序章 始まりの時
辺りは既に夕闇に包まれていた。しかも、陽はかなり沈みかけており、日没寸前である。
そんな様子を、大きな樹の枝に腰かけて、二人の少年が眺めていた。
互いに肩に鷹を乗せ、一緒になって木の実や果実を食べている。
一人は黒髪で、後ろに伸ばした紙を、黒い紐で結んでいた。なかなか端整なな顔立ちで、優男風である。
もう一人は茶髪で、黒髪の少年が大人びているのとは逆に、幼く野性的な風貌だった。
二人共、銀色の瞳をしていた。その瞳は、薄暗い中でも澄んだ輝きを放っている。
ここは連なる山々の中でも一番高い山の中腹に位置しており、辺り一面を一望できる絶景の場所だった。そしてその見渡す限りの大地を、樹木が占めていた。まさに樹海という言葉がふさわしい景色である。他に見えるものは、遙か先にかすかに見える海だけだ。
単調な景色ではあるが、夕陽に照らされたその眺めは、なかなか幻想的であった。
白銀の月。
沈みかけている太陽の代わりに、月がはっきりと姿を見せ始めた。
月は夜になると最も鮮明に輝くものだが、しかし今日――正確にはこの時だけは、明らかに違っていた。月とは対称の位置に、その月よりも強く輝くものが、ふわふわと漂っているのである。
それを最初に見つけたのは、黒髪の少年だった。
ふと何気なく顔を上げたとき、それが視界に入ったのである。遠くの空で光を放つ、珠玉のようなものを。もちろん、そんなものを見るのは初めてのことである。
一体どこから現れたのだろうか。少年は呆然として、そのままかすれた声を出した。
「セネリア……」
そう呼ばれた茶髪の少年は、食べる手を止めて振り向いた。
「どうした?」
そう返事をしながら、また果実を頬張る。
しかし少年の言葉はなく、横顔しか見せてはくれない。仕方ないので、セネリアはその視線を追ってみた。
「なっ……!?」
ゴクンと口の中のものを飲み込んで、セネリアは言葉を失った。
「な、何だよ、あの光ってるのは? おい、ジェイル!」
「わからない……」
光る玉を見据えたまま、黒髪の少年――ジェイルは呟くように言った。
「…………」
セネリアは彼の横顔を少し眺めると、
「……まあ、あれが流れ星のはずもねえよな」
顎に手をあて、眉を寄せると再び空を見上げた。
最初は驚いていたセネリアだったが、月より明るい光の玉は、単にふわふわと揺れて浮いているだけである。時々、チカチカと瞬いているが、特に大きな変化はないようだ。
彼らの友達である二羽の鷹も一緒に驚いていたが、どうやら落ち着いたらしい。ジェイルとセネリアは、手の中の果実を、それぞれの肩に乗っている鷹に食べさせた。本来肉食であるはずの鷹が果実を食べるのかという疑問があるが、今実際おいしそうに食べているので、問題はないようだった。
とにかく二人と二羽は、ボーっと遠くの光の玉を眺めていた。いくら見ても正体がわからないので、しばらく観察することにしたのだ。
そうして、五分ほどが過ぎたとき。
ふいに、光の玉は大きく弧を描き、海へ向けて飛び出した。そしてそのまま吸い込まれるように水辺線の彼方へと姿を消してしまったのである。
「おい、ジェイルっ。あの光ってる奴、海の向こうに行っちまったぞ!」
セネリアが立ち上がって声を上げた。
「……そうみたいだね。これじゃあ、あれがどこかの陸に落ちたとしても、見に行くことはできないよ」
そういって、ジェイルは残念そうに笑う。
「相変わらず呑気な奴だな。ま、いいけど……。このこと長老やみんなに教えてやろうぜ」
「みんなが見ていなければ、面白い話になるかもしれないけど……」
「平気平気。今頃メシでも食ってるはずだぜ」
そこまで話して、二人ははたと気づいた。もはや完全に陽は沈み、辺りが真っ暗だということに。
「……おい。ついさっきまで夕方じゃなかったか?」
「陽が沈むと暗くなるのは早いんだよ」
不安そうに言うセネリアに、ジェイルは素っ気なく答えた。
「軽く言うなよ! 早く帰らないとまたじーさんにお仕置きされるだろ!」
セネリアはひたすら慌てた。
彼らの住むディネールの村は、この山のふもとにある。その村では、子供は日没までに村に帰らないと、長老にお仕置きされてしまうのだった。
「いいじゃないか。昔話を聞かされるくらい」
さらりとジェイルが言った。
そう。長老のお仕置きとは、強制的に昔話を聞かせることである。話の内容はなかなか面白いのだが、その長さはまさに驚異であった。じっとしているのが苦手なセネリアは、これに耐えられないである。
「とにかく! できる限り早く帰るしかない!」
セネリアは言い、右肩に乗っている鷹を軽く撫でた。
「そういうわけだから、また今度な。ラナース」
そう告げると、ラナースと呼ばれた鷹は、セネリアの肩から大きく飛び立った。
「今から急いでも、もう遅いと思うけどね。ほらウェイルも」
ジェイルが囁くと、彼の鷹も飛び立った。
「早く行けば、許してくれるかもしれん」
いいながら、セネリアは素早く樹から下りた。
「やれやれ」
口の中で呟いて、ジェイルも下りた。
「よし、行くぞ」
セネリアを先頭に、二人は急いで山を下り始めた。途中、ジェイルは一度だけ海の方を見て思った。
(あの光の玉は、どうなったんだろう……?)
自分たちに海を越える能力はない。興味があるだけに、余計残念だった。
村に帰った彼らを待っていたのは、やはり長老のお仕置きであった。ジェイルが思った通り、どちらにしても許して逃れられなかったのだ。長老の昔話を聞くセネリアの姿は、見るからに哀愁が漂っていた。
ジェイルとセネリア。
共に十五歳の時のことだった。
その頃。
遠く海を越えた先にある大陸。
ここにも、ジェイルとセネリアのいるディネール大陸ほどではないが、樹海が広がっていた。
その中に、何やら慌てて走っている、二つの人影があった。辺りは月明かりしかないのでわかりにくいが、少し先を行く一人は青年、その後ろは髪の長い少女だった。
「待ってよ、お兄ちゃん!」
少女が前を行く青年に呼びかける。だが聞こえないのか、少女がいくら声をかけても止まる様子はない。
「……お兄ちゃん……」
少女は悲しそうに呟いた。
仕方なく、少女は息切れして苦しいのも我慢して、そのまま兄の後を追った。
「あっ」
樹木の盛り上がった根に足を取られ、少女は前のめりに突っ伏した。痛みをこらえて顔を上げると、約十メートル前に、立ち止まった兄がいた。
「お兄ちゃん……」
少女は一瞬嬉しそうな顔をした。
だが、違った。
彼は妹が転んだから立ち止まったわけではなかったのだ。
「見ろ、スイレン」
背中を向けたまま、嬉々とした声。
「…………」
失望の色をにじませたまま、少女――スイレンは兄の側に寄った。
兄の一歩手前には、隕石でも落ちたのか跡なのか、大きな穴が開いていた。その中心には、何やら珠玉のようなものが、鈍い輝きを放っている。
「……もしかして、これが……?」
「そうだ。これこそ空から落ちてきた光の玉に間違いあるまい」
兄の興奮が、スイレンにも伝わってきた。
彼は低い笑い声を上げながら、ゆっくりと穴の中心に向けて歩き出した。
スイレンは兄を止めようと手を伸ばしかけたが……手が上がらなかった。
(あたしには……止められない……)
彼が一歩ずつ近づく度に、玉はわずかに光を強めていく。
「…………」
彼はやや緊張気味の顔で、懐から黒い長方形の物体を取り出し、光のたまにあてがった。
途端――。
ボンッ!
煙を吹き出すと同時に、黒い物体は砕け散った。
ビクッ、とスイレンが一瞬、身を縮こませる。
「ふ……はははは! すごい! すごいぞ!」
青年の笑い声は、まるで何かに取り憑かれたかのようだった。
「スイレン!」
不安げな表情の彼女を、振り返って呼ぶ。
「今のを見たか? エネルギー測定装置が、許容量を越えて吹き飛んだぞ! 凄まじいエネルギーだ!」
笑みを浮かべたまま、彼はスッと手を伸ばし、右手で珠玉をつかみ取った。その瞬間、珠玉は眩しいくらいの光を放ち始めた。
「あ、危ないよ、お兄ちゃん……。一体何をする気なの……?」
眩しさに目を細め、手をかざしながら、スイレンが問いかけた。彼女の胸の中で、不安がより強いものとなって、渦巻いていく。
「ふふふ……。スイレン、俺が学者だということを忘れたのか? もちろん、これを研究するんだよ」
妹の問いに答えながら、彼は黒い布を取り出して珠玉を包んだ。これで眩しさから解放される。
「……研究して……どうするの……?」
スイレンが再び投げかけた疑問に、青年から一瞬笑みが消えた。が、今度は優しい笑みを浮かべ、彼女の肩にポンと手を置いた。
「何を心配しているんだ、スイレン? 兄が信じられないか? それとも、学者ライザーが信じられないのか?」
ライザー――それがこの青年の名だった。
「……そういう……わけじゃ……」
うつむいたまま呟くスイレン。しかし、もやもやとした不安は一向に消えなかった。
「わかってくれたか?」
探るように彼女の顔を覗き込むと、彼は肩に置いた手を離した。
そしてふと空を見上げて話し出す。
「スイレン……。俺たちは父も母もいない、二人きりの兄妹だ。おまえには貧しい生活で苦労させてきたが……この研究を成功させて、お前に欲しいものは何でも手に入れられる豊かな生活をさせてやる。そして……」
低い笑いを浮かべるライザーに、スイレンは不吉なものを感じた。
「お兄ちゃん、あたしは今の生活……」
満足してるから、と言いかけた彼女の目が、驚愕に大きく見開かれた。ライザーは、妹の話など聞いていなかったのだ。スイレンは、そのことに気づいてしまったのである。
兄の口から、次の言葉は出てこなかった。彼の瞳に、狂気の色が混ざっているように見えるのは、自分の気のせいだろうか。
「……お兄ちゃん……」
スイレンは、どうか気のせいであるようにと、心の底から願うのだった。
そして、三年が過ぎた。
第一章 スイレン
まだ太陽が地上に顔を出して間もない早朝。
海を目指して、少女が一人、樹海の中を走っていた。
流れるような長い金髪と白い肌、瞳の色は青。
少女は、現在十七歳へと成長したスイレンだった。
大事そうに胸に抱えた黒い布の中から、時々光りがこぼれている。
――そう。彼女が持っているものは、三年前に兄と偶然見付けた、あの珠玉だった。
「……お兄ちゃん……」
うつむき、口の中で呟いてから、スイレンはハッと気付いて顔を上げる。
海は、もう目の前に広がっていた。
十日ほど前のことだった。
「スイレン!」
しばらく村を出ていたライザーが、突然彼女の所に戻ってきた。
「……お兄ちゃん……?」
いきなりの来訪に、スイレンは目を丸くする。
三年前、兄は珠玉のことを調べるため、村の文献を漁っていたのだが、こんな小さな所ではたいしたものはないらしく、すぐにこのヴァイハオの村を出ていってしまった。その彼が戻ってきたということは、調べが付いたということだろう。
もちろん兄が帰ってきたことは喜ぶべきことではある。しかし彼の嬉々とした表情を見て、スイレンは胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
「お、お帰りなさい……」
口に出たのは、その一言。久しぶりに会えた兄に、本当はもっと色々言いたいのに。
「聞いてくれ、スイレン! ついにあの玉の調べが付いたんだ!」
心底嬉しそうな顔の兄から出た言葉に、スイレンは一瞬愕然となる。
やはり、予感は的中していたのだ
そんな妹の様子も知らず、ライザーは楽しそうに話し出した。
「俺の手に入れた文献によると、あの玉の名は秘星球。ここから東の海を越えた大陸にあったという、ディネール文明が最後に作り出したものだ」
「…………」
困惑した表情のスイレンに、ライザーは薄く笑った。
「秘星球の名は、星をも破壊する力を秘めていることから付いたらしい。これを手にした者は、強い意志を持って願うことで、その望みを叶えることができる。ふふふふ……科学を越えた素晴らしい発明だ。そうは思わないか、スイレン?」
「……お兄ちゃん。それで望みを叶えるつもりなの?」
その視線には非難が込められていたが、彼が気付いた様子はない。
「当然だ。しかし、慌てて願ったりはしない。どんな副作用があるともしれんからな。しばらくは実験を繰り返すさ」
さすが科学者だけあって、そういう部分は冷静だった。
「悪用を恐れた開発者は、悪用を恐れて宇宙の塵の中に隠した。秘星球は生物が直接触れない限り、願いを叶えることはできないらしいからな。安全だと思ったんだろうが……。三年前、おそらく重力に引かれてしまったのだろう、再びこの星に戻ってきてしまったわけだ。大気中で燃え尽きないとは、たいした技術だよ」
ライザーはしきりに感心している。
「……その、開発をした人……悪用を恐れたのなら、どうして秘星球に願わなかったの? 秘星球自身を消すようにって」
そうすればわざわざ宇宙に隠す必要もなかったのに、とスイレンは訪ねた。
「だめなんだ」
とライザーは言った。
「俺の手に入れた文献もそんなに詳しく書いてはいないから、推測も含むが……。願いを求める生物がいる限り、そういう願いは受け付けないようだ」
「……破壊はできないの? そんなすごいものを作れる技術があるなら、壊すことなんて容易なはずじゃない?」
「……スイレン……」
妹の問いに、ライザーはふっと笑った。
「いくら悪用を恐れたとはいえ、秘星球は当時の技術力でも群を抜いた発明品だ。そういうものを、作った本人が壊せるはずがない。特に、学者と呼ばれる連中には無理な話だ」
「…………」
スイレンは沈黙した。
ライザーは自身も学者であるため、開発者の心理が読みとれるらしい。逆にスイレンのような一般人には、さっぱり理解できなかった。
「お兄ちゃん……」
彼女の表情が、ゆっくりと、迷いの中から何かを決意したように変化していく。
そしてその決意を口にしようと言いかけたとき。
「スイレン。悪いがこれからやることがあるんでな跡で食事を持ってきてくれ」
そう言うとライザーは、帰ってからろくに休んでもいないというのに、さっさと自分の研究室に閉じこもってしまった。
「…………」
先ほどの決意もどこへやら、スイレンは何もできない自分に深いため息を付いた。
五日が過ぎた。
ライザーは、トイレや、たまに風呂に入る以外、ほとんど研究室から出てこなかった。
「……お兄ちゃん、何してるんだろ……」
村の通りを歩きながら、一人呟くスイレン。
何日も閉じこもるのは前からあることだが、今回は場合が違う。秘星球という、とてつもなく危険なものがあるからだ。
彼女が心配しているのは、その星をも破壊するという強大すぎる力が、いつか兄の身を滅ぼしてしまうのではないか、ということだった。望みが叶うなどという、ものすごいものを手に入れれば、我を忘れて夢中になるのも無理はないと思う。しかし、信じたくはないが兄も人間だ。欲にかられて、自制心を失わないだろうか。もしくは、使用方法を間違えて、秘星球の力を暴走させてしまわないだろうか。何にしても、不安は尽きなかった。
一緒に秘星球を見付けてしまった時から、いつか優しい兄が、自分のまえから消えてしまうような気がして……。
スイレンは、何度もやめるよう頼もうとしたが、あれだけ夢中になっているものを、兄が途中でやめるはずがない。
「……はあ……」
スイレンはまたため息を付いた。ここのところ、ため息の回数が多い。
しばらく歩いていくと、彼女はやがて一軒の家の中に入った。
「ごめんください」
「おや、スイレンちゃん。久しぶりだね。お兄さん、帰ってきたんだって?」
そう言って奥から出てきたのは、やや太り気味の中年女性だった。金髪に青い瞳、白い肌。もっとも、このヴァイハオの村に住む人間は皆、こういった特徴を持つ人種なのだが。
「え、ええ。無事に戻ってくれて嬉しいです」
スイレンは一瞬曇った表情を、また笑顔に戻して言った。
「おばさん、これお願いします」
「はいよ」
彼女はスイレンから、部品発注のメモを受け取った。ここは村で唯一の、機械の部品屋なのである。
「それにしても、あんたも大変だねぇ」
メモに書かれた部品を奥の棚から集めながら、彼女は言った。
「……何がですか?」
「あんたのお兄さんのことだよ」
と顔をしかめて、
「三年近くも妹を放っておいて、帰ったと思ったらまた研究かい? いい加減にしてほしいわねぇ」
「……わたしならいいんですよ、おばさん」
憂いをおびた瞳には、悟ったような、諦めたような表情がある。
「お兄ちゃんにとって、研究は生きがいなんです」
「……あんたの生きがいはどうなるんだい?」
「……わたしは……」
スイレンは苦笑いを浮かべて言った。
「生きがい、ありませんから……」
「…………」
部品屋の女性は驚いたように目を丸くし、そしてため息を付いた。
(この子はまだ若いのに……生きがいがないなんて……)
ふと、あることを思い付く。
「スイレンちゃん、ちょっと待ってておくれ」
と奥の部屋へ行き、やがて戻ってきた彼女の手には、数個の果実があった。
「こんなもんでよければ、持っていっておくれ」
「……いいんですか?」
「遠慮することないよ」
彼女は部品と一緒に、袋に果実を詰める。
「頑張りなよ。頑張って、絶対生きがいを見付けるんだよ」
そう笑って、スイレンの肩をポンと叩いた。
「は……はい。ありがとう、おばさん」
スイレンは久しぶりに、心の底から微笑んだ。
「ただいまー」
お使いを終えたスイレンは、いささか晴れた気持ちで自分の家にもどった。
「あれ……? お兄ちゃん?」
てっきり研究室にいると思っていた兄が、今で紅茶を飲んでいた。
「おかえり、スイレン」
ライザーは彼女に気付くと、微笑んでみせた。
「……どうしたの、お兄ちゃん? もう少し待っててくれれば、紅茶くらいわたしが煎れたのに」
普段やらないようなことをすると、少々不気味に思える。
「これ……注文通り買ってきたから、ここに置くね」
スイレンは袋をテーブルの上に置いた。
その拍子に、袋から果実が転がり落ちる。
「ああ、これはね。お店のおばさんにもらったの。後で一緒に食べよ?」
「……そうだな」
ライザーは曖昧に頷いた。
「お兄ちゃん……何か話したいことがあるの?」
スイレンが訪ねた。兄の態度が、そういう感じだったのだ。
さすがに妹だけあって、彼女の予感は的中した。
ライザーはニヤリと笑みを浮かべる。
「お前に、見てほしいものがあるんだ」
そう言うと、テーブルから部品の入った袋を取り、研究室の扉を開けた。
「おいで、スイレン」
「えっ……?」
スイレンは一瞬、兄の言葉を疑った。滅多に入れてはくれない研究室に入れとは、一体どういうことだろうか。
不安を覚えるスイレンに、ライザーは声をかけた。
「遠慮することはない」
「…………」
スイレンは少し考えてから、扉の向こうに足を踏み入れたのだった。
「…………」
スイレンは言葉を失ったまま、それを見ていた。
「どうだ、スイレン? これも秘星球の力によるものだ」
彼女の反応に満足そうな顔をしながら、ライザーは言った。
『はじめまして、スイレンさん』
わずかに雑音が混じってはいるが、確かに声を発したのは、目の前のそれだった。
部屋の約三分の一を占める、巨大なコンピューター。早い話、パソコンのようなものではあるが、大きい分、性能はいい。中央の画面には、初めて見る顔だが、ヴァイハオの村人と同じ人種の少年が映っていた。一見少女のようにも思える、そんな中世的な容姿の少年である。
「お兄ちゃん、これは……一体……?」
戸惑いの声を上げるスイレンに、
「そんなに驚くことでもないさ」
とライザーは言った。
「コンピューターが声を出したり、人の姿を映すことは、あの事件が起こるよりも前からできたことだ。その程度なら、秘星球を使うまでもない」
あの事件とは、約二百年前、一瞬にして世界中に樹海が広がり、人工が爆発的に減った、現在でも謎とされている事件のことである。相当高い文明を持っていたと言われる当時のあらゆる文明は滅んだ。残った少数の人々は各地に村を作り、わずかな文明の利器を回収して細々と暮らしている。ヴァイハオの村もその一つだ。しかし電気をエネルギー源としていた当時の道具にほとんど使えるものはなく、ライザーのようにコンピューターを使っているのは非常にまれである。
「そんなことより、もっと画期的なことだよ」
