第一話
ジリリリリリリ!
ドンドンドンドン!
ジリリリリリリ!
ドンドンドンドン!
目覚まし時計と、ドアを叩く音が、同時に耳に鳴り響いていた。
「う、うるさいな……」
薄っぺらい布団の上に寝転がっている少年が、その音に思わず顔をしかめた。しかし、それでもその場を動こうとしない。
「ちょっと、雅也くん! いい加減起きなさいよ! ご近所迷惑でしょ!」
ドアの外から、ノックと共に聞き慣れた声が聞こえてくる。
「…………」
その声に反応して、少年はゆっくりと半身を起こした。大きな欠伸をひとつして、目覚まし時計を止める。すると一瞬遅れて、ドアのノックも止んだ。
「……七時半。もう朝か……」
少年は目をこすりながら、部屋を見回した。
アパート一階の、六畳一間。きれいに片付いている、というよりほとんど何もない部屋だ。東側にある窓からは、まぶしい朝日が差し込んでいる。
それから少年は玄関の方へ向かい、ドアを開けた。
「よお、早いな」
「……おはよ。やっと起きたのね」
そこには、不機嫌そうな顔をした少女が立っていた。ブレザーの制服を着ている彼女の名前は、神村ありか。長い綺麗な黒髪は本人も自慢する程で、顔立ちも整っており、かなり可愛い。そう、見た目は確かに可愛いのだが、色々と口うるさいので、少年は少し苦手だった。
「……それより雅也くん、またそんな格好で出てきて……」
少年のシャツとトランクスだけの姿を見て、ありかはため息を付いた。
「仮にも女の子の前なんだから、ちゃんとしてきてよ」
「しょーがないだろ。まだ起きたばっかなんだから」
そう言って、少年――加瀬雅也は寝癖の付いた頭を掻いた。
「まったく……。まあ、その話はともかく、早く顔洗ってきなさい。その間にご飯の用意しておくから」
「へいへい」
雅也は面倒そうに洗面所へ向かう。
「いつもいつも、手の掛かる人ね……」
ぶつぶつ言いながらも、ありかは布団をたたみ、部屋の隅にある小さなテーブルを中央に持ってくる。そして自分の家から持ってきた弁当を広げた。
「おっ、今日はサンドイッチか」
顔を洗った雅也が弁当を見ながら、テーブルに座ろうとすると、ありかが待ったをかけた。
「先に着替える」
「へーい」
雅也は壁にハンガーでかけてあるブレザーの制服を着た。今は五月だから上着も着るが、もうすぐ衣替えだ。
「……なあ、ありか」
さっそく彼女のサンドイッチを食べながら、雅也はふと思い付いて訊いてみた。
「女子って、ブラジャーが透けて見えても気にならないのかな?」
「……朝からいきなり何を言い出すのよ」
ありかは冷静に対応する。
「いや、そろそろ夏服になるしな」
「ついでに中間テストもね」
「うっ……そ、そういう嫌なことは置いといてさ」
「さあ? 他の女子に訊いてみれば?」
「こんなこと、お前以外に訊けないって」
「…………」
ありかは無視した。
「無視するなよ。……うっ」
「はい、麦茶」
喉が詰まった雅也に、ありかは慌てず水筒をカップに注いで渡した。
「んぐっ、んぐっ、んぐっ、……ぷはっ」
「これ、今日のお弁当」
ありかは地味なナプキンに包まれた弁当箱を、テーブルに置いた。
「ああ、サンキュー」
「ねえ、雅也くん」
再びサンドイッチを食べ始める彼に、ありかは何となく訊いてみた。
「あたしに感謝してる?」
「してるよー。弁当代もちゃんと払ってるよー」
「来月分まだだけど……」
「来週バイト代入るから待って」
「あ、そう」
そういうこと訊いてるんじゃないんだけどな、と彼女は心の中で呟いた。
「まあ、とにかく、明日からはもう少し早く起きてね。ご近所に迷惑だし、あたしもドア叩くのやだから」
「近所に迷惑って……お前の声の方が迷惑なんじゃ……」
「何か言った?」
「いやいや、努力します」
「いっつも口だけじゃない」
「なら言わなきゃいいのに」
「……………………」
しばし沈黙。
「怒るなよ、ありか。ほら、サンドイッチうまかったぜ」
「怒ってないわよ」
少し嬉しそうにしながら、ありかは後片付けをした。
「じゃ」
と彼女は立ち上がる。
「八時に迎えに来るから」
「オッケー」
雅也が手を振ると、ありかは出ていった。
「ふう……」
さっそく雅也はごろんと横になる。
「まだ眠いなあ」
と欠伸をした。
このアパートに引っ越してきてから、一年近く。雅也はずっと同じような朝を迎えていた。ありかはこのアパートの大家の娘で、彼女自身は近くの大きな家に住んでいる。
雅也が中学を卒業する年、父親が福岡に転勤することになった。当然家族も付いていくことになるのだが、雅也は埼玉を離れたくなかったので、何度も頼み込み、アパートを借りて一人暮らしをすることになったのである。
近所で高校が同じということもあり、ありかと少し親しくなった頃。雅也のだらしない不健康な生活ぶりを見て、彼女は世話をすると言い出した。そして大家の娘としての責任だとか理由を付けて、半ば強引に承知させた。それから彼女は学校のある朝とその日の弁当を作ってくれるようになった。まあ、代わりに食費を払い、その食費は彼女の小遣いとなるわけだが、おかげで今は規則正しい生活を送っている。
「でも、八時まであと十分。暇だな……」
歯も磨いたし、トイレも済ませたし、授業の用意もした。
部屋にある時間を潰せるものといえば、十五インチの小さなテレビとゲーム機、後は十数冊の小説とコミック。しかし本は読み終えてしまったので、十分足らずの時間を潰すのに最適なのはテレビしかない。
「やれやれ……」
しばらくニュースを見ていると、玄関のチャイムが鳴った。
「ん? ありかか?」
いつもほぼ時間通りに来るのに、今日は五分も早い。
珍しいな、と思いつつ、テレビを消してバッグを肩にかけ、玄関のドアを開ける。
だが、そこに立っていたのはありかではなかった。
背が高くて、腰まであるさらさらの金髪。さらに青い瞳、白い肌の、いかにも少女漫画に出てきそうな美形の青年である。しかしその容姿とは反対に、春で暖かいとはいえ、アロハシャツに半ズボン、麦わら帽子に草履と怪しい格好。何だか変な外国人であった。
「やあ」
と彼はにっこり笑顔と明るい声で、さわやかに言った。
「…………」
思わず彼を見つめる雅也。あまりに親しそうなので一瞬知り合いかと思ったが、よく考えてみたら外人に知り合いはいなかった。
「……あの、あなた誰ですか?」
「いや何、ちょっと怪しいかも知れないが、危険な者ではない。挨拶に来ただけだ」
「あ、挨拶って……」
「失礼、すぐに済む」
怪訝な顔をする雅也に男はそう言うと、胸ポケットから携帯電話のようなものを取り出した。
「え……?」
他人の家の玄関でいきなり電話するのか? と驚く雅也。だが、男はボタンをいくつか押した後、電話をするのではなく、それの先を雅也に向けた。すぐにピピッと音が鳴る。
「……あ、あの、何やってんですか?」
どうも彼の行動が理解できなかった。あの黒い物体は携帯電話ではないのだろうか。
「ふむ。適正値八十パーセントか……やはりこんなところだろうな」
黒い物体を見て、男が呟く。
「は?」
「いや、気にしないでくれ。それより早朝に失礼した。私は色々と準備があるのでこれで帰らせてもらう」
「あ……そうですか」
何だかさっぱりわからないが、帰ってくれるならそれに越したことはない。
「では加瀬雅也くん。また会おう」
金髪の怪しい男は、最後にさわやかな笑顔を向けると、そう言ってドアを閉めた。
「あ……ちょっと?」
慌ててドアを開けて外を見ると、男の姿はもうどこにも見えなかった。走ったような足音は聞こえなかったが……。
「どうなってんだ……?」
彼が名前を知っていたのは、表札を見たからだろう。しかし、「また会おう」とはどういう意味だろう。そもそも一体何をしに来たのか……。
「う、うーむ。さっきの変な行動といい、怪しい外人だ……」
「どうしたの、雅也くん?」
「あ、ありか」
見ると、自転車に乗ってやってきたありかが、外にいる雅也を不思議そうに見ている。
「い、いや、それがな……」
「……とりあえず、自転車乗って出てきたら?」
高校まで、自転車で二十分弱。話なら自転車に乗りながらでもできるから、今は出発した方がいいだろう。
「……そうだな」
雅也は部屋の鍵をかけ、ドアの側に置いてある自転車を道路に運んだ。
「ああ、きっとその外人さん、今度引っ越してくる人よ」
二人で自転車を走らせながら、大体の話を聞いたありかがそう言った。
「引っ越してくるって……あのアパートに? あの外人が?」
確か、あのアパートで空いている部屋は、雅也の所の隣にしかなかったはずである。ということはつまり、これからあの外人とお隣さんの関係になるわけだ。
「な……何か嫌」
雅也は思わず顔をしかめた。
「別にいいじゃない。その外人さんね、えーと……名前はちょっと思い出せないけど、色々忙しい人みたいで、今月中に入居するらしいとしかわからないの。鍵は渡してあるから、もう来たのかもね。荷物もほとんどないみたいだし」
「でもありかの家にはまだ顔出してないんだろ? それより先に何で俺の所に挨拶に来るんだ?」
「さ、さあ。そこまであたしも知らないわよ。お隣さんを大事にする人なんじゃないの?」
「そうかな……。それだけならいいけど、何か怪しい変な行動してたからな。……ちょっと不安」
「まあ、何かされたならさすがに注意するけど……できるだけ仲良くしてよね」
「できればね……」
正直、あまり自信はなかった。
そして八時二十分頃、二人の通う高校に到着した。
ここでもありかとは縁があり、一年のときからクラスが一緒だった。
「……こういうのを、くされ縁と言うのだろうか?」
「何よ、あたしと一緒にいるのが嫌なわけ?」
「いや、そういうわけでは……」
ともかく、二人は自分たちの教室、三階の二年一組に入る。
「おはよー」
「あ、おはよー」
ありかが挨拶すると、何人かの女子が挨拶を返す。そんなに目立つ行動をするわけではないが、ありかは男子にも女子にも人気があった。そんな彼女といつも一緒にいるので時々冷やかされるが、ありかは悪い気分ではないらしい。雅也は……彼女が気にならないわけではないが、ちょっと複雑である。気持ちははっきりしていない。
「お〜い、雅也〜」
窓側の席にいる男子が、雅也を見て力無く手を振った。
短めの髪に、太めの眉、細い目、背は雅也より五センチは高く、体型はがっしりしている。彼の名は杉崎潤。運動神経抜群で、サッカー部に所属している。
「どうした、潤?」
バッグを置いて彼の元へ行ってみる。しかし、理由は訊くまでもなかった。
彼の前で机に肘をつき、ぼーっと空を見ている眼鏡をかけた男子。窓から入ってくる風が、彼の髪を揺らす。どこか陰を背負った美少年だった。
「……何だ、今日もか?」
と雅也は彼を指さす。
「これでもう一週間くらいになるぞ」
「丁度、今日で一週間だ」
と潤は頷いた。
「やれやれ……」
二人はため息を付く。
眼鏡の美少年の名は沢口健介。彼は今、深い悲しみに暮れていた。小さい頃から可愛がっていた、犬のタロウが死んでしまったのだ。死因は老衰だったが、それから彼はすっかり元気をなくしていた。
「空は青いなあ……」
ぼんやりとそんなことを呟く。かなり重傷だった。
「うう〜む、一体どうしたものか……」
「いつまでもこれじゃ、こっちまで暗くなるしな……」
雅也と潤は考えたが、やはりいい解決策は浮かばなかった。
新しく犬を飼うよう勧めてみれば、タロウの代わりはいないと言って怒り出す始末。
困ったものである。
そんなことをしているうちに、チャイムが鳴った。
「じゃ、また後で」
「ああ」
とりあえず自分の席に戻り、担任が来るのを待つ。
「ねえ、雅也くん。沢口くん、まだ元気ないの?」
教科書の用意をする雅也に、ありかが話しかけてきた。どこまで縁があるのか、席まで彼女の隣であった。
「ああ。あいつにも困ったもんだな」
「何かいい方法ないの?」
「あったら教えてくれよ」
「……やっぱりそういうのって、時が解決するものだと思うけど」
「もう一週間もたってるんですけどねえ……」
「…………」
結局答えは見付からないまま、担任がやってきて、ホームルームが始まった。
それから昼休み。お弁当の時間である。
さすがにありかと一緒に食べたりはせず、お互い同姓の友達と食べる。
雅也と潤は、健介の机で弁当を広げた。
「何だ、もうそんな時間か……」
健介は暗い表情のまま、バッグから弁当を取り出した。
「おい健介……、いい加減暗くなるのやめてくれよ……」
潤が疲れたように言う。
「タロウが死んでショックなのはわかるけどさ、いつまでもそんな風にしてたって仕方ないだろ」
「そうだな。健介が元気ないと、タロウだって安心して天国に行けないんじゃないか?」
ありきたりなセリフを口にするのは気恥ずかしかったが、雅也も同意見だった。
「でもなあ…………」
と健介は窓の外を見上げた。それきり黙り込んでしまう。
「おーい、話を聞けー」
「……ああ、すまん」
一応向き直る健介だが、話を聞く気はないようだった。
「よし、こうなったら俺が面白い話をしてやろう」
弁当箱を開け、雅也が言った。しかし中身を見て硬直してしまう。
「……うっ、サンドイッチ……」
ということは、おそらく朝の分はこれを作ったついでだったのだろう。ありかの作るものはおいしいが、さすがに同じものを続けて食べるのは遠慮したい。以前にも朝食と弁当が同じ事があり、やめるよう頼んだのだが……。
ちらりとありかの方を見ると、彼女もサンドイッチを食べている。雅也の視線に気付くと、小さく片手を上げ、ごめんというしぐさをした。
人のことを早く起きろとかいうくせに、時間がなかったのだろうか。それとも別の理由があったのか。まあ、それはどうでもいいことだ。
「仕方ないな……」
「何が仕方ないんだ?」
潤が首を傾げる。
「いや、別に」
と雅也はサンドイッチを一口食べた。潤と健介も弁当を食べ始める。
「それで、雅也。面白い話って?」
「ああ。実は今朝、出かける五分前に、突然家に外人がやってきたんだ」
「外人?」
「そう。しかも金髪碧眼のすごい美形の……」
「女かっ!?」
「いや、男だけど……」
「何だ、男か……」
がっかりする潤。彼は何を期待していたのだろうか。
「その……確かに外見は美形の男なんだが、着ている服はださいし、怪しげな行動はするし……」
「怪しげな行動?」
「俺にも理解できないんだが……携帯電話みたいなのをリモコンみたいに俺に向けてさ、ピピッって音がしたかと思うと適正値がどうとかぶつぶつ呟くんだよ。その後また会おうって言ってドア閉めたんで、気になって外に出てみたら、走った様子もないのに姿が消えていたという……」
「そ、それは確かに怪しい……というか、そいつ危ない奴なんじゃないのか?」
「かもしれん……。しかもこの話にはオチがあって、その外人はほぼ間違いなく、今度俺の部屋の隣に住む奴みたいなんだ」
「そ、それは……お気の毒」
潤は手を合わせた。
「まったく気が重いよ……」
雅也は喉が詰まらないよう気を付けてサンドイッチを食べながら、黙々と弁当を口にする健介に言った。
「どうだ、健介。面白かったか? なんなら今度その外人を見学に来てもいいぞ」
「おお、俺行こうかな」
と乗り気の潤。
「…………」
健介はゆっくりと顔を上げる。
そして一言。
「別に面白くない」
「うっ……」
雅也と潤は返す言葉もなかった。
午後の授業も終わり、放課後になった。
「じゃあな」
「ああ、頑張れよ」
サッカー部の潤は部活に向かう。
雅也と健介は帰宅部なので、さっさと学校を出ることにする。しかし健介とは帰る方向が正反対なので、校門ですぐに別れることになる。
「明日は元気になれよ」
「……ああ。努力する」
と短く答えて、健介は自転車に乗って行ってしまった。
「……う〜む……いまいち信用できんが……」
納得できないような顔で頭を掻いて、雅也も自転車に跨った。
「まあいいか」
時間はかかっても、少しずつ立ち直ってくれるはずだ。
とりあえず、ここにいても仕方ないので帰ることにする。
ありかも帰宅部だが、彼女は大抵女友達と帰る。そもそも付き合っているわけではないのだから、いつも一緒にいる必要はないわけだ。
「帰ったら何しようかな……」
自転車を走らせながら雅也は考える。最近、家にいても暇である。アルバイト代が入ったら、新しいゲームソフトでも買おうか。それとも別の何かに使おうか。しかしそれより前に夕食の材料を買いに行かなくては。いや、確か洗濯物もたまっていたはずである。
「……はあ」
そんなことを考えて、雅也はため息を付いた。
「一人暮らしって、面倒だな……」
朝食をありかが作ってくれるので随分助かっているが、それでも想像以上に大変だった。まあ、自分から言い出して始めたことだから、あまり文句は言いたくないのだが。
とりあえず雅也は、部屋に着いたら着替えて、デパートに行くことに決めた。
その後は本屋にでも寄ろうかな、と思いつつ到着したアパートの前で自転車を降り、それから玄関の前に置こうと持っていったとき。
「ん?」
雅也は自分の部屋の前に立っている男と女を見て足を止めた。男は金髪の白人。女はよく見ると、雅也と同じくらいの年で、日本人のようだ。だが、彼女の格好は異常である。
一体何を考えているのか、着ているものは何とメイド服だ。しかし、小柄で華奢な身体と綺麗なストレートの黒髪、美しい顔立ちの彼女は、服以上に人を引き付けるものがある。
「げっ」
さらに男の方を見て、雅也は顔をしかめた。彼は、今朝部屋に訊ねてきて怪しい行動をした男に間違いなかった。着ている服も同じである。
部屋の前にいるということは、やはり雅也に用事があるのだろう。
(……こ、今度は何をする気なんだ?)
恐る恐る近付くと、男はゆっくりと顔を向けて片手を上げた。
「やあ、お帰り」
「お帰りなさいませ」
と少女が軽くお辞儀をする。
「……あ、あの、俺に一体何の用があるんですか?」
「まあまあ。ここで突っ立って話すのも何だから、とりあえず君の部屋に入れてくれないか?」
「…………」
ずうずうしい奴、と思った雅也だが、確かにここにいても仕方ない。別に取られるようなものもないので、部屋に入れてやることにした。
「どーぞ」
雅也は鍵を取り出し、ドアを開けて二人を招き入れた。
「どうも」
「ありがとうございます」
男が入った後、少女が丁寧に靴を揃える。
(へえ……)
雅也は感心しながら二人を適当に座らせ、上着をハンガーにかけた。
それから自分も腰を下ろして言う。
「最初に言っておくけど、お茶もお菓子もないから」
「ああ、お構いなく。そんな期待はしていない」
「……そ、それで、話は?」
唇の端をひきつらせながら雅也が促すと、男はそれを遮った。
「その前に、名を名乗ろう。私はディオ・クレイス。今日からここの隣に住むことになった。よろしく」
「ああ……そうですか」
やっぱり……と、雅也は小さくため息を付いてから、ちらりとメイド服の少女を見た。
「彼女は?」
「ああ、彼女には今、名前がないんだ」
「は……? ど、どういう意味ですか、それ?」
「後で説明するから、とりあえず彼女のことは置いておいてくれ」
「は、はあ……」
納得いかない雅也だが、とにかく彼の話を聞くことにした。
「加瀬雅也くん」
ディオは正面から雅也を見つめた。
「は、はい?」
「今から言うことは君には信じられないと思うが、全て本当のことだから心して聞いてほしい」
「は、はあ……」
真面目な顔で一体何を言い出すのか、雅也はつい興味を引かれた。しかし。
「実は……私は宇宙人なのだ」
「…………」
雅也は沈黙した。変な人だとは思っていたが、まさかここまでだとは……。
ディオはそのまま話を続ける。
「君たちが銀河系と呼んでいるこの星系には、いくつか生命を持つ星がある。その中で最も文明の発達しているナスタークという星から私は来た」
「……何しに?」
「ウィルラーダ、という星の者たちが、宇宙に出て他の生命ある星を侵略しようとしている。そしてウィルラーダと一番近い距離にある地球が彼らの目標となった。彼らは地球よりも高い文明を持っている。君たちは抵抗らしい抵抗もできないまま、星を侵略されてしまうだろう。しかし、それでは面白くない」
ディオは口調を強め、笑みを浮かべた。
「我々は、地球に協力することにした。と言っても直接的には手を出さない。ウィルラーダに対抗できる兵器を貸そう。その代わり、我々はその様子を鑑賞させてもらう。娯楽に飢えているんでな、それだけでいい」
ディオは雅也を見た。
「…………」
彼は少女を見ている。少女はにっこり微笑んた。
(う〜ん、可愛いなあ)
思わず見取れてしまう。
「おい」
「ん? ああ、終わましたか」
雅也は振り向く。
「言っておきますけど、話は聞いてましたよ」
「確かに、聞いてはいたようだ。だが、信じてはいないだろう」
「そりゃそうですよ。信じる人がいたら見てみたいですね」
肩をすくめてみせる雅也。
「……だろうな。私も話だけで信じてもらえるとは思っていない」
「ふ〜ん……」
「だから、私は君と接触するのを今日まで待った。嫌でも信じざるを得なくなる今日まで」
「え……?」
一瞬理解できなかった雅也だが、徐々にその言葉の意味がわかってくる。
「……ちょっ、ちょっと、マジ……?」
「彼らが到着するのは、日本時間で夕方の五時頃かな……」
焦る雅也を面白そうに見ながら、ディオは言った。
夕方の五時といえば、あと三十分もない。
雅也は顔をひきつらせた。
「……ね、ねえ、君。今の話本当なの?」
「本当です」
と少女は答えた。
「……ふ、二人して俺をからかってるとか……」
「落ち着け、雅也くん。初めて会った君をからかって、何の意味がある」
「冗談が好きで、最後に嘘だよ〜ん、騙されてやんの〜、と言うとか……」
「……………………」
重い沈黙。
「まあ、驚くのも無理はないが……」
とディオは言う。
「とりあえず、君も疑問に思ってるだろう、何故私が君に接触したか。その理由を話そう」
「お、おい、本当に宇宙人が攻めて来るんだったら、呑気に話してる暇なんかないぜ。早くみんなに知らせ……たら、パニックになるか。警察に連絡すればいいのか? それとも
……ああ! こういうとき、一体どうしたらいいんだ!」
雅也は頭を抱える。
「……お、おいおい、君がパニックになってどうする。話をするくらいの時間は十分あるだろうが」
呆れるディオ。
そんな彼の言葉も聞こえない雅也の前に、メイド服の少女がやってきた。
「落ち着いてください、ご主人様!」
「ご……ご主人様ぁ?」
ぽかんと口を開け、目を丸くする雅也。今のはどう見ても彼に向けて放たれた言葉だった。
「…………」
顔だけ向けて、無言でディオに問いかける雅也に、彼はあっさりと言った。
「ああ、その娘な。君にやる」
「…………」
数秒、雅也の思考は停止した。
「なっ……や、やるって何だよ、やるって?」
「我々を楽しませてくれるお礼、プレゼントだ。だから君が彼女に好きな名前を付けてあげればいい」
「ど、どういうことだよ?」
「つまり、加瀬雅也くん。君はこの地球の人間の代表に選ばれたのだ。頑張って戦ってくれ」
「た、戦ってくれ……って、何だよそれ! 何で俺が代表なんだよ!」
雅也はつかみかからんばかりの勢いでディオに詰め寄る。
「簡単なことだ。調査した結果、君が一番我々を楽しませてくれそうなんでね。ま、そういうことだ」
「楽しむ……自分たちの娯楽のためかよ」
「そう言っただろう? その代わり君たちに協力するんだ。感謝してもらいたいな」
「……くそっ」
雅也は悔しそうに自分の座っていた所へ戻った。
「それで? 戦うったって、どうすればいいんだ? 俺は戦い方なんて何も知らないぜ。第一、俺一人でどうしろってんだ……」
「ふふ、そうやけになるな。何も一度に全部相手にしろとは言っていない。それにそれだと一回切りしか楽しめないじゃないか」
「じゃあ……どうするんだ? まさか相手が少しずつしか攻めてこないなんて、そんな都合のいい事あるわけないし……」
「そう。あるわけないが、こちらで調節してやることはできる」
「え……?」
雅也は怪訝そうに眉を寄せる。
「もう一週間も前から、この地球の周りにはバリアが覆ってある。もちろん、この星のレーダーではわからないものだから、誰も気付いてはいないだろうがな。とにかくそのバリアがある限り、ウィルラーダの連中はこの星に入ってはこれない」
「へ、へえ……」
よくわからないが、何だか凄そうなので雅也は感心した。
「じゃ、じゃあ、戦う必要もないじゃないか。入ってこれないなら、奴らも諦めて帰るしかないだろうし……」
「……君もわからない奴だな」
とディオはため息を付く。
「何度も言うように、我々は娯楽のために君たちに協力する。だからこちらで操作してバリアに穴を開け、一定の敵を進入させる。それを君が迎え撃てばいい。もちろん負けたら地球は侵略されるが、これで随分戦いが楽になったはずだ」
「…………」
雅也はしばし呆然とした後、疲れたように言った。
「俺、あんたらの考え、理解できんわ……」
「できなくて結構。さて、そろそろ時間もなくなってきたことだし、ウィルラーダに対抗できる兵器を見せてやろう」
ディオが立ち上がった。
その後に、少女も立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。へ、兵器を見せるって……こんな所でか?」
「まさか。まあ、とりあえず、私の部屋に来てくれ」
「え?」
「来ればわかる」
そう言うと、ディオはさっさと靴を履き、外に出てしまった。
「行きましょう、ご主人様」
少女が雅也の手を取る。
「あ、う、うん……」
あまりの急展開に、雅也は部屋に鍵をかけるのを初めて忘れて外に出た。
隣のディオ・クレイスの部屋。
端の方には、どうやって運び込んだのか、天井まで届くくらいの巨大なコンピューターが畳二畳を占めていた。上半分がモニターだとわかるが、その下にはキーボードのようなものは一切ない。代わりに手の平サイズの銀の板が、台の上に何枚も並んで張り付いているだけだ。そして隣には、何故か中身が空の電話ボックスがある。それ以外、この部屋には何もなかった。
「あ、あれは……?」
と電話ボックスを指さす雅也。コンピューターがあるのはわかるが、あれの存在の意味が全く想像できなかった。
「間違っても勝手に触るなよ。我々の娯楽と地球の侵略を防ぐための大事な装置だからな」
そう言いながら、ディオは端にある銀の板に手を触れた。途端にコンピューターが起動し始め、モニターに何やら意味不明の文字が羅列していく。
「へ、へえ……その銀の板ってキーボードの代わりなわけ?」
「ん? ああ、これはレイテスといってな、手の平から思考を読み取って動く装置だ。いくつもあるのは目的別に分かれているからだ」
「ふ、ふ〜ん……何だかすごいな……」
「それから、隣にあるのはバトルフィールドへの転送装置だ。地球を覆うバリアの中にもう一つバリアを作った。そこで戦っている限り外には影響がないから、安心していい」
「そ、そうか……」
ついでに電話ボックスじゃないことがわかり、雅也は幾分ほっとした。
「ふむ。残り五分を切ったな」
腕時計を見てディオが言う。
「雅也くん。さっそくそこの転送装置に入ってくれ。すぐに戦いが始まるぞ」
「まっ、待ってくれよ! 俺はどうやって戦えばいいんだよ! ウィルラーダとかいう宇宙人だって、侵略してくるくらいだから、すごい兵器とか持ってるんだろ!?」
「それは向こうに用意してある。詳しいことは彼女に訊け」
「か、彼女って……」
一人しかいない。メイド服の少女だ。
彼女は微笑み、雅也の手を取る。
「行きましょう、ご主人様。二人で一緒に地球を守りましょう」
「なっ……」
雅也は呆気に取られ、ディオを見る。
「ど、どういうことだよ?」
「とにかく行けばわかる」
彼は説明する気はないようだ。
「もう時間がありませんよ、ご主人様」
「…………」
仕方なく、雅也は少女と二人で転送装置の中に入った。中は狭く、どうしてもお互いが密着してしまう。
「きついですか? すいません、ご主人様」
「い、いや……」
意外に大きめな彼女の胸が押し付けられて、雅也は気恥ずかしい。
そんな彼に、ドアを閉めようとしたディオが言う。
「雅也くん。向こうに着いたら、すぐに彼女に名前を付けてやれ。一回登録したら取り消せないから、変なのは付けるなよ」
「あ、ああ……」
意味を理解できないまま、雅也は頷いた。
「よし、では転送するぞ」
ドアを閉め、間違って開かないように鍵もかけると、ディオはレイテスに手を触れる。
「うぐっ……!」
突然、雅也は全身の肌が痺れるような激しい振動を感じた。そして次の瞬間、意識は闇の中へ飛ばされていた。
気が付くと、雅也は真っ暗な空間で、どこかの椅子に座っていた。身体は何かで締め付けられ、頭と腕以外が動かないようになっている。
「こ、これは……?」
何とか状況を把握しようと周りを見ていると、ふいに明かりが付いた。
「あっ……」
と声を上げ、そのまま言葉を失ってしまう。
周囲は白い壁で覆われ、前方は巨大なモニターがある。下には雲、そのさらに下には海と大地。正面より上にはたくさんの星が見えた。そして周囲は一キロくらいに渡って、半透明の壁が広がっている。おそらくこれがバリアなのだろう。
どうやら随分上空にいるらしい。高所恐怖症でなくてよかった。
「ん?」
ふと自分を見下ろしてみると、身体を締め付けていたものが何かわかった。例えるなら、ジェットコースター等に乗るときに使う安全装置。足はベルトで固定されている。
「な、何なんだ? 一体どこなんだ、ここは?」
「ロボットの中です、ご主人様」
足下から少女の声がした。
「えっ?」
見ると、前方斜め下の方にも椅子があり、彼女はそこに座っている。振り向くとにっこり微笑んだ。
「き、君……。ロボットの中って……まさか、これが? 俺……ロボット操縦するのか?
一体どうやって?」
見たところ、操縦桿のようなものは何もない。あるのは、左右の手元にあるオレンジ色の半球体だけだ。
「あ……」
そのとき、ディオがコンピューターを使っていたときのことを思い出す。
「もしかして……これに触れて動かすのか?」
「そうですけど、待ってください、ご主人様。後で説明しますから、先に私に名前を付けてください。そうしないとこのロボットは動きません」
「あ、ああ……わかった」
内心焦りながら、雅也は頷いた。
しかし名前を付けるといっても、どういうものがいいのだろう。はっきりいって、雅也はそういうのがすごく苦手だった。
「え、えーと、えーとぉ……」
「ご、ご主人様……あまり時間はないんですが……」
少女が不安そうに言う。
「う、うう〜ん……」
苦しげに悩む雅也の頭に、何故か突然、少し前に遊んだ某人気ゲームのヒロインの名が思い浮かぶ。時間がないという焦りもあって、雅也は決心した。しかしそのままコピーというのも嫌なので、字は変えることにする。
「よ、よしっ、栞だっ。君の名は栞に決定!」
「しおり……ですね。わかりました」
少女は微笑み、身体を後ろに倒す。そのままわずかに椅子の背もたれが倒れると、周りから各部パーツに分かれた黒い鎧のようなものが飛び出し、彼女の頭、腕、足を覆う。それから雅也のと同じ安全装置が上から降りてきて、固定された。ただし、彼女の場合は全身を一切動かすことができない。
「よ、よく見えないけど……何か凄そう……」
まるでロボットアニメである。まあ、状況は似たようなものだが。
『おい、二人とも』
突然、モニター一杯にディオ・クレイスの顔が現れた。
「う、うわっ、何だよいきなり」
仰け反る雅也。
『丁度今、ウィルラーダの宇宙船が地球の外に到着した。今から連中は調査を開始するところだ』
「な、何っ、もう来たのか?」
『バリアがあるのはすぐに気付かれるだろう。彼らが戦闘を仕掛けてきたらすぐにそこに誘い込むぞ。早く準備を済ませておけ』
「そ、そんなこと言われても……」
『とにかくそういうわけだ。雅也くん、楽しめるような戦いをしてくれよ』
自分の用件を済ませると、ディオはモニターから姿を消した。
「お、おい……」
何て自分勝手な奴なんだ、と雅也は思った。
「ご主人様、今からこのロボットについて簡単に説明しますから、聞いてください」
「あ、ああ」
栞の言葉に雅也は頷いた。
「まず、このロボットの名はラディストといい、全長十五メートルあります。これがその姿です」
モニターが切り替わり、そこに白いロボットが現れた。
「おおっ、これは……」
細身の体型で、なかなか格好いい。
「……でも、変形も合体もできそうにないな」
「は? 何ですか、それは?」
「い、いや、何でもない」
「そうですか」
深く訊ねずに、栞は説明を続ける。
「ご主人様、手元にオレンジ色の半球体がありますよね? そこに触れてみてください」
「わ、わかった」
雅也は左右にある半球体に手の平を乗せようとした。しかし、それの中に手が沈んでいき、思わず引いてしまう。
「う、うわっ、何だこれっ? 液体かっ?」
熱さも冷たさも、触感さえも感じないが、浮力があり、触れると液体のように波間が広がる。不思議な物体だった。
「大丈夫ですよ、ご主人様。それもディオさんが使っていたものと同じ、レイテスです。触れることで思考を読み取り、ラディストを動かすことができるんです」
「あ、ああ、そうなんだ。でも、随分形が違うけど……?」
「使用目的によって形状を変えた方が便利じゃないですか。それにこちらの方が読み取りやすくて高性能なんです」
「な、なるほどね。ところで、動かし方はわかったけど、武器はどんなのがあるんだ?」
「武器……ですか。武器は……装備されていません」
「ふ〜ん……って、何ぃぃぃっ!」
雅也は目を剥いた。
「ぶ、武器がなきゃ、どーやって戦うんだ!」
「だ、大丈夫です。武器がなくてもラディストは十分に強いですから」
「で、で、でもなあっ……」
『おい』
またもモニターにディオが現れた。
「う、うわ、何だよ」
『今から連中をそこに誘い込むから、教えておこうと思ってな』
「ちょ、ちょっと、待ってくれ。何でこのロボットには武器がないんだよ?」
『ん? ああ、そのことか。今回はわざと装備させなかっただけだ』
「な、何で?」
『第一に、今回は武器を使う必要がないから。第二に、不利な条件の方が面白いから。以上だ。納得したか?』
「……武器が必要ないってことは、つまり、相手が弱いってことか……?」
『初めての戦闘で強いのを相手にしても負けるだけだからな。できるだけ弱いのを呼んでやる。今回は操縦に慣れればいい』
「おおっ、いいところあるじゃないかっ」
とりあえず雑魚が相手なら、何とかなるかもしれない。
『まあ、君がよっぽど下手な操縦をしない限り大丈夫だと思うが、とにかく負けないよう頑張れよ。負けたら地球は侵略されるからな』
モニターからディオの姿が消えた。
「……そんなことされてたまるか」
と呟き、雅也は拳を握りしめる。
「そうですね。ご主人様、今のうちに、少しラディストを動かしてみましょう。私がサポートしますから」
「わかった」
雅也が半球体のレイテスに手を置くと、手首まで沈んで安定した。
「まずは、歩いてみましょう。頭の中で念じてみてください」
「よ、よし」
雅也は目をつむり、強く念じた。
(……歩け、歩け、歩け、歩け、歩けっ!)
