増えつづける悪党。乱れる治安。
各国間の争いの一次終結に安堵したのも束の間、大陸にある七つの国々には、国内の平和維持という新たな問題が生じていた。
国際紛争を解決する手段として設立された、七国間連合『評議会』は戦争終結後、その活動目的を各国の治安維持へと移行することを余儀なくされる。
『ボーダー』とはこの頃急激に増加していた悪党どもを退治するために『評議会』が召集した者たちの総称である。
凄腕の剣士と、頭脳明晰な魔導師をペアとする彼らは現在四〇組存在し、各国へ派遣され平和維持のために活動をしている。
正義の味方とも呼ばれる彼ら。そのうちの一組はこんな感じであった。
第一話『依頼到来』
「なんだエリー、食欲ないのかお前? 食べてやろうか?」
古ぼけたテーブルの上に並ぶ、食器の数々。それらをほとんど一人で平らげつつも、尚もそう言う男が少女の目の前にいる。
エリーと呼ばれた少女の方は、料理の出す湯気でメガネが曇っていて、その表情は読み取れない。こめかみがピクピクしているところを見ると、怒っているのであろうか。
「ご心配なく。それよりもジョーさん――」そして彼女は、声をひそめながら「よくこんな場所で食事できますね。早く出た方がいいと思いますよ」
「あん?」
何言ってんだ? という目で男はエリーを見つめている。
マッチョなボディに、ワイルドな瞳。セクシーボイスで女性を魅了し、剣の腕前は大陸でも一〇指に入る――
それがこの人、ジョー・ギリアン。二十三歳独身。
だが――
(なぁーにが凄腕剣士よ。なぁーにが正義の味方よ。あたしに言わせれば、ただのがさつで、野蛮な男の人ですよ)
曇ったメガネのレンズをハンカチで拭きながら、エリーは心の中で文句を言っていた。
大体ね、魚のフライを口に入れながら、鶏のから揚げをフォークでつまむその神経が理解できないですよ。それでもって、その全部を同時に多発に頬張りながら、
「はぁにひってるんらよ? ひょひょのふぇし――」
「……飲み込んでから喋ってください」
って、言ってる側から――ほら! シチューこぼしてるこぼしてる。もう。
「もぐもぐ……何言ってるんだよ? ここの飯、最高じゃないか」
わざわざ言い直してくれるのはありがたいけど、「それとも、エール酒よりもワインの方がいいのか?」などと的外れな回答はいただけない。
しょせん原人の脳には理解できないのだろうか。
「あのねジョーさん。あたしはまだ、お酒が飲める歳じゃないんですよ。何回言えば分かるんですか」
その言葉を受けて、ジョーは一瞬「ん?」という表情をしてから、
「あははっ! そうだっけ、お前まだ一二歳だもんな。あははっ!」
アルコール臭を漂わせながら、爆笑し始めた。
ムカ……何がそんなに面白いのよ。
「ジョーさん、なんっっっかいも言うようですけど――あたしは先月で一三歳になったんですよっ」
エリーは、ズイっとテーブルの上に乗り出した。大きすぎるメガネに二つ分けの三つ編み。小柄な体を覆う、ジャケットはサイズが合っていなくてだぼだぼだ。
頬をむーっと膨らまして、怒りを表現しているようであるが、可愛さが先行してあまり迫力がない。
一二だろうが一三だろうが、この店に来るには適正な年齢でないのは間違いない。さらに悪いことには、彼女はその年齢よりさらに幼く見えていた。
テーブル脇に置かれたロッドに気付かなければ、誰も彼女が魔導師だなどとは思わないだろう。
エリーは憮然としながらイスに腰掛けると、ホットミルクをちびちび飲みながら、ちらちらと辺りを見まわしはじめた。
数分前と比べて、五人ほど客の数が減っている。その元凶は店の奥にあった。
「おーいっ! 酒だ! 酒早くもって来いや!」
「おうっ! さっさとしねえかっ!」
「殺すぞ、このクソヤロウ」
下品な声とセリフの和音を奏でているのは、奥のテーブルを占拠しているチンピラ三連星。
三人揃って、髪も服も派手に飾りつけている。年は若そうだ。たぶんエリーに何歳か足したくらい。
でも、その割に身につけている装備品は使いこまれている気がする。
腰に下がった剣の柄、そこについている血のりはそれほど古いものとは思えない。エリーはちょっと寒気がした。
そしてジョーに小声で、「ほら。あいつらこっち見てますよ。店、出た方がいいんじゃないですか?」
さっきの意見を、またしてみた。
「なんだ、お前あんな連中にビビってたのか?」
嘲笑と同時に、エールのジョッキを一気に飲み干し、赤らんだ顔でジョーは言った。エリーはちょっとムカッとして、頬をむーっと膨らませて、
「びびるとか……そんなのじゃないです。ただ、食事をする場所としてふさわしくないかなって思っただけですよ」
「エリー、この店は最高だぜ。グルメガイドにも書いてあった通りだ。美味い食事に、美味い酒。それに――」
ジョーは、カウンターに目を向けた。エリーもそれを追う。
チンピラ達の注文の嵐にてんてこ舞いのマスターと、その娘だろうか。ジョーと同じくらいの歳の女の人がそこにいた。
二人の視線に気付いたようだ。セミロングの綺麗なブロンドを揺らしながら、その女性はこっちを見た。こんな状況でも、微笑みを忘れないのはさすがプロ、と言ったところか。
「それに、美しい女。な、最高だろ?」
調子に乗ってウインクしている。さらに「ブロンドはやっぱりいいよな」などと同意まで求めてくる。
(……ムカ)
エリーの怒りゲージは上昇した。
ちょっとちょっと、あたしもブロンドなんですけど。
そりゃー最近、ちょっとお手入れを怠っていますけど。だけどそれはジョーさんがちっとも働かなくてお金が入ってこないからであって、あたしのせいじゃないんですよ。
「三日ぶりのまともな飯だぜ。少しはゆっくりさせてくれよ」
そういうと、この野蛮人また食事にいそしみはじめた。
さっきまでと違うことといえば、例のブロンド美女に流し目をくれていることだけだ。
余計にタチが悪くなった。
「三日ぶりの食事って――ジョーさんが遊んでばかりいたからお金がなくなっちゃったんじゃないですか。バクチ場とか……その、い、いかがわしいお店ばかり行って」
エリーが小声で抗議する。
「なんだ、お前見てたのか?」
「み、見てたっていうか、あ、あなたを見張ることがあたしの任務の一つだからです。とにかくきちんとお仕事していれば、お金に困ることはないはずですよ」
「っけ。大体、評議会の連中がセコ過ぎるんだよ。議長に伝えとけ。もっと仕送り増やせってよ」
その言葉に、エリーの怒りゲージはさらに上昇。思わず大きな声を出してしまう。
「何言って――この前、増やしてもらったばかりじゃ……」
ないですか!
という、彼女の叫びは声にならなかった。
髪の毛から、最近お手入れしていなかった髪の毛から、冷たい液体が滴り落ちていた。
(え……何? これ?)
エリーは声も出せず、呆然としていた。
すると目の前に浅黒い顔が現れて、視界をふさいでくれた。
「お嬢ちゃーん。ちょっと騒がしいんじゃないの?」
さっきのチンピラたちだった。
「こっちは食事してるんだから、静かにしてもらわないと困るなぁ」
チンピラ二人が、エリーたちのテーブルを囲っていた。
そしてそのうちの一人が、手に大きなグラスを持っている。どうやらそこに入っていたアルコールを、エリーの頭にかけてくれたようだ。
チンピラ二人がここにいて、残る一人は奥のテーブルで、ニヤニヤとこちらの様子をうかがっていた。
見ると、もう周りには他のお客がいないではないか。
どうやら、みんな騒動を恐れて、逃げ帰ってしまったみたいだ。
「さて、お嬢ちゃんにはおわびとして、俺たちにお酌をしてもらおうかな」
「朝までたっぷりとな。ぎゃははっ!」
「ちょっと体小さいけど、ま、痛いのは最初だけよ。ぎゃははっ!」
下品な声でそう言い、下品な手をエリーの肩に乗せてくる。
――や、やだ。ちょっとやめてくださいよ。
でも言えなかった。動けなかった。
そしてチンピラたちは、テーブルに座るもう一人の人物、つまりジョーを睨みながら、
「じゃ兄さん。お嬢ちゃんは借りてくぜ」
「そのうち返してやるからよ。ぎゃははっ」
などとチンピラ的に言い出した。
ジョーはこんな状況にも関わらず、しばらくもぐもぐとやってから、
「……ごっくん。エリー、こいつらのランクと額は分かるか?」とだけ言う。
「え……は、はい。やってみますよ」
エリーは、ちょっと勇気を振り絞り、すぐ側に立つ二人を肩で思い切り押した。
「……っと! 何すんだよ!」
そいつらがよろめいている間に、脇に置いたロッドを手に持ち、目をつぶり神経を集中する。
幼い頃からの訓練、修行、特訓の成果――エリーは、先ほどまでの精神の乱れを瞬時に鎮めることに成功する。
そしてゆっくりと息を吐きながら、目を開けた。
「おいおい、お嬢ちゃん。調子に乗るなよ?」
「暴れると怪我するぜぇ」
そういう二人の言葉は、エリーの鼓膜を震えさせることはあっても、神経を通じて脳まで届くことはない。脳まではその情報は届かない。
そして視覚、嗅覚、味覚、触覚も含めて、五感の反応は限りなくゼロに近づいていく。
さらに第六感も素通りし、魔導師にのみ許される神経、第七共鳴感覚神経細胞が活性化されていく――
彼女の体の周りを包む『気』――オーラを見て、二人は叫んでいることだろう。
「おいっ! こいつ魔女だぜ」
「マジかよ。ヤヴァイよ」
――いまさら気付いても、もう遅い。
彼女たちが『神の図書館』と呼ぶ呪文編纂機に交霊し、一度目的の魔法を取り出した以上、それを引っ込めることなどできはしない。
『シャラ・ストーム・シャララルーン』
エリーの口から、エリーのものではない言葉が紡ぎ出される。
ルーン言語。神の言葉。
店内にいた、エリーを除く六人の男女に、その効力が波動のように伝わっていった。
身体を通過するむずがゆい感覚に怯え、チンピラたちは吼えた。
「な、なんだ?」
「何したんだよ、おめぇ!」
確かに、何かが自分の身体に起きた。だが、外傷はなく、痛みもない。
その不気味な感覚に、側にいる二人のチンピラも、奥にいるチンピラリーダーらしき男も、それにマスターもブロンド美女も、怯えた表情をしている。
ただ一人、ジョーだけ落ち着いていた。
「どうだ? 分かったか?」
こんな初歩の呪文でも、体力は結構奪われる。エリーは肩で息をしながら、
「はぁ、はぁ……手前の二人は、登録されていません。奥の一人は……なかなか大物ですよ。ランクはCマイナス。三〇万ダカットついています。名前はニッキー・バーム」
周囲に賞金首がいるかどうか判別する『照合』の呪文。その結果をエリーは報告した。
「ほぉ……」
奥の男に目を向けながら、ジョーは舌をちらりと口から覗かせた。
「三〇万ね……それは死体の方か?」
「いえ、捕縛です。捕殺の場合は二〇万ダカットですよ」
「悪くないな」
そう言うと、ジョーはゆっくりとイスから腰を上げた。
ジョーは、チンピラたちより頭一つ分は大きい。立ち上がってはじめて気付くその事実に、彼らは少々気後れしたようだ。
加えて、ジョーのその鋭い眼光、そして腰に下げられた二本の剣。彼の雰囲気に威圧されるように、二人はじりじりと後退していった。店の奥にいるチンピラリーダー、ニッキーにすがるような目を向ける。
「……何だ? やるのか兄さん?」
さすが三〇万ダカットの賞金首、といったところか。ニッキーは、ジョーを睨みつつ、腰を上げて前に歩を進めてきた。
「オレたちは、グラアル一家だぜ。オレたちにケンカ売るってことは、一家にたてつこうってことだ。その度胸があるんだろうな」
店内であるにも関わらず、ためらいもなくニッキーは剣を抜いた。
ヒッっと上がったかすかな悲鳴は、カウンターにいるブロンド美女のものであろうか。
ジョーは目の前に突きつけられた剣の切っ先を見ても、特に慌てることもなく、そして腰に下げた剣に触れることもせずに、「エリー。こいつの罪状は?」と訊ねた。
エリーは、先ほど評議会のデータベース『悪人列伝』に交霊して得たニッキーの犯した罪を、読み上げていく。
「えっと――傷害罪致死罪が二件と……あっ、婦女暴行が一件です」
「分かっているだけで三件か。おまけに婦女暴行となりゃあ……エリー、どうするよ?」
「許せません。でも、ここはお店の中です。捕縛にしてくださいよ」
エリーの目に、怒りが宿っていた。鋭い視線を、ニッキーに送る。
「了解」
エリーの言葉を受け、ジョーは身構えた。ただし、腰に下げた二本の剣には触れていない。素手のままだ。いや、素手ではない。掌と手の甲を覆う黒い皮――指が自由に動くように穴の開いた手袋をつけている。拳闘士が試合でよく用いる、オープンフィンガーグローブだ。指を小刻みに動かし、ニッキーを挑発する。
「おいおい兄さん。素手で俺とやる気かよ?」
ニッキーが小馬鹿にしたように口を開いた。「それとも、お腰の剣は、ただの飾りかい?」
ニッキーの言葉通り、ジョーは剣を持つ気配がない。右にある細身の長剣にも、左にある短剣にも触ろうともしなかった。そして――
「そこに転がってる、でっけえ剣も兄さんのかい? 随分立派じゃねえかよ。いらねえんだったら、俺が有効に使ってやるよ。アンタを殺ったあとでな」
そう言うと、ギャハハと笑い出した。
ニッキーの態度に多少の余裕も出てきたのか、脇にいる二人のチンピラたちも釣られて笑う。
彼の言う通り、エリーたちの座っていた席の側にはかなりの大きさの剣が置かれていた。その剣は、普段ジョーの背中に下げられている代物であった。イスに座る時は、邪魔だから外してあったのだ。
黒い鞘、黒い柄。そのどちらにもルーンがびっしりと刻み込まれていて、禍禍しい雰囲気をかもし出している。ある程度の腕を持つ者ならば、その剣の持つ異様な圧力に気付いただろう。
そこまでの実力がなかったのか、それとも酔って判断力が不足していたのか。とにかくニッキーは剣からすぐに目を離すと、ジョーの方を向いた。
「全部で三本もある剣を使わないとはね。ハッタリ用かい? 言っとくけど、俺は容赦しないぜ」
それが合図であった。言葉通り、ニッキーはためらいもなく鋭い一撃をジョーに繰り出す。
「――っと」
ジョーは軽やかによけた。そのつもりだった……らしい。が――
「ジョ、ジョーさん!」
エリーが悲鳴を上げた。メガネの奥の瞳が、大きく見開かれる。
ジョーはふらふらだったのだ。どうやらアルコールを摂取しすぎたらしい。
「っと、ととと……っと」
千鳥足で、それでもなんとか最初の一撃はかわす。
だがすぐに放たれた二撃目が、狙いたがわずジョーの頭上に下ろされる。それを避けようとして、そして足がもつれ、
「――!」
ギイイイィイイィイイン……
鋼と鋼のぶつかり合う、鈍い音がした。
「え?」
という声は、ニッキーの口から出たものだ。
ニッキーの剣は、ジョーの手の甲によって防がれていた。剣によって真っ二つになってもおかしくないその掌は、まったくの無傷である。
「はっ。悪いねぇ。このグローブには、鉄の板が仕込んであるんだ。防御によし、攻撃によしの代物よ」
チンピラたちの疑問に、ケラケラと笑いながら答えるジョー。
そして一言。「んじゃ、本気でいくぜ。言っとくけど、俺は強いよ」
戦いは、二秒で終わった。
ニッキーが動揺している間に、一気に間合いを詰めたジョーの右ストレートが見事に決まったのだ。
あっさりとダウンして白目を剥いているボスを見て、慌てたのは残された二人だ。
慌てたまではよかったが、そのままキレてジョーに襲いかかっていったのはまずかった。
「てめぇ!」
「よくもアニキを!」
そう言って懐から短剣を取り出した二人にはもう、話し合いに耳を傾ける余裕はないし、
それ以前に、ジョーには話し合いをするつもりはないだろうし、
エリーの「ちょ、ちょっとジョーさん。この人たちは登録されていないんですよ……」という助言にも耳を傾ける様子はない。
二人がかりの短剣攻撃を、今度は華麗なサイドステップであっさりとかわすと、ジョーは右の腰に下げた長剣を抜いて、二人に切りかかった。
――!
「きゃああっ!」
ブロンド美女が、カウンターの向こうで叫ぶ。
その悲鳴と、チンピラ二人が床に倒れたのはほとんど同時であった。店内に血飛沫(しぶき)が飛ぶ
剣を構えてからのスピードの早さは尋常ではない。
コンビを組んですでに半年――まだその剣先を目で追うことすら、エリーにはできない。確かに腕は一流だ。議長の言う通りだ。だけど――
「ちょ……ジョーさん! 店の中で、何てことするんですか!」
若者二人の体内をついさっきまで駆け巡っていた血。その血の海の真ん中で、「ん〜〜。相変わらずいい切れ味だな『回天』は」などと言いながら、剣の汚れを布でふいている男、ジョー・ギリアン。
この光景を見たのは、もう何度目になるだろう。
はじめて見た時は、腰を抜かして驚いた。というより怖かった。こんな男と、この先旅を続けるという自信がなかった。
いや、そんな生易しいものではない。
生きて旅を続ける自信がなかったのだ。
だが、一八〇日という時間は、エリーを無垢な少女でなくすのに十分な期間だったようだ。
今では死体を見ても神経は平常だし、この男に文句を言うこともできる。変わってないのは、
「ジョーさん、いつまでたっても変わりませんね! 無関係な人を殺すなんて!」
最初出会った時と、何一つ変化のないその行動。エリーはそれに怒りを感じていた。
手にしたロッドを振りまわしながら文句を言うエリーに対し、ジョーはなだめるように言った。
「エリー。こいつらはまだ登録されてないだけで、十分悪党だぜ。こんないい店で暴れてたんだからよ。俺は、未来の悪人を早いうちに退治してやったってことだ。むしろ感謝して欲しいね」
そう言って、カウンターを見ながらウインクする。
そこではブロンド美女が、形のいい唇をカチカチと震わせていた。怯えている。
当然だ。
エリーは、ジョーの顔をつかんでこっちを向けさせて、
「あのね、ジョーさん。お店で暴れているのは、この人たちじゃなくて、あなたですよ。ア・ナ・タ」
一語一語を区切りながら、相手を指差しながらそう言った。
ジョーは両手を広げて、「おいおい。こいつが言った言葉を聞いていたろう?」と、床で伸びている男、ニッキーを蹴飛ばしながら続けた。
「『オレたちは、ぐらある一家だ』とか何とか。つまりな、俺が切った二人の連中も、その一家だってことよ。俺たちの旅の目的を考えろよ。俺の行動が正解だろ? な?」
……。
なんか、上手く丸め込まれたような気もするが、確かに彼の言う通りかもしれない。
ともかく、やってしまったことはもう戻らない。
今となっては、できることをするしかない。
まず店のマスターに謝罪をして、それから警備管理局にニッキーたちの引渡しを……
――と、予想外の出来事が起きた。
さっき切られたばかりの二人が、呻き声を出して床の上でもがいているのだ。
(――生きてる?)
