『キミのハートにときめきズギャーン』
 紙面いっぱいに、マジックで書き殴るようにあったその文章を見て、俺は小さく震えていた。腕を伝って、手にした紙までプルプルと震えている。
 昼休み。人気のない、体育館裏。告白場所としては、ある意味お約束な場所だ。
 そして目の前で顔を赤くし、もじもじとしている小柄な女の子――同級生の、七宮由衣。先月うちの高校に転校してきたばかりで、実はほとんど話したこともない。わかっているのは、性格がおとなしめらしいことと、顔がアイドル並にかわいいこと。そして胸がペッタンコなこと……くらいである(何しろ、制服の上からでも膨らみがわからないのだ)。
 なのに、何でこんなところで二人きりでいるのかというと、まあ、事情は複雑なのだが……。
「あ、あの……」
 うつむいていた彼女が、様子をうかがうように、ちらりとこちらを見た。そのときに、薄いフレームのメガネが、少しずり落ちる。
「……あっ」
 慌てて直してから、七宮さんは言った。
「そ、そのお手紙……瀬名くんので間違いないですよね?」
「…………」
 確かに、封筒には差出人として、俺の名前が書かれている。手紙の下のほうには小さく、昼休みに体育館裏まで、という呼び出し文もあるが――これは、俺の字ではない。
(あいつ……ホントにバカ)
 心の中でため息をつきつつ、俺はこれを書いた奴の姿を思い浮かべた。
 同級生の……一応友人である、沢村武。名前も顔もさわやかな感じだが、その半面、性格はどろどろしている。
 きっかけは、今日の一限目。生物室での授業中のことだった。
 退屈しのぎに雑談が始まって、クラスの女子の話になり、そして七宮さんの話へと移った。
 転校生で、しかも可愛い子なのだから、話題になるのは当然なのだが――しかし、彼女は背も胸も小さい。好意があるような発言をすると、他の男子たちから「ロリコン」と言われてしまう状態が、クラスの中では続いていた。
 そこに目をつけたのが、沢村である。
「瀬名は今週、五回だな」
 と、奴は突然言い出した。
「……は?」
 俺は隣に座る沢村の顔を見る。まったく、わけがわからない。
「だから、教室で七宮さんと話した回数だ。他の奴はせいぜい一、二回なのに対して、お前はダントツに多い」
「……数えてたのかよ?」
「まあな」
 と沢村は、にやりと笑みを浮かべた。
 ……何て暇な奴。
 今日は水曜日だから、奴の集計は昨日と一昨日の二日分になる。言われてみれば、確かに他の女子と比べても、七宮さんと話した回数は多い気がする。
 教室での席も近く、同じ班なのだから、それくらいは当然のような気もするが……。
「というわけで、手紙をだしておいた」
「……は?」
 俺はもう一度、聞き返した。こいつの話は、いつも唐突すぎる。
「ラブレターだよ。それを今朝、七宮さんの机の中にいれておいた。もちろん、お前の名前を使ってな」
「……マジか?」
「マジだ」
 と沢村は答えた。
 そういえば、と俺は思い出す。
 彼女は今日、生物室に来るのが遅めで、入ってから席につくまでに俺のほうをちらちらと見ていた。それで少し気になっていたのだが――ようやく納得できた。
 それにしても沢村の奴は、相変わらずろくなことをしない。
「……何が目的なんだ?」
「別に」
 俺の問いに、沢村はにやにや笑って言う。
「ただ、お前がいつもつまんなそうな顔してるからな。彼女の一人でもいれば退屈しないだろうという、俺の心遣いだ。しかも相手が七宮さんなら……文句はないだろう?」
 ……嘘だな。
 俺は確信した。
 こいつがそんな優しい人間でないことは、この一年半の付き合いでよくわかっている。どうせ自分の暇つぶしのためとか、思いついた悪戯を実行せずにいられなかったとか、そんなところだろう。
「……で、だ」
 沢村は頬杖をつき、正面を向いた。シャーペンを持ち、黒板に書かれたことをノートに写し始める。
「今日の昼休みに体育館裏に来てくれと書いたから、行っておいてくれ」
「……誰が行くか」
 どうせ俺をからかうことが目的なのだろう。それに、こいつのラブレターを本気にする相手がいるとは、到底思えない。
「ふふ〜ん。いいのかな〜?」
「……何がだよ?」
 奴のほうは見ずに、俺もノートをとり始める。退屈とはいえ、いつまでも話しているわけにはいかなかった。
「あのラブレターは、まさに最高傑作だね。あれを読んで感動しない女はいないだろう」