すると突然、ぐんっ、と身体が引っ張られた。ラディストがダッシュしたのである。
「う……うわっ!」
「きゃっ!」
悲鳴を上げた途端に、ラディストは受け身も取れずに転んでしまった。
「い、いててて……」
実際に痛みは感じなかったが、条件反射で思わずそう口にしてしまう。
「ご、ご主人様、そんなに強く念じなくてもいいんですよ。自分の身体を動かす感覚でやれば」
「さ、先に言って。そういうことは……」
「……す、すいません」
小さな声で謝る栞。
「まあ……別に怒らないから、とにかく立ち上がろう」
「はい」
雅也は今度は普通に立つように念じる。するとラディストは、ぎこちない動きながらも何とか立ち上がった。
「なるほど……少しわかってきたぞ。じゃあ次は……」
と練習を続けようとする雅也だが、モニターの隅に変化があったのを見逃さなかった。
上空に黒い穴が開き、そこから次々と戦闘機らしきものがやってくる。それらはすぐにラディストを見付けると、こちらへ真っ直ぐ向かってきた。
「げ、げえっ! もう来たのかっ!?」
顔をひきつらせる雅也。まだラディストを十分に動かせていないというのに、これでは早過ぎる。
「どっ、どっ、どうすればいいんだっ……」
「大丈夫ですよ、ご主人様」
困惑する雅也に、栞が落ち着いた声で言った。
「自分の力と、そして私を信じてください。そうすれば、絶対に勝てます」
「……ぜ、絶対?」
「はい」
「……わ、わかった」
今さらどうこう言っていても仕方がない。
雅也は思い切って腹を決めた。
「こうなったらとことんやってやる! 二人で頑張ろうぜ!」
「はい!」
栞は嬉しそうに微笑んだ。
見たところ、敵の機体は合計十体。上空の穴が閉じてしまったので、それ以上はやってこなかった。
「一斉攻撃されたらやばいかな……」
「そのときは避ければいいんです」
「……君、結構気楽な性格してるね」
「そうですか?」
二人がそんな会話をしているうちに近付いた敵機は、突然変形を始めた。飛行形態から人型になり、ラディストの周りに着地する。紫のカラーリングの敵ロボットは、全長はラディストと同じくらいだが、全身重武装している。
「つ、強そうだな……」
「見た目だけですよ。性能はラディストの方がずっと上です」
「そ、そうか」
おそらくは彼女の言う通りなのだろうが、こちらは丸腰なのである。しかもまだまともに動かせてはいない。いくら性能が上でも、敵の一斉攻撃を食らえば機体が持たないだろう。一瞬、そんな不安に駆られた雅也だが、はっとして顔を引き締めた。この戦いは、絶対に負けるわけにはいかないのである。そのためには、まず気合いで勝たなければならない。
「よ、よし」
と雅也はレイテスの中にある手に力を込める。
「いくぞ、栞」
「あ、待ってください」
栞の言葉のすぐ後、一体のロボットからスピーカーを通して声が聞こえてきた。しかし、言葉がわからず、何を言っているのかさっぱりわからない。
(……やっぱりパイロットがいるのか)
一瞬、ためらいが生じる。これから行われるのは、殺し合いなのだ。だが、今はそんなことで悩んでいる場合ではないのはよくわかっていた。
「栞、今何て言ったかわかるか?」
「はい。地球を覆っているバリア、このバトルフィールド、そして私たちについて説明を求めています」
「そ、そうか」
確かにウィルラーダにとっては、自分たちより文明が劣っているはずの地球に、こんなバリア等があれば驚くだろう。
「……でも、別に教えなくてもいいんじゃないか?」
「ええ、私も必要はないと思います。ご主人様、今のうちに先制攻撃を仕掛けましょう」
「わかった」
雅也は頷き、正面のロボットに狙いを絞る。
「でやあああっ!」
気合いの声と共にラディストはダッシュをかけた。不意を付かれた相手はかわせず、ラディストの体当たりで吹っ飛ばされる。
「や、やった」
と雅也は息を付く。そのロボットの左腕は取れ、胸部にはひびが入っていた。見た感じはまだ大丈夫そうなのだが、どうやらもう動けないようだ。
「油断しないでください、すぐに攻撃がきます」
栞の声で周りを見ると、九体のロボットたちが何かを叫びながら肩から一斉にミサイルを発射する。
「くっ……!」
雅也はラディストをジャンプさせ、それらをかわした。下ではミサイル同士がぶつかって爆発が起きる。
「ご主人様、彼ら、私たちのこといきなり攻撃して卑怯だって言ってましたよ」
「……じゃあ、いきなり侵略しようとするのは卑怯じゃないのか?」
「訊いたら何て答えるでしょうね」
と栞は笑みを浮かべる。
「それよりご主人様、もっとイメージを膨らませてください。ラディストはロボットなんですから、人間には不可能な動きもできますし、運動能力だって比べ物になりません」
「そ……そうか、そうだな」
と考える雅也。その正面に敵ロボットが現れ、パンチを繰り出してきた。
「ぐわっ!」
顔面を殴られ、機体に衝撃が走る。ラディストはそのまま勢いよく落下していった。強固な壁となっているバリアに激突すれば、ダメージは大きいだろう。
「ご主人様、飛ぶことを考えて!」
「くっ!」
栞の声に反応し、雅也は翼を思い描く。自由に飛ぶことのできる、鳥の姿を。
そのとき、落下が止まり、身体が浮いたような気がした。いや、実際ラディストは飛んでいたのである。翼を生やすことなく、ラディストは飛ぶことができたのだ。
「う、うわっ!」
視界が一瞬にして切り替わった。飛べたのはいいが、バランスを崩したままなので、二転三転し、どこへ行くのかわからない。
「よ、酔いそう……」
頭がふらふらし、胸の辺りが気持ち悪くなった。
「ご主人様、バランスを立て直してください!」
何とかフォローしようとする栞だが、しかしその前に、ウィルラーダのロボットたちがビームライフルやミサイルで攻撃をしてくる。
「ご主人様!」
栞は声を上げる。
しかし、目が回っている雅也はそれらをかわすこともできずに、全てを食らってしまう。激しい衝撃の後、さらにバリアに叩き付けられた。
「きゃああっ!」
悲鳴を上げる栞。
「痛っ……くそっ!」
雅也は頭を振った。
ウィルラーダのロボットたちが何かを言っていたが、言葉は理解できなかった。
「ごめん、栞。大丈夫か?」
「は、はい……。でもご主人様、このままでは勝てません。もっと相手の先を読んで動かないと……」
「わ、わかってるけどさ……」
そう、わかっているのだが、どうしようもない。敵のロボットが予想以上に強いという以上に、このラディストを思うように動かせないのが痛かった。
ロボットたちがさらに何かを言ってくる。降伏を呼びかけていると栞にはわかったが、それを受け入れれば地球は侵略されてしまうのだ。答える必要はない。
「……ご主人様、もっと気楽に、こう考えてください。ラディストを操縦するのではなく、一体となるんです」
「ラディストと、一体に……?」
「ええ。それができれば、あのロボットたちはラディストの敵ではありません」
「そ、そう言われても……」
「心を開いてください。ラディストに……そして私にも」
「…………」
そのとき、ラディストに衝撃が走った。
ウィルラーダのロボットたちが再び攻撃を開始したのである。全身に装備してあるミサイルを一斉発射させる。
「くっ……」
何とか腕で防御しながら、雅也は思った。
(……そうか、ロボットを操縦するってことを、難しく考え過ぎたのかもな)
このラディストには難しい操縦方法などない。ただ思うだけで動くのなら、これ以上簡単なことはないし、それに今負けたときのことを考えても仕方がないのだ。
「すう……はあ……」
と雅也は大きく深呼吸をする。不思議と心が落ち着いた。
「……いくぞ、栞。今度は大丈夫だ……と思う」
「はい。信用してます」
栞は微笑む。彼女は雅也の心の状態を感じ取り、勝利を確信していた。
目を閉じ、雅也はイメージする。
しつこく銃器を発射させるロボットたちの後ろに回り、攻撃を仕掛ける場面を。
ふいに、身体が軽くなったような気がした。
ヒュン! と風が唸り、ロボットたちの間を通り過ぎる。そして次の瞬間、ラディストはロボットたちの後ろにいた。あまりの速さに、誰もその動きを捉えることができない。
「でやあああっ!」
雅也は声を張り上げ、ロボットに延髄蹴りを食らわせる。それだけで、頭部はバラバラに砕け散った。
それに気付いた他のロボットたちが振り向き、腕からビームサーベルを出す。だが、彼らが攻撃を仕掛ける前に、ラディストが迫っていた。
「はあっ!」
叩き付けるように真上から殴ると、上半身がひしゃげて小さな爆発が起きた。そのまま倒れたこのロボットは、もう動けないだろう。
「よぅし! 調子出てきたぞ!」
雅也は笑みを浮かべる。両手を組み、近くのロボットの腹にめり込ませた。ラディストの強力なパワーに耐えきれず、そのロボットは真っ二つになった。
さすがにそれを見て脅威に思ったのか、ロボットたちはラディストと距離を取ろうとする。
「ご主人様、間を詰めて!」
「わかってる!」
雅也は後退するロボットの一体に狙いを絞り、ダッシュをかけた。
それに気付き、ロボットはビームサーベルで斬り掛かってくるが、ラディストは素早くジャンプでかわした。そしてその位置から飛び蹴りを放つ。
「とおっ!」
空中からの一撃を胸に食らったロボットは、後ろへ数百メートル吹っ飛んでいった。そのままバリアの壁に激突し、そのロボットは沈黙する。
「これで五つか……」
「あと半分です!」
と応援する栞は、残りのロボットたちが飛行形態に変形するのを見た。パワーではかなわないと悟ったのか、今度はスピードで勝負するつもりのようだ。
「ご主人様、気を付けてください!」
「大丈夫っ!」
雅也は自信に満ち溢れていた。といっても、調子に乗っているわけではなく、きちんと実力に裏付けされたものだった。
今の彼は、ラディストを自分の身体のように操っていた。そして心強く、安心できる栞の存在も感じている。もはや負ける気はしなかった。
「でええいっ!」
変形したロボットたちに向かって、雅也はラディストを走らせる。スピードを付けて体当たりするつもりだったが、ロボットたちはそれを上回るスピードでラディストをかわした。そして後ろから一体が迫り、逆に体当たりする。
「うわっ!」
頭に衝撃を受け、ラディストはうつぶせに倒れた。そこを別の一体が素早く接近し、飛行形態のまま腕を出して、ラディストの肩をつかんで持ち上げた。
「何っ?」
「ご主人様、周りを!」
栞が声を上げる。他のロボットたちはバズーカ砲やバルカン砲を構え、一斉に撃ってきた。狙いは正確で、肩をつかんでいるロボットには全く当たらない。
「うぐっ!」
「きゃっ!」
衝撃が直接パイロットにまで伝わってくる。ラディストの頑丈な装甲はそう簡単には破れないだろうが、さすがにこのままではまずい。この状態から逃れるには、やはり肩をつかんでいるロボットを何とかするしかないだろう。
「でりゃっ!」
肩をつかむ腕を外そうと、ラディストは手を伸ばす。つかんだらオーバーヘッドキックを食らわせようと思ったのだが、しかしそれより先にロボットは自分から手を離し、上空に逃げた。
「あらっ」
大きくバランスを崩し、ラディストは後頭部から落下してしまう。
「いつつ……」
と、反射的に痛くもない頭を押さえていると、栞が声を張り上げた。
「ご主人様、上から来ます!」
「何っ?」
目を見開いて上を見ると、先程上空に逃げたロボットが人型に戻り、ビームサーベルを構えて向かってくる。立ち上がる余裕はない。
「ちいっ!」
一か八か、雅也は両手を差し出した。
「うおりゃあっ! 真剣、白刃取りぃっ!」
十分に気合いの入った技だった。一瞬相手も怯んだが、しかし。
すかっ。
ビームサーベルはラディストの両手をすり抜けていった。
「え?」
モニターが真っ黒になり、雅也は間抜けな声を上げる。
ラディストの頭部は、首まで真っ二つにされてしまっていた。そのせいで、そこにあったカメラ機能まで破壊されてしまったのである。
「ぎゃああああっ!」
突然、栞は絶叫した。安全装置で固定されている身体が、びくびくと痙攣する。
「し、栞っ?」
雅也には、彼女に何が起きたのかわからなかった。だが、とりあえず目の前のロボットを何とかしなければならないのは確かだ。しかしモニターが壊れたままなので、敵がどこにいるのかわからない。ここは勘に頼るしかないだろう。
(いや、勘よりもむしろ……)
雅也は目を閉じ、精神を落ち着かせる。彼は無謀にも心眼で敵を見るつもりだった。ラディストに乗っている今ならできるかも、と思ったのだが、いくら何でもそれは無理である。もちろん目を閉じれば何も見えない。しかしモニターが壊れている今、目を閉じても開けても同じことだった。
「でえいっ!」
雅也は当てずっぽうに手を伸ばす。そこには何かの感触があった。運のいいことに、ラディストは、ビームサーベルの付け根であるロボットの手首をつかんでいたのだった。
「よっしゃ!」
そして肘を蹴り上げ、強引に腕をもぎ取る。だが何も見えないため、それ以上は攻撃することができない。ラディストに衝撃が走ったので、腕を交差させて防御するしかなかった。
「くそっ……栞! 栞、大丈夫か!?」
雅也は沈黙したままの彼女に呼びかける。
「栞!」
もう一度呼ぶと、わずかに間を置いてから返事があった。
「大丈夫……です」
その声にほっとした雅也は、彼女に訊ねてみる。
「いきなり悲鳴を上げて、さっきは何があったんだ?」
「……ここにいるとき、私はラディストとシンクロした状態にあります。先程頭部を斬られたので、その痛みが伝わったんです」
「シンクロして……伝わった……?」
雅也はぞっとした。ラディストは頭を真っ二つにされたのである。その痛みを自分が感じたとしたら……想像するだけで恐ろしい。
「そっ、それで、大丈夫なのかっ?」
「痛みは一瞬だけですから、もう大丈夫です。それより、このままではどうしようもないですから、第二カメラに切り替えましょう」
その言葉の後、すぐにモニターに映像が戻った。二体のロボットがラディストに向かって銃を撃ち続けている。他の三体はどうやら弾切れらしい。
「ご主人様、そろそろ決着を付けましょう」
「あ、ああ。……それより、あいつらの攻撃受けて痛くないのか?」
「これくらいなら何でもありません」
「本当に?」
「はい」
「……そっか。じゃあ、やるか」
「はいっ」
雅也は正面のロボットたちに狙いを定め、レイテスの中にある手に力を集中させる。
「はああっ!」
ラディストはダッシュした。ロボットたちの銃撃をかわし、横から一体につかみかかり、
足を払って押し倒す。そして素早くその両足をつかみ、思い切り振り回して、隣のロボットに叩き付けた。
グシャッ! という感じで、二体のロボットはバラバラに砕け散る。
「ふうっ……あと三体か?」
「はい。ご主人様、一体が後ろから来ます」
「オッケー!」
ラディストは身体を反転させ、向かってくるロボットに回し蹴りを食らわせた。倒れたロボットは、先程腕をもぎ取った奴だった。雅也はビームサーベルが出たままの、もう片方の腕を取る。
「ありゃ?」
雅也はその腕を使って攻撃しようと思ったのだが、ビームサーベルは消えてしまった。切り離されるとエネルギーが出ないようだ。
「しょうがない……」
武器を使うことはあきらめて、雅也は他の二体に近付こうとする。しかし、さすがにもうかなわないと思ったのか、そのロボットたちは飛行形態になって逃げようとしていた。
「……どうする、栞? あいつら、戦う気ないみたいだけど」
「倒してください」
栞はきっぱりと言った。
「戦闘が終わるまでバリアから出ることはできませんし、今倒さなくてもまた攻めてくるんです。どうしても見逃すというのなら、私たちが倒されるしかありません」
「わ……わかった。やるよ」
気は進まないが、やらないと地球が侵略されてしまうのだ。
バリア内を飛び回るロボットの一体に目標を絞り、近付いた一瞬を狙ってジャンプする。
「よし、成功!」
ラディストは飛行形態になったロボットの上に飛び乗っていた。そして頭部をつかみ、下に押し付ける。
「落ちろっ!」
ロボットはバランスが取れず、バリアの壁に向かって一直線に落下した。何とか人型に変形しようとするロボットだが、雅也はそれを許さない。
「うりゃっ!」
ラディストは強引に体勢を入れ替える。前の方を足で押さえ、後ろの方を抱えるように手で押さえる。そのままロボットはバリアに叩き付けられ、原型を留めないほどに砕け散った。
「残り一体です」
「よーし、このまま勢いでいくぞ!」
雅也は最後の一体の位置を捉える。そのロボットは人型に戻っていた。そしてビームサーベルを構え、捨て身で向かってくる。なかなか速い動きで、ラディストは近づけない。
「くっ……強いじゃないかっ」
とりあえず、ジャンプして後ろに大きく離れたが、何かいい策はないものか。
「ご主人様、とにかく、こちらも速い動きで対応するしかありません」
「そうだな」
雅也は斬り掛かってくるロボットの動きをよく見た。そして近付いたとき宙返りをして後ろに回り、両手でロボットの頭をつかむ。
「ていっ!」
後ろから足を引っかけ、頭を下に押し潰した。それでも起き上がろうとするので、ラディストは力を込めて殴り付ける。拳が胸部を貫き、今度は動かなくなった。
「終わった……か」
「はい……あ、まだです!」
栞はまだロボットの反応が消えていないことに気付いた。見ると左の方に、一体のロボットが立っていた。左腕がなく、胸部にひびがあることから、最初に倒したはずのロボットだとわかる。
「どうやら、倒れたまま様子を伺っていたみたいですね」
「せこい手だな……。ま、今の俺に取っては楽な相手だな」
雅也が余裕の笑みを浮かべて、一歩近付いたそのとき。
ロボットの全身から一斉にミサイルが発射された。その数は、軽く見ただけで百発以上ある。
「げげっ」
「避けてください!」
さすがにやばいと思ったのだろう。栞が叫ぶ。
「くっ」
雅也は慌てて、ラディストを思い切りジャンプさせた。発射されたミサイルより、遙かに高い位置だ。完全に通り過ぎてほっとする雅也だったが、何とミサイルは軌道を変えて向かってきた。
「追尾機能付きかよ?」
一瞬驚いたが、こういうパターンはコミック等でよくあるので、攻略は簡単である。それを放った相手に近付き、直前でかわすのだ。するとミサイルは相手にぶつかってしまうというものである。
雅也もそうしようとして、ロボットに向かって飛んでいく。ロボットはビームサーベルを構えるが、ラディストは直前で上に飛んでかわした。そしてラディストに付いてきたミサイルは、かわしきれずにロボットにぶつかる。……ということはなく、ラディストと同じように直前で上にかわした。しつこくラディストに付いてくる。
「げっ、ずるい」
こうなったら仕方がない。雅也はラディストを下に降ろした。
「どうするんですか? いくらラディストでもあれだけのミサイルを受ければ……」
「ああ。だから、こいつを使うんだ」
ラディストは戦闘不能になって倒れているロボットをつかんだ。そして飛んでくるミサイル群に向かってロボットを投げ付ける。
「でりゃっ!」
ドォンッ!
今度はかわせず、ミサイルは連鎖反応を起こして次々と爆発した。それでもまだ向かってくる残りのミサイルは、また別のロボットを投げ付けて爆発させた。
「これで終わりだな……。いくぜっ!」
ラディストはダッシュし、一直線にロボットに向かう。
「はあっ!」
そのままの勢いで、パンチを繰り出した。ロボットはかわすことはできずに、吹っ飛ばされる。
静寂が訪れた。
「今度こそ……終わりだよな?」
「はい」
と栞は頷く。途端に、彼女の各部分を覆っていた黒い鎧が外れた。栞は立ち上がって雅也に微笑みかけた。
「ご主人様の勝ちですよ。ご主人様のおかげで、地球は守られました」
「は、はは……そうか、よかった」
雅也は大きく息を吐くと同時に、全身の力を抜いて椅子にもたれかかった。安全装置が外れ、雅也はレイテスから手を抜く。
「つ、疲れた……」
「ふふ、あとでマッサージしますよ」
そのとき、二人の肌に痺れるような振動が走る。戦闘が終わったので、転送されるようだ。来たときと同じように、意識が闇に飛んでいくような感覚だった。
雅也と栞は、電話ボックスのような狭い転送装置に押し込められていた。もちろん向かい合って密着している。
「やあ、お帰り」
外にいるディオが小さく手を振った。
「お、おい、それより早くドアを開けてくれ」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
ディオが鍵を外すと、飛び出すように二人が出てきた。
「う〜っ、狭かった。なあ、これもう少し広くならないのか?」
「我慢しろ、使えるのがそれしかなかったんだ。それより、大分苦戦したな」
腰を下ろしてディオは言う。
「あ、ああ。あんたは弱いのを集めたっていうけど、かなり強かったぞ」
「それは君の操縦が下手だったからだろう。まあ、おかげでなかなか面白いものが取れたからな。次もよろしく頼むぞ」
「次って……まだやるのか?」
「当然だろう。わざわざ地球まで来たんだ、誰だって一度負けたくらいじゃあきらめないさ」
「……そりゃー、そうだろうけどさ……」
「大丈夫ですよ、ご主人様」
栞が微笑む。
「一緒に頑張りましょう」
「あ……う、うん」
可愛いな、と雅也は彼女を見て思った。
「雅也くん」
栞に見取れている彼にディオは言う。
「え? な、何だ?」
「今日はもう帰っていいぞ。何日かしたらまた連絡するから」
「あっ……そう」
いつまで続くんだろう、と少し憂鬱に思いながら、ふと改めて栞を見る。
ロボットと戦う前、ディオは彼女をくれると言った。あのときはそれどころではなくて考る暇がなかったが、雅也と同じくらいの年の少女が物扱いされるのはやはりおかしい。
雅也はディオに説明を求めた。
「……別に、彼女は奴隷というわけじゃないぞ」
「じゃあ、何で」
「私、アンドロイドなんです」
と栞は言った。
「えっ……? あ、アンドロイド……?」
よく聞く単語ではあるが、いまいちピンとこない。目の前にいる彼女は、どこをどう見ても人間にしか見えなかった。
「君には信じられないだろうが、我々にとってはアンドロイドなど造るのはたやすい。ナスタークでは様々な目的で多くのアンドロイドが造られ、人間と共に生活している」
「…………」
「私の役割は二つあります」
と栞。
「一つは、ご主人様の生活のお世話をすること。もう一つは、一緒にラディストに乗ってサポートすること」
「彼女の身体はラディストの起動キィとなっているから、拒否はできんぞ。役に立つから、ありがたくもらっておけ」
「……で、でもなぁ……」
雅也は何だか嫌だった。容姿も性格も好みだし、会話をしても人間のそれと変わらない。しかし、彼女の行動がプログラム上のものだとしたら、それだけで悲しいことだ。
「俺……いらないよ」
その言葉に、栞は悲しそうな表情で雅也を見る。
「ご主人様、アンドロイドは嫌いなんですか……? それとも、私だからだめなんですか?」
「そ、そんなことないよ」
本当は、頭の中が混乱していてよくわからなかった。アンドロイドと接触するのは初めてだから、どう扱っていいのかということもある。
「まあ、気持ちはわかるよ。君が想像しているようなロボットなら、私だって遠慮したいからね」
とディオは笑みを浮かべて言った。
「しかし、彼女はロボットであってロボットではない。きちんと自分の意志というものを持っている。身体の構造を除けば人間と変わらないんだ。君のサポートをすることだって、彼女が希望したことなんだから」
「…………」
雅也はちらりと栞を見た。彼女は伺うように小さく首を傾げる。
「それでも……私はいりませんか?」
「……いや……」
雅也はゆっくりと首を振った。考えてみれば、先程話を聞かされるまで、彼女のことは人間だと思っていたのだ。つまり、それほど人間らしいのである。なのにアンドロイドだとわかった途端、彼女を拒否してしまっては、あまりにもかわいそうだ。
「いいよ。一緒に住もうか」
自然とそんな言葉が出た。
同情からではない。彼女に人間の匂いを感じたからだった。
「あっ……」
じわっと栞の目に涙が浮かぶ。
「ありがとう……ございます」
そう言って、彼女はもたれるように雅也に抱き付いた。
「栞……」
「断られたらどうしようって、ずっと不安だったんです……」
「…………」
何だか急に、彼女に先程までとは違う可愛さを感じた。
雅也はそっと、栞の背中に手を回した。
「……そうと決まったら、二人とも。いつまでも抱き合ってないで、部屋を出てくれないか? 私はこれから編集をしなければならないんだ」
「へ、編集?」
恥ずかしそうにお互い離れて、雅也は訊ねた。
「そう、編集だ。ナスタークでは、さっきの戦いの様子を見たがっている人が大勢いるんだからな。さあ、私は忙しいから、早く出ていってくれ」
「はいはい……」
何だかテレビ局の人みたいだと思いながら、雅也と栞は玄関に向かう。そして靴を履いてドアを開けようとしたとき。
「ちょっと待て、言い忘れたことがある」
ディオが慌てて止めに入った。
「な、何ですか?」
と半身を引く雅也に、ディオは顔を近づけて言う。
「いいか。彼女がいくら魅力的でも、エッチだけはするなよ」
「え、エッチって……いきなり何を言うんだっ」
「照れるな。重要なことだ」
ディオは真面目な顔つきになっていた。
「…………」
自然と雅也も表情を引き締める。
「昔のことだ……。アンドロイドが造られた当初の使用目的は、主に仕事用と家事用だった。当時のアンドロイドは、今と違って意志というものがプログラムでしかなかったし、動きもロボットという感じは抜け出せなかった。だが科学は進歩し、どんどん人間に近付いていく。やがて一般の人にも、車を買うくらいの感覚で手に入るようになってきた頃。女性型ばかりが大量に生産されたことがあった」
「もしかして……」
雅也には次の展開が予想できた。
「たぶん、君の想像通りだろう。女性型アンドロイドはダッチワイフとして使われていたんだ」
「やっぱり……」
「全く、嘆かわしいことだ」
とディオもため息を付く。
「もちろん、当時からアンドロイドを手に入れるには色々と許可が必要だったんだが、やはり闇ルートというのがあってね。電話一本で誰にでも手に入ったんだ。まあ、そんなことがいつまでも続くはずがない。それが原因で起きた大きな事件をきっかけに、闇ルートは潰され、アンドロイド法が改正された。まずは、旧型アンドロイドについて。これは所有者の命令を聞くだけというタイプのものだ。所有者には一年のテスト期間が設けられ、無理な労働をさせたり、ダッチワイフとして使用していないか等がチェックされる。これに引っかかったものは永久にアンドロイドを所有することができず、場合によっては懲役を言い渡されることもある。次に、彼女……栞のような新型アンドロイドについて。こちらは人間と同等の権利があり、人間と同じように生活する環境タイプだ。つまり、旧型が人間の肉体面を補うのに対し、新型は精神面を補うのが目的だ。旧型と違って所有することはできないが、保護者になることはできる。希望を受けたアンドロイドに承諾の意志があれば、旧型と同じテスト期間が設けられる。……ふう」
説明を終えると、ディオは息を付いた。
「わかったか? つまり、そういうわけだ。全てのアンドロイドは管理局に登録されており、それぞれ違う信号が発せられている。その信号を受けて状態を調べるわけだ。もちろん地球にいてもそれは変わらない」
「だから一年待てって?」
「ああ。それで彼女を愛しているなら好きなだけエッチでも何でもすればいい」
「……おい、あまりエッチって、連呼するなよ」
「……あ、あの……」
と話を聞いていた栞が恥ずかしそうにうつむいている。
「……まあ、とにかくそういうわけだ。もういっていいぞ。ほら、早く行け」
ディオに追い立てられ、雅也と栞は外に出た。
「……もう夜ですね、ご主人様」
すっかり日が沈み、暗くなった空を見て栞が言う。
「ああ」
と雅也は短く応える。何となく気恥ずかしかった。
「……あのさ、栞」
「はい?」
「俺って、君の保護者になったんだよな」
「ええ。でも形だけですよ。ナスタークでは人間とアンドロイドが結婚するときに使われることが多いですから」
「け……結婚!?」
「はい。テスト期間が終わったとき、ようやく結婚の許可が下りるんです。もちろん、全員がそうするわけではありませんが」
「な、なるほどね」
「焦りましたか?」
栞は小さく笑って言う。
「そ、そんなことないよ」
と雅也は首を振る。本当は少し焦ったのだが。
「それより、栞はどんな暮らしをしてたんだ? 名前も別のものがあったんだろ?」
「ありましたけど……その、あまりいい思い出がないもので……」
「あ、ごめん。話さなくていいよ」
「すいません。でも、それも私自身のせいですから、気にしないでください」
「あ、ああ」
そう言われると気になってくるのだが、雅也はこれ以上その話題に触れるのはやめた。
「ご主人様、そろそろ夕食の時間ですよね。何か食べたいものはありますか?
私、料理は得意ですから、何でも言ってください」
「いや、その……えっと……」
雅也は困った顔をする。
今日は買い物に行く予定だったのに、ロボットと戦ったせいで行けなかったのだ。おかげで、食材は何もない。
そのことを言うと、栞は笑って雅也の腕を組んだ。
「だったら、一緒に買いに行きましょう。まだ六時ですから、お店は開いてますよ」
「ちょっ、ちょっと待て。一緒に買いに行くのはいいが……その格好でか?」
と雅也は栞のメイド服を指す。
「えっ、気に入りませんか? ディオさんが地球の男性は皆こういう服が好きだと教えてくれたんですが……。それに、他に服は持っていませんし……」
「……あ、あいつ……」
確かに好きな奴は多いかも知れないが、全員が同じ好みのはずがない。そういえば彼自身も妙な取り合わせの服を着ていたが……地球の常識がまだ完全に理解できていないのだろうか。とりあえず日本語は完璧のようだが……。
「……まあ、いいや。いこうぜ」
雅也は栞の腕を引っ張った。恥ずかしさはあるが、我慢して気にしないことにする。
「はいっ」
と栞は嬉しそうに寄り添う。
二人は道を歩く人々の注目を浴びながら、何とか買い物を済ませたのだった。
第二話
何だかいい匂いがする。食欲をそそる、おいしそうな匂いだ。雅也は急に空腹感に襲われ、目を覚ました。台所を見ると、メイド服を着た少女がそこで料理を作っている。
「栞……」
「あ、おはようございます」
雅也の声に、栞は振り向いた。
「ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」
「いや……そんなことないよ。それより、いい匂いするね。何作ってるの?」
「普通の、ありきたりな朝食ですよ。もうすぐできますから、少し待っていてください」
「ああ、わかった」
と雅也が言うと、栞は微笑み、台所に向き直った。
「七時十五分か……」
枕元の目覚まし時計を見て、雅也は呟く。セットした時間より早く起きるのは、久しぶりのことだった。いつもは目覚まし時計が鳴ってもなかなか起きなくて、ありかにドアを叩きながら呼んでもらって、ようやく目が覚めるのだ。そう、いつもありかが……。
「…………」
そこまで考えて、雅也は恐ろしい事実に気が付いた。
(ま、まずい……。栞のこと、ありかに何て説明したら……)
あと十五分で、彼女は弁当を持って来てしまう。そして、まるで同棲しているかのようなこの状況を見たら……。
しかも彼女はメイド服だし、ご主人様と呼ぶし、それだけで危ない趣味の持ち主だと思われるだろう。それに布団が一つしかないので、一緒に寝たし……。雅也はいつも下着だけで寝るのでパジャマがなく、下着姿の栞にTシャツを貸したが、余計にそそる格好になってしまった。しかし、何とか耐えたのである。断じて彼女に手を出してはいない。だがそんなことを誰が信じるというのだろう。
(だああっ!)
