鬼の棲む街
著 K&Aさん
鬼とは、現世に強い執着がある者が死すとき、その姿を鬼へと化してゆく。
大概の鬼は、憎悪等のマイナスの執着でこの世に生まれて来る。
その様な鬼は多くの悪事を行う。
そしてその鬼を退治するため、陰陽師たちは専門の鬼退治の集団を作った。
その中でも、鬼の力で鬼を討つ者たちがおり、その者たちを『鬼道師』と呼ぶ。
鬼道師は己の影に鬼を飼い、その鬼の力を用いて邪悪な鬼を討つ。
鬼道師が鬼を影の中に住まわせるには、己の霊力で鬼を手懐け忠誠を誓わせなければならない。鬼が鬼道師に誓う忠誠とは、鬼の命とも言うべき角を、鬼道師に差し出すことをいう。これにより鬼道師は、鬼を自在に使役することが出来るようになる。影に鬼を住まわせている鬼道師は、その恩恵により常人を遥かに越えた身体能力を持つことが出来る。そして鬼も、宿主である鬼道師の霊力が向上すれば、その強さを高めていくので、力を求める鬼の中には、自分から鬼道師に仕える鬼もいる。鬼道師が死ぬと、鬼道師に差し出していた角が鬼のもとへ戻り鬼は自由の身となる。
そして現在も、鬼を討つ一族の末裔が現代の鬼を狩り続けていた。
その一つに支倉家が存在する。支倉家は、代々鬼道師の家系で、数ある鬼道師の中でも最高クラスの霊力を誇る。
その支倉家には二人の子が居る。
跡取である長男の龍哉、二歳年上である姉の双葉の二人である。
支倉家では、一五歳になると一人前の鬼道師と認められ、鬼を討つ仕事を任される。龍哉も先日一五回目の誕生日を迎え、鬼道師として一人前として扱われることになった。
そして今夜、跡取である龍哉の初めての鬼退治が言い渡された。
「龍哉、今回の鬼は、お前が退治するのだ」
支倉家の一室に三人の人間が座っている。その一人、この家の主である支倉雷蔵が、息子の龍哉に初めての鬼退治を任せていた。
「はい。分かりました」
龍哉は父親の言葉に返事をかえす。
「双葉、お前に龍哉のサポートを任せるぞ」
「は〜い、任されました〜」
双葉は笑顔で返事をかえす。
「では、行ってきます」
「すぐに帰って来るよ〜」
こうして、龍哉の初の鬼退治が始まった。
「お姉ちゃん、今回の鬼って、どんな奴なの?」
龍哉は不安そうに姉に尋ねる。
初めての鬼退治なので、龍哉の心の中は不安で一杯であった。
「大丈夫だ。我が汝を守る」
龍哉の影から返事がかえってくる。この声は、龍哉が使役している鬼『紅』の声であった。
紅は支倉家に代々仕えている鬼で、この紅は、支倉家の遠い祖先が鬼となり、代々支倉家を守ってきた支倉家最強の鬼である。それだけに、この鬼の霊力は絶大で、大概の鬼を一撃で葬る霊力を持っている。
「紅ちゃん、龍哉を守ってやってね」
双葉が紅に言葉を掛ける。
「お姉ちゃん!」
龍哉は姉に少し強い口調で声を掛ける。
「なに?」
「今回の鬼は、どんな奴なのか教えてよ」
二度目の質問で、双葉はその答えを龍哉に話した。
「そうね〜、あんな奴かな〜」
歩みを止め、少し離れた道を指差す。龍哉が指差す場所を見てみると、浅黒い肌をした鬼が立っていた。
「で、出たー!」
龍哉のこの声で、鬼はこちらに気付いた。
「さあ、逃げるよ〜」
「え? あっ、待ってよー!」
急に走り出す姉の後ろを、龍哉は慌てて追いかける。すると、後ろから鬼が龍哉たち二人を追い掛けてきた。
「姉ちゃん、鬼が追い掛けてくるよ」
「あそこまで競争だ〜」
双葉が指差したのは近所の公園であった。
「さ〜て、鬼退治を始めましょうか〜」
公園の奥へと来ると双葉は笑顔で龍哉に声を掛ける。すると息を切らした龍哉が、切れ切れに言葉を口にする。
「お……お姉……ちゃん……、は、速すぎる……よ……」
「ダメだな〜。霊力をコントロールして身体能力を向上させないと、すぐにバテちゃうぞ〜」
それに比べ、双葉は汗一つかいていなかった。
鬼道師は鬼の恩恵で常人以上の身体能力を持つことが出来るが、その強さは使い手の力量によって変化する。
