「わたしたち、別れたほうがいいと思うの……」
学校からの帰り道。
いつものように家まで送り、いつものように部屋におよばれした俺に対し、彼女は突然そんなことを言い出した。
付き合い始めて三ヶ月。健全なデートを重ねてきた俺と彼女だが、そろそろ一歩前進したい。今日こそキスくらいしてやるぜ! と決意した矢先の出来事である。
「…………えっ? えええっ?」
俺は彼女を見つめたまま、たっぷり十秒間は固まっていた。
……冗談? 冗談なのか?
だって俺たちには、別れるような理由なんてありはしない。
今までケンカひとつせずに、ラブラブな毎日をすごしてきたというのに! 今日はキスすると決めてきたのに! ……と、まあ、それは置いておいて、だ。
俺は彼女の顔を見直した。
クラスでも一、二を争う美少女。
対して俺は特にパッとしない平凡な男子高校生。一大決意をして告白したら、何とこれがOK! 生まれて初めてできた彼女に、俺の高校生活は一気にバラ色に!
そのハッピーライフが! ラブラブ学園生活が! 俺の初体験がーーーーっ!(……いや、これはとりあえず置いておこう)
ともかく。
それらが全部……全部一気に消えてしまうーーーーーっ!!
「り、理由は? 理由は何なんだ!」
俺は彼女に詰め寄った。
「俺のことが嫌いになったとか? まさか他に好きな奴ができたとか?」
「あ……ううん、そうじゃないの」
彼女はかぶりをふる。
「わたしね。転校することになったの」
「て、転校?」
「うん。とっても遠いところで、会うことも難しいと思うから……別れたほうがお互いのためかなって」
「…………」
……転校? つまり、遠距離恋愛は自然消滅するパターンが多いと言いたいのか?
「ふ……ふふふふ。はーはっはっはっ!」
「……な、何? どうしたの?」
「それくらい、ノープログラムだ!」
「……ノープロブレム、でしょ?」
「おほん! それはともかく、遠距離が何だ! 転校が何だ! 見ろ、あの月を!」
俺は窓から外を指差す。夕日を受けて、ほのかに輝くお月様。ちなみに今日は満月だ。
「つ、月……?」
「そう! どんなに遠くったって、同じ地球の上にいるんだ! あの月と比べたら、どんなところだって、近く感じるぜ!」
「…………」
彼女が、俺を見つめる。
俺も見つめ返した。
……今のは決まったか? 見事に決まってしまったか? もう俺なしではいられないくらい、ハートをわしづかみしてしまったのか?
……今なら、いけるか?
あこがれの……ファーストキッスを!!
俺は……俺は、彼女に一歩、二歩と近づき。そして――。
「あははははっ」
彼女は突然笑い出した。
「キミって、いっつも面白いよね? もうっ、そのギャグがたまんな〜い!」
ケタケタと、腹をかかえて笑う彼女。
……ギャグ? 今のはギャグに聞こえたのか?
真面目に言ったんだけど……まあウケてるみたいだから、いいか……。
何か時々、真面目に言ったことが大ウケすることがあるんだが……気のせいかな。
「でもね……」
と、彼女は笑うのをやめる。
「実は、わたしの転校先って……月よりも遠いの」
「……え? そんなバカな……。一体どこの国なわけ?」
「魔法の国」
「……は?」
「次元を超えたところにある、魔法の国……。実はわたし……魔法の国から来たお姫様だったのよ」
「…………」
俺は口をつぐむ。
……魔法の国……魔法の国……。
お姫様……お姫様……。
……萌え。
って、そーじゃなくて! いわゆる、アレか? アニメによくある、魔女っ子何とかって奴か? 最近は戦うのが流行だという、あの魔法少女なのか? ……そんなバカな。
きっと彼女の冗談だろう。そうだ。冗談に違いない。
「……信じてくれないの?」
彼女が寂しそうな目を向ける。
ウルウル。キラーン。
おおっ! その瞳は! 悲しみに濡れた彼女の瞳は……俺にはまぶしすぎるぜ!
「信じるとも!」
俺は言った。言わずにはいられなかった。
「魔法の国のお姫様? いいじゃん! いわゆるアレだ! メイドさんや巫女さんに並ぶ、萌えキャラのひとつだよ!」
「……も、萌えキャラ?」
「そう! ハートを熱く揺さぶる……ソウル! 魂のソウル!」
「……あの、魂とソウルって、同じ意味なんですけど……」
「ノープログラム!」
「……いや、だからノープロブレムだって」
「ともかく!」
俺は魂のソウルを爆発させた。
「魔法少女、萌えーーーーーっ!」
「…………」
彼女はぽかんと口を開けて俺を見上げる。
……感動した? その顔は、感動してしまったのか?
やはり魂のソウルを込めた言葉は偉大だ!