考えたくはなかった。ありかの怒りの形相が目に浮かぶようだ。
栞がアンドロイドだとか、隣の外人が宇宙人だとか言って説明しても、見苦しい言い訳にしか聞こえないだろう。
「はあ……」
雅也はため息を付いた。どうにも気が重い。
「どうかしましたか?」
「何でもないよ」
そう言って、雅也は布団を畳み、制服に着替える。それからタオルを持って、バス・トイレ付きの洗面所で顔を洗った。
「ふうっ……」
冷たい水が気持ちいい。
ともかく、言い訳してもいつかはばれるのだから、正直に説明した方がいいだろう。ありかなら、きっとわかってくれるはずだ。しかし、できるだけ誤解を減らすために、栞には注意しておくことにする。
「栞、頼みがあるんだけど」
「はい、何ですか、ご主人様?」
彼女は、テーブルを出してご飯を装っている。
「あのさ、そのご主人様って呼ぶの、やめてくれないか?」
「……どうしてですか?」
栞は手を止め、雅也を見た。
「だってさ、同じくらいの年の子にそういうこと言われるのって、何だか不気味だし……」
「…………」
「それにほら、そんなこと言ってるの誰かに聞かれたら、やっぱりまずいし……」
「……わかりました」
と栞は言った。
「これからは、二人きりのときと、ディオさんがいるときにしか、呼ばないことにします。それでいいですか?」
「あ、ああ。いいけど……でも、いつも名前で呼んでくれても構わないんだけど」
「それは……」
栞は言いにくそうに顔を背ける。
「……何か、言えない理由でも?」
「いえ……単に、私が照れくさいからです」
「そ、そう……」
何だか、雅也まで照れくさくなってきた。
「と、ところで話は変わるけど」
「はい?」
「栞は何で俺のサポートを希望したわけ? 俺がどういう人間かなんて、わからないわけだろ?」
「そんなことないですよ。パイロットを選ぶときにきちんと調査してますから」
「ふ〜ん……」
そういえば、と雅也はディオがそんなことを言っていたのを思い出す。
「それで……私がサポートを希望した理由はですね……」
「ふむふむ」
「その……」
栞は頬を赤らめた。つられて、雅也も少し緊張してくる。
「秘密、ということにしておいてください」
がくっ、と力が抜けた。
「い、いいけどさ」
「そ、それより、ご飯にしませんか? 七時半になりましたし、学校に行く準備もしませんと」
「あ、ああ、そうだな。もう七時半か」
雅也は時計を見る。そして愕然とした。
「七時半……何いっ、七時半!?」
「ど、どうしたんですか、ご主人様?」
目を丸くする栞にも、雅也は答える余裕はない。
そして、玄関のドアが叩かれた。いつもと違う控え目な叩き方が、次に起こるであろう
恐ろしい出来事を、暗示してかのいるようだ。
(ひええっ!)
あまりにもふいだったので、雅也は頭を抱えて混乱していた。
その、少し前。
ありかはいつものように朝と昼の弁当を作り、アパートに向かっていた。
「うふふふ……」
歩きながら、彼女はにこにこしている。
「今日はお弁当、気合い入れて作ったもんね。朝と昼で全くおかず違うし」
昨日は少し寝坊してしまったため、違うメニューの料理を作る暇がなかったのだ。それで急遽、たまたま家にあった食パンで、サンドイッチを大量に作ることになったわけである。それで悪かったと思ったので、今日はいつもより一時間も早起きして、豪華な内容にしたのである。
「雅也くん、感動してくれるかな」
彼は照れ屋だから、素直にそんなことは言わないだろうが、とりあえずおいしいそうに食べる顔を見られれば満足である。
「さーて」
そんなことを考えているうちに、アパートの前に着いた。
「今日も頑張ってドア叩くか……って、あれ?」
いつもここまで聞こえてくる、目覚まし時計の音が聞こえない。
「珍しい……自分で起きれたのかな?
それともセットし忘れたとか?」
ともかく、雅也の部屋に向かう。途中、食欲をそそるいい匂いがしてきた。
「どこだろ。おいしそ」
しかし、その匂いが雅也の部屋からだとわかり、ありかは怪訝そうに眉をひそめた。
(え……?)
今日は学校のある日だから、雅也が朝食を作るはずがない。
(どういうこと……?)
奇妙なのはそれだけではなかった。
ドアの向こうから、話し声が聞こえてきたのである。
雅也と――そして女性の声。
「…………」
ありかの思考は停止した。
「……え、え〜と……」
それから十秒ほどして、やっと頭が働き始める。心臓の鼓動も早くなった。
雅也は、ありか以外に親しい女性はいないはずである。母親や妹が遊びに来ている、ということもありえない。では、この声の主は一体誰なのか。
「う〜ん……」
いくら考えても思い当たることがないし、時間も七時半になった。そろそろドアを叩かないと、雅也が心配するかもしれない。
「よ、よーし」
ありかは気持ちを落ち着かせるため、ゆっくり深呼吸する。それでも緊張は収まらなかったが、もう時間がなかった。
コンコン……と控え目にノックをする。
しばらくドアの向こうが静かになったかと思うと、女性の声と足音が聞こえてきた。
「はーい、今出まーす」
「うわぁぁっ、待て待てっ! 俺が出るっ!」
大きな足音を立てて、雅也が近付いてくる。しかし。
「そんな、遠慮しなくていいんですよ。どちら様ですか?」
ドアが開かれ、髪の長い女性が出てきた。
「…………」
ありかは目を見開き、息を呑む。何故メイド服を着ているのかはわからないが、誰が見ても綺麗だと思える女性である。
「あ、あの、ありか……」
彼女の後ろでは、雅也が困ったような顔をして立っていた。
「雅也くん……」
ありかはじっと彼を見つめる。とにかくこの状況について、説明がほしかった。
「え、えーと、その、誤解するなよ、ありか」
彼女の責めるような、悲しそうな目を見て、雅也は余計に混乱してしまう。
このとき、落ち着いてすぐに説明できればよかったのだが、そこまで彼は大人ではなかった。そのおかげで、二人の様子を見た栞が、誤解をさらに強める決定的な言葉を口にしてしまったのである。
「あら、ご主人様。お知り合いなんですか?」
「ご、ご主人様……?」
ありかは顔をひきつらせる。
「うわああっ! そ、それを言うなああっ!」
「あ、すいません。忘れてました」
「忘れるなああっ!」
こんなところまで人間らしくなくていいのに、と思う雅也。
「あ、あのな、ありか。変な誤解だけはするなよ。彼女は……」
と慌てて説明しようとする彼の目の前に、二つの包みが突き付けられた。
「はい、お弁当」
「あ、ああ……」
と雅也は前に出てきて、それを受け取る。
「可愛い女の子連れ込んで、おいしそうな朝食まで作ってもらったのに、あたしの弁当なんていらないでしょうけど、一応お金もらってるから」
「お、おい、だからそれは誤解で……」
「別にどうでもいいわよ。じゃあね!」
ありかは乱暴にドアを閉めた。
「うわっ!」
雅也は伸ばしかけた手を引っ込める。が、すぐにドアを開けた。
「おい、ありか!」
見ると、彼女は全速力で走っていき、角を曲がって姿が見えなくなってしまった。
「あっちゃー」
と雅也は部屋に戻り、頭を抱える。
「ごめんなさい、ご主人様。あの人、恋人なんですね」
「いや、違うよ。ありかとはそういう関係じゃないけど……でも、わかったろ?」
「え?」
「人前でご主人様なんて言うと、こういう誤解受けるんだよ」
「……そうですね。気を付けます」
「栞……」
うつむく彼女の肩を、雅也はぽんと叩いた。
「もういいから、ご飯にしよう。あいつには後で俺が謝るから、気にしなくていい」
「はい……。ありがとうございます」
栞は小さく微笑む。
「おーい、雅也くん」
突然玄関の鍵とドアが開かれ、ディオが入ってきた。昨日と同じ格好である。
「う、うわっ、何だいきなり!」
「いや、急用ができてな。おっ、うまそうなご飯じゃないか。私にもくれ」
「…………」
ディオはずうずうしくテーブルに向かい、偉そうにあぐらをかいた。
「お、おい……どうやって鍵開けた……?」
「ああ、気にするな。あれくらいの鍵、どうってことはない」
「いや、そうじゃなくて……」
「ほら、早く食べないともう時間がないんじゃないのか?」
「……ったく……」
ため息を付き、雅也もテーブルに付く。
「じゃあ、すぐにディオさんの分も用意をします」
栞は慌てて台所に向かう。
「ふあ〜あ……。あー、眠いなあ……やはり徹夜明けはつらいわ……」
ディオが大きな欠伸をする。
「徹夜って……ずっと編集してたのか? 何もそんなに急がなくてもいいんじゃ……」
「いや、急がないと駄目なんだよ。この企画は前人気が高くて、早く観たいという人が多いんだ。それに反響を聞いて今後の戦い方も決めなくてはならないし」
「……お、おいおい……」
雅也は顔をしかめた。
「……そんな視聴者の反応で、地球の運命を決められたらたまらんぞ……」
「ははは、まあ悪いようにはしないさ。あと、それから君が昨日倒したロボットのことだけど」
「ん?」
「編集する前にそっちの後片付けをしていたんだが、パイロットが五人生き残っていてね。怪我を治して船に帰してやった代わりに、記憶からウィルラーダに関する情報を引き出させてもらった。もちろん、彼らから許可をもらったわけではないがな、ははは」
「なっ……」
おかしそうに笑うディオに、雅也は愕然となった。パイロットが五人生き残っていたことにである。勝手に記憶を引き出すというのは、今さら驚くほどのことでもない。
「……そうか、半分は生きていたのか……」
だが、半分は殺したのである。雅也は複雑そうな表情をする。
「……何だ? 気にしているのか?」
ディオは首を傾げた。
「…………」
「……ま、事実は受け止めるべきだな。いいじゃないか、君は地球を守ったんだから」
「……そんなこと言われてもな……やっぱり人殺しだし……」
一人殺せば犯罪だが、戦争では大勢殺すと英雄になる。などとよく言われるが、そう割り切れるものではない。もちろんこちらが殺さなくては地球が侵略されてしまうということはわかっている。わかっているのだが、できれば殺したくはなかった。直接死ぬ姿を見ないですむことが、せめてもの救いか。
「とりあえず、その話は置いておこう。心の問題は自分で解決してくれ。それで肝心の情報だが……昨日のロボットはブレスターという名で、調査用のものらしい。もちろん、いざというときのために、ある程度は戦闘ができるらしいが」
「……お、おいっ、それって……!」
雅也は悩んでいたことも忘れ、驚愕する。
「じゃあ、今度は間違いなく戦闘用のが来るじゃないか! どうするんだよ!」
「まあ、今のままでは間違いなく負けるだろうな」
あっさりとディオは言う。
確かに、調査用ロボットにあれだけ苦戦したのだから、戦闘用ロボットが来たら勝てるはずがない。雅也は、それをラディストのせいだと考えた。
「ど、どういうことだよ? ナスタークの技術って、実は大したことないんじゃないのか!?」
「何……?」
さすがにディオがむっとした顔をする。
「失礼な奴だな。ラディストはパイロットの腕さえ良ければ、ウィルラーダのどんなロボットを相手にしようが負けはしない」
「腕さえ良ければってのが、引っかかるんだが……」
「だったら、早く上達することだ。……しかし、さすがに君一人では不安だからな。これを貸そう」
そう言うと、ディオは半ズボンのポケットから、黒い物体を取り出した。携帯電話にも似たそれは、見覚えがある。
「あ、もしやそれは……」
「そう。昨日の朝、君に使ったものだ」
ディオはそれを雅也に渡す。受け取った雅也は、じろじろと謎の黒い物体を見つめた。
「これ……一体何なんだ? 確か適正値がどうとか言ってたような……」
「ふむ。なかなか記憶力がいいな」
と笑みを浮かべるディオ。
そのとき。
「お待たせしましたー」
栞が次々と料理を運んできた。みそ汁に焼き魚、目玉焼きに野菜サラダという簡単なメニューだが、見た目と匂いの良さに、かなり食欲をそそらせる。もちろん、味も良いことを雅也は昨日の夕食を食べてわかっている。
「よし、さっそく食べよう」
「はい」
栞もテーブルに付いた。
「いただきます」
三人は箸を持ち、料理を口に運び始める。栞はアンドロイドだが、彼女のタイプ以降はこうして人間の食事も取ることができるらしい。
「どうですか、ご主人様?」
「ああ、うまいよ」
「ありがとうございます」
「もらってよかっただろう、雅也くん」
とディオが言う。
「ま、まあな」
思わず先程ありかと喧嘩したことが頭をよぎるが、それは関係ないので言わないでおく。
「それより話を戻すけど、これは何なんだ?」
雅也は黒い物体をディオに見せる。
「ふむ。それはな、パイロットとしての適正値を調べる道具だ」
「パイロットの適正値、というと……」
「そのまんま。数値が高いほど、パイロットとして優れていることになる」
「じゃあ、昨日の朝俺の所に来たのは、それを調べに来たのか」
「いや、単に直接顔を見ておこうと思っただけだ。調査は別の機械を使って、とっくに済んでいるからな。怪しげな行動をしたのはほんの悪戯心だから、気にするな」
「…………」
「あ、おかわり。大盛りでな」
とディオは茶碗を栞に差し出す。
「は、はい」
彼女が茶碗一杯に盛ると、炊飯器は空になってしまった。
「おい……少しは遠慮しろよ。俺、生活苦しいんだからな」
「ああ、すまんすまん」
そう言いながらも、彼はどんどん料理を口に運んでいく。
雅也はため息を付いた。
「……それで、これを俺に渡して何をさせようってんだ?」
「ああ、実はな」
とディオは食事の手を止める。
「さっきも言ったように、君一人では不安だからな。それであと二人、パイロットを増やすことにしたんだ」
「…………え?」
「え? じゃなくて、パイロットを二人増やしたいんだ。その二人を、君に選んできてほしい。もちろん高校生をだぞ、その方が受けるから」
「な、何ぃぃっ!」
「そういうことだ、頼むぞ。地球の運命は君に委ねられているんだからな」
「ちょっ、ちょっと待て! どうして何でもかんでも俺に押し付けるんだ!」
「どうしてって……君は地球の代表に選ばれたんだ。その運命を担うパイロット選びを任せてやろうという、我々の配慮じゃないか」
「う、う……」
確かに勝手に何でもやられるのも嫌だが、それにしても背負うものが大きすぎる。
「プ、プレッシャーが……」
「まあまあ、ご主人様。慎重にやれば大丈夫ですよ」
「そ、そうかなあ……」
それで物事がうまくいくなら誰も苦労はしないのだが……しかしやらないわけにもいかないだろう。
「……それで? 使い方は?」
見たところ、液晶画面の下にボタンが二つ付いているだけである。そこに何の機能かを示す文字があるのだが、雅也には読むことができない。
「まず、右のボタンを押して起動させ、目標に向けて左のボタンを押すだけだ。簡単だろう」
「ふ〜ん、確かに」
雅也は試しに右のボタンを押してみる。ピッ、と音がして画面に何か文字が出た。
「……何て書いてあるんだ?」
「それは気にしなくていい。数字だけはこの星のものにしておいたから、それで十分だろう」
「まあ、そりゃそうだけど」
と雅也は、試しにディオに向けて左のボタンを押してみる。ピピッ、と音がして、六十一パーセントと表示された。
「ふ〜ん、意外に低いな……」
「別にいいだろう。私はパイロットではないんだから」
そう言うディオは、唇を尖らせ、ちょっと不満そうだった。
「ま、いいけど」
雅也は栞にも向けてみた。が、何も反応がない。
「あれ?」
「ご主人様、私はアンドロイドですから」
「あ……そうか」
意識していないと、つい忘れてしまう。
「雅也くん、そろそろ学校に行った方がいいんじゃないのか? もう時間がないぞ」
「え?」
時計を見ると、七時五五分を示している。
「げっ、ゆっくりしすぎたか」
雅也は慌てて残りの料理を口に入れた。
「あ、雅也くん。参考までに言っておくが、適正値は最低でも七十パーセント以上の人間を選んだ方がいいぞ。それ以下だとまともに動かすだけでも難しいからな」
「ああ、わかった」
雅也はみそ汁を一気に飲み干す。
「だあっ、熱いっ」
「ご、ご主人様、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
栞が心配そうな顔をするが、雅也はやめずにサラダを食べる。
「いや、早く行ってありかに謝らないといけないし。それにパイロット探しもやらないと……。やることが多いから」
「そ、そうですね」
「ほう、彼女と喧嘩でもしたのか?」
ディオが面白そうに言う。
「別にいいだろ」
「……そうだな。まあいいが……適正値についてもう一つ注意がある。この数値は生まれつきのもので、訓練等で変化するものじゃない。頭に置いておいてくれ」
「わかった。ごちそうさま」
雅也は立ち上がり、洗面所に向かう。歯を磨き、トイレに行き、準備は終わった。
鞄を持ち、玄関を出ようとしたとき、雅也は振り返った。
「なあ、パイロットはいつまでに選べばいいんだ?」
「できれば今日中だな。ウィルラーダがいつまた攻めてくるかわからんから、早めに準備しておいた方がいい」
「ふーん。もしかして、アンドロイドも付くのか?」
「……本人が欲しいというなら、そうするが」
ということは、サポートが必要ないロボットもあるのだろう。
「わかった。……あ、そういえば栞の服だけど、何とかしてくれよ」
「服? 君は嫌いなのか?」
「そ、そうじゃないけど、あれじゃ外も歩けないだろ。それに他に着替えも持ってないし……」
「そのことなら、私は知らん」
「え……?」
「彼女は既に君のものだ。君が何とかするんだな」
「あ、あのなあ。俺は貧乏で金がないんだよっ」
「なら、君の服を貸すとか、方法はあるだろう」
「…………」
「あ、あの、ご主人様。私はこの服でも構いませんから」
と栞は言うが、そういうわけにもいかない。
(ありかにいらない服でももらうかな……)
雅也もそんなに服を持っているわけではないから、それくらいしかなさそうだ。
「……栞。できるだけ早く帰るから、それまで適当にやっててくれ」
「あ、はい。いってらっしゃいませ」
「パイロットを見付けたら、私の部屋まで連れてきてくれよ」
「へいへい」
二人に見送られ、雅也は部屋を出た。
「う〜ん、まいったなあ」
雅也は困ったように頭を掻いた。一応ありかの家まで行ってみたのだが、彼女の自転車はなかった。やはり先に行ってしまったらしい。
「でも……何もそこまで怒らなくてもいいのに……」
部屋に女の子がいて、朝食を作ってもらっただけである。……しかし、ありかが朝食を持ってきてくれるのは、ほぼ習慣になっていた。それを考えると、彼女にとっては裏切られたと感じたのかもしれない。逆の立場だとしたら、雅也もきっと嫉妬するだろう。
「やっぱり……悪かったかな……。とにかく、謝らないと……」
雅也は学校に向けて自転車を走らせた。
学校に着いたのは八時半。いつもより十分遅い。
教室に入ると、雅也は最初にありかを探した。彼女は他の女子と、何事もなかったかのように話している。一瞬、目が合ったが、彼女は顔を背けた。
(……や、やりにくいな……)
ともかく、ここでは話もできない。雅也は鞄を置き、潤と健介の所へ行った。
「よお、今日は神村と来なかったじゃないか。喧嘩でもしたのか?」
訊かれたくないことを、いきなり訊いてきたのは潤だった。
「別に、そういうわけじゃない。気にしないでくれ」
「そういうこと言われると、余計気になるなあ」
潤はにやにやした顔を近付けてきた。
「しつこいぞ」
その顔を押し退け、雅也は健介を見た。
今日こそは立ち直ってくれているのだろうか。
そう心配していたのだが……健介は、小さく笑みを浮かべてこちらを見ていた。この一週間、全く笑わなかった健介が、である。
「け、健介……?」
「やあ、おはよう。雅也くん」
「あ、ああ、おはよう……」
どういうことだ? と雅也は潤に説明を求めた。
「ふっふっふっ……実は健介は、今日ようやく復活したのだっ」
「おおっ、そうだったのかっ」
「おい……その表現はやめてくれないか」
健介は嫌そうな顔をする。
「何言ってんだよ。昨日まで死人みたいな顔してたくせに」
「確かにな……」
潤の言う通りである。
「それで? きっかけは何なんだ?」
「別にきっかけなんてない。ただ、いつまでも悩んでいたって、仕方がないことに気付いただけだ」
「ふ〜ん……俺たちが何度も説得したおかげかな」
「……何のことだ?」
健介は首を傾げる。
「えっ……?」
何の冗談かと思った雅也だが、潤がその肩をぽんと叩いて言った。
「……こいつな。本当に覚えてないみたいなんだ」
「何っ?」
「俺たちの話、返事はしてたけど、全然頭に入ってなかったらしいぜ」
「…………」
「そういうことだ。すまん」
と謝る健介。だが、あまり悪いとは思ってなさそうだ。
「あの苦労は何だったんだ……」
「全くだぜ」
「別にいいじゃないか。結果オーライで」
「…………」
「…………」
無言になる雅也と潤。
そんな会話をしているうちに、八時三十五分になり、チャイムが鳴った。
自分の席に戻った雅也は、授業の用意をしながら、ちらりと隣の席を見た。
ありかは先程から目を合わせようとしない。表情こそいつも通りだが、雅也は彼女から発せられる、怒りのオーラを感じていた。
(は、早く謝らないと……)
この状態が続くのは、絶対に嫌だった。
雅也は恐る恐る声をかける。
「あ、あの……ありか」
「何よ」
じろりとありかは雅也を睨んだ。
「うっ……いや、その……」
思わず迫力に押されて言葉につまる雅也だが、ここでくじけるわけにはいかない。
周囲の人間に聞こえないよう、小さな声で囁く。
「今朝のことで話があるんだけど……」
「ふ〜ん……」
ありかは意地悪く笑みを浮かべる。
「な、何だよ」
「雅也くんも、意外にやるじゃない。部屋にあーんな可愛い女の子連れ込むなんて。それに結構進展してるみたいだし。いつの間に付き合ってたのかしら」
「だ、だから、それは誤解で……」
「さーて、テストも近いことだし、気合い入れて勉強しなきゃね」
ありかは無視して教科書をめくり始める。
「おい、ありか」
「それから弁当のことだけど、あたしもう作らないから」
「何ぃぃっ」
「もう先生来たわよ。話しかけないで」
「うっ……」
彼女の言う通り、担任が教室に来てしまった。ホームルームはすぐに終わったが、その後は入れ替わりに教科担任が来て、休む間もなく授業が始まった。
(まいったなあ……)
と雅也は思った。授業ではなく、ありかのことだ。
彼女は相当に怒っている。話を聞いてもらうだけでも大変そうだ。しかも、雅也は今日中に二人のパイロットを探さなくてはならない。地球の運命がかかっているだけに、彼女にばかり構っているわけにはいかなかった。
(やれやれ……)
どうやら仲直りは、明日以降になりそうだった。
休み時間になると、雅也はさっそく廊下に出た。いつもは潤と健介とで雑談しているのだが、トイレに行くと言ってごまかした。
「さーて」
雅也は暇人を装い、人気の少ない廊下の壁に寄りかかる。そして相手からはわからないように、隠し持った適正値測定装置を、廊下を歩く男子に向ける。
ピピッ、という音が意外に廊下に響いて雅也は驚いたが、どうやらポケベルの音ぐらいにしか思われなかったようだ。すぐに興味を失い、通り過ぎていく。
(ああ、びっくりした。この音何とかならんかな……)
ともかく、画面に表示された数値を見てみる。
(……に、二十五パーセント……)
低すぎる。これではまるで使い物にならない。
(仕方ないな……)
まだ始めたばかりである。今度は女子も含めて、廊下を通る色々な生徒を調べてみた。四十三、三十八、二十六……。
「ふう……どれもだめだな……」
雅也はため息を付いた。どうしてこんなに低いのだろうか。
「……ん? あれ?」
次を調べようとして、ふと近くに誰もいないことに気付く。生徒たちは遠巻きにこちらを見て、こそこそと話していた。
「おい、何やってんだ? 変な音出して」
教室から潤が出てきて近付いてくる。その後ろから付いてきた健介が、呆れたような顔で言った。
「……雅也くん。君の行動は、話してた例の外人よりも怪しいぞ」
「うっ……」
確かにその通りだった。廊下で生徒が通るたびに、雅也から変な音がするのだ。誰がどう見ても怪しいし、近付きたくもなくなる。
「一体何を持ってるんだ? 見せてみろよ」
「あ、あははは……いやあ、別に何でもないんだよ。本当だぜ」
笑ってごまかそうとしたが、そんなものが通じるはずがなかった。
「信じられんな。それに、何でもないなら見せてもいいじゃないか」
「ううっ……そ、それはそうだが……」
「さあ、観念しろ」
じりじりと、潤と健介が近付いてくる。だが、そのとき予鈴が鳴った。雅也にとっては天の助けである。
「ほ、ほら、早く戻って授業の用意しないと。な?」
「ちっ……運のいい奴」
「だが、まだ次があるからな」
潤と健介、それに生徒たちは教室に戻っていく。とりあえずは、助かった。しかし健介の言う通り、次の休み時間はどうごまかせばいいのか。
「くそー……」
調査するだけでこんなに大変だとは思わなかった。しかも、今調べた生徒たちは皆かなり数値が低い。それに数値の高い生徒を見付けたとしても、どう説明すればいいのか。頭の痛くなることばかりである。
ともかく、授業が始まってしまうので、雅也は教室に戻った。しかし授業中、潤と健介はときどきこちらを見て笑みを浮かべていた。隣のありかのことも気になるし、色々考えることもあったので、授業の内容はほとんど頭に入らなかった。
そして休み時間になり、さっそく二人が近付いてくる。が、その前に雅也はッシュで逃げた。
「あ、こらっ」
「待てっ」
二人の声を後ろに聞きながら、雅也は階段を駆け上がり、四階の一年生の教室の前まで来た。どうやら潤と健介は追ってこないようである。
「よし、ここでやるか」
雅也はポケットから適正値測定装置を取り出した。もちろん変な奴だと思われるだろうが、ここなら顔見知りがいない分ましである。そして雅也は廊下を歩き、やはり生徒たちに避けられながら調べていった。何とか十五人ほどを見ることができたが、結果はどれも駄目。休み時間は終わってしまった。
そして次の休み時間も、その次の休み時間も、雅也は二人から逃げて計四十人くらいを調べたのだが、適正値七十パーセントを越える人間は見付からなかった。最高で五十二パーセントである。
そしてとうとう昼休み。
「はあ……」
健介の机で弁当の用意をしながら、雅也はため息を付いた。
「どうした? 休み時間ごとに運動したから疲れたのか?」
「ま、楽になりたければ早く話すんだな」
潤と健介は、このときを待っていた。前の休み時間、雅也がいない間に、潤が彼の弁当を奪ったのだ。事情を話せば返すと言うと、雅也は渋々約束した。それでも念の為、昼休みまで預かっていたが。
「実は……ちょっと悩みがあってな」
「ほう……。神村と喧嘩していることか?」
と健介。ようやくまともに話すようになったと思ったら、嫌なことを言う。
「しつこいぞ。だから、喧嘩なんかしてないって」
もう一度ため息を付き、雅也は弁当の蓋を取る。その中身を見て、目を見開いた。普段は半分をご飯に、もう半分はおかずをいくつか適当に盛り付けるだけの、割りと地味な弁当が多かった。ところが今回は、おかずの一つ一つを丁寧に作り、盛り付けも気を配ってカラフルにした、随分気合いの入ったものになっている。
「おおっ、何かいつもに比べて豪華だぞっ」
覗き込んで潤が感嘆の声を上げる。
「どうしたんだ、今日は?」
「い、いや、別に……」
「暇でやることがなかったんだろう?」
先に弁当を食べ始めながら、健介が言う。
「そ、そういうわけでもないけど……」
逆に、忙しくてそんな暇はなかった。
雅也の弁当をありかが作っているということは、誰にも教えていない。だから潤や健介は雅也が自分の弁当を作っていると思っている。
(それにしても……)
雅也の胸は痛んだ。ありかがこんなに一生懸命弁当を作ってくれたというのに、朝になるまで忘れていたという罪悪感に。
(早く謝らないとな……)
最高においしい弁当を食べながら、雅也は改めてそう思うのだった。
「おい、食べてばかりいないで早く話せよ」
「そ、そうだな。えーと……何から話そうか……」
視線を宙に這わせ、雅也はどうごまかそうか考える。どうせ信じないだろうから、本当のことを話すという手もあるが。
「う〜ん……」
とウインナーを食べながら唸っていると、健介が言った。
「まずはあの音が出ていたものを見せてもらおうか。それからそれが何かを説明してくれ」
「……わ、わかった……」
仕方なく、ポケットに入れておいた適正値測定装置を取り出す。嘘を考えるのも面倒なので、本当のことを話すことにした。
「ん……? 何なんだ、これ……?」
「見たことないな……。形は携帯電話に似ているが……」
二人は眉を寄せ、首を傾げている。
「ふむ……」
健介はそれを手に取ってみた。ボタンが二つに、小さな液晶画面。そして先端は、リモコンのようになっている。
「これは……何かを計る機械か……?」
「す、鋭いな」
「だが、これ以上はさっぱりわからん。教えてくれ」
「……わかったよ」
雅也は装置を返してもらい、説明する。
「これはな、適正値を計る機械なんだ」
「適正値?」
「そう。え〜と……何から話せばいいかな。ちょっと長くなるけど……」
「別にいいぜ。どうせやることないし」
「ああ、弁当食べながら聞いているから」
「わかった」
自分も弁当を食べながら、雅也は昨日のことを話し始めた。ディオや栞のこと、地球を侵略しようとする宇宙人のこと、昨日のロボットでの戦闘のこと。そして今朝、パイロットを見付けるためにディオからこの装置を借りたことを話した。
「ふんふん、なるほどなるほど」
と潤は頷く。話し終えたときには、皆弁当を食べ終えていた。
「なかなか面白いじゃないか」
小さく笑みを浮かべる健介。
「つまり、君は休み時間中はその装置でパイロットを探していたというわけだ」
「うん……そうだけど……やっぱり嘘だと思ってるよな」
「思わない方がおかしいと思うが?」
「そりゃそうだ。まあ、信じようが信じまいがそういうわけなんで、俺はこれで。早くパイロット探さないといけないから」
雅也は席を立とうとする。
「待て!」
「うわっ」
潤に腕をつかまれ、強引に席に戻された。
「い、痛いな。何だよ……」
と彼を見て、雅也はぎょっとした。潤は期待の眼差しで、顔を近付けてくる。
「今の話が本当だとすれば、お前の家にはアンドロイドがいるんだな? とにかく女の子がいるんだな?」
「ま、まあ、そうだが……」
「そうか、道理でな。さっきの豪華な弁当もその女の子が作ったんだろう?」
「え、えーと」
それは違うんだけど、と雅也は言いかけてやめた。ありかが作ったと説明したくなかったからだ。
「い、いいんだぞ、無理して信じてくれなくても」
何だか嫌な予感がする。
「ふっふっふっ……雅也くん……」
不気味に笑い、潤は握手を求めてきた。
「な、何なんだよ」
「確かに冗談としか思えないし、どこかのマンガのような話だったが、女の子がもらえるというなら別だ。俺がそのパイロットになってやろうじゃないか」
「ほ……本気か?」
まさか、あの話を聞いただけで信じるとは思えなかったが……。
「ふふっ、もちろん本気だ。仮に嘘だったとしても、そのときはお前にその女の子を紹介してもらうまでのこと」
「あ、あのなあ……」
わかってはいたが、動機が不純すぎる。
「それに、パイロットになるには適正値が最低でも七十以上はないと……」
「だったら計ってくれよ。その装置でさ」
「う、う〜ん……」
雅也は顔をしかめた。あまり気は進まないのだが、やらないと潤は納得しないだろう。
彼は女の子がもらえるということにのみ重点を置いているが、これは地球が侵略されるかどうかという、宇宙人との戦い、殺し合いなのだ。そんな戦いには、できれば巻き込みたくない。……もっとも、適正値が足りなかったらそれまでなのだが。
「えーと、け、健介はどうなんだ? 信じるのか?」
一応訪ねてみると、彼はため息を付いた。
「信じるわけないだろう。君には悪いけどね」
「い、いや、俺はそれが普通だと思うけど」
もし自分が潤や健介の立場なら、絶対に信じないだろう。
「……だが」
と健介は言った。
「君の話はともかく、その機械には興味があるな。とりあえず本人も希望していることだし、杉崎に使ってみてくれ」
「へいへい」
雅也は装置を起動させ、どうせ大した数値は出ないだろうという軽い気持ちで、潤に向けた。
ピピッ。
いつもの音がした後、雅也はしばし硬直していた。
(う、嘘だろ……?)