龍哉は鬼のコントロールの訓練を重点的に行っており、身体能力のコントロールは苦手であった。
「鬼さんのご到着〜」
二人が到着して数秒後、鬼が二人の前にやって来た。
「お前たち、俺が見えるということは、只の人間では無いな」
「ピンポ〜ン。正解したご褒美に退治してあげる〜」
その会話のあいだ、龍哉は必死に呼吸を整えていた。
「ふぅー……よし、いくぞ! 紅よ、我が霊力を糧として、我が敵を討て!」
呼吸を整えると龍哉は紅を呼び出した。龍哉の声と共に、龍哉の影から深紅の肉体を持った鬼が現れた。
「いけーっ!」
その言葉を合図に、紅は悪鬼に向かって行く。
「ぐっ!」
「くおっ!」
紅と悪鬼は互いの手を合わせると、力比べを開始した。
支倉家最強の鬼『紅』の力なら、この程度の悪鬼の力に負けることは無い。
「くっ……ぐぅっ……」
ただし、それは使役する鬼道師の実力が伴えばの話である。
「どうしたぁ? これが全力かぁ?」
紅は悪鬼の力に押され、徐々に後退していく。
「そら、これでも喰らいな!」
そう言うと、悪鬼は紅の腹に蹴りを叩き込む。
「あうっ!」
龍哉の腹に激痛が走る。鬼道師が使役する鬼が傷付けば、己の中にある鬼の角から、その痛みは使役している者に反映される。
「……っ」
龍哉が痛みでうずくまっていると、悪鬼が紅にトドメの一撃を与えてきた。龍哉が痛みのために霊力の供給を怠ってしまったので、紅にはその攻撃を回避することが出来ない。
悪鬼の爪が紅の身体を貫く――
「があああっ!」
その瞬間、紅の身体を貫くはずだった悪鬼の右腕が宙に舞っていた。
「刃風、よくやったよ〜」
失った右腕を抑えながら、悪鬼は声のするほうを振り返る。そこには、青白く細身の身体をした鬼が立っている。
双葉の使役する鬼『刃風』である。
「くっ……」
悪鬼はその姿を視界に捉えた瞬間、己の不利を感じ一目散に逃げ出した。
「あ〜、逃げちゃった〜」
逃げて行く鬼を見送り、双葉はうずくまっている龍哉を抱き起こした。
「大丈夫?」
「ご、ごめん。失敗しちゃった……」
龍哉は悔しさで一杯の声で呟く。
「初めてだし、まぁ、上出来だと思うよ〜。それに、龍哉がいつもの実力を出していれば、楽勝で勝てた相手だったし〜。今回は初めてだったから、緊張してしまったんだよ〜」
双葉が慰めの言葉を掛ける。
「……うん」
短く返事をかえすと、龍哉は姉の手を握り締めながら支倉家へと帰っていった。
こうして龍哉の初めての鬼退治は、散々な結果に終ってしまった。
次の日、龍哉は自分の通う光来中学へと足を進めていた。
「おはよう」
「おはよう」
龍哉が自分のクラスに着くと、クラスの友達が挨拶をしてくる。その挨拶に返事をかえしながら、龍哉は自分の机に向かった。
「おはよう、龍哉くん」
自分の机に辿り着くと、隣の席の少女が挨拶を交わしてきた。
「おはよう、瑞樹ちゃん」
それに対し、龍哉も彼女に挨拶をする。
彼女の名前は篠原瑞樹。彼女は龍哉の幼馴染で、小さな頃から一緒に遊んだ仲である。しかも彼女の家系は由緒ある陰陽師であり、支倉家とは昔から鬼退治の手伝いをしていた。彼女の一族は結界師であり、彼女も幼い頃からその力の訓練を行っていた。
「昨日はどうだった?」
瑞樹が小さな声で訊いてくる。
「失敗だった……」
ガックリと肩を落とし、瑞樹の声以上小さい声で返事をする。
「そっかー、でも、誰だって失敗はするよ。今度、頑張ろうよ」
必死にフォローするが、明らかに龍哉は暗い表情になっていた。
(参ったなぁ〜。思いっきり陰気モードに入っちゃったよ……)
瑞樹が途方に暮れていると、背後から誰かが二人に声を掛けてきた。
「龍哉、聞いたぜ。お前、失敗したんだってな」
後ろから声を掛けてきたのは、親友の上杉亮であった。彼もまた、二人と同じく鬼を討つ一族である。彼の一族は鬼切師の家系で、霊刀を用いて鬼を討つ。
「こら〜! 龍哉くんが落ち込むことを、堂々と言わないの!」
