バレンタイン妹劇場   「under 7」

 

 

 廊下の床板が、わずかにきしんだ。

 予想外の音に驚いたのだろうか。一瞬停止したものの、再び床板がきしみ、こちらへと近づいてくる。

足音からして、おそらく相手は二人。

 玄関を開ける音には気づかなかったが、数センチずつ引き戸を開き、慎重に侵入してきたのだろう。

 だが廊下のほうはそうはいかない。築三十年以上の木造家屋である。たとえ慎重な足運びをしたとしても、ギシギシと鳴る床板の音は避けられない。

 既に日差しは薄暗く、室内にも明かりが必要な時間になっていた。しかし明かりをつけに行く、そんなわずかな手間すらも、今はかけるのが惜しくなっている。

「あと……もう少し」

 俺はうつ伏せになったまま、じっと手元の携帯端末に見入っていた。画面ではせわしなく映像が動き、俺は次々と現れるそれらを操作していた。

「……よし、よし……あと……一万っ」

 思わず声に出す。

 そう、あと一万で達成できるのだ。

 ――全国ランク十位以内。

 俺が挑んでいるのは、携帯電話用のパズルゲームである。適当に選んで始めたゲームなのだが、たまたま上位に近い得点がだせたため、どうせならとランク入りを目指して続けているというわけだ。

 高校から帰り、居間で制服の上着を脱いだらすぐに始めたから、一時間くらいだろうか。最初の数回は平均点でゲームオーバーになっていたものの、今回は調子が良く、スムーズに高得点を稼ぎ続けていた。

 ――今、俺は集中できている。

 このままだとランク入りは間違いないだろう。だから廊下からこの部屋、そしてついに俺のそばまでやってきた二人に気づきはしたものの、構っている余裕などなかった。

「うごくな」

 ふいに両目が何かでふさがれた。タオルだろうか、布状のものだ。

 声と共に、背中に尻が乗る感触。肺に重みがかかり、「うっ」と声がもれた。

 さらにもう一人分、背中に重みが加わる。俺の尻の中心部に、棒状のものが押し当てられた。

「うごくとうつぞ」

「ちょっ、そこは反則……!」

「うるさいっ」

 抗議の声もむなしく、棒状のものがグリグリとねじ込まれる。

「ちょっ、やめっ……」

 別に痛くはないが、あまり気持ちのいいものではない。……いや、ホントに。

 ピロリ〜ロリ〜♪

 こんな状態でゲームができるわけもなく、ゲームオーバーの音が部屋に響いていた。

「うぅー……」

 せっかくの全国ランクのチャンスだったのに。

「われわれはごうとうだ」

 尻にいる方が、やや棒読み気味で定番のセリフを言う。

「たすかりたかったら、いうことをきけ。……って、なにやってんの」

「ううっ……しばれないの」

 何か頭でごそごそしていると思ったら、俺の視界をふさいだ布が、うまく結べずにいるらしい。

 ……かわいい強盗さんだこと。

「もう、しょうがないなぁ……かして」

「ご、ごめんね」

 二人が俺に乗る位置を入れ替わり、尻側にいた方が布を結び、頭側にいた方が棒状のもので尻をつつき始めた。

 まぁ、今の隙に脱出することは可能だったが……。

 せっかくなので、もう少し付き合ってやることにする。

「さてと」

 結び終えたらしく、後頭部をいじっていた手が離れた。

「うたれたくなかったら、てをあたまのうしろでくんで」

 上からかけられたセリフは、やっぱり棒読み気味である。

「はいはい」

 俺は素直に手を組もうとしたが――

 パチンッ!

 甲高い音と共に、お尻の中心部に衝撃が走った。

「いでぇっ!」

「わわっ」

 思わず身をよじり、上に乗った二人を振り落としそうになる。が、二人は俺にしがみついてしのいだようだ。

 当たったのは、硬くて小さなもの。おそらく、というか間違いなくBB弾。

 たとえオモチャのピストルだろうと、場所が場所だけに当たったら痛い。

「ど、どうしようっ。まちがえて撃っちゃったよメイちゃんっ」

「もうっ、何やってんのマイのドジっ子!」

 俺の上で言いあう二人。

 ……というか。

 メイちゃんにマイちゃん、強盗なんだから名前をだしたらダメなんじゃないですか?