エリーのその疑問に答えたのはジョーだった。
「足をちょっと切りつけただけだ。無用な殺生は嫌いな性質(たち)でな」
両手を広げて、おどけてみせる。
一瞬、エリーはこの相棒に感謝すらした。
(ああ。やっと、やっとこの人も分かってくれたんだ。あたしの言うことを、やっと理解してくれたんだ)
「美女のいる前で、乱暴なことはできないだろ?」
ジョーはそう言うと、カウンターの奥で怯えるブロンドの女性に再びウインクして見せた。
(……。……。)
その様子を見て、エリーはがっくりと首を落とした。長い髪を結ぶ、三つ編みが揺れる。
感謝したことを口に出さなかったことを、感謝した。
ともあれ、店内をめちゃくちゃにしてしまったことには間違いない。食事はもちろん、お皿にテーブル、イスに壁。辺りは乱雑になり、そして至るところに血が飛び散っている。
まずは店のマスターたちにお詫びをしてから、この街の警備管理局へと連絡をして、ニッキーたちの身柄の引渡しを――
「おっと、待ち人が来たみたいだぜ」
ジョーの言葉に促されて入り口を見てみると、そこには一〇人ほどの男性が立っていた。皆体格がよく、おそろいのチェインメイルでフルメタルジャケット――上から下まで、完全装備だ。
そして胸に輝くスリーポインテッドスターのエンブレム。
大陸共通、警備管理局現場部隊の制服である。おそらく、さっきまでいた客の誰かが通報したのだろう。
「おう、ごくろうさん」
ジョーがにこやかに語りかけた。
悪い予感がする。
「ぐらある一家のニッキーは捕縛した。さっそくだけど、賞金の振りこみ先は――」
「グラアル一家?」
先頭に立っている男性が、ぴくりと反応した。
悪い予感がする。凄く。
「お前、グラアル一家の者なのか?」
予感は当たった。
「だー。ちょ、ちょっと待て。待てって言ってるだろっ!!」
全部で一二人いた警備員に取り押さえられ、一二人に縛り付けられ、そして一二人に連行されている。
大人しくしていたエリーはともかく、ジョーは暴れた。で、暴れた結果がこれだ。
「待て、待てって。俺は違うんだよ。俺が奴を……ぐむむ……」
口に猿轡(さるぐつわ)をかまされている。
はぁ。
エリーは大きくため息をついた。
議長。大陸の平和は、まだまだ先のようです。
「お忙しいところ申し訳ありません、議長」
警備管理局の通信課主任補佐のリーズが、心話神経通信を行っている。その第一声が、それだった。
時間を五分ほど戻そう。
警備管理局に連れてこられたエリーは、早速事情聴取という名の尋問にかけられた。
そしてジョーの方はと言えば、拷問にかけられつつある。慌てたエリーは、議長から貰った任務証明書を提示した。
そこに示されている『ボーダー』の文字と、エリーの氏名。警備員の主任は、さすがに驚いていたようだ。
「これは――本物……ですか?」
口調が、突然敬語となっている。
「もちろんです。確認してもらってもかまいません」
毅然とそう言うエリーとしばらく視線を合わせてから、主任は部下に言った。「リーズを呼んで来い」
連れてこられたのは、五〇代ほどと思われる男性であった。
長身で、ひょろりとしている。もやしのような身体であったが、その瞳には高い知性の光が宿っていた。そして全身を覆う黒のローブに、胸にある半月の形をした刺繍。
魔導師だ。それも『半月の魔導師』 エリーよりもワンランク上である。
「リーズ・ウイリアムです。通信課の主任補佐をしています」
彼はそう言い、頭を下げた。エリーも一礼をする。
「任務証明書を見せてもらえますか?」
エリーが、カード型のそれを渡すと、リーズはまじまじと見つめだした。そして――
「この証明書が本物として、それをあなたが拾っただけという可能性もあります。所有者証明をしたいのですが。セイフティガードを解かせていただけますか?」
とんでもないことを言い出した。
「リーズさん。その結果判明した個人情報が流出した場合、誰がどのように責任を取るのか明確にしていただけるのでしょうね」
「……申し訳ありません。では、評議会と交霊させていただいてもいいですか?」
「もちろんです。相手のIDPは90871989381を使用してください」
「――その番号は……?」
「議長本人です。もっとも最初出るのは秘書の方でしょうが」
「お忙しいところ申し訳ありません、議長」
そして心話神経通信が始まった。
特殊な域の神経周波数を利用しての通信――つまりは魔導師同士の遠距離会話である。
『リーズ・ウイリアムくん……だね。何用だ』
半信半疑だったリーズも、明瞭に頭の中に響いてくるその声を聞いて自分の考えが間違っていたことに気が付いたようだ。
突然かしこまって、
「は、はい。じ、実は議長直々に任務を依頼されたという者が、当警備管理局で保護されていまして、その確認をと――」などと言い出す。
保護?
監禁の間違いでしょ。
恐縮しているリーズの言葉に、エリーは冷ややかに反応する。
『その者の名は?』
「エリーどのです。ええと……」
任務証明書を見ながら、「ティア・マーズ・エリーどのです」
『ふむ。それとジョー・ギリアン……だな』
「ご、ご存知でしたか」
『当然だ、私が彼らを選んだのだからね。それで、彼らが保護されているという理由は?』
可哀相に。リーズはすっかり青くなってしまった。
「い、いえ。お二人が、賞金首の捕縛を見事達成しまして。その代金の受け渡し及び、新たな敵の襲撃に備えて、当警備管理局が協力している次第です」
訳の分からぬことをわめいている。
『なるほど……エリーは象牙の塔を優秀な成績で卒業している。そしてジョーは大陸でも屈指の剣士。そなたの地方にも、幾人か悪事を働くものがいるのかね? 彼らに協力してもらうがよい。きっと役に立つぞ』
「は、はいっ」
議長も人が悪い。
心話神経通信は便利なものだが、魔導師間の実力差が大きいと、相手の心のうちまで読めてしまう。議長レベルなら、リーズの考えていることは丸裸にちがいない。
そうと知っていて、しゃあしゃあと今のセリフ。人間観察が大好きな彼らしい。
そしてエリーたちは解放された。
文句たらたらだったジョーも、賞金を渡されて、しかもそれが当初の予定の倍の六〇万ダカットもあるのを見ると、上機嫌になった。
まったく現金な性格である。
「見ろよエリー。六〇万だぜ。これで一週間は遊んで暮らせるな」
そしてゲラゲラと笑い出す。
一週間? ――エリーは、ちょっと引っかかった。
六〇万ダカットもあれば、二ヶ月……いや、もっと長く生活できる。
この街の物価から考えても、それは間違いない。宿は一日五千〜一万ダカット。一食に一〇〇〇くらい。
なのにこの男は、一週間で六〇万を使いきると言う。つまり――
「ジョ、ジョーさん! また、い、いやらしいお店に行くつもりですかっ!」
エリーは目を吊り上げた。メガネの奥が、三角印になっている。
「いいじゃねぇーかよ。大体、お前は固すぎるんだって……って、おい、ロッドを構えるなよ。ちょ、ちょっと呪文を唱えるのはやめとこうぜ。な。おい、シャレになら――」
ジョーが逃げ出した。エリーはそれを追いかける。
「ま、待てって。落ち着けよエリー。今日この街に着いたばかりなんだぜ。街を知るには風俗街。ことわざにもあるだろ」
「ありませんよっ!!」
「ちょ、ロッドを構えるなって。マジで。じゃ、じゃあ今から試しに二人で行ってみようぜ。な、社会勉強ってやつだ。そんなに変な店じゃ――ぐはっ」
エリーのロッド攻撃が見事に決まってた。先端の堅い部分がクリティカルヒットし、悶絶している。
「あ、あたしまで行って、ど、どうするんですかー!」
「いてて……じゃ、じゃあやっぱり俺一人で……」
「ダメですよっ!」
パカンっ
今度は頭を小突いてやった。
「いてっ! 頭はまずいぞ。脳細胞が死んでしまうじゃないか」
そんな二人の漫才を、見ている人がいた。
「あ、あの〜〜」
おっとりとした声が、空気の波となって耳に響いてきた。
二人の動きが止まる。
(み、見られてたの?)
何となく気恥ずかしくなって、エリーはうつむいてしまう。顔はさぞ赤くなっているに違いない。きれいに結ばれた三つ編みも、心なしかしおれている。
が、ジョーは逆に元気になっていた。
「やあ。どうしたんだい」
気さくに声を掛けている。
相手は、どこかで見た顔だった。
小柄な身体に、整った顔だち。そして美しいセミロングのブロンドヘアー。
さっきのお店のカウンターにいた人だ。
道理で、ジョーが元気になるはずだ。エリーはちょっとムッとしながら、
「先ほどは騒ぎを起こして、すみませんでした。壊れた家具や器具は、弁償させていただきますので」と言って、頭を下げた。
「い、いえ〜。それはもう、警備管理局の人たちが、お金を払ってくれたので……」
外見の印象と異なり、ちょっとのんびりした話し方だが、悪い感じはしない。
それにしても、賞金の倍増に加え、店への補償――よほどこの街には、評議会の威光があるのだろう。
「それよりも、あの〜お二人にお願いがあるんですよ〜」
「お願い、ですか?」
エリーはオウム返しに尋ねた。
そしてチラリと隣を見る。予想通り、ジョーの目が燃えている。もうどんな話でも引きうけてしまいそうな勢いだ。
「どんな内容でしょうか?」
あとは、まともな依頼であることを祈るのみだ。
今のジョーなら、例え『評議会ムカツクから、ヤっちゃって』などと言われても、OKしかねない。
「ええと〜グラアル一家って分かりますか〜?」
「……それって――」
「ええ。さっきの三人が、所属していた組織です〜。それを、ヤっちゃって欲しいんです〜」
「あたしは、評議会が嫌いだった」
エリーは後にそう述懐している。
乱れる治安、暴れる無法者――そんな状況を改善するために、国際紛争を解決するために設立された評議会が、各国内の平和維持を新たな目的として乗り出した。
そこまでは問題ない。むしろ、その心意気やよし。
山賊に盗賊に海賊に空賊。チンピラ、ヤクザ、無頼漢。そんな悪党どもの情報を随時データベース化して、ランク付けして賞金首にして、退治しようとするその考え方。
これもいいだろう。
……そのデータベースが、『悪人列伝』などというセンスのかけらもない名称ということはマイナスポイントではあるが。
まあ、許せる。許してやろう。
だけど、結局金より命。一般市民では、『列伝』に名を連ねる悪党どもと戦うことなどできはしない。
そこで、評議会自ら勇者たちを人選し、各地に派遣する。
これもOKだ。ノープロブレム。
現場を知らない評議会のお偉方が、冒険における基本とばかりに『魔導師・剣士』で、ワンセットのパーティーを組ませた。これも仕方ないことかもしれない。
そして魔道専門学校の名門であり、全魔導師の憧憬の的であるところの象牙の塔の東支部を最年少で、しかも首席で卒業した自分に、評議会から声がかかったことも、まあ当然のことだろう。
ここまではいい。問題ない。
だが、しかし。
「君、マーガレットっていう名前なんだ。マギーって呼んでいいかい?」
「え……は、はい〜。じゃあ私もギリアンさんって、呼んでもいいですか?」
「おいおい、水臭いじゃねーかよ。俺の友達は、みんなジョーって言ってくれるぜ」
目の前に、知り合って一時間も経っていない女性の手を取りながら話す男がいる。
「お願いがあるんですよ〜」というブロンド美人――マーガレットさんに対して、立ち話もなんだからと、向かったところは喫茶店。
四人席だというのに、その男はマーガレットの隣に腰を下ろしてしまった。
そして始まった口説きの数々。
対面に座ったエリーは、ひとりコーヒーをすすりながら考えていた。
(どうしてあたしが、こんな人とパーティーを組まなきゃならないのよ……)
あたしは、ますます評議会を嫌いになった。
占星術の導きだか姓名判断の結果だか知らないが、ペアを適当に選んだに違いない。
さて、マーガレットの話はこうだった。
この街、トレドシティに二ヶ月ほど前からヤクザな連中が住みつきだした。
そいつらは『グラアル一家』と名乗り、街や近隣の村でやりたい放題に暴れまくっている。
老人宅に押し入り金品を奪い、貴族の館に火をつけ、未亡人を襲う。
警備管理局の働きにより、被害は最小限に食い止められてはいるが、それも最近は押され気味。市民は不安で眠れぬ毎日を過ごしている。
だから退治してもらいたい――うんぬん。
五分もあれば聞き出せる内容なのに、喫茶店に二時間もいる羽目になった理由は、ジョーのアホタレが、いつまでたっても彼女から離れようとしなかったからである。
「へえ。そいつら、二〇人もいるんだ。それじゃ怖いだろうね」
「近所の奥さんが襲われたって? 何てやつらだ」
「俺が来たからには、安心してくれ」
「君の家が襲われないよう、いつでも見張っているぜ」
「何なら、家の中で守ってやってもいい。用心棒ってやつだ」
「何なら、一緒の部屋で守ってやってもいいぜ」
そして会話が「何なら、一緒のベッドで――」となったところで、エリーは無言で立ち上がると、手にしたロッドで腐れ相棒の後頭部を思いきり叩いてやった。
ぱこん
間の抜けた音と共に、ジョーの体が、イスから崩れ落ちる。
白目を剥いていた。頭に火花が飛んでいるに違いない。
呆気にとられるマーガレットに一礼すると、エリーは彼をズルズル引きずり、お店を後にした。
「痛えじゃねーかよ! 何すんだよっ!」
しばらくして目を覚ましたジョーが、たんこぶをさすりながら文句を言ってくる。
「自業自得です。依頼人とは一定の距離を保つこと――ボーダー規定第六条に抵触していますよ」
「いてて……まったく、エリーは融通がきかないよな」
「きかなくて結構です。それよりジョーさんが寝ている間に、グラアル一家について調べておきましたよ」
エリー、座りながらメモを手渡した。
ついさっき、評議会のデータベース『悪人列伝』に交霊して入手した情報を、書き取ったものだ。
「お、段取りいいな。どれ……」
ジョーは、メモに視線を走らせた。そして不満気に、「なんだよ、これだけかよ」
エリーもその意見に同意した。
「グラアル一家:グロフォルム地方を中心に略奪を繰り返す集団。首領はスリー・ローマン(22)ランクC。賞金は捕縛・捕殺ともに五〇万ダカット。構成員は一四名で、平均年齢一八.三歳……で、あとはメンバーの名前と罪状が書かれているだけ。これじゃ何も分からないですね」
「グロフォルム地方ってのは? この辺りじゃないだろ」
「ええ、調べてみたんですけど――ここ、ですよ」
エリーは、ポケットから地図を取り出して、赤丸をつける。「ここがグロフォルムです。この平野の部分。それで、こっちが今いる街、トレドシティですよ」
「ふーん……結構離れてるな」
「ええ。一〇〇キロくらいですね。馬車で丸三日かかる距離ですよ」
「なるほどね。つまり、連中は最近引っ越して来たってことか?」
「と、あたしも思ったんですけど……」またさっきのメモを指差して、「ほら、最終更新日が一週間前なんですよ、この情報。でも、マーガレットさんの話だと、一家は二ヶ月くらい前にはこの辺にいたんですよね」
ジョーは怪訝そうな顔をした。
「最新情報によると一〇〇キロ先にいるはずの連中が、現実には二ヶ月も前からこの辺に住みついてるってことか。どういうことだ?」
「アジトがグロフォルムにあって、片道三日かけてこの街を襲いに来てる――とは考えにくいですね」
「だな。グロフォルムにも、他に街はいくつもあるしな。わざわざここに来る理由でもあれば別だけど……」
地図をのぞきこみながら、ジョーはうなずいた。「にしても、お前準備がいいな。いつ地図買ったんだ?」
「あたしは、新しい国や領土や街に来た時は、必ずマップを買っているんですよ。旅に必要なものは、お金のあるうちに買っておく。基本じゃないですよ」
そしてジト目をむけて、「あればあるだけ遣ってしまう、誰かさんとは違うんですよ」
「お、俺だってちゃんと買ったじゃないか。ほら、グルメガイド」
「……それに載ってるお店に行って、ひどい目にあったことをもう忘れたんですか?」
「その本のおかげで、マギーに会えただろ。それに仕事の依頼も来た。めでたしめでたしだ」
何がめでたいんだか。
エリーはため息を一つつくと、話題を戻した。
「まう、考えられることとしては、
1.グラアル一家の分家がこの街にある。そしてそのことは、まだ評議会にばれていない。
2.グラアル一家の名を借りた別の集団がこの街にいる。そしてそのことは、まだ評議会にばれていない。
3.グラアル一家は実際にこっちに引っ越してきた。そしてそのことは、まだ評議会にばれていない。
4.マーガレットさんの話は真っ赤なウソ
と、いうところですかね」
「……4は却下だな」
「ちょっと、個人的な感情は抜きにして下さいよ。まあ、最初の三つの仮説には、おかしな点があるんですよね」
「うん? どういうことだ?」
「あたしたちが、警備管理局に捕まった時のこと思い出してください。あの人たち、グラアル一家のこと知っていたじゃないですか。でも、『悪人列伝』のデータにはこの街で一家が暴れていることは記録されていないですよね」
「……評議会に報告するのをサボってるってことか?」
ジョーの言葉に、エリーはうなずいた。
「グラアル一家のことが、評議会本部の人に知られていなくても、警備管理局が報告すればすぐにデータに残るはずです。それなのに一家がこの街にいることが記載されていないということは、多分、管理局のトップが事なかれ主義なのか、それとも自分たちだけで解決しようとしてるのか……何にせよ、問題が起きたことに対するマイナスポイントを公表したくないということでしょうね」
(リーズさんが議長と話していた時も、だいぶビクビクしてたし)
「なるほどね。あ、でも待てよ。この街に行けって言ったのは、議長本人だろ? あのじいさん、何か気付いているんじゃないのか?」
腕を組みながら、ジョーは訊ねてきた。
「……そう、ですね。もしかしたら、警備管理局の報告内容がいつも一緒だから、おかしいと思って、念のためあたしたちを派遣したのかもしれませんね」
ここに行けとは言われたが、何をしろとは言われていない。心話神経通信を使って、議長に直接その辺りを訊ねてみようと思って――やめた。
あの人のことだ。どうせ聞いてもはぐらかされるに決まっている。そうして、こっちの反応を楽しんでいるのだ。そういう人だ。
それに、リーズと心話神経通信をした時に、彼の心を読んだはずだ。予想外の出来事が起きていたのなら、自分たちに報告してくるはず。それがないのだから、この事もそれほど大した裏はないのだろう。自分たちだけで解決しろというわけだ。
エリーは立ち上がった。右手には愛用のロッドを構えている。
「情報不足です。管理局の協力もあまり期待できなさそうだし、自分たちで聞き込みするしかないですよ」
そう言いながら、エリーはメモ用紙と地図をポケットにしまった。
「さて、まずどこに行きましょうか」
第二話『踊る人々』
「――! ――!!」
エリーが大声で話しかけても、相棒の耳には届いていないようだ。お店の中央のステージを見て、興奮気味に奇声を発している。
そこでは女の人が踊り狂っていた。
「――! ――!!」
ダメだ。ちっとも気付いてくれない。
大体周りがうるさすぎるのだ。
何なのだ、このお店は。
家が五つくらい入りそうな敷地内に、二〇家族分くらいの人で溢れかえっている。
さっきから気分が悪いのは、この空気の悪さのせいだ。空調システムが壊れているのか、タバコの吸い過ぎなのか、よどんだ大気の流れが目に見えるようだ。
鼻をつく匂いが、エリーの頭をくらくらさせる。
そして極めつけはこの騒音だ。
音楽と呼ぶのもはばかれるような、メチャクチャなリズムの大音響。一m程度しか離れていないジョーとの会話すらままならない。
(な、何なのよ、ここは?)