「失敗は失敗だろ? どうせ、緊張して実力の半分……いや、一割も出せなかったんだぜ、きっと」
亮の確信を捉えた言葉に、龍哉は涙が出る程情けなくなっていた。
「まー、あれだな。こんな奴でも親友ではある訳だし、今夜にでも手伝ってやるとするか」
「えっ?」
龍哉が驚いて亮へと振り返る。すると、笑みを浮かべた亮の顔が映しだされた。
「明日は日曜だし、暇だから付き合ってやるぜ」
「仕方ないなー、その鬼は手負いなんでしょ。なら、私も手伝うわ。三人で戦えば楽勝よね」
瑞樹も亮の提案に乗ってくる。
「二人とも……ありがとう」
「なーに、俺にとっては軽い運動さ」
「鬼退治が終ったら、みんなで遊ぼうよ」
二人の心強い仲間を迎え、龍哉は今夜のリベンジを決心していた。
その日の夜、三人は龍哉が鬼を逃がした公園に集まっていた。
「おい、お姉さんはどうしたんだ?」
亮は龍哉に恐ろしい眼光で尋ねてくる。
「お姉ちゃんに迷惑は掛けられないし、黙ってきたよ」
「な、なんだとー!」
その言葉に、亮は大地の倒れこみながら呟く。
「せっかく……せっかく、双葉お姉さんに会えると思ったのに……くそっ! 俺の計画は丸潰れだぜ」
「なーんだ。そんな魂胆で、この鬼退治を引き受けていたの?」
瑞樹がジト目で亮を睨む。
「うるさい! 俺にとって、双葉お姉さんは女神様なんだぞー! 俺は彼女のためなら喜んで死ねる!」
恥ずかしいセリフを堂々と二人に向けて宣言する。
「聞いてるこっちが恥ずかしいから止めてよ」
「なにー!」
二人が喧嘩を始めそうになったので、龍哉が二人のあいだに割って入っていった。
「これが終ったら、僕の家で遊ぼうよ。お姉ちゃんの作ったクッキーもあるし……」
「それはホントかっ!」
瑞樹に突っ掛かっていた亮は、物凄い剣幕で龍哉へと照準を切り替えた。
「う、うん。友達が遊びに来るっていったら、お姉ちゃんが作ってくれたんだ」
「それを早く言えよな。龍哉、俺たち親友だろ。そんな死に損ないの鬼は、俺の霊刀『鳳凰』でバラバラにしてやるよ」
態度を一変させ、亮が最上級の笑顔を向けてくる。
「なんなら、お兄さんと呼んでくれても構わないぞ」
亮は上機嫌で笑い声を上げる。
「こら、近所迷惑になるでしょ」
上機嫌の亮を引きずりながら、二人は夜の街を徘徊し始めた。
「こっちから鬼の霊力を感じるわ……」
三人の中で一番霊力の探知が上手い瑞樹が、先頭になって鬼の住処を調べていた。
「ふっふっふっ。早く俺に鬼を切らせろ。そして、早く双葉お姉さんのクッキーを食べさせろ」
刀を構えて獲物の出現を期待している亮の姿は、紛れもなく『危ない奴』になっていた。もしも、この瞬間にお巡りさんに遭遇すれば、間違いなく亮は捕まるだろう。そんなことを考えながら、龍哉と瑞樹は歩き続けていた。
そして三人は、廃ビルの前へとやって来ていた。
「ここから鬼の霊力を感じるわ。でも、ここに居るのが、探している鬼かは保障できないけど……」
「そんなの関係ねー。片っ端から切り殺してやるぜ!」
そう叫ぶと、亮は廃ビルの中へと入っていった。
「ま、待ってよ」
「こら、勝手に行動しないでよ」
亮のあとに二人も続いていった。
「みんな、気を付けて……」
月明かりが射し込む廃ビルの中を、三人は慎重に鬼の気配を探っていた。
「おかしいわ……、鬼の気配はするのに、正確な場所の特定が出来ない……」
瑞樹の言葉に、二人は静かに頷く。
「くそっ……こんな感じは初めてだぜ……」
亮は全身の毛穴から汗が吹き出るのを感じた。
「身体の震えが止まらない……」
龍哉もまた、この異様な雰囲気を感じ、無意識に身体が拒絶反応を起こしていた。
「ココは何かヤバイ、一旦ビルから出るぞ」
亮は二人に向かって声を掛ける。二人も頷き入り口へと向かった。
「あいつだっ!」
三人が入って来た入り口に、一匹の鬼が立っていた。それに向かって龍哉が叫ぶ。
「あの悪鬼だ! 姉さんに右腕を切られた悪鬼だ!」
すると、亮と瑞樹は戦闘の構えをとる。