「あ……あの、意味はよくわかんないんだけど……ありがとう。ちょっとだけ、嬉しかったよ」
彼女は微笑みながら、言った。
「……意味はわかんないけど」
意味がわからなくても感動させる! さすがは魂のソウル!
よし! こうなったら、彼女が感動しているうちに、今度こそキッスを……。
「……えっと、つまり」
彼女がふいに立ち上がる。
「あら?」
目標がはずれ、俺は床に転がった。
「……どうしたの?」
「い、いや、別に……」
キスをしようとして失敗したと言うのは、さすがに恥ずかしいから言わないでおく。
「キミは信じてくれるんだよね? わたしが魔法の国から来たっていうこと」
「もちろんさ! 俺の愛は、次元だって越えて見せるぜ! 何なら、一緒に魔法の国へ行ってもいい!」
「……ホント?」
「本当さ! キミのためなら、例え火の中、水の中! 有明で大手サークルに並ぶのを我慢して、一緒にコスプレだってしてもいい!」
「……また何か意味がわかんないんですけど」
「ソウルだよ! 魂のソウル!」
例え意味がわからなくても、ハートがあればわかりあえる!
「う、う〜ん……。えっと、とにかくキミは、わたしと別れたくないんだよね?」
「そのとーり!」
「いつ戻れるか……わからないよ? またこっちに来る可能性もあるけど、もう来ない可能性もあるの」
「気にしないってば!」
「じゃあ……」
と、彼女は手を差し出した。
「試しに、来てみる? 気に入れば、ずっといてもいいし。ダメだったら……わたしとはお別れ。記憶も消すことになるけど……いい?」
「オッケイ!」
俺は彼女の手を握りしめる。柔らかくて、暖かい手だ。
にぎにぎ。にぎにぎ。
「あの……そんなに握らなくても大丈夫だから」
「気にしない気にしない!」
「……じゃ、じゃあ、今から行くから……少し静かにしててね」
そう言って、彼女は何やらごにょごにょと呟き始める。
呪文でも唱えているのだろうか。
……にしても。
俺は思った。
今回は長いな……。
彼女がこんなに長く冗談を続けるのは初めてである。
魔法の国のお姫様? そりゃあ、そんなのが実際にあったら面白いかもしれないけど……。
魔法のプリンセスだから、『まほプリ』とでも略そうか。
衝撃の事実!
俺の彼女はまほプリだった!
……いいじゃん。
「まほプリ、ばんざーいっ!」
「ちょ、ちょっと! 静かにしてってば!」
珍しい、彼女の慌てた声。
「あ、ごめん」
ついつい喜びを溢れさせてしまった。
俺は謝ってから、彼女を見ると――。
「おおおおっ?」
光ってる! 光ってるよ!
彼女から何やら光のもやみたいなものが発生し――俺たちを包みこんでいる!
「な、なっ……何だ、こりゃーーーっ!」
「だから、魔法の国へ行くんだってばっ」
「聞いてねえーーーーっ!」
「キミが行くって言ったんじゃない! って、ちょっと、動かないでよ!」
俺は光のもやを抜け出そうとした。
だが――身体は動くのだが、一向に前に進まない!
「どうなってんだーーーっ!」
「魔法の途中なんだから、もう出れないの! それより、そんなに動いたら術が安定しなくな――」
と、ふいに彼女の声が途切れた。
あたりが真っ暗になる。
一切の光のない――何も見えない、闇の中。
浮いているような、泳いでいるような、妙な空間の中で、身体がかすかに揺すられる。
わけがわからなかったが――ただ、彼女の手のぬくもりだけは、はっきりと感じられた。
どしーんっ!
「うわっ!」
いきなり、地面に足が着く。
バランスがとれず、俺は盛大に尻餅をついた。
「いつつ……」
「あっちゃあ……」
尻をさする俺の隣で、彼女が同じように座り込んでいた。
見ているのは、遥か前方。
顔をしかめているのは、尻が痛いせいではないらしい。
「もうっ……キミのせいで、とんでもない所に来ちゃったみたい」
「……え?」
彼女の視線を追いかけると――そこに、一匹のゴリラがいた。
……ゴリラ?
いや、違う。
姿は似ているが……、身体はやたらとでかいし、一つ目だし、牙は大きく飛び出してるし……。何か、RPGに出てくるモンスターのような……。
「モンスターよ」
彼女は言った。
「この辺は魔族の支配下にあって……凶悪なモンスターがうようよしているの」
……マジですか?
「着ぐるみとかじゃ……」
ぷるぷる。
彼女は首を振る。
「…………」
……夢? これは夢ですか?
そりゃあそうだ。夢でなければ、こんなところに俺がいるはずがない。
何か周りは森だし、遠くで火山が噴きだしてるのが見えるし……。見たことのない虫や鳥が飛んでるし……。生えてる草も知らないものだし……。
「そう! これは夢なんだ! イッツア、ドリーム! ドリームキャスト! 夢の役者たち!」
「ゴアアッ!」
いきなり、ゴリラが吼えた。そして俺たちに向かって走ってくる。
さすがはドリームキャスト! リアルすぎる光景だ!