「……嘘つけ」
「やれやれ。これだから女心がわからん奴は……」
 沢村が、軽くため息をつく。
「よく考えてみろ。ラブレターをもらって嬉しくない奴がいるか? ましてや七宮さんは転校生。新しい学校生活に、ラブを期待してるはずだろ? ラブを」
「ラブって……」
 俺は呆れて手を止めた。
 まあ、確かにそれはあるかもしれないが……。
「返事はともかく、様子くらいは見に来るはずだ」
 沢村は言う。
「そしてそこにお前がいなければ……彼女、傷つくだろうなあ。転校早々、いじめにあったと思って、学校に来なくなるかもしれないぞ?」
「…………」
 ありえる……かもしれない。七宮さんは、まだ学校に慣れてはいないようだし……少なくとも、今後に不安を覚えるだろう。
 ったく……。
 俺は睨むように、沢村の顔を見た。
 ムカつくことに、奴は満面の笑みを浮かべている。
「わかったよ。行くだけ行ってやる。……ただし、お前のいたずらだと説明するからな」
「オーケー」
「……女子にばれたら、嫌われるぞ?」
「俺は気にしない。瀬名が少しでも青春を味わってくれれば、満足だよ」
 目を閉じ、シャーペンをくるくる回しながら、沢村は悦に入っていた。
 ……一体、どこまで本気なんだか。
 そもそも入学当初、席が近かったこいつに話しかけたことが、そもそもの間違いだった気もするが……既に後の祭りである。
 沢村との付き合いはいつもろくなことがないが、今回は最大級だった。
 何で俺がラブレターの言い訳をしなければならないのか。まあ、転校生だし、七宮さんが傷つくかもしれないと思えば我慢もできるが……。
 とりあえず、俺は彼女にどう説明すればいいのか、考える。
 あいつはパソコンやワープロは持っていないから、おそらく手書きだろう。それなら俺の字を見せて、手紙の字と筆跡をくらべれば……すぐに違う人間が書いたとわかるはずである。
 下手に口で言い訳するよりも、手っ取り早く、また確実な方法だった。
 問題は、彼女が告白の返事をするよりも先に、手紙を渡すように言うことだ。そうすれば、お互い余計な恥をかかなくてもすむ。
 俺はノートをとりながら、頭の中で何度もシミュレートし、作戦を練った。おかげで授業はさっぱり理解できないまま終わってしまったが……。これも全て、沢村のせいである。
 そして昼休みまでの時間。
 俺はついつい、七宮さんの姿を目で追ってしまったが……それは、向こうも同じらしい。視線が合うと、お互いに慌てて顔をそらせていた。
「いいねえ。青春だねえ」
 俺の隣で、沢村が笑って言う。
 こいつ……殴ってやろうか。
 思わず拳が震えたが、何とか押さえておいた。
 そして昼休み。食事の時間である。
 教室で弁当を食べる者もいれば、食堂で食べる者もいる。
 七宮さんは女子三人くらいに囲まれて、弁当を広げていたが……俺はここにいるわけにはいかなかった。
 彼女が呼びだした場所に来るにしろ来ないにしろ、説明はきちんとしなければならない。
 おそらく時間がかかるだろうから、俺はその場所で弁当を食べることにした。
「がんばれよ〜」
 教室を出るときのその沢村のかけ声が、非常にムカついたが……。

 奴に対する怒りはひとまず置いておき、俺は一人寂しく、体育館裏へと向かう。
 外は青空が見えていい天気だが、さすがにこんな場所で食事をしようという生徒は、他に誰もいなかった。
「さてと」
 土の乾いたグラウンドを眺めながら、俺は腰をおろし、弁当の包みをほどいていく。
 退屈な授業から解放され、ひと息つける貴重な時間なのだが……今日は少し、気が重い。
 今頃、七宮さんは俺のことでも考えているのだろうか。昼休みまでの彼女の様子から見ると、どうやら手紙を本気に受け取っているようだった。
 正直、俺は七宮さんに特別な感情など持っていないのが――彼女にそう思われているとなると、ちょっと複雑な気分である。
 ……うまく説明しないとな。
 箸を持ち、弁当のフタを開けながら、俺は思った。
 好きでもない女の子に、いきなり「ごめんなさい」なんて言われたら、カッコ悪すぎる。
「あ、あの……」
「ん?」
 俺が卵焼きを口に入れようとしたとき、背中のほうから声がかけられた。
 聞き覚えのある声――どうやら、来たみたいだ。途中で抜け出してきたのか、予想よりも早い到着である。
「七宮さん――」