情報収集するための目的地を、彼に選ばせたのがそもそも間違いだった。
「そういう時は、酒場に行くのがセオリーってもんだ」と街のガイドブック片手に、強引に連れられてきたのがこのお店。
着いて五分もしないうちに、店内では乱痴気騒ぎが始まった。
ジョーが言うには、「一日に四回あるゴーゴータイム」らしい。突然、アップテンポの曲の演奏が始まったと思ったら、どの客もこの客も踊りだしたのだ。
「ちょ、お、押さないでくださいよ。痛っ。押さないでったら!」
エリーの叫びを無視するかのように、踊り、ぶつかり、ころび、そしてまた踊る、人の群れ。
必死になって、相棒について行くのが精一杯であった。
「待って……待ってくださいよっ!」
どうにか彼の右腕にしがみつき、人の波を掻き分けていく。
「こ、こんなうるさい所で、どうやって情報を集めようっていうんですかっ!」
声が届いたのか、それとも口を動かしているのに気付いたのか。ともかくジョーはようやく止まってくれた。
何か喋っている。
エリーの耳にそれが届いていないことを理解したのか、彼は顔を近づけてきた。
(――っえ?)
すぐそばに、彼の顔がある。
鋭い目付き、綺麗に揃った顎髭(あごひげ)。
エリーはちょっとドギマギした。ちょっとだけ。
「悪いな。あと数分で静かになるはずだから、もう少し辛抱してくれ」
エリーの耳に口を寄せて、そう言った。熱い吐息が、ほおにかかる。くすぐったかった。
ガイドブックによると、この『ゴーゴータイム』とやらは一五分で終わるという。
しょうがない。もうちょっと我慢するか――
お店の真ん中辺りで、歓声が巻き起こった。
店を支配する音楽の洪水をも打ち破る、その大声。エリーは釣られて、そっちに視線を向ける。
ステージの上で、女の人が踊っていた。
服を着ていなかった。
ぱこん
その音を聞いたのは、エリー以外には誰もいなかったかもしれない。
ジョーの後頭部をロッドで思いきり叩くと、彼女は人ごみを押しのけ、掻き分け、お店の出口へと歩いていった。
(まったくっ。何考えてるのかしらあの人)
あらかじめチェックインしておいた宿屋に戻って、エリーは着替えていた。
今まで着ていた、厚手の服を脱ぐ。
鹿の皮でできたこのジャケットは、暖かくていいのだが、いかんせん大きすぎる。支給された時に抗議したのだが、「それが一番小さいサイズだ」と言われてしまって以後そのままだ。
買い変えればいいようなものだが、エリーはなかば意地になっていた。
背が小さいのは、まだ十三歳だからです。あたしだって、もっと、もっと大きくなれるんだから。
それに、やはりゆったりとしたローブの方が落ちつくし、呪文に必要な触媒を入れるポケットも豊富で何かと便利だ。
大体、自分は魔導師なのだ。ローブはいわば正装、仕事着である。落ちついて考えをまとめるには、この格好の方が適していると思う。
ローブは質素であった。装飾といえるのは、余り気味の胸の部分にある三日月型の刺繍だけ。それはエリーが魔導師の最下層である『三日月の魔導師』に属することを意味していた。
これはエリーのプライドをいささか傷つける事でもあった。魔道学校を卒業したての人間は、誰もがこの『三日月』のローブを着ることになる。だが、自分が卒業したのはただの学校ではない。象牙の塔の東地区なのだ。それも首席で。さらに卒業後すぐに評議会に呼ばれ、今の仕事に就くことになったのだ。
ならば当然、ランクも上がっていいはずだ。『満月』とは言わない。せめて『半月』くらいには。
中級地方公務員である、リーズは『半月の魔導師』であった。自分の能力があの男に劣っているとは考えられない。なのに今でも自分は、『三日月』のままだ。ランクだけ考えれば、最下層の魔導師なのだ。だから外ではローブを着たくないのだ。三日月の紋章を見られるのが嫌だから。
これは評議会の、議長のいじめである。そうに決まっている。あたしの才能をねたんでいるのだ。そうに違いない。
エリーはますます評議会のことが嫌いになった。
さて着替えが終わると、エリーはベッドに腰を下ろしてさっき見ていたメモと地図を取り出した。
(グラアル一家がこの街に来たっていう情報が、評議会に報告されていないのは何でだろう……)
改めて『悪人列伝』に交霊してみたが、結果は前と同じであった。
やっぱり警備管理局が、サボタージュしているとしか考えられない。理由はたわいもないことだろう。事なかれ主義というやつだ。
半年間の旅の間、同じようなケースに出会ったことは一度や二度ではない。珍しいことではない。
(だけど、現に一般市民にも被害がでてる……無視できる状態じゃないわ。マーガレットさんの近所に襲われた人がいるって言ってたし、明日にでも詳しい話を聞いてみようっと)
当面の目標は決まった。
もう夜も遅い。今日のところは、日課である金銭出納帳のチェックと、呪文書のおさらいをして寝ることにしよう。
評議会へのレポートもまとめなくてはならないが、これは一段落ついてからで十分だ。いちいち議長のイヤミたらしい声を聞くのも憂鬱だった。
(ええっと――マーガレットさんのお店で、五〇〇〇ダカット遣って……あ、その前にショップで新しいナイフ買ったっけ。ええっと。一〇本で一二〇〇〇ダカットもしましたね。それと薬草とガイドブックですね。あと、あたしが買ったマップが五〇〇ダカット。それに、宿代が――)
レシートを見ながら、出納帳にペンを走らせる。
新しい街へと着いた時は、何かとお金がかかる。賞金の六〇万ダカットが入ってくれて、本当によかった。評議会からの仕送りだけでは、ちょっと苦しいところだ。
ジョーに全額預けっぱなしなのが不安だが、あの状況で財布を抜き取る余裕はなかった。いくらなんでもあの店で全額遣うということはないだろう。
しばらくして作業が終わると、エリーは部屋を出て、ロビーへと降りていった。
受付には、宿主であるおじさんが一人で座っている。
「どうしました?」
人のよさそうな笑顔で、そう訊ねてきた。
「あ、喉が渇いちゃいました。暖かいミルクもらえますか?」
ちょっと眠くなってきたが、これからまだ呪文書の勉強をしなくてはならない。おじさんにホットミルクをもらうと、それを一気に飲み干した。
「ふー……。あったかーい。ありがとうございます」
コップを返した。そして頬をニ・三度ぴしゃぴしゃと叩く。
気合が入ってきた。
よし、部屋に戻って早速――
「おーぅ。エリ〜。今戻ったぞぅ〜」
真っ赤な顔の男が、宿の扉を開けてふらふらと入って来た。
残念ながら、よぉーーーーーーーく知っている顔であった。
「ジョ、ジョーさん。またお酒飲んでいるんですか?」
しかも彼の隣には、若い女の人がいた。
気力が萎えた。
ジョーは後頭部をさすりながら、ぶつぶつと文句を言っていた。
「ったく……痛いじゃねーかよ。この女は――誤解、誤解だって」
エリーの命ずるまま、部屋の隅で正座している不届き者――サノバビッチ・ジョーの頭には、またこぶができ、そして隣には一緒につれてきた女の人が横になっている。
よっぽど飲んだのだろうか。アルコール臭をプンプンさせながら、その人は寝息を立てていた。
堀の深い端正な顔だち。スラリとしたスタイル。なかなかの美人さんだ。
年はエリーと変わらないくらいに見えるが、ミニスカートを履いたりしていて、ちょっぴりセクシーである。
おまけに髪の毛は見事なブロンド。
いきなりテイクアウトするくらいだ。さぞかし、彼女のことを気に入ったのだろう。
……もう一度、殴ってやりたくなった。
エリーはロッドを手に取ると――
「だあぁぁ。ちょ、ちょっと待った。エリー、お前誤解してる、誤解してるって」
赤い顔のまま、必死になって両手でエリーを制するジョー。
「……誤解じゃなくて、理解ですよ」
冷たくそう言うと、一気にロッドを振り下ろした。
「うおっと! あ、危ねえじゃねーかよ。お、おい。落ちつけって。ほら、これ見てみろよ」
またロッドを振りかぶるエリーの目の前に、彼は小さな紙の袋を取り出した。
「……何ですか、これ?」
「あの店に行ったかいがあったぜ。開けてみなよ」
言われるまま、ごそごそとあさってみると、中から薄い包装紙にくるまれた、『何か』が現れた。全部でその包装紙の包みは、三つある。
「これ……何です?」
視線を上げてそう訊ねると、すでにジョーはウトウトしていた。頭が大きく前に倒れては、後ろに戻っている。いつの間にか装備も外し、リラックスムードだ。部屋の床の上に、三本の剣が転がっている。
ふー。
エリーはため息を一つついた。そして気を取り直して、神経を集中することに努める。
急速に五感の反応が低下していき、そしてそれと反比例するかのように、魔導師だけに許される感覚器、第七共鳴神経細胞が活性化されていく。
『神の図書館』――呪文編纂機へと交霊して、目的の呪文を呼び出した。
『シー・パラケラ・パルスファンズ』
呪文と同時に、エリーの右手から出ていた『気』――オーラが、手のひらの上にある包装紙へと広がっていく。
そして包装紙は、緑色の光を放ち始めた。
対象物が、詠唱者にとって有害かどうかを調べるための呪文である。古い宝箱などには、よく罠がしかけられている。それを回避するために使う魔法だ。
赤は危険、青は安全、そして今出た色――緑は、
(毒ではない――そして無害でもない……か)
包みを慎重に開けてみる。粉末状の『何か』が入っていた。顆粒(かりゅう)の薬のような印象を受けるが、そんなものをわざわざジョーが持ってくるとは思えない。
匂いをかぐ――ほぼ無臭状態だ。
これでは何も分からない。
意を決して、指先に数粒をつけるとそれを舌の上に乗せた。
呪文の効力が失せ、回復した味覚が、大脳へと信号を送ってくる。それは、驚くべき情報だった。
(――! これって……)
薬学は、魔導師になる為の必須科目の一つである。この『何か』が『何なのか』もすぐに分かった。
怪我をした時に、痛みを和らげるという使い方もあるが、そんな目的で使用しているのは大陸でもほとんどいないだろう。
みな別の、いや本来の使い方をしている。依存性、継続性の極めて強い悪魔の薬。人を人でなくす地獄への片道切符――麻薬である。
「どうだ? コークだぜそれ。名前くらい知ってるだろ?」
いつの間にやらジョーは目を覚ましたようだ。
コーク。聞いたことはある。
麻薬と麻薬をブレンドさせて作られた、粗悪なドラッグの一種だ。低くない確率で、バッドトリップと呼ばれる好ましくない結果を招き、そうならなくても、廃人への扉をノックすることになる。
「こんなものが、あの店に……」
あったというのか。
大陸にある大小七つのどの国でも、麻薬は違法である。使用者には重罰が与えられる。
だけど、微量の末端価格で五万は下らないという代物である。あの手この手で、それを扱おうとする悪党がいるのも事実だ。
今思えば、あの店のあの大音響。
一m先の話声も聞こえない状況を利用して、取引が行われていたのかもしれない。まさか、ジョーさんはそこまで考えてあのお店に目をつけたんじゃ――
ぐー。
鼻からちょうちんを出して、ジョーはいびきをかいていた。
……。
まあ、それはともかく。
エリーは、相棒の横で寝息を立てている女の人に目を向けた。若い。一五・六だろうか。自分とたいして変わらないように見える。
……そりゃあ、彼女の方が、ちょっとセクシーだけど。ちょっとね。
この状況。コークと少女。どちらも、あの店に存在していたものだという。だとしたら、この少女は麻薬に関係しているのだろうか。
被害者で?
それとも、まさか――
加害者なのだろうか。
彼女もまた、グラアル一家の一員なのだろうか。
そして一家の利益を潤すために、麻薬を密売していたというのだろうか。
第三話『バッドトリップ』
翌朝。
エリーとジョーの二人は、女の子と一緒に街外れを歩いていた。
昨日、ジョーが酒場から連れてきた娘だ。名前はシャラル、一五歳である。
昨日の夜の話には続きがある。
ジョーの頭にバケツの水をかけて目を覚まさせると、エリーは今後の行動の相談を持ちかけたのだ。それと、横で寝息を立てている少女のことを。
――あの酒場をうろつくうちに、何人か怪しそうな連中を見つけたんだ。
ジョーは話し始めた。
帽子を深くかぶり、マスクをしていたため表情はよく分からなかったが、おそらく男女のペアだったという。
みんなが、店のステージで行われているショー――あの、いやらしいショー――を見ている中、その人たちは周囲の視線を気にしていたそうだ。そして、もう一組の男女がやってきて、四人集まったところで、彼らは店の奥の部屋へと消えていったという。
「近づいてみたら、そこは会員制の部屋だったんだ。まあVIPルームってやつだな」
ジョーは話を続けた。
「何か、やばい取引の匂いがしてな。グラアル一家の情報も手に入るかもしれないと思ってさ。知ってるだろ、俺のそういう時の勘の鋭さを」
エリーはコクンとうなずいた。三つ編みが揺れる。
その野生染みた勘で、何度となく危機から逃れたこともある。――もっともその危機自体、彼が原因であることがほとんどなのだが。
「で、黒服(てんいん)に話を持ちかけてみたんだ。部屋に入れてくれってよ。そしたら最初の話じゃ、入会金50万ダカット。年会費が10万だって言うじゃねえかよ」
「ご、ごじゅうまん!? まさか、そんな値段で……」
「慌てるなって。そこで登場したのがこの任務証明書よ」
ニヤリと笑って、懐からカードを取り出す。
エリーが、警備管理局で見せたものとほぼ同じものだ。
『ボーダー』と薄く書かれた文字を背景に、『ジョー・ギリアン 458年12月10日生まれ』などと彫りこまれている。
『ボーダー』というのは、評議会によって組織された悪人退治集団の総称だ。
『最後の防波堤』という意味のルーンなのだが、見る人が見れば評議会がらみの人間ということは明白。 警備管理局にいた魔導師、リーズの様子から見ても、この街で評議会は畏敬の念を持たれている。
怖れられていると言ってもいい。
それはたぶん、バーの店員にとっても同じことだろう。
「いやあ。さすがだな、この任務証明書は。見て、青くなってたよ、黒服(てんいん)の奴」
上機嫌そうだ。ゲラゲラと笑いながら、ジョーは続けた。
「何しろ、入会金を二五万にまけてくれてよ。半額だぜ、半額」
え?
「は、半額って……」
「おう。年会費もな、四割引だ。なんと六万ダカット――うごぉ!」
最後の悲鳴は、エリーのロッドが顔面にめり込んだのと同時だった。
「あのね、ジョーさん」目から火花が飛び出ているこの男を前に、彼女は口を開いた。「年会費って、この街に、一体何度来るつもりなんですか。あなたは?」
返事はない。
彼の口から出ているのは、泡だけだ。
財布の入っているポケットをごそごそ漁ってみる。確か、上着の黒のジャケットの内ポケットのはずだ。
……あった。あったぞ。
が、中身はなかった。
エリーは、もう一度ロッドで叩いておいた。
パカンと、小気味のいい音が、狭い室内に響いた。
結局、詳しい話を聞いたのは、それから二時間ほど後のことだった。
呪文書の勉強を終えたエリーが、再びバケツ汲んだ水を相棒の頭上にこぼしたのがちょうど夜の一〇時。
彼は、寒さでガタガタ震えながら、ようやく話し始めた。
VIPルームに、三一万ダカットも支払って潜入したジョー。
そこには、いかにも金持ちそうな老人や、危ない目つきをしたヤクザな連中がいて、そしてそれに混じってさきほどみた四人の男女もいたそうだ。
「で、でよぉ。そ、そいつらが何を話しているか、き、気になって――。おい、エリー。さ、寒いよ。せめてタオルで拭かせてくれよ」
「自業自得です。話が先ですよ」
「そ、それにしたって、い、いきなりバケツの水を、か、かけること、ないじゃねーかよ……」
「あたしは眠いんです。早く話さないと、またかけますよ」
「わ、分かったよ。分かったって。そ、それでな、すぐ近くの席に、す、座ってよ。聞き耳を、た、立ててたら――」
グラアル一家に、麻薬に、コーク。重要なキーワードが聞こえてきたということだ。
で、四人の中で、一番**な、少女に目をつけて、彼女を捕まえるために――
「え? 今何て言いました?」
「え、いや。その……一番……美人っていうか、可愛いっていうか――うごぉ!」
「――で? 捕まえるために、何をしたんですか?」
「イテテ……また叩きやがって。最近、ちょっとひどくない?」
「いいんです。それで、何をしたんですか?」
ジョーが目をつけた彼女は、まだ幼かった。
四人が二人二組に分かれ、そしてその二人組も別々に別れたところで、彼は少女に声をかけた。
『よう。月のない夜なのにやけに道が明るいと思ったら、君がいたからか』
ただのナンパであった。
服の上からでもそれと分かる均整の取れた肉体。長身、そして精悍なマスク。どうやら少女は、あっさりと引っかかってしまったようだ。
外見で人を判断するなと、学校で習わなかったのだろうか。
そして近場のバーでお酒を飲みつつ、色々話を聞き出したらしい。
……って、ちょっとちょっと、彼女一五歳でしょ!