とライザーは言った。
機械がしゃべるだけでも十分画期的だと一瞬思ってから、スイレンは耳を疑った。これ以上、さらに何があるというのだろう。いつになったら、兄は満足するのだろう。
「ふふふ……」
ライザーは笑みを浮かべた。
「このコンピューターはな、スイレン。意志を持っているんだ。プログラム入力で作った疑似人格ではないぞ。自分で考え、行動できるのだ。……もっとも、今のところ行動は制限してあるがな。いわば、生命を得たと同じことだ」
「……!」
スイレンはまたも驚き、息を呑む。
(機械が、生命を得るなんて……)
信じがたい事実であった。そもそも、兄と違って機械に弱い彼女は、そんなことなど考えたこともない。
「お兄ちゃん、こんなことして、一体何をするつもりなの?」
「何って……俺の助手にするつもにだが?」
「助手……? そ、そうなの……?」
あっさり言うライザーに、スイレンは拍子抜けした。
考えてみれば、この村にはライザー以外に機械に強い人間はいない。先ほど部品を買ってきた店の女性も、ただ使えそうなものを適当に集めてくるだけだ。助手が欲しいと言われれば、なるほどと納得できる。
『よろしくお願いします、スイレンさん』
「こ、こちらこそ」
画面に映る少年に、スイレンはぎこちなく笑いかけた。
その日、ライザーは珍しく早く眠った。それも滅多に使わない寝室で。
丁度いいと思って、スイレンはその隙に、研究室に入り込んだ。
『スイレンさん、どうしました?』
「もっと静かにしゃべって。お兄ちゃんが起きちゃうから」
『わかりました』
と少年は声をひそめて、
『ところで、どうしたんです? こんな夜中に』
「あなたに用があってね。ほら、昼間話してたでしょ? あたしが、あなたに名前を付けるって」
スイレンは、ライザーがコンピューターの少年を紹介された後、その少年にまだ名前がないことを知った。ライザーはあまり関心がないようだったが、それではかわいそうだということで、スイレンが付けることになったのだ。
『もしかして、考えてくれたんですか?』
少年の声が、嬉しそうにはね上がる。
「静かに静かに」
『あ、はい』
慌てて声を落とすと、少年は画面一杯に笑顔を浮かべた。
そんな様子を見ていると、機械なのに本当に生きているような気がしてきて、不思議だった。
『早く、教えてください』
少年は期待に満ちた瞳で見つめてくる。
スイレンは小さく笑って言った。
「そうね、気に入ってくれるといいんだけど。……ルクラナスなんて、どうかな? この村の近辺に咲く、淡い紫色をした小さな花の名前なんだけど」
『ルクラナス――ですか』
少年は少し考え込んだ。
気に入らなかったのかな、とスイレンは思ったが、違ったようだ。
『ボクの記憶にはありませんね』
少年は、ライザーに覚えさせられた事柄の中から、思い出そうとしていたらしい。
スイレンは苦笑した。
「お兄ちゃんは、花には興味がないから……」
『でも、気に入りました。ありがとうございます』
「そう? よかった」
と微笑むと、彼女は一呼吸置いてから、本来の目的である話を切り出した。
「ねえ、ルクラナス」
さっそく付いたばかりの名前を使う。
『はい、何ですか?』
と少年は嬉しそうに返事をした。
「訊きたいことがあるの。”秘星球”について」
『…………』
ルクラナスは黙り込んだ。そしてためらいがちに口を開き、
『すみません、ライザーさんからそのことは口止めされているんです。スイレンさんには絶対言わないようにと』
「お願い、教えて。お兄ちゃんが心配なのよ」
スイレンは必死の表情で訴えた。
「このままじゃ、どんな事態になるかわからない。危険があるなら、あたしが止めたいの」
『…………』
沈黙の後、ルクラナスはポツリと言った。
『……兄想いなんですね、スイレンさんは』
「……ルクラナス……」
『わかりました。名前のお礼も兼ねて、特別に教えましょう』
少年はそう言って微笑んだ。
「ありがとう」
とスイレンも微笑む。
『まず、今日はライザーさんが早く寝てしまいましたが、それも秘星球に原因があります』
「……確かに、疲れたからって、そうそう寝る人じゃないけど……」
スイレンとしては、仕事が一段落付いたから、というのが一番の理由だと想っていた。ルクラナスの話では、それも理由の一つには違いないが、直接の原因ではないらしい。
次に出た少年の言葉は、スイレンを驚愕させるのに十分だった。
『秘星球は、願いを叶えるのと引き替えに、その者の精気を奪います。願いが大きければ大きいほど、精気は必要なのです』
「じゃ……じゃあ、お兄ちゃんは精気を吸い取られて……!?」
スイレンの息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
『そうです。……もっとも、三日も寝れば回復する程度の量でしたが』
「…………」
スイレンは何も言えなくなっていた。秘星球は、やはり危険なものだったのだ。例え寝れば回復するといっても、精気を取られるなど、大事なのに違いはない。
夜も更けた頃、スイレンは布団の中で、強い決意を胸に固めた。
(わたしが……あたしが何とかしなくちゃ……)
そうして、全ての準備が整ったのが、それから五日後のことだった。
行動を始めたのは、夜明けの約一時間前。
兄の寝ている隙を付いたのだ。
スイレンは、研究室に忍び込んだ。
「ルクラナス」
明かりを付けて、囁いた。
『スイレンさん、用意はできています』
ルクラナスは、機械の手を伸ばし、彼女の前に持っていった。この五日間で、彼はどんどん改良されていき、行動能力がぐんと増したのだ。
ルクラナスの持っているものは、珠玉であった。スイレンが手に取ると、それはまばゆい光を放ち始める。そう。まぎれもなく、秘星球であった。
スイレンは、秘星球を保管しているルクラナスに、事前に頼んでおいたのだ。余計なことだと怒られるかもしれないが、兄を助けるために、秘星球を自分に渡すようにと。
そして、ルクラナスはそれを承諾した。
「ありがとう、ルクラナス」
秘星球を黒い布で包んで、スイレンは言った。
「……でもごめんね。こんなこと頼んじゃって」
『いいんですよ』
とルクラナスは笑みを浮かべた。
『ボクはあなたの優しさに、素直に感動しただけです』
ちょっと照れたようにスイレンは笑って、
「……もう、行くね。わたしがいない間、お兄ちゃんをお願いね」
『お気をつけて』
「じゃあ」
軽く手を振り、スイレンは研究室を出る。やがて玄関のドアを閉める小さな音が聞こえた。
しばらくすると、おもむろに研究室のドアが開いた。
「おい……」
ルクラナスに声をかけて、入ってきたのは、ライザーだった。寝不足なのと、低血圧なのも手伝って、幾分目つきが鋭くなっている。
「スイレンはどこへ行った?」
『…………』
ライザーの問いに対して、ルクラナスは無言だった。
スイレンに向けていたような、人なつっこい笑顔もなく、一転して無表情となっている。
「秘星球はあるのか?」
訪ねるライザーに、一呼吸分置いてから、ルクラナスは答えた。
『持っていきました。スイレンさんが』
「……やはり、そうか」
ライザーは短く息を吐いた。
こうなることは、ある程度予測していたらしい。
「どこへ行ったかはわかるか?」
『訊くまでも、ないかと思いますが』
「……そうか」
ライザーはモニターに映る少年を軽く睨んだ。
「俺は後を追う。お前は留守番でもしていろ」
『はい』
「それと、村の連中は誰も家には入れるな」
『わかりました』
愛想もなく、ルクラナスは答えた。わずかに冷笑が混じっているようにも見える。
ライザーはそんな少年の姿を一瞥すると、言葉もなく出ていった。
ルクラナスは自分の機能を使い、村の各地に設置してある隠しカメラを操作して、ライザーが完全にいなくなるのを確認すると、
『ふん』
と小さく鼻を鳴らした。
そしてふいに、明かりもない研究室に、カチャカチャと機械の作動音が響き始める。これはルクラナスが自分で動かしているのだが、ふいに音が止むと、隣室のドアが開いた。その部屋はライザーの物置となっているのだが、そこから一つの人影が現れた。
背はそれほど高くはないが、やたらにゴツゴツとした体つきで、一歩踏み出すと、カチャリと金属音が響いた。その音は床にぶつかったものではなく、その人影自身から鳴ったものである。
『よぅし』
とルクラナスは、そいつの姿を見て言った。
『船を用意してある。ライザーを追え。好きなように遊んできていいぞ』
キィッ、とそいつは返事の代わりに、金属がこすれ合うような音を出した。
ふと、いつの間にか周囲が明るくなってきているのに、気付いた。カメラの一つで外を見ると、空が白み始めているのがわかる。
『……もう夜明けか。早く行け。村の者には見付かるなよ』
キィッ、と頷いて答えるそいつの姿が、窓から差し込む明かりで、はっきりと見えた。
そいつは、人間ではなかった。身体中金属で覆われた機械人形――ロボットだ。
これは、とある文明で造られていたものの設計図をライザーが偶然手に入れ、ルクラナスと共同で造っていたものである。だがライザーが知る限り、これはまだ未完成で動けないはずだった。しかし能力の上がったルクラナスが、彼が寝ている数時間の間にここまで造り上げたのである。
機械人形は、ゼアーと名付けられていた。スイレンと違って、ライザーは名前に意味など持たせないので、適当に言葉を組み合わせたものである。
ゼアーはぎこちない動きをしながらも、丁寧に玄関から出ていった。
『ふん』
何か不満でもあるのか、ルクラナスは鼻を鳴らした。そして小さく呟く。
『……秘星球、か……』
しばらくの沈黙の後、突然それまで無表情だった顔が、パッと輝いた。
『よーし、いいこと考えた』
そう言ってルクラナスは、満面に笑みを浮かべるのだった。
海岸には、いくつか船が用意してある。以前にライザーが造ったものだが、ほとんど使ったことはない。燃料は、船の甲板の約半分に設置してある太陽電池。天候が悪化した場合に備えて、充電機器も取り付けてある。
世界中でも珍しいことだが、ヴァイハオの村では電気を得るのに、ソーラーシステムを使っていた。文献を見て、ライザーが興味本位で設計したのだが、皆が喜ぶからとスイレンに頼まれて、仕方なく各家で使えるようにしたのだ。そのときは随分感謝されたものだったが、ライザーは素っ気なく、研究にこもってばかりなので、皆寄り付かなくなってしまった。
そんなことを少し思い出しながら、スイレンは船に乗り込んだ。
遠距離用の、中型船である。
ところで、どうして船が使われないのかというと、ヴァイハオの村では魚を食べるという習慣はなく、海を渡って他の大陸へ行くこともない。何しろ、ここからは大陸など形も見えないし、進んだところで何があるかわからないのだ。従って、そんな危険を犯そうとする者はおらず、航海術も発達していなかった。
ライザーが船を造ったのは、例によって昔の文献に興味を持ったためである。完成して何度かテストしたとき、スイレンも一緒に乗っていた。そのとき教わったこともあって、操縦方法はわかっている。
スイレンは起動キーを差し込み、エンジンをかけた。この船で動かすものは、進むためのペダルと止めるためのペダル、スピード調整のレバー、進行方向を決めるためのハンドルと少なく、はっきりいって楽である。しかも遠距離用なので、海図で行き先を登録するか、進行方向さえ決めれば、自動航行も可能だ。もっとも、現在海図は存在しないので、方角を覚えさせるしかない。スイレンは、兄の話を思い出し、東に行くことにした。秘星球が造られたという、ディネール文明の存在した地へと。目的は、秘星球を兄の手の届かない所へ送り、破壊、もしくは永久に封印することである。ディネール文明も二百年前に滅びたらしいが、その地へ行けば、何か手がかりがあるかもしれない。確証はないが、そう信じるしかないのだ。
しかし、問題は付くまでの日数だ。食料は何とか一週間分用意したが、何しろ距離がわからないため、それ以上かかるようだと、非常にまずい。だが考えても仕方ないことだ。危険を防ぐには自分も危険を覚悟するしかないと信じ、やるだけやってみようと思った。
しばらく潮風にあたっているのも悪くなかったが、眠くなってきた。今日の行動のために、昨夜は一睡もしていないのである。
スイレンは船を自動操縦にし、船室で横になって眠りに付いた。
どうか無事に着くようにと願いながら……。
運のいいことに、天候は穏やかなままだった。村を出発してから、約一日半が過ぎている。昼間だったが、スイレンは慣れない船旅からの疲れと、することがないせいもあって、船室で眠っていた。が、突然船に激しい振動が響き、彼女は慌てて飛び起きた。
「い、一体何が……!?」
揺れは一回だけで、今は止まっている。
甲板に出て外を見た途端、彼女は絶句した。
船の下には、砂浜が広がっている。すぐ後ろには、海がある。
どうやら、船は打ち上げられたらしい。陸に着いたのだ。
だが、驚いたのはそれだけではない。景色が、彼女のいた大陸と似ていたためである。
一瞬、戻ってしまったのかと思ったが、
「……違う」
彼女は、すぐに気付いた。
樹海が広がっているのは同じだが、よく見ると樹の種類が違っており、ましてやこんな海の近くまでは生えていない。第一、遠くに見える巨大な山脈。あんなものがあるだけで、既に決定的だ。
ここは、明らかに別の大陸だったのである。
第二章 出会い
「おい、ジェイル。こっちにラクールの実があるぞ」
三年が過ぎ、かなり青年らしく成長したセネリアが、振り返って呼びかけた。
呼ばれた彼――ジェイルも、
「そうか」
と言って、振り返る。彼も背が伸び、顔つきも幾分男らしくなっていた。
二人は、樹海の中にいた。今日は彼らが食料を集める係なのだ。
相変わらず彼らの側には、鷹のウェイルとラナースがいる。さらに今日は、狼のグレイルも付き添っていた。
ディネールの村の人々にとって、樹海に住む動物は仲間である。従って、彼らは決して動物の肉などは食べない。では何を食べているのかというと、木の実や果実、米や野菜などの植物である。しかしこれでは栄養バランスに問題がありそうだが、そんなことはない。彼らは、草食性なのだ。そういう身体のつくりをしているのである。それは樹海の動物たちも同じで、本来肉食のはずのウェイルにラナース、グレイルでさえ肉は口にしない。
その代わり――なのだろうか。彼らは、子宝に恵まれにくい体質をしていた。十年の内に、せいぜい四、五人程度生まれれば良い方である。そんな理由もあり、ディネールの村の人口は、五十にも満たなかった。
「早く来いよ」
とジェイルを促して、セネリアは先に進んだ。
「おっ、うまそー」
ラクールの樹を下から見上げ、セネリアは笑みを浮かべた。その樹には、真っ赤に熟れた果実が、数え切れないほど実っている。彼は背負っていた籠を下ろし、難なく樹をよじ登ると枝に腰かけ、さっそく実を一つ頬張った。
「うーん、うまいぜっ」
柿にも似た甘みが口の中に広がり、セネリアは唸った。そのすぐ側では、ウェイルとラナースが、二羽で実を食べている。
「……よく食う奴らだな」
セネリアは呟いた。だが、そういう彼自身も、いきなり食べ始めている。
「ま、いいか。ジェイル、実を落とすから、ちょんと取れよ」
そう言うと彼は、次々と実を採り、下に落としていった。うまいもので、ジェイルは素早く動いて手に取り、背中の籠にどんどん実を入れていく。それでいて、ときどきグレイルにも実をやるのを忘れない。
籠は、すぐに半分ほど埋まった。
「セネリア、もういいぞ」
ジェイルが上に向かって声をかける。
「そうか。よし、お前も食え」
セネリアは、ラクールの実を一つ投げてよこした。パッと片手で受け取ると、ジェイルはそれを口に含む。
「よっと」
五メートル以上は高さはある枝から、セネリアは飛び降りた。軽く着地すると、さっさと自分の籠を背負う。こちらはまだ空だ。
「ジェイル、次行こうぜ」
言いながら、また実を頬張る。
「そうだな」
ジェイルは頷き、樹の上を見上げた。
枝に止まっていた二羽の鷹はその視線に気付き、食べるのをやめて降りてきた。そしてジェイルとセネリア、それぞれの肩の上に止まる。
「行こうか」
ジェイルがグレイルの頭を撫で、一行はさらに樹海の奥に向かった。
ガサリ。
ふいに、草木のこすれ合う音が聞こえた。
風はない。樹海は来たときと変わらず、静かなままだ。
では、前方から聞こえたあの音を起こしたのは、一体何なのだろう。
人なのか、獣なのか。どちらにしろ、何かの気配を感じる。
ガサリ。
また聞こえた。
スイレンは果物用ナイフを構えて、前方を見据えた。武器になりそうなものが、これしかなかったのである。だが、何もないよりはましだろう。
それにしても、一体何がいるのか。
音はゆっくりだが、確実に近付いてきている。
スイレンは、この先に見える大きな山を目指していた。ふもとまで行けば、誰かいるかもしれないと思い、思い切って向かってみたのだ。
この音の主が好意的なら問題はないのだが、仮に襲われるようなことでもあれば……自分がやられる可能性は高い。どちらにしろ、こんなところで死ぬわけにはいかなかった。
しかし。先程近くで鳴ったその音を最後に、何も聞こえなくなった。おそらく身を潜めているのだろう。どこからか視線を感じる。
「…………」
スイレンの頬を伝って、一筋の汗が流れ落ちた。
その瞬間。
視界に黒い影が入り込む。相手は、真横から飛びかかってきた。
「くぅっ――!」
ナイフを向ける暇もなく、スイレンは組み伏せられてしまった。
重くて身体は動かせないが、相手はそれ以上何もしてこない。恐る恐る閉じた目を開けてみると、何と――。
「お……狼……?」
彼女自身、本物を見たことはないが、兄の本で見た記憶があった。何故じっとしたまま動かないのかわからないが、スイレンは何とか狼を振りほどこうと、身をよじる。だが、やはり彼女の力では抜け出すことはできなかった。
「グレイル!」
ふいに誰かの名を呼ぶ声がした。その声とほぼ同時に、草むらが揺れ、二人の青年と二羽の鷹が飛び出してくる。狼はそちらに顔を向けると、彼女から身体を離した。
(この人たちが飼い主なのかな……?)
ともかく一息付き、スイレンは起き上がりながら、服に付いた汚れを落とす。そして改めて彼らに目を向けた。
黒髪と茶髪、二人とも銀の瞳。肌もどこか黄色っぽく、明らかに、スイレンとは違う人種だった。
話には聞いていたが、初めて見る自分とは違う人種に、スイレンは驚いた。だが、それ以上に目の前の彼らは驚いたようだった。
「……君は誰? どこから来たの……?」
しばしの沈黙の後、やや戸惑いながらも、黒髪の青年ジェイルが最初に口を開いた。
彼らはつい先程まで食料を探して歩いていたのだが、知らない人間の気配がしたので、狼のグレイルに先に調べに行ってもらったのである。
「おい、ちょっと待てっ」
急にセネリアが声を上げ、ジェイルの手を取って自分の方に引き寄せた。
「うわっ、何だ?」
ジェイルはよろめいて転びそうになる。その傾いた体勢を直しながら、セネリアは彼の耳元に、素早く囁いた。
「おい、ジェイル。お前いくら女の子が珍しいからって、いきなり声をかける奴があるかよっ」
「……は?」
「いくらきれいな顔してるといっても、相手は何者なのかわからないんだぜ?」
「……お前、かなり勘違いしてるな」
当然ながら、声をかけたのはナンパ目的ではない。
「セネリアも、長老の昔話で聞いたことがあるだろ? おそらく彼女は、他の大陸から来たんだ」
「何いっ!」
驚くセネリア。
他の大陸――。
彼らの住むディネール村のあるこの大陸とは別に、世界には無数の大陸が存在しているという。そこには様々な文化を持ち、違う人種の人間が住んでいるという話を、セネリアは思い出した。
そして二人は振り返り、スイレンに視線を向ける。
(どうやら……敵ではなさそうね)
とスイレンは苦笑する。
彼らは聞こえないように話していたつもりらしいが、声が大きく、全て彼女に筒抜けであった。使っている言葉も共通語なので、理解ができる。
「あなたたちの言う通り――」
とスイレンは言った。
「わたしは他の大陸からやってきたわ」
「えっ――?」
彼女の言葉を聞くと、二人の青年は目を見開いた。
(あれ……?)