「そうか、アイツをぶっ殺せば、クッキーが食えるんだな」
「早く片付けて、ここから出ましょう」
右腕の無い悪鬼は不気味な笑みを浮かべている。まるで、勝利を確信しているかのように……。
「紅、出てきてくれ」
紅が龍哉の影から現れる。
「今すぐこのビルから出るのだ! 早くしないと、あの鬼に皆殺しにされるぞ!」
影から現れた紅は、物凄い剣幕で叫ぶ。
「どうしたんだ、紅?」
余りの剣幕に驚き、龍哉は紅に問い掛ける。
「今ここに『鬼門』が開かれているのだ。この空間に入りし鬼は、通常の数十倍の霊力を手にすることが出来る。我は、お前の霊力で繋がれておるから、この影響は受けられん。その意味が分かるな」
紅が口にした『鬼門』は、三人にもよく知っている名であった。だが、それを実際に体験するのは三人とも初めてであった。
この『鬼門』は、大地に流れる気の流れに特殊な変化が起きたとき、鬼の霊力を増幅する空間が起こる現象である。鬼門の発生場所は、その日によって変化する。そのため鬼門は、鬼道師の中でも体験した者は極少数なのである。
「これが……あの……鬼門なの……?」
瑞樹は恐怖で声が震えていた。それは当然である。瑞樹は両親から鬼門の恐ろしさを何度も聞かされていた。他の二人も、その恐ろしさを理解しているのか、顔を真っ青にしていた。
『鬼門に入りし鬼を討つことは困難。弱き鬼は強き鬼となり、強き鬼は鬼神となる』
これは三人が聞かされていた言葉。その言葉が三人の脳裏に鮮明に思い起こされる。
「我が霊力よ、呪縛の力となり、鬼を封じよ」
瑞樹は渾身の力で、目の前の悪鬼に呪縛の結界を張った。
「さあ、今のうちに別の出口から逃げるわよ!」
そう言って瑞樹が悪鬼に背を向けて走り出そうとすると、後ろで大きな破壊音が響いた。
「そんな……」
瑞樹が振り返ると、結界を破った悪鬼がこちらに歩って来ていた。
「くそっ! どうやら、あの鬼をヤルしか道は無いようだな!」
刀を構えると、亮は吐き捨てるように叫んだ。
「紅、全力で行くよ」
龍哉も霊力の全てを紅に注ぐ。
「いくぞぉっ!」
龍哉と亮の声が重なる。その瞬間、紅、龍哉、亮の三人が悪鬼へと同時に攻撃を仕掛ける。
紅の拳が深紅の光を放つ。
龍哉もまた、その拳に霊気を凝縮する。
亮の持つ鳳凰が金色の光を放ち、その刃を悪鬼へと向ける。
全ての攻撃が直撃した。
だが――
「そんな……」
龍哉が驚愕の声を吐く。
龍哉たちの攻撃は悪鬼に直撃したが、それらは全て悪鬼を傷つけることは出来なかった。
「これが鬼門の力か……」
肉体に溢れる巨大な霊気を感じ、悪鬼が驚きの声を上げる。
「これで、俺は最強の鬼になれたんだ」
悪鬼が叫び、左腕を振り回す。
「うわっ!」
「ぐうっ!」
「がはっ!」
龍哉たちは悪鬼の振り回した腕に吹き飛ばされ、壁に叩き付けられていた。龍哉と亮は気を失い、紅も龍哉が気を失ったことで影の中に戻っていった。
「ぬうっ」
更に追い討ちを掛けようとする悪鬼に、瑞樹の張った結界が阻む。
「こんなモノで、俺をどうにか出来ると思うのか?」
悪鬼は左腕で結界に触れた。
ギイイイイイイィッ!
結界が破壊されていく。それを拒むように、瑞樹は持てる全ての霊力を結界に注ぎ込む。
パーンッ!
よく響く音がする。その音と共に、瑞樹の張った結界は崩れていった。
「くっくっくっ」
悪鬼が瑞樹に近づいてゆく。
「こ、来ないで!」
瑞樹は、悪鬼が一歩近づくと、後ろに一歩下がってゆく。そしてついに、瑞樹の背中に壁が立ち塞がる。
「……っ」
恐怖で全身が震えてくるのが分かった。瑞樹は眼前に近づく悪鬼を見つめながら呟いた。
「龍哉……助け……て……」
鬼の手が瑞樹へと近づく。
「イヤーッ!」
瑞樹の悲鳴が廃ビルに響き渡った。
「みず……き……?」
その声で気を失っていた龍哉が目覚める。目覚めた龍哉の目に飛び込んできたのは、床に力無く横たわる瑞樹の姿であった。
(そんな……)
鬼がこちらを振り返る。
(瑞樹……瑞樹……瑞樹、瑞樹、瑞樹!)