画面には、信じられない数値が表示されていた。
「おい、雅也。いくつだったんだ?」
雅也はちらりと潤を見て、唇の端をひきつらせたまま言った。
「……は、八十五パーセント……」
認めたくないが、確かにそう表示されていた。
「おおおっ! じゃあ、ばっちり合格じゃないかっ!」
「そ、そうだな……」
はあっ……、と雅也はため息を付く。
「よし、次は健介だ。健介のやれよ」
「いや、僕はいいよ」
「遠慮するなって。ほら、雅也」
「あ、ああ……」
ついでなので、この際計ってみることにした。そして出た数値は……八十七パーセントだった。
「…………」
雅也は驚くというより呆れてしまった。どうしてこんなに都合よく、適正値七十パーセント以上の者が見付かってしまうのだろう。しかも友人二人がそうだなんて。
「やっぱり俺たちは深い絆で結ばれているんだな、はっはっはっ」
と呑気に笑う潤。
「三人仲良く、地球を守るために戦おうじゃないか」
「あ、あのなあ……お前本当にわかってるのか?」
「わかってるって。女の子はもらえるし、ロボットに乗れるし、いいことだらけじゃないか」
「……やっぱりわかってない……」
そんな単純なものではないのだ。一度でも負ければ地球は侵略されてしまうのだから、責任重大である。それにアンドロイドをもらえるといっても、色々と厳しい法律があり、潤の期待しているようなことは簡単にはできない。
「……言っておくが、僕はそんなことに付き合うつもりはないぞ」
「何言ってるんだよ健介。面白そうじゃないか、一緒にやろうぜ」
「僕は君ほど気楽に物事を考えられないんだ。それに、僕はまだ雅也くんの話を信じたわけじゃない」
「疑り深い性格だよな、健介って……」
「悪かったな」
「あ、あのさ……二人とも、俺はまだパイロットにするって決めたわけじゃないんだけど……」
雅也が二人の間に口を挟むと、潤が恨めしそうな顔で迫ってきた。
「何いいい〜? 今さらそれはないだろう、雅也〜」
しかも、のしかかって息を吹きかけてくる。
背筋に寒気が走った。
「や、やめんかっ、気色悪いっ」
「じゃあ、俺をパイロットにしろぉ〜」
「そ、その前にとにかく離れろっ」
椅子をガタガタ揺らして雅也に迫る潤。彼はパワーがあるので、押し退けることができない。男同士の怪しい絡みに、半分程残っていたクラスの生徒たちも注目しだした。一部のホモ好きの女子の目が、きらりと光る。
「…………」
そのとき、すっと音もなく健介が立ち上がった。そして右足を高く上げ、潤の頭を蹴って後ろに倒す。
「あうっ」
彼は椅子から転げ落ちた。
「バカなことをするな」
「……はあ、助かった」
雅也は息を付き、椅子から落ちそうになった身体を戻した。
「……それにしても、健介ってときどき攻撃的になるよな……」
「ときどき、な」
と笑みを浮かべる健介。自分でも認めているらしい。
「それより考えたんだが、その装置で他の生徒も調べて、該当する人間が見付からなかったら、僕たちがパイロットになるというのはどうだ?」
「え?」
「おおっ、いきなり信じる気になったのか?」
起き上がって椅子を戻し、潤が言う。
「いや、単なる暇つぶしだ」
健介は涼しい顔で、あっさり首を振った。
「あ、そう。盛り上がりのない奴だな……」
「ま、まあいい。昼休みは後二十分あることだし、とにかく他に適正値が高い人間を見付けよう」
雅也は席を立つ。
「ちょっと待った」
彼の手にある装置を、潤は素早く奪った。
「あ、おい」
「いいからいいから。俺にやらせてくれよ。やり方はさっきの見て覚えたからさ」
「ったく……壊すなよ」
「大丈夫。さて、まずは……」
と、潤は教室を見回した。
「お、おい、ここで調べるつもりか?」
「ああ、まだやってないだろ?」
「で、でもなあ……」
ここにはありかがいるから、あまり変な行動をしているのを見られたくないのだが……。
「よし、神村から調べよう」
「何いいっ!」
いきなりそうくるか。
「お、おい潤、あいつは調べなくてもいいから」
「まあまあ、それくらいいいじゃないか」
装置を取り上げようとする雅也を押さえ、潤は笑顔でボタンを押した。
ピピッ……ピーッ。
「あれ?」
いつもと違う反応に、揉み合っていた二人は動きを止めた。液晶画面を見ると、数字ではなく、解読不可能な文字が表示されている。
「……も、もしかして、壊れたのか? 変なとこ触った覚えはないぞっ」
さすがに潤は焦り、雅也に装置を返した。
「いや、これはナスタークの文字だ。壊れたわけじゃない」
しかし、これは一体何を意味するのか。ディオか栞に訊いてみるしかない。
「ふむ……見たことがない文字だな……」
画面を覗き込み、健介が言った。
「まあ、適当な文字を考えるくらいなら誰でもできるからな」
「まだ疑ってるのか。しつこいな」
「当然だろう。僕は非現実的なことは嫌いなんだ。宇宙人がいないとは言わないが、雅也くんの話は冗談としか思えないんでね」
「だったら本当かどうか、放課後雅也の家に行ってみようぜ?」
「何?」
「お、おいおい、勝手に決めるなよ」
「いいじゃないか。もし俺たちをパイロットにするんなら、どっちにしろ連れていくんだろ?」
「そ、そうだけど……まだ決めてないぞ」
「だから、そのためにも早く他の奴らも調べようぜ」
潤がまたも顔を近付けてくる。
「わ……わかったから、迫ってくるな」
「……あまり時間がない、行くぞ。見付からなければ放課後付き合ってやる」
健介が廊下に向かって歩き出した。
「あ、待てよっ」
慌てて後を追う二人。そうして三人で学校中を歩き回って、昼休みの間に三十人は調べたのだが、結局適正値七十パーセントを越える者は一人もいなかった。
次の授業の用意をしながら、雅也は複雑な気分でいた。残りは午後の休み時間一回だけである。この調子では、おそらく他に適任者は見付からないだろう。仮に見付けたとしても、説得ができるとは思えない。
(……本当に、あの二人に任せていいんだろうか)
栞がいるとはいえ、やはり地球人一人で大勢の宇宙人を相手に戦うのは不安である。正直、一緒にいてくれた方が心強いのだが、やはり殺し合いに巻き込みたくはないのだ。
(……でも、結局頼むしかないんだろうな……)
雅也はため息を付いた。
「どうしたのよ」
「え?」
突然話しかけられて驚いたが、今のは隣にいるありかだった。机に頬杖をつき、少し唇を尖らせている彼女は、まだ怒っているようだが……。
「変な機械持って、三人で何やってたの? 休み時間の度にどこかに行ってるし……」
どうやら気になっていたらしい。
「あ、そ、その……」
「あたしには言えないこと?」
「う、うん……」
確かに、彼女に言えるようなことではない。
「……そうよね。雅也くん、あたしに隠し事するの好きだもんね」
「誤解するなよ。彼女とは何でも……」
「何でもない人が、ご飯作りに来るわけないでしょ」
「そ、そうだけどさ」
「ともかく、あたしに言い訳なんかしないでっ」
「…………」
それきり、ありかは目を合わせようとせず、雅也も何と話しかければいいのかわからないまま時間が過ぎた。
授業が終わり、休み時間。潤と健介とで生徒を調べ回ったが、やはり他に適任者はいなかった。
「これで、俺と健介に決定だな」
潤は笑顔で雅也の肩を叩いた。
「あ、ああ」
「……仕方ない。付き合ってやるか」
面倒そうに言う健介。二人とも、本気にしていないからなのか、どうも軽く考えているようだ。
「……なあ、二人とも」
雅也は潤と健介に向き直った。
「ん?」
「何だ?」
「忠告しておくけど、俺の話を冗談と思っているなら、来ない方がいい。これは地球の運命を賭けた戦いなんだ。遊び半分なら、絶対に後悔する」
真面目な表情で言う雅也に、二人は顔を見合わせた。
「お、おい、雅也……お前何言って」
「俺は本気だぜ、潤」
「…………」
さすがの潤も、思わず黙り込んでしまった。
「…………わ、わかったよ!」
ばしっ、と彼は自分の胸を叩いた。それからむせたのは、ご愛敬か。
「今まで本気にしてなかったけど、今度はばっちり信じてやる! 侵略してくる宇宙人なんか、やっつけてやるぜ!」
「あ、ああ、頼むよ。でも迫ってくるのはやめてくれ」
「あ、すまん」
「それで、健介はどうなんだ?」
「……正直、半信半疑だな」
「……そうか。それも仕方ないな」
「だが、適正値が一番高い僕がいれば、十分役に立つだろう。付き合ってやるよ」
そう言って、健介は自分の席に戻った。そのとき、丁度予鈴が鳴る。
「素直じゃないよな、健介も」
潤が笑う。
「……そうだな」
とりあえず雅也は、頼もしい仲間ができたことを素直に喜ぼうと思った。
そして放課後。三人は自転車を走らせ、雅也の部屋の前に到着した。
「ここか? 例の宇宙人がいるってのは?」
潤が隣の部屋を指して言う。
「ああ。でも先に俺の部屋に行こう。栞を連れていくから」
「栞って、アンドロイドの?」
「そう」
「メイド服を着ているという?」
「そうそう」
雅也はドアをノックした。
「栞、俺だよ」
「はーい」
ドアの奥から返事があり、気配が近付いてくる。
「ほ、本当に女の子の声がしたぞっ」
「うーむ、綺麗な声だな」
潤と健介は顔を見合わせる。
「だから本当だってば……」
雅也は苦笑した。そしてドアが開かれ、栞が顔を出す。
「ご主人様、お帰りなさいませ」
「ただいま」
二人は笑顔を交わす。
「あら、そちらの方たちは?」
「ああ、俺の友達。パイロットにしようと思って連れてきたんだけど……ん?」
振り返ると、潤と健介は目を丸くして栞を見ていた。
「ホントに女の子がいる……しかもすごく可愛い……」
「本当にメイド服を着ているとは……」
「……お前ら信じたんじゃなかったのか?」
「いや、実際目の前にすると、やはり驚きが……。しかも想像以上に可愛いし……」
潤は部屋に上がると彼女の周りを一周し、無遠慮にじろじろと栞を見た。
「あ、あの?」
とまどう彼女のスカートに、潤はおもむろに手を伸ばした。
「きゃっ」
「こらっ!」
「何を考えてるっ!」
スカートに手が触れる寸前に、彼は雅也と健介から同時に尻を蹴られた。
「あだっ!」
と床につんのめる潤。彼は後ろを向いて言い訳した。
「い、いやあ、どういう材質でできてるのかなーって思ってさ。純粋な知的好奇心だよ」
「マニアか、お前は」
「女性に失礼なことをするな」
「おや? 健介がフェミニストだったとは知らなかった。それとも彼女に惚れた?」
「くだらんことを言うな」
健介はわざわざ靴を脱ぐと、にやける潤の腹に、ぐりぐりと足を突っ込んだ。
「あううっ、こ、この感触は何とも言えず……うひゃひゃひゃひゃっ」
笑い声を上げる潤にため息を付き、健介は一人玄関を出る。
「くだらんことをしているなら僕は帰るぞ。早く用事を済まさせてくれ」
「そ、そうだな。行こう栞」
「あ、はい」
雅也たちは外に出て、部屋に鍵をかけた。
「よし、と。ところで、栞は今まで何してたんだ?」
「テレビを見て、本を読んでいました。買い物に行こうかとも思ったのですが、ご主人様がこの格好で外に出るのはよくないと言いましたから」
「あ、そうか……。……ああっ!」
思わず雅也は大声を上げる。
「ど、どうしたんですか?」
「……ごめん、すっかり忘れてたよ。君の服を調達してくること……」
途中までは覚えていたのである。しかし、ありかとは喧嘩したままだし、パイロット探しで忙しかったしで、そこまで頭が回らなかったのだ。
「明日! 明日こそ何とかするから!」
「……はい、お願いします。気を使って頂いてすいません」
栞は微笑む。
「いや、いいんだよ。俺が悪かったんだし……」
ふいに雅也は、強烈な視線を感じた。言うまでもなく、潤と健介である。
「随分仲がいいな」
「神村が知ったらどう思うかな」
「か、からかうなよ。お前らだって、パイロットになればアンドロイドが付くんだからな。とにかく、ディオのところに行くぞ」
「へいへい、どんな子か楽しみだな〜っと」
「……全く、非常識な展開だ」
潤はにやにや笑みを浮かべ、健介はぶつぶつ文句を言っている。
「面白い人たちですね、ご主人様」
栞が耳元で囁いた。
「ま、まあな」
と苦笑し、雅也は隣のドアの前に立った。そしてノックをすると、しばらくしてからドアが開いた。
「やあ、雅也くん。連れてきたようだな」
「何とかね」
「まあ、とりあえず上がってくれ」
「お、おじゃましま〜す……」
想像以上に美形の金髪男性が現れたので、潤と健介は緊張した面持ちで部屋に上がった。ここまでが本当だったのだから、彼が宇宙人だというのも本当かもしれないと思いながら……。
しかし、そこにあるのは電話の付いていない電話ボックスと、銀色のよくわからない材質でできた洗濯機のようなものである。それともう一つ、洗濯機の側にはゴミ捨て場から拾ってきたかのような、ボロボロの折り畳み式の椅子があった。もっと怪しげなものが色々とあると思っていたので、拍子抜けである。
「生活感のない部屋だな……」
「それより、何でこんなところに電話ボックスがあるんだ……?」
二人は部屋を見回し、首を傾げている。とりあえず彼らのことは放っておき、ディオは雅也に訪ねた。
「彼らの適正値はいくつだったんだ?」
「右にいる潤が八十五で、左の健介が八十七だ」
「ふ〜む……まあ、そのくらいならいいだろう。よし、パイロットに決定だ」
「……随分簡単に決めるんだな」
「まあな。地球でのことは、私に一任されてるんでね。それより、あれを返してくれ」
「あれ? ……ああ、あれか」
雅也は適正値測定装置を返した。
「これ、やたらと音がうるさかったんだけど、何とかならなかったのか?」
「音? ああ、それならボタンを二つ同時に押せば鳴らなくなるぞ」
「なっ……さ、先に言えよっ。おかげで、みんなに変な目で見られたんだからなっ」
「ははは、すまんすまん」
「ま、まあいい。ところで、神村ありかって知ってるよな?」
「大家の娘さんだろう? それがどうしたんだ?」
「あいつの適正値調べたら、数値の代わりに文字が出たんだ。壊れたわけでもなさそうなんだけど……原因わかるか?」
「……ふむ……彼女か。おそらく、測定不可能と出たんじゃないかな」
「測定不可能? どういうことだ?」
「要するに、測定できないくらい、彼女の適正値が高かったということだ」
「な、何だそりゃ」
「普通は百パーセントが最高なんだが、ときどきそれを超える奴がいるんだよ。ま、誘わなかったんなら、正解だったぞ。強すぎて面白くも何ともないからな」
「……じゃあ、俺の場合は強すぎず弱すぎずってとこか……?」
「その通り」
「…………」
「そんなことより、さっそく二人の詳しいデータを調べよう。君たち、ちょっとこっちに来てくれ」
することもなく部屋に突っ立っていた潤と健介が、ディオの声に振り向く。
「雅也くんから大体の事情は聞いていると思うが、一応自己紹介しておこう。私はナスターク人のディオ・クレイスだ。よろしく」
「あ、あの、俺は杉崎潤ですっ。どうか、よろしくお願いしますっ」
潤は深く頭を下げた。
「ああ、そんなに堅くならないでいいから。それで君は?」
「……沢口健介です。あの、あなた本当に宇宙人ですか? 僕にはどうも信じられないのですが……」
「……ふむ……そうか」
とディオは腕を組んでみる。
「それと、あの電話ボックスみたいのは何です?」
雅也と同じ質問をしている。やはり、誰が見てもあれはそう見えるのだろう。
「一応、転送装置だ。他にも使用法は色々とあるが……」
「……転送装置、ですか。もう少し、ましなデザインできないんですかねえ……」
健介は皮肉っぽい笑みを浮かべた。雅也の説得で少しは話を信じた彼だが、ここに来てやはり嘘だと確信したようだ。
「す、すいません。こいつ、疑り深い性格なもんで……」
慌てて潤が謝った。ディオが機嫌を損ねて、パイロットにすることを取り止めにでもされてはたまらないからだ。
「ふふっ……私は構わないよ。強引に信じさせるまでだから」
「え?」
ディオは部屋の端にある洗濯機の前へ行くと、椅子を置いてそこに座った。そして上部にあるスイッチを押すと、ウィーンという、静かな音を立て始めた。
「な、何だ?」
驚く潤。健介は黙って見ている。
十秒ほどして、今度は洗濯機のふたが左右に開き、そこに人間の手形が現れた。ディオはそこに自分の両手を乗せると、起動スイッチのあった上部から、後ろの窓くらいの大きさはある、半透明の画面が浮かび上がった。そこにはナスタークの文字が表示されている。
「おおおっ」
思わず声を上げ、拳を握りしめる潤。健介もさすがに目を丸くした。雅也は前にも見たことがあるが、やはりこういう未来を思わせるものは、なかなか興奮するものがある。
その間にも画面はいくつか変わり、その様子を見ていると、突然電話ボックスがパッと光った。
「う、うわっ、何だ?」
雅也も驚いてそちらを見る。すると、透明だったはずのガラスが、黒く変化していた。
「よーし、準備オーケー」
と、ディオが一人呟く。
「す、すごい……。やっぱり宇宙人でもなきゃ、こんな機械持ってないぜ。なあ、健介?」
「あ、ああ……かもしれん」
彼はわずかに顔をしかめて答えた。あまり認めたくないようだ。
「……それで、今は何をしたんだ?」
雅也はディオに訪ねた。
「ここでデータを取るにはこの方法しかないんでね。装置の設定を変更したんだ。え〜と、杉崎潤くん、この中に入ってくれ」
「えっ……お、俺がっ!?」
潤は不安そうに電話ボックス……もとい、転送装置を見る。
「ああ、大丈夫。データを取るだけで、危険は全くないから」
「……本当かな……」
「潤。俺も入ったことがあるから、大丈夫だ。安心しろ」
「……わ、わかった」
潤は恐る恐る、中に入った。ガラスが黒いので、外からは姿が見えない。
「すぐに済むよ」
ディオが画面を見てそう言うと、ヒュウウ……と風の吹き抜けるような音が十秒ほど続いた。
「よし、終わりだ。出ていいぞ」
「も、もう終わったのか?」
ここまで早いとは思わなかったのだろう、首を傾げながら潤が出てくる。
「ふむ……」
健介は顎に手を当て、彼の顔を見ながら訊ねる。
「杉崎、何ともなかったか?」
「ん? ああ、痛くも何ともなかったぞ」
「さあ、健介くん。次は君の番だよ」
「……わかった」
ディオの言葉に少し考えて、健介は転送装置に入った。もちろん、潤のときと同じく何事もなく済んだ。
「よし、これで二人とも終わりだ。ロボットは明日には用意できる」
「……ということは、その……ディオさん?」
潤が揉み手をしながら彼に近付く。
「な、何だい?」
「俺と健介にも、その……雅也のようにアンドロイドがもらえるんですよね?」
「……ああ、そのことか。欲しいのか?」
「も、もちろんですっ!」
拳を握り、力説する潤。
「わ、わかった。わかったから、落ち着いて。……それで、健介くんも欲しいのか?」
「僕はどちらでもいいですが」
「まあいい。ついでだから全員同じタイプにしておこう」
そう言って、ディオが画面の方に顔を向けたとき。
「ちょっと待ったああっ!」
恐るべき素早さで、潤はその顔をがっしりとつかみ、強引に自分の方を向かせた。
「ぐわっ! な、何だ!?」
「俺は……俺はですねえ、清純派より色っぽいおねーちゃんが好みなんですっ!」
「い、一体何の話を……」
そこまで言って、ディオははっとする。
「もしかして……き、君、勘違いしてるよ」
「か、勘違い?」
潤は手を離した。ディオは少し痛む首をさすりながら、
「私が同じタイプにすると言ったのは、戦闘用ロボットの話で、アンドロイドのことじゃない」
「…………」
しばしの沈黙の後、潤は笑いながらディオの背中をばしばし叩いた。
「や、やだなあ! それならそうと、わかりやすく言ってくれたらよかったのに!」
「あ、あのねえ……」
勝手に勘違いしておいて、よく言う。
「ま、雅也くん。彼はいつもこうなのか?」
「え? いやあ、まあ……サッカーやってるときは格好いいんですけどねえ。一応エースだし」
「……始めた動機が女にもてるためらしいがな……」
ぼそっと健介が呟く。しかし、サッカーがうまくなった今でも、残念ながら女にはもてていない。
「……ま、まあいい。とにかく二人のサポートアンドロイドを決めよう」
ディオは少し疲れた顔でレイテスに手を当てた。
何行か意味不明の文字が出た後、やや間を置き、画面を横に分割して少女たちの全身写真が並んでいく。数は十二人。それぞれに名前と年齢が記してある。
ディオは立ち上がり、椅子を畳んで壁にかけた。
「さあ、誰でも好きな娘を選んでくれ」
「おおおっ! 待ってましたっ!」
潤はガッツポーズを取り、画面を食い入るように見る。
「あまりがっつくなよ。みっともない」
あきれて肩をすくめながら、健介も興味深そうに少女たちの写真を眺めた。
「う〜ん……俺のときなんか半ば強制的だったのに、随分自由だな……」
呟く雅也に、栞は悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。
「うらやましいですか?」
「あ、いや、俺は栞でよかったよ」
「本当に?」
「もちろん」
と雅也は彼女の頭を撫でる。
「嬉しいです。でも……」
栞は画面の少女たちを見て、小さく首を傾げた。
「ディオさん。彼女たち、フレイルですよね?」
「ああ。雅也くんと違って、潤くんと健介くんは家族と暮らしているからな。以前のタイプだとまずいだろう」
「……あ、あの〜、フレイルって何ですか?」
会話を理解できない雅也が、控え目に訊ねた。
「あ、ごめんなさい、ご主人様。フレイルというのは、ナスタークの最新型アンドロイドのことです」
「……ん? 新型って、栞のことじゃなかったのか?」
「私はクラウルという、その前のタイプです。さらにその前はユーロスと呼ばれています」
「要するに」
とディオが説明を引き継ぐ。
「フレイルというのは、三世代目のアンドロイドというわけだ。彼女たちの最大の特徴は、ユーロスとクラウルの長所を合わせ持ち、データ入力によってどんな仕事もこなせるということだな。さらに変身機能もあり、脊椎動物にならほぼ何にでもなれる」
「変身できるって……アンドロイドなんだろ? 大きくなったり小さくなったり……って、無理なんじゃ……」
「だからすごいんだよ。まあ、理解はしなくていい。あまり異星に関する知識があっても困るからな」
そう言って、ディオはこれ以上の会話を止めた。
「……栞には、変身機能はないんだよな?」
「ええ。私のようなクラウルは、人間らしくあることを目的に造られていますから」
「俺は……その方がいいと思うよ」
「ありがとうございます」
微笑む栞。
「ディオさんディオさん! 俺、この人がいい!」
興奮した様子で、潤が画面の右上を指さす。
「ああ、決まったか」
とディオが彼の側に近付く。潤が指定したのは、金髪でプロポーションは抜群、露出度の高い服を着た艶っぽい女性だった。名前はライラ。年齢は二十四とある。
「……本当に、彼女でいいのか?」
「ああ! ばっちり俺の好みだぜ!」
「そうか、わかった」
ディオはレイテスに触れ、ライラとの交信を始めた。全てのアンドロイドは管理局によって統制されているから、まずはそこに連絡して、それから各個人の持つ通信機へと繋げてもらう。
「もうすぐ本人が出るから、うまく会話して彼女の了解を取ってくれ」
「おおっ、何かテレクラみたいだな。燃えてきたぜっ!」
気合いを入れる潤の目つきは、いつもと違っていた。
「大丈夫かな、こいつ……」
何だか危なそうなので、健介は彼から離れた。
そして、ついに画面に彼女の姿が現れた。
「こ、こんにちわ。俺、杉崎潤ですっ」
「…………」
さっそく声をかけるが、反応が返ってこない。
「……あれ?」
「ちょっと待て。目的を説明して、すぐに日本語を覚えさせるから」
そう言って、ディオはライラとナスタークのものと思われる言語で話をする。
「お、覚えさせるって……?」
「大丈夫。さっき説明したように、彼女はフレイルだからデータ入力するだけで済む」
「あ、そうですか……」
「栞もデータ入力で日本語を覚えたのか?」
雅也が質問すると、栞は首を横に振った。
「いえ。私は経験を積むことで覚えていくタイプですから。もちろん、普通の人間よりは何倍も早いですが」
「ふ〜ん……じゃあ、ディオは?」
「さあ……。わかりませんが、きっと一生懸命勉強したんですよ」
「へえ、信じられないな……」
「あのなあ」
といきなりディオが雅也の方を見た。
「うわっ」
「私だって、こういう仕事をしてるんだ。それくらいできて当然だろう」
「し、失礼しました」
「まったく」
とディオはライラとの会話に戻る。しかし栞は知らないようだが、本当のところは勉強して覚えたわけではなく、ナスタークにある翻訳装置を使っているのだ。言語を設定し、イヤリングとして身に付けるだけで、言葉を理解できるようになるというものだった。さらに相手と会話するだけで自動的にその人の使う言語に変更してくれる、便利な機能まである。人間用として開発されたものなので、アンドロイドには使うことができない。
「よし、入力が終わったぞ」
とディオが言った。そして画面からクリアな音声で日本語が聞こえてくる。
「はじめまして、杉崎潤君。私がライラです」
写真と同じ金髪の美女が、笑顔を浮かべている。
「あ、はっ、はいっ、はじめまして!」
緊張のあまり、潤は思わず敬礼をしてしまった。
「…………あなたが、杉崎潤くん?」
ライラはわずかに眉をしかめた。
「そ、そうですけど?」
「ごめんなさい。せっかくだけど他を当たってね」
彼女は手を振り、さっさと姿を消してしまった。
「えっ……あ、ちょっとっ!」
手を伸ばしても、画面をすり抜けるだけで、彼女はいない。潤は呆然と立ち尽くした。
「……そ、そんな……まだほとんど話もしていないのに……」
「…………」
さすがに不憫に思い、雅也たちは声をかけることができない。だが、いつまでもそうしているわけにもいかないので、ディオが慰めた。
「ま、まあ、気にするな。たまたま彼女の好みに合わなかったんだろう」
「……う〜、だってだって……」
「よせ。男がいじけても気持ち悪いだけだ」
健介は潤を押し退けた。
「一人が駄目なら、また他の娘を選べばいいだろう」
「それもそうだな」
と笑みを浮かべる潤。彼はあっさりと立ち直った。
「単純な奴……」
呆れ顔で彼を見てから、健介はディオに言った。
「僕も相手を決めたのですが」
「ん? どの娘だい?」
ディオは画面を切り替え、十二人の少女たちを表示した。
「この……」
と健介は、左から二番目の下を指す。
「イシスを」
「イシスか……」
年齢設定十二歳の彼女は、見た目も幼い感じに見える。ややつり目気味で、白い肌。長い水色の髪を頭の上で二つに分け、大きなマントを羽織り、裾の広い服を着ている。これで杖、もしくはホウキでも手にすれば、そのまま魔法使いのようだ。
「け、健介……!」
がしっ、と突然潤が彼の肩をつかんだ。
「な、何だ?」
「知らなかったぜ……お前がロリコンだったとはな」
「違うっ」
健介は彼の頭を叩いた。
「あうっ」
「……ともかく、ディオさん。彼女と会話できるようにしてください」
「あ、ああ、わかった。しかし、君もようやく私のことを信じたようだね」
「完全に信じたというわけではないですけど、まあ現実を否定しても仕方ないですから」
「なるほど」
納得したように頷き、ディオはイシスと交信を始めた。今度は文字だけを送り、先に日本語を覚えさせることにする。しばらくして、画面一杯に彼女の顔が映し出された。
「はーい、こんにちは。いつも明るく元気でしっかり者の、イシスちゃんでーす。」
彼女は可愛らしい声と笑顔で愛嬌を振りまいた。
「…………」
「……あれ? みんなどしたの〜?」
反応が返ってこないので、イシスは首を傾げた。
「あ、いや失礼。大体の話はディオさんから聞いていると思うが、僕が沢口健介だ」
「あ、そうなのー? きゃ〜、嬉しいっ、こんなかっこいい人があたしにプロポーズをしてくれるなんて〜」
「プ、プロポーズ?」
「……え、違うの?」
「ディオさん。彼女にどういう説明をしたんですか?」
健介とイシスはディオを見た。
「…‥ふむ。どうやら君に惚れて引き取りたいという男がいると言ったのを誤解したようだ」
「……何故そんな誤解するような言い方をするんです?」
「何となく、面白いかと思ってな」
はあ……と、健介はため息を付いた。
「ええーっ? 違うの? それってひどいーっ」
イシスがわざとらしく泣き真似をする。
「まあ、その件に関しては悪かったが……」
健介はディオの代わりに謝った。
「しかしその前に、もっと自然な話し方をしてくれないか? 無理して愛嬌振りまかなくていいから」
「え? こういうの嫌いなの?」
「はっきり言って、嫌いだ」
「ふ〜ん……じゃあやめた」
にっこり笑うイシス。
「そうか」
健介も笑顔を返した。
「ところでイシス。プロポーズではないんだが、こっちに来て僕と一緒に暮らしてくれないか? それと、僕が乗るロボットのサポートをしてほしい」
「うん、いいよ」
「ありがとう」
健介は振り向き、一同に言った。
「そういうわけで、彼女に決定した」
「ちょっと待てぇぇっ!」
潤が涙目で訴えてくる。
「な、なな何でどうして、あれだけの会話で話がまとまるんだ!?」
「それはやはり、人徳というものだろう」
「ゆ、許せーんっ!」
「ま、まあまあ。潤にもチャンスはあるさ」
涼しい顔で言う健介に迫る潤を、雅也は羽交い締めにして押さえた。
「とにかく、彼女の了解が取れたなら、さっそくこちらへ呼ぶことにしよう。これから管理局と契約するけど、いいねイシス?」
レイテスに触れながら、ディオが最後の確認をする。
「いいよ。何だか面白そうだし、健介くんも優しそうだし」
「わかった。少し待ってくれ」
画面が切り替わり、白い背景にナスタークの文字が表示される。おそらく管理局と契約しているのだろうが、それはわずか二十秒で終わった。画面が元に戻る。
「よし、契約は済んだ。イシス、これから管理局に行ってこちらに来てくれ。転送の用意はさせてある」
「うん。じゃあ、五分くらいでそっちに行くよ。健介くん、待っててね」
イシスは手を振り、画面から姿を消した。代わりに少女たち十二人の全身写真に切り替わる。
「よ、よーし、もう一度俺の番だな。今度こそ……」
潤は気合いを込めて前に踏み出し、画面を睨み付ける。
「ぬぬぬぬぬ……!」
「おいおい、睨んでも好感度は上がらないぞ。それどころか下がるかも」
後ろから健介が耳元に囁く。
「だあっ、ほっとけっ。ディオさん、俺、このカスタという人に決めました」
「お、もう決めたのか」
ディオは右から三番目の下にあるカスタの写真を見る。年齢設定二十二歳。シャギーをかけた藍色の髪に、切れ長の目で、クールな印象を受ける。へそを出した胸までしかないよくわからない材質の上着に、ショートパンツ、腿まで上げたタイツ、それぞれをベルトで繋いだ変わったデザインの服。そして灰色のコートを羽織り、黒いブーツを履いている。
「う〜ん、格好いいぜ。大人の魅力だな」
にやりと潤は笑みを浮かべる。
「……君も好きだね。まあいい、さっそく連絡を取ろう」
イシスのときと同じく、先に日本語を覚えさせ、事情を説明しておく。そしてしばらくして、彼女の顔が画面に現れた。
「こんにちは、カスタです」
ハスキーな声を耳にした途端、潤は画面に飛びかかるかのような勢いで迫った。
「俺っ、杉崎潤ですっ!」
カスタは思わず身を引いた。クールな表情がぴくりと歪む。
「……あ、あなたがそうなの?」
「はいっ、体力だけは自信がありますっ!」
「……それで、私にあなたの乗るロボットのサポートをしてほしいと?」
どうやらあまり乗り気ではなさそうだ。
「まあ、それはやってもらわないと困りますが……しかし!」
「しかし?」
「それ以外では俺があなたの下僕になろうじゃありませんか!」
ずるっ。
「だああっ」
思わず雅也はこけた。
「だ、大丈夫ですか?」
と栞が助け起こす。
「お、おい、潤!」
雅也はびしっ! と指をさした。
「お前にはプライドというものがないのか!?」
「ふっ、何とでも言ってくれ」
潤は肩をすくめて見せた。
「格好付けるなよ」
「うるさいぞ、健介。こう見えても俺は毎日鏡を見てポーズの研究をしているんだ」
「……あっそ」
健介はため息を付き、もう話しかけないことにした。
「ふぅ〜ん、なかなか面白そうじゃない」
モニターのカスタが、笑みを浮かべた。潤に興味を持ったようである。
「そうでしょうそうでしょう。だから契約してください」
「……そうねぇ、どうしようかな」
「お、お願いしますぅぅっ……お、おわっ」
潤は彼女にお願いを迫ったが、つまづいてしまい、機械の上に倒れた。ドン、という衝撃で、一瞬画面がぶれる。
「こ、こら、降りろっ。壊れたらどうするっ」
当然のことながら、コンピューターは人が乗るようにはできていない。一応丈夫な造りであるとはいえ、万が一ということもある。
「う、うう、腹打った……」
よろよろと、潤は腹を押さえて降りた。
「ったく……気を付けてくれよ」
「……ねえ、大丈夫?」
「カ、カスタさん、心配してくれるんですか?」
潤は腹が痛いのも忘れて笑顔を浮かべた。
「いいえ、バカな奴と思っただけよ」
「……そ、そうですか……」
「でもま、たまにはそんなバカな奴に付き合ってあげるのもいいでしょ」
「え……?」
「丁度退屈してたのよね。面白そうだから契約してあげるわ」
「ほ、ほほほ本当ですかっ!?」
「くどいわね、いいって言ってるでしょ。ほらそこの連絡係、早く契約の手続きしてちょうだい」
「わ、私は連絡係じゃないぞ。変な呼び方しないでくれ」
ディオが眉をしかめる。
「そんなことどうでもいいから。早くしてくれないとあたし気が変わるかもよ」
「うわあああっ! ディオさん、早くしてくれえええっ!」
カスタの言葉に焦った潤は、ディオに飛び付き首を絞めた。
「ぐえっ! く、苦しい……! わ、わかったから離してくれ……!」
「はあはあぜえぜえ……」
潤は手を離した。そこでようやく自分のしたことに気付く。
「はっ! しまった、思わず興奮して……ディオさん、怒らないでね? ね?」
「ごほっ……な、何て危険な奴だ……」
しなを作る潤を見て、本当に彼にパイロットを任せてよかったのだろうか、とディオは不安になる。しかし今さら変更するわけにもいかないので、仕方なく管理局と契約した。
「ほら、これで済んだぞ」
「ありがとう、ディオさん!」
潤は嫌がる彼と強引に握手した。
「…………」
ディオは顔をひきつらせる。
「と、とにかく、カスタはこれから管理局の転送装置を使ってこちらへ来てくれ」
「わかった。十五分で行くわ」
そう言って、カスタは通信を切った。
「ああっ、わくわくドキドキ……会ったら何て声かけようかな」
潤は不気味な笑みを浮かべながら、床に転がり悶えている。そんな彼に健介は近付き、足で部屋の中を転がした。
「おおお、何をするっ」
「気持ち悪いんだよ」
健介はさらに転がした。
「やめんかぁ〜っ」
「……ま、まあとにかく、これでサポートに付くアンドロイドが決まったんだから、よかったじゃないか」
場をなごますように、雅也が言った。
「そうですね」
と栞が相槌を打つ。
「……健介くんはともかく、潤くんはかなり心配だな……」
「せ、性格はあれだけど、実力は多分あると思うから大丈夫……」
ディオの呟きに、雅也は何とかフォローを入れる。
「……本当にそう思うか?」
「……うっ……」
実は自分でもあまり自信がなかった。今は八十五パーセントの適正値を信じるしかない。
「まあいいさ。どうせ困るのは地球の人間たちなんだから」
もっとも、あまりあっさり地球が侵略されてはディオも困るのだが。
「やめろよ、そういう言い方……」