「シャラルはな、元々は隣町に住んでいたらしいんだ」
ジョーは、隣で寝息を立てている少女に目を向けながら言った。
「二ヶ月くらい前に、グラアル一家に街が襲われてよ。ちょうどこの辺に連中が現れた頃だ。何人かの若い女がそのまま一家に連れ去られたらしい。彼女もその一人なんだと」
「……」
何てことです――エリーは、呆然とした。
こんな、こんな若い人が。あたしと同じくらいの年の女の子が。
若い女がそのまま一家に連れ去られた――それが意味することは、自分にも分かる。
たぶん彼女は――考えるだけでも、おぞましい。
「その後グラアル一家は、この街の側の森にアジトを構えたらしい。そして麻薬の取引に手を出したということだ。商売は大当たりの大繁盛。シャラルのような末端の、それも新入りにまで取引に参加させるくらいになったというわけだ」
麻薬の取引に! こんな幼い(あたしより二つ年上だけど)女の子が。
でも――
「でも、そんなことを簡単に話しちゃう人を取引に使いますか、普通?」
エリーは、当然の疑問を口にした。
「それだけ不満が溜まっていたんだろうよ。まあ今日の四人の集まりは直接ブツの交換をしたわけじゃないからな。どうやら取引の日程を決めていただけみたいだ。それに取引の場に下っ端を使うっていうのは、よくある話だぜ」
「……何でですか?」
「当局にばれた時、捕まるのはそいつらだからさ。下っ端を行かせて、それを遠目から幹部級が監視する。逃げないようにな」
「へえ、なるほど。監視ね……って、ちょっと待ってくださいよ!」
「あん?」
「それじゃ、それじゃ、ジョーさんが彼女をここに連れてきたのもばれてるってことじゃないですか」
「鋭い。正解だ」
「せ、正解って――。え、それ、何ですか?」
エリーの目の前に、小さな袋が差し出された。
嫌な予感がした。
「シャラルといた酒場で、チンピラ二人組に絡まれてよ。グラアル一家の連中だっていうから――」
ジョーが袋をあけた。中から出てきたのは、
「え、お、お金……ですか?」
「ああ、『列伝』に記録されているかどうか分からないから、一応捕縛にしておいたってことだ。ぶん殴ってな。二人のうち一人は登録されていて、まあ五万ダカットにしかならなかったけど、現金でくれたし良しとしようぜ」
平然とそういう彼。
「で、連中を警備管理局に引き渡してきたんだけどよ。それを見て、シャラルも俺のことを信頼してくれたらしい。グラアル一家のことを話し始めたのはそれからだ」
そして隣で寝息を立てている少女の髪に、そっと手を置きながら、
「可哀相にな。彼女、だいぶひどいことをされてきたらしい。一緒にさらわれてきた若い女は一五人。みんな友達だったけど、もう四人が殺されたってよ。で、死にたくない一心で一生懸命『仕事』に励んだら、ボスに信頼されて取引の一端を任されるまでになったんだと。皮肉なもんだな」
……許せない。
――エリーの心の中に、グラアル一家に対する怒りが生まれたのはこの時だった。
「だが話ができ過ぎている気もする。さっきの麻薬もシャラルが持っていたものだしな。エリー、彼女の裏を取ってみるか?」
少女の頭に手を添えながら、ジョーそう言った。
確かに、このこと自体が罠ということも十分考えられる。マーガレットの酒場で暴れた自分達が、ずっとマークされていたという可能性は低くない。
シャラルに案内されて一家のアジトまで行ったら、総勢一〇〇人の荒くれ者が出迎えてくれる――そんな展開もありえる話だ。
そしてエリーには、相手の心をある程度読むことができる呪文がある。
「そう……ですね。やってみましょうか」
エリーはそう答えると、ロッドを構えて神経を集中さ
「う、ううん……」
不意に、シャラルが寝返りをうった。
ミニスカートのがめくれ、白いふとももがあらわになる。
「あ、だ、ダメです。見ちゃダメですよ!」
エリーは慌てて二人の間に割って入った。ジョーのいやらしい視線から、彼女を守ろうとする。
と、その白い綺麗な足に、奇妙な模様があることに気がついた。
「……?」
いや、模様ではなかった。
ぎざぎざとした網目の痕と、鋭い無数の擦り傷。
「縄と、ムチの痕だな」
エリーの小さな体でガードするのは無理だったようだ。ジョーは中腰になって彼女の足を見ながらそう言った。
「……ですね」
エリーはポツリと同意して、そしてロッドを床に置いた。
象牙の塔で一緒に勉強した友達たち――みんな魔法が好きで入学し、そしてその好きなことを一生懸命学んでいた。
その友達と年の変わらないシャラルは、無法者達に捕まり、好きでもないことを、いや嫌悪していることを無理矢理――
「やっぱり、呪文を使うのやめましょう」
「……罠かもしれないぜ。彼女がコークを持っていた理由が分かるか? 彼女も常習者(ジャンキー)なんだよ」
「そ、それは――無理にさせられたに決まっています。あたしは、彼女を信用しますよ」
彼女の手を、そっと握った。自分と同じくらい、小さかった。
「……そうだな」
ジョーはうなずくと、胸ポケットからタバコを取り出して口にくわえた。
別のポケットから出した火薬の粉の上で火付け棒をこすり、器用に着火する。タバコにその火を移すと、白い煙が部屋に広がった。
「よし、明日は忙しくなるぜ。シャラルにアジトまで案内してもらって一気にグラアル一家を退治する。それでいいな?」
おいしそうに一服をしながら話をまとめるジョー。でも、エリーにはまだ一つ引っかかっていることがあった。
「了解ですよ。でも一つ分からないことがあるんですけど」
「何だ?」
ふー。口を開くと同時に、タバコの煙が吐き出される。
「酒場で絡んできたグラアル一家の二人組を、警備管理局に引き渡したんですよね。で、シャラルさんはそれを見てジョーさんを信用したと」
「その通りだ」
ふー。
「でも、こんなに酔った状態で、彼女よくまともに話ができたっていうか、よく信用するほどの思考能力がありましたよね」
「ああ、そんなことか」
ふー。
「最初の酒場じゃあまり飲まなかったんだ。飲んだのは二軒目、チンピラを引き渡した後だ」
「え?」
「いやー、料理とエール酒が美味い店でよ。話も弾む弾む。そこまでは良かったんだけどよ。ワインを頼んだのはまずかったな。そのワイン、八七年物のラ・パンでよ。……知ってる?」
知ってる。
大雨が続きブドウが不作だった年に、唯一例年通りの高品質を保った神の雫――そんなワインだ。
「値段見て、ぶったまげたぜ。これも任務の一貫だからって言って、まけてもらったんだけどよ。それでも三五万ダカットもかかっちまってさ。いやぁ、まいったまいった」
ふー。全然参ってなさそうに、彼は言った。
「さ、さんじゅうごまん……って! お、お金、足りないじゃないですか!」
「ああ、だから借用書を書く羽目になったよ。ほら――」
ぱこん。
宿屋の一室に、鈍い音がこだました。
この夜、最後の会話は終わった。
そして翌朝。つまり今。
エリーたち三人は、街はずれを歩いている。
ジョーとエリーが並んでいて、その少し前を薄幸の少女シャラルが歩き、二人を案内していた。
「ったくさー。こんな朝早くから起さないでよね。そりゃーアタシは協力するって言ったし、あいつらをやっつけてもらいたいけどさー」
……薄幸の少女というイメージからは遠かったけど、とにかく彼女は二人を案内した。
「太陽の光を浴びたのなんて、一週間ぶりよ。まぶしいったらありゃしない。ねえ、その辺の店で休憩しようよ」
「ダメです。あたしたちは、あなたを完全に信用しているわけじゃないんです。お店に入ったら、敵だらけという可能性もありますよ」
「……昨日と言っていることが違うぞ」
ぱこん。
ジョーさんの呟きに、あたしはロッドで返事した。
「とにかく、ダメですよ。早く案内してください」
「ちぇ、ケチ。エリー、あなた一三歳だっけ? 若いうちからそんなにお堅いと、ロクな男に捕まらないわよ」
そして彼女は、ジョーの腕を取り――って。こ、こらー。そんなにくっつくな!
「ジョーもこんなションベン臭い小娘に付き合わなきゃならないんだから、大変ね。アタシでよければいつでも相手するわよ」
しなだれかかってきた彼女の流し目に、ジョーはまんざらでもない表情だ。
エリーと違って綺麗にお手入れされたブロンドに、そっと手を伸ばしながらつぶやいた。
「そいつは嬉しいね。是非今夜にでも――うごぉ!」
後頭部を押さえながら、痛みでうずくまる彼を尻目に、エリーは言った。
「ほら! 早く歩く歩く! 日が暮れますよ」
「ったく、グラアル一家の連中もよ、住むんだったらもっと街に近い場所にしろってんだ」
ジョーのその言葉は、エリーの心の叫びとまったく一致した。
街を出て、丘を超え、着いたところは山の中。
ここから先が大変だった。
道はないし、木の枝は服に絡み尽くし、斜面は急だし、虫はいるし――って、ああ、また毛虫が!
「ちょ、ちょっとジョーさん、ジョーさん。取って取って!」
首筋に、ちくちくしたものを感じて、エリーは暴れた。
呆れた顔をしながら、ジョーがひょいとフードの奥に手を入れる。
彼の手を覆う、皮のグローブのざらざらした感触が伝わってきた。
「ちょ、ちょっと変なところに触らないでくださいよ」
「触わらねぇっつーの――よし、取れた。……って、ただの葉っぱじゃねぇかよ」
その様子をニヤニヤと見ているのはシャラルだ。
「やぁねぇ、子供は。いちいち騒いじゃってさ。そんな動きにくい格好で来るからそうなるのよ」
ムカ。
「しょ、しょうがないじゃないですか。このローブは魔導師の正装なんです」
昨夜に続き、今日もエリーはローブを着こんでいた。
防寒防水に優れ、小さなポケットも多いため、呪文に必要な触媒もたくさん仕込む事ができる上に、何よりも正装。気合も入る代物だ。
が、山登りには向かなかったらしい。
「やだやだぁー!! また、また、また虫がついた、ついたついた! 取って取って取ってー!!!」
手足をばたつかせているエリーの顔の上を、ジョーさんの手が忙しく動き回る。
「動くなって。取れないだろ。だから、動くなって!」
小一時間も過ぎただろうか。
まだ三人は山の中だった。
どこにいっても同じような、木々の群。進んでいるのか戻っているのかすらよく分からなくなってくる。
「シャラル。何でこんなに街から離れている場所に連中は陣を張っているんだ?」
ジョーの疑問はもっともだ。
遠いだけじゃない。歩きにくいことこの上ない。不便にもほどがある。
先頭を歩くシャラルは、まだまだ元気そうだ。振り向きながら返事をした。綺麗なブロンドが揺れる。
「何よ、もうバテタの?」
そしてケラケラと笑いながら、
「一家の連中が使うのは別の道よ。そっちは途中までは馬も使える広さがあるけどね。でも見張りもいるし、まずいでしょ。ここは、アタシらが街へこっそり遊びに行く時使う道なのよ」
ん?
ちょっと、引っかかった。
「こっそり遊びにって――じゃあ逃げようと思えば、いつでも逃げれるってことじゃないですか?」
そして、ひどい目にあっているとしたら逃げたいに決まっている。なのに今彼女は、自分たちの案内までしている。逃げもせずに。
やっぱり罠だったのだろうか。
アジトに行ったら、一〇〇人の荒くれたちが待ち構えているのだろうか。
「エリー……」
不意に、エリーは肩に重みを感じた。
ジョーが右手を、ぽんと乗せていたのだ。そしてゆっくりと首を振り、小声で話してきた。
(そのことは聞くな。シャラルは逃げたくても逃げれないんだ)
え?
(麻薬だよ。逃げてもコークの禁断症状がある。それは到底、一人で何とかできるレベルじゃない。お前が昨日言ったように、無理にそうさせられたんだ。逃げないようにな)
――!
そうか、それでか。エリーの心に鋭い痛みが走った。
麻薬を使い、組織に縛りつけておく。
コークは、一家に資金をもたらすだけでなく、人材を確保するための手段でもあったのだ。
だが、それは地獄への片道切符。
確実に、使用者の肉体と精神を蝕んでいく。
(つまり……シャラルさんは使い捨てってこと……ですか?)
小さな声でジョーに訊ねた。
(そうさせないことも、俺たちの仕事だ。麻薬常習者(ジャンキー)の治療を専門にしている医者もいる。シャラルも、彼女の友達も、そこまで連れて行ってやるさ)
(……ジョーさんも、たまには言いこというんですね)
エリーのちょっと感心したような視線を受け、ジョーは肩をすくめた。
(金になりそうだからな。紹介料をがっぽりふんだくってやるさ)
そんな二人の会話を聞いてか聞かずか、シャラルは不機嫌そうに口を開いた。
「ほらほらほら。何コソコソしてんのよ。もうすぐアジトだからね。もう大きい声出さないでよ。エリー、あんた虫が落っこちてきても叫んじゃダメだからね」
そう言うと、またさっさと先に進んで行ってしまった。
『もうすぐアジト』と言われてから、三〇分は経過したと思う。
三人は、まだ山の中を歩いていた。
(いつまで……歩かせれば……気が済むのよ……)
もう、声を出すのもおっくうだ。
ジョーの足取りはまだしっかりしている。
だけど、原人と自分では体の作りが違うのだ。エリーはくたくただった。
ロッドを杖代わりに、地面に突き刺すようにして、何とか体を前に動かしている。
時々吹く風が疲れた体を慰めてくれる。少し心地よい。
風と一緒に、どこからともなく甘い香りが漂ってきた。木の実だろうか。
でも心地いいのはほんの数瞬で、あとは苦痛と疲労の連続だ。
右斜め前を見ると、シャラルの顔も苦しそうだ。街を出てからすでに数時間。さすがに彼女もバテテきたということだろうか。
(だ、大丈夫……ですか?)
エリーは小さな声で、前を歩く少女に話しかけた。周囲にいるかもしれない敵に気を遣ったと言うよりは、それ以上大きな声を出せなかったのだ。
シャラルはその声を聞いて、こっちを振り返った。顔が青い。唇が紫になっている。
「え? ああ、エリーか……どうしたの?」
どうしたのって、それはこっちのセリフだ。さっきまでの元気はどこへいったのだろう。
「大丈夫ですか? ちょっと……休みますか?」
エリーの提案に、彼女は首を振った。
「……平気よ。いつも……通っている道なんだから。さあ行くわよ」
ちっとも平気そうに見えない。顔色は悪いし、体だって小刻みに震えている。
さっき彼女が言っていた『一家の連中が使う』方の道を歩いた方が、よかったんじゃないかと思う。途中までは馬も使えるということなら、結構立派な道だろう。少なくともこんな前も後ろも木と虫だらけの場所じゃな
(伏せろ!)
いきなり力強い、だけど押さえられたような声が聞こえてきた。そして同時に頭の上に、大きな手が乗せられる。
(――きゃ)
思わず叫びそうになるエリーの口は、頭に乗せた手がそのまま下がってきて、覆ってしまった。
て、て、敵なの?
その思考は外れていた。
後ろを歩いていた相棒の手だったのだ。
(ジョ、ジョーさん?)
声にはならない。でも、エリーの目を見て彼は理解してくれる。大丈夫だというように、ゆっくりとうなずいてから小声で話し始めた。
(エリー、近くに敵の気配がする。ちょっと伏せてじっとしていてくれ。俺はシャラルを止めてくる)
ふと前を見ると、シャラルはこの事態に気付いていないのかフラフラとまだ歩いている。
口を覆っていた手を外されたエリーは、小声で質問した。
(て、敵って――ど、どこにですか?)
(……正確な位置は分からんが……気配を感じる。前に数人、後ろにもいるかもしれん……エリー、『遠視』を使ってくれるか?)
遠距離観察などに使用される魔法だ。地面に伏せたままの体勢では、呪文を唱えづらいけど、そんなこと言っている場合じゃなさそうだ。
エリーは、こくんとうなずいた。
(よし、頼む。俺はシャラルのところに行ってくる)
そして彼は、体を低くしながら山道を上り始めた。
この間、わずか数秒。だけど、思ったよりもシャラルは先に進んでいる。
しかもフラフラとしていて、危なかしい。もし側に敵がいるとしたら、ボウガンや弓矢のいい標的になってしまう。
いやいやいやいや、余計なことを考えている場合じゃない。
――とにかくあたしはあたしの仕事をしないと。
頭を無理矢理切り替えると、エリーは一度深呼吸をする。
息を吐き終える頃には、邪念や煩悩――日常生活で生じる感覚が失われていった。
幼い頃からの、訓練、修行、特訓の成果――数瞬後にはさきほどまでの精神の乱れは収まり、五つの感覚器は脳に信号をよこさなくなり、そして第六感も素通りし、第七共鳴感覚神経細胞が活性化されていく。
呪文編纂機――『神の図書館』に交霊して、目的の呪文を引っ張り出した。
『パルラ・カル・ス』
エリーの口から、あたしのものでない言葉が紡がれる。ルーン言語。神の言葉。
意識が戻った時には、さきほどまでとは全く異なる世界が彼女には見えていた。
『象牙の塔』の先生の言葉を借りるなら――視覚にあって視覚にあらず、網膜に映し出された数百mも先の光景が、鮮明に脳への信号として送られてくる。
木々のうろも、枝も、枝についている葉も、葉の葉脈の一本一本も、
そしてそこにいる虫も――って、きゃあああ。いやいやいやいやいやいやいやあああぁぁぁぁああーーーーーー!!!
心の中で絶叫しつつ、必死で声を押さえながらピントを調整する。
感覚器の感覚(変な言葉だ)も正常に作動しはじめた。『遠視』のタイムリミットは三〇〇秒。つまり五分。ぐずぐずしている暇はない。
前。
ジョーとシャラルがいるのが見える。アップで見える。
そしてそのさらに向こう――いた! 坂道の上のほう、木の陰に隠れた人間が、三、四、五……七人もいる。柄の悪い服装に、柄の悪い顔。『悪人列伝』入りのステレオタイプが、前の二人をじっと見ている。
って、じっと……じゃない。二人が剣を抜いた。薄汚れたショートソードだ。多分あの汚れは――血だ。赤い血。人を切ったあと。
それだけじゃない。残った五人は背中からボウガンを取り出した。矢をせわしなくセットして――
敵だ。間違いない。
多分見張り。ジョーたち襲おうとしている。
そしてジョーは、気付いているのかいないのか。シャラルと何やら話をしている。揉めている。シャラルがジョーの体を突き飛ばそうとしている。その表情は普通じゃない。明らかに狂気が入り混じっていた。
何で?
そんなこと考えている余裕もなかった。
(――あっ!)
と、エリーが思った時には、もう三人の見張りたちは三本の矢を放っていた。その全てが正確にジョーたちのところへと飛んでくる。かなりの腕だ。上からだから狙いやすいということか。そしてまだ二人は揉めている。
後先考えている場合じゃなかった。エリーは絶叫した。
「危ない! 前、前見て、前見てーーーーーーーー!!」
大声が一秒に数百m先の空気を振動させる。それが先に届いたのか、それともジョーの野生の勘か。
とにかく彼は動いた。反応した。
シャラルの細身の体を抱えるようにして、そのまま地面へと転がり込んだ。次の瞬間、矢がその場を通過する。あと一秒遅かったら――だけど、そんな『もしも』の仮定は彼にはない。身の無事を安堵することも、ぎりぎりで危機を回避できたことを神に感謝することもなく、すぐさま次の行動に移る。
「シャラル、伏せてろ! エリー、彼女を頼む」
言いながら前方に走り出した。敵は木陰に隠れている。まだジョーはその姿を捉えていないはずだ。だが攻撃方向からある程度の位置は判断できる。あとはエリーが、
「ジョーさん、ちょっと右、一時の方向!」
その微調整の言葉に従い、彼は走る。そして、上着のポケットに手を入れた。
とりだされたその右手には、二本のナイフが握られている。昨日ショップで買ったものだ。だけどまだ敵までは五〇m……もう少しあるかもしれない。すでに敵の姿は視界に入っているはずだ。けど、ナイフを当てるには遠すぎる。
そして相手は、一本目が外れたと見るやすぐさま次の矢をセットしていた。さっきより近づいた的(まと)に、余裕を持って狙いをつけている。
ビュン! ビュンビュン!