そういえば、彼らはスイレンに聞こえないつもりで話していたのである。なのに、『あなたたちの言う通り』などと声をかけてしまっては、それは驚くだろう。
(う〜ん……失敗)
スイレンは、今度は自分に対して苦笑した。
「……ねえ君、お腹すいてない?」
ジェイルが背中の籠から、ラクールの実を一つ手に取り、スイレンに投げてよこした。実は、狙い澄ましたように、見事彼女の手の中に収まる。
「それはラクールの実。おいしいから、食べてみなよ」
ジェイルは笑顔を向けた。
「…………」
スイレンは一瞬迷ってしまう。
確かにお腹はすいていたが、食料はまだ背中のリュックに残っている。それに、果たして彼らの食料が自分に合うのかどうか。しかしここで断るのは失礼になるし、好奇心もあり、結局食べてみることにした。赤い実を、一口かじってみる。
「あ、おいしい……」
思わず声が出るほど、その実は本当においしかった。柔らかくて、とても甘い。
スイレンは、知らず知らずのうちに、ラクールの実を食べ終わっていた。
「ありがとう。とってもおしいかった」
礼の言葉を述べて、スイレンが前を見る。すると、セネリアと動物たちが、その場に座り込んで一緒に実を食べていた。セネリアはともかく、鷹や狼は肉食ではなかっただろうか。と彼女は首を傾げる。
「喜んでもらえて嬉しいよ」
微笑んで、ジェイルが言った。
「ところで、もう一度訊くけど、君はどうしてここに?」
「えっ……」
とスイレンは、思わず言葉を詰まらせた。
ここに来た理由。それは、他人に簡単に説明できるようなことではない。
「バカっ」
急に立ち上がったセネリアが、ジェイルの頭を小突いた。
「自己紹介が先だろっ」
「……なるほど」
それは一理ある。いきなりでは、話しにくいかもしれない。
「というわけで、俺の名はセネリア。肩にいるのがラナースだ。んで、こいつがジェイルで、もう一匹の鷹がウェイル。そしてこっちの狼がグレイルだ」
とりあえず、名前だけを簡単に説明する。
「わたしはスイレン」
彼女はにっこり微笑んで言った。
「海の向こうの大陸にある、ヴァイハオの村から来たの」
「スイレンか……よろしく」
「じゃ、スイレンちゃん。次は趣味を教えてっ。あ、恋人はいるの?」
「……何を訊いてるんだ、セネリア……」
呆れ顔のジェイル。
「あ、あの……」
と困ったように小さく首を傾げながら、スイレンは言った。
「……先に、わたしの方から質問していい?」
「どうぞどうぞ」
促すセネリア。
しかし軽い雰囲気の笑顔を浮かべる彼とは逆に、スイレンの表情には緊張が走る。
(すぅー……はー……)
と一呼吸置いてから、彼女は話を切り出した。
「みんなは、ディネール文明って知らない……?」
「ディネール文明……?」
「……ディネール……って、俺たちの村のことだよな?」
顔を見合わせるジェイルとセネリア。
「ええっ!?」
思わず大きな声を上げるスイレンに、彼らの方が驚いてしまう。
(じゃ、じゃあ、ディネール文明はこの大陸に……)
運がいい、と彼女は思った。
文明が滅びているのは知っているが、彼らの村に行けば何か手がかりがあるかもしれない。スイレンは、そのためにここまで来たのだ。
まさか一日半で着くとは思っていなかったので、見当違いの所に来たのでは、と不安だったのだ。だが、行動してみるものである。
スイレンははやる気持ちを押さえながら、彼らに頼み込んだ。
「わたしを村に連れていって!」
「えっ……」
呆気に取られるジェイルとセネリア。
「お願い!」
懸命な様子のスイレンを見て、二人は「どうする?」と目配せする。
そのときだった。
ドォンッ!
樹海の奥――海のある方角で、突如爆発音が響いた。一瞬遅れて、白い煙が吹き上がる。
「な、何事だっ!?」
とセネリアが問いかけるが、答えられる者がいるはずはない。誰もが、予想外の出来事だったのだ。
吹き上がる煙は、ゆっくりと収まっていく。
何が爆発したのかはわからないが、樹海が火に包まれることだけは避けられたようだ。
ドォンッ!
また爆発が起こった。最初のものより、こちらに近くなっている。
「行くぞ、ジェイル!」
そう告げると同時に、セネリアは駆け出していた。もちろん、爆発した方に向かってである。
「よし」
ジェイルも続こうとしたが、スイレンの存在を思いだし、足を止めた。しかし彼の予想に反して、彼女は既に走り出している。
「ま、待て! 君は残れ!」
すぐに追いつき、スイレンの腕をつかんだ。だが、彼女はその手を振りほどく。
「嫌よ! わたしも行く!」
険しい表情のスイレン。
彼女の急変に戸惑いながらも、ジェイルは何とか説得しようとする。
「危険があるかもしれないんだ! 山のふもとに俺たちの村があるから、君はそこに――」
「……気になるの……」
うつむき、スイレンは呟く。
「えっ?」
「……何か……何かよくわからないんだけど、すごく嫌な予感がして気になるのよ。だからお願い……行かせて」
真剣な目だった。そこまで必死だというのなら、ジェイルには止める理由がない。
「……わかった。しっかり付いて来いよ」
「ありがとうっ」
スイレンは安心したように笑みを浮かべて、再び走り出した。
しかしその後、彼女は正直困ってしまった。
彼らは、とても足が速かったのだ。スイレンには、とても追いつくことなどできなかった。それでも、ジェイルはさりげなく待ってくれていて、ありがたく思った。
そうして、二分も走り続けた頃――。
樹の影から周囲の様子をうかがうかのように、セネリアとラナース、グレイルが立っていた。
「どうした?」
邪魔にならないように静かに近付き、ジェイルは訊ねた。彼の肩にウェイルが止まり、後ろには肩で息をしているスイレンもいる。
「うーむ……気配がよくわからん」
二人の姿を確認し、セネリアは言った。
「だが近くにいるのは確かだ」
「そうか」
ジェイルは頷き、ポンとスイレンの肩を叩いた。
「気を付けろ」
「……う、うん」
周囲を見回し、警戒するスイレンだが、はっきりいって何もわからなかった。それどころか、今自分のいる位置も不明で、彼らから離れればこの樹海から抜け出すことさえできるかどうか。
ただ――。
ただ何となく、嫌な予感が頭にこびりついて離れないのだ。
どのくらいそのままでいたのか、スイレンにはわからない。しかし、緊張感が消えることはなかった。幾筋もの汗が彼女の頬を伝う。
ふいに。
本当にふいにだった。
ドォンッ!
左の方で、あの爆発が起こった。
スイレンやジェイルたちの視線がそちらに向けられる。
「ぐぉああああーーーっ!」
一瞬遅れて、男の絶叫が響き渡った。
それとほとんど同時に、何かが投げ出されるように放られてきた。
それは、人間だった。受け身すら取れずに、地面に叩き付けられる。
あまりの突然なことに、ジェイルとセネリアは呆然としていた。
だが、スイレンの反応は違う。
「……そ……そんな…………まさか…………」
胸に鈍い痛みが走るのを感じた。喉がカラカラに乾き、声が震えていた。
信じられないものを見ているかのように、スイレンの目は大きく見開かれている。
心の中で懸命に否定しながら、スイレンはその男に呼びかけた。
「お……お兄ちゃん……?」
地面に血まみれで倒れている男は、彼女の兄、ライザー間違いなかった。
「お兄ちゃんっ!」
スイレンはもう一度呼びかけた。
何故彼がこんな所にいるのか、こんな目に遭っているのか。理由はまるでわからないが、そこにいるのは間違いなくライザーだと、彼女は確信する。
「ス……スイレン……」
かすかに、ライザーが動いた。まだ息はある。
「……お兄ちゃん!」
はっと我に返ったスイレンは、彼に向かって走り出していた。
(まだ助かる。まだ――)
それはかすかな希望だった。しかし、次に発した彼の言葉に、スイレンは一瞬耳を疑った。
「……来るな……!」
「えっ?」
意外な言葉に戸惑いながらも、彼女は足は止めなかった。ライザーは何を言おうと、早く彼の元に行くべきだと判断したのである。そうしなければ、手遅れになってしまうかもしれないのだ。
「来るんじゃない! 逃げろっ、スイレン!」
びくっ。
今までに聞いたことのない、ライザーの鋭い声に、スイレンは今度こそ足を止めた。
重傷だというのに、半身を起こしながらの必死の叫びである。それがスイレンには理解できなかった。
「ど、どうして――お兄ちゃん……」
次の瞬間。
ヒュンッ。
その場にいた全員に、風を切る音が聞こえた。
スイレンの目の前を銀色の何かが通り過ぎ、うめき声と共に、鈍い音が響く。
「なっ……」
あまりの出来事に、スイレンは呆然となった。
一本のナイフが、ライザーの左胸に、深々と突き刺さっていたのである。
ごふっ、とライザーは大量の血を吐き出した。
「お……お兄ちゃんっ!」
スイレンは泣き叫んで、彼に寄り添った。もう、虫の息だった。
「どうして……どうしてなのっ? どうしてお兄ちゃんがこんな目にっ……!」
「……ス……スイレン……」
最後の力を振り絞り、ライザーは手を伸ばした。スイレンは、その手を両手でしっかりと包み込む。
「す……すまないな……」
注意しないと聞き取れない程のか細い声で、ライザーは言った。
「……お前を……幸せ……に……してや……れ、なく…………て…………」
スイレンの両手から、ライザーの手がするりと抜け落ちた。
「……お兄……ちゃん……」
震える手で、身体に触れてみた。急速に冷たくなっていく。心臓は……動いていなかった。
「……そんなっ……どうしてっ……! どうしてっ……!」
もう動かない兄の身体に顔を押し付け、スイレンは泣いた。頭の中が真っ白になって、何も考えられなかった。できたのは、ただ泣くことだけだった。
「スイレン……」
そんな彼女の様子を見て、ジェイルたちは沸々と怒りが沸き上がっていた。
まだ知り合って間もないスイレンだが、彼女の目の前で兄を殺すような下劣な真似をする奴は、人間として許せなかった。
「誰がやりやがった! 出てこい!」
セネリアが怒りの形相で叫んだ。その声は、深い樹海の中へと、吸い込まれるように消えていく。
一瞬、しんとなる樹海だが、やがて奥の方から何かが聞こえてきた。
…………キィッ…………キィッ…………。
金属のこすれ合うような音だった。段々と、近付いて来るのがわかる。
「…………?」
ジェイルとセネリア、そして泣いていたスイレンも、その音に怪訝な顔をした。この樹海では、これまでに聞いたことのない音なのである。
「グウゥゥ……!」
「よせ」
グレイルがうなり声を上げたので、ジェイルは頭を撫でて落ち着かせた。
やがて、木々の間から、ゆっくりと人影が姿を現れる。
「なっ……何だ、こいつ!?」
目を丸くし、声を上げるセネリア。
ジェイルも思わず息を呑む。
その異様な姿は、彼らを驚かせるには十分過ぎるほどだった。
その姿とは――人型をした金属の塊。いわば、ロボットだ。しかしそのロボットは、人型に金属を張り合わせただけ、と言えるような、かなりいびつなものだった。
しかしそれこそが、秘星球を使ったライザーによって生み出された、ルクラナスが完成させた機械人形、ゼアーであった。ゼアーは命令により、スイレンを追うライザーを付けてきたのである。
「……こいつなのか? スイレンの兄貴を殺したのは……」
訝しげにロボットを見て、セネリアは言った。
「そうみたいだな」
とジェイルが応える。
「スイレン、奴を知っているか?」
「知らない……」
首を振るスイレン。
「でも、もしかしたら……お兄ちゃんが研究していたロボットなのかも……」
ライザーは自分の研究の事を話したりはしないが、あんなものを造れるのは、彼の他には思い当たらなかった。しかし仮にそうだとしても、何故生みの親であるライザーを殺すのか。訳が分からないが、あのロボットが兄の仇であることに違いはない。
(どうしてなの……本当に……)
スイレンは涙で目を腫らしたまま、ゼアーを睨み付けていた。
「よし」
セネリアは、腰に差してある短剣を抜き、構える。
「ともかく、あいつは俺が倒す。ジェイルはスイレンを守れ」
「わかった」
頷き、ジェイルはウェイル、ラナース、グレイルと共に、スイレンの所まで移動した。
「ここは危ない。離れよう」
静かな口調でそう言うと、スイレンは困ったように顔を上げる。
「でも、お兄ちゃんが……」
「俺が運ぶよ」
ジェイルはライザーを両手で抱きかかえた。
「さ、行こう」
とスイレンを促す。
ライザーの身体から血が滴り、ジェイルの服に染み込んだが、彼に気にした様子はなかった。
「ありがとう」
一緒に走りながら、スイレンは小さく呟いた。聞こえたかどうかは、わからない。
涙は、今は止めようと思った。泣くのは、後でいくらでもできる。
「よぅし」
セネリアはちらりと後ろを見て、皆が離れたのを確認すると、ゼアーを睨み付けた。
「いくぜ!」
自分の声を合図に、セネリアは駆け出し、正面から近付いていく。そうして注意を引きつけて置いて、彼は素早く横に飛んだ。
相手を正面から見据えるため、ゼアーは身体の向きを変えるが、そのスピードは遅い。
セネリアはその隙に一気に距離を縮め、ゼアーの懐へと潜り込む。
「くらえっ!」
彼は余裕の笑みを浮かべ、斜めから斬り付けた。
ガギッ!
鈍い音が響く。
「ぐっ……」
一瞬、セネリアは歯ぎしりすると、素早く離れた。
「くそっ」
と悪態を付く。
「あいつ、何て硬いんだ」
斬り付けたときの衝撃で、手が痺れている。それでいて、相手の方には小さな傷しか付いていない。
(まいったな……)
と内心、セネリアは思った。
威勢良く攻撃したものの、ゼアーのダメージは皆無のようなものだ。まともにやっては、弱点でも見付けない限り、倒せそうにない。
キィィッ。
例のい金属がこすれ合う音を出して、ゼアーはおもむろに、セネリアに右手を向けた。
右手――といっても、実際手はない。代わりに、筒のようなものが付いていた。
「何だ、あれは?」
疑問に思いながらも、セネリアはとりあえず距離を取ることにする。
「……”銃”って奴か?」
長老の昔話で、何となく聞いた記憶があるが、よく覚えてはいない。どちらにしろ、わからないものに迂闊に近付いては危険だ。セネリアは、ジェイルたちのいる方向とは逆に走った。
ドンッ!
いきなり、ゼアーは手の筒から、何かを発射した。一瞬見えたが、黒い玉のようなものだった。
「くっ――!」
咄嗟にセネリアは、樹の後ろに隠れて空中に飛び上がり、顔の前で腕を交差させた。
ドォンッ!
先程セネリアのいた地に玉は落ち、爆発が起きた。それにより、激しい爆風が彼に襲いかかってくる。
「うわぁぁっ!」
周りの木々の葉が散らされ、セネリアも吹き飛ばされた。
「セネリアさんっ!」
爆発音に振り返って、スイレンは叫んだ。
煙が立ち上っている。
兄を血まみれにしたあの爆発に、間違いなかった。
スイレンが泣きそうな顔をしていると、
「大丈夫。セネリアはあれぐらい平気だから、心配しなくていいよ」
どこかのんびりした口調で、ジェイルが言った。こんな状況だというのに、まだ余裕があるかのようだ。
「でも……」
その様子に戸惑いながらも、スイレンは彼の抱えているライザーに目を落とす。
「お兄ちゃんはあれで殺されたようなものだし……」
「…………」
そんな彼女を、ジェイルは少しの間見ていたが、やがて、
「ここまで来ればいいか」
と呟き、ライザーを降ろして地面に寝かせる。
「セネリアもあいつを倒すのは難しそうだし……行っておいで、ラナース」
ジェイルは自分の上で飛んでいる鷹に、声をかけた。
するとラナースは大きく羽ばたき、煙の上る方へと向かっていく。
「これでセネリアも楽になるだろう」
満足そうに笑みを浮かべるジェイル。
そんな彼を、スイレンは不思議そうに見つめていた。
「ってく、いてぇな」
ぼやいて服をはたきながら、セネリアは立ち上がった。
驚いたことに、彼は煙と土が付いて汚れただけで、無傷だった。代わりといっては何だが、服が少々破れてしまっている。
「くそっ。替えの服なんて、あまり持ってないんだぞ」
彼は呟き、そこにたたずむゼアーを睨み付けた。
キィィッ。
ゼアーは今度は、左手を上げた。こちらには、きちんと人間の形をした手が付いている。
「次は何だ?」
身構えるセネリア。
よく見ると、ゼアーの左手首からナイフが突き出してきて、丁度柄の部分をつかめるようになったそして腕だけをひねって、ナイフを放つ。それだけの動きだというのに、かなりのスピードで向かってきた。風を切って、セネリアに迫る。
「へっ……」
鼻で笑い、セネリアはスッと膝を落とした。そしてタイミングを合わせて短剣を振り上げ、ナイフを上空へと弾く。
ニヤリ、と笑うセネリア。今のは身をひねるだけでも避けられたのだが、こうすることで余裕を見せつけたのだ。
と、そのときである。
上空に弾いたナイフの方から、悲鳴のような叫びが聞こえてきた。
「何だ?」
思わず上を見上げる。
見上げて、セネリアは顔をひきつらせた。
「げげっ、ラナース!?」
悲鳴のような声を出したのは、何と鷹のラナースだった。どうやら弾いたナイフが、こちらにやってきた彼に、当たりそうになったらしい。
セネリアの前まで飛んできたラナースは、ギャーギャーと文句を言った。
「いやあ、悪い悪い」
パタパタと手を振って、苦笑しながらセネリアは謝った。
「まさか、いきなりあんなとこにいるとは思わんかったからな……。でもまあ、丁度いいや」
顎に手を当てて、彼は薄く笑い、無反応なゼアーを軽く睨んだ。
「よーし。いくぞ、ラナース」
ゼアーを見据えたまま、セネリアは一つ深呼吸し、おもむろに上着を脱ぎ捨てた。上半身、裸である。
「はあっ!」
鋭い気合いの声と共に、セネリアが両手を突き出すと、その手は淡い光に包まれた。彼はゼアーに動きがないことを確認しながら、その両手でラナースに触れる。途端、光は大きく広がり、セネリアとラナースを呑み込んだ。
一瞬の後。
光は消え、そこには一人の人間――いや、人間と獣が混じり合った、半獣人が立っていた。体格は人間だが、全身を羽毛と鱗で覆われ、顔も鷹のものとなっている。
「ふう〜っ……」
大きく息を吐くと、半獣人は短剣を構え、ゼアーを見据えた。
「――獣身合体!?」
知らない言葉に、スイレンは聞き返した。
「そう。ディネールの村の者たちは、樹海の動物だちと合体することができる」
もちろん俺もね、と付け加えて、ジェイルは言った。
「…………」
スイレンは言葉を失った。
彼の言うことだから、嘘とは思えない。
ディネール文明は、そんなことまで可能にしてしまったのか。と、彼女は少し恐くなった。
「合体は人間の方を基本にして行うんだけどね」
とジェイルは説明する。
「動物の持つ能力を、二倍以上にして使えるようになるんだ。……あ、ちなみに意識は共通だから」
「…………」
スイレンは絶句したままだった。
意識が共通とは、一体どんな感じになるのだろうか。
しかしそれより。
(……お兄ちゃんが知ったら、どう思うんだろ……)
何となくそんな考えが頭に浮かび、彼女は仰向けに寝かされている兄の顔を見つめた。
半獣人と化したセネリアの背には、鷹の翼が生えている。彼はその能力を使って、上空へと舞い上がり、相変わらず無反応なゼアーを見下ろした。
「今度こそ、覚悟しろ!」
彼は短剣を構える。空での動きも、全く問題ない。
しかしふいに。ゼアーの様子に変化が現れた。
二、三度身体を震わせると、シュウッ、と各間接部から煙が吹き出したのである。
「な、何だっ?」
戸惑うセネリア。
しばらくして煙が収まったゼアーは、彼に顔を向けた。
「……な、何だか知らんが……とにかくいくぞ!」
セネリアが急降下し、ゼアーに突っ込んでいく。
「てやあっ!」
スピードに乗ったまま短剣を振り下ろし、見事頭から斬り裂いた。
と思った。
「何っ!?」
セネリアは驚愕した。
金属の弾ける鋭い音が響き渡る。彼の短剣は、粉々に砕け散った。
「ぐっ……!」
飛び散る破片のいくつかがセネリアの身体を切り、思わず顔をしかめる。
さらに追い打ちをかけるように、突然ゼアーの左手が動いた。咄嗟のことで、セネリアも避けられない。ゼアーの左手は、彼の腹にめり込んでいた。
「ぐふっ!」
苦痛にセネリアの顔が歪む。
さらに、もう一発。
ゼアーは筒状になっている右手で、彼の頭を横から殴り付けた。
「ぐあっ!」
その勢いのまま、地面に叩き付けられる。
「うぐっ……! こ、この野郎……!」
呻きながら、セネリアは何とか手を振りほどき、一旦空へと逃れた。
「……いきなり動きが素早くなりやがって」
ぎりっ、と歯ぎしりにして、顎の当たりをさする。
「くそっ……顔が歪んだらどうする」
それだけでなく、愛用の短剣を砕かれた怒りもあるが、何よりも今、切実な問題があった。セネリアは、他に武器を持っていないのだ。加えて、ゼアーの動きが速くなったとなると――、
「まずいな……」
セネリアは苦笑した。
そんな彼に、ゼアーは右手を彼に向け、照準を合わせる。
「……不安だ……」
ポツリと呟き、ジェイルは表情を曇らせた。
「……どうしたの?」
スイレンが訊ねるが、彼は顔を向けただけだ。
「ウェイル」
ジェイルは自分の右肩に乗っている鷹に呼びかけた。
それだけで理解したのか、ウェイルは肩から離れる。
そしてジェイルは上着を脱ぎだした。
「えっ……?」
驚くスイレン。
(いきなり何を――?)
そんな彼女の戸惑いを余所に、彼は「はあっ!」と気合いの声と共に両手を突き出した。
光の眩しさに、スイレンはおもわず目をつむる。そして光が消えて目を開けると、彼女は息を呑んだ。目の前には、鷹の半獣人と化したジェイルがいる。
「これが……獣身合体……?」
スイレンは目を丸くしたままだ。
事前に服を脱いだのは、身体の変化で服が破れないようにするためらしい。
「様子を見てくる。君はここで動かないでくれ」
優しくそう言うと、ジェイルは翼を使って浮き上がった。
「何かあったら、グレイルに頼むといい」
「うん……。気を付けて」
心配そうに見つめるスイレンに、ジェイルは頷き、そして飛び立っていった。
セネリアのいる所とは、反対の方向に。
「えっ……?」
とスイレンは困惑顔になった。
あの方向には、大きな山がある。
ふもとに村があると、前にジェイルは言っていた。彼がそこに向かうつもりなのはわかったが、何故すぐにセネリアの所へ行かないのかはわからなかった。
しかし、彼には彼なりの意図があるのだろう。そう理解したスイレンは、自分にも何かやるべきことがないのか探し、そして見付けた。
「グレイル」
と、自分の前にいる狼の名を呼ぶ。
「お願いがあるの」
グレイルの頭を撫でながら、スイレンは言葉を告げた。
ドォンッ!