そのとき通信が入り、モニターにイシスが現れた。
「はーい、イシスですけど、今管理局にいまーす。これからそっちに行きますから、転送の準備してくださーい」
「ああ、わかった」
ディオがレイテスに触れると、転送装置の黒かったガラスが元に戻る。
「よし、いいぞ」
「はーい、じゃあ行くよー」
イシスがこちらに手を振って画面から姿を消すと、転送装置が一瞬光った。そしてそこには彼女の姿があり、ドアを開けて出てくる。
「来たよー」
「は、早い」
と驚く雅也と潤。だが、健介は平然とした顔で彼女に近付き、挨拶を交わした。
「やあ、よく来たね。これからよろしく」
「よろしくね、健介くん」
二人は握手をした。
「おい、健介。何でお前は驚かないんだよ。遠い星からあっという間に来たんだぞ。普通は驚くだろ」
潤が不満そうに問う。
「……逆に訊くが、君の方こそ何故驚くんだ? ナスタークではそれくらい簡単にできるとわかったんだ。何度も驚く必要はないと思うが」
「……あ、そう。お前はそういう奴だよな」
冷静に答える健介に、潤はため息を付いた。
「ところで、イシス。君のその髪だけど、染めてるわけじゃないよね?」
彼女の二つに分けた水色の髪に触れながら、健介は言った。
「そんなことしないわよ。あたし自分の髪の色好きだもの」
「そうか、ごめん」
「別にいいよ。それにあたしたちには変身機能があるから、髪の色だけ変えることだってできるし。わざわざ染める必要ないわ」
「なるほど。じゃあ頼みがあるんだけど、外出するときだけでいいから、髪の色を黒くしてくれないか? 水色だとここでは目立ちすぎる」
「…………」
イシスは視線を宙に這わせ、複雑そうな表情をした。
「……しょうがないなあ。外出するときだけだよ」
「ありがとう。助かるよ」
健介はイシスの頭を撫でた。
「あは。何かくすぐったい」
彼女もそうされて悪い気分ではないようだ。
「健介くん、明日まででいいから、彼女に新しい名前を付けてやれ。それで正式に登録される」
「わかりました」
と健介は頷く。
「しかし、明日までということは、つまりその日が戦闘開始というわけですね?」
「勘がいいな。その通り、明日の夕方を予定している」
「えっ? 昨日戦ったばかりなのに、もう戦うのか?」
雅也がものすごく嫌そうな顔をする。
「仕方ないだろう。相手をいつまでも待たせるわけにもいくまい。一週間も放っておけば、さすがにあきらめるだろうからな」
「俺はその方が嬉しいんだけどな……」
と呟く雅也。だが、その言い分が聞き入れられないのは本人もわかっていた。
「ところで、カスタの方はまだなのか?」
「まだだ。十五分で着くと言っていたから、あと五分くらいだろう」
とディオが答えた。
「ふ〜ん……」
そしてそれから丁度五分が過ぎたところで、カスタが現れた。
「今着いたわよ」
「おおっ、待ってましたっ」
「転送の準備はしてある。すぐに来てくれ」
「わかったわ」
カスタがモニターから消えると、転送装置が光り、すぐにそこから出てきた。
「ほ、本物だ! いやあ、目の前で見るとますます美しいです! 俺は感動しました!」
「それはどうも」
小さく笑みを浮かべ、カスタはぽんと一回、彼の頭を軽く叩いた。そのまま真っ直ぐに玄関に向かう。
「あ、あの、どこへ?」
「あなたの家よ。早く案内してちょうだい」
「は、はいっ、わかりましたっ」
潤は素早く彼女の前に行き、ドアを開けた。
「どうぞっ」
「あら、なかなか気が利くじゃない」
「そりゃあもう、何でも致します。じゃあみんな、そういうことで」
潤は揉み手をしながら出ていった。
「……あいつ……完全にプライド捨てたな……」
雅也は呆れ顔でため息を付いた。
「……とりあえず、もうすることもないようだし、僕も帰るよ。行こう、イシス」
「うん」
二人は仲良く手をつなぐ。
「じゃ、俺たちも帰るか、栞」
「そうですね。ディオさん、失礼します」
「ああ」
そうして四人は部屋を出て行った。
「ふう……」
ドアが閉まってから、ディオは大きく息を付いた。
「疲れる連中だった……」
正確には、杉崎潤一人が。
「ま、彼も少しくらいは役に立つだろう。さて、明日の準備でもするか」
ディオがレイテスに触れると、しばらくして画面に二つのロボットが映し出された。右はデュハルトという青いロボット。左はシルネオンという黒いロボットだ。現在整備中で、仕上がるのは明日だという報告を受けている。最初に取った二人のデータはそのときに入力し、それぞれが動きやすいように微調整をして完成だ。これはすぐに済む。
「しかしこれに乗ると知ったら、カスタとイシスはやはり怒るだろうな……」
そう呟き、ディオはどう言い訳しようか考えるのだった。
第三話
月の裏側に、三つの奇妙な物体があった。それぞれ全長十キロメートルという巨大さで、ニワトリの卵を細長くしたようなものが中央に、長方形の薄い板のようなものがその左右にある。当然こんな奇妙な物が自然界の産物のはずはなく、ましてや地球人の人工物でもない。そう、ウィルラーダの宇宙船である。左の赤がリサイル、右の緑がクリュウ、そして中央の漆黒のカラーリングの船が、アジリーフと呼ばれていた。
それぞれの船には自給自足のできる設備や、娯楽施設まであり、普通に生活する分には困らない造りだ。だが、それらはほんの一部であり、ほとんどは戦うための設備で埋め尽くされている。そのことは搭乗する人間にも同じことが言え、一般人は四分の一ほどしかいない。男でも女でも、ほとんどが兵士となることを希望するのである。何故なら、ウィルラーダ人が戦闘好きな種族だからだ。昔から戦争を繰り返し、平和な時代が百年と続いたことはない。宇宙開発が進むようになってからも、一旦は世界統一が成されたが、十年もしないうちに、今度は二つに分かれて戦い始めた。それが、三十年ほど前のこと。戦争が終わったきっかけは、地球という文明のある星を見付けたからである。世界はあっという間に再び統一され、選りすぐった精鋭を、シーラルクと名付けた地球に向けて出発させた。目的は移住ということになっているが、それが本命でないことは皆わかっている。死人が多いので人口爆発という現象は起こっていないし、星も住めないほど汚染されているわけではない。さらには他に見付けた居住可能な星もある。では理由はというと、単純に戦争がしたいからだ。彼らは常に新しい刺激を求めているのである。
さて、そんなウィルラーダの代表たちを乗せた三隻の宇宙船。漆黒のアジリーフには、総指揮を執る司令官、ラルセカーツが搭乗していた。驚いたことに、彼は二十五歳という若さである。ウィルラーダでも異例の若さで司令官という地位に着けたのは、もちろん実力あってのことだった。彼は一見、物静かで知的な感じのする青年である。だが、時折放つ鋭い視線は、目を合わせた者の心を射抜き、凍り付かせる。迂闊に話しかけることすらためらわれるような、そんな雰囲気を持っていた。髪型はセミロングにし、いつも黒い服を身に付けている。ウィルラーダ人の特徴である白い髪、赤い瞳、青い肌は、彼のためにあるかのようだ。船にいる大半の者は、彼に心酔している。
ラルセカーツは今、司令室にいた。一人でいるには広すぎる部屋だ。コンピューターや本棚など、備品が占める割合は少ない。そんな部屋で、彼はクラシックな音楽を聞きながら、腕を組んで椅子に座っている。といっても、音楽鑑賞をしているわけではない。部下からの報告を待っているのだ。
十二時間前、地球に着いて彼はさっそく作戦を開始した。一年前、探査船で調べたときの資料によれば、地球の文明はウィルラーダよりも数百年は遅れていることがわかっている。本気を出せばあっと言う間に決着は付いてしまうだろう。だが、それではわざわざここまで来た意味がない。何といっても、異星人との初の接触だ。どうせなら長く楽しむ方がいい。そこでまず、ラルセカーツは宣戦布告として、調査用ロボットのブレスターを五十体地球に向かわせた。が、何やらバリアのようなもので遮られ、進入できなかった。しかし、そのうち十体は突然できた黒い穴に吸い込まれ、姿を消してしまった。危険を感じたラルセカーツはブレスターを一旦帰還させ、原因究明に乗り出したが、何もつかめないでいた。
そして三時間後。またも黒い穴が現れ、そこからブレスターの残骸が吐き出されたのである。急いで回収すると、コックピットには無傷のパイロットが五人残っており、他の五人は死体となっていた。ラルセカーツは生き残った五人の意識が目覚めるのを待ち、何が起きたのかを部下に聞き出させているのだ。
ピピッ、ピピッ。
ふいに、司令室に音が響いた。デスクに付いているモニターを見ると、ドアの前に立つ者の顔が映し出されている。それを確認すると、ラルセカーツは音楽を止めてから手元のボタンを押し、ドアを開けた。
「失礼します」
一人の少年が入ってくる。一礼し、顔を上げた彼は、どう見ても十五歳くらいだった。痩せ気味で、髪は短めにカットしてある。白いワイシャツに緑色のベストとズボン、というまるでウエイターのような服装は、ウィルラーダの軍服である。他に赤と黒の色違いがあり、どれを選ぶかは自由だ。しかし必ず着用しなければならないという規則はなく、別に戦闘用コスチュームもあるので、着るのは一部の生真面目な人間くらいのものである。
「事情はわかったか?」
「はい」
少年はラルセカーツに歩み寄り、一枚のディスクを差し出す。
「どうぞ」
彼は無言でそれを受け取り、デスクのパソコンに入れてファイルを開く。すると数人の会話の様子が文字として表示された。少年は生き残った五人との会話を録音し、文字としてだけ残したのである。もちろんそのままでは長くなってしまうので、必要な部分だけを編集して簡潔にまとめた。そのことはラルセカーツもわかっているので、何も言わない。
それを読むと、パイロットたちが見たのはこういうことだった。皆が地球を覆うバリアにとまどっているとき、突然できた黒い穴に吸い込まれた。そしてその先にはまたバリアがあり、今から考えれば戦うために用意されたものに違いなかった。そこにはブレスターと同じくらいの大きさの白いロボットがいて、武器も装備していないというのにとても強く、全員敗れてしまった。その後、どうして怪我が治って戻って来られたのかは全く覚えていないということだった。
「ふむ……白いロボットか……」
ラルセカーツは顎に手を当て、しばし考える。
一年前、探査船で地球を調べたときの資料によれば、当然予想外の出来事だ。そのときの探査船は他の生命体を探しに地球を離れたため、それからどうなったのかはわからない。だが、数百年は遅れていたはずの文明が、わずか一年でウィルラーダに匹敵するまでに発展できるはずがない。しかもブレスターを倒すだけならまだしも、星全体にバリアを張るなど、ウィルラーダの技術でも不可能なことである。
一つ、推測できるとすれば、他のウィルラーダよりも高い文明を持つ異星人が、地球に接触したことである。以前から銀河系の調査は行っているが、未だにほとんど不明のままだ。地球以外に異星人がいたとしても、何ら不思議なことはない。
「やはり、調べるしかないな……」
謎は多いが、まずはバリアについてである。あれが解除されない限り、いつまでも地球の大地に降り立つことはできない。そのためにはあの黒い穴が出現する法則を見付け、中にいる白いロボットの正体を突き止める必要がある。
「キリエ、外で五分ほど待っていろ。私は次の作戦で使う人間を探す」
そう言って、ラルセカーツは別のディスクに入れ替えた。それには船にいる全ての兵士のリストが載っている。彼が今見ているのは、アレフィエルのパイロットのリストだ。アレフィエルとは、ブレスターのような調査用から戦闘用まで含めた、全ての人間搭乗型ロボットの総称である。シミュレーション等による戦闘データからパーソナルデータまで、とにかく個人の情報が細かく記載されており、ラルセカーツはこれを見て作戦に使う人間を決める。
「あ、あの……ラルセカーツ様。お願いがあるのですが」
キリエと呼ばれた少年は、緊張した面持ちで言った。
「……何だ?」
ラルセカーツの射抜くような視線に、キリエは背筋に寒気を感じた。一瞬ためらうが、しかしどうしても言わなくてはならない。そのために何日も前から決意していたのだ。
「ど、どうか今度の作戦に……私を使ってくださいっ! お願いしますっ!」
キリエは深々と頭を下げる。
「……キリエ」
ラルセカーツは手を止め、彼を見据えた。
「お前がこの船にいられる理由を……忘れたわけではないだろう」
「そ、それは十分にわかっております。出来の悪い私がここにいられるのは、全て兄上のお気遣いのおかげです。秘書として使ってくださるのも大変感謝しています。……しかし、しかし、私はどうしても戦いたいのです!」
「……顔を上げろ、キリエ」
「はっ、はい」
キリエは慌てて顔を上げた。
「仮にお前を作戦に使うとして……私に一体どうしてほしいんだ? はっきり言うが、お前の成績は兵士の中でも最低ランクだ」
ラルセカーツはパソコンを指さし、皮肉めいた笑みを浮かべる。そこには船にいる兵士の総合成績順位が表示されており、キリエの名は最後尾にあった。
「しかも、アレフィエルも使いこなせないときている。作戦に使えば足を引っ張るだけだとは思わないか?」
「ガ、ガイリーグを使わせてくださいっ!
あれなら私でも使えますっ!」
ガイリーグとは、アレフィエルを人間の大きさにしたものと考えればいい。ただし、こちらは複雑な操作も高い運動能力もそれほど必要としないので、キリエ程度の能力でも十分使うことができる。
「ガイリーグはともかく……どうするつもりだ? あれは調査用であって、お前の望む戦闘はできんぞ」
「確かにそうですが、作戦に参加できるのであればそれでも構いません。それに、あの黒い穴のことを調べるには、色々と試してみる必要があると思うのですが」
「確かにそうだ。だが、いいのか? 死ぬかもしれんぞ?」
「か、構いませんっ」
と言った直後、キリエはしまったと思った。一瞬、ためらいが生じたのを、洞察力の鋭い兄が見逃すはずがない。
そのことがわかったのかいないのか、ラルセカーツは小さくため息を付いた。
「まあ、いいだろう」
「え……?」
「ガイリーグを使うことを許可する。ただし、お前が死んでも私は責任を持たんからな」
「はっ、はい! ありがとうございます、兄上!」
キリエは深く頭を下げて感謝した。意外だったが、許可がもらえたのだから何でもいい。
「わかったら、早く外へ出ろ」
「はいっ」
突き放すようなラルセカーツの言葉に、キリエは笑顔で退出した。
「……バカが……怖いくせに……」
そう呟き、ラルセカーツは作業を再開するのだった。
そして一時間後、司令室にラルセカーツに選ばれた十一人のパイロットが集められた。皆、緊張気味の顔で彼の方を向いている。
「今回の作戦を伝える」
椅子に座ったまま、ラルセカーツは言った。
「シーラルクにあるバリアを調べ、侵入できた際には、中にいると思われる白いロボットの正体を突き止めること。以上だ。決行は十二時間後とする。何か質問はあるか?」
「はい」
と三十代前半くらいの男が手を挙げた。痩せ気味で髪はぼさぼさ、無精髭を生やしており、ランニングに裾の広いズボンという土木作業員のような格好をしている。
「何だ、ケヒネア?」
「私はアレフィエルではなく、ガイリーグで出るようにとキリエから聞いたのですが、それは彼のお守り役としてでしょうか?」
ケヒネアは、ラルセカーツの側に立つキリエを見た。
「そうだな。確かに半分はそれもある。だが、今回の作戦は戦闘ではなく調査が目的だ。そのためにはアレフィエルだけでなく、ガイリーグでも試してみる必要がある」
「……わかりました。よろしく頼む、キリエ」
「は、はいっ」
とキリエは安堵した顔で答えた。
「他にないようなら、解散する」
「あーっ、待ってくださいっ」
ポニーテールの、幼い顔立ちの少女が手を挙げた。両隣にいるロングとショートの髪の女子二人がぎょっとした顔をする。赤い戦闘用コスチュームを着た彼女たち三人は姉妹だった。ロングが十九歳の長女エリ、ショートが十七歳の次女リィザ、そしてポニーテールが十五歳の三女サペルという名だ。彼女たちは先の戦争では最後の三ヶ月しか実戦に出る機会がなかったのだが、そのわずかの間に見事なコンビネーションを見せ、多くの敵を倒して大活躍した優秀なパイロットなのである。
「あのー、ラルセカーツ様?
あたしお願いがあるんですけど……」
サペルは一歩前に出て、小さく首を傾げて言った。
「何だ? 遠慮なく言ってみろ」
「は、はい。そのー……もしこの作戦がうまくいったら、あたしとデートしてくれませんか?」
「……デート?」
「ばっ、バカッ!」
「ラルセカーツ様に何言うのよっ!」
サペルはエリとリィザに殴られた。
「い、痛いよ、お姉ちゃん……」
頭を抱えるサペル。他のパイロットたちから思わず失笑が漏れた。
「……そうだな」
ラルセカーツも笑みを浮かべながら、顎に手を当てる。
「本当にうまくいったのなら……考えてもいい」
「えっ……う、嘘っ?」
その場にいた全員が、言い出したサペル本人までが、彼の言葉に目を丸くした。ラルセカーツは、女性ならば誰もが憧れを抱くといっていいほどの存在である。しかし、何故か今までどんな女性も相手にしたことはなかった。だから、今の彼の返事は誰もが予想外だったのである。
「私は嘘は言わん」
初めから断られる覚悟だったサペルは興奮し、頬を紅潮させた。
「やっ……やった。約束ですよっ。ちょっと考えてだめって言うのはなしですよっ」
「ああ、いい返事を期待していい。では、これで解散する」
皆が敬礼し、司令室を退出した後、キリエは気になって訪ねてみた。
「ラルセカーツ様……サペルとのこと、本気ですか?」
「ああ、私は本気だ。だが、今回の作戦を完全に成功させるのは相当に難しいだろうからな。もしうまくいったのなら、それくらいのサービスはしてやってもいい」
「なるほど。そういうことですか」
つまり、ラルセカーツが彼女とデートをする確率は、ほとんどないというわけだ。
「それより、お前も早く行ったらどうだ。決行まであと十二時間しかないんだぞ」
「そ、そうですね。では行って参ります」
キリエは一礼して出ていった。
「……死ぬなよ……彼女のためにも」
恋人同士の二人の姿を思い描き、ラルセカーツは呟くのだった。
「おい、小娘」
司令室を出てしばらく歩き、他のパイロットの姿も見えなくなった頃。エレベーター前に着いた三姉妹の前に、口髭を生やした初老の男が声をかけてきた。背が高く、筋肉質な体型で黒い皮の服を着ている。彼女たちと同じく司令室に呼ばれた彼は、どうやらここまで付いてきたらしい。
「何ですか、スウェルさん?」
エリがわずかに眉をひそめて言うが、彼は無視してサペルの方へ近付いてきた。
「な、何よ、こっち来ないでよ」
サペルは後ろに下がるが、すぐに背中がエレベーターのドアに付いてしまう。彼女の許まであと数歩となったとき、エリとリィザがさっと間に割り込んだ。
「スウェルさん、妹に手を出すつまりなら許しませんよ」
「話があるなら、先にあたしらを通してもらおうか」
「お、お姉ちゃん……」
サペルは妹思いの二人に感動した。
「……ふん、仲がいいのは結構だが……いいかお前ら。ラルセカーツ様の気まぐれの言葉に浮かれて、俺や他の奴らの足手まといにだけはなるんじゃねえぞ」
「あら、足手まといはあなたの方じゃありませんか?」
「何だとっ」
エリの言葉に、スウェルは彼女を睨み付ける。しかし、エリは全く動じずに言葉を続けた。
「だって……先の戦争、特に後半辺りから、あなたはほとんど活躍していないではありませんか。そんなあなたを、ラルセカーツ様はよく今回の作戦に使う気になったものです」
「貴様……!」
「おっと」
思わずつかみかかろうとしたスウェルの腕を、横から押さえた者がいた。
「そんなにカッカしなさんな。大人げないですぜ、旦那」
「ケヒネアか……」
先程、キリエと組んでガイリーグを使うことになった男である。
「戦争は生き残った者が勝ちなんですから、旦那は勝者ですよ」
「ふん……お前も小僧と一緒に足を引っ張るなよ」
スウェルは腕を引き、足早に去っていった。
「べーっ、だ」
サペルが後ろ姿に向けてあっかんべーをする。
「ん?」
ふと気配を感じて見ると、ケヒネアもあっかんべーをしていた。サペルと目が合うと、彼は笑い声を上げた。
「ははははっ、あの場はあーやって取り繕ったけど、実は俺もあのおっさん嫌いなんだよ。生き残るのはうまいけど、敵を倒すのは下手だしその割には偉そうだしさ」
「何だ、そうだったんだ」
「それよりあんた、おとなしそうな顔してきついこと言うよな」
「ええ、よく言われます」
とエリは笑みを浮かべた。
「ま、とにかく、俺はあんたら姉妹のファンだからよ。お互い頑張ろうぜ。特に、今回はラルセカーツ様とのデートがかかっているんだからな」
「あんたこそ、ドジやって死ぬなよ。何たってキリエと一緒なんだから」
とリィザ。その意味を理解したケヒネアは、肩をすくめて見せた。
「そうだな。ま、せいぜい鍛えてやるさ」
そのとき、エレベーターが到着した。ケヒネアは中に入るが、三姉妹は動こうとしない。
「乗らないのかい?」
「ええ。私たち、急用を思い出しまして」
「え? 急用?」
そんなものあったかな? とサペルは一人首を傾げる。
「そうか。じゃあ、また後でな」
ケヒネアは手を振り、そしてドアが閉まった。
「行ったか……」
これで廊下に残ったのは三人だけである。
「エリお姉ちゃん、急用って……」
サペルが訪ねると、エリとリィザは笑顔のまま彼女に迫ってきた。
「な、ななな、何っ?」
後ずさる彼女を、二人はがっちりつかむ。
「サペルちゃ〜ん、お願いがあるんだけど……」
「ラルセカーツ様とのデート、あたしらも一緒でいいよね〜?」
「えーっ、やだよ」
あっさり答えるサペルの頭を、リィザはげんこつでぐりぐりした。
「サ〜ペ〜ル〜」
「痛いっ、痛いよリィザお姉ちゃんっ」
「よしなさい、リィザ」
エリが彼女の手を止めた。
「まあ、私も無理強いは好きじゃないからもうやめますけど……ただね、サペル」
「何?」
「あなたからもラルセカーツ様にお願いしてほしいのよ。私たちと、できれば一人ずつデートをしてくれるように」
「エリお姉ちゃん……」
「だって、こんなチャンス、一生に一度あるかどうかですもの。あなただけなんてずるいわ」
「……わかった。わかりました。あたしからもお願いしてみます」
「そう、よかったわ」
「三人でお願いすれば、きっと確率も上がるだろうし」
「そのためには、それに見合うだけの活躍をしないとね」
「よし、がんばろー」
三人は手の平を合わせ、勝利を誓う。
「おや、みなさん気合い入っていますね」
そう言って廊下の角から現れたのは、キリエだった。
「あんたこそ、一応今回が初の実戦だろ? 気合い入れないとな」
「え、ええ。もちろん頑張りますよ。兄上に何度も頼み込んで手に入れたチャンスですから」
「へえ、そうなんだ」
そんな雑談をしながら、四人は下りのエレベーターに乗った。三十秒ほど下りると、そこは居住区だった。兵士たちも普段はここにある仮住宅で寝泊まりをする。
「では、私はこれで。十二時間後に会いましょう」
「ばいばーい」
とサペルが手を振って見送った。
「さーて、早く帰って寝よっと」
三姉妹は作戦までの十二時間、その半分を家で寝て過ごすのだった。
一方、キリエはある家に向かっていた。クーシィという、彼の恋人の家にである。
十分ほど歩いてマンションの一室の前に着くと、チャイムを鳴らした。奥の方で気配がし、しばらくしてドアが開く。現れたのは、セミロングの髪にヘアバンドをし、ロングスカートはいたおとなしそうな顔立ちの少女だ。
「キリエ……」
彼女は、少し驚いた顔をしていた。いつもなら、キリエはまだ仕事中のはずだからだ。
「やあ、来たよ」
「来たよ、って……まあいいわ。どうぞ、上がって」
クーシィは微笑み、部屋に招き入れた。
「ありがとう」
よく訪れるこの部屋は、彼女が一人で暮らしているため、荷物が少なく広く感じる。二人分の椅子の付いたテーブルに付き、キリエは彼女が用意してくれたお茶とお菓子に口を付けた。
「今日はどうしたの?」
クーシィは気になっていたことを訪ねてみた。生真面目なキリエが、仕事を途中で抜け出すはずがない。間違いなく何かあったのだろう。
「実はね、君に報告に来たんだ」
「報告?」
「そう。今から約十二時間後に行われる作戦に、僕もガイリーグに乗って参加することになった」
「えっ……!?」
クーシィは息を呑んだ。
「そんな……どうしてキリエが……」
「僕が熱心に頼んだからさ。それを兄上が聞き入れてくれたというわけ」
「キリエ……」
嬉しそうに言う彼に、クーシィは顔をしかめた。
「どうしてそんなに戦いたがるの? 死ぬかもしれないのに……」
「大丈夫だよ。今回は調査が目的だから、きっと僕が戦う機会はない」
彼女を安心させるためにそう言ったが、キリエは本当は戦うことを望んでいた。そして、その思いをクーシィはわかっている。
クーシィは、ウィルラーダでは非常に珍しい戦争反対派の人間だ。以前はわずかな仲間と戦争反対を呼びかける運動をしていたが、九割以上の人間が戦争推進派なのだから、当然まともに耳を貸す人はおらず、政府からも相手にされないので、今ではほとんどあきらめている。キリエと出会ったのは一年前、暇潰しに彼が話を聞いてくれたことがきっかけだ。推進派の彼とは意見が違ったが、他のことでは馬が合い、それからずっと交際を続けている。ウィルラーダの中でも選ばれた者だけが乗れるアジリーフにいられるのも、キリエがラルセカーツに頼んでくれたおかげだ。こうして側にいられるのは嬉しいが、心配なのは彼が戦いに参加すること。幸い……というか、彼はあまりパイロットには向いておらず、ラルセカーツの秘書をすることになったので安心していたのだ。それなのに……。
「ねえ、キリエ……」
「だめだよ」
キリエは彼女に最後まで言わせなかった。
「君が何を言いたいのかはわかってる。でもだめだ。僕はどうしても出たいから。やっとつかんだチャンスだから」
「…………」
クーシィは悲しそうにうつむいた。もう自分には止められないとわかったからだ。
「そんなに心配しなくていいって。君も知ってるだろ? 相手はウィルラーダより数百年は文明の遅れたシーラルクなんだから」
「……それは……そうなんだけど……」
謎の白いロボットの存在は、一般人である彼女にはまだ知らされていない。
「でも、万が一ということもあるし……」
キリエは苦笑した。
「そんなことまで心配していたら、何もできやしないよ」
「……そうね」
と彼女も小さく微笑む。
「僕もさ、元々は兵士なんだし、少しは活躍してみんなに認められないとね」
今のままでは、自分に自信が持てないばかりか、クーシィと付き合っていく自信さえもなくなっていく気がする。特に兄がすごすぎる人物だから、余計にその思いはあった。
「そんなこと、気にしなくていいのに……」
「そうもいかないさ。それより、時間までここにいてもいいかい?」
「ええ、もちろん構わないわ」
それから作戦の一時間前まで、キリエは心安らぐ時間を過ごしたのだった。
そして、決行の時間はすぐにやってきた。パイロットたちはアジリーフにあるアレフィエル専用の格納庫に入り、それぞれ自分の機体がある場所へ向かう。
「張り切りすぎてミスするなよ、サペル」
「失礼ね〜、それはリィザお姉ちゃんの方でしょ」
「ほほ〜う、そういうこと言うか」
「べーっ」
「二人とも、いい加減にしなさい。ふざけあってる場合じゃないでしょ」
「はーい」
エリに言われ、リィザとサペルは慌てて自分の機体のところへ走った。
「出陣だっていうのに、緊張感がないわね。……まあ、あの子たちらしいけど」
くすっと笑みを浮かべて、エリは胸にあるコックピットに乗り込んだ。三姉妹が乗るアレフィエルは、クドクラムと呼ばれる真紅の機体だ。全長三十二メートルで、スピード重視の設計となっている。といっても、全てのアレフィエルはパイロットに合わせて調整を変えたり、新たにパーツを加えたりするので、同じ機体でも性能に差が生じてくる。エリの場合は、全体のスピードと両腕のパワーを上げるよう調整していた。ただし、コックピットはどの機体も変わることはない。シートはなく、操縦は立ったまま行う。周囲から伸びている様々なパーツを、頭、腕、腰、足など身体の各部に鎧のように装着する。それらをパイロットが動かすことによって、アレフィエルも同調して動くようになる仕組みだ。しかし変形機能のあるブレスターだけは例外で、シートがあり、飛行機のような操縦方法を行う。だからパイロットも、ロボットというより戦闘機に乗るという意識の方が強い。
「さて……、と。リィザ、サペル、準備はできた?」
エリが通信機を通して訪ねると、返事が返ってきた。
「オッケーだよ、姉ちゃん」
「こっちもいいよー」
「よし、じゃあ出るわよ」
エリの機体を先頭に、三機のクドクラムは格納庫の出口の前に立った。すると後ろのドアが閉まり、格納庫と隔離される。ここから先は真空状態になるからだ。もう一つのドアを越えると宇宙空間となり、目の前にある地球が目に入った。この作戦のために、アジリーフが大気圏近くまで移動したためである。
「シーラルクか……綺麗な星よね」
「うん……」
三姉妹は、地球を見ながら他の仲間が来るのを待った。
「ふん、小娘どもが」
しかめっ面をしながら、スウェルはアレフィエルのコックピットに入った。彼が乗る機体は、深緑のニカグラ。全長三十六メートルで、クドクラムとは対照的にパワー重視の設計である。
「全く……。おい、お前もああいう奴らは邪魔だと思わんか?」
スウェルは隣のニカグラのパイロットに話しかけた。だが、返ってきたのは彼の反感を買う言葉だった。
「私はどちらでも構わないが……それより、あなたの方こそ邪魔をしないでくれませんか」
「な、何だと?」
「一つ忠告しておきましょう。弱い奴ほどよく吼える、と昔から言いますよ」
「……そ、それは俺のことだと言いたいのか、シーニック!」
「さあ……好きに受け止ってください」
これ以上会話を続けるつもりはないので、彼はニカグラを操り出口に向かった。通信も切ろうと思ったが、それより一瞬早くスウェルの言葉が入ってきた。
「……覚えていろ!」
「……やれやれ、困った年寄りだ」
と彼はため息を付いた。スウェルに呼ばれた通り、彼の名はシーニック。二十三歳の青年だ。長い髪を後ろで結び、黒の戦闘用コスチュームを着ている。彼は三姉妹のように目立った活躍はないが、着実に成績を上げている優秀な人物である。
「生き残るのがうまい奴より、敵を倒せる奴の方がよっぽど役立つというのに」
そう呟き、シーニックは皮肉の笑みを浮かべるのだった。
同じ頃。キリエとケヒネアは、アジリーフの左に位置する赤い船、リサイルにいた。ここの格納庫にはブレスターと、そしてガイリーグがあるのだ。作戦に参加するブレスター五機は、既にパイロットも乗り込み、準備は終了している。残りはガイリーグの二人だけだ。
「……ケヒネアさん。僕、少し緊張してきました」
「ふふん、そうか。まあ、そのくらいが丁度いいってもんだ」
ケヒネアはぽんとキリエの肩を叩いてみせた。二人は今、身体にぴったりしたアンダースーツを着て、ガイリーグ搭乗機のドアの前に立っている。というのも、ガイリーグは搭乗というよりは装着に近く、一人で身に付けることができないため、そのための機械が必要なのだ。ここには十個以上のドアがあり、一人ごとに適したものをスタッフが用意してくれる。……だが、それにしても随分待たされている。作戦決行時間まであと十分にまで迫ってきた。
「……おい、姉ちゃん。まだ終わらないのか?」
ケヒネアはカウンターに顔を出し、メカニックと連絡を取り合っている女性スタッフに訊ねた。
「そろそろ時間もなくなってきたんだが……」
「すみません、キリエさんのガイリーグの調整に手間取っていまして……あ、いえ、丁度今終わったようです」
「そうか。何とか間に合いそうだな」
「すいません、僕のせいでケヒネアさんまで待たせてしまって……」
「気にするな。初陣のお前を置いて先に行くわけにはいかないからな」
「は、はい。どうも」
ボサボサ頭に無精髭という不潔そうな外見に比べて、ケヒネアはかなり気のいい男だった。おかげでキリエは少しリラックスできた。
「それでは、ケヒネアさんは一番から、キリエさんは二番のドアから入ってください」
「おうっ」
「はい」
女性スタッフに言われ、二人はそれぞれのドアの中に入っていった。
そこは真っ暗な空間で、唯一光があるのが、正面の円柱のガラスケースの底だけである。幅は両手を広げて、さらにあと腕一本分で届くくらいの大きさで、周囲にはかなり複雑そうな機械で埋め尽くされていた。光だけを見れば、何となく魔法陣のようにも見える。
『キリエさん、手順はわかっていますね?』
室内に女性スタッフの声が響いた。
「はい」
『それでは、前に進んで……中に入ってください』
言われるままに、キリエは光の円の中に入った。すると自動的にガラスケースのドアが閉まり、完全な密閉空間となる。そして次に、上部から先にガスマスクのようなものが付いた管が伸びてきた。キリエはそれを手に取り、顔と耳を覆うと、頭の後ろでベルトを取り付ける。
『準備はよろしいですね? 初めてですので、少し苦しく感じるかもしれませんが、すぐに慣れるはずですから』
「わかりました。始めてください」
キリエは中心に立ち、深呼吸をした。マスクを通して新鮮な空気が返ってくる。しばらくして、この密閉空間の中に赤くにごった水が流し込まれた。すぐに一杯になり、キリエの身体が浮力で浮かび上がる。
『では、いきますよ』
彼女の言葉が終わるのと同時に、装置が静かな音を立て始め、水を通して振動が伝わってきた。そして上部と下部に穴が開き、いくつもに分かれたガイリーグの部品が現れる。装置内に微妙な圧力がかかり、キリエの身体を水平に位置させた。これから一体どうなるのか……マニュアルで知ってはいたが、キリエは少し不安になっていた。
『落ち着いて……両手と両足を伸ばしてください』
言われてはっとし、キリエは身構えていた両手と両足を伸ばした。それを合図に、今まで現れたはいいが固定されたままだったガイリーグの部品が、一斉に解き放たれ、引き合う磁石のようにキリエに向かう。
「うぐっ」
キリエは思わず呻き声を漏らした。締め付けられるような感覚が襲い、熱いものが押し付けられる。ガイリーグの部品は胸から腹、腰、脚へと続き、腕、最後に頭という順番で装着された。その後一瞬強い圧力がかけられると、キリエの身体は完全に外界との接触を断たれた。苦しい感じがしたが、女性スタッフの言った通り、それはすぐになくなった。
ややあって、ふと水が引いていく音に気付く。
『もう終わりましたよ、キリエさん。ガイリーグ装着完了です』
「…………」
キリエは思わず閉じてしまった目を開き、自分の身体を見下ろしてみる。いつもと感覚は変わらないが、体格が一回り大きくなり、全身が赤い金属で覆われていた。一見、蟻を擬人化したような異様な姿だが、このガイリーグは、搭乗者の運動能力を十倍にまで上げることができるのだ。大きさで比べなければ、アレフィエルに引けを取ることはない。
『どうですか、キリエさん。ガイリーグの感触は?』
「うん、まだよくわからないけど……」
と軽く腕を動かしてみながら、キリエは言う。
「とにかくやるしかないからね。頑張ってみるよ」
『気を付けてくださいね。無事を祈っています』
「ありがとう」
キリエはガラスケースの中から出ると、来たときとは逆の方へ向かった。ドアを開けると、そこには既に緑のガイリーグを身に付けたケヒネアが待っていた。