龍哉の心の中で何かが膨れ上がっていく。
「次はお前か?」
鬼の発したその言葉が引き金となった。
「瑞樹に何をしたぁぁぁっ!」
龍哉から膨大な霊気が放出される。
「こ、この力は……」
「絶対に……絶対に許さないぞっ!」
龍哉の影から紅が現れる。紅の姿は、龍哉の怒りに共鳴するかのように全身を深紅のオーラで包み込まれていた。
「うおおおおおお」
龍哉の叫びに呼応するかのように、紅が悪鬼に向かって襲い掛かる。
「くっ」
悪鬼は物凄い速さでその場から離れる。が、紅はそれを上回る速さで悪鬼を捉えた。
「ぐおっ!」
紅の拳を喰らい、悪鬼は物凄い勢いで壁に激突した。紅はすぐに悪鬼に向かっていき、追い討ちを掛ける。
ドンッ!
紅の拳によって壁に大穴が空く。悪鬼は寸前でその拳を避け、距離をとった。
(何なのだ? 先程までとは強さが格段に上がっている)
悪鬼は困惑した表情で紅と、それを使役する龍哉を見た。
(ならば、人間の弱点を突かせてもらうぞ)
紅が悪鬼に向かってゆく。拳を握り締め、悪鬼の身体を貫こうとした。
だが、その拳は悪鬼に届くことは無かった。
「瑞樹……?」
紅の拳は、悪鬼の前に立ち塞がる瑞樹の前で停止していた。
「どうして……うわっ!」
動いを停止させた紅に、悪鬼は渾身の拳を叩き込む。
「やはりなぁ〜。お前の様な人間は、こんな手に弱いからな」
悪鬼は高笑いを上げながら、倒れた紅の身体を踏みつける。
「うっ……くうっ……」
激痛が龍哉の身体に流れ込んでくる。
「こいつは、俺の下僕となっった。これからは、俺のために働く人形として、生き続けるのさ。だろ? 瑞樹」
「……はい……石破様……」
瑞樹は虚ろな瞳で返事をかえしてくる。明らかに意思の光は感じられなかった。
「お前は危険だ。ここで、殺しておいてやる」
石破と呼ばれた悪鬼は、紅に向けてトドメの一撃を構える。
「なっ!」
突然襲い掛かってくる突風に、石破は後方に吹き飛ばされていた。
「今晩わ〜」
石破が立っていた場所に、笑顔を浮かべた双葉が立っていた。その側には、双葉を守る様に立ち尽くす刃風の姿もあった。
「ゴメンね〜」
双葉は近くにいた瑞樹に当て身を喰らわせる。すると、瑞樹はゆっくりと双葉の身体に倒れ込んでいった。
「チョッとだけ本気でいくよ」
そう言った瞬間、刃風の両手から風の刃が幾つも発生し、それら全てが石破へと襲い掛かった。
風の刃が直撃し、辺りにホコリが舞い上がる。ホコリが収まると、そこに鬼の姿は無かった。
「お姉ちゃん……」
「話はあとにしようね〜。それよりも、早く家に連れて行かないと大変なことになるよ〜」
瑞樹に視線を落としながら、双葉は笑顔で弟に話し掛ける。
「……うん、分かった……」
気を失っている亮を起こすと、四人は急いで支倉家へと向かっていった。
「これは……どうしてこうなってしまったのだ!」
雷蔵が瑞樹の姿を見て驚きの声を上げる。
「これは紛れもない『鬼の烙印』だぞ!」
この『鬼の烙印』とは、鬼道師と鬼の関係を反対にした様なモノである。鬼が気に入った人間の魂を喰らい、その抜け殻を自在に操る術。それが『鬼の烙印』である。
「三日だ、三日以内に鬼を退治するしかない! でなければ、彼女は永遠にこの状態のままだ!」
鬼に食われた魂は、三日間のあいだ生き続ける。それが過ぎると、魂は鬼の身体と同化してしまい、永遠に戻っては来ない。
「ゴメンなさい……僕が、僕が勝手に鬼を討とうとしたから……」
涙を流しながら、龍哉が父親に頭を下げる。
「龍哉、お前がするのは、私に頭を下げることではない。彼女を救うことだ。三日以内にその鬼を見つけ出し討て」
そう言って雷蔵は立ち上がった。
「私が、瑞樹くんのご両親に連絡をしよう」
父親が居なくなると、重苦しい空気が部屋の中に充満していった。
「くそっ!」
亮が足元に拳を叩き込む。拳を叩き込んだ亮の表情は、悔しさで一杯であった。そして、亮が部屋を出て行こうとする。
「どこにいくの〜?」
双葉が亮に声を掛けた。
