●あの日

 あの日からもう5年も経つのかと、改めて時の流れを感じてしまう。地の底がうねるような地鳴りと経験したことのない揺れ、その後の静寂、何もなかったような播磨からほんの数十キロ先の惨状を初めて知ったのはテレビの画面からだった。倒れた阪神高速や脱線した阪神電車、炎の海になった新長田、全てが映画のシーンに見えて実感が湧かなかった。

 発生から約1週間後、久しぶりに訪れた新長田の街は私の知っている街ではなくなっていた。2人でケーキを買った角の店、ドライカレーの旨かったおばちゃんの店、個人でやっているキムチ屋を探して歩いた路地裏、全てが瓦礫になっていた。道も判らないほどになった街はとても静かで、自分の足音に驚いてしまうほどだった。今歩いているのは道なのか家の跡なのか。瓦礫と家財を分けている人、ただ呆けたような表情で歩く老人、炊き出しに並ぶ人々。ふと、戦争の後ってこんな感じなのかなと思った。地震ではなく戦争の後に見えた。地面が揺れるだけなのにどうしてこんなになってしまうのか。実際には火災の方が被害を大きくしたのだが、まるで空襲を受けたかのような姿に私は「戦争は絶対いけない」と強く感じた。地震で戦争を想うなんて考えてもみなかった。何もかもが尋常ではなかったのだろう。

 帰り際に見知らぬ人から、足下の瓦礫を指して「ここの下にお婆ちゃんがいてはんねん」と声を掛けられるでもなく話しかけられた時、返事が出来なかった。自分がとても恥ずかしかった。正直なところ火事場見物的な気分がなかった訳ではない。いくら想い出深い街だと言っても、今の自分がいる場所ではないと責められたように感じた。しかし今から考えれば、あの時行っておいて良かったと思っている。メディアを通してでは伝わらない何かを感じ取る事はできたはずだ。それは私の心に深く刻まれている。

 新長田訪問から2年後、ようやく涙が出るようになった。少しは気持ちが整理できたのだろうか。


(執筆−2000年)





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