空で起こった爆発から、セネリアは素早く離れた。しかし爆風でバランスが崩れ、熱で肌が焼けるそうなほど熱い。
「くそっ」
何とか体勢を直しながら、セネリアは唸った。
武器を持たない彼には、逃げ回ることしかできない。海にでも誘い出そうとしたが、相手は付いてこないのだ。あの爆発する玉が尽きるまで、逃げるしかないか、と彼は思っていた。
確かに、ゼアーの動きはかなり速くなったが、セネリアには及ばない。ただ、それまれ体力が持つかどうかが心配だった。
爆発が起こる範囲は広いので、かなりの距離を飛ばねばならない。スピードがいるので、結構疲れるのだ。
移動したセネリアに、ゼアーはまたも右手を向けた。
「来るか?」
その右手に視線を集中させ、玉の軌道を読もうとする。しかし――ゼアーが例の玉を発射する動作をしても、何も起きなかった。
セネリアは怪訝な顔つきになった。
「……玉がなくなったのか……?」
それならば、絶好の機会だ。ゼアーがナイフを放っても、彼には避ける自信がある。が、武器がないことには攻撃できない。
どうしようかと考えていると、セネリアは何者かの気配を感じた。
段々と、近付いてくる。
それが誰なのか、彼はすぐに気付いた。
「――グレイルか!?」
その通りだった。
木々の間から、狼のグレイルが飛び出してきたのだ。
すぐさまゼアーがナイフを放ったのだが、グレイルは難なくかわしてしまう。
「よぅーし」
笑みを浮かべて、セネリアは大地へ降り立ち、グレイルと一緒に樹の影へと隠れた。
「応援に来てくれたのか」
セネリアはグレイルの頭を撫で、そして考える。
「……少し疲れるが……やるしかないか」
決断し、互いに頷くと、セネリアは両手を突きだした。獣身合体の構えだった。
手から光りが溢れ、セネリアとグレイルを包み込む。
そして光が消え、現れたのは、鷹と、さらに狼を加えた半獣人だった。
体型は人間のままで、体毛と耳は狼のものになり、口には鋭い牙、手からは爪が長く伸びている。背中には、変わらず鷹の翼。
こういう外見上の姿は、ある程度自分で調節することができた。全体的な能力も、数段上がっている。これは、二重の獣身合体だった。
確かに能力は上がる。だが、この二重の合体は、体力よりもむしろ精神力を消耗する。疲労も激しいので、短時間しか合体していられないのだ。それに、もし限界を越えて合体し続けると、最悪精神障害を起こす可能性もある。
「へへっ……。これだけ能力が上がれば、素手でも倒せるかもな……」
呟き、笑みを浮かべるセネリアの頬からは、幾筋もの汗が伝っていた。
ゼアーが近付いてくる。
一歩一歩、ゆっくりと。だが確実に。
セネリアは樹の影で待ち構えていた。
位置は向こうに知られているだろうが、素早さは彼の方が上だ。危険だが、セネリアには自信がある。
そうして、ゼアーが残り七歩の位置まで来たときだ。
「セネリアっ!」
聞き覚えのある声が彼の耳に届く。
次の瞬間、金属を激しく打ち合う音が響いた。
セネリアが驚き、振り返って目にしたものは、仰向けに倒れたゼアーと、そして――。
「ジェイルっ!」
そう。そこには、ウェイルと獣身合体した、ジェイルが立っていた。
セネリアの顔に、自然と笑みが浮かぶ。
「応援に来たよ」
とジェイルは微笑みかけ、
「ほら、これ。長老から借りてきた」
持っていた長剣をセネリアに渡した。
「じーさんから……ねえ……」
受け取った長剣を、彼はまじまじと見つめた。この剣は、以前見たことがある。といっても、長老が大事にしまっているので、一度しかないのだが。それでも、すごいものらしい、というのははっきり覚えている。
「……ジェイル。お前、よくこんなもの借りてこれたな」
「まあね」
と彼は苦笑しながら、指で頬を掻いた。
そして視線を移す。そこには、ゼアーが立っていた。
会話の間に、ゆっくりとだが、身を起こしていたのだ。
ゼアーはすぐさまナイフを放った。そして次の瞬間にはもう、二人に向かって駆け出している。
「セネリアっ!」
「任せろ!」
言ったと同時に、セネリアは剣を鞘から抜き、前に出ていた。そして飛んでくるナイフを剣で払う。
そのときセネリアは、今までに感じたことのない感触を、その手に味わった。ナイフが、まるで豆腐でも切るかのように、あっさりと二つになってしまったのである。もちろんこれは、ナイフが豆腐のようだったわけではなく、セネリアの持つ剣の切れ味のせいだろう。
「すげえ」
と思わず口の中で呟いた。
その間にも、ゼアーは二人に近付いてきている。なかなか速い動きだったが、既にセネリアは見切っていた。
突っ込んでくるゼアーに対し、彼は一瞬にして真上に跳躍した。
突然セネリアの姿が消え、ゼアーは混乱する。
「今だ!」
とジェイルが合図した。
「よっしゃあっ!」
剣を持つ手に力を込め、セネリアは思い切り振り下ろした。
斬ったような、感触はなかった。なかったのだが、ゼアーの身体は、脳天から真っ二つに分断されていた。避けた身体の内側からは、バチバチと火花が飛び散っている。
「斬れ味が良すぎるな……」
セネリアは何となく顔をしかめ、剣を収めた。ここまで良く斬れてしまうと、扱いには厳重に注意しないといけない。些細なミスも許されないこの剣を、何故長老が大事にしまっておいたのか、少しわかったような気がする。
やがて、ゼアーの身体から出ていた火花は消え、動作音もなくなり、彼は地面に倒れ込んだ。
それを見届けて一息付くと、セネリアとジェイルは合体を解いた。
光が溢れ、ラナースとグレイル、そしてウェイルが現れる。
「……一応埋めてやるか」
ゼアーを見つめ、セネリアが呟いた。
「このままにしておくわけにもいかないしな」
彼の意見に、ジェイルも賛成する。
それに、戦いが終われば、敵も味方も関係はない。全力を尽くした相手に対する、多少ながらの敬意でもある。
彼らは丁重に土に埋めた後、一人待っているスイレンの元へ戻った。
「……そう。倒したのね……」
ゼアーを倒したことを報告しても、彼女別段嬉しそうな顔はしなかった。
当たり前か、とジェイルは思った。
そんなことをしても、死んだライザーは帰ってこないのだ。
「……何か、まだ信じられないな……」
わずかだが、集めてきた花の添えられた墓の前で、スイレンはポツリと呟いた。
ここは、ディネールの村近くにある墓地である。
ジェイルの勧めで、ライザーの遺体はここに埋葬することになったのだった。樹海の中では、どこに埋葬したのかわからなくなる可能性もあるからだ。
「お兄ちゃんが、こんな風になるなんて……」
「……………………」
ジェイルとセネリアたちは、声をかけることができなかった。
スイレンは肩を震わせ、ポロポロと涙をこぼしている。
「ああーっ!」
突然セネリアが声を上げた。
何事かとスイレンが振り返ると、
「ラクールの実はどうしたんだよ、ジェイル!」
セネリアがジェイルに詰め寄っている。彼らは今日の食料収集当番なのだ。
「ああ……」
とジェイルは頭を掻きながら、
「そういえば、持ってくるの忘れたな。ははは……」
「笑い事じゃなーいっ!」
セネリアは顔をひきつらせて叫んだ。
「俺はやだぞ! 長老のお仕置き、あの長い昔話!」
「籠もなくしたから、倍の長さかも」
とどこか楽しそうにジェイルが言った。
「いやだぁぁっ!」
頭を抱えるセネリア。
そのとき。
小さな笑い声が上がった。
ハッとして、セネリアとジェイルは、その声の主に注目した。
目から涙をこぼしながら、スイレンがおかしそうに笑っている。
「あ、ありがとう、励ましてくれて。わたしは大丈夫だから」
と涙を拭きながら言った。
半分は違うんだけど、と思いながら、彼らは照れくさそうに笑うのだった。
第三章 ディネールの村
樹海の中に埋もれるように、ディネールの村はあった。
といっても、家は十軒ほどしかなく、小さな広場や道がある程度だ。田畑は、ここから少し離れた川の近くにあるらしい。
ヴァイハオの村と違って機会がないので、色々と不便は多そうだが、しかしスイレンは、少しの間なら住んでみたい気がした。そういう生活も悪くないかもしれない……そんな気分だ。
「気に入った?」
とジェイルは、村に見入っているスイレンに訊いてみた。
隣にはセネリア、それにウェイル、ラナース、グレイルがいる。
「ええ。素敵なところね」
スイレンは微笑んだ。
本当に気に入ったようなので、ジェイルとセネリアも嬉しくなった。
「それじゃあ、さっそく長老の家に……と、その前に。少し待っててくれ。家で着替えてくる」
言うなり、ジェイルは駆け出していた。彼の服は、ライザーの血が染み込んでいたのである。
スイレンは何だか悪いような気がした。
「お待たせ」
ジェイルはすぐに戻ってきた。あまり代わり映えのしない服を着ている。
「あの……ごめんなさい、ジェイルさん」
申し訳なさそうに、スイレンは謝った。
「服を汚してしまって……」
「ん? ……ああ、別にいいさ。それよりこう。長老に君のことを紹介しなきゃね」
ジェイルの言葉に、スイレンは頷いた。
最初は兄のために――兄を危険な状態にする秘星球を封印するために、ディネール文明の跡を探してここまでやってきた。しかし今はそれだけではない。いつまた悲劇を生むかもしれないこの秘星球を、誰の手にも渡らないように――永久に封じ込めるのだ。
(お兄ちゃんと同じような人は、もう絶対に作っちゃいけない……)
まるで使命感のような、そんな強い思いがあった。
「ああ、またお仕置きか……。気が滅入るなぁ……」
歩きながら、セネリアがぼやいた。
「素直にあきらめろ」
とジェイル。
セネリアは「う〜っ」と唸っている。
二人の様子に、スイレンはおかしそうに微笑んだ。
ジェイルたちが長老の家に向かってしばらくすると、誰かが声を上げながら駆け寄ってきた。
黒髪のおかっぱ頭で、小柄な少女だった。快活そうで、なかなか可愛らしい。
「ジェイルーっ!」
少女はセネリアやスイレンには目もくれず、嬉しそうにジェイルの胸に飛び込んでいった。
「わわっ、スズナっ?」
驚きながらも、ジェイルはしっかりと受け止める。
「えへへ、おかえりー」
少女――スズナは、懐かしそうに頬をすり寄せた。といっても、わずか数時間会えなかっただけなのだが、それでも彼女にとっては辛いことらしい。
「はは、ただいま」
そんな彼女を、ジェイルは遠慮がちに、だがやさしく抱きしめるのだった。
「おいこら、スズナ。俺のことは無視かよ?」
仲良く抱き合う二人の側で、セネリアが不機嫌そうに口を挟んだ。
スズナは顔だけ向けると、
「あれ? セネリア、いたの?」
と冷たい言葉を放った。
「お、お前なあ……!」
怒りに身を震わせるセネリア。
くすっ、とスイレンは思わず笑いをこぼした。
それに気付き、スズナは自分とは違う人種の彼女を、好奇心一杯の瞳で見つめた。
「ねえ、この人は?」
「あ〜……えーと……」
「……何て説明すればいいのかな……」
返答に困るセネリアとジェイルだが、代わりにスイレン本人が答えた。
「はじめまして。わたしの名はスイレン。こことは違う大陸から来たの」
「……じゃあ、おじいちゃんが昔話で言ってた、外の人なの?」
「多分、そうだと思うわ」
「へぇ〜、あたし外の人って、初めて見たなぁ」
スズナは大きく目を見開いた。
「あたし、スズナ。よろしくね、スイレン」
そう言って差し出された手を、スイレンは軽く握って応える。
「こちらこそ」
二人は笑顔を交わした。
「ジェイル、お腹すいてない? あたし、ご飯作ったんだー」
自慢げだが、ちょっと照れ臭そうに、スズナは彼の裾を引っ張った。
「あ……でも、先に長老のところへ行かないと……」
困ったように頭を掻きながら、ジェイルが断ると、見る見るうちにスズナの目は涙で潤みだした。
「……ジェイル、食べてくれないの……? あたし一生懸命作ったのに……」
「あ、食べます食べます」
ジェイルが即座に答えると、彼女は途端に笑顔になった。
「よかったー。じゃ、いこーよ」
スズナはそのまま引っ張っていこうとするが、
「おい、待て。俺の分は?」
セネリアが引き止めた。
ウェイル、ラナース、グレイルも、訴えるような目で見ている。
スズナは一同を見回すと、頭を掻きながら、明るく笑った。
「あはは、ごめーん。みんなの分はないんだー」
「何ぃぃっ!?」
叫ぶセネリア。
「そりゃねーだろっ! 俺だって腹減ってるのに!」
ウェイルたちも、ギャーギャーと喚いている。
「――というのは、嘘」
スズナが言うと、ピタリと喧噪が止んだ。
「実はみんなの分も、ちゃんと作ってあるのでーす」
「おおっ!」
歓声が沸き上がる。
「さすがスズナちゃんっ!」
セネリアやウェイルたちは、彼女を褒め称えた。
「あ、もちろんスイレンも食べていいからね」
「あ、うん」
少し迷ったスイレンだったが、そんなに慌てることもないかと思い、頷いたのだった。
小さな広場の中にある、木で作ったテーブルと椅子に、ジェイルたちは座っていた。さすがに動物たちは椅子に座れないので、ウェイルとラナースはテーブルの上、グレイルは地面に横たわっている。
「おまたせー」
スズナは大きな釜を布で押さえて、重たそうに運んできた。
「あ、俺が持ってやるのに……」
立ち上がりかけたジェイルを、スズナは「大丈夫」と笑顔で制す。
「ほらほらウェイル、ラナース、どいて。危ないよ」
二羽の鷹が、慌ててそこから離れる。
ドンっ、とすぐさまテーブルの上に釜が置かれた。
蓋を取ると、もうもうと湯気が立ち上がる。中身は米の飯だった。
「えへへ、おいしそーでしょー」
そう言って茶碗とさらに盛りつけるスズナの姿は、実に楽しそうである。ちなみに、皿はウェイルたちが食べやすいようにという配慮だ。
やがて全員に配り終えると、何故か沈黙が訪れた。
「あれ……? どうしたの、みんな?」
スズナは不思議そうに一同を見回す。
「……あ、あのさ、スズナ。気持ちは嬉しいんだけど……」
困ったようにジェイルが口を開いた。
他の者には普通の量なのに、ジェイルの茶碗だけ、彼の顔が隠れるくらいの高さで、山盛りにされているのである。
「俺、こんなにはちょっと……」
「大丈夫。育ち盛りなんだから」
ジェイルの言葉を、スズナは笑顔で返してしまう。
「あの〜……俺もう少し……」
欲しいんだけど、と言うセネリアだが、あっさり無視された。
「…………」
仕方ないので自分でよそおうと、セネリアは釜を見たが、中は既に空だった。
ちょっとだけ、彼は寂しかった。
「……ねえ。あたし、ジェイルのために作ったんだよ?」
ジェイルを見据え、スズナはまた目を潤ませた。
「食べてくれないの……?」
「い、いただきまーす」
顔に一筋の汗を浮かべつつ、ジェイルは笑顔でご飯を口に運んだ。
「おいしい?」
「うん、おいしい」
嘘ではなく、本当においしかった。
「よかった」
そう言って喜ぶ彼女の姿は、本当に嬉しそうで、見ていて微笑ましかった。
「あの……スズナさん。オカズはないんでしょうか……?」
卑屈そうに、セネリアが口を開いた。
「……何へりくだってるの?」
「別に……」
相手にしてくれないのが寂しいとは、さすがに言えない。
「……まあ、いいけど。はい、オカズ」
スズナは一緒に持ってきた箱を開け、中にあった一つを、彼のご飯の上に置いた。
「こ、これはっ……」
セネリアは目を見開く。
「た、沢庵……」
しかも一本丸ごとである。
「何か不満?」
「い、いえ、ありがたく食べさせて頂きます」
セネリアはそっぽを向き、ボリボリと沢庵を食べ始めた。
「あ、あの……ちょっと質問していい?」
ずっと機会をうかがっていたらしく、会話が途切れた隙に、スイレンが口を開く。
「え? なあに?」
「ジェイルとスズナちゃんって、随分仲がいいみたいだけど……もしかして、恋人同士なの?」
「えっ……」
「……い、いきなり何言ってんのよ、スイレンってば。もうっ……照れるじゃないっ」
顔を真っ赤にして、一人ではしゃぐスズナ。
だが彼女とは逆に、落ち着いた様子のジェイルが、やがてポツリと答えた。
「……まあ、一応……」
「へえ……そうなんだ」
とスイレン。
しかし、ジェイルの答え方に、スズナは大いに不満を持っていた。
「ちょっと、ジェイルっ。”一応”ってどういうこと? ”一応”だなんて、あたしのことあんまり好きじゃないってこと?」
「え? そ、そんなことはないよ」
腰に手を当てて迫る彼女に、ジェイルもさすがに焦りの色を浮かべる。
「……ホントに?」
「ホントだって」
そう言って彼は優しい笑顔を浮かべると、彼女の手を引き、軽く抱擁した。
「あっ……。も、もう、ジェイルってば……」
彼の温もりに包まれると、スズナはあっと言う間に機嫌を直してしまうのだった。
「……えへっ」
と照れ笑いを浮かべる。
「…………何か、こっちが恥ずかしくなってこないか?」
ボリボリと沢庵をかじりながら、セネリアがスイレンに言った。
「うん……」
と彼女は頷き、視線をセネリアの方に移す。
「……ん?」
その視線の意味に気付くと、彼はパタパタと手を横に振った。
「あ……俺は相手いないんだ」
「あれぇ〜? シェルナちゃんがいるじゃない?」
スズナが悪戯っぽい笑みを向ける。
「……あ、あのなぁ……」
セネリアは顔をひきつらせた。
「?」
意味がわからず、スイレンは首を傾げる。
と、そのとき。
「セネリア兄ちゃ〜ん」
噂をすれば何とやらで、そのシェルナの声が聞こえてきた。
「ぎくっ……シェ、シェルナ?」
顔を強張らせ、周囲を見渡すセネリア。
「こっちだよ〜」
手を振りながら駆けてきたその少女――シェルナは、セネリアのへそくらいまでの身長で、わずか七歳の少女であった。腰まである黒髪は艶やかで、顔はやたらに可愛い。将来、相当の美人になるだろうことは、誰もが予想できた。「兄ちゃん」と呼んではいるが、それは年の差のせいで、兄妹というわけではない。
「セネリア兄ちゃん、帰ったんなら、すぐに教えてよ」
セネリアの裾を引っ張って、シェルナが言った。
「あ、ああ」
彼は曖昧に頷いている。
「……この子がシェルナ、ちゃん……?」
スイレンが目をパチパチさせて、少女を見た。
「そうだよ」
とスズナ。
「シェルナちゃん、将来の夢は?」
「もちろん、セネリア兄ちゃんのお嫁さん!」
少女は笑顔で即答した。
「……そ、そうなの……」
それ以上、スイレンは何と言えばいいのかわからなかった。
「スイレン、この村に人が少ないのは、見てわかるだろ?」
食事の手を止め、ジェイルが言う。
スイレンは頷いた。
「二十歳以下は俺たちと、一年くらい前に生まれたシェルナの弟だけ。あとはみんな、三十歳以上なんだ」
「……そうなの……」
滅多に子供は生まれない、と村に来る前に聞いていたが、二十歳以下が五人だけとは、少なすぎる。生殖能力に何か問題でもあるのだろうか。
「だああーっ!」
スイレンが考えていると、突然セネリアが立ち上がって叫んだ。
「俺はロリコンじゃないんだーーーっ!」
「…………」
側にいたシェルナの目が見開かれ、みるみる涙がこぼれだした。
「ううっ……セネリア兄ちゃんがいじめた……」
「あー、泣かせたー」
スズナが指をさしてからかう。
「こ、こら、泣くんじゃないっ」
セネリアは慌てて、シェルナの頭を撫でた。先程は思わず叫んでしまったが、この少女を泣かせると、後が恐ろしい。
「ぐすっ……」
シェルナは鼻をすすって、セネリアを見上げた。
「じゃあ、お嫁さんにしてくれる?」
「……か、考えておこう」
考えるだけならタダである。
「ところでお前……ロリコンの意味、知ってるのか?」
「うん、知ってるよー」
シェルナは頷いた。
