遊撃旅行作戦「DREAM AGAIN」、7月18日の行動です。 |
7月18日を寝台特急「なは」内で迎えた遊進団一行ですが、ホームページを更新するためにまだ起きていました。
「T−con」会場で行動を共にする方に報告する必要があるからです。 こんなときはコンセントがある個室寝台は便利なものです。 客車列車ならではの揺れに悩まされながらも、何とか作業を進めていきました。 そうこうしているうちに、「なは」は関門トンネルの手前にある門司駅に到着しました。 門司から先は列車を運転するのに使う電気の種類が異なっており、 ここまで牽引してきた機関車「ED76」ではここから先へは運転できません。 そこで、機関車を付け替える必要があるのです。 球磨川えびのは気分転換もかねて、この様子を見に行きました。 ED76は切り離されていました。 門司から下関までは「EF81」が牽引します。門司と下関の間には電気が切り替わる区間があり、 ここを走るにはEF81が必要なのです。 客車の端にある貫通路から機関車を撮影しました。 さらに下関で機関車は「EF65」に変わりました。 今度の下関は客扱いをしないので、貫通路からだけしか撮影できませんでした。 連結作業からの帰りに、自動販売機前を通りました。列車内にある自販機の商品は幾分値段が高くなっています。 「なは」の場合は150円であります。 作業も一段落したので、午前2時近くになってやっと眠れることになりました。 しかしこうして見ると、メンバーの体格はまるでバラバラです。 できるだけ早く東京(青森)に着くために、早目に新幹線に乗り換える計画を立てていました。 列車自体は新大阪が終点なのですが、途中の岡山(06:48着)で乗り換えました。 乗換改札を過ぎ、新幹線ホームに行く途中にあった編成表です。実に多くの種類の編成が走っています。 JR東海は16両ではない編成の乗り入れを事実上拒否しているのですが、 これだけたくさんあると、その気持ちもわからなくもありません。 (もっとも、16両でないと輸送力が足りないという理由があるのですが) 「のぞみ4号」に乗るべくホームに移動すると、下り列車用のホームには100系新幹線電車がいました。 かつては16両編成の「ひかり」で活躍していたのですが、今では4両または6両の「こだま」で使われています。 ホーム上にある売店の壁に貼ってありました。「日本伝統の味をひかりにのせて…」というフレーズにはちょっと感心しました。 隣の乗り場からは300系車両を使った「こだま」が発車しました。 300系は「のぞみ」用車両として華々しくデビューしたのですが、今は「こだま」にも使われています。 それでも東海道新幹線の区間においては、後から登場した形式と同じ最高速度(時速270キロ)に制限されるので、 そう簡単には廃車にならないようです。 「のぞみ4号」が入線しました。 車内でくつろぐ遊進団の面々です。下の写真にはスーパージェイセブンがいます。 座席背面から引き出すテーブルに書いて(?)あった案内です。 「フットレストの使い方」まで書いてあります。 新大阪駅到着寸前に撮影しました。100系と、それらを駆逐している700系です。 ちなみに、この700系の所属はJR西日本です。 新大阪で車内はほぼ満員となりました。おかげで取材しようにも相当回りを気にしなければいけません。 「のぞみ」車内でもらったおしぼり2種類です。手前のは新大阪発車後に配られたもので、奥は岡山発車後のものです。 JRグループでも、東海と西日本ではかなり考えた方が違います。 7号車にある自動販売機を撮りました。こちらは「なは」と違って130円です。 新大阪からは身動きがとりにくくなり、そうしているうちに眠気がしてきました。 本来寝るべき場所であった「なは」と違い座席車であるのですが、こちらのほうがずっと揺れが少ないので快適に眠れました。 いくら製造時期が違うとはいえ、寝台列車の面目丸つぶれです。 球磨川えびのが眠っているうちに、「のぞみ4号」は終点・東京に着きました。 ここから先は今作戦の主目的の一つである、「東北新幹線『はやて』の取材」であります。 これから乗る予定の「はやて11号」が入線する予定のホームには、すでに列車が入っていました。 しかし、この列車は「はやて」ではありませんでした。 「はやて11号」は「こまち11号」を併結して運転されるのですが、その「こまち」がありません。 「はやて11号」は後から入線するということでした。 「はやて11号」が入線するまでの間、他のホームにいる列車の撮影です。 東北新幹線開業時から使われている200系ですが、老朽化のために廃車が進んでいます。 