@観光化され、祭期間中だけ大量の人が流れ込み、祭が終るとあっという間に人がいなくなる。そこでは人と人とが交わるまちが失われているのではないか?

A祭の形態が画一化され、唄を歌わなくなったり、提灯が投光器に変わるなど情緒に欠ける祭になっているのではないか?

B格好良いと言うだけで、新居浜の運行形態を模倣するのは間違っているのではないか?近年、西讃において新居浜の手旗、掛声、太鼓のたたき方、服装を取り入れている太鼓が目立つ。しかし、人々が何十年、何百年と築き上げてきた文化を、いとも簡単に捨ててしまってよいのだろうか?独自の地域性を失い、画一的な祭となってしまうのではないか?

C忘れ去られようとしている、掛声や唄、運行方法の意味(棒割、シデ、巡行ルート)、ちょうさ本体の材質、昔ながらの刺繍を意図的に継承するべきではないか?
また、御神事本位の祭を取り戻すべきではないか?

C他者の目を気にしすぎた祭になっているのではないか?黒渕太鼓は本祭の日に、北岡、中出、下出の人手を借りてごまが外される。息も合わず、指揮者も下手くそだが、皆でどうにか差し上げようと悪戦苦闘する。そして差しあがった時の感動はひとしおである。皆が拍手でたたえ合い「てつのてくれてありがとう」「けっこに上がって良かったなあ」と握手を交わす。ここには対外的ではなく、対内的な喜びに満ちた感動がある。
『感動する祭』とは、いったい何であろう?
私の地域の祭は、瀬戸内沿岸に数ある太鼓台祭の中でも全く無名で、観光化もされていなく町内だけでひっそりと執り行われてきている村祭だ。見物人も少なく、かき手も不足しており、また黒渕太鼓は決して絢爛豪華とは言えない。
 しかし、私は黒渕太鼓ならびに柞田祭に誇りを持っている。ここで、私は懐古的な視点から太鼓祭に警鐘を鳴らしたい。