「セネリア兄ちゃんが、わたしを好きなことを指すときの言葉なんだよね。村のみんながそう言って噂するから、わたしもちょっと恥ずかしくて……きゃっ」
「……村中で噂してんのか、おいっ!」
照れる少女とは対照的に、愕然となるセネリア。
道理で最近、村人たちの視線がおかしいと思っていたのだ。と同時に、その噂を流した犯人がいるはずだと気付く。思い当たるのは、一人だけ――。
「楽しそうじゃのう」
ガサリ。
ふいに草の間から音を立てて、その思い当たる人物が現れた。
白髪を頭の上の方で結わえており、立派な白髭を蓄えた、温厚そうな老人だった。
「じ……じーさんっ!」
反射的に身をひこうとして、セネリアは椅子から転がり落ちた。
「……何やってんのよ」
スズナが呆れ顔でため息を付いた。
「あ……あなたが、長老……なのですか?」
老人の姿を目にしたスイレンは、思わず立ち上がっていた。
「ふむ? 確かにワシが長老じゃが……」
見慣れない彼女の姿に気付き、そしてすぐに納得する。
「……なるほど。お嬢さんは外から来た者か。珍しいのう」
「……あ、あの……その……」
何かを言おうとして、スイレンは言葉につまった。あまりに突然現れたので、一体何から話せばいいのかわからないのだ。
「長老。この剣、お返しします」
ひっくり返ったままのセネリアに代わって、ジェイルが長剣を渡した。
「ふむ」
長老は受け取り、ジェイルを見た。
「しかし、勝手に持っていくのだけはやめてほしいのう……。泥棒でも入ったのかと思ったわい」
「え? ジェイル、借りたんじゃなかったのか?」
ようやく起き上がって、セネリアが訊ねる。
「ははは……急いでいたからな」
ジェイルは苦笑した。
あのとき、彼は剣を持ち出すために、長老の家に忍び込んだのである。途中で長老に見付かったものの、彼にしては珍しく、強引に振り切ったのである。
「ま、お前のことだから、余程のことがあったんじゃろう。しかし、きちんと説明はしてもらうからな」
「……はい」
とジェイルは頷く。
「スズナ、ワシにも沢庵くれんかのう」
「はい、おじーちゃん」
スズナは沢庵を一本渡した。
ところで、スズナやセネリアが呼んでいるように、長老は”おじーちゃん”や”じーさん”などの愛称で呼ばれることが多い。本人が言うには、彼は二百歳以上で、この村ができた頃から生きているらしい。真相はともかく、一番年が上なのは間違いないので、村人みんなの”おじいちゃん”といった感じなのである。
そのことを、ジェイルはスイレンに簡単に説明した。
「うむ。うまいのう」
ボリボリと、長老は沢庵を丸かじりしている。
「……ところで、ジェイルとセネリア。お前たち、食料を集めに行ったはずじゃなかったかのう?」
「ぎくっ」
セネリアは顔をひきつらせた。
「それは、その……」
とジェイル。
「集めたことは集めたんですけど、途中でなくしてしまって……」
「ふぅむ……」
と長老は唸った。
「こりゃあ、またお仕置きかのう」
「ひえええっ! やっぱり!」
セネリアは頭を抱えて青ざめた。
「あの……長老様」
真剣な表情で、スイレンが口を開いた。
「どうか、わたしの話を聞いて頂けないでしょうか?」
「ほう……」
長老は彼女の目を見つめる。悲しみの中に、決意を秘めた目だった。
「ジェイルが剣を持ち出したことと、食料をなくしたこと……このお嬢さんに深く関わりがあるのじゃろうな」
ゆっくりと、彼は椅子に腰をかける。
「いいじゃろう。では、話してみなさい」
スイレンは、途中何度かつまりながらも、長老を含めたこの場の全員に、全てを話した。
三年前。偶然空から落ちてきた光の玉を見付け、実はそれが、ディネール文明の作り出した、望みを叶える代償に精気を奪うという、秘星球だということ。
兄のライザーがそれを使い、機械に生命を植え付けたこと。
だが精気を奪うなど危険だと考えた自分は、隙を見て秘星球を取り、再び封印するために、文明の跡地を探し、ここまでやってきたこと。
後を追ってきた兄が、謎のロボットに殺されてしまったことなど。
スイレンは、秘星球に関わりがあると思われることを、できるだけ詳しく説明し、そして最後に訊ねた。
「長老様、この村は、ディネール文明に何か関係があるのですか?」
「あるんじゃないの?」
とセネリアが口を挟む。
「村の名前だって、ディネールだし」
「セネリアには訊いていないでしょっ」
とスズナ。少し口調がきつくなる。
「……ふぅむ」
自分の髭を触りながら、長老は小さく唸った。
「確かに……関係はある」
「で、では――」
「じゃが、秘星球を封印することはできん」
「えっ……?」
一瞬、言葉が理解できないスイレン。
「……どういう、ことですか……?」
「秘星球はやっかいなものでのう……。文明の存在した当時でさえ、封印することはできなかったのじゃ。なのに文明の滅びた現在……封印などできようはずがない」
「……そん、な……」
スイレンは愕然となった。
「で、では、一体どうすればっ……」
「まあ、落ち着きなさい」
と長老は彼女を制し、そして一同を見回した。
「……皆に、昔話を聞かせてやろう。――もちろん、セネリアにもな」
「うっ!?」
逃げ出そうと身をかがめたセネリアだったが、あっさり見付かってしまった。
「セネリア兄ちゃん、一緒に聞こうよ」
シェルナが彼の裾を引っ張る。
実は長老の昔話、セネリア以外には結構人気があるのだ。
「今から二百年ほど前のことじゃ……。丁度、文明の滅んだ頃かのう……」
スズナの煎れてくれた茶を飲みながら、長老が話し始めた。何とかご飯を食べ終えたジェイルも含め、皆はテーブルを囲んで、同じく茶を飲んでいる。
ゆっくりと長老が語る、その昔話の内容はこうだった。
――当時、人々は娯楽に飢えていた。格闘技やスポーツ、果ては命をかけた戦い等の肉
体を使った娯楽から、対象者に希望の夢を見せ、満足を得るという精神的な娯楽まで。
文明の技術は、娯楽のためにあったといっても良かったが、それでも人々の欲望が収まることはなかった。
そんな中、一人の技術者がいた。秘星球を作り出した本人である。
(どんなに技術が上がっても、人の欲望に終わりはない――)
そう気付いた彼は、初めて娯楽に対して、代償を付けたのである。
願いを叶える代わりに、その者の精気を奪う秘星球。叶える願いが大きければ大きいほど、奪う精気の量は増え、足りなければ周囲からも奪うという恐ろしい触れ込みで。
だが完成したとき、彼は迷った。
(もしこれを発表して……もし人々の欲望が止まらなかったら――)
最初は、あまりに欲深な人々をいさめるつもりでもあった。欲を満たすためには、代償が必要なのだと知れば、少しは今の自分たちのあり方に気付くはずだと。
しかし――。
(私は甘かったかもしれん……)
彼は、武装した人々に、囲まれていた。
秘星球を開発するために、軍や企業から資金援助を受けていたため、そこから情報が漏れて関係者が集まったのである。
秘星球が完成したことを知った彼らは、その技術者のことなどお構いなしに、我先にと奪い合った。代償があると知っていながら、である。
技術者はその場から逃げた。幸い、彼の行動に目を止める者などいない。
そして――、
文明が滅びる瞬間まで、そう時間はかからなかった。
ドォンッ!
大地が激しく震え、大気が光り輝く。
技術者は、終わりを悟った。
それは、秘星球に付けて置いた、リミッターだった。もし、他人のことを考えないで使用する者の数が、許容範囲を越えた場合――それは発動する。
「…………」
技術者は天を仰ぎ、そしてゆっくりと、目を開いた。
そこにあるのは、予想通りの光景。
世界は生まれ変わり――緑で覆い尽くされていた。
人の姿はない。あるのは、文明によって築かれた建造物と、そして樹木だけ。
そう――秘星球のリミッターにより、欲深な人々は、緑溢れる樹木へと変化したのである。残った人間は、秘星球の影響を受けない安全装置を身につけた技術者と、他人を思いやる心を持った者たちのみであった。
もちろん残された人々は、一体何が起きたのか、状況が理解できない。それでも生きるために、食料を探し、仲間を探し、使える道具を探した。やがて集まった人々が小さいながらも村を作り、協力して生活をしていく。突然に家族や友人をなくし、家を失った憤りを抱えながら――。
「……まあ、とりあえずこんなところじゃな」
話を終えると、長老は息を付き、茶を飲み干す。
「シェルナってば、寝ちゃったよ」
隣のスズナの太ももに頭を載せて、シェルナは寝息を立てていた。スズナは彼女の頬をプニプニとつついて遊んでいる。
「ふむ。今日のは少し難しかったかのう……」
「……ま、いつもより短く終わってよかったぜ」
セネリアが大きな欠伸をした。
ほとんど聞いていなかったな、とスズナは彼を見て思った。
「でも、あたしもよくわからなかったな」
と小さく首を傾げる。
「……あの……」
ためらいがちに口を開くスイレン。長老の話を聞いている間中、ずっと眉をひそめていた。
「もしかして、今の昔話は……事実なのですか? 秘星球によって文明は滅び、人が樹木になってしまったというのは?」
「作り話だよ、作り話」
とセネリアが肩をすくめて言う。
「文明のあった頃の資料なんてないから、適当に面白おかしくでっち上げてるんだよ」
「えっ? で、でも……」
納得いかない、といった顔のスイレン。
確かに、何故文明が滅び、今のような状態になったのかは謎のままだ。人が樹木になってしまった、というのも一見信じがたい。しかし秘星球が精気を奪い、とてつもない力を秘めているのは、紛れもない事実だ。となれば今の話も、ありえないというわけではない。
「長老様、本当は――」
スッ、と。
言いかけたスイレンを、ジェイルは軽く手で制す。
「スズナ、悪いけどシェルナを家まで運んでやってくれないか。こんなところで寝ていたら、風邪をひくかもしれない」
「えっ、あたしが? セネリアじゃなくて?」
意外そうに首を傾げる。
「……セネリアに行かせると、襲っちゃうかもしれないだろ?」
「あっ、なるほど。いくら何でもそれはまずいわよね」
ポンと手を打ち、スズナは納得した。
「わかったわ。あたしが行って来る」
スズナはジェイルに手伝ってもらって、シェルナを背負った。
「じゃあジェイル。すぐ戻るから、ちょっとだけ待っててね」
そう言って微笑むと、スズナはシェルナを振動で起こさないよう、ゆっくりと歩いていった。
「……おい、ジェイル」
スズナを見送るジェイルの頭を、セネリアが軽く小突いた。
「お前……他にも言い方ってものがあるだろうが」
「いや、でも、スズナも納得したみたいだしさ。いいじゃないか」
小突かれた箇所を押さえつつ、ジェイルが苦笑して言った。
「……そんなに俺をロリコンにしたいのか?」
「別にそういうわけでは……」
でもちょっとだけそう思っている。
「ともかく、長老。スズナもいないことですし、続きを話してください。あれで終わりではないでしょう?」
「……相変わらず勘がいいのう、ジェイルは」
長老は苦笑する。
「え? どういうこと?」
わけがわからず、訊ねるスイレン。だが、すぐに自分でその答えに気付いてしまう。
「……スズナちゃんには聞かせられない話があるのですか?」
「これ以上を話すには、例え作り話だとしても……あの子には少し刺激が強いと思ったのでな」
「…………」
スイレンは、黙って耳を傾けることにした。
この昔話が、どこまでが真実で、どこまでが虚構なのかはわからない。だが誰も知らない、文明の滅びた理由について語る老人の話は、大変興味深かった。
「秘星球によって、人が樹木へと変化した後……技術者はどうしたのですか?」
「ああ。彼はな……」
ジェイルの問いに、長老は続きを話し出す。
「周囲には誰もいなくなり、彼は孤独だった。そしてその状況を作り出したのが、自分の作ったものだということもあり、悩み続けた。リミッターを付けたことが、良いことだったのか悪いことだったのか。そもそも、秘星球など作り出さなければよかったのではないかと」
「そうそう。作らなきゃよかったんだよ」
眠そうに頬杖を付きながら、セネリアが言った。
「そうすりゃ、文明が滅びることもなかったんだし」
「いや……どちらにしろ、滅びていたじゃろうな。何しろ当時の人々は、他人を殺してでも己の欲望を満たそうとする者たちばかりで、ついには娯楽のために戦争まで起こそうとしていたのじゃ……。そう考えると、悲惨な殺し合いがないだけ、ましだったのかもしれん……」
「……悲しい時代ですね……」
思わず呟いてしまうスイレン。
「わたしも当時に生まれていたら、そんな風になっていたのかな……」
「かもしれないな」
とジェイル。
「恵まれすぎると、人はそれに気付かず、更なる満足を求めてしまう。となると、豊かすぎず、貧しすぎず……といった今の時代は丁度いいんだろうな」
「……おいおい。何をみんなして真面目に考え込んでるんだよ」
セネリアが肩をすくめ、呆れたようにため息を付く。
「じーさんの話に影響されちゃって。昔のことで悩んでも仕方ないだろ」
「ふむ……。ま、ここはセネリアの言うとおりじゃな」
と長老は頷いた。
「過去は過去。今を生きるお前たちが悩むことではない」
「いや、しかし……」
眉をひそめ、ジェイルは周囲を見回す。この小さな広場の周りには、大陸中を覆い尽くすかのように、びっしりと樹木が生えている。
「長老の昔話が本当だとするなら、この一本一本が、元は人間だったということになります。だとすると、今さらながら、かなり不気味なんですが……」
「それなら安心していい。秘星球の力で、彼らの身体は完全な樹木へと変換された。人だった頃の意識も存在しない。ただの植物じゃよ」
「……そう……ですか」
果たして、それは安心できる事柄なのだろうか。しかし考えるのも嫌なので、それ以上は追求しないことにした。
「それはともかく……技術者についてじゃったな」
長老は話を続ける。
「孤独になった彼が最初に悩んだことは、秘星球をどうすべきか、じゃった。もちろん自分で使うつもりなどはない。どこかに隠しておくにしても、誰かが見付けてしまう可能性もある」
「壊せばいいじゃないか」
とセネリアが言った。
「そんな危険なものはない方がいいってのは、誰だってわかることだろ?」
「ふふ……それができんのが、技術者という奴でな……」
長老は苦笑する。
「……何でだよ?」
「考えてもみい。彼が秘星球を作ったことで、文明は滅びた……言い換えれば、彼が滅ぼしたようなもの。彼の手によって、世界が変わったのじゃ。そんな自分の技術の結晶を、壊す気などあるはずがない……。また、それは製作段階から決めていたことで、秘星球には特殊な技術――あらゆる衝撃を跳ね返す、反射機能というものを取り付けていた。じゃから、秘星球を破壊することは実質不可能なんじゃ」
「破壊は不可能……」
呟き、スイレンはわずかに表情を曇らせる。
「……最低な奴だな」
はっきりと言うセネリア。
「……そうじゃな。しかし壊す気はないものの、地上に置いておくのも危険だと考えた彼は、空へ――宇宙へと放流することにしたのじゃ」
「宇宙へ……」
長老が指さす方向を、一同は見上げる。
「じゃが……それは建て前に過ぎなかったかもしれん。この宇宙のどこかにいる人々に、自分の技術を誇示したかっただけなのじゃろう……」
ふう、と長老は大きく息を吐いた。
「しかし、結局はこの地上に戻ってきてしまったわけじゃな……」
そう言って、スイレンを見る。
「…………」
異国の少女は、うつむいたままだ。彼女もまた、秘星球によって不幸になった一人なのである。
「そして次に彼がしたことは――世界にどれだけの人間が残っているか、だった。そして結果が出たとき、彼はあまりの少なさに、もはや笑うしかなかった……。残ったのは欲深ではない、思いやりのある人間だけだからな……。しかもディネール大陸には、安全装置を身に付けた彼以外、一人もいなかったのじゃ……」
「……安全装置がなけりゃ、その技術者だって樹になってたんじゃないのか?」
セネリアの言葉に、長老は苦笑を漏らす。
「かもしれん……。実際、文明を滅ぼしてしまったことの責任と孤独とで、自殺を考えたこともあったが、やはり死は怖くてな……。彼はこの地で、一人で生きていくことに決めたのじゃ」
「一人で……ですか?」
とジェイル。
「そうじゃ。もちろん、残った人々を見付け、共に暮らすという選択もあったが……それはあまりに図々しいじゃろう。代わりに……というのもおかしいかもしれんが、彼は残された人々に、生きていく方法を伝えて回ることにした。何しろ、当時はほとんどが加工された食べ物しかなかったからな。自分の食べるものがどれかさえわからない人間が、当時は大勢いたからのう」
「信じられねえ……」
セネリアは目を丸くする。
彼らからすれば、自分の食べるものは自分で探し、畑を作って育てていくのが常識なのだ。
「そうして、一通りのことをやり終えた技術者は、文明の跡地でひっそりと暮らしていった。だが一年が過ぎ、二年が過ぎ……とうとう彼は、孤独に耐えられなくなった。しかし他の大陸の人々のところへ行くわけにもいかない。そこで――彼は人の形をした、人とは異なるものと、共に過ごすことにした……」
「……人の形をした、人とは異なるもの……?」
「なんだ、そりゃ?」
眉をひそめるジェイルとセネリア。
長老は、ゆっくりと二人を見て、それからウェイル、ラナース、グレイルへと視線を巡らせた。
「……当時、娯楽によって様々なものが生み出された。そしてその中には、人間と様々な動物たちの遺伝子を融合させた存在――”獣人”と呼ばれた者たちがいた。お前たちは……いや、この村の者は皆、彼らの子孫なのじゃ」
「……!?」
ジェイルとセネリアは驚愕し、息を呑んだ。
長老は二人の様子を見ながら、話を続ける。
「彼らは人間と動物の姿と能力を併せ持ち、高い能力を持っていた。だが人間には絶対服従で、人間を楽しませるために互いに戦わされ、飽きれば捨てられるという、悲しい存在だった。技術者はそんな彼らのことを思い出し、眠りに付いていた彼らを目覚めさせた。そして遺伝子を操作し、人間と動物を切り離すことに成功した……。お前たちが互いを食料とせず、また合体ができるのも、その頃の名残なのじゃ……」
話を終えると、長老は大きく息を吐いた。
「…………」
ジェイルも、そしてセネリアも、複雑な表情で考え込んでいる。
それは、スイレンも同じだった。彼女にとって長老の話は興味深かったのだが、その中で一つの疑問が浮かび上がる。
(話に出てくる技術者って、長老様なんじゃ……)
しかし、仮にそうだとするならば、長老は現在二百歳以上ということになる。いくら何でも、それはありえないだろう。
「ふわああ〜あ」
いきなり、セネリアが大きな欠伸をしながら立ち上がった。
「……じーさん、もう話は終わりなんだろ? 俺、今日は獣身合体して疲れたから、帰って寝るよ」
「そうだな……。俺もそうする」
ジェイルも立ち上がった。
「スイレン、君も疲れただろ。寝る場所は用意してあげるから、一緒に行こう」
「え? ……う、うん。ありがとう」
二人の態度に戸惑いながらも、スイレンも彼らに続く。
「あ、あの、長老様……」
まだ聞きたいことはあったのだが、長老はわかっているというように、頷いてみせる。
「今日は休みなさい。明日またワシのところに来るといい」
「は、はい。ありがとうございます」
礼の言葉を言うスイレンを連れ、ジェイルたちは去っていった。
「やれやれ……」
彼らの姿が見えなくなってから、長老は大きなため息を付いた。
「……まさか今になってまで、秘星球で不幸が起きるとはのう……」