「元はと言えば、俺が鬼退治を提案したのが原因なんだ。あの鬼は俺が討つ!」
「無理よ〜。鬼門の影響で強さを増した鬼に勝てると思う?」
「分かってるけど、瑞樹をこんな目に遭わせて、ジッとして居られるかよ!」
亮の怒声が響き渡る。
「そうだね、僕も亮と一緒に鬼を探してみるよ」
力の無い声で龍哉が静かに立ち上がる。
「お姉ちゃん、瑞樹を看て……」
二人はそう言って部屋を出て行く。
「ふぅ〜。私が鬼なら、ここは力を蓄えるわよね……」
双葉は、あの石破という名の鬼を見付けることは困難だと感じた。
「次に現れるときは、万全の状態で出てくるでしょうね……」
龍哉たちに見せたことのない真剣な表情で、双葉は声を発する。
「最後の手段を使う必要があるかもね」
結局、その日の夜に石破を見付けることは出来なかった。
雷蔵の連絡を受け、亮と瑞樹の両親が支倉家に集まり、話し合いが行われた。
そこで考えられた対策は、全員で固まって鬼を探す手段であった。一人で探すほうが効率がよいのだが、それを実行することは出来ない。相手は鬼門で強さを増しており、下手をすれば返り討ちに遭う危険性もある。そのため、この方法しか選べなかった。
そして……石破が見付からないまま二日が過ぎた。
「くそっ! コイツもハズレか」
鬼を斬り捨てながら亮が叫んだ。
「次にいくぞ!」
「うん」
龍哉と亮は、親の反対を無視し、二人で石破の居場所を探していた。
「あと一日しか無いんだ。早くあの石破って鬼を討たねえと……」
この二日間、二人は一〇体以上の鬼を討っていた。だが、石破の手掛かりは何一つ見付かっていない。両親たちのほうも、二人の数倍の鬼を討っていたが、肝心の石破を討つまでには至っていなかった。
(瑞樹……必ず助けるから待ってて……)
龍哉は心の中で何度も誓っていた。
「紅、絶対にあの鬼を討つよ」
「勿論だ」
影の中から紅が返事をかえす。
二人は必死に目的の鬼を探した。だが、この日も石破を見付けることは出来なかった。これにより、残された時間は一日となってしまった。
二人が探している最中、双葉は一人で支倉家で留守番をしていた。
「ハァハァハァ……」
だが、留守番をしているだけの双葉は、なぜか荒い息づかいで苦しそうにしていた。
「もう少し……もう少しよ……」
苦悶の表情で呟く。双葉もまた、己の出来る範囲で瑞樹を救おうと必死になっていた。そして、その結果が実を結ぶのは、次の夜になってからであった。
学校の教室で、龍哉と亮は不機嫌な表情で向かい合っている。
「今日で最後だな……」
「そうだね。必ず瑞樹を助けてみせるよ」
二人は主の居ない机を見つめた。二人が見つめた机は、本来瑞樹が居るはずの机である。だが、今は誰もそこに座っていない。
学校には、瑞樹は風邪で休んでいると伝えられている。
「ねぇ、支倉くん。瑞樹さんは大丈夫なの?」
クラスの女生徒の一人が龍哉に尋ねてきた。
「だ、大丈夫だよ。明日には元気になってると思うよ」
龍哉は出来るだけ平静を装いながら返事をする。
「そうなんだ。早く良くなるといいよね」
「……うん」
女生徒は満足したのか、二人の前から離れていった。
「風邪は、俺たちの手でよくしてみせるさ」
「うん。明日には、元気に瑞樹を登校させてみせる」
二人は瑞樹の笑顔を思い出しながら、その瞳に強い決意を秘めていった。
三日目の夜が来た。最後の希望を信じ、龍哉と亮が夜の街を徘徊する。
残された時間はあと四時間。四時間後、瑞樹の魂は永遠に失われてしまう。二人は必死に石破の居所を探した。
すると――
「誰からだろう?」
携帯電話の着信を感じ、龍哉は携帯電話を取り出した。
「あっ、これは……」
一通のメールが送られてきていた。
送り主は双葉であった。その送られてきたメールには、ある場所の地図が記されてあり、そして一言『鬼はココに居る』と、メッセージが書かれていた。
「龍哉、これは……」
「行こう! そこにきっと石破が居るよ!」
龍哉は記された場所に向かって走り出した。亮もそのあとに続く。
「ここに石破が……」