ボウガンの音が、森の空気を切り裂いた。
数十m先からすっ飛んでくる三本の矢を、動体視力と反射神経を総動員してジョーがかわす。
体勢を崩しながらも投げたナイフが、二人の敵の喉を正確に貫いたのは、ちょうど一秒後のことだ。
「ぐはっ!」
「がっ……!」
「――! ちきしょう!」
喉を押さえて倒れる者。それを見て、憤る者。
二人が倒れ、五人になった敵たちの感情が揺れている間に、ジョーは一気に間合いを詰めた。その右手には今、腰から抜かれた細身の長剣が握られている。
いつ取り出したのかも分からないほど早く抜かれたそれは、いつ振り上げたのかも分からないほど早く敵の体を切りつけていった。
「がはっ!」
「っぐ……」
マーガレットの酒場では手加減していたその剣技。だが、今は容赦なく敵に襲いかかっている。
防御しようとして構えたショートソードごと叩き切り、ボウガンを捨て腰の剣を取り出す間も与えず切り捨て、そして逃げだした最後の一人にナイフを投げつける。
エリーがシャラルの元に着いた時には、もう勝負はついていた。
ジョーは、尚も周囲に注意を払っている。その場に倒れている七人の見張りの体から目を離し、剣を構えながら、周りを見ていた。
エリーの方はシャラルへと近づき、その様子をうかがう。
彼女の体が近くにありすぎて、ピントの調整に苦労する。まだエリーの視界には、彼女の青い瞳しか映っていない。
と、ジョーが近づいてきた。
「エリー。先に後ろを見てくれないか? まだ妙な気配がする」
そうだった。前と後ろに気配を感じるとか言ってたっけ。エリーは慌てて振り向くと、最大ズームにして後方を偵察し始めた。
……
………
…………。
「何も――誰も、いません」
エリーはつぶやいた。
三人が登って来たその獣道。そこには、三人が見た光景しか存在していなかった。
すなわち、木々と土と――言いたくはないけど――虫だ。
「……そうか。いないか」
と言いつつも、ジョーは納得していないようだ。後方に視線を向けている。エリーも改めて周囲を観察し始めた。が、結果は同じであった。
「やっぱり、いませんよ」
「……そうか。気のせいかな」
まだ怪訝そうな顔をしていたが、彼は頭を切り替えた。すなわち、シャラルのことにだ。
その唇からは、苦しそうな声が漏れていた。
「あ、あ、ああ、あああ……」
彼女の白い肌は、今は病的なまでに青ざめている。赤い紅を引いた唇はカタカタと震え、そして両の手は細い体を抱きかかえてやはり震えていた。
「シャラル……さん?」
エリーは彼女の背中をそっと触った。
「ああっ! や、やめ、やめて! こ、こないで!」
こっちを見たかと思うと、彼女は激しく拒絶した。手をふりあげ、エリーの体を遠のけようとする。
「やめてやめてやめて、こないでこないでこないでこないでこないで!」
そしてまた小さく丸まって、ガタガタと震え始めた。
「ジョーさん……」
当惑したエリーが、相棒のほうに目を向ける。彼はただ黙ってその様子を見ていた。
「ジョーさん?」
再び口を開くと、今度は彼はゆっくりと首を振った。そして一言。
「まずいな。禁断症状だ」
「え?」
「麻薬が切れて、幻覚が見えてる」
その言葉が合図であったかのように、シャラルは突然暴れ出した。
「薬! 薬をちょうだい!」
エリーの胸元を掴んで叫び出す。その瞳は、彼女の青い綺麗な瞳は今、狂気に侵されていた。
「薬! 薬をちょうだい! ねえ! 薬よ、薬をちょうだい!!」
エリーは凄い力で引っ張りまわされた。
「きゃ、ちょ、ちょっとシャラルさん……」
「薬よ! よこせよ、よこせって言ってるだろ――このヤロウ!!」
「きゃ、ちょ、ちょっと。や、やめて……」
エリーの小さな体は倒され、そして狂気にとりつかれたシャラルに馬乗りにされて、ローブが破れそうな勢いで体を揺さぶられた。
「薬! 薬だよ! よこせ……がはっ!」
不意に、彼女の口から獣じみた声が聞こえたかと思うと、掴まれていた場所から力が消えた。そして細身の彼女の体がゆっくりと崩れ落ちた。
「ちょいと荒っぽかったが……我慢してもらうしかないな」
ジョーの言葉。当て身を食らわせて気絶させたようだ。ようやく体が自由になったエリーは、シャラルを押しのけて立ちあがった。
ローブの汚れを払いながら、口を開く。
「彼女……大丈夫ですか?」
「ああ、今は気を失っているだけだ」
「こんな、こんな風になっちゃうなんて……」
「見るのは初めてか?」
ジョーの言葉に、エリーはコクンと頷いた。
「ざ、座学の授業とかで、聞いたことはありますけど――」
象牙の塔での教官の言葉を思いだしながら、エリーは言った。
「俺にも予想外だったよ。まさか、一日……いや、半日摂取しないだけでこんな状態になるとはね。とにかくここにいてもしょうがない。進もう」
ジョーは、シャラルを肩に担ぎながら言った。するとエリーが、
「でも、この先どうするんですか? 道も分からないし……彼女が持っていたコークを、一時的にあげてやるとかは……? それなら、気も正常に戻るかもしれませんよ」
シャラルの持っていたコークは、ジョーが保管していた。それを使わなかったための、この禁断症状であろう。エリーの言うことは、ある意味間違ってはいない。
「あのなエリー」
ジョーは諭すように話し始めた。「それじゃちっとも解決にならないだろ。アジトに捕まってる、シャラルの友達もそうだ。禁断症状を乗り越えなきゃ、意味がない」
――彼の言う通りだ。
エリーは、その場しのぎの答えを出そうとした自分を恥じた。
「……ごめんなさい。でも……道はどうするんです?」
「ああ、それなら心配ない」
そう言うとジョーは道の上の方を指差した。さっき、七人の見張りがいた場所だ。
「さっきそこに面白いものを見つけた。ゴールはすぐそこだ」
第四話『小屋の中にいる誰か』
ジョーがシャラルに肩を貸して、その後ろをエリーがくっついて行った。
腰に二本、さらに背中にも大きな剣を背負っている。その上にシャラルの体だ。いくらシャラルが細いと言っても、四〇キロはあるだろう。それなのに、ジョーの足取りは疲れをほとんど感じさせていない。
今はその原人パワーが頼もしい。
そして、見張りのいた場所を越え、さらに進んだ。
そこには面白いものなんかなかった。
不愉快なものしかなかった。
「この――畑は?」
不意に視界が開けた場所に着いた。見張りがいた場所から、ほんの数十mの所である。
そこは畑で、かなり広い畑で、胸くらいの高さの植物がたくさん生えていて、そして甘い香りが一面に漂っていた。
さっき歩いている時に時々感じた香りは、これだったのだ。
エリーはここに生えている植物のことを知っていた。
だから、その甘い香りのことも今はよく分かっていた。
それでも訊いてしまった。そしてジョーの答えは予想通りだった。
「カシの葉だ。その奥にあるのはロドの葉だろうな」
「――ここがコークの生産所……なんですね」
シャラルを、シャラルの友達を、そして他の大勢の人たちの人生を狂わせてきた悪魔の薬。
莫大な利益を生み、破滅の嵐を呼ぶ地獄への片道切符。
その原料となる植物が、辺り一面に生えていた。
エリーは、隣に眠るシャラルを見た。
畑に漂う甘い香りを嗅がないように、エリーたちはハンカチを顔に当てている。だけど気を失っているシャラルには、それすらもできない。彼女の顔を覆っているのは、エリーのタオルだ。タオルを顔に巻きつけてあるのだ。結び目が痛々しい。
エリーが結んだタオル。
シャラルが自分で結ぶことのできないタオル。
なぜ、結ぶことができないかって?――簡単なことだ。気絶してるからだ。
(気を失わせたのはジョーさん。だけど、気を失うことになったのはコークのせいだ)
エリーは、改めてグラアル一家に対する怒りが込み上げてきた。大きめのメガネを、指でくいっと上げる。その奥にある瞳は、一家殲滅(せんめつ)に対する決意が込められていた。
そして、コークの生産所であるこの畑の側に、精製所はあった。
「あれが……アジトですね?」
エリーの言葉に、ジョーさんはうなずいた。
畑の脇に人間四人分くらいある結構広い道がつながっている。そしてその先に丸太小屋のようなものがポツンと建っていた。建物の数は……たぶん二つ。
ここからの距離は五〇〇mくらい。そう考えると、なかなかの大きさのようだ。
「行くぜエリー」
その言葉を合図に、二人はその忌々しい畑を後にした。
畑から小屋までは、少し下りの道になっていた。もし、あの小屋が敵のアジトだとしたらありがたい。向こうからはこっちを見にくいけど、こっちからは向こうを見やすいからだ。
「見張りが……いるな。二人か?」
ある程度進んだところで、休憩と作戦会議を兼ねて、二人は木陰に腰を下ろした。
そしてジョーが言ったのが、今のセリフである。
「よく見えますね?」
ここから小屋まではまだ結構な距離がある。『遠視』の効力の切れているエリーには、建物しか見えなかった。確かに黒い点が二つあるような気もする。だけど、人間の姿かどうかは自信がない。
「まあな、俺の野生の視力を知ってるだろ。って、はっきり見えるわけじゃないけどな」
そういってちょっと笑いながら、彼は懐に手を伸ばすとタバコと火薬の粉を取り出した。火付け棒を使って、器用にタバコに着火する――って、ちょっとちょっと。
「ちょ、ちょっとジョーさん」エリーは思わず叫んでしまったことに気付き、慌てて声をひそめた。
「……こんな所でタバコなんて吸って……ここにいるのが、ばれちゃいますよ」
「と言われても、やめられないのがタバコなんだな」
ジョーはニヤリと笑いながらそう言うが、エリーの不機嫌そうな顔を見てさらに言葉を続けた。
「心配するな。あの小屋に見張りがいるってことが、連中が間抜けな証拠さ。バレることはない」
「どういうことですか?」
すると、さっきの畑の方を指差しながら、
「あそこに七人も見張りがいたろ。かなりの厳重警戒だ。それだけ重要な個所だからだが……」
そして美味しそうに煙を吐き出す。ふー。
「本当なら、そのうち最低一人はすぐに、仲間のいる小屋に連絡するべきなんだ。そうすれば俺たちは、今ごろ二〇人もの敵に囲まれていて大ピンチになってる。なのにそれをしないから、連中はいつも通りの小屋の前で見張りを続け、俺たちはここで作戦会議をしながら――」
ふー。
「美味いタバコを吸えるってわけさ」
ふー。
そしてジョーは胸のポケットから、何枚かの紙を取り出した。最初に開いたのは、昨日評議会に交霊して手に入れたグラアル一家の情報だった。頭首のスリー・ローマン以下合計一四名の氏名が書かれている。別のポケットからペンを取り出して、
「さて、あの小屋に何人いるのかだけど、昨日マギーの店で捕縛したのが……確かニッキーだったな」
紙に書かれた一四の名前から、ニッキー・バームのところに横線を引く。残りは一三人。
「で、さっきの見張り七人のうち、『列伝』に記録されているのが……」
続いて二枚目の紙を開いた。畑の側にいた見張りたちに『照合』の魔法を使ったところ、四人の身元が分かった。
四人足しても八万ダカットほどの小物の賞金首であることに、ジョーはイラついていて、エリーはエリーで、死体に呪文を唱えることに嫌悪したけど、とにかく七人のうち四人のことは『悪人列伝』へと記録されていた。
「ジャージー・カルロス、マハロ・バロス、それにビア・ベクトル……っと」
一三の名前に次々に線が引かれていって、九人になった。
「昨日、バーで二人捕縛したって言ってたじゃないですか。彼らの名前は分からなかったんですか?」
「おお、そうか。ええっと……」
また一枚、紙を開いた。「リーズとかいう魔導師が照合してくれたっけな。ええと、ベル・アンダーソン――っと。もう一人は照合不可。これで残り八人か」
「あと、シャラルさんが言っていた、『一家が使う道』の見張りがいますよね。二・三人ですかね」
ちらりと隣を見る。先ほど見せた狂気の表情はひそめて、今彼女は穏やかな寝息を立てていた。それでも時々見せる苦しそうな表情が痛々しい。
「まあ、あの道の長さから考えると――四・五人……もっといてもおかしくないな。それに今小屋の前に二人の見張り。ってことは、小屋の中にはほとんど人がいないって事になる」
「つまり、チャンスということですね」
エリーの表情が少し明るくなる。だけどジョーは首を振った。
「残念。不正解だ。『列伝』に記載されていない奴らが、俺たちの知っているだけで……ええっと、六人か。それだけいるんだ。小屋の中にも、身元不明の連中が何人もいるだろう」
そしてまたタバコを吹かす。ふー。ちりちりと、灰が燃え落ちた。
唐突に話題が変わる。
「警備管理局には三〇人はいたよな」
「え? ええっと――」昨日の光景を思い出しながら「そう……ですね。それくらいいたと思います。トレドシティの情報を入手すれば正確な人数も把握できますけど」
「いや、いい」
ふー。
「あの場にいた戦闘員だけで三〇人。非番の者も含めればもっと多いはずだ。不思議に思わないか?」
「え? 何がです?」
「それだけの人間がいて、装備だってグラアル一家みたいな山賊連中よりはずっとましだ。それなのに警備管理局の人間はこの場所を攻めようとしないわけだろ? いくら地の利が敵にあると言っても、おかしいと思わないか」
「そ、それは……アジトの場所が分からないから、じゃないですか?」
「昨日街に着いたばかりの俺たちが、今ここにいるんだぜ。街からかなり離れているとはいえ、二ヶ月前からいる一家の居場所を、管理局が掴んでいないってのは現実味がない」
「……」
確かにそうかもしれない。じゃあ、ということは――
「管理局と、一家がグルだってことですか? だから攻めこまないってことですか?」
エリーは心に浮かんだ疑問を口にした。もしそうだとしたら、評議会に対する報告のサボタージュにもうなずける。報告を怠っていたのではなく、故意にしていなかったということになる。
ジョーはすぐには答えず、ゆっくりとタバコを吸いこんでいる。そして吐く。
ふー。白い煙が辺りに広がった。
「あるいは、一家の人数が想像以上に多くて手が付けられないのか――」そして小屋を指差しながら、「あの大きさだったら、そうだな、三〇……いや四〇人くらい住めるかもしれない。まあ人数的には管理局と五分ってところだな……」
エリーも小屋の方に視線を移す。確かに結構な大きさの建物だ。畑で見た通り、二つの小屋が並んでいる。一つは一家が住んでいるアジトだと思う。だとしたら、もう一つは麻薬の精製所だろう。
ジョーは話を続けた。
「人数の条件が同じなのに、管理局が手を出せない――つまり、」
「つまり?」
「腕の立つ大物が助っ人している可能性が高いってことだ。それも、かなりのな。一人なのか複数なのか分からんが」
そして最後の一口を吸うと、ジョーは携帯の灰皿を使ってタバコの火を消した。ゆっくりと立ち上がる。
「小屋の間取りをシャラルに聞く予定だったんだが、それも無理そうだ」ちらりと、彼は隣で眠る少女を見た。「中にどんな罠があるか分からない。エリー、お前はここで待っていろ」
「――え?」
と、言葉を発している間に、紙包みを握らされた。さっきタバコに火をつけるために使った火薬が入っている。
「万一の時は、それで小屋に火をつけろ。『火球』の呪文を使う準備をしてな」
小屋と、そして畑に火をつける――それは、さっきあたしが提案した作戦だった。山火事になるという理由であっさりと却下されたのだが。
それを今は、やれと言う。
つまり彼の言う『万一の時』というのは、『自分が戻らなかった時』だということだ。そのための最後の手段として、火をつけて元凶を滅ぼせと言っているのだ。
「そんな……ダメです。あたし抜きで何ができるというんですか。あたしも、行きますよ」
火薬のはいった包みを、押し返しながらエリーは言った。
「エリー」ジョーは諭すように言った。「中は危険なんだ」
「だからです。だって何十人もいるかもしれないんですよ。ジョーさん一人じゃダメです。あたしも行きますよ」
「……あの中には、おそらくいても三〇人までだ。その程度だったら、俺一人で何とかなる」
それは事実かもしれない。
一緒に旅を始めて半年。正確には一七四日。その間に捕縛したのが五四人。捕殺が六八人。ジョーの持つ三本の剣――腰の左右に下げた長剣と短剣。それに背中に差した魔道の大剣――で、これだけの人たちを倒してきたのだ。それに加えて、胸に潜めたナイフ。ブーツに隠した短剣。グローブに仕込まれた鉛の板。エリーの知る限り、彼は最強の剣士だった。でも――
「でも、ダメです。三〇人まとめて相手にしたら、いくらジョーさんでも……」
自分が何を言っているのか気付いて、慌てて言葉を変えた。
「グラアル一家は山賊です。魔法に対する知識はほとんどないと予想されます。あたしの力は絶対役に立ちます。それに、昨日も言いましたけどあなたの行動を見張るのも、あたしの任務の一つなんです。議長に言われました。『ジョーから目を離すな』って。だからダメですよ。あたしもついて行きますよ」
「……シャラルはどうするってんだ? おぶって行くのか? 俺は自分の背中に他人を乗せる趣味はないぜ」
――。
そうだ。シャラルさん……彼女がいたのだ。
気を失って無防備な彼女を、この場に一人にはできない。
でも、でも、三〇人も敵がいて、それも『かなりの大物』の助っ人がいるかもしれない場所に、一人で行かせるなんて――じゃない。そうじゃない。何を言っているのだあたしは。
あたしの力が必要になるに決まっている。そして現場で経験を積み、評議会にあたしの実力を認めさせるのだ。だからあたしはついて行くのだ。そうだ、それだ。
とにかく今は、この隣で眠る少女をどうするかだ。それが問題だ。
「……シャラルさんには……『隠者』の魔法を使いますよ。だから――」
周囲の生物の意識から、対象者を消してしまう魔法だ。周りの人には、彼女の存在は気付かれなくなる。だけど、
「だけどそれだと、間違って踏みつけられるかもしれないぞ。ここで敵と戦闘になったらどうする? 彼女の身が危険だろ」
その通りだ。
「こ、小屋で戦うんです。ここは戦場にはなりませんよ。だから――」
勝手な言いぐさだ。分かってた。でも言葉は止まらなかった。
自分抜きで物事が進行することを、彼女のプライドが許さなかったのか。それとも少女としてのもっと単純な感情からなのか。
とにかくエリーの言葉は止まらなかった。
二人の視線が合う。ジョーの鋭い目つきが、エリーに突き刺さった。
物理的な痛みすら感じる。
象牙の塔を主席で卒業したエリート魔導師であり、ただの一三歳の少女でもあるエリー。今の彼女は――決して認めようとはしないだろうが――無力で、足手まといで、それを頭で理解していても心は納得できない、分かっていても自分の感情をコントロールできない一人の少女であった。
プライドと、そして――これもまた彼女自身は認めなかったであろうが――相棒を心配する二つの感情に挟まれ、彼女の心は揺れていた。
でも、それでもエリーは目をそらさなかった。
「……『隠者』の効力は、どれくらい続くんだ」
ジョーの口から出た言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。
「え?」
「だから、『隠者』を使うと、どれくらい姿を消すことができるんだ?」
慌てて答えた。
「こ、呼吸の時、吐き出される二酸化炭素の量が関係します。今のまま寝ていれば、多分二時間くらいですよ」
「寝ている状態じゃ駄目だ」
言うが早いか、ジョーはシャラルの体を起こした。背中をぐいっと反らせて、両肩に手を置く。
どんっ
肩に置いた手に力を入れると、彼女の口から寝息以外の音が漏れた。活を入れたのだ。
シャラルは目を覚ました。
「こ、ここ……は?」
朦朧(もうろう)としている彼女の意識に、ジョーが割り込んだ。
「シャラル、俺が分かるか?」
「え……ジョー?」
「そうだ。ここはもうアジトの側だ。今、お前をひどい目に合わせた連中を退治してくる。お前はここで待っていろ」