ジェイルとセネリアを先頭に、彼らは樹海の中を進んでいく。その次をスイレン、後ろはウェイル、ラナース、グレイルという順番だ。
「あ、あの……二人とも。さっきの長老様の話って……」
「事実だろうな」
あっさりと、ジェイルが言う。
「えっ……?」
質問の途中で答を言われてしまい、戸惑うスイレン。
「何せ、あの話に出てくる技術者というのは、長老様のことだから」
「えっ、で、でもっ……そうだとすると、長老様は二百歳以上っていうことになるけど……」
「……そんなの普通じゃないか?」
首を傾げながら、当然のことのように言うセネリア。
「えっ……あっ……そ、そう。そうよね……」
苦笑いしながら、スイレンは話を合わせる。
おそらく、彼らの――元獣人という種族は、通常の人間よりも長寿なのだろう。しかし長老は獣人ではないので、何か別の方法で長寿を得たに違いない。
「……そうか。スイレンたちは違うんだな」
わずかに焦りを見せた彼女の様子から、ジェイルは敏感に察知した。
「……あっ……う、うん……」
「ま、長ければいいってものでもないし。どれだけ充実した人生を送れたか、っていうことが大事だと俺は思うよ」
「……そうね。わたしもそう思う」
もっとも、彼女の兄のように、人生に満足する前に殺されてしまうという場合も、世の中にはあるわけだが。
(そうだ、秘星球……)
ふいにこの村に来た理由を思い出す。
長老の話によれば、これを破壊することはできないらしい。宇宙に送っても、結局は戻ってきてしまった。どこかに隠したとしても、やはりいつか誰かは見付けてしまうだろう。
(一体どうしたら……)
思わずうつむいてしまうスイレン。
そんな彼女の肩を、ジェイルは軽く叩いて呼ぶ。
「スイレン。ほら、あそこを使っていいよ。俺の家だから、遠慮することはない」
彼が指したのは、二本の樹木に挟まれるように建っている、木造の小さな家だった。
「ジェイルさんの……家なの? でも、それじゃ……」
「大丈夫。俺はセネリアの家に行くから」
「……男同士で一緒に寝たくはないけどな……」
唇の端をひきつらせながら、セネリアは悪態を付く。
「じゃあ、シェルナの所に行くか? きっと家族で……いや、村中で喜んでくれるぞ」
「……すまん。それだけは勘弁してくれ……」
その後の展開がリアルに想像できすぎて嫌だった。
「ふふっ」
彼の様子を見て、スイレンは思わず笑ってしまう。
「あ、ひどいな。今のは笑うとこじゃないぞ」
「ごめんなさい。でもおかしかったから」
「ま、いいけどさ……」
「それじゃ、スイレン。俺たちはスズナのところに行くけど、ゆっくり休むんだぞ」
ジェイルも笑みを浮かべながら、彼女に言う。
「明日の朝、迎えに来るから」
「うん。ありがとう」
礼の言葉を言い、スイレンは一旦彼らと別れた。
そして彼女は、ジェイルの家の中に入る。彼はきちんと整理整頓をする性格らしく、部屋の中はどこも綺麗に片づいていた。お礼の代わりに掃除でもしようと思ったのだが、必要なかったようだ。
ジェイルに休むように言われたものの、まだ日が暮れ始めたばかりである。寝るにはまだ早い時間だ。
(どうしようかな……)
とりあえず、椅子に座ってみる。
何だか、周りがひどく静かに思えた。時々、かすかな木々のざわめきと、虫の声が聞こえてくる程度の音しかしない。
思えば、今日は色々なことがあった。
本当に、色々あった。
赤。
血の色。
そして、ボロボロになった兄の姿。
「くっ……」
今まで考えないようにしていた出来事が、頭をかすめていく。
もし自分が秘星球を持ち出したりしなければ、兄は死なずに済んだのだろうか。いや、そもそも、長老が秘星球を作ったりしなければ――。
「…………」
スイレンは首を振った。
一人でいると、考えても仕方のないことを考えてしまう。
「もう寝よう……」
身体が段々と火照り、眠気を訴えている。それに眠れば、少しはこの悲しみを落ち着かせることができるかもしれない。
明日からのことを考えると不安だが、それは明日考えればいいことだ。
(お兄ちゃん……秘星球はわたしがきっと何とかするから……)
これ以上、秘星球で不幸になる者を増やすわけにはいかない。
それだけは決意し、スイレンは布団の中で目を閉じる。
「お兄ちゃん……」
もう泣くまいと思っていた涙がこぼれ落ち、枕を濡らした。
第四章 旅立ち
スイレンが目を覚ますと、窓から陽光が差し込んでいた。それの角度から計算すると、今はお昼を少し過ぎたくらいだろうか。
「……あ。寝過ごしちゃった……」
呟きながら身を起こし、彼女は布団をたたむ。そのときにふと気が付いたが、頬が少し濡れていた。涙の跡だ。
「見られたかな……」
朝に迎えに来る、と言っていたジェイルたちが、様子を見に来た可能性は高い。スイレンは恥ずかしくなった。
顔を洗いたいと思ったが、水がないので、持ってきたタオルで拭う。
「んっ……」
軽く身体を伸ばしてから、スイレンは外に出た。
二、三回、深呼吸する。空気が新鮮で、気持ちがいい。
だが――スイレンは思う。
この樹海の中にも、元は人間だった樹があるのではないだろうか、と。そう考えると、おいしい空気も素直に喜べなかった。
「……あれ? スイレン、起きたの?」
たくさんの果実を積んだ籠を両手に持って、スズナが駆け寄ってきた。
「おはよう、スズナちゃん。……ごめんなさい、わたし、寝過ごしたみたいで」
「別にいいよ。疲れてたんだよね?」
「う、うん……そうかも」
かすかに苦笑いするスイレン。
「あの……顔を洗いたいんだけど、お水ないかな?」
「お水? えーっと、ほら、あそこに井戸があるでしょ? あれ使っていいよ」
「井戸……」
スズナが指す方を見ると、小さな屋根の下に、何やら機械が取り付けられているのがわかった。大きさはずっと小さいが、スイレンの村にあるのと同じもののようだ。
「あれに付いているパイプをひねると、水が出てくるからね」
「うん、ありがとう。……ところで、スズナちゃんは何をしてるの?」
「食料を運んでるの。スイレンも、顔洗ったらおじーちゃんの家に来てね」
そう言って場所を告げると、スズナはさっさと行ってしまった。
「そうね……。早く長老様に相談して……秘星球を何とかする方法を探さないと……」
果たして、それが見付かるのかどうか。昨日の長老の話からでは、不可能にも思える。
一瞬、憂鬱になるが、そんな気分を晴らすためにも、とりあえず顔を洗うことにした。
長老の家へ行くと、スズナの他にジェイルとセネリアがいた。二人とも、何やら色々とリュックサックに詰めている。
「やあ、スイレン。おはよう」
彼女に気付き、ジェイルが笑顔を向けた。
「おはよう……。ごめんなさい、寝坊しちゃったみたいで。……何してるの?」
「旅支度さ」
とセネリアが答えた。
「……旅支度……?」
「そう。スイレンちゃんの村に行くためのね」
「えっ?」
驚いて、スイレンは目を見開く。
「……わたしの……村……? どうして……?」
「君の兄さんによって、機械の体を持った奴がいただろう。そいつには、色々と訊かないといけないことがあるからな。だから俺たちは、スイレンと一緒に行くことにしたんだ」
荷物を整理しながら、ジェイルが言った。
「……あ……」
それを聞き、思わず呆然となるスイレン。
秘星球を使ったライザーにより、機械の身体を与えられた者。――ルクラナス。
秘星球をどうにかすることばかり考えていて、その存在をすっかり忘れていた。
昨日、スイレンを追って来たライザーを殺した、謎のロボット。彼がどこから来たのか、思い当たるのは、一つしかない。すなわち、自分のいたヴァイハオの村――。
スイレンの知る限り、あの村はライザーのおかげで、最も機械が使われている。しかしだからといって、村人たちが複雑な機械の操作をできるわけではない。となると可能性があるのは、やはりルクラナスだけである。
(でも……そんなこと信じられない……)
あの少年の、屈託のない笑顔を思い出す。
彼はライザーに恨みを持っていたのだろうか。殺したいほどのものだったのだろうか。
それを確かめるには、直接会うしかない。会うしかないのだが――。
「……いいの? 本当に……」
思わずそんな言葉が出ていた。
「えっ?」
「確信があるわけじゃないけど……多分、危険だと思うの……。お兄ちゃんを殺したあのロボットと同じような……ううん、もしかしたらずっと強力な何かがいるのかもしれない……」
スイレンは段々とうつむいた。
もちろん、これは彼女の想像に過ぎない。スイレンに向けていたあの笑顔のように、人畜無害な存在だという可能性もある。だが状況からして、その確率が高いようにはどうしても思えなかった。
「……だったら、尚更じゃないか」
ジェイルが笑って言った。顔を上げるスイレン。
「俺たちがスイレンを守ってやらなきゃ」
「そうそう。友達は助け合うべきだ」
とセネリアも言う。
「……ともだち……」
スイレンが呟く。聞き慣れない言葉に一瞬考えるが、ようやく意味を思い出す。
「あ、あの……ありがとう……。わたし、友達いなかったから、すごく嬉しい……」
「えっ、そうなのか?」
驚くジェイル。
「うん……。年の近い人もあまりいないし、気の合う人もいなかったから……」
「何てかわいそうなんだ!」
荷物を放り出し、セネリアが立ち上がった。そしてズンズンと歩いて、彼女に近付いていく。
「あ、あの……」
「安心しろ、スイレンちゃん。俺たちがずーっと友達でいてやるからなっ」
そう言って、どさくさにまぎれて、彼女を抱きしめる。
「ちょ、ちょっと、セネリアさんっ?」
戸惑うスイレン。
と、そのときだ。
「セネリア兄ちゃんっ!」
少女の驚愕の声が上げられた。
「げっ」
恐る恐るその声の方を向くセネリア。
そしてそこには、やはりシェルナがいた。長老の家にいるというセネリアを訪ねてきたはいいが、偶然現場を見てしまったらしい。目には涙が溜まっている。
「ううっ……。うぇ〜んっ、セネリア兄ちゃんが結婚前から浮気したーっ!」
泣き叫びながら、シェルナは走っていってしまった。
「あ……」
呆然と見送るセネリア。
スイレンはちょっと赤くなって、その隙に彼から離れた。
「ど、どうしよう……」
セネリアが困った顔で皆を見る。
「そりゃ、追いかけた方がいいと思うけど」
とスズナが面白そうに言った。
「……追いかけてどうするんだ?」
「そこまで知らないわよ。自分で考えれば?」
「……う〜ん……。仕方ない、とにかく行ってくるか。変なこと言いふらされたら困るしな」
ブツクサと呟きながら、セネリアは出ていった。
「……情熱家ね。シェルナちゃんって……」
スイレンが呆れたような、感心したような顔で言う。
「まったく」
とジェイルは苦笑して、相槌を打った。
「ん……スズナ?」
ふと後ろの方で、何やらガサガサと音がするのに気付く。見ると、彼女は食べ物やら着替えやらをリュックに詰め込んでいるところだった。ジェイルのではなく、自分のリュックに、だ。
「……何してるんだ?」
「え? 何って、もちろん旅の支度だよ」
ニコニコと笑顔を浮かべて、答えるスズナ。当然自分も連れていってもらえるものだと、信じて疑っていない笑顔である。
「……そのことか……。悪いが、スズナは連れていけない」
「えっ……?」
ジェイルの言葉に、彼女の笑顔が固まった。
「な……何でっ……?」
目を見開き、困惑の表情で訊ねる。
いつでもどこでも、できるだけ多くの時間をジェイルと一緒に過ごしたいと思っているスズナ。旅になど出れば、どんなに短くても数日はかかる。その間、ジェイルとは会えなくなってしまうのだ。
「何で……って、危険だからさ」
困ったように頭を掻きながら、彼は言う。
「スズナを危険な目にあわせるわけにはいかないだろ?」
「あたしなら大丈夫だよっ。あたしだって、外の世界を見てみたいし――」
「だめったらだめ。絶対だめ」
「……うう〜っ……やだやだやだ! あたしも行くったら行くぅっ!」
ついにスズナは、駄々をこね始めた。
「す、スズナちゃん。ジェイルさんはあなたのことを心配して言っているんだから……」
とスイレンがなだめようとするが、
「だって……そうしたら、何日も会えなくなるじゃない。あたし、そんなの耐えらんないっ!」
「とにかくだめ」
いつも彼女には甘いジェイルも、今回ばかりは譲らなかった。
「うぅぅっ〜……」
スズナは半泣きしながら唸った。
泣き落としが通用しないとなると――
「おやおや、大声を出してどうしたんじゃ?」
ふいに家の奥から、騒ぎに気付いた長老が顔を出した。
(そうだ!)
咄嗟に名案を思い付き、スズナは心の中でニヤリと笑う。
「ねえねえ、おじーちゃん」
いきなり甘い声を出して、長老の肩を揉み始めた。
「あたしも一緒に旅に行きたいんだけど、何とか説得してよー」
「ほうほう……」
長老は適当に頷いている。
スズナの作戦はこうだった。
こうして長老にサービスをしておいて、頼み事をする。ジェイルも長老の言うことには反対しないだろうから、自分も一緒に行けるようになる、というわけだ。
”完璧な”作戦のはずだった。
ところが。
「あきらめなさい、スズナ」
長老の言葉は冷たかった。
「……な、何よ、みんなして……」
スズナは本気で泣き出した。
「ジェイルとおじーちゃんの……バカーーーっ!」
シェルナと同じように、スズナはどこかに走っていってしまった。
「スズナちゃんっ」
「……放っておいていいよ」
慌てるスイレンに、ジェイルは素っ気ない口調で言った。
「どちらにしろ、連れていくわけにはいかないんだから」
「……ごめんなさい。わたしのせいで、ケンカになっちゃって……」
「別にケンカってほどのことでもないさ。スズナだって、きっとわかってくれる」
ジェイルは小さく笑った。
だが――やはりスイレンは、申し訳なく思う。自分が来たせいで、色々と迷惑をかけてしまった。
「ところで、スイレンさん」
長老が口を開いた。
「あ、はい」
「少し気になることがあるのでな。秘星球を見せてくださらんか」
「秘星球を……?」
スイレンは怪訝そうに眉をひそめた。
「大丈夫だよ、そんな顔しないで。頼むから見せてくれないかな」
ジェイルが優しく言う。
「…………」
彼女は少し考えてから、背中のリュックを下ろした。中から黒い包みを取り出し、布を開く。そこには、鈍い輝きを放つ珠玉があった。
「ほう……」
と長老が唸る。
「これが秘星球……?」
ジェイルは物珍しげに覗き込んだ。
ふと――昔のことを思い出す。
三年くらい前に、セネリアと、鷹のウェイル、ラナースとで、似たようなものを見た記憶があるのだ。あのときは、確か海の向こうに飛んでいってしまったが……。あれが秘星球だったのだろうか。
「……違うのう……」
ポツリと長老が呟いた。
「えっ……?」
一瞬何のことか理解できずに、スイレンとジェイルは長老の顔を見た。
「もしかしたらと思っておったんじゃが……この秘星球、やはり偽物のようじゃな」
「なっ……ど、どういうことですか!?」
スイレンは思わず大声を上げていた。
当然だろう。苦労してここまで持ってきたものを、偽物だと言われれば。
長老は小さくため息を付いてから、理由を話して聞かせた。
「……秘星球はな、精気を持つ者に反応して、光を放つのじゃ。その光は、秘星球に近付くほどに強いものとなる。ところが、これには変化がない。常に一定の光……しかも微弱な光でしかない」
「……で、でも、お兄ちゃんはそれで願いを叶えた……」
「おそらく、スイレンさんが持ってくるときに、すり替えられたんじゃろう」
「…………」
スイレンは沈黙した。
ショックはあったが、それでは誰がすり替えたのかという思いに駆られた。
(……まさか……ルクラナス……?)
スイレンの頭に、コンピューターのモニターに映る少年の姿が浮かび上がった。
(まさか……ね……)
否定しようとしたのだが、しかし他に思い当たる者はいなかった。
その頃。
セネリアとシェルナは、飽きることなく追いかけっこを続けていた。
「おーいっ、待てよシェルナ!」
セネリアが何度お呼びかけているが、彼女は全く止まろうとしない。無理矢理捕まえてやることもできたが、それでは解決にならないと思ってしなかった。
「んー……よしっ」
セネリアは方法を考えてみた。
走るスピードを上げ、シェルナより数歩分前に出る。
そして彼女の方に顔を向けて、言った。
「どうだ、シェルナ。かけっこは俺の勝ちだぞ」
「うわぁぁぁんっ!」
シェルナはますます鳴き声を強くして、走る速度を上げた。
一気にセネリアを突き放す。
「うっ、速い……」
予想を上回る速さだ。もしかしたら自分よりも速いのでは……と思ったが、今はそれどころではない。
……それにしても、彼は自分が無神経なことをしたことに、全く気付いていなかった。
「うむむ……。ええいっ、こうなったら!」
セネリアは、適当に思い付いたことを、大声で叫んだ。
「シェルナーっ! すぐに止まらないと、結婚してやらないぞーっ!」
ピタッ。
止まった。瞬速の動きだ。
慣性の法則を無視して、シェルナはピタリと止まったのである。彼女の想いは、世の中の常識をも覆すほどなのか。
「…………」
つつーっ、とセネリアの頬を、汗が流れた。
(……思わず口をついて出たとはいえ……早まったな……)
ちょっと後悔している。
「セネリア兄ちゃん……」
シェルナは泣き顔のまま、近寄ってきた。
「すぐに止まったんだから、結婚してくれるんでしょ……?」
「そっ、それはっ……その……う、うん」
自分で言ってしまった以上、今さら嘘とは言えない。
「……本当に?」
「ほっ、本当だともっ」
やや声がうわずっている。
「だったら――」
と、シェルナは右手を上げ、小指を差し出した。
「指切りしよ」
(げっ!?)
セネリアは心の中で絶句した。
(ど、ど、どうしよう……)
はっきりいってしたくない。したくはないが、しかし――。
ここで指切りをしなければ、シェルナはまた走り出してしまうだろう。
「…………」
セネリアは小指をからませた。
「指切りげんまん、嘘付いたら針千本の〜ます。指切った」
(ああ……俺は何をやっているんだろう……)
その気もないくせに約束するなんて、何だか自分がひどい奴のように思えた。
「えへへ〜。セネリア兄ちゃん」
すっかりご機嫌になった彼女は、ニッコリ微笑んだ。
「これで婚約成立だね」
「そ、そうだな……」
応えるセネリアの笑みは、わずかにひきつっている。
「……ねえ、セネリア兄ちゃん」
シェルナは小さくうつむき、頬を赤らめて言った。
「キスしていいよ」
「なっ……。な、なにぃぃぃーーーっ!?」
思わずセネリアは絶叫していた。
「……セネリア兄ちゃん、あたしが年下だから、今まで遠慮してたんでしょ? でももう婚約したんだから、我慢しなくていいんだよ」
七歳の小さな少女は、モジモジと身体をくねらせながら、恥ずかしそうに言う。
(我慢なんかしとらんしとらんっ! 大きすぎる誤解だぞ、それはっ!)
そう思いつつも、口に出しては言えないセネリアである。
「……セネリア兄ちゃん……」
シェルナは静かに目を伏せ、顔を上げた。
(うぐぉわぁぁぁっ!!)
心の中で、セネリアは頭を抱える。
(こ、この状況……俺はロリコンになるしかないのかっ!?)
彼は頭を限界まで働かせて考えたが、逃げ道は作り出せなかった。
(う、ううっ……。す、するしかないのか……)
セネリアはにじり寄り、震える手でシェルナの肩をつかんだ。ピクッ、と彼女が反応する。
と、そのとき。
天啓のごとく、彼は閃いた。
(そ、そうだ! 何も口にしなくてもいいじゃないか!)