記された地図の場所に二人はやって来た。そこは、学校の裏山の森の中であった。
「姉さん!」
龍哉は木に背中を押し付けて座り込んでいる姉を発見し、急いで近付いて行った。
「姉さん、大丈夫?」
「ああ、メールが届いたんだ。良かったな〜」
双葉の身体に外傷は見受けられなかったが、その身体は酷く衰弱していた。
「どうしたの、姉さん」
「それより、この先にある祠に石破ちゃんがいるわよ……早く、行きなさい」
力の無い声で話すと奥を指差した。
「父さんたちにも連絡しようとしたんだけど、携帯の電源を切ってて繋がらないのよ。悪いんだけど、二人で相手をしてくれるかしら……」
「初めからそのつもりだよ、姉さん。必ず、石破を討ってみせるよ」
双葉は笑顔でその言葉を聞いていた。
「時間が無いよ。早く行って……」
「うん、行ってくる」
龍哉は姉の手を握り締めて約束した。
「亮くん。龍哉の力になってあげてね」
「任せてください。俺が居る限り、絶対に負けませんよ!」
亮もそう叫んで奥へと進んでいった。
「ガンバレ……」
双葉は走りゆく二人に、励ましの言葉を呟いた……。
「あの祠だ!」
二人の足が止まる。
二人が見つめる中、祠から石破が現れた。石破は失った右腕を再生しており、三日前以上の霊力を発していた。
「よく、ここが分かったな?」
僅かな驚きを込めた声が二人の耳に届いた。
「こっちには、勝利の女神が付いて居るのさ」
亮が鳳凰に霊力を込めながら言葉をかえす。
「紅、いくよ!」
紅が龍哉の影から姿を現す。
「来い」
石破の声が合図となり戦いが始まった。
「うわっ……」
龍哉が石破の腕で吹き飛ばされる。
「くそう……」
戦いが始まって一〇分。二人は石破に一方的に押されていた。
「さ、流石に強いな……」
「時間が無いし、最大の一撃で勝負するしかないね」
二人は決心した表情で、石破に向けて構える。
「双炎紅」
紅の両腕に灼熱の炎が生まれる。
「いけーっ!」
両腕に炎を纏った紅は、一直線に石破に向かって突っ込んでいく。
ヒュン!
紅の攻撃が空を切る。石破は上空に跳び上がって攻撃を回避していた。
「亮、今だ!」
「おう!」
助走をつけていた亮は、紅の背中、肩と登り上がり、上空に跳び上がった。
「死んじまいなっ!」
亮の手にする鳳凰が眩い輝きを放ち鳳凰が二本の刀に分かれる。
「があっ!」
その二本の刀が石破の両腕を切り落した。
「龍哉、やれぇぇぇっ!」
大地に落下する石破の眼前に、紅蓮の炎を纏った紅が立っていた。
「ぐおおおおおお!」
紅の両腕が石破の身体に触れた瞬間、灼熱の炎が石破の身体を包み込んだ。
「やったか……」
炎に包まれる石破を見つめた。
「死にたくない……誰か……誰か助けてくれぇぇぇっ!」
炎の中から石破が叫ぶ。両腕を失い、全身を炎に包まれ、死への階段を駆け登っている。誰もが石破の最後を確信した。石破本人でさえも……
だが――
「ま、まさか……」
周囲に異常な雰囲気が漂う。
これは――
「鬼門か発生した……」
紅が信じられないといった表情で声を出す。
「龍哉、アイツを見てみろ」
亮が指差す方向には、炎に包まれながら笑い続けえる石破が立っていた。
「くっくっくっ。二度目の鬼門だ。これで、俺は鬼神となれる……」
石破を包んでいた炎が四散する。
石破の身体が変貌を遂げてゆく。身体が巨大化し、その身体の形成そのモノが変化していった。
「これが、鬼神となった俺の姿だ」
別の姿へと変貌を遂げた石破が叫ぶ。その姿は巨大な蛇となり、鋭い目付きで龍哉たちを睨みつけていた。
「コイツに、どうやって勝てって言うんだ……」
亮は絶望の表情でその姿を見上げていた。
「そんな……、ここまで来て……勝てないなんて……」
龍哉は悔しさで涙が込み上げてきた。
諦めたくない。そう思いたかった。だが、目の前の鬼の霊気は自分たちには太刀打ち出来ない強さを誇っていた。
「あら〜、凄いわね〜」
龍哉と亮の後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。