そしてこっちを向いて。「エリー、『隠者』の呪文を頼む」
「え?」
「寝かせておくわけにはいかないだろ。急げ」
「は、はい」
エリーは返事をすると、まだぼーっとしているシャラルに向かって呪文を唱えた。
すぐさまその効力があらわれる。彼女の肉体は目の前にあるはずなのに、その気配は感じられない。姿も見えなくなる。
そこにシャラルがいると分かっているエリーたちにすら、そうなのだ。何も知らずにここを通りがかった者がいたとしても、彼女に気づく可能性はない。この状態になると、周囲の人が感じられるのは対象者の出す音だけだ。だから黙っていて、そしてじっとしていれば、誰もそこにシャラルがいるなどとは思いもしないだろう。
「シャラル」ジョーが、彼女のいるはずの場所に向かって言った。
「今お前の姿は、他の人間からは見ることができない。もし敵が来てもじっとしていろ。声を出すな。そうすれば気付かれることはない」
「え、あ、うん……分かった」
本当はまだ半分も分かっていないだろう。だけどとにかくシャラルはそう答えた。
エリーは、ジョーに小さな包装紙を渡した。中には気分を落ちつかせる薬が入っている。コークの禁断症状にどれだけ効くかは分からないが、ないよりはずっとマシだ。
ジョーは、薬をシャラルに飲ませながら訊ねた。
「エリー、今の状態で、呪文の効力はどれくらい続くと思う?」
「今までの経験だと……三〇分くらいですよ」
「三〇分ね」
ジョーはそう言いながら空に視線を向けた。街を出た時には東にあった太陽が、今は天頂に近づきつつある。
「昼には終わらせないとな。昼食はマギーの店で乾杯といこうぜ」
そしてニッと笑うと、腰にぶら下げた剣を抜いた。細身の長剣である。
エリーはうなずいた。
昨日ゆっくりと味わうことのできなかった料理を、今日こそ食べるのだ。そう、今度は三人で――
その誓いは、結局守られることはなかった。
第五話『戦闘開始』
小屋の近くに行くまでは時間がかかった。
見張りたちはかなり緊張感のない様子だった。何しろカードゲームで遊んでいたのだから。
襲撃を受けることなど、予想もしていないのだろうか。
ともかく小屋の側まではゆっくりと近づいた。音をたてないように、慎重に進む。
そしてジョーの投げたナイフが、見張り二人の喉にささったのを合図に、戦いは始まった。
とにかく敵のほうが多いことは間違いない。相手に気付かれる前に人数をできるだけ減らす――それがとりあえずの作戦だったんだけど、
扉を開けた瞬間に、中にいた奴と目が合ってしまい、作戦は早くも終了した。
「敵だ! 敵襲だーーーーーーーーー!!」
一人目を倒した時、横から大声があがった。扉を開けたら、かなりの広さの部屋で、結構な人数が詰めていたのだ。その数、五、六……一〇人以上。
防具までは着けていないものの、獲物(武器)は装備している。敵もさる者だ。舐めていたのは自分たちの方だったかもしれない。
すぐさま二人は囲まれ、
「邪魔するな!」
ジョーの長剣が、一閃した。一振りで数人が吹き飛ばされ、血飛沫(しぶき)が上がり、絶命する。
そして同時に、
『フィア・ファール・ボール』
エリーの掌から、人の頭ほどもある火の玉が飛び出す。『火球』――ファイアボールと呼ばれる呪文だ。
今日三つ目の呪文。疲れもあり、それほどの威力は望めない。
だけど、魔法の対処になれていない連中にはそれでも十分だった。
「が、ぐああああっ!」
「熱っ、熱っ!!」
「火だ。火だ、火だああああぁあ」
突然の敵襲。
一〇倍する数の敵を、もろともしない剣士。
そして未知の技を使う魔導師。
その全てが、彼らに恐怖を与えていた。
「な、何だこいつら!」
「管理局だ! 警備管理局の連中がやって来た!」
「ボスだ! ボスと先生を呼べ。早く、早くしろ!」
「敵だ! 敵だああぁぁ!」
「逃げるな! 囲め! 敵は二人だけだ!」
怒号と悲鳴。阿鼻と叫喚。
その中を、ジョーは切り進み、エリーはそれに続いた。
細身の長剣が宙を舞うたびに、敵の数は減っていく。一人、また一人――
そしてその数が一〇人を数えた時、部屋の奥の扉が乱暴に開かれた。
「やめろ! 何事だ!」
突然の怒声。 そこには二人の人間が立っていた。
一人はメガネをかけていて小柄。今叫んだ奴だ。そしてもう一人はまるで熊のような大男だった。二mはある。
一瞬静まり返る室内。だが、ジョーだけは違った。
「どけっ!」
眼前にいた二人の敵をまとめて切ると、そのまま扉の方へと走り出す。
そして何も語る事もなく、相手の話を聞くこともなく、新たに現れた二人に切りかかった。
白い刀身が孤を描く。その延長線上には――おそらく首領か、幹部であろう――さきほど怒声を張り上げた男がいた。
「ボス!」
部下の誰かが叫ぶ。それはもう遅すぎた。
決まった。
エリーはそう思った。
けど――
ギイイィイイィン……
鋼と鋼がぶつかり合う嫌な音がした。
二人いたうちの、大男の方が、ジョーの刀身を自らの剣で受けとめたのだ。そしてすぐさま、反対の手に握った小ぶりの剣で反撃に移る。
「ジョーさん!」
今度はエリーが叫ぶ番だった。
「――っと!」
紙一重の所でその剣をかわす――いや、剣は当っていた。ジョーのジャケットが横一文字に切られている。
「おいおい。一張羅に何てことするんだよ」
軽口を叩く程度の余裕はまだあるようだ。血が流れ出る様子もない。肉体の損傷はゼロであろう。そのままジョーは後ろに少し下がって間合いを取った。エリーがその横に立つ。
ジョーと大男は、剣を構えたまま睨み合っていた。
「回天が止められたのは、今月に入って初めてのことだ」
ジョーはそのままの状態で口を開いた。「たいした腕だな、あんた」
大男は、ただ黙って一歩前に出た。まだぎりぎり間合いの外だ。
だけど、これ以上はまずい。リーチの差がありすぎる。男は長身のジョーよりもさらに頭二つ分は高かった。剣もそれに比例して長い。それに加えてその肉体。胸板の厚さはまるでゴリラだ。歳は四〇代半ばといったところか。戦士として脂ののっている頃であろう。その威圧感は半端ではない。
「さすが先生だ」
その大男と一緒に入って来たメガネの小男が、くっくと笑いながらそう言った。さっき部屋に入ってくるなり怒鳴った奴だ。
ジョーが切りつけた時、部下の一人が「ボス」と言っていた。つまり、こいつが
「お前が――首領か? 確か……」
ジョーの言葉をエリーが継いだ。
「グラアル一家のスリー・ローマンね。あたしたちは『ボーダー』 評議会の命令により、あなたたちを捕まえに来たわ」
評議会の名前を使って、まずハッタリをかます作戦だった。
が、それはこいつらにはあまり効果がなかったようだ。
首領と、そして『先生』とやらの凄腕の剣士が現われ、他の者たちも落ち着きを取り戻している。一家の連中は、エリーたちの周りを囲み始めた。
「いかにも。私がローマンだ」
小男は、そう言うと部屋を見渡した。彼の部下たちが、ある者は血の海に沈んで、ある者はやけどして床にころがっている。
「派手にやってくれたものだ。一体全体、我々が何をしたと言うんだね」
「何を、したか、ですって?」
ローマンのその言い草に、エリーの感情は一瞬にして沸点に到達した。そのまま、何のセーブも遠慮も加えることなく怒鳴り散らす。
「麻薬で、人の人生を、ぼろぼろにしておいて、何をやったか、ですって? この外道! お祈りでも唱えなさいよ! 今からお前らは地獄に行くんだから!」
エリーの怒声を受け、一瞬場は静まった。一家の者たちは、自分の半分程度しか生きていないであろうこの小娘の迫力に押され、罰が悪そうに互いにちらちらと視線を交わしていた。
最初に口を開いたのは、首領のローマンだった。
「おやおや、勇ましいお嬢さんだ。麻薬のこともバレているのかい?」
そしてケラケラと笑い出した。「悪いけど、地獄に行くのは君たち二人だよ」
「そいつは、どうかな?」
剣を構えたまま、『先生』と睨み合っていたジョーが、そこで口を挟んだ。
視線は『先生』に向けながら、
「俺たちがここに来たってことは、畑を通って来たってことだ。まだ、火事の情報は届いていないのか?」
突然のジョーの言葉に、ローマンは怪訝そうな表情をした。
「……どういう、ことだ?」
「畑のお宝は、燃やさせてもらったってことだ。あれがなけりゃ、お前たちはただの山賊だ。今までブツ目当てに群がってきたお仲間が、手のひらを返してくるぜ。やりたい放題やってきた報いってやつだ。地獄落ちは、そっちじゃないのか?」
そしてクックと笑い出す。
ローマンの目に、ほんの少し動揺の色が走った。
「馬鹿な……。火など出ていないし、第一、畑を燃やせば山に燃え移る。そんなことを警備管理局ができるわけ、」
そこでハッとしたようだった。
「ふふ。言ったろ。俺たちは管理局の人間じゃあない。山がどうなろうか知ったことか。それに彼女は――エリーを指差しながら――魔導師だ。畑の燃える様子をこの小屋から見えなくすることなんか、お手のものだぜ」
くっくっく。
エリーにはジョーの言動の真意が掴めていなかったが、それを表には出さなかった。逆に、彼の言う通りといった余裕の表情を作りだし、ローマンに視線を投げかける。
根負けしたのは相手の方だった。
「おい、ちょっと二・三人行って見て来い」
「……分かりました、ボス」
返事と同時に、敵の包囲が一部手薄になる。
それがジョーの待っていた勝機だったのだ。
「エリー、壁ぎわまで走れ!」
その言葉に、エリーの体は瞬時に反応した。真意を問いている暇などない。
そして壁までの道は、ジョーが作ってくれていた。畑に向かおうとして背中を見せた敵を、振り向きざまに回天で切りつけたのだ。
「ぐあっ!」
「――!!」
悲鳴が上がった方を、ローマンたちが見ている隙に、ジョーとエリーは室内を走った。
そしてほとんど同時に、壁まで辿り着く。
敵の反応は一瞬遅れている。また囲まれる。だけどその人数は減り、そして背中を壁につけたため、後ろから攻められる心配はなくなった。
「さぁて、ローマンさん。あと……十二人になっちゃったぜ。俺たちは無傷。そっちは半分以下。大丈夫かい? 顔色悪いぜ」
くっくっく。
ジョーは挑発を始めた。
二人は今、部屋の隅にいる。ここなら敵の攻めてくる方向がかなり限定される。バックを取られることはない。少し離れた場所には大きな窓もあり、万一の時は部屋から逃げ出すこともできそうだ。
人数はまだ向こうの方が六倍いるが、精神的にはだいぶ有利に立っている。
連中にしてみれば、部屋の至るところに、さっきまで生きていた自分たちの仲間の死体が転がっていて、本来ならば怒りを産むはずのそれも、ジョーたちの強さを見た後では気後れの材料にしかならない。
だが、こっちにも心配事はある。それも二つ。
一つは、シャラルの友達たちのことだ。
ここまでまだ一言もその話題を出していない。
彼女たちの救出が目的の一つと相手に知れた場合、そのまま彼女たちは人質にされる恐れがある。それを防ぐために話題に出していないわけであるが、女の子達の場所が分からないというのも心細い。
そしてもう一つは――
「……なかなかやるな、小僧」
『先生』がゆっくりと歩を進めてきた。はじめて聞くその声は、低く、そして陰鬱(いんうつ)だった。
そう、もう一つの心配事はこの男のことだ。明らかに他のチンピラたちとは雰囲気が違う。そして『先生』という呼ばれ方――間違いない。ジョーの不安は的中したのだ。『大物の助っ人』とは、こいつのことなのだ。
「ジョーさん。『照合』しましょうか?」
エリーはロッドを構えながら、ささやいた。だが、相棒は剣を構えつつ首を振る。
「やめとけ。おそらく『列伝』にはこいつの情報はたいして載ってない。無駄に体力を消費するだけだ」
「……この人のこと、知っているんですか?」
「ああ、さっき気がついた。ギル・ランドック。『白紙のギル』って言ったら、ちっとは知れた名前だろ」
――!
ギル・ランドック。
凄腕の剣士で、傭兵で、闘士。
彼が武術大会に出場したところ対戦相手が次々に棄権してしまい、試合にならなかったことがあるという。そしてついたあだ名が『白紙のギル』
その実力は大陸でも五本の指に入り、傭兵たちの間では、知らない者がいないと言われるほどの恐ろしい男だ。
だけど――
「だけど、ギルは『悪人列伝』によると、確かランクD。賞金も一〇万ダカットに過ぎません。彼の評判はデマだったと、あたしたちは推測しています」
「データだけ頼っちゃ駄目だ。ギルは 元々ヤクザな連中の用心棒が本業でな。その世界じゃ有名だったんだ。抗争がらみの殺しだって、一〇〇や二〇〇じゃきかない。だけど、そんな情報を魔導師連中や評議会に報告するヤクザなんていないだろ。かくしてギルは、賞金の低い凄腕賞金首となったわけだ」
相手を睨み続けながら、ジョーが語りかけている。
「ほう。ワシのことを知っているとは光栄だな」
ニヤリと笑いながら、大男――ギルは言った。そして、ジョーの右肩に視線を移す。背中に差している魔道の剣の柄の部分が、そこにはあった。
柄にびっしりと刻み込まれたルーン文字。
マーガレットの店でニッキーたちが、そして今ローマンたちが何も感じなかったその剣の特異性に、ギルだけは気付いていた。
「ワシも、その剣には見覚えがあるぞ……」
ギルは静かに口を開いた。すでに視線はジョーの目の上に戻している。
「黒い柄に刻まれたルーン文字。恐らく、鞘にも、そして刀身にもルーンが刻み込まれているはず。魔道の剣だな。確か持ち主は……カール・ギリアンだったか」
ジョーは回天を構えたまま首を振った。
「そいつは親父だ。今は、俺が剣を受け継いでいる。俺の名前はジョー。ジョー・ギリアンだ」
「ほう、あやつは死んだのか? まあいい。名は覚えておいてやる――棺桶に刻むためにな」
そう言うと、ギルは右手で剣を構えたまま、左手を腰に伸ばした。その手に短剣を握り、脇に構える。
二刀流だ。
相当な力と技量を必要とする戦法であるが、ギルの巨大な体の前では、左手に持つ短剣などまるでナイフのように見える。
「で、せっかく受け継いだ魔道の剣を使わない理由はなんだ? 重すぎて使いこなせないということか?」
ギルは、くっくと嫌らしい笑い方をした。それでも背中の剣に触れることもなく、ジョーは答えた。
「いいや、逆さ。この剣の力を知らないわけじゃあないだろ? 人間相手には使うのはフェアじゃあない。ま、ハンディってやつだ」
ジョーはエリーをかばうようにして、摺り足で少しずつ前に進む。僅かに、だが確実にギルとの間合いが近づいていく。
一家の連中もじりじりとその包囲を狭めてきた。首領のローマンも剣を抜く。
だが、ギルはそれを制した。
「ローマンさん、あんたらは下がっていてくれ」
「……先生?」
「この小僧、なかなか腕が立つ。あんたらが側にいるとかえって邪魔になる」
怪訝そうな表情のローマンたちに、ギルは言い放った。
一家の者は、一瞬カチンとした顔をしたものの、ギルに睨まれると慌てて歩を下げた。包囲を広げ、ジョーとギルの対決のための場を空ける。
それを見てジョーが口を開いた。
「随分自信家だな。言っとくけど、俺は強いよ」
「……」
ギルは黙って一歩近づいた。もうほんの僅かで彼の間合いである。
だがジョーにはまだ相手は遠すぎた。体格差がありすぎる。リーチが違いすぎた。
ジョー自身、かなりの偉丈夫である。体の大きさで負けることなどほとんどなく、たまにあるとしても相手が肥満体の時くらいだ。
だが、今対峙している相手は全く違う。一八〇センチを越えるジョーよりも、頭二つ分も高いその身長。丸太のような腕。『白紙』の二つ名をもつほどの剣技――
体の大きさで遅れをとっている以上、技とスピードで上回るしかない。ジョーの表情から、余裕の部分が消えた。
「小僧、貴様先ほど、自分が強いなどと言っていたな」
唐突にギルが口を開いた。
「……それがどうした」
「ワシは、もっと強いぞ――」
言葉と同時にギルは間合いを一気に詰めて、右手に持った剣をふるいながら左手の短剣を鋭く突いてきて、それを見たエリーは、危ないと叫ぼうと思って
そう思う暇もなかった。
ギィイイイン……
鋼と鋼がぶつかり合う音が響いた。
切りかかってきたギルの剣を、ジョーがかろうじて防御していた。
「エリー、どいてろ!」
剣で相手を押し返しながら、ジョーが怒鳴った。そして相手を攻めこもうとして――
ギィン……ギィンギィイイイン……
再び剣同士がぶつかり合う。二度、三度、四度――そして五度、六度。
邪魔者扱いされたことをエリーは抗議しようとして――やめた。できなかった。そんな口を挟むような雰囲気ではなかった。
共に旅を続けて半年。エリーははじめて相棒の苦戦する姿を見た。ジョーとこれほど打ち合うことのできる者など、今までいなかった。誰一人として。
どの者も、一刀で切られるか、せいぜい一・二度剣を合わせただけで勝負は付いていたのだ。目に見えぬほどの早さで剣を振るう技量と、そして防がれてもその防御ごと切ることのできるパワー。
それがジョーの強さだった。
だが今は、そのジョーが押されている。
大陸でも一〇指に入ると言われた剣士は、五指に入るといわれる男を前に、今劣勢に立たされている。
剣技に対して素人のエリーには、その理由は分からなかった。彼女にしてみれば、ジョーの強さはケタ外れで、一対一の勝負で負けることなど想像もつかなかったのだ。
だが、今ジョーは苦戦していた。
その理由は、ジョー本人にとっては明確であった。
相手の方が、技量とスピードに長けていたのだ。体格で劣っている者が、技と速さでも劣る――そこから導き出された結果が、今のこの有様なのだ。
つまりはそれだけであったが、その差は大きかった。歴然だった。
鋼と鋼がぶつかり合う。ジョーの長剣と、ギルの持つ二本の剣は恐ろしい速さで宙を交差していた。だがそのうち二本は攻めている剣で、一本は防いでいる剣だ。
回天を振りかぶるより早くギルに剣を打ち込まれ、防戦一方となり、そしてたまの攻撃は全て剣で受けとめられる。
短剣で受けとめられて長剣をふるわれ、長剣で受けとめて短剣で突かれる。
二本の剣が、目で追うことができないほど速く襲いかかってきた。
「――ぐっ!」
肩が、ジョーの肩から血が吹いた。ギルの短剣の先端がジョーの右肩に埋まりこんでいる。
「ジョーさん!」
エリーが叫ぶ。だが彼女の方にも余裕はなかった。ローマンたちが剣を抜いたのが見えた。エリーを狙っていた。ギルとジョーが戦っている場から、いつの間にか彼女は数歩離れていた。戦う二人が移動したのか。いや、恐らくエリー自身の方だ。すぐそばで激しい戦いが行われていて、誰が隣になど立っていられるというのだ。
とにかく彼女は離れていた。僅か数歩。だが、それがローマンたちにとっては狙い目だった。
ローマンがエリーを指差していた。自分の方を向くこの無法者の人差し指を見て、エリーは何が起きようとしているか悟った。窓から差しこむ光を反射している剣の刃。その数は一〇もあり、そのすべてが今エリーを狙っていた。エリーはロッドを構えた。腕が重い。いつもと同じように動いてくれない。それでもエリーは呪文を――いや、間に合わない。もう敵は目の前だ。ロッドで剣を受けとめて、そして間合いを取って呪文を――いや、後ろには壁がある。下がれない。横には窓。そこから一度外に出て――ダメだ。その余裕もな
「危ねえ!」
ヴォン――
風が、風がエリーの髪を揺らした。三つ編みが一瞬宙を舞う。目の前には信じ難い光景が浮かんでいた。エリーを切りつけようとした部下がいた。そいつの両腕はなくなっていた。両の腕は肘から下が床に転がっていて、切りつけられた切断面からは一瞬遅れてから血が、血が馬鹿みたいな勢いで吹き出していた。
ジョーだ。ジョーが腰に下げたもう一つの剣、短剣『飛龍』でその敵を切ったのだ。切られたそいつは、痛みを急に思い出したかのように突然叫び声を上げて、床を転がっている。
痛え!痛ぇよ痛ぇええええぇぇえええぇええええええ!