「よう、遅かったな」
「すいません、ケヒネアさん」
「気にするな。それよりどうだ? 初めてのガイリーグは」
「そんな、まだわかりませんよ」
「……そうだな。まあ、後で俺が色々教えてやる。それより早く行くぞ。もう時間がない」
「はい」
二人は待機中の五機のブレスターの所へ行き、彼らに運んでもらってアジリーフに向かったのだった。
『……全員揃ったようだな』
アジリーフの上部が変形し、現れたアレフィエルの発進口。そこに集まり出撃の命令を待つ十二人の通信機から、ラルセカーツの声が聞こえてきた。
彼は今、司令室ではなく、オペレーターが何人もいる作戦室から話しかけている。そこには巨大なモニターの中に小さな画面がいくつもあり、それぞれがアジリーフの周囲の様子を映し出していた。もちろん大きさは調節できるので、現在はアレフィエルたちを中央に持ってきている。
『それでは、これより作戦を開始する。制限時間は二時間だ。例え収穫がなくとも、一旦は帰ってくること。いいな?』
「はいっ」
と皆が返事をする中、サペルが不安そうに訪ねた。
「……あ、あの〜、ラルセカーツ様。もしそれで何事もなく時間が過ぎた場合、あたしたちの出番はもうないんでしょうか?」
『そのことなら安心していい。状況が変わらない限り、しばらくはお前たちを使うつもりだ』
「そうですか。……よかった」
サペルはにんまりと笑みを浮かべた。それならば、チャンスも増えるというものである。
『よし、では出撃だ。行け』
「はいっ」
先陣を切って三姉妹のクドクラムが飛び出した。続いてスウェルとシーニックのニカグラが。最後に五機のブレスターが飛行形態になって出発した。キリエとケヒネアのガイリーグは、ブレスターの一機に運んでもらっている。どの機体も大気圏突入が可能なので、真っ直ぐに地球に降りていく。だがしかし、いよいよ大気圏に入るというところになって、それ以上踏み込めなくなった。まるで、そこに透明な地面があるかのように。
「何これ? どうなってんのよ?」
「これがバリアって奴か……」
足で感触を確かめながら、サペルとリィザが言う。あまり固さはなく、ゴムのようでもある。
「……とりあえず、このバリアを調べてみましょう。性質や発生源がわかるだけでもかなり進展するわ」
「うん、わかった」
「じゃあ、あたし北の方行ってみる」
と、エリ、リィザ、サペルが集まって相談していたとき。
「ははははっ! どけっ、小娘ども!」
スウェルのニカグラが、肩に装備したミサイルを発射してきた。
「げっ! 何考えてるんだ、あのおっさん!」
三姉妹は慌ててその場を離れた。今まで彼女たちがいた場所で、ミサイルが派手に爆発する。
「てめえ、あたしらを殺す気か!?」
「バカー!」
当然のごとく、リィザとサペルが非難を浴びせた。エリは静かな口調で問う。
「……スウェルさん、どういうつもりですか?」
「ふん、文句を言うな。バリアが破壊できるか試してみただけではないか」
「なるほど……。しかし、その程度で破壊できるなら、わざわざこうして調べる必要はありません。そのくらいのこともわかりませんか?」
確かに彼女の言う通り、バリアには傷一つ付いていなかった。
「……ふん、これだから経験の浅い奴は困る。例えそうでも、一度は試してみるものだ」
そう言って、スウェルはニカグラを飛ばし、離れていった。
エリはふうとため息を付く。
「……困った人ね……」
さて。このように、ウィルラーダが地球のバリアを調べ始めた頃、日本では午後六時。杉崎潤と沢口健介が、ディオ・クレイスの部屋を訪れ、帰っていったしばらく後のことである。ディオはコンピューターを使い、二人のデータをナスタークに送っているところだった。このデータを基に、スタッフが個人に合わせてマシンの調整をするのである。
「よし。あとは向こうに任せて、明日になるのを待つだけだな。……ん?」
仕事を終わらせ、コンピューターを終了させようと思ったとき、画面に警告音と共にメッセージが表示された。見ると、バリアが何かの攻撃を受けたとのことだった。バリアは外側からの侵入を一切許さず、流星さえも通さない。もちろん流星がぶつかった程度で警告が出るような設定はしていないので、ウィルラーダが攻撃をしたことに間違いないだろう。画面を切り替えると、いくつかロボットの姿が見える。
「ふむ……おそらくバリアを調べているんだろうな。まあ、無駄なことだが」
こちらとしては、明日の夕方まで接触するつもりはない。ディオはコンピューターを終了させると立ち上がった。
「さて……。そろそろ雅也くんのところに行って、夕食でもご馳走になりに行くかな」
部屋の電気を消すと、さっさと出ていく。
そんなわけで、ウィルラーダのロボットたちは何の収穫もないまま二時間が過ぎてしまい、アジリーフに帰るしかないのだった。
「……というわけでな、ウィルラーダは無駄な苦労をしているぞ」
ぱくぱくとご飯を食べながら、ディオは先程のことを報告した。
「……あのなあ、ディオ」
雅也は思わず箸を止め、呆れた顔で彼を見た。
「どうしていつもいつも俺のところでご飯を食べるんだ。うちにはあんたの分まで食べさせる金はないんだぞ」
「いやあ、一人で食べるのは寂しいしな。それに栞の料理はうまいし」
「……じゃ、じゃあ、せめて食事代ぐらい払ってくれよ」
「ふっ……悪いが金はない」
「何っ? だったらどうやってこのアパートの家賃払ったんだ?」
「金銀や宝石を売って金に換えた」
「じゃああるんじゃないか」
「もうない。必要以外もらえんし、本来なら食事もナスタークから送ってもらえるしな」
「あのなあ……」
雅也は深いため息を付いた。
「まあ、気にするな。そのうち何かいいものプレゼントしてやるから」
「いいもの、ねえ……」
あまり期待はしないでおこう。
そして三人が食事を終えた頃、雅也は腕時計を見た。
「六時半か……。そろそろ行くかな」
「行くって、どこにだ?」
「バイトだよ、バイト。七時から十時までコンビニでな」
生活費だけなら仕送りで十分なのだが、遊びに使う分にはバイトでもしないと全然足りないのである。もっとも、今では栞の食事代のためにも必要なのだが。
「しかし、昨日はいかなかったじゃないか」
「……バイトは週に四日。昨日はうまい具合に休みだったんだ」
もし昨日が勤務日だったら、絶対に休んでいただろう。何しろ、昨日はそれどころではなくて、バイトのことなどすっかり忘れていたのだから。
「じゃあ、俺行くから。ディオもいていいから、ちゃんと留守番しててくれよ」
「おお、私の食費を稼いできてくれるのか。頑張ってくれ」
「…………。じゃ、じゃあな、栞」
ディオのことは無視し、栞に手を振って雅也は出ていった。
「いってらっしゃい」
「さてと、テレビでも見ようか」
ディオはごろんと横になり、リモコンでテレビのスイッチを入れた。
「もう……ディオさん。どうするんですか?」
食器の後片付けをしながら、栞が言った。
「何がだ?」
「食費のことですよ。私がいるだけでも大変なのに、ディオさんまで増えたら……。何とかしてください」
「……そうだな。そのうち何とかしよう。それよりどうだ、ここでの生活は? 雅也くんとはうまくいってるか?」
「ええ。雅也さんはとても優しくしてくれますから。私が思った通りの人でした」
「そうか……。ずっと一緒にいられるといいな」
「そうですね……」
栞は複雑そうな笑顔を浮かべた。
「ただいま〜」
「お帰りなさい」
雅也がバイトから帰ってきたとき、既にディオはいなかった。
「ふう……疲れた……」
「軽く何か作りましょうか?」
「ん……じゃあ、頼むよ。俺今からシャワー浴びるから」
「はい」
栞は余り物でおにぎりを作ることにした。もっとも、梅干しもかつお節も何にもないので、本当にただご飯を握っただけなのだが……。しばらくしてシャワーから上がってきた雅也は、さっそくそのおにぎりを食べた。
「どうですか?」
「ああ、おいしいよ」
「そうですか。うふふ」
雅也がほめると、彼女は本当に嬉しそうに笑う。つられて雅也まで笑顔になった。
「さ……さて、どうしようか?」
「はい?」
「これから……なんだけど」
「あ……。そ、そうですね……」
食べ終わった後、間が持たなくなって二人はうつむいてしまった。普段なら雅也はテレビゲームをするか、本を読むか、たまに勉強をするかだが、それはどれも一人でやることである。今まで留守番させていて、また放っておくというのも気が咎めた。何とか二人で時間を潰せるものはないだろうか。
「う〜ん……」
「あ、あの、ご主人様」
「え? な、何?」
「何かすることがあるのなら、私に構わずにしてください」
「いや、そんなことないけど……あ、そうだ。君の話を聞かせてよ」
「私の話……ですか?」
栞は困ったように首を傾げた。
「うん。ナスタークにいたときの話とか聞きたいな」
「……すいません。ナスタークのことは……話してはいけないことになっているんですが……」
「あ、そうか……」
確か、文明レベルが違いすぎるから、ディオも必要以外の知識は教えられないと言っていた。しかし雅也一人くらいが知っても、別に影響はないと思うのだが……まあ、規則らしいから仕方がない。
「……でも、私個人のことでしたら、少しだけ……」
「え?」
「私は生まれて七年目になります。ここに来る前までは勉強をしたり、仕事をしたりしていたんですが、あるとき私のせいで仲間に迷惑をかけてしまったんです。それでその仕事をやめたとき、ディオさんにスカウトされまして……。迷ったんですが、ご主人様とならうまくやれそうだと思って、お受けしたんです」
栞はにこっと微笑んだ。
「……そ、そうですか……」
雅也はわずかに口許をひきつらせた。何だか意外に重そうな過去である。自分にそれを背負うだけの価値があるのだろうかと、少し不安になる。
「……もっと詳しく聞きたいですか?」
「え? い、いや、もういい。軽はずみに訊いて悪かったよ。もう話さなくてもいいからさ。な?」
「……優しいですね。ご主人様……」
「は、はは……」
潤んだ目で見られると、何だか照れくさくなる。雅也はごまかすように頭を掻いた。
「ふふ……」
とつられて笑いながら、栞は三ヶ月前に起きた事件のことを思い出していた。彼女は事件の責任は自分にある思っているが、それは違う。確かにきっかけは彼女にあるかもしれないが、実際には一番の被害者は栞なのだ。仲間たちはそう言って慰めてくれたが、やはり迷惑をかけたことには違いない。それで栞は働いていた施設をやめたのである。
(……みんな、元気でやってるかな……)
半ば逃げるようにしてここに来てしまった後ろめたさもあるが、自分の行動に後悔はしたくない。今は、まだ二日しかたってはいないが、雅也との生活が楽しいのだ。楽しもうと努めている。メイドの格好をしているのも、彼が喜んでくれると思えばこそだ。もっとも、照れているのか知らないが、あまり好評ではなかったようだが……。
「そうだ、ご主人様。ありかさんとの誤解は解けましたか?」
唐突に栞が訪ねてきた。
「えっ? いや、まだだけど……。誤解が解けてたら、今頃君の着る服をもらえてるよ」
「……それもそうですね。すいません、私のせいで迷惑をかけてしまって……」
「もういいって。明日謝って仲直りするから」
「……うまくいきますか?」
「たぶん……」
今日の様子を見た限りあまり自信はないが、やるしかないだろう。
「……あの〜……ご主人様、手紙を書いてはどうでしょうか?」
「手紙?」
「はい。口ではうまく言えないことも、手紙なら伝えられると思うんです」
「……そうか。手紙か……」
今日は話しかけても、まともに口を利いてくれなかった。しかし手紙なら……。
「ふむ。いいかもしれない」
「じゃあ、さっそく書きましょう。私も手伝いますから」
「よし、やるか」
さっそく雅也は、鞄からノートと筆記用具を取り出した。便箋などというものはないので、ノートを一枚破って代わりにする。……しかし、用意はしたはいいが、一体何を書けばいいのだろう。雅也の手はシャープペンを持ったまま動かなかった。
「う〜ん……困ったな」
「何が困ったんです?」
「……正直なことを書いたとして……ありかは信じてくれるだろうか……?」
同居している女の子は、宇宙人が連れてきたアンドロイドだなんて、一体誰が信じるというのだろう。雅也だって、自分がこういう状況でなければ絶対信じなかったはずだ。
「……難しいでしょうね」
と少し考えてから、栞は言った。
「けれど、嘘を付くよりは、やはり正直に話した方がいいと思います。すぐに理解してくれなくても、いつかはわかってくれるはずです」
「いつかじゃ遅いんだけどな……。ま、いいか。嘘はいずればれるもんだし……」
「そうですね、正直が一番です。誠実さを見せれば、きっとわかってくれます」
「……だといいけど」
雅也は彼女と話しながら、手紙を書き始めた。昨日のことを思い出し、こういうことになった経緯をそのまま日記のように書いていく。そして最後に服をくれるように頼んだ。
「よし、できた。どうだ、栞?」
さっそく見せてみると、彼女は困ったように雅也を見た。
「……これでは簡潔すぎませんか? 知らない人が読んだらわかりませんよ」
「そ、そうかな……」
「それと、字はもう少し丁寧に書いた方がいいと思います」
「うっ……」
読み返してみると、確かにその通りかもしれない。
それから一時間。雅也は何度も手紙を書き直し、ようやく栞から合格をもらった。
「ふう〜、手紙なんて書いたの久しぶりだな。手が痛くなったよ」
雅也はため息を付き、シャープペンを置いて手首を回した。
「お疲れさまです。ご主人様の誠意は、ありかさんにきっと伝わりますよ」
「そうだな……」
雅也がありかに何かをするというのは、今まで数回あったかないかというくらいだ。きっとわかってくれるだろう。くれないと困る。
「ま、それはさておき、そろそろ寝ようか。明日も学校あるし、夕方にはまたロボットに乗って戦わないといけないし」
「そうですね。あ、その前に明日のお米をとがないと」
栞は立ち上がって、キッチンに向かった。
「ご主人様は先に休んでいてください」
「いや、俺も歯を磨いたり何だりしてるうちに時間過ぎると思うから」
「あ、そうですね」
栞が米をといでいる間に、雅也は歯を磨き、顔を洗い、トイレを済ませた。それから布団を敷いて服を脱ぐ。
(……う〜ん、しかし……)
昨日もそうだったが、雅也は複雑な気分だった。後ろを向いているとはいえ、やはり女の子の前で服を脱ぐという行為は抵抗がある。しかもパジャマがないため、下着だけの格好で寝なければならない。ジャージでもあればよかったのだが、あれは一着しかない上に学校に置きっぱなしである。しかも汚い。……困ったものだ。
「ご主人様、終わりました」
雅也が布団に入ったとき、炊飯器のセットをした栞が近付いてきた。
「ああ、お疲れさん。君も早く休んで」
「はい。……それで、その……後ろ向いてくれます?」
「……あっ、わ、悪いっ」
恥ずかしそうにうつむいて言う彼女にドキッとしながら、雅也は慌てて後ろを向いた。
静寂の中、しばらくして衣擦れの音が響く。何だか妙に緊張する瞬間だ。
「そ、そこに置いてあるTシャツ着ていいから」
後ろを向いたまま、雅也は指だけを向けて言った。
「はい」
栞はメイド服を丁寧に畳み、下着の上からTシャツを着た。そして電気を消し、布団の中に入ってくる。
「失礼します」
「あ、ああ。……じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
それきり二人は無言になり、息遣いだけが聞こえてくる。しばらくそのままでいると、遠くの方から、救急車のサイレンが聞こえてきた。何だか数が多いようだが、大きな事故でもあったのだろうか。
「……ご主人様」
「え? ……な、何?」
いきなり話しかけられて、雅也はちょっととまどう。
「ありかさんと……仲良くしてくださいね」
「はあ? ……ど、どうしたの、いきなり」
思いがけない言葉に振り向くと、彼女は微笑んだ。
「……あ、あのさ、昨日も言ったと思うけど、俺とありかは付き合ってるわけじゃないんだから」
「はい、知っています」
「…………」
彼女は何が言いたいのだろうか。
「でも、もしいつか付き合うようになったとしても……できれば、私も側にいさせてください」
「…………」
言葉がよく理解できなかった。これは、告白という奴なのだろうか。経験がないから、よくわからないが……。
「あ、あの……栞?」
「あ、すいません。私、変なこと言いましたね」
「いや、いいけど……。未来なんて、どうなるかわかんないぜ」
「……そうですね。ごめんなさい、もう寝ましょう」
「うん」
と言いつつ、二人とも目を開けて見つめ合ったままだった。ぽつりと、雅也は言う。
「……なあ、栞。俺たちって奇妙なきっかけで一緒にいるわけだけど……」
「はい」
「俺、お前のこと嫌いじゃないぜ」
「……私もです」
「寝よう」
「はい」
その日、二人は背中を向け合った昨日とは違い、身を寄せ合って眠ったのだった。
翌朝、八時五分。いつもなら五分前に出かけるのだが、雅也はまだ家でテレビを見ていた。朝のニュースは、昨日夜中に起きた自動車の衝突事故を報道している。その場所が割と近所なので、やはり昨日のサイレンはこの事故のもののようだ。
それはともかく、この時間になってもありかは来ない。一応待ってみたのだが、これ以上は遅刻してしまう。あきらめた方がいいだろう。朝に彼女の顔を見れないというのは、何だか妙に寂しい気がする。
「……さてと、もう行かないとな」
雅也は鞄を持って立ち上がった。この中には、栞の作ってくれた弁当も入っている。
「おお、そうか。帰りには忘れずに二人を連れて来るんだぞ」
今日も朝食を食べにきたディオが、ご飯を口にしながら言った。
「ああ、わかってる。……じゃあ、栞。行って来るから」
「はい。いってらっしゃい、ご主人様」
雅也は彼女と笑顔を交わして、部屋を出ていった。
「……なあ、栞」
彼女がテーブルに戻るのを待ってから、ディオは今朝から思っていたことを訪ねてみた。
「お前たち、昨夜何かあったのか?」
「え? どうしてですか?」
「……見た目には昨日までと変わらないが、何というか……そう、自然な感じになった」
「自然な感じ……ですか?」
栞は小さく首を傾げた。
「そうだ。昨日までは、交わす笑顔もどこかぎこちなかったからな。それが今朝になったらなくなっていた。これは何かあったと考えるのが当然だろう」
「…………」
普段は冗談ばかり言っている彼だが、意外にしっかり観察しているものである。
「しかし管理局からは何の連絡もないことからして、セックスをしたわけではないようだが……」
「もう、ディオさん……すぐにそういうことに結び付けないでください」
栞は苦笑した。
「そういうことじゃなくてですね……。昨夜は、雅也さんと色々お話をしたんですよ。その結果、同居人として打ち解け合えた……とうことでしょうか。私が勝手にそう思っているだけかも知れませんけど」
「……ふぅん、なるほどね。よかったじゃないか、仲良くなれて」
ずずず、とディオはみそ汁を飲んだ。
「はい。……あの、おかわりします?」
「いや、いい。それよりいいのか? 打ち解け合ったといっても、このままではただの家族だ。もし彼とありかさんが付き合うようなことにでもなったら、お前の存在は邪魔でしかないぞ」
「……そのときはそのときですから。仕方ありませんよ。私はこのままでも十分です」
「健気だね。……呆れるくらい」
「そうでもないです……」
昨日は思わず、ありかと交際しても側にいさせてほしい、と言ってしまったくらいだから。そのとき、自分は邪魔者になるとわかっているのに……。
「ごちそうさま」
朝食を終えたディオは、茶碗を重ねて立ち上がった。
「今日は準備もあるから、早く帰るよ」
「そうですか」
と、玄関まで見送ったとき、彼は振り返って言った。
「栞……恋愛は自由だぞ」
「はい?」
「ありかさんに気兼ねすることはない。押しの一手あるのみだ」
「……ディオさんは、そうやって奥さんを口説いたんですよね?」
「その通り。さらに私の場合、この美貌も手伝ってそれはもうあっさりと……」
「も、もういいです。何度も聞きましたから」
「……そうか、残念だ。今度雅也くんにでも話してやるかな」
笑みを浮かべ、自慢げに言うディオだが、実は彼の話はかなり誇張されている。彼をよく知る者の話によれば、奥さんを口説くのにかなり苦労をしたらしい。栞はそのことを彼の知人から聞いているのだが、本人には気を利かせて黙っている。
「ディオさんが結婚していると知ったら、驚くでしょうね」
「そうだな。ま、彼には色々とテクニックを伝授してやるとしよう」
顎に手を当て、彼はにやりと笑った。一体、何のテクニックだか……。
「は、はあ……」
と、栞は苦笑するしかない。
「まあ、それはともかくだ。遠慮なんかしていたら恋は叶わないぞ。わかってるな?」
「はい。……でも、私は私なりのペースでいきますから。心配しないでください」
「……そうか、わかった。これ以上余計なことを言うのはよそう」
「……すいません」
「じゃあ、今度は本当に行くが……困ったことがあったら、遠慮なく言ってくれよ」
「はい。ありがとうございます」
ディオは微笑み、ドアを開け、自分の部屋に戻っていった。
「……ディオさん、意外に世話好きなんだから……」
呟いて、栞は玄関に鍵をかける。彼は恋には押しが大事だと言うが、一概にそうとは言い切れない。恋愛には様々なケースが存在するのだから。
栞の場合もそうだ。今の段階では、告白するのはまだ早いだろう。それに……。
「一目惚れなんて……自分でも、まだ信じられない……」
彼女にとって、それは初めての気持ちだった。行動を起こしてここまで来たはいいが、どこかでまだ整理しきれていない部分があるのだ。
「……でも、雅也さんを好きなのは確かだと思う」
気持ちを伝えるのは、もう少し落ち着いてからでいいだろう。
栞はキッチンに行き、食器を洗い始めた。
八時三十分。雅也が教室に入ったと同時に、予鈴が鳴った。
「……危ないなあ、もう少し遅く出ていたら、遅刻するところだった」
教室を見回すと、潤と健介、ありかの姿があった。二人が昨日アンドロイドとどう過ごしたのか、聞いてみたいところだが、今は時間がない。後回しにして、まずはありかの用事を済ませることにした。
「お、おはよう、ありか」
自分の机に鞄を置き、とりあえず隣の彼女に挨拶をする。ありかはちらっと雅也を見ると、素っ気なく言った。
「……おはよ」
「ほっ……」
「……何ほっとしてんのよ」
「いや、無視されるかもしれないって思ってたからさ……」
「別に喧嘩してるわけじゃないんだから、無視なんかしないわよ。クラスメートなんだし、挨拶くらい普通でしょ」
「うっ……」
雅也は顔をひきつらせた。近所に住む親しい友人から、ただのクラスメートに格下げされている。……これは、喧嘩しているときより厄介かもしれない。だがしかし、ここは何としてでも元の二人の関係に戻す必要がある。栞のため……もあるが、何より、いつまでも彼女とこの状態が続くのは嫌だった。
「……あ、ありか、これ」
雅也はポケットから昨日書いた手紙を出すと、すっと机の上に置いた。封筒ではなく、ノートの一枚を折り畳んだだけのものである。
「……何、これ?」
「とにかく読んでくれ」
そう言って、雅也は視線を反対側に向けた。
「…………」
しばしの沈黙の後、彼女が手紙を読み始めたのを気配で感じる。そのとき、丁度担任の先生が教室に入ってきて、朝礼が始まった。しかし雅也は先生の話などほとんど筒抜けで、耳はありかの方に集中していた。
(……あ、何か書いてる……)
ペンを走らせる音が、ものすごく気になる。振り向きたいが、ここは我慢だ。
やがて朝礼が終わり、先生が教室を出ると、とんとんと肩を叩かれた。雅也が振り向くと、彼女から手紙を差し出された。無言で正面を向いたまま、というのが気になるが、とりあえず受け取って読んでみる。
「えーと……」
手紙を開き、上から自分の文章を追っていく。すると、一番最後の文章の下に、短い文章が書き加えられていた。そこには……、
『バカ。言い訳ならもっとましなこと考えなさい』
「…………」
雅也は十秒程、固まっていた。何度読み返したところで、そこにある文章は変わらない。
「あ、ありか、何だよこれっ」
「何って……そのままの意味に決まってるじゃない」
「あのなあ……。ま、まあ確かに、突然そんな話信じろって方が無理かもしれないけど、でも今までお前に嘘なんか付いたことないだろう?」
「……そうだけど。でも今嘘付いてるじゃない」
「だから、嘘じゃないんだって……」
「信じられるわけないでしょっ」
ありかは雅也を見据え、思わず口調を強めた。
「ディオさんが宇宙人で、昨日の女の子がアンドロイドだなんてっ。しかも何なの? 別の宇宙人が地球を侵略するのを防ぐために、ロボットに乗って戦っているっていうのは。小学生だって、もう少しましな言い訳するわよっ」
「…………」
「…………」
二人は無言のまま見つめ合う。このままありかと口論していても、何か証拠でも見せない限り、一生かかっても信じてくれないだろう。
「……仕方ない」
「何よ?」
「今日、家に来てくれよ。そうすればきっと信じると思うから」
「…………」
「どうする? それとも、それすら嫌か?」
「……わ、わかったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
ありかはいかにも不満そうに唇を尖らせ、ぷいと顔を背けた。
「そうか。今日はバイトもあるから、六時までには来てくれよ。服の方も頼むな」
「はいはい……」
仕方のなさそうな返事。だが、これで仲直りのきっかけはできた。まずは一安心だ。
「ところで……」
とありかは話題を変えてきた。
「手紙の内容はともかく、雅也くん、栞っていう子と暮らすことになったんでしょ?」
「……だ、だから何だよ」
彼女は周囲を気にして、顔を近付けて囁いた。
「……もしかして、一緒に寝てるの?」
「うっ……そ、それは……」
否定したいところだが、彼女に嘘は通じない。ありかも確認の意味で質問したのだ。
「……やっぱりそうだよね。布団一つしかないんだし……」
「で、でもな、誓って言うけど、彼女には何もしてないぞ。本当だぞ」
「別にいいわよ、どっちでも。雅也くんが誰と何しようと、あたしには関係ないし」
「関係ないって……今更何言うんだよ」
「……そうね。考えてみれば、どうしてなんだろ……」
ありかは視線を宙に這わせ、自問するように言った。
「雅也くん、何であたしに言い訳してるの?」
「そ、そういうありかこそ、何で怒ってるんだよ?」
「…………」
「…………」
二人は無言で見つめ合っていたが、そのとき鳴ったチャイムの音と共に、慌てて視線をそらした。
「と、とにかく、今日は部屋に行くから」
「あ、ああ」
その後すぐに先生が来て授業が始まったが、二人は意識して互いを見ないようにしていた。
休み時間になると、雅也は窓際の潤と健介の席へ行った。
「よう、雅也。神村さんと何やら言い合っていたけど、仲直りしたのか? それともさらに状況が悪化したとか?」
「だから、別に喧嘩してるわけじゃないって言ってるだろう」
ありかに嘘は付かないが、潤には嘘を付く雅也である。
「それより、二人とも昨日はどうだったんだ? 親にばれなかったか?」
「ふっふっふっ……それなら心配いらん。彼女には猫に変身してもらったからな」
「猫か……。ま、妥当なところだろうな。で、名前は登録したのか?」
「もちろん。カスタという地味な名も、俺のセンスにかかればイチコロさ」
潤は格好付けて肩をすくめてみせた。
「……一体何がどうイチコロなのか、よくわからんが……とにかく何て名前にしたんだ?」
「キャシーだ」
「……キャ、キャシー?」
雅也はぽかんと口を開けた。
「そう、キャシー。俺は昨日、彼女の髪の色は目立ちすぎるから、外出のときは金髪にするようにしてもらったんだ。あれだけのプロポーションに金髪とくれば……名前はキャシーしかないだろう!」
「……お前……妙な偏見持ってるな」
カスタという元の名前の方が数倍ましだと思うのだが、登録してしまった以上、変えようがない。
「それにしても、よくそんなので彼女がオーケーしてくれたな。昨日見た感じ、結構性格きつそうだったけど……」
雅也としては、キャシーなどという中学生の英語の教科書に出てくるような名前で、彼女が納得するとは思えないのだが。
「そんなのとは失礼だな、雅也。キャシーは俺に惚れてるから、言うことは何でも聞いてくれるんだ」
「それは嘘だ」
「嘘とは何だ」
「だって、昨日お前下僕になるとか言ってたじゃないか」
「うっ……」
「……もうその辺にしておけ、杉崎」
窓の外を眺めていた健介が、笑みを浮かべて言った。
「後で恥を掻くことになるのは君だぞ」
「う、うるさいなあ。いいだろうが」
「雅也、キャシーは日本語を覚えたが、文化までは知らないということだ。杉崎はそこに付け込んだんだ」
「なるほどね」
キャシーという名が日本ではセンスの良い名だと言えば、彼女は納得するしかないだろう。
「こら、健介っ。付け込むとは人聞きが悪いぞっ。お前だって人のことは言えないだろうがっ」
「僕の場合はだましたわけじゃない。いくつか候補を上げた中から、彼女に選んでもらったんだ」
「ふ〜ん……それで、健介はどんな名前にしたんだ?」
健介が連れ帰ったアンドロイドは確か、イシスという十二歳くらいの少女だったはずである。
「ハナコだ。良い名だろう」
「ハ、ハナコ……?」
それを聞いた途端、雅也の頭にある予想が思い浮かぶ。
「健介……もしかしてお前、彼女を犬に変身させたのか?」
「ほう、よくわかったな」
「そ、そりゃあ、まあ……な」
ついこの間、小さい頃から飼っていたという犬のタロウが死んだばかりなのだ。それでハナコという名前を出されれば、どんな動物に変身させたのか、予想は付く。
「ま、まあ、名前のことは本人たちが納得してるんだから、俺がどうこう言うことじゃないけどさ……。それより、忘れてないよな? 今日の放課後、宇宙人と戦うんだぞ?」
「もちろん、忘れてなどいない。学校から真っ直ぐ君の家に行けるよう、ハナコには学校まで来るように言ってある」
「俺の場合は、本人がどうしても迎えに来たいと言って聞かなくてな……」
「潤、見栄は張らなくていいぞ」
彼の話はいつも五割増しで誇張されている。
「見栄じゃないっ」
「……それはともかく」
「おいっ」
文句を言いたがる潤は置いておき、雅也は訪ねた。
「二人とも、この異様な状況に抵抗はないのか?」
「異様な状況……とは、僕たちが宇宙人と戦うことについてか?」
と健介。
「ああ。だって、普通じゃ考えられないようなことを俺たちは体験しているわけだろ? それにもしかしたら今日死ぬかもしれないんだぜ?」
「確かに……抵抗がないと言ったら嘘になる。だが、現実逃避をしても仕方がないだろう。ディオさんの言いなりになるのは気にくわないが、自分の身を自分で守れるんだ。感謝しなくてはな」
「う〜ん……地球が侵略されるとどうなるのか知らないけど、俺の場合はとにかく綺麗なおねーちゃんがもらえてラッキー、ってとこだな」
にやりと笑って言う潤の答えは、いかにも彼らしい。
「なるほどな……。結構考えてるわけか……」
二人には昨日一日あったから、心の準備ができているのだろう。雅也の場合、話を聞いてすぐに戦わされたから、考える暇などなかったが。
「ま、ディオがいなかったら今頃地球は侵略されてるところだし……。二人とも、頑張って地球を守ろうぜ」
「……何の話だ? 地球を守るって?」
ふいに通りがかった男子に話しかけられた。どうやら今の会話が聞こえたらしい。
「い、いや、別にたいした話じゃないよ」
説明したところで信じないだろうし、面倒なのでそう言ってごまかしておく。
その男子は三人の顔を見比べた後、はっとしたように目を見開いた。
「……も、もしや! お前らスーパーヒーローごっこをしているのでは!?」
「んなわけあるかっ!」
と、こんな誤解を受ける恐れがあるので、これ以降三人は、できるだけ教室でこの話をしないことにしたのだった。
そして、授業が終わり、放課後になった。掃除当番の雅也を、今日は二人とも待っていてくれる。掃除が終わると、暇を待て余している何人かの生徒が席に着き、雑談をし始めた。その中にはありかもいて、三人で窓側に座っている。
雅也は彼女に近付き、話しかけた。
「ありか、帰らないのか?」
「大丈夫よ、ちゃんと行くから」
簡潔な答えに、「そうか」と頷き、雅也たちは教室を出ていった。彼らの姿がなくなると、隣にいるショートカットの女子が含み笑いをしながら言った。
「ねえねえ、ありか。どうなのよ、彼とは。何か進展あったの?」
「ゆ、由紀ちゃん、またその話をする……。何もないってば」
ありかは顔をひきつらせて否定する。この話題は暇さえあればされるので、いい加減食傷気味だ。
「な〜んにもないわけはないでしょ? いくら近所だからって、あんたたち仲良すぎよ? 名前で呼び合うわ、一緒に登校してくるわ、席は隣同士だわ……」
「せ、席は関係ないでしょ。別にいいじゃない、友達なんだし」
まさか弁当まで作っていたとは、さすがに彼女も気付いていない。
「友達ねえ……。怪しいよね〜、香奈」
と由紀は、もう一人の女子に訪ねる。三つ編みで、おとなしそうな少女だ。
「う、うん……。あたしも怪しいと思う」
「もう、香奈ちゃんまで……」
「だってありかちゃん、結構男の子から告白されたりするのに、みんな断ってるでしょ? それってやっぱり、彼のためかなって思うし」
「違うってば〜、好みのタイプじゃなかっただけ」
「またまた〜。ありかは待ってるのよね、彼から告白されるのを」
「あ、あのねえ……決め付けないでくれる?」
「でもそれじゃ駄目よ〜。待ってるだけじゃ、恋は実らないんだから〜」
「経験者は語るのよね、由紀ちゃん」
「……話聞いてよ……」
二人はすっかり盛り上がってしまっている。この話題になると、長くなるから厄介だった。
「はあ……」
とありかはため息を付いた。
「ん? 何だ?」
昇降口を出ると、校門に人が集まっているのが目に入った。しかも男子ばかりである。気にしながらも、先に自転車を取りに行ってからそこに向かうと、原因はすぐにわかった。
「ああっ、キャシー!」
「ハナコ……」
潤と健介の言った通り、学校まで迎えに来た二人は、男子生徒たちにナンパされていた。といっても、さすがに小学生のようなハナコより、大人っぽいキャシーの方に人気は集中していだが……。
「こらこらこらーっ!」
潤は大慌てでダッシュし、人を掻き分けキャシーに近付いた。
「みんなシッシッ! 彼女は俺の女なんだから、近付くな!」
突然現れた潤に、一瞬呆気に取られたものの、しかしそんなことで男子たちが納得するわけがない。
「何なんだ、お前は!」
「お前こそあっち行け!」
「自分の女だって言うなら、証拠見せてみろ!」
「しょ、証拠……というと、や、やっぱ、キスしてみるとか?」
にやり、と笑みを浮かべる潤。しかし、彼は男子たちから一斉にどつかれた。
「そーじゃねえだろ!」
「証言だ、彼女の証言を取れ!」
「しょ、証言か……。よし、わかった」
潤はキャシーに向き直り、訪ねた。
「キャシー、答えてくれ。君は俺の女だよな?」
しかし、キャシーはあっさりと首を振った。
「…………」
しん、と静まり返る一同。
「え、え〜と……はっ」
呆然となっていた潤は、自分が男子たちから睨まれていることに気付いた。
(ま、まずい! でもどうしようもない!)