 そんなことも忘れている二人に、俺はちょっぴり意地悪してみることにした。

「ちゃんと言うこと聞いてるのに撃つなんて、ひどいよ……しくしく」

「ううっ……」

 言葉もなく、困った様子の二人。

 だが。

「こうなったら!」

 メイのほうは決断が早い。立ち上がり、部屋の隅の方へ駆けたかと思うと、再び俺の上に乗りかかる。

「ほらマイ、このタオルで足をしばって! わたしは手をしばるから!」

「え? う、うん、わかった」

 戸惑いながらも、マイは俺の足首に、メイは俺の手を背中に回させ、グルグルとタオルを巻きつけていく。

 どうやら部屋の隅にたたんでいたものを見つけてきたらしい。

「どう、マイ? できた?」

「う、う〜んと……うん、できたよ」

 特に抵抗しなかったせいか、メイはらくらくと。マイのほうも、今度はうまく結ぶことができたようだ。

「…………」

 さりげなく、俺は手と足に力をいれてみる。

 ギッ、ギッ。

 ……あれ?

 なんだかイヤな予感。

 今度はもうちょっと力を込めてみる。

 ギッ、ギギッ。

 タオルとタオルがきしむ音。結び目が広がる様子はなく、逆にきつくなった気がした。

 ……あれれ?

 マンガ的表現で言えば、冷や汗がたらーっと垂れる場面だろうか。

 視界をふさがれ、うしろ手でしばられ、足もしばられて動けない状態。動けたとしても、芋虫のように這うのがやっとだろう。

 相手が女の子二人なので楽観視していた俺だが、ここで初めて焦りを覚えていた。

「え、えーと……」 

 とりあえず、こんな目にされた理由を聞いてみないと――。

 だが、それよりも早く、

「きょう、なんの日っ?」

 メイの問い詰めるような声が俺に迫った。顔に吐息がかかるほどの距離だ。

「な、なんの日って――」

 ……それはもちろん。

 脳裏に浮かぶのは、学校で目にした光景だった。

 朝の登校時間や休み時間、そして放課後と、俺はいくつかそれらを見かけていた。

 女子から男子へ送る、チョコレートのプレゼント。バレンタインデーという奴だ。

 男というのは、例えもらえるあてがないとわかっていても、やはり多少の期待はしてしまうわけで。俺も例外ではなく、内心そわそわしていたわけなのだが――。

 生まれてこの方、俺は学校でチョコなどもらったことはなかった。

まぁ、妹や近所に住む小さな女の子からもらったことはあるが……そんなのはカウント外だ。

「きのう、約束したでしょっ?」

 その、『近所に住む小さな女の子』である双子の姉、メイが言う。

「あしたはバレンタインのチョコをわたすから、学校終わったらうちに来てって!」

「お兄ちゃんが帰ってくるのが見えたから、ずっとまってたのに……ひどいよ」

 怒り口調の姉とは対照的な沈んだ声だが、やはりマイも俺のことを攻めていた。

「そう……だったよな。ごめん」

 素直にそう、あやまる。

 約束をしたのは確かだが、ほんの軽い気持ちだった。正直、十歳も年下の子にチョコをもらってもたいして嬉しくはない。今年も学校でチョコがもらえなかったのもあり、ふてくされ気味でゲームをやり込んでいたわけだが、彼女たちにとっては真剣な行為なのだ。

「ごめんな……」

 と、俺はもう一度あやまった。

「ふぅ」

 双子が同時に息を吐く。

 性格は対照的でも、息はぴったりだ。

「まぁ、わかってくれればいいけどね」

「もう約束やぶっちゃイヤだよ……」

 ようやく笑いがこぼれてきた。

「うん。だからこれほどいて」

「だめ」

 メイの即答。

「な、なんで?」

「約束……やぶったバツなんだから」

 と、なぜかテレ気味な声で、マイの吐息も俺にかかる。

「口……あけて、お兄ちゃん」

 ガサガサ、と紙のこすれる音。

 すぐにピンときた。これはあけねばなるまい。

「んあ」

 と開いた俺の口の中に、小さな固形物が放り込まれた。

「ほら、こっちも」

 続いてメイの声がしたかと思うと、手のひらが俺の口をふさぐ。

「むぐぅっ」

 って、ふさぐなー! 息ができん!

 が、その中心にはやはり固形物があり、俺は素早くそれを唇ではさむと中に放り込んだ。

 そうすることで手が離れ、ようやく息ができる。

 まったく……。

 一瞬怒ろうかとも思ったが、口の中で溶けだすカカオの甘みに、俺は気持ちを抑えた。

 ……まぁ、今日くらいはいいか。

 たとえこれが駄菓子の定番、十円チョコだろうと、バレンタインのプレゼントはやはりうれしいものである。

 それにしてもこの十円チョコ、ちょっと変わった味がするが……。

「どう、おいしい? あたしのはゴマ味だよー」

「わ、わたしのはね……きなこ味なの」

 ……なぜ、そんなセレクトを。

 いや、おいしいけどさ。

「二人とも、ありがとうな。ということで、そろそろこれを――」

 ほどいてくれ、と言おうとしたときだった。

「ぷっ……」

 こらえきれずに、吹き出す声。

 メイでもなく、マイでもない。もう一人の気配が、そこにあった。

「兄ちゃん……それ、どういうプレイ?」

 クスクス笑いをこぼすその声は、まさか……?