血が飛び散る。床に溜まったそれは、残った敵たちの足を取り、戦意をそいだ。
ジョーさんが守ってくれた。エリーにとってそれは当たり前の出来事でもあった。半年間、幾度となく繰り返された行動。
だから、エリーの目の前に浮かんだ信じ難い光景とは、その先のことだ。
ジョーが倒れていた。いや、立ちあがった。すぐに立ちあがった。だけど胸を、胸を苦しそうに押さえている。血が、血が、血が左手で、押さえている左手を嘲笑うかのように、血が胸から流れ出していた。
「ジョーさん!」
そしてギルもまた負傷していた。左の腕には短剣は握られていない。鋭い切り傷が、腕に刻まれている。
だが、それだけだ。傷があるだけだ。
苦しそうな表情をしているのはジョーだけだ。ギルは多少顔を歪めているが、それだけだった。ジョーは胸を押さえつつもまだ右手一本で剣を構えていた。ギルもまた右手一本で剣を持つ。そのまま様子をうかがっているのは、こっちの想像よりもギルの傷が深いからであろうか。だが、壁を背に、ようやく立っているだけに見えるジョーが不利なのは間違いない。そして不利とは即、死だ。死ぬのだ。床に転がる、彼が殺めた、名もなき敵たちのように。
気力はまだ死んではいない。ジョーは相手を睨みつけている。だがその息は荒く、肩は震え、右手一本で構えている剣先はふらふらとして定まらない。
一体何が起きたのか。エリーには分からなかった。見ていなかった。だが、想像はできる。そして断言もできる。ジョーはエリーをかばうために、彼女に襲いかかってきた部下を切った。そしてその隙にギルに切られたのだ。間違いない。どういう攻防があったのかは分からない。ギルの傷もいつできたのか分からない。切られた時に、相打ちの形でギルを切りつけたのか。それとももっと前のものなのか。それは分からない。
だけどこれだけは言える――エリーの頭は必死で動いていた。
自分をかばって、ジョーさんは怪我をしたのだ。傷を負ったのだ。それも致命的な。一刻も早く、一秒でも早く、何とかしなくきゃならない。この状況をどうにかしなくきゃ、死んでしまう。ギルは息を整えている。ジョーさんはまだ足がふらついている。そしてローマンは剣を構え、部下たちも近づいてくる。どうにかしなくきゃ。どうにかしなくきゃ死んでしまう。自分が死ぬのも嫌。自分のためにジョーが死ぬのも嫌だ。やっぱり、あたしは邪魔だった。足手まといだったんだ。やっぱり外で待っていればよかった。ジョーさんの言う通り、外で。
ううん、違う。そうじゃない。それじゃダメなんだ。それは逃げているだけなんだ。あたしは戦える。だから戦う。そして絶対、絶対評議会に認めさせる。あたしの実力を。だからそれまであたしは死なない。ジョーさんも死なせない。だからこの場をなんとかする。なんとかする。
何とかしなければならないんだ。
何とかって何をすればいいの?
あたしにできるのは魔法だけだ。呪文を唱えることしかできない。何を? 何を唱えるのよ? 『火球』はダメだ、もう二度使った。あの呪文を使う体力は残ってない。『睡眠』もダメ。苦手だし、効果が現われるまで時間がかかる。『大照明』――ダメだ。ジョーさんの視界までふさいでしまう。じゃあ何? 何を使えばいいの?
「この後に及んでも、背中の剣を抜かないとは見上げた根性だ」
ギルの言葉が死刑執行人のそれように、部屋に響いた。
「怪我して動けないフリをして、こっちが油断したところで魔道の剣を使う――それを警戒していたのだが……どうやら違うようだな。それならケリをつけさせてもらうぞ」
もう時間がなかった。ギルの動きにも、ジョーは反応できていなかった。彼はただ、胸を押さえて苦しげな声を出しているだけだった。もうダメだ。エリーの心の中に絶望の二文字が浮かんだ。いや、絶体絶命か。とにかく危機的状況だった。ギルを攻撃するのも、ローマンを攻撃するのも間に合わない。もう間に合わない。それでもエリーの体は反応した。半ば無意識のうちに、彼女の口は彼女のものでない言葉を紡ぎ出した。
『ワー・バリュー・ケラス』
呪文。ルーン言語、神の言葉。
言葉と同時に、不可思議な力が、エリーに集まり出した。
呪文が耳に入り、ギルは一瞬警戒した。魔法に対するある程度の知識はある。だが、今の呪文の効力が分かるほどではない。素早く数歩下がり、軽くつま先で立ち、不測の事態に対応できる姿勢を取る。
エリーの掌から、淡い緑色の光が出ていた。穏やかなその光は、血の海と化したこの部屋の中にはあまりにそぐわなく、そしてそれ故にギルの反応を遅らせた。ローマンも動けなかった。部下たちと共に、この光景をバカみたいにただ見ていた。
エリーは、自分の両手に生じた緑色の光を、ジョーの体に近づけた。彼の胸に近づけた。胸の傷口に近づけていった。淡い光は、ジョーの胸を覆い、傷を隠し、そして――
「傷が……ふさがった?」
ギルは呟いた。そしてそう呟きながらも、まだ反応できないでいた。ジョーの体から吹き出していた血が止まり、傷がふさがり、苦痛の表情が消えても、そして剣を両手で力強く構える姿を網膜が捉えても、まだ反応できないでいた。動けないでいた。それほどの衝撃だった。
今エリーが使ったのは、明らかに治癒の呪文だ。ギルの停止した脳にもそれは分かった。だが彼の知る限り、治癒系の呪文はかなり高度な部類に入るはず。エリーの着ているローブに視線を移す。ゆったりとしたその胸の部分には、出来の悪いバナナのような三日月型の刺繍。間違いない、『三日月の魔導師』だ。魔導師の中で最低ランク、魔道学校を卒業したばかりで実戦経験が不足している頭でっかちの小娘だ。評議会に選ばれるくらいだ。成績の方はさぞ優秀だったのだろう。だが、所詮机上の知識。治癒の呪文を使えるなんて、そんなバカなことがあるはずがない――
なまじ魔法に対する知識があったのが災いした。ギルが状況を把握したのは、同じように呆然としていたローマンたちよりもさらに遅かった。すでにジョーは剣を構えて、両手で構えて、そしてこっちに向かって来ていた。そして剣を振り上げ――
「先生!」
ローマンが叫ぶ。その言葉がギルの鼓膜を振動させる。ギルの意識が現実に戻った時、ジョーの体は彼から数歩も離れていない状態だった。剣の一振りで届く距離。そしてジョーはもう剣を振りかぶっている。「チッ――」
悪態をつく。まだその余裕はあった。ジョーの体はすぐ目の前に、剣は顔のすぐ側にある。だがまだギルにとっては致命的なタイミングではなかった。まだ間に合った。
素早く、ほんのコンマ数秒の間に、体勢を変える。その巨体からは信じられないようなスピードで体重移動し、横に動き、ジョーの剣をかわし、そして攻撃に転じる。
一撃――ギィイイイィイン
鋼と鋼がぶつかり合う。「ぐっ」という苦痛の声は、ジョーの口から漏れたものだ。未だ傷がふさがっているわけではないのか。スピードも、力も、まだギルの方が優勢である。
ジョーの体が、剣圧に押され僅かによろめく。そしてそれはギルにとっては十分過ぎる隙であった。右手に持つ長剣を構え直し、必殺の一撃をジョーの胸に向かって一気に打ち下ろ
窓の外で、何かが動いた。
エリーが、いざという時にはそこから脱出しようと思っていた窓。その大きなガラスの向こうで、確かに何かが動いていた。
だが、そこには何も写ってはいなかった。木と、山道と、草。それ以外には何もなかった。だから誰も窓の外の異変に気付かなかった。ローマンも、他のグラアル一家の者も。エリーも、誰も。誰も。
窓の外に生じた僅かな気配。それに気付くことが出来たのは、達人ギルだけだった。彼と同じくらい優れた剣士であり、尋常ならざる勘を持つジョーも、自身の体の態勢を整えるのに必死で、他のことに気を配る余裕などなかった。
だから窓の外にいる『何か』――あるいは『誰か』――の存在に気付くことができたのはギルだけだった。
その勘の鋭さゆえに、ギルはそちらに注意を向けることが出来た。そしてそれは逆に、彼を最悪な状況へと導くことになった。
視線をジョーの方に戻した時はもう遅かった。剣は信じ難いスピードで彼の体に近づいており、もう防御することも避ける余裕もなかった。ジョーの愛刀『回天』は、正確にギルの体を切り裂いた。
致命傷だった。
第六話『殺戮終了』
「せ、先生!」
ローマンが叫ぶ。部下たちが慌てている。
ギルは倒れていた。自らの血が溜まってできたその場所に、うつぶせになって倒れていた。口からは苦しげな声が漏れている。まだ息はしている。だがもう立つこともできないだろう。少なくともしばらくの間は。
勝った。勝ったのだ。
エリーは安堵すると同時に、今起きた奇蹟に感謝した。体の中に突如流れた、自分のキャパシティを遥かに超える魔力。そして未知の呪文の知識。治療の呪文を唱えることのできた理由が分からない。奇蹟としか言いようがない。仲間を救いたいという気持ちが、奇蹟を生んだのだ。魔導師にとって、このような現象はごくまれではあるが、起き得ることでもある。象牙の塔の教官がそう言っていたのを思い出す。
とにかく助かった。勝ったのだ。
助っ人『白紙のギル』は力尽き、残ったのはローマン以下一〇人に満たない一家の連中ばかり。そしてジョーの傷は回復している。
間違いない。勝ったのだ。
エリーは、そしてローマンの方を見た。シャラルや彼女の友達を無理矢理さらって来て、無理矢理嫌がることをやらせ、薬漬けにし、そして四人も殺した非常な男。トレドシティで好き放題暴れ、麻薬の密売をする無法者たちの首領。その男は今、怯えていた。部下たちの陰に隠れ、喚き散らしている。
何やってんだお前ら!――行け、早く行け。あいつらを殺っちまうんだ。早く、早くやれ!
だが、誰もその言葉に反応していない。呼吸を整えたジョーが一睨みすると、向かってくるどころか逆に下がっていく有様だ。
勝負はついた。グラアル一家にもはや戦意はない。その様子は哀れですらある。
(でもダメ。絶対許さない。罪を償ってもらいますよ)
どうやって捕縛しようか考えていた時、いきなりガラスの割れる音が聞こえてきた。
ガチャガチャーーーン
全員が、音のする方向を見た。窓が割れていた。
(――!?)
全員何が起きたか分からなかった。窓は割れた。だが、誰も、何もいない。石でも投げられたのだろうか。それとも他の何か? だがそれらしきものはない。
音を出したモノの正体に、最初に気付いたのはエリーだった。声が聞こえてきたのだ。
「エリー、ジョー! 大丈夫?」
何もない空間に、声だけが響く。誰の姿も見えず、聞いたことのある声が聞こえてくる。ならば答えは一つしかない。
「シャラル……さん?」
エリーの問いに、またも空間から返事がある。
「そう。そうよ。危なかったわねさっき。熊みたいな奴に教われそうになってさ。やっぱりアタシがいなきゃダメねぇ」
そうしてケラケラとシャラルは笑い出した。
一緒に行動し始めて、まだ数時間しか経っていない。だが今、数十分ぶりに聞く彼女のその笑い方は、エリーにとって久しく聞いていないような気がしたし――意外なことに――心地のいいものであった。
そして神は、先ほどの治癒の呪文をエリーに授けてくれたように、またも粋な計らいをしてくれたらしい。
『隠者』の効力がちょうど切れたのだ。シャラルの、その一五歳のものとは思えない成熟した肢体が姿を現す。
ジョーは一家の連中に向かって回天を構えながら、口を開いた。
「よう、遅かったなシャラル」
「ふふん。ジョー、あんた危ないところだったでしょ」
それを聞いてジョーは苦笑した。
「はは。ギルの奴がいきなりよそ見してるからおかしいとは思ったんだよな。シャラル、お前のおかげだよ」
そしてローマンたちの方を睨みながら口を開いた。
「さぁて、お前らの頼みの先生はごらんの通りだ。お前らに残された道は二つ。大人しくお縄につくか、それともこの場であの世行きか。さあ選べ」
ブン
威嚇のために、手にした回天を思い切り振る。剣圧が周囲を支配した。
グラアル一家の者達は哀れなまでに怯えていた。ギルの敗北に、シャラルの突然の登場に、そしてジョーの言葉に。
ローマンとギルが入ってきた扉からは、新たな加勢が来る様子はない。山道の途中には見張りが何人かいるだろうが、とにかく小屋にいるのはこれで全てのようだ。ローマンたちの怯えた様子は、もう切り札が残っていないことを示している。後は、シャラルの友達たちをゆっくりと助け出すだけだ。
勝ったのだ。エリーは再び繰り返した。あたしたちは、勝ったのだ。
ローマンの隣にいた男が、おずおずと前に出てきた。戦おうという様子ではない。両手を上げ、武器を床に投げ捨てる。
「こ、降参だ……大人しくする。い、命だけは助けてくれ……」
それが合図であった。最初の一人が降伏すれば、あとはもう雪崩式だ。ひとり、またひとり――そして首領のローマンも頭を垂れ、許しを請い、そして小屋に置いてあったロープに縛られた。
「よぉし。これで全員だな」
ジョーが満足そうに眺めた。さきほどまで威勢のよかった男たちが、今はロープに巻かれしゅんとしている。一人一人が縄で手首を縛られ、そして隣同士の者が腰でつながれている。即席で縛った割にはいい出来だった。
「よし、シャラル。お前、奥に行って友達を連れて来い」
「うん、分かった」
ようやくもう一つの目的にも着手することが出来た。シャラルは嬉々として廊下へとつながる扉に向か
物凄い音がした。
それがガラスの砕け散る音だと気付いた時には、一家の一人が壁際までその体を吹き飛ばされていた。
そして遅れて聞こえてくる、ドゴッォオオオオォオオンという重低音。さきほどのシャラルの登場時の比ではない。
何かが。何かが起きていた。それも何の前触れもなく。
「伏せろ!」
ジョーの叫び。それを聞くまでもなく、エリーもシャラルもローマンもその部下も身を床に這いつくばらせていた。
(何? 何が起きたの? 一体何なの?)
エリーのその疑問に答える者はいない。
突如、窓ガラスがこなごなに砕け散り、そしてその側にいた一家の一人の体が吹き飛ばされて――
「おい、ガンビーノ! ガンビーノ!」
ローマンが、倒れた仲間に叫んでいる。いや、元仲間と言うべきだろうか。とにかくその男、ガンビーノは絶命していた。何が起きたのか分からない。確かなのは、顔の上半分がなくなっているということだけだ。口から上の部分が叩き潰されたようになっていて、そして舌が馬鹿みたいに長く伸びている。
窓の外に、誰かがいる。一秒の思考後、出した結論がそれだった。エリーは窓から顔を出そうとして
「バカ! 伏せろ!」
ガガガァアアァン! ドゴゴォォオオオン!
再び重低音が響いてきた。今度は二つ。そして同時に、
「がはっ!」
「――ぐっ! いてぇ!痛ぇえええええ!」
エリーの目の前に、ローマンの体が転がってきた。悲鳴を上げている。
「きゃ……」
ドサっ。
少し遅れて、何かが落ちてきた。
それがローマンの右腕だと分かって、エリーは絶叫した。
「キャ、キャアアアアァァァアアアアアアアアアア!!」
口を押さながら、できの悪いバネ仕掛けの人形のように跳ね起きた。そしてそのまま部屋をめちゃくちゃに走りまわる。窓の外から見れば、彼女の小柄な体は半分も見ることができたであろう。
「落ちつけ! エリー、伏せろ、伏せるんだ!」
ジョーは必死で叫び、そしてその体ごとエリーにぶつけた。二人は一緒になって床に転がる。血だらけの床に。
ガガッガアアアッァアアン!! ドドゴゴゴォオオオン!!
再び音。気のせいでないならば、大きくなっている。近づいている。何かが。
そしてその何かとは――
「人だ。人がいる」
割れた窓から、少し顔を出したジョーがそう言った。
「ひ、人……ですか?」
エリーも徐々に落ちつきを取り戻してきたようだ。まだ多少の震えはあるようだが、言葉はしっかりしている。
肩の上に、ジョーの手が乗せられた。大きくて、暖かい手だった。気持ちが楽になる。
「だ、誰が……な、何人くらい、いるんですか?」
「三〇……いや、もっといるな。しかもあの服装――」忌々しげに、「警備管理局の連中だ。……街の奴らもいるな。すっかり囲まれているぜ」
「え?」
エリーは思わず反応してしまう。無意識のうちに、窓から顔を出し――そして慌てて首を引っ込めた。
外を見たのは一瞬だけだ。だが、その一瞬で分かったこともあった。
数十人の人間が小屋の周りを囲んでいて、そしてそのうちの半分くらいは鉄の筒のような者を持っていた。
「あの筒――エリー、お前も見たか?」
「はい。……あれは?」
なんだったろう。見たことがある気がする。確か、そう、異国の兵器についての授業の時だ。そうだ、あれは武器だ。武器だった。名前は――
「ヒナワだ。俺もまだ三回ほどしか実物を見たことはないんだが……間違いない」
ジョーの右手が目の前にある。その手の上には、親指大ほどの丸い形をした鉄だか鉛だかの塊が置かれていた。赤い色がついているのは、血だろうか。
「さっきいきなり壁に吹き飛んだ奴いるだろ」
ジョーが、顎で示しながら言う。ガンビーノという名だった肉の塊がそこにはあった。
「そいつの体の近くに、この鉄の塊があった。あの男はこの塊が当って、吹き飛ばされたんだ。人の力で鉄を投げたところでこうはならない。そこで外の連中が持ってるあの筒だ。あれを使ったんだ。間違いない、あれはヒナワだ」
ヒナワ――ようやく思い出した。鉄でつくった筒に小さな鉄や鉛の塊を込めて、火薬を内部で爆発させて、その勢いで塊を物凄い速度で飛ばす兵器だ。その威力は見ての通り。五年前に、異国の職人によって、我が大陸に製造法が伝わってきたものの、危険過ぎるという理由で、戦争終結と同時に使用禁止、廃棄処分になったという代物である。
今では王族や、一部の上級貴族の護身用に僅かな数が残るだけで、その実物を見る機会のある者はほとんどいない……はずだ。
「何で、何でこんな辺境の街の人たちが、ヒナワなんて持っているんですか。しかも……こんなにたくさん」
エリーのその言葉通り、ざっと見ただけでも一〇丁以上はあるだろう。外を見れたのはほんの一瞬だし、それに一方向だけだ。実際にはその数倍あるかもしれない。
だけど、何故? 何故それほどの数を――いや、そもそも何故存在しているのだ? 廃棄処分されたはずのヒナワが。
エリーは疑問に思っていたが、ジョーは逆に納得していた。
「なるほどな。これで全部分かったよ」
「え?」
「警備管理局の連中が、評議会への報告をサボってた理由さ。あいつら、戦争起こすつもりだったんだ。領主が気に食わないのか、国王を嫌っているのか知らないけどよ。それでヒナワを集め出したってわけだ。当然、評議会への報告は当り障りのないものになる。グラアル一家がやって来た時もそれで言えなかったんだ。人員を派遣されたりしたら、自分たちがまずい立場になるからな」
「せ、戦争? そんな、だってそんなこと――」
「法律で禁止されている武器を、あれほどの数集める理由が他にあるか? しかも管理局自らが。コレクターの集団がいるわけでもないだろ」
「で、でも、ヒナワって凄い高いって聞きましたよ。それに今では売っていないはずです。集めれるわけがありません」
「エリー、どこにでも抜け道ってのはあるものさ。元々ヒナワ自体はあったんだ。廃棄処分を免れた物を探すことは可能だ。問題は資金だよ。昔ですら一丁五00万はしたはずだ。今では最低その数倍はするだろう。そんな資金、地方都市であるこのトレドシティにあるはずがない――普通ならな」
「でも、じゃあ何で?」
そこまで言って、言葉は止まった。
寒気がした。不意に、パズルのピースが、欠けていたピースがぴたりとはまる。
「――この街には資金源があったんだ。麻薬さ。あの畑にあったカシとロドの葉。あれを植えたのは、グラアル一家じゃない。街の連中だったんだ。あれは、ヒナワを手に入れるために育てられていたんだよ」
「そ、そんな――」
そんなバカな。警備管理局といったら、所属が異なるだけで、その役割は自分たちと変わりはしない。国内の治安維持をする自分たちと、街の平和維持をする彼ら。何の違いがあるというのだ。
だが今、片や武器を持って無防備な相手を攻撃し、そしてもう片方は無防備なまま攻撃に晒されている。
戦争を起こすため? そんなバカな。
エリーは、ローマンの方を見た。このグラアル一家の首領の言葉を求めていた。今ジョーが言った仮定が全て間違っていると、彼の口から聞きたかった。
だがローマンはすでに事切れていた。ヒナワに撃たれて千切られた右腕を、左の手で押さえていた。そのままの格好で死んでいた。体からは、まだ生暖かい血が流れている。
代わりに答える者がいた。ギルである。
「たいした……推理だな。当りだよ」
胸を押さえ、肩で息をしながらギルは言った。
「何だ、まだ生きてたのか」
「ふ。ご挨拶……だな。それより補足が……ある。二ヶ月……前に、」
「あんたの話を聞いていたら、日が暮れちまう」ジョーはギルの言葉を遮った。「二ヶ月ほど前、この街で麻薬が生産されていることに気付いたグラアル一家は、一〇〇キロ旅してわざわざここまでやって来た。あんたがいつ雇われたのかは知らないが、管理局相手に随分派手な立ち回りを見せたんだろうな。連中は手を出せなくなっちまった。この小屋も管理局の持ち物だったんだろう? ヒナワを使えばケリがついたかもしれないが、万一領主か評議会にでも知られたらまずいことになる。かくして、トレドシティのコーク産業はグラアル一家の手に渡ったわけだ。コークを買う側からしてみれば、売る相手が誰であろうと良質のブツを提供してくれれば関係ない。そして資金は潤い、街でもやりたい放題。一家は隆盛の一路をたどることになった――」
「そう……だ。だが、お前たちが……現われた」
「その通り。管理局の連中は焦っただろうな。ばれるのは時間の問題だ。もう腹をくくるしかない。いや、むしろいい機会だ。すでに武器はたっぷりと溜まっている。今こそ決起の時だ。おまけに、『ボーダー』の二人は、まだ自分たちのやっていることに気付いている様子はない。ならば二人を利用して、グラアル一家を潰してしまおう。そしてコークを取り戻そう。そう考えた」
「ええっ」
エリーが叫び声を上げた。
「じゃ、じゃあ、じゃあマーガレットさんがあたしたちに依頼をしてきたって事は……」
「ああ。彼女もお仲間だ」ジョーは忌々しげに言った。「さっき姿が見えた。他にも街で見かけた奴が何人かいる。ったく、女は怖いねぇ。そして俺たちがこの小屋に入り戦闘が始まり、互いに満身創痍になったところで一気に攻め込む――そんなところか」
ドゴォオオオン!! ガガッァアアアアァアン!!