この場を何とかするには、キャシーが自分との仲を認めてくれるしかない。しかし一旦否定したことを、彼女が取り消してくれるとは思えなかった。
(う、ううっ……)
深い絶望感が潤を包み込む。だが、そのとき。
「みんな、私は彼の恋人ではないけれど、用事はあるの。だから、これで失礼するわ」
「えっ……?」
惚けた顔でキャシーを見る潤。彼女は吸い寄せられるような切れ長の目で潤を見ると、
男子たちの間を抜け、歩き出した。
「ほら、さっさと行って用事を済ませるわよ」
「あっ……は、はいっ! やっぱりキャシーさんは俺に惚れていたんですね!」
「バカ、調子に乗らないで。さっき言ったように、私は早く用事を済ませたいだけなの」
「理由は何でもいいでーす!」
潤は慌てて彼女の後を追いかけた。
「美人のお姉さーん! また来てくださいねー!」
本人に言われては諦めるしかない男子たちは、名残惜しそうに手を振って見送った。
「気が向いたらね」
とキャシーは手を振り返した。
「……俺たちも行くか、健介」
「……そうだな」
その場を動かずに様子を見ていた雅也と健介は、疲れた顔で校門を出た。
「ハナコ、おいで。もう行くよ」
「はーい」
と明るく返事をして、ハナコは健介のところへ駆け寄った。
「おにーさんたち、バイバ〜イ」
何だかごたごたしてしまったが、ともかく彼らは、ようやく雅也のアパートに向かうことができたのだった。
「だからね、ありか。加瀬くんには、どんどんアタックした方がいいと思うのよ」
「その話はもういいってばぁ……」
由紀と香奈の恋のアドバイスとやらを、ありかは疲れた顔で聞いていた。早く終わらないかなと思っていると、突然、誰かが廊下を全力疾走してきて、この教室に入ってきた。
「あ、柚流ちゃんだ」
「え? 確か、柚流は帰ったはずじゃ……」
見ると、ぜえぜえと息を切らせながら、ポニーテールの少女がこちらに近付いてくる。
「どうしたの? そんなに息切らせて」
「た、た、大変なのよっ!」
彼女はばん、と手で机を叩いた。
「な、な、何が?」
興奮した様子の彼女に、ありかたちは身を仰け反らせる。
「校門のところにね、すごい美人がいたのよ!」
「……そ、それがどうしたの?」
わざわざ戻ってきて報告することだろうか、と三人は顔を見合わせる。
「美人がいただけなら、別にいいのよっ。ただ、問題なのが、その人があの杉崎くんの知り合いみたいなのっ! しかも本人は俺の女だって言ってるのよっ!」
「なっ……!?」
驚愕する三人。杉崎潤といえば、つい先程まで加瀬雅也、沢口健介らと共にこの教室にいたのだ。嘘は付いていないだろうが、しかし……。沢口健介なら、性格は暗いがルックスはいいのでまだわかる。加瀬雅也はありかがいるから置いておくとして……。よりによって、あの体力だけが自慢のしょうもない男、杉崎潤が美人と一緒にいるとは。同じクラスの女子としては、とても信じられないことであった。
柚流は息を整えながら、笑みを浮かべて言った。
「ど、どう? 急いで戻ってきただけの価値はあったでしょう?」
「……た、確かに……」
「あとね、その美人の他に、魔法使いみたいな格好した小学生くらいの女の子もいたけど……こっちはどうだったかな。すぐに戻ってきたからどういう関係かわからなかったけど……」
「……魔法使いみたいな女の子……?」
柚流のその言葉で、ありかは今朝の雅也の手紙を思い出した。確か、健介がそのようなアンドロイドをもらったとかいうような内容だったような……。とすると、潤と一緒にいたという美人も、アンドロイド……?
「そんなまさか……」
「何がまさかなの?」
「え? あ、その……ね、ねえ、柚流ちゃん。その人たちまだいるかな?」
「う〜ん、わかんないけど……いるかもね」
「じゃあ、いってみない? どんな人だか見てみたいし」
「そうね。杉崎くんの自称俺の女がどんな人か、興味あるわね」
そんなわけで、ありかたち四人は急いで校門の方へ行ってみたのだが、既に生徒たちは閑散としており、例の美人や潤たちの姿はなかった。
「……どうやらもう帰っちゃったみたいね」
「あーあ、見てみたかったのに……」
残念がる香奈と由紀をよそに、ありかは考えていた。
(……雅也くんの言ったこと、本当なの……?)
確認はできなかったが、柚流の言った女性二人の外見は、手紙の内容と一致する。雅也たち三人が女性と一緒にいるというのも、今まで考えられなかったことだ。しかし、これでは決定的な証拠にはならないし、ありかも半信半疑のままである。だが、一度気になり始めたらもうそのことが頭から離れず、確かめずにはいられない。
「あ、あたし、もう帰るね」
「え? ちょっとありか?」
「用事を思い出したの。ごめんね、また明日」
ありかは小走りになって、自転車置き場に向かった。急いで帰って、雅也のところへ行くために。
「ねえねえ、みんな急がなくていいの?」
雅也たちが自転車を押しながら歩いていると、ハナコがそんなことを言い出した。確かに、このペースでは家に着くまでに一時間近くかかってしまうだろう。
「でも、君たちを後ろには乗せられないから……」
それに、まさか走らせるわけにもいかないし、と雅也が言うと、
「大丈夫、そんな心配いらないよ」
とハナコは笑顔を浮かべた。
「ねえ、キャシー?」
「そうね。この辺りの散策は昨日と今日で大体済ませたから、見て回る必要もないし……。私は構わないわよ」
「……あ、あの……キャシーさん。一体何の話を……?」
潤が控えめに訊ねる。
「私たちフレイルには、変身能力の他にもいくつか機能があって、高速移動することもできるのよ」
「だからね、あたしたちに遠慮なんかしなくていいよ」
「な、なるほど。……でもいいのか? こんな町中でそんなことして」
アンドロイドが高速移動すると言うのだから、普通の人間よりは断然速いに違いない。人がそんな速さで走れば注目を浴びないはずはなく、騒ぎになるのは目に見えている。
「大丈夫よ」
と心配する雅也に、キャシーは言った。
「私、昨日も高速移動したけど、誰にも見付からなかったから」
「……それは、夜中だったんじゃないのか?」
「まあ、そうだけど……」
「いいじゃないか、雅也。キャシーさんも大丈夫だって言ってるんだから」
そう言って、潤は自転車にまたがった。
「俺も歩いて行くのは嫌だったし、丁度いいだろ?」
「……確かに、このままでは着くのが遅くなってしまうな」
と健介。腕時計を見ると、今は午後四時。戦闘にどのくらいの時間がかかるかわからないが、あまり帰りが遅くなると、家族が心配する。
「じゃあ頼むよ、ハナコ。でも人に見られないよう気を付けてくれ」
「うん、わかった。気を付けようね、キャシーちゃん」
「ちゃんは付けないで」
馴れ馴れしいハナコに、彼女は素っ気ない。
「別にいいじゃない」
「……呼び捨てでいいわよ」
「ふ〜ん……。キャシーって、照れ屋さん」
「あのねえ……」
ハナコと話していると、キャシーは何だか力が抜ける。
「ま、とにかく、あたしたち先に行ってるから」
ハナコはにっこり笑って手を振った。
「えっ……?」
と聞き返すと、その答えもないまま、突然ハナコとキャシーの黒髪が、それぞれ元の水色と藍色に戻った。かと思った次の瞬間、二人の姿が掻き消える。そして、状況を把握できないでいる彼らの後ろから、ものすごい衝撃の空気の塊が襲ってきた。
「どわっ!」
三人とも足が浮き上がり、数メートルは吹き飛ばされる。自転車を持ったままだったので、受け身も取れずに倒れてしまう。痛みに顔をしかめつつ、目を見開いて前を見ると、街路樹が大きく揺れ、枝が折れていた。歩いていた人も、雅也たちと同じように倒れている。だが、それくらいは軽い方だった。道路では、走行中に突然激しい突風を受けた車が、何台も横転していたのである。そして、向かい側から来た車と衝突するという、大事故になっていた。
「…………」
「…………」
「…………」
三人は、呆然と口を開けたまま、目の前の現実を見ていた。道路では車が止まり、大騒ぎになっている。怪我は確実……もしかすると死人も出ているかもしれない。
「こ、高速移動って……光速移動の間違いなんじゃないか……?」
「か、かもな……」
「な、なあなあ、おい! これって、俺たちのせいじゃねえよな!?」
さすがに焦った潤が、二人の顔を交互に見て、否定を求めている。だが、直接ではないにしろ、間接的には三人のせいだろう。もっとも、こんなことになるとは予想もしていなかったから、不慮の事故なのだが。
「……と、とりあえず……救急車を呼んだ方がいいだろうな……」
「あ、ああ……」
三人は起き上がり、電話ボックスを探した。そして電話をかけながら、雅也は昨日の夜に起きた衝突事故も、きっとキャシーのせいなのだろうと思った。
「あ、おかえりー」
雅也たちがようやくアパートに到着すると、水色の髪のハナコが笑顔で出迎えてくれた。しかしその笑顔に応えるほど、今の三人は元気がない。表情は暗く沈み込んでいる。ここに来るまでに衝撃で破壊されたものを大量に見てきたのだから、それも仕方がないが。
「ハナコ……それからキャシー……」
雅也はドアの前に立つ二人に、疲れた顔で言った。
「今後、高速移動を使うことは一切禁止にする」
「えっ?」
「どうしてよ?」
「どうしてって……わかんないのか? お前らがそれを使ったせいで、大事故が起きてるんだぞ!」
そう言って雅也は、ここに来るまでのことを話して聞かせた。
「……不便ねえ……」
「……でも、しょうがないよ。ここはナスタークじゃないんだから」
二人は渋々ながらも承知してくれた。それにしても、先程の高速移動を使っても問題が起こらないとは、ナスタークというのは一体どんな星なのだろうか。雅也には想像もできなかった。
「ま、とにかくそういうことだから注意してくれよな。わかったら、早くディオのところへ行こう。俺たちのこと待ってるはずだから」
「はーい」
返事をしたのは、一人元気なハナコだけだった。他の者は無言で進んでいく。雅也は栞を連れてきてから、ディオ・クレイスの部屋の呼び鈴を鳴らした。しばらくすると、相変わらず同じアロハシャツを着た彼が出てくる。
「やっと来たか。結構遅かったな」
「まあ、色々あってな……」
はあ、と雅也はため息を付く。
「……何があったか知らないが、君たちがそんな調子だと地球を守ることはできないぞ」
「……わかってるよ。……そうだ栞、みんなにお茶を入れてくれないか? きっと落ち着くと思うから」
「そうですね。……でも、道具が何も……」
「うっ……確かに……」
ディオの部屋にはコンピューターと転送装置以外、全く何もない。かといって、雅也のところにも人数分のお茶を用意できるほど、お茶の葉も湯飲みもなかった。
「……仕方ないな。私が用意してやろう」
「え?」
意外な言葉に驚きながらも、ディオの様子を見ていると、彼はコンピューターを使い始めた。しばらくすると転送装置が光り、人数分のお茶の葉と湯飲み、そして急須とポットが現れた。別に変わったところはなく、デザインも何も日本にあるものと同じである。
「栞、これで入れてくれ」
「あ、はい」
栞はさっそく急須にお茶の葉を入れ、湯を注いだ。その様子を見ながら、雅也はディオをじろりと睨む。
「ディオ……こういうことができるなら、うちの食事も何とかしてくれ」
「いいじゃないか、別に。気にするな」
「気にするから言ってるんだよっ」
「その話なら今朝もしただろう。そのうち何かやるからって」
「本当かねえ……」
どうも信用できない。
「とにかく、今問題なのは食事がどうとかではない。これからウィルラーダとの戦闘が始まるんだ。もう少し気合いを入れてくれ」
「わかってるよ……」
「そうそう。そのことで質問があるんだけど」
キャシーが前に出て訊ねた。
「昨日は聞くの忘れてたけど、私たちが乗るロボットはどういう奴なの?」
「ああ、そのことか……」
ディオはさりげなく目をそらした。
「私たちが乗るんだから、当然最新型よね?」
「あたしも最新型がいいなー。んーとね、希望としては、デイストか、リクレスがいいんだけど」
「…………」
ディオは無言でコンピューターを操作し始めた。そして画面に青と黒の二体のロボットが現れる。青がシルネオン、黒がデュハルトという名前だった。
「あ、ラディストに似てる……」
画面を見て、雅也は呟いた。カラーリングや細かな部分は違うが、この二体は間違いなくラディストと同型機だろう。
「ん?」
ふと隣を見ると、キャシーとハナコが顔をひきつらせているのが目に入った。
「……こ、これは……」
「ま、まさか、あたしたちが乗るのこれ……?」
「その通り」
ディオははゆっくりと頷いた。
「……へえ、格好いいじゃないか。あの、これが何か問題でも……?」
自分は気に入ったらしい潤が、キャシーに訊ねる。
「あるに決まってるでしょっ」
「す、すいませーんっ」
彼女に睨まれ、潤は身を縮こまらせて謝った。
「健介くん……あたし、これに乗るのやだ」
ハナコが健介の袖を引っ張り、訴えた。
「どうして?」
「だって……これって修理はしたみたいだけど、二百年くらい前に造られて、スクラップになってた奴なんだよ。しかも機体が傷付くと、同乗するアンドロイドにまで痛みが伝わるという最低最悪のタイプ……」
「そ、それは確かに……」
ちょっとひどいかもしれない。
「……ということは栞、もしかしてラディストもスクラップだったのか?」
「そうみたいです」
雅也の問いに、栞は一旦ディオの反応を見てから答えた。
「ちょっとあんた、どういうつもりよ? 私にこんなものに乗れっていうの?」
キャシーは悔しそうに唇を噛んだ。一度契約をした以上、取り消せないのは彼女にもわかっていたからだ。
「まあまあ。今は新品同様なんだし」
「そういう問題じゃないわよ。どうせ痛みを伝える装置まで直してあるんでしょ? あれを外してよ」
「それはできない。いいじゃないか、その方が緊張感が出るだろう」
「他人事だと思って……」
「安心しろ。その装置を使うのは今回だけになる可能性もある」
「え……?」
「つまりだ」
ディオは笑みを浮かべて話を続けた。
「勝てばいいんだ。それも、全くダメージを受けずにな」
あまりやられずぎて、痛々しくなるのは視聴者に受けないのである。かといって、数回ダメージを受けたくらいでは、勝負の面白さを増す結果となる。だから、そんな装置など意味を持たないと思わせるくらいに、圧勝すればいいのだ。
「そうすれば、次回からは外せるように私が何とかしよう」
「……本当でしょうね?」
「ああ」
その代わり、また別の装置を取り付ける可能性はあるが、とディオは心の中で呟く。
「……わかったわ。潤、ダメージ受けたら承知しないわよ」
「ははっ、了解しました」
「……じゃあ、しょうがない。あたしも今回だけ我慢する……」
「二人で頑張ろう、ハナコ」
健介は頭を撫でた。
「うん、頑張ろう健介くん」
「おい、ディオ。そういうことならラディストの装置も外してくれよな」
「わかったわかった」
面倒そうに答えて、ディオは次の準備をしている。
「あのー……みなさん、そろそろお茶を飲みませんか?」
全員の分を入れ終えても、話に夢中で誰も飲まないので、栞はちょっと寂しそうな顔で言った。
「あ、ごめん。飲むよ、飲む」
「ああ、おいしいなー」
「そういうことは飲んでから言え、杉崎」
そんなわけで、しばしティータイムとなった。
「……それにしても、あなた栞だっけ? よくあんな機体に文句も言わずに乗ってたわね」
キャシーが呆れ顔で言う。
「私も痛いのは嫌ですけど、その方が頑張れる気がしましたから……」
「はあ……よくやるね」
「栞……お前が無理する必要はないんだぞ」
「いいんですよ、雅也さん。私もあなたと一緒に戦いますから」
純粋な瞳を向けられ、雅也は苦笑した。
「まいったなあ……」
「あはは、そこまで人に尽くせるなんて、あなた幸せね」
「はい」
栞は素直に微笑んだ。
「……ねえねえ、健介くん。健介くんもああいう風に尽くしてほしい?」
「ハナコはそのままでいいよ」
「俺は尽くしてほしい〜っ」
「うわっ、杉崎っ」
健介の後ろから、潤がもたれかかってきた。
「キャシー、俺に尽くしてくれ〜」
「尽くすのは下僕のあんたの方でしょ」
「ううっ、そうでした〜」
自分から下僕になると言ったものの、やはりちょっと嫌らしい。
「おい、みんな。ふざけている時間はないぞ」
一人コンピューターで作業していたディオが、振り向いて言った。その言葉に、皆は静かになる。
「これからバリアに穴を開け、敵を誘い込む」
そう、いよいよウィルラーダとの戦いが始まるのだ。雅也にとっては二回目の、潤と健介にとっては初めての戦闘である。
「よぉぉーし! やってやるぜ!」
前転して起き上がり、潤は拳を突き上げた。普通ならここで「おーっ!」と皆も拳を突き上げるのだろうが、彼以外誰もそんなことはしなかった。
「さ、寂しい……」
潤はへなへなと崩れ落ちた。
「……ま、ともかく、さっさと穴を開けることにしよう」
彼のことは視界から外し、ディオは地球を覆うバリアに、日本領土くらいの大きさの穴を開けた。それも、ウィルラーダに発見しやすいよう、彼らの船の停泊位置に向けるというサービス付きである。現在、彼らはバリアの調査はしていないが、異変が起こればすぐに駆け付けてくるだろう。
「さあ、これでもう時間がないぞ。潤くんに健介くん、覚悟はいいな?」
「覚悟って……あの、ロボットに乗る練習時間は?」
潤が不安そうに訊ねた。
「そんなものはない」
ディオはあっさり答える。
「そ、そんなっ、無茶だっ」
「大丈夫。君たちのマシンの方が性能は上だし、優秀なアンドロイドも付いている」
「……う、う〜ん、それなら何とか……」
「言っておくけどね、潤。私に痛い思いさせたら、すぐにあの家出ていくわよ」
わずかな希望を持った潤の後ろから、キャシーがそっと囁いた。
「あうっ……き、厳しいです、キャシーさん……」
「それが嫌なら何とかするのね。私だって来たばかりでまだ帰りたくないんだから」
「えっ……そ、それって」
目を輝かせる潤に、キャシーはじろっと睨み付けた。
「変な勘違いしないでね」
「は、はい……」
と潤は身を縮こませる。残念ながら、彼女の表情に照れは感じられなかったが、とりあえず頑張ろうと思った。これからも一緒にいられれば、きっとチャンスも出てくるはずだ。
「健介くん、あたしたちも頑張ろうね」
ハナコが手を握ってきた。
「ああ。多少の不安はあるが、何とかなるだろう」
「うんうん。前向きな姿勢でいれば、きっといいことあるよ」
「……そうだな」
と健介は微笑む。一瞬、犬のタロウが死んだときのことを思い出した。あのときは一週間も落ち込んでしまったが、そんなことをしても状況は少しも良くはならないのだ。だから前向きに。前向きでいれば、生きることがきっと楽しくなる。
(タロウ……僕は頑張るよ)
健介は、十年間一緒だった彼に、心の中で祈りを捧げた。
「……これで、俺たちも少しは楽になるのかな」
ずずず、と二杯目のお茶を飲み、雅也は隣に座る栞に言った。
「さあ、どうでしょうね……。ディオさんのことですから、苦しくなることはあっても、楽になることはないと思いますけど」
「だろうな……」
ため息を付く雅也。
「ふふふ……」
そんな思惑をよそに、ディオは髪を掻き上げ、意味ありげに笑みを浮かべたのだった。
第四話
「何? 本当なのか?」
ベッドに横になったまま、ラルセカーツは思わず聞き返した。寝室で休んでいると、地球の観測を続けていたオペレーターから、緊急の通信が入ったのだ。相変わらずデータは取れないままだが、つい先程バリアに穴が開いたという。
『本当です。どうしましょうか?』
「すぐに例の調査隊を向かわせろ。私もすぐにそちらに向かう」
『わかりました。そのように伝えます』
通信を切り、ラルセカーツはベッドから起き上がった。
「ふむ……」
と顎に手を当て、わずかに顔をしかめる。
「……これで、少しは進展があればいいが……」
「あーっ、もう!
せっかく寝付いたと思ってたのにーっ!」
ポニーテールを揺らしながら、サペルが格納庫に駆け込んでくる。その後を、少し遅れてエリとリィザが来た。
「本当よね、私たちが調べていたときは何もなかったのに……」
「からかわれてるんじゃないだろうな?」
つい二時間ほど前に、二度目の調査を終えたばかりだったのだ。緊急事態で仕方がないとはいえ、間を置かずに出撃では文句を言いたくもなる。
「からかわれる……って、誰に?」
「決まってるだろ? シーラルクに味方してるどこかの宇宙人だよ!」
「……本当にいるのかしらね?」
「いなかったら、説明付かないだろ? ラルセカーツ様だってそう言ってるし」
「そうよねぇ……」
「ちょっと、お姉ちゃんたち! 話ばかりしてないで、早く行くよ! いつバリアの穴が消えるかわかんないんだから!」
そう言うと、サペルは自分のラディスト、赤いクドクラムに乗り込んだ。
「はりきってるわね〜、あの子……。ほとんど寝てないのに……」
「ま、ラルセカーツ様とのデートがかかってるしね。あたしらも行こう、姉ちゃん」
「ええ、頑張りましょう、リィザ」
二人は笑みを交わし、それぞれの機体に乗り込んだ。
「やれやれ、ようやく休めると思ったら、また出撃か……忙しいことだ」
ニカグラのコックピットに乗り、スウェルはぶつぶつと愚痴をこぼす。
「そんなに嘆くことはないですよ、スウェルさん」
通信を使って、シーニックが話しかけてきた。
「この作戦に失敗すれば、しばらく出番は回ってこないでしょうからね。ゆっくり休めますよ」
「貴様……嫌みのつもりか、それは?」
「さあ……? でも、せいぜい活躍して、口だけではないことを証明してくださいね」
そう言って、彼は一方的に通信を切る。
「……ちっ、生意気な小僧が!」
憎らしいとは思うが、しかし彼の言うこともまた事実なのだ。
「まあいい。この際だ。ワシを逃げ足が早いだけの老人だと思ってる奴らに、目にもの見せてくれる」
スウェルはニカグラを発進させ、久々に体が熱くなるのを感じた。
「よう、少しは休めたか?」
「あ、ケヒネアさん」
アンダースーツに着替え、ガイリーグの搭乗室の前で待っていたキリエに、ケヒネアは声をかけた。
「やれやれ。家で飯食い終わって、そろそろ寝ようかと思ったら呼び出しだからな」
「そうですね。僕も彼女の家に行ったと思ったら、とんぼ返りですから」
「何もできなかったというわけか……」
「何もできませんでしたねえ……」
「…………」
「…………」
沈黙の後、にやりと笑うケヒネアを見て、キリエははっと我に返った。
「な、何言わせるんですかっ」
「はっはっはっ。お前も意外に大人だったわけか」
「まったく……」
と丁度そのとき、スタッフの女性がカウンターから顔を出した。
「楽しいお話の途中ですみませんけど、ガイリーグの準備ができましたよ」
「あっ、そ、そ、そうですか」
彼女の表情が平然としているのに対し、キリエは一人で照れている。
「うむ。じゃあ行くかっ」
ばしっ、と勢いを付けるように、ケヒネアは彼の背中を叩いた。
「い、痛いですよっ」
「気合い入れたんだよ。彼女を泣かせるなよ」
「わかってますっ」
そう。絶対に生きて帰ると、自分にも、彼女にも誓ったのだから。
そして、彼らのガイリーグとクドクラム、ニカグラ、ブレスターの計十一機は、地球に向けて三度目の出撃をしたのだった。
「おっ、向こうも動き出したみたいだぞ。結構早いな」
モニターに映し出された映像を見て、ディオが言った。雅也にナスタークの文字は読めないが、簡略図で、いくつかの点が地球に接近してくる様子がわかる。
「お、おいっ、そんな呑気にしてていいのかよっ。こっちはまだ準備が終わってないんだぞっ」
「大丈夫、まだ時間はある。え〜と、キャシーにハナコ、と名前が変わったんだったな。二人とも、こっちに来てデータを読み込んでくれ」
「は〜い」
「仕方ないわね……」
二人はコンピューターに近付き、レイテスの左手部分に順番に手を置いた。それは、一人たったの五秒という早さで済んでしまった。
「よし、終わり。これで二人は、シルネオンとデュハルトの脳になることができる」
「……脳?」
「そう。または魂といったところかな。パイロットの出した命令を受けて、実行するのは彼女たちだからな」
「げっ。そうだったのか」
どうして二人も乗っているのか疑問だったのだが、そういうわけだったらしい。
「なるほど。それで、今のデータを読み込むというのは?」
と健介が質問する。
「んーとね、ロボットを動かすためのプログラムだよ」
口を開きかけたディオより先に、ハナコが答えた。彼女はずいぶん健介を気に入っているらしく、いつでもかまってほしいらしい。
「いくらあたしたちが最新型アンドロイドでも、すべてのデータを持ってるわけじゃないから、必要なときにこうして読み込むの」
「ふ〜ん、で、それは手から読み込むのか?」
「うん。手の平に読み込む装置があるからね」
と彼女は手を差し出してみせる。
「……そんなものは見えないが」
「やだ、健介くん。見えるように付いてたら、ロボットだってすぐわかっちゃうじゃない。あたしたちアンドロイドなんだからね」
「……ふむ。それもそうか」
「おい、健介。そんな説明なんかどうでもいいから、早く敵倒しに行こうぜ。時間ないんじゃないのか?」
「むかっ……」
何気ない潤の言葉に、ハナコはかちんときた。
「ちょっと、あたしが一生懸命説明してるのに、どうでもいいとは何よ?」
「ふっ……」
と潤は肩をすくめた。普段なら女性の言うことには逆らわない彼だが、相手がハナコのような少女なら話は別だ。
「悪いが、俺はガキには興味がない」
「あ、そういうこと言う……。ふふふ……でもね、あたしたちには変身能力があるってこと忘れたの?」
「えっ……?」
言われて、潤は考える。彼女の能力を使えば、動物に変身することや、髪の色だけを変えるということもできる。ならば、年齢も変化させることができるのではないだろうか。
「…………」
「……どうやら、わかったみたいね」
彼の沈黙を見て、ハナコは勝ち誇った笑みを浮かべた。だが次の瞬間、彼女の表情は恐怖に変わる。潤がハナコの手を取り、迫ってきたのだ。
「は、ハナコさんっ! ぜひっ、ぜひ変身してみてくださぁぁぁいっ! いますぐにぃいぃっ!」
「きゃあああっ! いやあああっ!」
バキィッ!