「あ、ユメお姉ちゃんだ」

「あ……えと、こんにちは」

 彼女に気づくメイとマイに、

「はい、こんにちは」

 とユメは挨拶を返す。

 二つ年下で、現在中学二年の俺の妹である。

 部活が早めに終わったのか、いつの間にか帰ってきていたらしい。

 というかこの状況、どう説明すれば……。

 小さな女の子に目隠しをされて、手足をしばられて転がっている俺は、はたから見ればまるきり変態ではないか。

 俺の心の冷や汗が、だらだらと流れ続けていた。

「二人とも、もう五時だよ」

 色々と言い訳を考える俺をよそに、ユメは意外なことを言いだす。

「外も暗くなってるし、そろそろ帰らないとね」

「はーい」

「わかりました」

 二人とも、やけに返事がいい。

 普段俺が言ってもなかなか帰らないのに、ユメが言うと素直というのは一体……。

「じゃあね、お兄ちゃん」

「ばいばい」

 メイとマイが立ち上がる。

「え? いや、その前にこれをほどいて……」

「大丈夫。あたしがしておくから」

 俺の言葉をさえぎるように、ユメが言った。

 …………。

 ……なんか、あやしいぞ?

 やけに物分りのいい双子に、普段家の手伝いなど何もしないユメの面倒見のよさ。

 そんな彼女たちの態度に疑念が生まれたが、それはあっという間に解消された。

 部屋を出る際に、メイがユメへとかけた言葉である。

「強盗ごっこ、おもしろかったー。ユメお姉ちゃん、教えてくれてありがとー」

「め、メイちゃん、それここで言っちゃダメだよぉっ」

「……あ」

 とメイは口をつぐんだようだが、もう遅い。

「って、二人に変なことさせたのお前かよ、ユメ!」

「あぁ〜ん、ばれちゃった〜」

 まったく悪びれる様子のないユメ。きっとバカにしたように肩でもすくめているに違いない。

 おそらく双子にとって、面白いイタズラを教えてくれるユメは師匠のような存在なのだろう。まったく、いつの間にそんな関係になったのやら。

「ご、ごめんなさい、ユメお姉ちゃん」

「……ごめんなさい」

 率先してあやまるマイに、メイが力のない声で続く。

「いいのいいの、気にしないで。どうせあとでバラすつもりだったし。それより早く帰らないと、お母さん心配しちゃうよ?」

「あ、そうだった。じゃあね、ユメお姉ちゃんっ」

「ま、まってよメイちゃ〜ん」

 二人がバタバタと駆けて玄関をでていく。

「ばいばーい」

 とユメが見送ると、ドアは静かに閉められた。

 途端に、しんとなる家の中。

 ドアの鍵を閉める金属音が、やけに大きく聞こえる。

 ……一体、彼女はどういうつもりなのか。

 俺は兄として、きちんと問いたださねばならない。

 ……まぁ、大体の予想はついているのだが。

「ふふっ……」

 わずかに床のきしむ振動。それがうつ伏せになった俺の身体に伝わり、そして目の前でとまった。

「さすがは――」

 と、ユメが小さく笑いをもらす。

「アンダーセブンの男、ね」

「いや……お前が勝手にそう言ってるだけだろ」

 ――アンダーセブン。

 要するに、七歳以下の女の子限定でモテモテな俺に対して、ユメがつけた二つ名である。

「それより、どういうことなんだ? メイとマイに強盗ごっこなんかさせて。というかその前に、これ早くほどけって!」

「まぁまぁ、あわてないでよ」

 パシャッ、パシャッ。

 響くシャッター音。

「うっ」

 思わず目をつむった。

 あてられた布ごしにもフラッシュがまぶしい。

「こら、何撮とってんだユメ!」

「兄ちゃんの変態プレイの図、撮らないわけにはいかないでしょー」

 そう言ってシャッターを切り続けるユメの声は、実に楽しそうである。

 ……やはり目的はこれか。

 確信はするものの、この状態では逃げることができない。

 俺は唇をかむだけだった。

「大体さー、兄ちゃんが悪いんだよ。帰宅部のくせに、さっさとあの子たちのとこ行ってあげないから」

「……う」

 それを言われると弱いが……。

「あの子たち待ちくたびれて玄関前に来てたからさ、アドバイスしてあげたってわけ。面白かったでしょ?」

「面白くないっ」

 ……って、ちょっと待てよ?