そして彼女の前髪を掻き上げ、額に素早く唇をあてる。
「あ……」
目を開けるシェルナ。
「何だ、おでこか……つまんない」
そう言って、不満そうに唇をとがらせる。
「い、いいじゃないか。キスはキスだ」
「しょーがないなあ……。もう、照れ屋さんっ」
例えおでこにキスでも、二人の関係が進展したことには違いないので、それでもシェルナは嬉しそうだ。
「でも次は唇に、ね?」
「は、はは、は……。ま、まあ、そのうちな。そのうち……」
とりあえず、この場は切り抜けることができた。
しかし未来が非常に不安に思えるセネリアは、渇いた笑いを浮かべるしかないのだった……。
一方、長老の家を飛び出したスズナはといえば、樹海の奥深くをひたすら走っていた。
「もうっ、ジェイルのバカバカバカっ!」
彼女の怒りは、ジェイル一人に向けられていた。
「あたしの一緒にいたいっていう気持ち、全然わかってくれないんだからっ!」
いつもなら、自分が頼めば、大抵のことは何とかしてくれるジェイル。それを断るのだから、もちろん余程のことがあるだろう。
「でもだからって……。あんな言い方、あたしがまるっきり足手まといみたいじゃないっ!あたしだって、体力には結構自信あるんだからっ。料理だってできるし……」
スズナはぼやきながら、ある場所に向かっていた。彼女の行く先には大きな山が見える。
「……でも、いいんだ。こうなったら、勝手に付いて行っちゃうから」
スズナは小さく含み笑う。驚くジェイルたちの顔が目に浮かぶようだ。
やがて彼女は、山のふもとにたどり着いた。すぐ側から、川のせせらぎの音が聞こえる。心の安らぐ、自然の音だった。
「さぁて、と」
楽しげに呟いて、スズナは目の前の洞窟を見上げた。
といっても、それは自然に出来た洞窟ではなく、どうやら人工的に造られたもののようだ。洞窟の内部は、全て何かの金属の壁で覆われている。緑の木々の中にあって、そこだけが異質であった。
「スズラン」
奥の方に声をかけて、スズナがその洞窟に入ろうとしたとき。
川の方から、甲高い獣の声が聞こえてきた。
「そっちにいるの?」
彼女は声のした方へ走り出す。
「スズランっ」
スズナがその名を呼んで川に姿を現すと、そこには何と、体長五メートルはある一匹の飛竜がいた。飛竜は嬉しそうに声を上げながら、彼女に近寄ってくる。
「勝手に外に出たらだめじゃない、スズラン」
スズナは飛竜を叱りつけて、困ったような笑みを浮かべた。
「誰かに見付かったらどうするのよ」
スズランの顔や喉を撫でながら、スズナは咎める。だがスズランは撫でられて気持ちがいいらしく、それどころではないようだ。
「……もう……」
スズナは撫でるのをやめ、腰に手を当てた。
「……スズラン、水飲んでたの?」
キュイッ、と可愛らしい声を出して、飛竜は頷いた。
「じゃあ、あたしも飲もうっと」
スズナは川の縁にかがみ込んだ。両手で水をすくい、口に含む。
「んー、おいしー」
冷たさが、身体の奥まで広がっていく。
「ところで、スズラン。頼みがあるんだけど」
濡れた手を手拭いで拭いてから、スズナは言った。
「キュイッ?」
とスズランは首を傾げる。
「えーと……あ、その前にちょっと気分転換したいんだ。一緒に飛ぼうよ」
言うが早いか、彼女は自分の倍近くの高さはある飛竜の背中に、軽く飛び乗った。
スズランは一声吠えると、背中の翼を広げる。
「よーし、行こうっ」
スズナは、飛竜の首にしがみつく。
「でも見付かるとまずいから、低くね」
「キュイッ」
スズランは上昇し、言われた通りに低い位置で飛んだ。樹海の木々のすぐ真上という、飛ぶために必要な、最小限の高さである。
「あはは、気持ちいいーっ」
スズナははしゃいでいた。
吹き抜けていく風を感じ、まるで自分自身も風になったような一体感。
最高の気分だ。
先程までのジェイルに対する怒りも、風と共に流されていくようだった。
「ありがとう、スズラン。おかげで気分がすっきりしたわ」
飛竜の身体を撫でてやりながら、スズナは言った。
彼女たちは今、先程の川へ戻って、一休みしているところである。
「……それにしても、スズランも随分飛べるようになったよね」
スズナは懐かしそうに目を細めた。
考えてみれば、自分たちが出会ってから、もう三年はたっている。
三年前――となると、スズナは十二歳だ。
当時、といっても今もだが、スズナはちょくちょく村人たちの目を盗んでは、樹海の奥に遊びに行っていた。もっとも、ジェイルが食料当番等で、一緒にいられないときだけだが。
ともかく、そういうことを続けているうちに、彼女は発見したのだ。あの洞窟を。
最初は、何だかわからなかった。洞窟など見たこともなかったし、ましてや機械でできているものなど。
それでも好奇心旺盛なスズナは、恐る恐る入ってみたのだ。
わけのわからない壁でできたこの洞窟は、奥まで一本道になっていた。途中いくつか扉があったが、周囲の壁を適当にいじっていると、勝手に開いた。
そうして進んでいると、やがて最深部と思われる場所に着いた。そこには、ますますわけのわからないものがたくさんあって、スズナは頭がこんがらがってしまった。だが、辺りを見回していると、一つ目に付くものがあった。
機械の塊の中に、透明な板が張られており、そこから中が覗けるようになっている。
スズナが見てみると、そこには大きな卵があった。彼女の身体の半分くらいもある。
興味を持ったスズナは、扉を開けたときと同じように、辺りのものをいじってみた。すると、ピシッ、と何かがひび割れる音がした。
急いで目をやると、卵が割れ始めている。
一体何が出てくるのだろうか。
スズナはじっと見入っていた。
やがて卵は完全に割れ、中のものが姿を現した。
大きなトカゲかな、と最初に思った。
だが、今は閉じているが、背中には翼が付いている。かといって、鳥には見えない。
後で長老にさりげなく訊いてみたところ、それは飛竜という伝説上の生物だとわかった。
その瞬間、スズナは決めたのである。
この竜は自分が育てて、大きくなったら皆を驚かせたやろう、と。
スズナが初めてみるその生物は、わずか数分で目を開き、少しずつ翼を広げ始めた。そして視界の隅にスズナのことを見付けると、歩いて近付いてくる。するとこちらと向こうを仕切っていた透明の板が勝手に開き、飛竜は中から出てきて、甘えるようにすり寄ってきた。
最初に目にした彼女を、母親と認識したのだろうか。
しかしスズナとしては懐かれて悪い気はしないし、本当の家族がいない以上、そう思わせておいた方が育てるには都合がいい。
そうして、スズナはこの飛竜を「スズラン」と名付け、一人で育て始めたのである。
空の飛び方を教え、食料の採り方を教えた。そして三ヶ月もすれば世話の必要もなくなってしまい、今ではお互いにいい遊び相手となっている。
そろそろ村人たちに教えてもいい頃だった。
「……スズランも大きくなったよね。昔はあたしより小さかったのに」
スズナは飛竜を見つめた。ここまで育ててきた、母親の心境である。
「ところで、スズラン。さっき言いかけた頼みたいことなんだけど……」
「キュイッ?」
スズランは小さく首を傾げた。空を飛ぶのが頼みではなかったのか、と言いたげである。
スズナは楽しげに笑って、言った。
「ねえ。一緒に、外の世界に出てみない?」
翌日の朝。天気は快晴。
海は穏やかで、朝日が眩しく輝いている。
「ジェイルさん、セネリアさん、準備できました。いつでも行けますよ」
船内の部屋から出てきて、スイレンが言った。
「ああ、わかった」
とジェイルが応える。
海岸には彼の他に、セネリア、長老、シェルナ、鷹のウェイル、ラナース、狼のグレイルの姿があった。
いよいよ旅立ちである。
ちなみに、近くにはもう一隻の船があり、調べるとそれはライザーが乗ってきたものだとわかった。彼を追ってきた機械人形ゼアーも、おそらく船で来たのだろうが、他に船は見えなかった。きっと錨を下ろしていなかったのだろう、とスイレンは推測する。
「気を付けてね、セネリア兄ちゃん。早く帰ってきてね」
シェルナが笑顔で、見送りの挨拶をした。
「……婚約すると変わるんだな。一緒に行くなんて言って、泣き出さないしな」
ジェイルが感心したようにセネリアに言う。
「……は……はは……はははは……」
セネリアは、顔がひきつらせたまま、渇いた笑いを浮かべている。
実は彼は、シェルナとの婚約を隠しておくつもりだったのだが、彼女はさっさと皆に言いふらしてしまったのだ。おかげで、昨日は村中でお祝いをされたのである。
今さら、あれは出任せで、そんなつもりはないなどとは、間違っても口にできなかった。
(……このまま帰ってくるのやめようかな……)
ついそんなことを思ってしまうセネリアである。
「……それにしても、スズナは見送りにも来なかったか……」
少し寂しそうに、ジェイルは呟いた。
スズナは昨日、夕方になって一旦戻ってきたが、口もきいてくれなかった。そして今朝は、すぐに一人でどこかに出かけてしまった。せめて仲直りしたかったのだが、どう言ったところで、納得してはくれないだろう。
「仕方ないか……」
小さくため息を付いて、ジェイルは長老に向き直った。
「長老。行ってきます」
「気を付けてな」
「はい」
ジェイルは頷く。
「うむ……」
と長老は頷き返し、
「ジェイル、お前にこれを渡しておこう」
そう言って、彼の手に何かを握らせた。
「これは……」
怪訝そうに手を開いてみると、水晶のような綺麗な石があった。そしてそれには、細い紐が付けられている。
「ペンダント……ですか?」
「それはな……」
と長老は言いかけて、それきり沈黙してしまった。
「長老?」
「……いかん。名前を考えとらんかった」
ポリポリと頭を掻く長老。
皆は一斉にこけた。
「お、お茶目なんだから……おじーちゃんは……」
立ち上がりながら、シェルナが苦笑する。
「……やはりボケたな、じーさん……」
セネリアが呟いた。
「何、大丈夫じゃ。今考え付いたわい」
長老はニッコリ笑って言った。
「それの名は、ディネールの秘石じゃ」
「ディネールの秘石?」
「安易な名だな」
とセネリア。
長老は構わず説明した。
「その石に呼びかけるとじゃな、この大陸の動物たちを、その場に召喚することができるのじゃ」
「召喚て何ー?」
シェルナが小首を傾げる。
「召喚てのはな。………………召喚のことだ」
「セネリア兄ちゃん、それじゃわかんないよー」
「……つまりじゃな」
と長老が言う。
「ディネールの秘石を使えば、これを通じて、離れた場所にいても瞬時に移動させることができるのじゃよ」
「……それが召喚て言うの?」
長老に訊ねるシェルナに、
「ああ、そうだ」
と偉そうにセネリアが答えた。
「……えっと……要するに、俺たちが向こうの大陸に行っても、この石を使えば、ウェイルたちが現れる、というわけですね」
秘石を見ながら、ジェイルが言った。
「まあ、そういうことじゃ」
と長老。
「あ、そうなんだー。ジェイル兄ちゃん、わかりやすいっ」
シェルナが尊敬の目で見る。
「むむ……」
ちょっと立場のないセネリアだった。
「ところで、じーさん。そういう大事なもんを、何で俺に渡さないんだ?」
「ん? ……そりゃあ、セネリアはおっちょこちょいじゃならのう。なくしたら困るじゃろ」
「……それって、何かひどい言い方じゃないか?」
「でも、おじーちゃんがあってる」
とシェルナが冷静に言った。
「お、お前……仮にも婚約してるんだから、俺のことかばったらどうだ」
「だって事実じゃない。セネリア兄ちゃん、本当におっちょこちょいだし」
「……お、お前なあ……」
顔をひきつらせるセネリア。
「でも」
とシェルナは少し頬を赤らめて言った。
「あたしは、そういうセネリア兄ちゃんも好きだからね」
「……あ、ああ、そう……」
「よかったな、セネリア」
ジェイルがポンと肩を叩いたが、彼は無言のまま反応しなかった。
「ふふっ」
そんな様子を見て、楽しそうに微笑みながら、スイレンがそばにやってきた。そしてちょっと申し訳なさそうに、
「みなさん、そろそろ……」
「ああ、ごめん、スイレン。そろそろ行かなきゃね」
ジェイルが笑みを向けた。
「行こう、セネリア」
「ああ」
セネリアは頷いて、船に向かって歩き出す。
「いってらっしゃーい、セネリア兄ちゃんっ」
元気よくシェルナが手を振る。
「浮気なんかしないでねー」
ずるっ。
セネリアは思い切りこけた。
「長老。それでは、これはお預かりしていきます」
ディネールの秘石に付いた紐を、首のところで結んで、ジェイルは言った。
「俺としては、ウェイルたちを合体の道具にはしたくないんですけどね……」
「……ワシも、今ではそう思えるよ」
そう言って、長老は微笑んだ。
ジェイルも小さく微笑み返す。
そして彼はウェイルたちの方を向く。
「それじゃ、行って来るよ。もしかしたら向こうで呼ぶかもしれないけど、そのときはよろしくな」
それに応えるように、ディネールの獣たちは声を上げた。
「長老様。お世話になりました」
スイレンは深々と頭を下げた。
「事が済んだら、ぜひまた遊びに来なさい。心から歓迎しよう」
「ありがとうございます。無事に済んだら……きっと来ます」
「本当にまた来てね、お姉ちゃん。そのときは一緒に遊ぼうね」
「うん。ありがとう、シェルナちゃん。セネリアさんは私が見張ってるから、安心していいわよ」
「うんっ」
シェルナはニッコリ微笑んだ。
「おーいっ、二人とも、早くしろよ!」
一人、船に乗り込んだセネリアが、声を上げている。
「じゃあ、行って来ます」
ジェイルとスイレンは手を振り、船のほうへ走り出した。
そして二人で乗り込むと、スイレンの指示で、セネリアが錨を上げた。
「いよいよ出発だな」
初めて船に乗るセネリアは、興奮気味だ。
ジェイルも少し緊張し始めたらしい。
「二人とも、もっと楽にしていいんだからね」
堅くなっている彼らに声をかけ、スイレンは苦笑した。
「――では、出します」
操縦席でハンドルを握り、スイレンは足許のペダルを踏んだ。船が加速を始めて進み出す。
「わわっ」
思わず声を上げて、二人は近くのものにしがみついた。
目的の大陸までは、約二日。
短い航海の始まりである。
「……行っちゃったね……」
遠くに見える水平線を眺めながら、シェルナが呟いた。
船の姿はもう、わずかに形が見える程度の大きさになっている。
「……そろそろ帰るとするかのう、シェルナ」
「そだね」
と長老に応えて、シェルナはグレイルの所へ歩き出した。背中に乗せていってもらうつもりなのである。
と、そのとき。
どこからか、長老とシェルナを呼ぶ声が聞こえてきた。
「――上か?」
長老は、空を見上げた。続けて、シェルナも見上げた。ウェイルもラナースもグレイルも、皆が見上げた。
そこには、大きな影があった。鳥のように翼を持った、だが鳥ではない何かの影。
「おじーちゃーんっ! シェルナーっ!」
声の主は、スズナだった。
飛竜の背に乗り、手を振っている。
「わあっ、かっこいいーっ! 何、あれーっ!?」
初めて見る飛竜への好奇心で、シェルナは瞳を輝かせていた。
「――あれは……」
長老は目を細めた。スズナの乗っているものが、飛竜だと思い出すまで、しばしの時間が必要だった。
「あたし、ジェイルたちと一緒に行って来るからーっ!」
スズナが手を振りながらそう叫ぶと、飛竜は船を追って飛んで行ってしまった。みるみる姿が小さくなっていく。
「あーっ、いいないいなー。あたしもホントは行きたかったのにー」
羨ましそうに、シェルナが言った。
「……まったく……どこから見付けてきたんだか……。困った娘じゃのう……」
長老はあきれた表情で、ため息を付いた。
第五章 ヴァイハオの村
船を出して、約一時間。
海は相変わらず穏やかなのだが――。
「ううっ、気持ち悪い〜っ」
甲板の上で、セネリアがぐったりしていた。
「ふぅむ……。まさか、セネリアが船に酔うとはね……」
潮風を浴びながら、意外そうにジェイルが言った。
「くそー……。何でお前らは平気なんだよ……」
「……そりゃあ、日頃の行いがいいから」
「嘘を付け」
「……ごめんなさい、セネリアさん。酔い止めの薬は用意してなくて……」
ジェイルの隣で、申し訳なさそうにスイレンは言った。
「す、スイレンちゃんのせいじゃないよ……。ううっ」
胃の奥からこみ上げてくるものを感じ、セネリアは口元を押さえる。
「……困ったな。休める場所なんてないし……」
「……どうしよう……」
ジェイルもスイレンも困り顔だ。
と、そのときである。
「ジェイルーっ!」
船の後ろから、聞こえるはずのない少女の声が聞こえてきた。
「――えっ……? こ、この声……スズナ!?」
まさか、とジェイルは慌てて振り返った。
ひゅん、と影が彼の横を通り過ぎる。
「ああ、行き過ぎだってっ。ストップストップ」
もう一度聞こえる少女の声。
「…………」
ジェイルは一瞬、頭を抱えた。そしてため息を付きながら、船が追い付くのを待ち、彼女の姿を確かめる。
「やっほー、ジェイルー」
見慣れた笑顔が、そこにあった。船の外に。
彼女は見たことのない翼のある動物に乗って、船と同じ速度で飛んでいたのである。
「……何でここにいるんだ、スズナ?」
彼女の行動に呆れながら、ジェイルは低い声で訊ねる。
「それにお前の乗ってるのは――」
「……竜だわ!」
スイレンが、驚愕の声を上げていた。
「信じられない。竜なんて、空想上の生物のはずなのに……」
「……どういうことだ、スズナ?」
「……そんなに怒んないでよ」
怖い顔で問いかけるジェイルに、さすがにスズナはうつむいてしまう。
「あたしはただ、ジェイルと一緒にいたいだけだったのに……」
「……わかったよ。もう怒ってないから、とりあえず説明してくれないか?」
「……ホントに怒ってない?」
「怒ってないよ」
とジェイルは微笑む。
そこまでして一緒にいたいと望む彼女の気持ちは、やはり少なからず嬉しいものである。
「じゃあ、一緒に行ってもいい?」
「……いいよ。ここから帰れと言うわけにもいかないし」
途端、スズナの表情は、パッと輝いた。
「やったぁっ!」
飛竜から飛び降りて、ジェイルに思いっ切り抱き付く。
「ありがとう、ジェイル!」
「……やれやれ……」
彼は苦笑するしかなかった。
スイレンは楽しそうにその光景を見ている。
「ううっ、気持ち悪い……」
甲板を這っているセネリアの存在は、すっかり忘れられていた。
「スズナ、嬉しいのはもうわかったから、早く説明してくれないかな」
万歳している彼女に、ジェイルは促すように声をかけた。
「あっ、そっか。つい……」
てへへ、と頭を掻きながら笑うと、スズナは飛竜の顔を撫で始める。
「この子はスイレンが言ったとおり、竜なの。まあ、細かく種類を分けると、飛竜っていうらしいんだけどね。で、名前はスズラン。三年くらい前に卵を見付けて育ててたんだけど、みんなのことを驚かそうと思って、今まで隠してたんだ」
「……なるほどな。しかし、どうして飛竜の卵が……?」
ジェイルが首を傾げた。
「……きっと、ディネール文明の頃に造られたんじゃないかな」
とスイレン。スズナがいるので、『長老が造った』とは言わなかった。
そして彼女は、ジェイルの耳元に囁く。
「こういうと悪いんだけど……あなたたちを造ったくらいなんだから、空想上の動物を造り出すなんて、簡単なことだと思う……」
「……なるほど……」
気にするでもなく、ジェイルは頷いている。
「ちょっとっ。何二人でコソコソ話してるのよっ」
スズナが不満そうに顔をしかめながら言った。
「あっ、いや、別に……」
「おぉ〜い、スズナ〜……」
青い顔をしたセネリアが、呻きながらヨロヨロと立ち上がった。
「あれ? いたの、セネリア?」
「あ、あのなあっ……」
文句を言おうとしたセネリアだが、それどころではないのでやめた。
「い、いや、何でもない。それよりスズナ、俺もそいつに乗せてくれないか?」
「スズランに?」
「ああ。船酔いが治るかもしれん」
「んー……でもねぇ……」
腕組みをし、スズナはスズランと顔を見合わせた。
「俺からも頼むよ、スズナ」
とジェイルが頼む。すると彼女は嬉しそうに、
「う〜ん、ジェイルがそう言うなら〜……。いいよね、スズラン?」
「キュイッ」
スズランも嬉しそうだった。
(……何か理不尽だよなー……)
セネリアは心の中でぼやいた。
「じゃあ、あたし降りるから。セネリア乗っていいよ」
飛竜の背中から船へと、跳躍するスズナ。高速で動いている物から物へと移動するのは難しいというのに、彼女は簡単にこなしてしまった。
(これも元獣人の能力なのかな?)
とスイレンは妙な所で感心してしまう。
「よ、よし」
足許がフラフラするので、ジェイルに支えてもらいながら、セネリアは何とか飛竜の背に飛び移った。
「おお、こりゃいいぜ」
空中にいれば波の揺れを感じない。それだけでも随分楽になる。
「ところでスズナ。こいつ、男だろ?」
「女の子だもんっ」
スズナはムッとして頬を膨らませた。
「ええっ、本当かよ? そうは見えないけどな。何かごつい顔してるし」
無神経に笑うセネリア。
「キュイキュイキュイッ!」
彼の言葉に怒ったのか、スズランは身体を左右に揺すりだす。
「うわわっ! やめろっ、俺が悪かった!」
必死にしがみつくセネリア。
ジェイルたちから笑い声が上がった。
これから自分たちの身に起きる危険に、気付くことなく。
そうして、十分ほどが過ぎたとき。
「キュイキュイキュイッ」
何かを訴えるように、スズランは突然声を上げ始めた。
「……ジェイル。どうしよう……」
その意味に気付き、スズナは顔をひきつらせる。
「どうした?」
「……スズラン、疲れちゃってこれ以上飛べそうもないって……」
「えっ……!?」
一同は、思わず顔を見合わせた。
「……そ、それってつまり……」
「どこかで休まないと、落ちてしまうというわけだな……?」
ジェイルとセネリアが、恐る恐る訊ねる。
「……うん」
頷くスズナ。
「あっ……アホか、お前はぁぁぁっ!」
思わずセネリアは叫んでいた。
「何でそう考えなしに飛び出してくるんだっ! このバカ! 大バカっ!」
「しょっ、しょーがないでしょっ! そこまで頭が回らなかったんだから!」
「しょーがなくなーいっ!」
口ゲンカを始める二人。
しかし、そんなことをしている間にもスズランは徐々にスピードを落とし、船から遠ざかっていく。
「うわああっ」
セネリアは悲鳴を上げた。飛竜に乗っていた彼と船との距離も開き、その声も姿も、すぐに小さなものになる。
「――やばいっ。スイレン、すぐに船を止めてくれ!」
「わかったわ!」
ジェイルの指示で、スイレンはすぐさま操縦席へ駆け出した。程なくして、船は進むのをやめ、何とかスズランも追い付いてくる。
しかし、休む場所もないこの海の上で、一体どうすればいいのだろう。それは誰にもわからなかった。
「くそっ」
とりあえず、セネリアはスズランから船に戻った。これで多少は楽になるはずだが、やはり落ちるのは時間の問題だ。
「――そうだわ!」
操縦席からスイレンが叫んだ。
「ジェイルさん、スズランと合体するというのは?」
「……できるかもしれないが、やはり一時凌ぎだ。合体してもわずかに疲れがやわらぐくらいで、引き返すにしても半分も行けないだろう。交代で合体するにしても、セネリアはまだ船酔いが治ってないし、スズナは女だし……」
「え? 女は合体できないの?」
「そういうわけじゃないんだが……。そもそも、合体は戦うためのものだからな。男も含め、俺たちみたいな戦士以外には、その方法を教えないことになっている」
「そうなんだ……。それは長老様の方針?」
「ああ。争いの技術をわざわざ覚える必要はないからな」
「しかし実際問題、どうする?」
とセネリア。
こうして会話をしている間にも、スズランは体力を消耗していっているのだ。
「と、ともかくジェイルさん。とりあえず合体してください。その間に何か方法を考えますから」
「わかった」
スイレンの言葉に頷き、ジェイルは上着に手をかける。
が、そのとき。
スズランは彼らの想像以上に疲れていたらしく、とうとう翼の動きを止めてしまった。 つまり落ちてきたのである。しかも、船の真上に。
「うわぁぁぁっ! そんなぁーーーっ!」
悲鳴を上げる一同。
ずんっ!