「おぐぅあっ!」
突然潤が床に激しいキスをした。健介とキャシーが、彼の頭を情け容赦なく殴ったのだ。
「ったく、このバカは……」
「頭悪いのかしら……」
二人は呆れ顔で床に伏せている潤を見た。
「う、ううっ……鼻血が出た……」
しかし、誰も彼にティッシュを差し出そうとはしなかった。彼の行動からして、当然といえば当然の反応である。
「健介くん、怖かったよぉ〜」
涙目のハナコが、健介の胸に飛び込んだ。彼は優しく受け止め、頭を撫でてやる。
「よしよし、もう大丈夫だからな。悪者は僕がやっつけた」
「お、俺は悪者かい……」
「当たり前でしょーが」
とキャシーは倒れたままの潤の背中を、つま先でぐりぐりとねじり込んだ。
「うぐぁぁっ……ひ、非常に痛いんですけど、キャシーさん……」
「反省しなさい」
彼女はさらに足をねじる。
「おおおっ、お、俺はマゾじゃないんですけどぉぉ〜っ」
潤は背中を仰け反らした。
「……雅也さん、本当に彼にパイロットを任せて大丈夫なんでしょうか……?」
不安そうに訊ねる栞に、雅也は頭を抱えて憂鬱そうにため息を付いた。
「俺に聞かないでくれ……。自信がない……」
などと、この緊急時に彼らがふざけあっているとき。まるでそこだけが別空間のように、ディオは真面目な顔でモニターを見ていた。そこには、バリアに開いた穴を目指して向かってくる、ロボットたちの姿が映し出されている。
(ふむ……今回は強そうなのが揃っているな……)
前回戦ったブレスターの他にも、その倍くらいの大きさの戦闘用ロボットが何機もいる。
(ま、慎重になるのも当然だろう)
問題は、これらのロボットの相手をどうするかだ。さすがにまだ経験の少ない雅也や、初心者の潤と健介では、まともにこの数と戦えば負ける可能性が高い。ディオにとっては地球がどうなろうと知ったことではないが、わずか二回で放送を打ち切るわけにはいかない。そんなことになったら首になってしまう。
(……よし!)
少し考えて、ディオは作戦を決定した。彼は内容を伝えるべく、後ろを振り向く。
「おい、君たち……って、こら。いつまで遊んでる」
「いや、俺は別に遊んでいるわけじゃ……」
ディオの指示があるまですることがないので、雅也は三杯目のお茶を飲んでいた。栞は彼の隣に座っているし、ハナコは健介に甘えてくっついている。では遊んでいるのはというと……もちろん残りの潤とキャシーしかいない。
「何よ。私だって遊んでなんかいないわよ」
とキャシーは言うが、潤の背中でサーフィンをしていては、まるで説得力がない。
「お、俺はいい加減つらいんですが……」
鼻血を出しながら下敷きになっている潤は、潰れたカエルのようである。
「ま、まあいい。話を続けよう」
「まあいいで済まされるのか、俺はぁぁっ……」
潤は訴えたが、皆は彼から視線をそらした。
「…………」
ふいに、何かを考えていた様子の雅也が立ち上がった。
「どうしたんですか?」
「……トイレ」
「あ、そうですか」
一気に三杯もお茶を飲んだのだから、無理もないだろう。
「ふむ……」
トイレのドアが閉まるのを確認して、ディオはチャンスとばかりに笑みを浮かべた。
「潤くん、健介くん、敵はもうすぐそこまで来ていて、ゆっくり説明している暇はない。とりあえず今はロボットに搭乗して、詳しいことはそこでキャシーとハナコにほしい。まずは潤くんとキャシー、転送装置に入ってくれ」
「わかった。ほら、いくわよ」
キャシーは潤の背中から降りて、彼の裾を引っ張った。まだ倒れたままなので、ずるずると床を引きずっている。
「ちょ、ちょっとキャシーさん、引きずらないで。それに俺、鼻血拭いてないんですけどぉ……」
「……早く拭きなさい」
キャシーは引きずる勢いを止めずに、ぱっと手を離した。狭い部屋なので、そのまま滑って壁に頭をぶつけてしまう。
「あぎゃっ」
ごんっ、という音がしたので、結構痛そうだ。
「キャシーさん……何だか、かわいそうじゃありませんか?」
顔をしかめて、栞が言った。先程からの潤の扱いを、不憫に感じたらしい。
「いいのよ、彼は自ら下僕になることを望んだんだから。私はそれらしく扱ってあげてるだけ。いわば親切よ」
「でも……」
「大丈夫、心配はいりませんぜ」
ティッシュを鼻に詰め、潤はさわやかな笑顔を見せた。
「キャシーさんの俺への行為は、全て愛なんです」
「あ、愛?」
「そう。ちょっと性格がひねくれているばかりに、その溢れんばかりの愛を、こうすることでしか表現できないんですよ。ふふふ……」
「あ、あのねえ……」
キャシーは呆れるあまり、否定する気力も失せてしまった。
「おい」
突然潤の後頭部が、とんとんと叩かれた。
「ん?」
振り向くと、健介の足の裏があった。潤はそこに顔を付けてしまう。
「く、臭い……」
「うるさい。それよりさっきから時間がないと言ってるだろうが。早く転送装置に入れ」
「おお、そうだった。すっかり忘れてたぜ」
「忘れるな、バカ」
と、そのとき、雅也がトイレから戻ってきた。
「……何だ、まだ行ってないのか?
時間ないんじゃないのか?」
「だから今から行くところだ。ほら、早く入ってくれ」
幸い、ウィルラーダのロボットたちは警戒しているのか、まだバリアの中に入ってはいなかった。まだ大丈夫である。
「はーいはい、っと」
潤とキャシーは、転送装置の中に入った。しかし中は狭く、どうしても密着せざるを得ない。
「潤、後ろ向いてなさいよ」
それでも尻が当たって彼を喜ばせてしまうだろうが、向き合うよりはましである。
「はーい」
と潤は素直に返事をしたが、このチャンスに彼が何もしないはずがない。キャシーがドアの中に入ってくる瞬間、素早く振り返り、ドアを閉めたのだ。結果、抱き合うようになり、彼女の大きな胸が潤に押し付けられる。
「あ、こらっ」
「ディオさん、早く転送してくださーい。……あ、また鼻血出そう」
「こらーーっ」
「結構根性あるな、彼も……」
少し感心しながら、ディオは二人を転送した。
「どーせ後で殴られるんだろうな……」
と雅也は呟く。しかし例え十発殴られても、キャシーの胸の感触を堪能できて、彼は十分満足なのだろう。
「しょーもないことばかりに根性使うからな、あいつは……。それよりディオさん、次は僕とハナコでいいですか?」
「ああ、そうしてくれ」
「行こう、ハナコ」
「うん、がんばろー」
二人は仲良く転送装置に入った。ハナコは小柄なので密着することはなかったが、彼女は自分からくっついていた。しかし相手が子供とはいえ、健介が女の子と仲良くしているというのは、非常に珍しい光景である。というより、雅也は見たことがない。
「やっぱりあいつ、ロリコンなのかな……」
だとしたら、学校の女子に興味を示さないのも納得できる。
「あのー、雅也さん。私たちも早く行きましょう」
「あ、ああ、そうだな」
栞に服を引っ張られ、雅也は転送装置に向かう。
「ちょっと待て。二人にはここに残ってもらう」
「えっ……?」
雅也は足を止め、ディオを見た。
「どういうことだ?」
「ウィルラーダの相手は、彼ら二人にやらせることにした」
「何ぃぃっ? そりゃ無茶だぜっ!」
相手は戦闘用が十機以上いる上に、潤と健介は初心者だ。勝てるわけがない。
「大丈夫。相手の数は減らすし、危なくなったら君にも出てもらう。とりあえずしばらく様子を見ようじゃないか」
「……う、う〜ん……」
「そうしましょう、雅也さん。少しの間なら大丈夫ですよ」
「そ、そうだな……。わかったよ」
「よし、決まりだ。二人ともこっちに来て一緒に見よう」
ディオは笑顔を見せ、手招きをした。
そしてモニターに、二つの画面が現れた。バリアの内部と、外側のウィルラーダの様子である。
「おおおっ、よくわからんが、何だかすごいぞっ」
潤は物珍しげにコックピット内を見回した。シルネオンとデュハルトは、基本的にラディストと同じ構造である。潤は転送されたと同時に体を固定され、前の方には顔は見えないがキャシーがいる。そして前方に広がる広大な空間。半透明の四角で覆われたバリアの外側は、上には星が、下には白い雲がある。それに強い光は遮られているが、高い位置に太陽も見える。
「う〜ん、ここはかなり上空みたいだな……。結構結構、俺は高いところ好きだからな。
一緒にがんばりましょう、キャシーさん」
声をかけてから、潤ははっと気付く。後ろ姿からでも、彼女が怒りのオーラを発しているのがわかったからだ。
(や、やっぱり怒ってるな……。でも、さっきの感触はよかった……と、いかんいかん)
思い出してにやける暇があったら、早く謝った方がいい。だが、潤が声をかけるよりも先に、キャシーの方が口を開いた。
「……潤」
「は、はいいっ、何でしょうか?」
「さっきのことだけど、大目に見てもいいわよ」
「えっ……?」
そんなバカな! あのキャシーさんが! と、彼は自分の耳を疑った。
「……その代わり」
「あ、は、はい」
やっぱりただではないらしい。潤は何故か少しほっとした。
「私に痛い思いさせたら、承知しないわよっ。さっきの分も含めてお返しするからっ」
「りょ、了解しましたっ」
「じゃあまずは操縦を覚えなさいっ。時間ないわよっ」
「ははっ」
潤は思わず敬礼して答えていた。
「ふむ……スクラップだったとは思えないな……」
デュハルトに転送された健介は、コックピット内を見て言った。まるで新品のように光沢がある。
「でもね、健介くん。スクラップからでも古いのを直して使った方が、最新機を買うよりずっと予算が少なくて済むのよ。ラディスト、シルネオン、デュハルトの三機の修理費を合わせてもまだ買えないんだから」
全身が固定されているので、後ろを向いたままハナコは説明した。しかしそのままの状態でも、デュハルトの脳と化したハナコには、外はもちろん、コックピット内の健介の様子までわかる。
「へえ……。そんなに高いなら、きっと性能も比べものにならないんだろうな」
「それはそうよ。あたしもどうせならそういうのに乗りたかった……」
「後悔してる?」
「そんなことないよ。健介くんと出会えて楽しいしね」
「ありがとう」
「あ、でも、できるだけ痛くしないでよ。あたし痛いのやだからね」
「わかってる。ところでハナコ、操縦方法だけど……」
と健介が訊ねたそのとき、突然モニターに、ディオの顔を映した小さなウインドウが現れた。後ろに雅也と栞の姿も見える。
「やあ健介くん、乗り心地はどうだい?」
「……まだ来たばかりです。わかりませんよ」
「それもそうだな。ところで、戦う前に一つ頼まれてほしい。敵が小型探査機を送り込んできたから、適当に破壊しておいてくれ。じゃあ頼んだぞ、二人とも」
「頑張れよ、健介。今は行けないけど、危なくなったらすぐに俺たちも出るからな」
雅也の言葉が終わると、ウインドウは消えた。
「……雅也は来ないのか」
「きっとディオのせいね。あの人、しょーもないことばかり考えるから」
「まあ、危なくなったら来るらしいからいいだろう。それより、探査機というのはどこにあるんだ?」
「えーと、ちょっと待ってね……。あ、あった。丁度バリアの穴から入ってくるところ」
「ふむ……」
顔を上げてその辺りを見てみると、小さな点がゆっくり降りてくるのがわかる。
「拡大するね」
とハナコが言うと、ウインドウが現れた。一メートルくらいの、本当に小さな探査機だ。
「それで、どうやって破壊すればいいんだ?」
「そうね……。右腕にレーザー装備してあるから、それ使ってみようか。撃つことを強く念じれば発射されるから、簡単でしょ? よく狙ってね」
「わかった。これに触れてやればいいんだな」
健介は両脇にあるオレンジ色の半球体に手を乗せた。不思議な感触のするそれは、人の意志を機械に伝えるレイテスというものだ。健介はロボットの動きをイメージした。右腕を上げ、探査機に狙いを定める。
(……いけっ!)
頭の中で叫ぶと、デュハルトの右腕から、赤いレーザーが発射された。探査機は一瞬で貫かれ、粉々に砕け散る。
「命中〜、だね」
「……そうだな」
健介はぎゅっ、と拳を握りしめていた。レーザーの威力を見て、今までどこか現実味の薄かった出来事に、ようやく実感が沸いてきたのだ。
「ん? どうかしたの? 元気ないみたいだけど……」
「いや、何でもない」
「そう? ならいいけど」
「それよりハナコ、他にも使える武器があれば今のうちに教えてくれ。敵も探査機を壊されてすぐに調べにくるだろうからな」
「わかった。……といっても、ほとんど装備してないから、格闘戦が多くなるとおもうけど……」
「そうか」
とにかく健介は、ハナコからデュハルトの詳しいデータを聞いたのだった。
「もうっ、みんな何を躊躇してるのよっ」
バリアに開いた穴の前まで来たはいいが、誰もそれ以上進もうとしないので、サペルは怒っていた。とはいっても、先程放った小型探査機が何の反応も示さずに消息を絶ったので、皆が不気味に思うのもわかるし、彼女も内心は少し怖い。
「ここでじっとしていたって、事態は進展しないのよっ」
全ては作戦を遂行させるために、サペルは勇気を奮い起こしていた。
「しかし、闇雲に進めばいいというものでもありませんよ、お嬢さん」
小馬鹿にしたようにシーニックが言う。
「あなたと違って、我々はデートのために死にたくはありませんから」
「……む、むかつくわね……あんた」
「それはどうも」
「もういいわっ、あんたたちみたいな腰抜けは足手まといよっ。エリお姉ちゃん、リィザお姉ちゃん、あたしたちだけでも行きましょうっ」
「……そうね。サペルの言う通り、ここにいても作戦は遂行できないわ。この先に何があるのかはわからないけど、そのときは私たちの腕で切り抜けば済むことよ」
「さすが、言うねえエリ姉ちゃん。よぅーし、あたしら姉妹の実力見せてやろうぜっ」
そして、他の者を置いていき、彼女たちがバリアの穴へ向かおうとしたとき。
「あ……待ってください、私も連れて行ってくださいっ」
そう言ったのは、ブレスターに運んでもらっていたキリエだった。ブレスターのパイロットが動く気がないようなので、彼女たちに頼んだのだ。
「おい、キリエ……」
ケヒネアがキリエの肩をつかむ。
「……止めても無駄ですよ、僕は行きますから」
「そうか……。わかった、それなら俺も行こう。お前だけでは心配だからな」
「すいません……」
「気にするな。嬢ちゃんたち、俺も頼むぜ。中に入ればすぐに降ろしていい」
「わかった。じゃあ、あたしが運んであげる」
ブレスターの側にサペルのクドクラムが近付いてきて、二人を手の平に乗せた。そしてもう一方の手で重ねて、微妙な力加減で握りしめる。
「潰したらだめよ、サペル」
「そんなことしないって」
「ならいいけど。じゃ、みんな準備はいいわね。行くわよっ」
「おーっ! ほら、キリエも言いなさい」
「お、おー……」
「声が小さいなぁ。途中で落ちても知らないわよ」
「お、おーっ!」
「オーケー! じゃ、しっかり捕まっててよっ」
「わわわっ!」
急に激しい振動が起こったので、キリエは思わず声を上げた。ガイリーグを身に付けていても、彼は今のような振動や、空を飛ぶ感覚に未だに慣れていない。
「この程度の感覚にもまだ慣れないなんて……やっぱりお前、パイロットには向いていないんじゃないか?」
「だ、大丈夫ですっ」
「…………」
皆に認められたいという彼の気持ちもわかるが、ケヒネアの目から見ても、やはりキリエは向いていないように思う。とりあえず今回の作戦で様子を見て、確信がもてれば、もう乗せないようにラルセカーツに進言するつもりだった。
(ま、それまで死なないように頑張れよ)
ケヒネアは手の平の隅間から、青い地球には不似合いな黒い穴を見る。そしてエリのクドクラムを先頭に、リィザ、キリエとケヒネアを乗せたサペルが穴の中へと消えていった。
「小娘が……ワシを腰抜け扱いしおって……」
スウェルは不機嫌そうに眉を寄せていた。
「ふん、後で驚くなよ」
そう呟いて一瞬笑みを浮かべ、彼はニカグラを発進させた。目指すはもちろん穴の中だ。
「おや、行くんですか?」
と意外そうにシーニックが言った。
「ああ。お前は行かないのか?」
「私はもう少しここで様子を見ています。結果的に任務を達成できれば問題ないわけでしょう?」
「……好きにしろ」
どうも、シーニックは何を考えているのかわからない。小心者かと思えば、いきなり大胆な行動に出たりなど、予測不能なことをする。スウェルにとって苦手な存在だ。
(しかし、そこにいる限り貴様の出番はないぞ。敵はあの中にいるのだからな)
彼は、久々に本気になっていた。本気の自分に敵はいないと思っていた。しかし、彼もシーニックも、次に起きた出来事のせいで、今回戦うことはできなくなってしまった。一瞬の間に、バリアが閉じてしまったのだ。
「な、何っ?」
もう少しで中に入れると思っていたスウェルは、目を疑った。今まで確かにそこにあったものが、影も形もなくなっている。
「そんなバカなっ」
足を着けたそこは、元のバリアになっている。
「よかったですね、スウェルさん」
「よかっただと?」
「そうですよ。もう少し早く行っていたら、帰ってこられなくなったかもしれないでしょう?」
「…………」
「さて、これで彼女たちが戻れれば大きな功績ですが……果たしてどうなるか」
どこか楽しそうに、シーニックは言った。
「よしよし、数はこのくらいでいいだろう」
バリアの穴を閉じて、ディオは言った。モニターの映像で、三十メートル程の赤いマシンが、三機入ってきたのを確認している。
「さて雅也くん、結果はどうなると思う?」
「さあな。俺は負けないことを祈るだけだ」
「……つまらんなあ。例えばほら、今夜の夕食を賭けるとか……」
「絶対しない。大体負けたら夕食どころじゃない」
「そうですよ、ディオさん……」
栞までが責めるような目で見た。
「そ、そうだな、悪かった。一緒に応援しよう」
三人はモニターに見入った。ガイリーグ二体の存在に気付かないままに。
バリアに突入した三機のクドクラムは、白いもやのかかった空間の中に出た。ぼやけて地上らしきものが見えるが、肉眼ではよくわからない。センサーを使おうとしても、何かしらの妨害がしてあるらしく、結局は自分たちの位置を把握することはできなかった。ただ、重力を感じないことから、かなり特異な空間ではあるらしい。
「…………」
ふと、自分たちの来た道を振り返ってみたリィザは、思わず驚愕の声を上げた。
「あっ……エ、エリ姉ちゃん、穴が閉じてるっ」
「えっ……?」
進行を止め、エリとサペルは振り返った。リィザの言う通り、確かにそこにあったはずのバリアの穴が、跡形もなく消えてしまっている。
「ど、どうする、姉ちゃん?」
「どうするって……リィザ。私たちは進むしかないのよ。それに、例の白いロボットを倒せば、きっと何とかなるわ」
「そ、そうか……敵を倒せばいいんだよな」
「心配性ねー、リィザ姉ちゃんは」
「お前が楽天的すぎるんだっ」
「何よー、あたしは前向きなだけなんだから」
「やめなさい、二人とも。いつ白いロボットが襲ってくるのかわからないのよっ」
「はーい」
「ごめんなさーい」
「あの、サペル。僕とケヒネアさんを降ろしてくれないか」
突然三人の通信に、キリエが割り込んできた。
「キリエ……? 本当にいいの、こんなところで?」
「ああ、大丈夫。別行動した方が効率がいいだろうし、第一、一緒にいても邪魔になるだけだから」
「……わかった、気を付けて。生きてまた会いましょう」
「嬢ちゃんたちも死ぬんじゃないぞ。ファンが悲しむからな」
ケヒネアが笑って言った。
そして、サペルは二人をクドクラムの手の中から降ろす。赤と緑のガイリーグは、一度だけ手を振り、もやの中へと消えていった。
「さあ、私たちも行きましょう」
エリを先頭に、三機のクドクラムは垂直に地上へ降りていく。しばらく続いた白いもやが抜けると、そこは半透明の四角で囲まれた広大な空間だった。その中心に、青と黒の二体のロボットがいる。
「エリお姉ちゃん、白いロボットはいないみたいだよっ」
「……そのようね。とりあえず、先にあの二体を倒すわよっ」
「了解っ」
三機のクドクラムは、肩に装備した小型ミサイルを、数十発一斉発射した。
「――来たっ」
キャシーとハナコは同時に反応する。やってきた三体の赤いロボットが、シルネオンとデュハルトを発見と同時にミサイルを撃ってきたのだ。視界に入ると、二人はすぐさまそのミサイルを分析する。威力はそこそこあるが、追尾式ではないので、迎撃するまでもなさそうだ。もっとも、迎撃用ミサイルなど装備していないので助かったが。
「健介くん、かわしてっ」
「よしっ」
わずかな練習時間しかなかったというのに、健介は早くもコツをつかんでいた。すぐにイメージを固め、レイテスに送り込む。そのイメージを受け取ったハナコは、デュハルトを動かし、頭上から降ってくるミサイル群の雨を、右に飛んでかわした。
そして問題は潤である。
「潤、素早く迅速に、無駄なく左に飛んで避けなさいっ」
「えっ……?」
早口で一気に言われ、潤は頭がこんがらがってしまった。
「えっ、え〜と……って、うわわっ!」
混乱している彼に構うことなく、ミサイルはやってくる。それが目前まで迫ったとき、潤は思わず右に飛んでいた。当然その方向にはデュハルトがいるので、シルネオンは体当たりしてしまうことになり、二体はそのままもつれて倒れてしまう。しかも倒れたときのバランスが悪かったのと、ミサイルの爆発地点からあまり離れられなかったのとで、爆風を受けて、二体はバリアの上をごろごろと転がっていった。
「い、いった〜い……。ミサイルはかわしたのに、何でダメージ受けなきゃなんないのよぉ……」
顔をしかめ、ハナコは当然の文句を言う。
「おい、何をやってるんだ、杉崎っ。早くどけっ」
「す、すまん健介……」
潤は慌てて起き上がった。
「キャシーさん、緊急時にどうして混乱するようなこと言うんですかっ」
「……私のせいにする気?」
「えっ? いや、その……」
「ま、いいわ。次からはもっと簡潔に言うから、私と一緒にいたければ頑張りなさいよ」
「は、はいっ」
短い会話の間にも、潤は敵の行方を探していた。先程のミサイルをかわしてから、上空にいた赤いマシンの姿が消えている。
「左から一体来るぞ、杉崎っ」
「えっ?」
健介の声に反応して左を見ると、赤いマシンが迫っていた。エリのクドクラムである。
「覚悟っ!」
「う、うわああっ!」
たった今気付いたが、敵の機体はシルネオンの倍以上の大きさがあった。そのマシンがパンチを繰り出してくるのはかなりの迫力である。しかもブースターでパワーを上げているので、先程のミサイルよりも威力がある。混乱した潤は、焦って避けることも忘れていた。
「ったく、バカっ」
舌打ちしてキャシーが呟いたかと思うと、シルネオンはクドクラムのパンチが当たる寸前に、上空へと飛び上がっていた。一瞬のことなので、誰もその姿をとらえることができない。もちろん、潤にも何が起きたのかわかっていなかった。
「あ、あれ? 俺、やられたんじゃ……?」
「やられてないわよ」
「……キャシーさん?」
「全く、情けないわね。私が何とかしなかったら、さっきのであっさりやられてたわよ」
「じゃ、じゃあ、キャシーさんが助けてくれたんですね? 操縦できたんですか?」
「私やハナコのようなユーロスには、色々と機能が充実してるのよ。それより甘えないでよね。当たると痛いからさっきは思わず避けたけど、次は我慢するから。そのときはお別れよ」
「は、はい」
潤は地球が侵略されるより、お別れの方が嫌だった。自然と緊張感が高まり、意識を敵に集中した。
(へえ……結構いい表情できるじゃない)
だらしない顔しか見たことがなかったキャシーは感心して、もう一度くらいなら助けてやろうかな、と思った。
注意――これより先、設定変更。戦闘している場所はバリアの中ではなく、ある荒廃した惑星とする。
一方、健介の方は、リィザとサペルの二人を同時に相手していた。しかしクドクラムはデュハルトの倍以上の大きさがある上に、動きも素早い。今のところ彼は、二体の攻撃をかわすので精一杯だった。また、かわしてもすぐに接近してくるので息を付く暇もない。
「くそっ」
振り返ってレーザーを出し、剣のように薙ぎ払うが、あっさり上空に飛んでかわされた。
そしてリィザのクドクラムの両手が光り輝いたかと思うと、その周囲の空間が凝縮される。
「くらえっ!」
両手を組み、デュハルトの頭部に向かって振り下ろした。見るからに派手なその技を食らえば、さすがに頭が潰れてしまうだろうことは予想できた。
「くっ」
一瞬、拳を受け止めようかとかとも考えたが、相手がでかすぎる上に、衝撃に耐えられるかも不安になり、健介は機体を大きく後ろに下がった。そして今までデュハルトのいたところはクドクラムの拳がめり込み、大きく土砂を舞い上がらせる。
相手が小さくなるまで離れたので、健介は息を付き、冷や汗を拭った。
「ハナコ……あいつら強いぞ。それに三対二では不利だ」
「頑張って、健介くん。まだ始まったばかりなのに、弱音を吐いちゃだめだよ。ほら、友達の雅也くんだって一人で十体も倒したって言ってたじゃない」
「……そのときは、相手が弱かったからだろ」
「そ、そうだけど……」
困ったな、とハナコは心の中で呟いた。確かに初めての戦いで、あれほどの相手と戦うのはかなりつらいものがあるだろう。かといって、自分が手を貸すわけにはいかない。ここは彼の才能に期待するしかなさそうだ。
「ふ〜ん……あたしらの攻撃を避け続けるなんて、小さいくせに結構やるもんだな」
リィザは動きを止め、楽しそうに笑みを浮かべた。黒いロボットは距離をとり、こちらの様子を窺っているようだ。
「何言ってんの、リィザお姉ちゃん。遊んでる暇なんかないんだからね」
「わかってるよ」
サペルの文句を軽く受け流して、彼女はもうひとつの青いロボットを相手にしているエリの様子を見た。姉妹の中では一番腕のいい彼女のことだ。とっくに片付いているかと思ったが、敵の姿がなく、彼女は空を見上げている。
「エリ姉ちゃん、どうしたんだ?」
「サペル? ……さあね、私が聞きたいわ。一撃かわされた後、向こう降りてこないんだもの」
「へえ、姉ちゃんの必殺パンチかわすなんて、やるじゃないか。追いかけないのか?」
「そうしようかと思ったけど、何だか向こうはやる気がないみたい。黒いのもそうみたいね」
「え? あ、ああ、そうなのかな? あたしにはレベルの違いがわかって、どうしようか困ってるみたいに見えるけど……」
「とりあえず、向こうも攻撃を止めてることだし、少し話してみましょうか。言葉が通じるかはわからないけど……」
エリは内部通信を外部に切り替えた。
「こちらはウィルラーダの調査部隊として来たエリという者ですが、言葉はわかりますか? もしわかるようなら返事をしてください。この星のことについて話がしたいのです」
そう言って、しばらく待ってみる。
「な、何だ?」
「何か言ってきたぞ」
彼女の言葉は一応聞こえたものの、日本語しかわからない潤と健介に、宇宙人の言語など理解できるわけがない。
「わかるか、ハナコ」
「わかんない。ウィルラーダの言語なんて記憶してないし……。キャシーは?」
「私も記憶してないわ」
そこまで言って、ふとキャシーは思い出す。ウィルラーダの言語を理解できる者。
「そうだ、ディオよ。彼、翻訳機付けてたわ」
「へえ、あたし気付かなかったけど……。まあいいわ。じゃ、さっそく連絡を……。ディオ、ディオ聞こえる?」
返事はすぐにあった。画面の端に彼の顔が現れる。
「何だ、さっきの敵の言葉ならわからんぞ」
「えっ……な、何でよ。翻訳機してるじゃない」
「聞き逃したんだ、仕方ないだろう」
「……や、役に立たないわね。もういいわよ」
ハナコとキャシーは一方的に通信を切った。
「や、役に立たないとは失礼な……」
「なあ、ディオ……」
文句を言う彼の肩をぽんぽんと叩いて、雅也は訊ねた。
「翻訳機、ってのは何だ?」
「うっ……」
ディオは思わず顔をひきつらせる。そうなのだ。彼には翻訳機の存在は隠し、日本語を覚えたのは自分で勉強したからだと自慢した覚えがある。
「ま、まあ、そんなことより今は彼らを応援しようじゃないか。ほら、頑張れ頑張れー」
「…………」
動作の一つ一つが、ものすごくわざとらしい。
「ったく……」
と雅也は頭を掻き、栞を見た。
「しょうがないですよ、こういう性格なんですから」
彼女は微笑んでいる。
彼とこれからも付き合っていくには、慣れるしかなさそうだ。
「反応がないわね……」
しばらく待ってみたが、返事の返ってくる様子はない。
「姉ちゃん、無理だって。シーラルク人にあたしらの言葉がわかるわけないだろ」
「シーラルク人じゃなくて……彼らに協力してる宇宙人ならわかるかもと思ったんだけど……」
「エリお姉ちゃん、もし言葉が通じても戦うことには変わりないんでしょ? だったら余計なことしてないで、さっさと倒しちゃおうよ」
「そうそう、姉ちゃんは慎重すぎるんだよな」
サペルとリィザの二人は、早く戦いたくてしょうがないようだ。エリとしてはもう少し情報が欲しかったのだが、このままでは進展は得られそうにない。
「……そうね、わかったわ。じゃあ速攻で倒して、白い奴を引きずり出すわよっ」
「おーっ」
彼女たちは、クドクラムを発進させた。三方に分かれ、上空からシルネオンとデュハルトを囲む。
「いくわよっ」
サペルが背中のパックから、小さな棒状のものを取り出し、握りしめた。それは、剣の柄だ。彼女は姉たちを残したまま、シルネオンとデュハルトの間に素早く降り立つ。そして彼らを睨み付けると、柄から光が伸び、巨大な剣となったそれを振り回した。
「うわあっ!」
潤と健介は慌てて後ろに下がった。剣先は胸元をかすめただけだ。続けざまに二撃目を放とうとサペルが腕を上げるが、それはフェイントである。彼女が注意を引きつけている間に、上空からエリとリィザが急降下してくる。
「もらった!」
「うおっ」
胸に足を乗せ、そのまま勢いと共に体重をかけられる。シルネオンとデュハルトの体が、半分地面にめり込んだ。ビシ、と二体の胸部に大きくひびが入る。
「うぐああっ!」
ハナコとキャシーは思わず悲鳴を上げた。
「ハ、ハナコ!」
「キャシーさん!」
健介と潤はシートに固定されて動けないながらも、心配して前に身を乗り出そうとしていた。この位置では顔は見えないが、今のは相当苦しかったに違いない。
「そ、それより早く避けないと! 正面から来る!」
ハナコの声に、二人ははっと顔を上げた。サペルが今にも剣を振り下ろそうとしているのだ。
「くっ……!」
機体を動かそうとして、すぐに気付いた。体が半分めり込んでいて、避けるのは不可能である。ならばこの状態のまま攻撃を防ぐしかない。デュハルトはレーザーを、シルネオンはバルカンを発射した。咄嗟のことなので狙いが定まらないが、とにかく撃ちまくる。
「きゃあっ!」
しかし不意をつかれたサペルは、そのうち半分ほどを食らってしまった。レーザーが右腕と頭の上半分を取り、バルカンが機体に穴を空ける。運良くコックピットは無事だったものの、彼女のクドクラムは煙を吹き出し、地面に膝をついた。
「サペル!」
慌てて駆け寄るエリとリィザ。一旦退却したいところだが、ここはバリアに閉じこめられた世界だ。彼女たちはエリ機を抱え、とりあえず距離を取った。
「だ、大丈夫か、ハナコ?」
めり込んだ地面から機体を起こしながら、健介は心配そうに訊ねた。
「だ……大丈夫、だよ。もう痛くないから……えへへ」
少し呻きながら、ハナコは小さく笑った。
「…………」
そんな健気なところを見せる彼女と違い、キャシーは沈黙を続けていた。
「……あ、あの、キャシーさん?」
潤は怪訝そうに声をかけた。もしやあまりの激痛に気を失ったのではないかと思ったが、違った。彼女はぽつりと呟く。
「……痛かった……」
「えっ?」
「痛かった、って言ってるのよ……」
「あっ……」
地の底から響いてくるような、恨みがましい声に、潤は背筋に寒気を感じた。そう、彼は一瞬忘れていたことを思い出したのだ。一度でも彼女に痛い思いをさせれば、お別れだということを。そして今、彼女に痛い思いをさせてしまったのである。
「うぉわぁぁぁぁぁっ!」
潤は頭を抱えて咆哮した。どうして今の攻撃をかわせなかったのかという後悔が彼を襲う。
「ゆっ、許してください、キャシーさん!
どうかお慈悲をっ!」
「だめ」
キャシーの声は冷たかった。
「ううっ……ど、どうすればっ、どうすれば許してくれますかっ!?」
「……私はね、言葉だけより行動で示す男の方が好きなの。この意味わかるわね?」
「は、はいっ!」
以下、未完。
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