しかしそれでも一部の車両はリニューアル化されて使用されます。 この編成はそんな運のよい車両から構成されています。 100系タイプ先頭部をもつ200系です。主に中間に二階建て車をはさんだ編成に使われています。 前にも書きましたが、「はやて11号」は途中の盛岡まで「こまち11号」と併結して運転されます。 両列車の連結部分の写真3枚です。 おしぼりサービスは「のぞみ」と同様にあります。種類は東海と同じタイプです。 ウェルカムドリンクのサービスがありました。数種類の中から選ぶことができ、ホットコーヒーを選びました。 「はやて弁当」の外箱です。「はやて」の側を月光仮面がバイクに乗って走っているというすさまじいものです。 弁当箱の側にある足ですが、左上がジェイフォー、上方やや右寄りがジェイツー、右側はジェイワンです。 「はやて弁当」のおしながきです。 肝心のお弁当の中身です。梅干がデカイのなんの。 「はやて」編成の案内図です。走行中に「こまち」編成へ行くことはできません。 我々(?)はこの座席を使っていました。 盛岡駅におけるE4系(手前)とE2系(奥)の並びです。「はやて」と「こまち」の解結待ちの間に撮影しました。 盛岡駅発車後に撮影した我々(?)の着席状況です。 「はやて11号」も「のぞみ4号」と同じように混雑していました。そのため、撮影が大幅に遅れました。 10号車(普通車指定席)の3人掛け座席です。各椅子ごとに色が異なっています。 7号車にある自動販売機を撮りました。こちらも「のぞみ」と同じ130円です。 「はやて」は終点・八戸に到着して、そこから在来線に乗換となります。 次に乗るのは「白鳥11号」です。 番号をそろえることによって、できるだけ混乱しないようするというJR東日本の工夫がうかがえます。 運転席側面の塗装が無残にも剥げています。 「白鳥11号」の座席ですが、まずは未着席状態の写真3枚です。 そして我々が着席した状態です。 「白鳥11号」は1時間強で青森駅に到着しましたが(列車自体は函館駅まで運転)、 到着したホームの反対側には、秋田行き特急「かもしか6号」が入線していました。 青森駅ホーム上の蕎麦屋で、「縄文そば」なるメニューを見つけました。 そこで午後3時であるにもかかわらず早速食べてみることにしました。 「まぁ、球磨川だからな。」とは千賀子の一言。もはや言う気も失せたというところです。 三内丸山遺跡で、植物の実を加工して食べていたということなので、揚げくるみが入っています。 青森港内に架かっている「青森ベイブリッジ」です。展望台も設けられています。 元青函連絡船・「八甲田丸」です。現在はメモリアルシップとして保存されています。 八甲田丸の入口です。 八甲田丸の案内図です。多くの人がこれを見ていたと思うと、感慨深いものがあります。 グリーン席の座席ですが、現代列車のそれと比べると、大幅に貧弱です。 ブリッジにやってきました。ここからいろいろな命令が出されていました。 船長気分でハンドルを握ってみたのですが、カエルが動かせるはずがありません。 メモリアルシップ化に際して、煙突は展望台になっていました。煙突展望台から船首方向を撮影しました。 左下には廃鉄道車両を使った休憩所がありました。 後で覗いてみたところ、鉄道車両の内装が取り除かれて、普通の椅子やテーブルが設置されていました。 車両の奥には現役の線路があります。現役車両がホームを移動する際に使われているようです。 現役時代の八甲田丸は鉄道車両を運んでもいました。 そこで、メモリアルシップとなる際に鉄道車両が展示されるのは自然な流れです。 こちらは車掌車「ヨ6000」。 こちらは郵便・荷物合造車「スユニ50」とその案内。 北海道の特急網を形成していた「キハ82」。 キハ82の隣にはローカル線用ディーゼル機関車「DD16」。 キハ82、DD16から船尾方向には……。 DD16から船首方向には控車がありました(形式は失念してしまいました。すみません)。 連絡船に車両を積み込む際、機関車が直接車両を押し込むと桟橋が壊れる恐れがあります。 そこで、積まれる車両と機関車の間に控車を挟むことにより、そういうアクシデントを防ぐというものです。 こちらはエンジンルーム。ターボ(付きディーゼル)エンジン8基で総トン数5,000トン以上の船体を動かしていたのです。 青森といえば、演歌「津軽海峡冬景色」の舞台です。当然、その歌にちなんだ歌謡碑があります。 廃車体休憩所(勝手に命名)の側を通っている線路は、以下の写真のように続いていき、行き止まりとなります。 ここにも貨車が保存されていますが、潮風による腐食が心配です。 八甲田丸の全景……のつもり。 |