私が先生になった時(作者不詳)
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2003-10-17
【作者訂正と依頼、愛好家の方からの解説文】
私が先生になったとき
自分が真理から目をそむけて
本当のことが語れるか
私が先生になったとき
自分が未来から目をそむけて
子どもたちに明日のことが語れるか
私が先生になったとき
自分が理想を持たないで
子どもたちにどうして夢が語れるか
私が先生になったとき
自分に誇りを持たないで
子どもたちに胸をはれと言えるか
私が先生になったとき
自分がスクラムの外にいて
子どもたちに仲良くしろと言えるか
私が先生になったとき
自分の闘いから目をそむけて
どうして子どもたちに勇気を持てと言えるか
【作者訂正と依頼】宮沢賢治作と表示していたところ、2001/5/26、宮沢賢治の愛好家(「宮澤賢治の詩の世界」)の方からご指摘をうけました。宮沢賢治の詩であると、よく言われますが、違うとのことです。本当の作者、宮沢賢治の作とされるようになったいきさつを調べておられるとのことですので、何かご存じの方がおられましたら、お教えください。また、この方から快諾を得ましたので、提供いただいた情報を、掲載させていただきます。ホームページの方もぜひのぞいてみてください。(2001/5/29)
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宮沢賢治という人は、おそらく最も徹底的に遺稿の調査がなされている作家なのではないかと思うのですが、彼が生前に発表した作品はもとより、残されているどんな小さな紙片のメモに至るまで、すべて彼が書いたと思われるものは、調べられています。いったん作者が消しゴムで消した作品までも、光にすかして解読がなされているほどです。 そのような調査によっても、「私が先生になった時」という作品は彼の草稿の中からは見つかっていません。 また、この詩の中に出てくる「スクラム」という言葉などは、1933(昭和8)年に亡くなった宮沢賢治にとっては、まだなじみがなかった単語ではないかと思います。全体のトーンや、「闘い」という言葉の使い方も、もし戦前に発表されていたら思想的に問題となるものだったのではないかと思います。 したがって、これは戦後の作品と思われ、学生運動か教職員組合の活動の中で生まれ、広まったものではないかと推測しています。しかし、これとてまったく証拠はありません。 黒田様以外にも、この詩をホームページに掲載しておられる方に問い合わせをしてみているのですが、組合や研究会の活動や、大学の恩師から教えてもらったというケースが多いようです。 一方、出版物でこの詩が掲載されているものとして、下記の二つがあるそうです。 1) 雑誌「新英語教育」三友社 1985年4月号 特集「生徒のみかた・とらえかた」所収 2) 書籍「子どもといっしょに読みたい詩」1992 あゆみ出版 いずれも、「作者不詳」となっているそうです。 また、これまでにも、「高知高教組」「大阪高教組」の方や、埼玉の図書館の方が、それぞれ作者についてかなり調査をされたものの、結局わからなかったということもお聞きしました。 この詩の作者や伝播経路について、何かご存知のことがございましたら、たいへんお手数をおかけして申しわけありませんが、お教え願えれば幸いです。 ※この方のホームページもぜひのぞいてみてください。・・・・「宮澤賢治の詩の世界」(アドレス変更2003/10/17) |