「姉さん……」
涙で曇る視界に、笑顔を浮かべた双葉が立っていた。本調子が戻っていないのか、フラフラとしながら二人のもとへやって来る。
「頑張ろうね〜」
そう言うと、双葉は胸の前で複雑な印を結んでいく。
「い〜い? 今からとっておきの大技を使うから、その間にヘビさんの両目を狙ってね〜」
「お姉ちゃん……それって……」
龍哉が尋ねるが双葉は答えない――答えられない。双葉は全神経を今から放つ『大技』に向けて集中していた。
「何をするか知らんが、鬼神となった俺には、何も通用しないぞ!」
石破が三人に襲い掛かる。
そのとき――
「百鬼夜行」
双葉が力強い言葉で叫んでいた。
双葉の影から鬼が現れる。一匹、二匹、三匹……双葉の影に住まう百鬼の鬼全てが影から飛び出してきた。
「な、何だとぉぉぉ!」
その信じられない光景に、一瞬、石破の動きが止まる。その瞬間、百鬼が一斉に石破に襲い掛かる。個々の実力では石破のほうが確実に上なのだが、その数の多さに、石破は苦戦を強いられた。が、それは三〇秒程で消えてなくなっていった。
石破が足元を見ると、力尽きて大地に倒れている双葉の姿を見付けた。
「ふぅー、驚かせやがって……ぎゃああああああ!」
そのとき、石破の右目に刀が突き刺さった。双葉の百鬼夜行によって石破の視界を遮り、その隙に鬼の一匹が亮を上空に飛ばしていた。
「放せっ!」
頭を振り回して亮を振り落とそうとする。たまらず、亮は刀を離して吹き飛ばされてしまった。
「よくも右目を……」
「左目も潰してやるーっ!」
石破は亮を睨み付けて叫ぶ、と、上空から響き渡る声に上を向く。上を向いた石破の眼前に紅の拳が見えた。それが、石破がこの世で見た最後の映像であった。
「うがああああああ!」
紅の拳が石破の左目にめり込んだ。
「双炎紅」
紅の背中に乗っている龍哉が紅に全霊力を注ぐ。その霊力は紅の腕から紅蓮の炎となり石破の左目から体内に駆け巡っていく。
紅が石破から離れる。大地に降り立つと、石破の最後を祈り続けた。
「だめだ……一人では死なんぞ……お前らも道連れだあああああああああ」
石破は最後の力を振り絞って体当たりを行った。
「がはぁっ!」
だが、不可視の壁が石破の進行を阻んだ。
「君が私の娘の魂を奪ったのだね」
後ろから声が聞こえる。後ろを振り返ると、そこには瑞樹の父親が立っていた。
「これで最後だな」
その隣に立っていた雷蔵が殺気を帯びた眼光を石破に向けた。
「雷震」
雷蔵の声と共に、影から深緑の肌をした鬼が現れる。
「死ね」
天空から一条の雷光が石破へと襲い掛かり、石破の全身を黒焦げにした。
「止めは自分に任せて頂こう」
亮の父親が愛刀である『無限』を抜き放ち、石破へと神速の速さで突き進む。
「………っ」
石破は身体を七等分に切り刻まれ絶命した。
三人は楽しそうの学校へと向かっている。
「色々迷惑掛けちゃってゴメンねー」
瑞樹が申し訳なさそうに謝る。
「まったくだ。お前のお陰で苦労しまくったぜ! 今度、何かおごれよな」
「でも、ホントに元気になってよかったね」
亮も龍哉も、笑顔で各々の言葉をかえす。
昨日、石破を倒したあと瑞樹の家に寄ると、家の前で手を振っている瑞樹がいた。どうやら時間に間に合い、瑞樹は元に戻ることが出来たようだ。
力を使い果たして倒れた姉は、今日も体調が優れないといって学校を休んでいる。あとから父に聞いたのだが、姉は三日間のあいだ、百鬼の鬼を使って街中を探してくれていたらしい。百鬼の鬼を使役する姉は凄いと思う。そして、こんな弟のために、倒れるまで頑張ってくれた姉に、いつか恩返しがしたいとも思える。
「学校が見えた」
瑞樹が叫ぶ。
「よし、競争しよう」
「面倒だからヤダ」
亮は嫌な顔で文句を言う。
「あたしに負けたら、何かおごってよね」
そう言って走り出す。
「あ、こらっ。勝手に決めるなよ!」
そのあとを急いで亮が追いかける。
「龍哉もだからねー」
瑞樹の声が聞こえる。
「うん」
返事をすると、龍哉も二人のあとを追い掛け始めた。
END |