船が揺れた。衝撃で、波が吹き上がる。
咄嗟に手すりにしがみついたおかげで、幸い海に投げ出された者はいなかった。
しかし、それだけで済むはずがない。
ぎしぎしぎしっ。
船がきしみだす。
スズランは、船の後ろ半分を占拠していた。
さらに。
ずぶずぶずぶっ。
後ろの方から、船が沈み始めた。
「一体いくつ体重があるんだ、こいつはっ!」
「あたしだって知らないわよっ!」
それどころではないというのに、セネリアとスズナが言い争う。
「きゃぁぁっ! 船が沈むーーーっ!」
船体がほとんど縦になり、さすがにスイレンも混乱する。
「くっ――」
ただ一人、冷静に状況を見ていたジェイルは、手すりから手を離し、船の後ろにしがみついているスズランの背に降り立った。そして彼女に向け、手を突き出す。
「はあっ!」
そこから光が放たれ、彼とスズランを包み込む――はずだった。だが、何も怒らない。
「何っ!?」
「――合体できねえのか!?」
ジェイルの意図を悟ったセネリアが、驚愕の声を上げる。
ディネールの村に住む人間と動物は、過去に存在した獣人から切り離された存在の子孫である。だからこちらから合図を送れば、どの種類の動物とも一時的ではあるが合体が可能なはずである。それができないとは、一体どういうことなのか。
いや、今はその疑問について考えているときではない。
「キュイーーーッ!」
ついに力尽きたスズランが、船からずり落ちてしまったのだ。
「うぉぉっ!」
その背に乗っていたジェイルも、共に激しい波しぶきを上げ、深い海へと沈んでいく。
「嘘っ! スズランっ、ジェイルっ!」
船につかまりながら、スズナが叫ぶ。
しかし、心配している暇は全くなかった。
何しろこの船は、急にスズランの重さが消えたことで、大きく傾き、非常に不安定な状態になっていたのだ。そんなところへ、さらにスズランが落ちた衝撃でできた、大きな波が襲ってきたからたまらない。
船は、あっさり転覆した。
「うわぁぁぁーーーっ!」
どっぼぉーーーんっ!
結局は、全員が海へ落ちることになってしまったのである。
(くぅっ……!)
ようやく上から押さえ付けられるような衝撃が収まり、ジェイルは海の中で目を開いた。
一番近くにいたのはスイレンで、必死に手足を動かしているものの、なかなか上へと上がれないようだ。
ジェイルは彼女のところまで泳いで腕に抱えると、海上まで連れていった。
「ぷはっ!」
顔を出し、空気を補給する。
「ごほっ、ごほっ! ……あ、ありがとう。わたし今まで泳いだことなくて……」
苦しそうに咳き込みながら、スイレンが言う。
「別にいいよ」
ジェイルは応え、
「それより困ったことになったな」
と視線を促した。
船は、転覆したままだった。これではもう自分たちで直すことはできない。
その船から十メートルほど離れた場所では、丁度セネリアとスズナが、それぞれ顔を出したとことだった。
「ちょっと、何でセネリアと一緒なのよっ」
「仕方ないだろっ、近くにいたんだから!」
そう言ってから、セネリアは転覆した船を見た。
「ぐああっ、俺の荷物がっ!」
「あたしの荷物ぅぅぅっ!」
倒れた船のことより、二人は自分の荷物のことを心配する。
「……ジェイルさん、どうしよう……」
スイレンは不安げに彼の顔を見た。
今はまだこうして泳いでいられるが、いずれは力尽きてしまうだろう。その結果、待っているのは”死”でしかない。
(こんなところで……こんなところで死ぬわけにはいかないのに……!)
ぎゅっ、と唇を噛みしめるスイレン。
「…………」
ジェイルは無言のまま、答えられなかった。
「ああーーーっ!
ジェイルってば、何スイレンと抱き合ってんのよっ!」
スズナが驚愕と怒りの声を上げた。
「何ぃぃぃっ! それは許せんっ!」
セネリアもついでに叫んでいる。
どうやら見付かったらしい。しかし今はそのことについて言い訳しているときではない。
「理由は後だ! それよりスズナ、スズランはどうなったかわかるかっ!?」
ジェイルの言葉に、スズナの表情が一瞬にして沈む。
「……わかんない! 海に落ちたときに周りを見たけど、いなかったのっ!」
「呼びかけてみてくれ! 仲の良かったスズナの声なら、届くかもしれない!」
「う……うん、やってみるっ」
頷くスズナ。彼はスズランが無事だと信じている。その態度が不安を消してくれた。
彼女は大きく息を吸った。そして――、
「スズラーーーン! いい子だから、出ておいでーーーっ!」
キィン――。
空気を振動させるような大声が響き渡る。
(す、すごい声……)
鼓膜にビリビリと痛みを感じ、スイレンは顔をしかめる。
やがて振動が収まり、海上に静寂が訪れた。
「……だめか……」
セネリアがため息と共に呟く。
「スズラーーーンっ!」
スズナはもう一度叫んだ。
不意に、波が不規則に揺れ始める。
「ん……?」
四人は下を見る。
深い底の方から、大きな影が迫ってくるのが見えた。
「うわっ!」
ザッパァーーーンッ!
影は海上へと飛び出し、巨大な水柱が吹き上がる。
「な、何だぁっ!?」
セネリアが目を剥く。
「キュィィーーーッ!」
嬉しそうに声を上げ、水柱の中から姿を現したのは、もちろんスズランだった。
「スズランっ!」
スズナが笑顔を浮かべる。
「……よかった。無事だったんだ……」
と、スイレンもホッとして息を付く。
スズランは一度辺りを旋回すると、翼を閉じて、再び自分から海に飛び込んでいった。
「何やってんだ、あいつはっ!?」
飛竜の不可解な行動に、セネリアが眉をひそめる。
だが、悠長に文句を言ってはいられなかった。
先程の水柱と、今スズランが飛び込んだときの勢いが相まって、大きな波が発生したのである。
「どぇぇぇーーーーっ!」
当然逃げられるはずはなく、彼らはまたも海に沈んだのだった。
「何なんだよ、お前は!」
海上では、顔を出したセネリアが、文句を言っていた。
「キュイーっ……」
申し訳なさそうに、スズランは頭を下げている。
現在、何とスズランは、水鳥のように海に浮かんでいた。
普通では絶対に見られない光景に、スイレンはどんな顔をしていいのかわからない。
「まあまあ。もういいじゃない」
とスズナがなだめに入る。
「こうして謝ってるんだし」
「……だってよぉ、あれだけ大騒ぎしたのに、結局こいつは水の中でも平気なわけで、さらに海水飲んだら元気になった、って言ってるんだろ……」
不満そうにセネリアは口をとがらせている。
「しょうがないじゃない。本人も知らなかった、って言ってるんだし」
とスズナ。しかし彼の言うことももっともなので、あまり言い返せない。
そもそも、どうして飛竜であるスズランが水中でも平気なのか。当然ながら、竜とは空想上の動物である。それが今ここにいるのは、文明時代に造られたからであり、文明の技術を持ってすれば、海水をエネルギー源にすることも可能なのだ。また先程ジェイルと合体ができなかったのは、スズランが獣人から分かれた動物の子孫ではないからである。
「……あ、あのー……、セネリアさんにスズナちゃん」
言い合う二人に、ジェイルにつかまったままのスイレンが声をかけた。
「それよりわたしは、早くこの状況を何とかした方がいいと思うんだけど……」
「おお、そうだった」
セネリアが立ち泳ぎをしながら、ポンと手を打った。
「おい、スズラン。船を起こせ。お前なら何とかできるだろ?」
「キュイっ」
と元気よく頷くスズランではあったが、困ったようにキョロキョロと辺りを見回し始めた。
「ん、どうした?」
セネリアが怪訝そうにスズランを見上げる。
「あっ! あんなところに船が!」
スズナが驚いて、スズランの後ろを指さした。
その先、百メートルほど離れた辺りで、転覆したままの船が、プカプカと浮かんで流されていたのである。
「わぁぁっ! スズラン、早く行け!」
「キュイーっ」
慌てたセネリアの指示により、スズランは飛んでいき、あっという間に船に辿り着いた。
しかし自分より大きい船を起こすのはなかなか困難なようで、四苦八苦していたが、波を利用して何とか持ち直すことができた。
そして四人を背中に乗せて船まで運んだが、当然そこは水浸し。幸い、船内は扉を閉めていたおかげで、少し水が入っただけですんだ。荷物が多少濡れてしまった程度だ。
「よかった。秘星球が無事で……」
リュックを確認し、スイレンはホッと息を付く。
「……スズナ……。お前、いきなり思いっ切り迷惑かけたな……」
濡れた服を絞りながら、セネリアが呆れ顔で言った。
「うっ……」
言葉につまるスズナ。さすがに何も言い返せない。
「やっぱり帰った方がいいと思うんだが……」
「やだ! 絶対一緒に行くぅっ!」
自分でも悪いとは思う彼女だが、こればかりは譲らなかった。
「……まあ、今から帰すのも危険だしな。仕方ないだろう」
「いや、ジェイル。お前は甘いぞ! スズランが海でも平気なら余裕で帰れるはず……」
と言いかけたセネリアは、あっさり無視された。
「わーい、ジェイル大好きー」
彼に抱き付くスズナ。
「その代わり、俺が言うことをきちんと聞くんだぞ」
「うんっ」
「……ふん。どうせ俺の言うことだったら聞かないんだろうな……」
そっぽを向き、ぶつぶつ呟きながら、セネリアはふてくされる。
「……あのー……、それより早く船内を掃除した方がいいと思うんですけど……」
船室から顔を出して、おずおずとスイレンが言った。
多少水が入った程度とはいえ、布団も濡れているので、掃除をしないと寝ることもできない。
「おお、そうだった」
セネリアはくるりと振り返った。
ジェイルもスズナも、船室へ向かう。
スズランは手伝えることがないので、気楽に船の周りを泳いでいた。
(……みんなには悪いけど、一人の方が楽だったかも……とほほ)
マニュアルを見てエンジンのチェックをしながら、スイレンはそう思ってため息を付くのだった。
出航して五日目の朝。
一行はようやく目的の大陸へと辿り着いた。予定到着時間の、優に倍はかかっている。
「これもスズナのおかげだな」
五日ぶりの大地を踏みしめて、しみじみとセネリアが言った。
「えっ、いや、そんなー」
ひきつった笑みを浮かべながら、スズナは頭を掻いた。
遅れた理由は、主に自動操縦ができなかったからである。もしそれをしたなら、スズランを置いていってしまうことになる。いくら水の中で平気とはいえ、身体は飛竜であるため、泳ぐのが得意なわけではないのだ。
それに通常運転のときも、スズランを休ませるために何度も船を止めたり、スピードを緩めたりしなければならなかった。当然、眠っている間に動かすこともできない。
加えて、食料と水の不足。念のためにと一週間分は積んでおいたのだが、予定外の人員が増えたため、ほとんど底をついてしまっていた。今日、陸に着かなければ、おそらく危険な状態になっていただろう。
「……まあ、いいや」
と面倒そうな顔をするセネリア。さすがに少し疲れている。
「とりあえず水が飲みたいな」
「あ、それなら村にあります。行きましょう」
その場をなごますように微笑み、スイレンが先頭に立った。その後をセネリアたちが続く。
ズシン、ズシン。
さらに後ろから、想い音が響いてくる。
「ちょ……ちょっと待って」
その音を聞き、スイレンは慌てて振り返った。
「悪いけど、スズランは連れていけないわ」
「え? 何で?」
きょとん、とするスズナ。
「………わたしの村ではね、竜はあくまで空想上の生物なの。だからスズランを村に入れたら大騒ぎになってしまうわ」
「……なるほど。確かに」
とジェイルは頷く。
「スイレンの村の人たちを、驚かすわけにはいかないな」
「じゃあ、スズランはどうするの?」
「そうね……」
スズナの問いに、スイレンはちょっと考えてから答えた。
「しばらくここにいて。後でちゃんと水と食べ物を持ってくるから」
「ふーん……。そういうことなら、スズナもここにいろよ」
とセネリアが言う。
「ええ〜っ?」
スズナはあからさまな不満の声を上げた。
「お前、母親代わりだろうが。きちんと面倒みてやれよ」
珍しく正論である。
「う〜……わかったわよ」
スズナはしぶしぶ頷いた。
「それにしても、セネリアもたま〜にはいいこと言うのね」
「たま〜に、は余計だ」
そして、どちらともなく笑い声が上がった。
「まあ、とにかく」
とスイレンも笑みを浮かべながら、
「スズナちゃんもスズランちゃんも、すぐ来るからここにいてね」
「はーい」
「キュイっ」
彼女たちは源清く返事をした。
かすかな不安はあるものの、スイレンは安心したように頷いてみせた。
「じゃあ、ジェイルさん、セネリアさん、行きましょう。こっちよ」
「おうっ」
海岸からすぐ近くの樹海へ向かう彼女に、二人は付いて行った。
「いってらっしゃーい」
とスズナが手を振る。
やがて三人の姿が見えなくなった。
「…………」
スズナはゆっくりと手を下ろし、大きなため息を付いた。
「……はあ……。みんなに迷惑かけちゃったな……」
呟きながら、スズランを撫でる。
ジェイルのそばにいたい一心で飛び出してきたはいいが、後のことは本当に何も考えていなかったのだ。
「あたしのせいでスズランを死なせるところだったし……まあ、結果的には助かったんだけど……」
スズナは砂浜に寝転がった。両手を頭の後ろで組んで、ふぅっ、と短く息を吐く。
その隣にスズランも座り込んだ。
「……ごめんね、スズラン……」
スズナは顔だけ向けて、ポツリと呟いた。その彼女の顔を、突然スズランはペロペロと舐め始める。
「うひゃっ! や、やめてよ、もうっ」
スズナは横に転がって逃げた。
スズランの舌はスズナの顔くらいもの大きさがあるので、彼女の顔は唾でベタベタになってしまった。
「あはは……。一応、慰めてくれたのかな? ありがとね、スズラン」
スズナは苦笑しつつ、スズランの気持ちに感謝した。
「ほう……ここがスイレンの村か……」
ヴァイハオの村の入り口に立って、セネリアが呟いた。
「へえ……」
とジェイルは目を見張る。
二人とも自分の所以外の村に来るのは初めてなので、興味深そうに見回している。
「何か面白いものはあった?」
訊ねるスイレンに、
「あんまり」
とセネリアは答えた。
「俺たちの村にないものはたくさんあるけどな」
それは、例えば木造ではない家であったり、ビニールハウスであったり、何だかわからない機械の塊であったりするのだが、彼はそういうものに興味がなかった。
「そう……」
とスイレンは少し寂しげに笑った。
この村に機械を取り入れ、発展させてきたのは、ライザーだからである。もっとも、村人たちはそのことに感謝こそしているが、ライザーの性格をあまり好いてはいなかった。
「さあ、行きましょう」
スイレンは促した。
「とりあえず――水はあそこの家で」
と近くの家を指す。
「……スイレンの家じゃないのか?」
首を傾げるジェイル。
「……わたしの家は……最後にしましょう」
そう言って、スイレンは小さな笑みを浮かべた。
ジェイルとセネリアは、一瞬顔を見合わせた。
「……それにしても、静かな村だな……」
歩きながら、セネリアが呟いた。
「物音ひとつ聞こえない……」
確かに、辺りは不気味なくらい静かだった。人はもちろん、小鳥のさえずりや、虫の鳴き声さえも聞こえない。
「そうね」
とスイレンが言った。
「いつも静かな方だけど……今日は特別静かだわ」
彼女の表情は、わずかに緊張気味だった。
スイレンは先程指した家の前まで来ると、その扉をノックした。しかし、いくら待っても返事は返ってこない。
「留守なんじゃないか?」
「……おかしいわね。ここの家は、いつもおばあちゃんがいるはずなんだけど……」
顎に手をあて、スイレンは考える。とりあえず、扉に手をかけてみた。鍵がかかっていなかったようで、扉はあっさりと開いてしまう。しかし――。
「誰もいないな……」
覗き込んで、セネリアが言った。
「…………」
スイレンは家の中を見回してみた。綺麗に片付けられているので、どこかに出かけたのかもしれない。
「……とりあえず、水をもらっておきましょう」
妙に思いながらも、まずは台所に向かう。
そこに設置されているポンプを何度か押すと、蛇口から水が出てきた。それをコップに取り、スイレンは二人に渡す。
「へえ……もしかして、家ごとに水が出るようになってるのか?」
「うん。何年か前に、お兄ちゃんが設計して造ったの。あのときは村中の人たちから感謝されたわ」
「……ライザーか……」
呟き、ゼアーにやられた姿を思い出すジェイル。
スイレンも思い出してしまったのか、一瞬表情が沈んだが、すぐに笑顔を浮かべて言った。
「もう出ましょう。用は済んだし、やっぱり勝手に上がったら悪いから」
「そうだな」
三人は家を出た。扉もきちんと閉めておく。
それからスイレンの提案で、他の家を見て回ったが、どこの家にも人っ子一人見当たらなかった。
「……おかしすぎるわ。誰一人いないだなんて……」
全員でどこかに出かけるなんてことはあるわけがない。
「嫌な予感がする……」
それは、この村に帰って来る前からしていたものだった。できれば違っていてほしい、という思いから避けていた問題だが、やはり確かめねばならないだろう。
彼女の家――ライザーの研究室へと。
「大丈夫……。もし何かあっても、俺たちが守るから」
ポン、とジェイルが肩を叩く。
「ま、そのために来たんだしな」
とセネリアが頷いてみせる。
「ありがとう」
スイレンは一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。
「行きましょう。わたしの家はこっちよ」
スイレンの家が見えた。他の家と比べても、大きな家である。それもライザーの研究の成果なのだろう。
見た目は、ここを出る前とは変わっていない。
だが、そこへ近付くごとに、彼女の嫌な予感は強まっていく。
「……よし。俺が開けるぜ」
セネリアが一歩前に出て、扉に手をかける。
ガチャリ、と音を立てて、それは開かれた。
瞬間――その奥に何者かの気配を感じ、二人はスイレンを抱き、素早く後ずさった。
「え――?」
事態が呑み込めず、スイレンは困惑する。そこにいた存在を、彼女は認めることができない。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃないですか」
幼い声。そして聞き覚えのある声だった。
開かれた扉から、ゆっくりと出てきたのは、まだ十歳くらいの少年である。金髪に青い瞳、白い肌。それはスイレンと同じ、ヴァイハオの村に住む人々の持つ特徴だ。
その少年の顔を、彼女は見たことがあった。
「……ルクラナス……」
驚愕して、呟きを漏らす。
間違いなかった。しかし、あの少年は機械の中でのみの存在のはずだ。それがこうして身体を持って動いているとは、とても信じられることではない。
(……一体、どういうことなの……?)
スイレンには答えが見えてこなかった。
「どうした、スイレン?」
様子のおかしい彼女に、ジェイルが呼びかける。
「…………」
しかし彼女は驚きのあまり、答えることができなかった。
「一週間ぶりですね、スイレンさん」
少年が口を開く。やはり、口調も同じものである。
「……どうして……」
と、スイレンは息を呑んだ。
「……本当に……ルクラナス……なの……?」
「もちろんですよ」
少年は微笑んだ。
「あなたの知っている顔でしょう?」
「だって――ルクラナスは人間じゃないわ!」
「……そうですね」
と少年は微笑んだまま、
「でも、僕はこんな姿ですが、別に人間になったというわけではないですよ」
「えっ……」
スイレンは眉根を寄せた。
少年を凝視してみるが、どう見ても人間にしか見えない。
ジェイルとセネリアがしきりに首を傾げている。会話が理解できないようだが、それはスイレンも同じだった。
「……わけがわからないわ……」
「今、説明しますよ」
少年が言う。
「ですが、その前に――どうして村に人がいないのか、気になりませんか……?」
「気になるわ。どうしてなの?」
聞かない方がよかったのかもしれない。だが、訊ねずにはいられなかった。この予感がはずれることを願いながら。
「あまり、驚かないでください――と言っても、無駄でしょうね。実は……」
少年はわざとらしくうつむき、口元に小さな笑みを浮かべた。
「みんな、死んでしまったんですよ」
「えっ……」
あまりにあっさり言われたため、一瞬言葉が理解できなかった。
「……い、今……何て……」
「みんな死んだんです。正確には、僕が殺したんですけど」
「――!!」
スイレンたちは、愕然となった。
つづく |