 メイとマイが家に入る前に作戦を伝えたということは、ユメはそのとき既に学校から帰っていたことになる。

「もしかして、ずっと見てたのか?」

「もちろん。お尻の穴、撃たれちゃってたね」

「ううぅ……」

 メイとマイだけならともかく、小さな子にしばられたりお尻を撃たれたりする姿を傍目から、しかも妹に見られていたかと思うと……とっても情けなくて屈辱的である。

「さて、これくらいでいいかなー」

 ふぅと息を吐き、シャッター音がやむ。

「兄ちゃんの変態コレクション、また増えちゃった」

「そんなのコレクションするなっての」

 以前に聞いた話によると、ユメの部屋には俺自身も知らない俺の変態的写真がいくつもあるらしい。

 趣味を持つのはいいことだと思うし、内容も人それぞれでいいとは思うが……。

 そんなものをコレクションする趣味は、正直どうかと思う。

 まぁ、言ったところでやめてはくれないのだが。

「……もう満足したなら、早くほどいてくれ」

「いいよ。私のお礼を受け取ってくれたらね」

「お礼?」

「そ。いつも私を楽しませてくれる……お・れ・い」

 ころん、と何かが俺の前で転がった。

 まさか。

「それを食べれたら、ほどいてあげる」

「……お前はお礼でこんなことするのか」

「別に食べたくないならいいけどー……。でもそろそろお母さんが帰ってくる時間……あ、ほら来た」

 玄関のほうから響く、車のエンジン音。

 ……って、マジで!?

 こんな姿見られたら、まずいなんてもんじゃない!

「どうするの〜?」

「食うよ! 食えばいいんだろ!」

 俺は芋虫のようにはいずり、鼻先をカーペットにつけて転がったものをさがす。

「あ、左いっちゃったー。もうちょい左、左」

「くほーっ」

 鼻先にあたる、固形物。

 俺は口の中へと放り込んだ。

 やはり十円チョコだったが、今は味わっている暇はない。

 エンジン音がとまっている。玄関をあけるまで、もう時間がない!

「早く、早く!」

「はいはい」

 ユメが俺の横に座り、結び目をいじり始めた。

「あれ、かたくてとれないやー」

「おぃぃっ!」

 ガチャガチャと、鍵を回す音。

 絶対絶命か――!?

「なーんちゃって。ほどけたよ」

 手足が軽くなり、目隠しがほどけたかと思うと、ユメが素早くその場を離れる。

「こら、ユメ!」

 俺が彼女の姿を確認するよりも早く、ドタドタと階段を駆けあがっていく。

 それと母さんが玄関を開けるのが、ほぼ同時だった。

 ……ちっ、逃げたか。

「ただいまー。ん、どうかした?」

「おかえり。なんでもないよ」

 とりあえずは、あんな姿を見られなくて、一安心である。

「ほら、もう暗いじゃないの」

 部屋のスイッチを押し、明かりをつけた。

「雨戸しめといて。すぐご飯の用意するから」

「あ、ああ」

 俺は居間の雨戸を閉めると、自分も部屋に戻ることにする。

「まったく、ユメの奴は……」

 文句をつぶやきながら階段を上っていくと、携帯の着信音が鳴った。

「……ん?」

 見ると、メールが受信されている。

 差出人は……ユメだ。

 一応、見てみることにした。

『さっきはごめんね。兄ちゃんには本当に、いつも感謝してるよ。でも私だって、アンダーセブン以外にもらうあてのない、かわいそうな兄ちゃんにためにチョコ買ってきたんだから、そっちも感謝してよね!』

「……ユメの奴」

 十円チョコでえらそうなのがユメらしいというか。

 怒っていた気持ちが、スッと引いていった。

 困った妹だが、やっぱりかわいいところもある。

「……ん?」

 最初のメッセージの後に、改行が続いていた。

 そういえば、画像添付になっていた。

 ……ちょっぴりイヤな予感がするが、下に移動してみる。

 そこには予想どおり、俺が先ほど縛られた姿があった。

『兄ちゃんの変態プレイの図』

 と、ご丁寧に説明まである。

「ゆ、ユメの奴ぅぅ〜っ」

 やっぱりかわいくなんかない!

 俺は文句を言うべく階段を駆けあがり、そして――

 ……言い合いに負け、ホワイトデーに三十倍返しを要求されたのだった。

まぁ、三百円だからいいけど。

 

 

  おわり。