ジョーの話の間にも、何回も、何回もヒナワを撃つ音が聞こえてきた。最初よりも、ずっと大きく聞こえる。小屋の壁、木でできた壁にも、穴が開き始めた。ジョーは更に体を低くする。
「さっき畑の側で見張りと戦った時、後ろに気配がするって言ったろ――今思うと、あれはあいつらだったんだ。おそらく小屋の中での戦いも、そこの窓から見てたんだろう。『遠視』を使ってな」
エリーの脳裏に、警備管理局にいた通信科主任補佐の魔導師リーズの姿が浮かぶ。間抜けな二人組が小屋の中に入ったことを確認した彼は、おもむろに『遠視』の呪文を唱える。さんざん自分たちを苦しめてきた巨漢の傭兵ギルがやられたのを見た時には、歓声を上げたかもしれない。そして恐らくは隣にいるであろう管理局主任に結果を報告し、主任は部下たちに攻撃の準備をさせ――
ゴォオオオオン!! ドゴゴオオオオォォオオン!!
爆音がすぐ近くで響き、エリーは現実に引き戻された。聞こえてきた音はそれだけではなかった。事態は劇的に進行した。速やかに、そして冷徹に。
入り口が、エリーたちが入って来たその扉が、今乱暴に開けられた。
――!
チェインメイルでフルメタルジャケット。胸に輝くスリーポインテッドスター。大陸共通、警備管理局現場部隊の制服を着た人間がずかずかと部屋に入って来た。その半数はヒナワを持っている。一人がこっちを見るなりいきなりぶっ放してきた。
ドゴォオオオン!!
耳をつんざく大音響。鼓膜がリミッターぎりぎりまで震える。弾の狙いが外れたのは相手の腕が悪かったのか、それとも偶然か。ともかくエリーもジョーもまだ生きてい
「シャラルさん!」
安堵の後に待っていたのは最悪の事態だった。少し離れた場所でシャラルが倒れている。弾を避けるために床にはいつくばっているのか? そう思いたかった。でも違う。床を染める血の流れがそれを否定していた。
「い、いた……い」
か細い声が聞こえてくる。まだ生きている。まだ。もう考えている余裕はなかった。ヒナワの筒は、再び彼女を狙っている。もう考えている余裕はなかった。
エリーは動いた。シャラルに向かって動いた。
だがそれは的を増やしただけだった。爆音が二つ響いた。
ドゴォオオオオオオオン!! ゴオオオォオオォオン!!
「きゃあああああぁぁああぁあ!」
「エ、エリー! シャラル!」
部屋の中に、煙と悲鳴と爆音と悲鳴と血の匂いと火薬の匂いと悲鳴が広がった。
――気が遠くなった。
それでもエリーは意識を保っていた。足が、右足が焼けつくように痛い。痛みが、彼女の意識を飛ばすことを拒んでいた。
体が動かない。痛みで頭がおかしくなりそうだ。痛覚が肥大化し、それに反比例するかのように視覚も味覚も嗅覚もほとんど失われている。かろうじて生きている触覚はジョーの手のひらを頭の上に感じ、そして聴覚は彼の声を、どうにか脳へと伝達していた。
「エリー、大丈夫だ。弾は足首をかすっただけだ。骨はやられていない。すぐに治る」
ジョーはそう言っていた。頭を優しく撫でながらそう言ってくれた。
「しゃら、しゃらる……さんは?」
「彼女も――大丈夫だ。肩をやられたけど、命に別状はない」
「そ……う。よかっ……」
「エリー。もう喋るな」
「じょ、じょーさ……ん」
「もう、喋るな」
「めが、めがね……とってくださ、めがね……。みえない。みえないです……よ」
「エリー……」
「わたし、みえないけど。みること、できないけど。かって。ぜったい……」
「……」
「かって……ください、よ」
エリーには、自分の言葉もほとんど聞こえていなかった。鼓膜の振動が、まともに脳へと送られてこない。だから彼女の耳に届いた『カラン』という、金属か何かが落ちたような音は、聞き間違いなのかもしれない。
その音は、この半年の間に二度しか聞いたことのない音だった。だから多分聞き間違いなのだ。あれがあの音だとしたら、それはジョーの背中に下げた剣の鞘(さや)が床に落ちた音だ。もしそうならば、ジョーは今、背中に下げた剣を、魔道の剣を、抜いたことになる。でも、あの剣は人間相手には使わないって言っていた。だから聞き間違いに決まっている。そうに決まってる。
……!! …………!!
何やらくぐもった音が聞こえる。それがヒナワの発射音だということは、もうエリーには分からなかった。
二度、三度、四度……何度も聞こえてくる。何度も聞こえてきた。何度も何度も何度も何度も。
……!! …………!!
爆音と火薬の匂いの中心に、ジョーはいた。二人の少女を守りながら。
リーズ・ウイリアムは真面目な男だった。若くして象牙の塔を卒業し、すぐに地元の管理局の通信科へと配属された。二〇年に及ぶの勤続。昇給試験に合格し、四〇歳にして『半月の魔導師』を名乗ることを許された彼は、その後各地へ転勤しているうちに、彼は神の啓示を受けることになる。
ある朝、いつものように呪文書の勉強にいそしんでいた彼は、確かにそれを聞いた。それは、戦争に苦しみ、領主の圧制に苦しむ民を救えという声であった。
トレドシティ警備管理局で働き始めて半年後のことだ。そしてその日からリーズは行動を始めた。
最初の一年はただ時間を浪費して終わった。隣国と戦争中だったこともあり、彼自身生き延びることで必死だったのだ。気持ちに余裕ができたのは平和条約が締結されてからであった。トレドシティを含むこの周辺を治める領主は横暴な男だった。戦争中に失った自らの財産を増やすことしか考えていなかった。民あってこその領土。それをリーズは幾度となく説明しようと試みたが、彼の身分では領主と会うこともままならなかった。
――あの男を、倒すしかない。それしか民を救う道はない。神から受けた使命を全うする方法は、他にない。
リーズがそう考え始めたのは、戦争終結から二年後。今から一年ほど前のことである。
日頃から中央に対する不満を募らせていた管理局の同胞たちや、一部の街の有力者たちを説得するのに時間はかからなかった。だが、所詮は一地方都市。その人数には限りがある。戦いに勝利するためには武器を揃えるしかない。それも極めて強力な。
ヒナワを裏で取引する闇業者の存在は知っていた。そしてその為の資金を集めるのには、彼の知識が役に立った。麻薬である。
最寄の山が、その栽培に最適の気候と土壌の条件をそろえていたことは幸運だった。資金はみるみる増加していったが、ヒナワは極めて高価である。金はいくらあっても足りなかった。そしてカシとロドを栽培するための畑は雪達磨式に広くなっていった。
全ては順調であった。
計画が狂い始めたのは二ヶ月前からだ。派手に活動しすぎたらしい。グラアル一家を名乗る無法者が、この偉大なる神の指令を妨げ始めた。そしてそれに手を焼いていたら、ついに最悪の事態が起きた。
評議会直属の使者、『ボーダー』が街にやって来たのだ。
管理局の者は慌てた。ついにばれたのだ。もう駄目だ。麻薬の密売だけならまだしも、クーデターの計画が露見したとなると極刑は免れない。家族親類にも被害は及ぶだろう。
だがリーズの考えは違っていた。これこそが、これこそが神の与えたもうた機会なのだ。今こそ蜂起の時がきたのだ。
彼の考えは当った。グラアル一家と『ボーダー』は相打ちとなり、そのメンバーは全滅に近い状態となった。あと残るは数人。そのうちの一人が目の前にいる『ボーダー』の剣士である。この男さえ始末すれば緒戦は我々の勝利となる。そう、偉大なる最初の一歩が記されるのだ。
この時すでに――いや、とうの昔に――彼の目的と手段は入れ替わっていたが、ついに最後まで彼は気付くことができなかった。
その剣士、ジョー・ギリアンとかいう若造は、ヒナワによる攻撃を受けて尚、平然とその場に立っていた。爆煙の中、剣士の皮肉めいた表情と、その手に持つ黒い大剣だけがやけに目立って見えた。
「――ジョー・ギリアン……だったな。貴様、どんな手妻を使ったというのだ?」
どこかで聞いたことのあるような声が、まだかろうじて機能しているエリーの耳に入ってきた。それは警備管理局主任のものであったのだが、エリーはもう顔も名前も頭に浮かんでこない。その男の顔には今、驚愕の一文字で埋め尽されている。
「ヒナワの弾を、一〇発も至近距離で受けて……一発も当らないとは! 貴様、何者だ! 何をしたのだ!」
「……主任、落ちついてください。この者、魔道の剣を持っています。刀身に彫られたルーン文字。おそらく物理攻撃に対する呪紋処理かと」
この声は覚えている。通信科主任補佐、『半月の魔導師』リーズだ。でもおかしなことを言っている。話を聞くと、ジョーさんが背中の剣を抜いたみたいだ。そんなはずはないはずだ。
「それにしても驚きましたな。いかに呪紋処理が施されているとはいえ、ヒナワから出る弾の速度は、剣や弓などとは桁が違う。あれだけ撃たれても無傷とは……」
「驚いたかい、お兄さん。確か……リーズだったか」
皮肉めいた。それでいて……なんだろう。ジョーさんだ。ジョーさんの声だ。
「だけどな、本当に驚くのはこれからだ。よくもまあ俺の大事な――を傷つけてくれたもんだ」
――え?
「この剣はな、この剣は人間相手には使わないことにしてるんだ。ハンディってやつだ。だがな、お前らには容赦はしない。お祈りでもするんだな。肉の一片も残しはしないぜ」
気が、闘気が周囲に集まってくるのが、エリーにも感じられた。
ジョーさんが、剣を構えたんだ。ぼんやりとそう感じていた。
「何をしてる! 相手は一人だ! かかれ! かかれぇ!」
誰かが叫んでいた。誰も動けないでいた。
「無駄だ。お前らは今から死ぬ。言っとくけど――俺は強いぜ」
エリーの意識はそこで途絶えた。
夢を見ていた。
ふわふわと空を飛んでいる夢だった。
最初、エリーは夢の続きかと思っていた。彼女の体は宙に浮いていた。自分の足以外の手段で移動していた。
彼女は、ジョーの背中の上にいた。
「おう。目が覚めたか?」
相棒の声が聞こえてきた。
「ジョー……さん? え?」
意識がはっきりしてくるにつれ、状況が分かってきた。エリーはジョーにおんぶされていたのだ。普段魔道の剣を下げている鞘はそこにはなく、その広い背中は彼女の小さな体が占領していた。
ジョーの腰に下げられた三本の剣と一本のロッドが、ガチャガチャと音を立てていた。
視界がぼやけている。メガネがなくなっていた。ヒナワで撃たれた時に割れたことを思い出した。髪はすすだらけだ。
「どうなったん……ですか?」
エリーはぼんやりと訊ねた。グラアル一家の小屋での戦い。そしてその後の、戦いとは言えない戦い。そこまでは覚えている。
ジョーは短く答えた。
「終わったよ」一言だけだった。
終わった――そういうことらしい。
聞きたいことは山ほどあった。管理局の人間はどうなったのか。そしてこれからどう処理するのか。あの場にいなかった、だけどこの事に関わっている人たちの処分は? マーガレットはどうなったのか。評議会にはどう報告するのか――
エリーの口から出てきたのは、それとは全然別のことだった。
「ジョーさん……約束、破ったでしょう?」
「あん?」
「あの剣、使いましたよね。約束違反ですよ」
エリーの声には、意地悪が多量に含まれていた。
「――げ。お、お前、起きてたのかよ?」
ジョーがうろたえながら後ろを見た。視線が合う。頬が赤く見えるのは、日が傾いているからだろうか。
「しょ、しょうがないだろ。あいつらあんな武器使ってきたんだし――」
「ダメですよ。約束は約束です。一つ命令を聞いてもらいますよ」
エリーはジョーの目を見ながら、くすくすと笑った。
「ちぇ。何だよ、何をすればいいんだよ」
ジョーは再び前を向くと、ふてくされたようにそう言った。
「そうですね……もう少し、もう少しこのまま――」
「あん?」
「あ。え、ええと。メガネ、メガネを買ってください。前の、壊れちゃったし」
「メガネ? そんなのでいいのか?」
「あ、でも、安いのはダメです。レイチェルの新作のやつですよ」
「って、お前。それ一〇万くらいするじゃねぇかよ……とほほだよ」
エリーはまたくすくすと笑い、そしてジョーの背中に顔をうずめた。いつも剣しか乗せていないその背中に。
あたたかかった。
「あーーーーーーーっ! ちょっと、エリー。あんたいつまでいちゃついてるのよ!」
不意に聞こえてきた大声に、エリーは滑稽なほど激しく反応した。
「え? あ、え? シャ、シャラルさん?」
「シャラルさんじゃないっての。あたしだってね、肩怪我してるんですから。ほら、代わりなさいよー。ジョーだってね、アタシをおぶりたいに決まってるんだから」
見ると、シャラルとその友達であろう、一〇人ほどの少女が後ろを歩いているではないか。皆疲れて、そして汚れて、傷ついている。だけどその表情は今一つだ。すなわち――
笑っていたのだ。前を歩く三人の漫才を見て。
「ね、ジョーだってアタシの方がいいでしょ? ほら、代わりなさいって」
「だ、ダメです。ダメです。さっきの命令、変更です。このままあたしをおんぶすること」
「なぁによ。色気づいちゃってさ。ガキの癖に」
「あ、足が痛いからです。べ、別に色気づいてなんて――」
「痛い、痛いって。髪の毛、髪の毛引っ張るなよ。おい、聞いてる? だあぁ、痛いって!」
一行は、傾きつつある太陽を背に歩いていった。長かった一日が終わろうとしていた。
暗い部屋。
窓もなく、光もないその小部屋に、一人の人間がいた。ローブのフードに覆われてその表情はほとんど見えない。微かに覗くその顔には、無数の皺(しわ)が刻まれていた。
それは老人だった。
手にした人の頭ほどの大きさの水晶を、今じっと見ている。
ふと、顔を上げた。さきほどまで無人だったその空間に、若い男が現われていた。
「……キースくんか。何用だね?」
老人は口を開いた。年老いた男の声だった。
「議長、間もなく会議の時間です。お迎えに上がりました」
キースと呼ばれた若い男は、そう言って一礼した。彼もまた、全身を黒いローブで覆っていた。
「おお、もうそんな時間か。分かった、今準備する」
そういいつつも、老人は再び水晶に目を向ける。そこには少女を背負う若い剣士が映し出されていた。
「――例の件、うまくいったのですか?」
キースは静かに口を開いた。老人は頷いた。
「うむ。途中手を貸す羽目になったが、まあ上出来だ。トレドシティは今回の責任をとって、評議会の直轄領となるだろう。――その豊富な資金源はそのままにな」
「全ては議長のシナリオ通り……ですね」
「我が意は、大陸の意。全てはこの地の平和のための布石だよ。おお、そうだ。領主にも責を負ってもらわねばな。キースくん、後任の人選は君に任せるよ」
それだけ言うと、老人は水晶を手から離した。水晶は床に落ちることなく、部屋の闇に溶け込むようにその姿を消した。
「さて、行こうか。同志たちが待っている」
言葉と同時に、老人と若者も姿を消した。
部屋の中には、闇だけが残った。
時間が経って、落ちついてくるにつれエリーの頭は正常に活動し始めた。
議長は、今回のことをどこまで知っていたのだろう。リーズと心話神経通信した時に、どこまで分かったのだろう。これほどの事になることを、事前に予期できなかったのだろうか。それとも――
不意に、背中の揺れがおさまった。
ジョーが立ち止まったのだ。
「エリー……」
呼び声を聞いて、不意にもっと重要なことを思い出した。
自分は今、おぶられているのだ。体温が上昇していくのを感じた。
「え? あ、疲れました? も、もういいですよ。あたし、一人で歩けますよ」
両手をバカ見たいにぱたぱたと動かしながらエリーは言った。ジョーの返事はこうだった。
「エリー、お前結構――胸あるよな」
ぱかん
地平線の先まで聞こえそうな音が響き渡った。
<了>
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