「どいて!」
突然彼女に突き飛ばされた。
思いのほか強い力で、俺は後ろに転がっていく。
「召喚! まじかるステーッキ!」
天に向かって、彼女が手を伸ばした。
地面に寝そべったまま、俺はその姿を目にする。
カカッ!
空は晴れ渡っているというのに雷が落ち、彼女の手に収まる。そこに握られていたのは、アニメに出てくるような妙な形のステッキだ。
何か東京タワーに似ているように思えるのは、気のせいだろうか。
「ファイヤーっ!」
ぶんっ、と彼女はステッキを振り回す。
炎の波が生まれ、ゴリラに襲いかかった。
「ギィヤアアアッ!」
火だるまのゴリラ。
苦しそうにもがき、じゅうじゅうと肉の焦げる臭いが漂った。
やがて……ゴリラが動かなくなる。
「とりあえず、一安心ね」
彼女がステッキを一振りした。すると、それはそのまま消えてしまう。
……魔法。……まじかる。
俺は立ち上がった。
「ビバ! まじかるドリーム!」
「……だから意味わかんないって」
「はーはっはっはっ! 帰ろう! 今すぐ帰ろう! こんな危険なところはすぐに出るべきだ!」
「……無理」
彼女は言った。
「無理ですとっ?」
「次元を越えて移動する魔法は、そう簡単には使えないの。月の満ち欠けといった条件や、様々な魔法の道具――何より、大量の魔力を消費するんだから」
「月……? 道具……?」
そういえば、確か満月だったから満ち欠けの条件はわかるが……道具なんて、あっただろうか。
「わたしの部屋には、色々用意してあったんだけど……同じ設備となると、お城に帰らないと無理ね……。それに――」
と、彼女は鋭い視線で周囲を見渡す。
「モンスターが襲ってきたときのために、魔力を残しておかないと……」
「…………」
何か……最悪の事態になったような気がするんだが……。
「……そ、それで、そのお城まではどのくらいかかるんだ?」
「そうね……。町まで出れば教会の設備を使って、お城まで転移できるから……。一週間もあれば何とか」
「い、一週間!? ……まさか、それまではこんなところで野宿?」
「……そうなるかな」
「オー! ノー!」
俺は神に祈った。普段は信じてないけど、困ったときの神頼みだ。
「神様……どうか無事に帰してください! ぷりーず、ヘルプミー!」
だが、まあ当然というか何というか……神様は何も返事をしてくれなかった。
「もうっ……情けないなあ」
彼女がため息をつく。
「キミが来たいって言うからここに来たんだし、キミが魔法の邪魔したからこんなことになったんだよ? いわば、巻き添えを食ったのはわたしのほうなんだから」
「うっ……」
そういえばそうだった。
「それに、帰る帰るって……わたしのこと、どうでもいいんだね? 別にいいよ。帰ったら、キミの記憶なんか消しちゃうから」
後ろを向く彼女。その背中が……小さく震えている。
……何てことだ!
この非常事態に動転してしまったとはいえ……彼女を悲しませてしまうとは!
「大丈夫だ!」
俺は彼女の肩をつかんだ。
「……な、何が?」
「俺には……愛がある! 魂のソウルもある! 巴里は燃えている!」
「…………」
「だから――」
俺は、強引に彼女を振り向かせる。
「俺に任せとけ!」
そのまま、俺は身体を進め――顔と顔が、近づいていく。唇と唇が触れ――そうになったが、あっさりかわされてしまった。
「あら?」
俺は地面に転がった。
「……相変わらず、キミの言葉は意味がわからないけど」
彼女は手を後ろに組み、俺を見下ろしてくる。
心なしか、微笑んでいるようにも見えた。
「要するに……わたしとは別れたくないってこと?」
「もちろんさ!」
グッ、と俺は親指を突き出す。
「キミがまほプリだとしても……俺の愛は変わらないぜ!」
「……まほプリって、何?」
「魔法のプリンセス――キミのことさ!」
「変な省略しないでよ!」
彼女の怒り顔。それもまた萌えだ!
「あとはメガネでもあればいいんだが……」
「話を聞けーっ!」
……まあ、そんなこんなで。
結局キスはできなかったが、俺は彼女に付き合い続けることにした。
お城についてからどうなるかはわからないが、別れるつもりはない。
俺は彼女のことが好きだし、何より――。
まほプリ萌えーーーーーっ!
「モンスターが出たわ!」
「よし! 俺は隠れて応援するぞ!」
「少しは手伝えーっ!」
最近彼女の怒り声をよく聞くが……気のせい気のせい。
おわり。
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