わせてさ、人生と社会をうたい続けるメッセージ=エッセイストになりたいんだよね。純文学は僕には書けそうにないし、情報集約的な時事解説もできればいいけど、僕には僕のこだわりがあるんだよね。自分を抜きにしたような上手な文章ってのは好みじゃないし、決して自分は何も背負おうとしない賢い評論も好きじゃないんだよ。「俺はこうする!おまえはどうするんだ?」っていう対話が成立するような表現活動をしたいんだよね。そして好みの表現スタイルについてだけど、言いたいことがよどみなく相手に伝わる文章が書きたいし、できれば声に出して語りかけたい。よく、声に出して読みやすい文書が目でも読みやすい文章だと言うよね。それは単にスタイルの問題というのじゃなく、人と人が語り合う息づかいに近いかってことだと思うし、彼・我の存在をベースにした心のやりとりが、そうしたスタイルを持つって思えてしまうんだよね。ここにいる俺が、目の前のお前にこれを伝えたいんだっていう表現。伝える側の生き方が問い返されるし、相手の生き方も問うてやりたいんだよね。無責任でないようのないおしゃれな表現なんて、まっぴらご免なんだ。でさあ、それでいて寛容っていうか、互いに温かく励まし合うっていうか、辛くても自分なりにがんばろうよな、お前もお前らしくがんばって生きてみろよな!っていうノリ、いやいや心の温かさっていうか、そんなものを漂わせていたいし、僕自身がそうして救われたい。それがね、文字にした文章でもいいし、朗読でもいいし、リズミカルな歌声でもいいし、時には街頭でのシュプレヒコールでも、場末の飲み屋のカウンターで肩寄せ合う二人っきりの小声の会話でだっていいんだよ。そんなエネルギーが伝わりあう、そんなコミュニケーション←なんていったら、ちょっと言葉が浮いちゃうけど、そんなメッセージを風に乗せて語るような歌うような、それでいて確かに存在し、確かに心が通い合う、吟遊詩人でいたいんだよね。ロビンソンクルーソーがスナフキンになって、金八先生のように体当たりでぶつかってくる、世界を見つめ、人の心を見つめ、自他の生き方を問い続ける、そんなメッセージ=エッセイストになりたいんだよね。OUTLOOKに向かって、一気に書いたけど、敢えて校正はよすよ。そのまんまでいいから。
(2001/12/27執筆→「
夢がいっぱい♪
」のHP二周年記念企画[夢について]に投稿→2002/1/4同HP上で投稿作品発表)
※同HP管理者のkazukoさんの快諾を得て当HPに転載