 俺は箸を置き、弁当にフタをすると、立ち上がって彼女のほうを向いた。
「……って、あれ?」
 姿が、見えない。
 確かに声がしたはずである。
「……?」
 首を傾げてから、俺は顔を上げて――そのまま、思わず固まってしまった。体育館の角から、ぴょこん、と髪の毛だけが見えていたのである。いつも頭の上で結んでいる――ツインテールの片方が。
「ぷっ……」
 何だか笑いがこみ上げてくる。
 頭隠して尻隠さず――。いや、この場合は身体隠して髪の毛隠さず……か。
「な、何してるの、七宮さん?」
 俺は彼女のもとまで進み、体育館の角から顔をのぞかせた。
 その瞬間、彼女の身体がぴくんと跳ね上がる。
「あ、あのっ……」
 七宮さんは俺の顔を見ると――すぐに真っ赤になってうつむいた。
「だ、だって……あ、あんな手紙もらったの初めてで……は、恥ずかしいからっ」
 ……おいおい。
 俺は心の中でツッコミをいれる。
 ……恥ずかしいから隠れるのか? まあ、かわいらしいといえば、かわいらしいけど。
「七宮さん、その手紙のことだけどさ……」
 彼女には悪いが、俺はさっさと用件を片付けることにした。
「ちょっと俺に貸してくれないかな?」
「……え?」
 七宮さんが、目を丸くして俺を見る。まあ、当然の反応だ。
「え〜と……ちょっと確認したいことがあって」
「あ……は、はい。どうぞ」
 慌ててブレザーのポケットから封筒を取り出す。
「ありがと」
 彼女の素直さに感謝しながら、俺は受け取った。
 白い封筒の中には、一枚の白い手紙が入っている。
 ……沢村の奴、一体何て書いたんだ?
 ここで会ったときから気になっていたが、七宮さんはまるで自分が告白でもするかのように、かなり緊張している。つまり、間違いなく本当の告白だと思っている。
 ということは、それだけ手紙に熱意や想いが込められていた――ということにならないだろうか。ふざけた内容の手紙なら、彼女もここまで緊張しないはずである。
「…………」
 俺は手紙を開いてみた。
「……………………え?」
 一瞬――そこに書かれてあるものが、理解できない。
 紙面を一杯に使った、書き殴るような文章が、ひとこと。
『キミのハートにときめきズギャーン』
 …………。
 これだけ、である。
 あとは下のほうに小さく、『昼休みに体育館裏まで』という呼びだし文があるだけだ。
 ――あ、アホか、あいつはっ!
 俺は心の中で叫んでいた。
 どこの世界に、こんなラブレターを出す奴がいるのか。
 第一、『ズギャーン』って何だ。『ズギャーン』っていうのは。
『キミのハートにときめき』……までなら、まだ何とか意味がわかる。
 しかし、『ズギャーン』についてはさっぱりだ。
 これが『ズギューン』だったら、まだいい。既に死語だが、『キミのハートを狙い撃ち』なんて言葉もあったくらいだ。
 だが『ズギャーン』は……一体、何の擬音なんだ!
 七宮さんも七宮さんである。
 何でこの手紙でここに来たのか、わけがわからない。
 もし俺なら、絶対にいたずらだと思って、捨ててしまうが……。
「あ、あの……」
「え?」
 うつむいていた彼女が、様子をうかがうように、ちらりとこちらを見た。そのとき、薄いフレームのメガネが、少しずり落ちる。
「……あっ」
 慌てて直してから、七宮さんは言った。
「そ、そのお手紙……瀬名くんので間違いないですよね?」
「……おいおい」
 俺は口の中で小さく呟く。
 彼女は――七宮さんは、この手紙を俺が書いたと、本気で思っているのか?
 俺はラブレターを書いたことはないが……もし書くとしたら、間違ってもこんなのはださない。いや、そもそもだす奴なんていないだろう。本気の手紙であるならば。
「あ、あのさ、七宮さん」
 俺はさっさと説明することにした。
 ラブレターにこんな文章を書く奴だと思われるのは、ちょっと勘弁してほしい。
 俺は胸ポケットにいれておいたシャーペンに、手を伸ばし――
「か、感動しましたっ!」
「……は?」
 突然の彼女の声に、手が止まった。
 頭ひとつぶん小さい七宮さんが、真っ赤な顔で俺を見上げている。
「み、短い文章の中にも、きちんと想いが込められていて……何より、この字! そ、その……すごく男らしいと思います!」
「……う、うそ」
 俺は呆然と立ち尽くす。
 ……ま、マジか、この子?
 本当に……本気であの手紙に感動したのか?
