彼の少年時代の大好きなヒーローはルーサー・バーバンク(カリフォルニアの有名な植物ブリーダー)、チャールス・ダーウィン(種の起源の著者)、そしてグレゴール・メンデル(スイートピー(エンドウ豆)で実験したオーストリアの遺伝学者)だったそうです。
水耕法という単語が生じる前に、既に十代で彼は水耕法で植物の全ての種類を育てていたそうです。
そしてドイツやアジアからの珍しいサボテンの種子を含め、遠い場所から種子を集めていました。
動物を使った初めての本格的な努力は、1930年代の終わりに大流行していたシルバー・フォックス(ギンギツネ)でした。
●次は、大学を卒業後、豚の繁殖で餌代が経済的でより大きなベーコンやハムの生産のために、赤身で長い胴 の枝肉を生産することに成功する。それは現在も本質的に当時と同じだそうです。
●次は、ホルスタイン牛の繁殖、十年を費やし農場主を魅了するミルクとバター脂肪の記録を作る目的で繁殖、5頭の州チャンピオン、そして1頭のナショナル・チャンピオン--グリーナウェイ・デンバー・サバランと命名された若い雌牛を作り上げました
●次は、サラブレットの競走馬の繁殖に没頭する。ハンサムな息子ムービング・ターゲットを候補にしました、そしてネイティブ・ダンサーの孫娘にムービング・ターゲットを交配してまあまあの成功を収めました。不運にも私たちが犬で試みたように馬の系統を純化するには、私が犬で試みたよりもはるかに多くの時間がかかるでしょう。50年間の犬の繁殖と同じ結果を達成するには200年間馬の繁殖をする必要があるでしょう。
非常に成功した年があり、群を売却するよい時期だろうと思いました。1982年に、私たちは78頭を競売で売り払いました。売られた若い馬の1頭はウインと命名されて偉大な競走馬であり続けました。彼は3年立て続けにニューヨーク州のホース・オブ・ザ・イヤーになり、新しいオーナーのために140万ドルを稼いで、全国のトップ・ホースの1頭になりました。
●スコットランド北部地方を起源とする非常に古い系統の繁殖
●闘鶏●野生の七面鳥●l935年に始めた伝書バト●白いコーニッシュ・バンタム(ちゃぼ)と白いオールド・イングリッシュ・バンタムの2つを交雑して脂肪のない鶏を生産しようとしています。
以上のように様々の顔を持つエルヒュー犬舎主ですが、弁護士でもあり本人は認めてないのですが、偉大な遺伝学者だと私は思います。
これらの様々な繁殖努力を続けていましたが、私が最初から突き進んでいたのは、決して中断することのなかった目標、良いポインターを繁殖することでした。これらの他の動物を繁殖した経験は学習プロセスに非常に貢献し、そして可能な限り最良のポインターを繁殖するという私の最終目的に明瞭な方針を作るうえで役立ちました。
私は自分が繁殖の権威者であるという意識はありませんが、この分野での私の実際的な経験を関連づけることが、私の著書により多くの信用を与え、そしてあなたがテーマについて私の考えを読むことをより愉快にすると思いました。
以上Snakefoot より引用