 しっ……信じられねえ。
 それとも――断る前に、少しでも相手をほめておこうという気か? それならば納得もいくが。
 どちらにしても、この手紙は俺が書いたわけではないのだから、ほめられたところで嬉しくも何ともない。
「七宮さん。この手紙なんだけど、実はさ――」
 そう、説明しようとしたときだ。
 次の瞬間、俺はまたしても彼女に驚かされた。
「よ、よろしくお願いします!」
「……え?」
 七宮さんが、突然頭を下げる。
「あ、あのっ、わたしって背も低いですしっ……胸もないですけどっ。と、とりえなんてないですけどっ……!」
 ……お、おいおい!
 いきなり何言うつもりだよ! まさかっ?
「こんなわたしでよかったら……付き合ってください!」
 ズギャーン!
 あの手紙ではないが、俺の頭の中では、まさにそんな効果音が響き渡っていた。
 俺は口をぱくぱくさせたまま、何も声をだせないでいる。
 ……な、何なんだろう。一体どういうことなんだろう。
 何で俺が……告白されてるんだ?
 まったく、わけがわからない。
 沢村がいたずらで七宮さんにだしたラブレター。転校早々そんないたずらをされたとわかれば、きっと彼女は傷ついてしまう。そう思ったからこそ、俺はわざわざ説明しに来ただけだというのに。
 それが……何故だ? 何故こんな展開に?
 俺は七宮さんを見てみる。
 彼女はまだ頭を下げたままだ。よく見ると……ツインテールの先が、細かく震えている。
 すごく……緊張して。すごく……一生懸命で。
 そして、すごく……勇気がいったんだろうな。
 そんな様子が、何だかとても健気で、かわいく思えてくる。
 でも……それだけだ。俺には、彼女と付き合う理由なんてない。
 転校してから今まで彼女と会話したのだって、席が近かったことからの、ちょっとした親切心に過ぎない。でも、そんなささいなことが――七宮さんにはすごく嬉しかったんだろうか。
 だから、手紙をきっかけに、自分から告白した……?
「…………」
 俺は唇を噛んだ。
 てっきり、断られるものとばかり思っていたが、まさかこんな展開になるとは……。
 そもそも、この告白は俺のほうが先にした――ということに、なっている。それで彼女も告白してきたというのに……ここで断ったら、俺、最低野郎だ。
 くそっ、沢村のせいで――。
『お前がいつもつまんなそうな顔してるからな。彼女の一人でもいれば退屈しないだろう?』
 ふいに、奴の言葉を思い返す。
 ……俺、いつもつまんなそうな顔してた……かな?
 彼女がいれば退屈しない? そんなもんなんだろうか。確かにクラスの中でも付き合っている奴らはいて、そいつらは楽しそうではあるけれど……。
「あ、あの……瀬名くん?」
 いつまでも返事がないので心配になったのか、七宮さんが顔を上げた。
 目が潤んで……少し泣きそうだ。
「や、やっぱり……ダメですか?」
 ダメも何も……本来なら彼女が返事をした時点で、交際決定だと思うが。
 まあ、俺もちゃんと言わないと……ダメだろうな。
「俺のほうこそ……よろしく。七宮さん」
 たぶん、ぎこちなかったと思う笑みを浮かべながら――俺は彼女に手を差しだした。
 その瞬間、ぱあっと輝いた七宮さんの笑顔は、しばらく俺のまぶたに強烈に焼き付いていた。
「あ、ありがとうっ……ありがとう、瀬名くん。わたし、すごく……すごく、嬉しいっ……」
 俺の手を強く握って、笑いながら、彼女はぽろぽろと涙をこぼす。
 いい笑顔だと、俺は思った。
 ……でも。
 泣いている彼女の頭を撫でてやりながら、どうしても考えてしまう。
 ……これでよかったのだろうか、と。
 確かに、断れる雰囲気ではなかった。しかし――俺にとって、彼女は特別な存在というわけではないのだ。
 この先、いつか変わるのだろうか。
 俺にとって……彼女が特別へと。
 それはわからない。わからないからこそ――付き合ってみてもいいかな、と俺は思ってしまった。
 沢村へのあてつけも、あったと思う。俺は、やっぱり最低なのかもしれない。
 七宮さん……もし悲しませることになったら、ごめん。
 でも、それまでキミは俺の『彼女』だから……。
『彼女』であるキミを、俺は大事にしたいと思う。
 特別へと変わる努力を……しようと思う。
 だから、とりあえず――。
「七宮さん」
 俺は、泣き続ける彼女の耳元でささやいた。
「明日から、一緒にお昼しようか?」
「……え?」
 俺の言葉に、七宮さんは少しだけ驚いて――
「……は、はいっ」
 それから、心底嬉しそうに微笑んだ。
 見ている俺まで嬉しくなるような、笑顔だった。

 そしてこの日から。
 俺と彼女の交際は始まった。

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