いつもと同じ路線、いつもと同じ電車。こんなに明るい風景だったのかと改めて驚く。 久しく昼間は乗っていなかったこの電車、ゆったりと車窓を眺めるのは何年ぶりだろう。毎朝同じものを見ているはずなのだが、今日はとても鮮やかに映る。昔に比べたら家が増えたなぁと、他愛もないことを考えながら綺麗に整備されていく沿線を眺めた。くすんだ瓦に焼板壁という地味な播州の家屋に代わって、鮮やかなスレートが眩しい洋建築が増えた。壁も白いものが多いせいか、とても明るい。 家並みが途切れてちらと海が見える。穏やかな瀬戸の水面はひときわ明るく、青が目に染みつく。これから明石を過ぎれば目の前は海一色になるのだ。いつの間にか本当にできてしまった大きな橋を見ながら、近いような遠いような淡路を過ぎ高台へ上る。


 海が広い。波静かに拡がる海の光景に皆が目を奪われる瞬間。カーブを曲がるといきなり現れる水平線が、これまでの瀬戸内とは違うことを主張しているかのようだ。静かにたゆたう波と裏腹に、人の心は踊る。段丘のカーブをなぞり、ゆっくりと走る電車だから見える海の表情、子供の頃から大好きだった。たぶんみんな好きなのだろう、ほとんどの視線が海に向かう。 朝の電車なら朝日に輝く美しい水面が拡がっているはずなのだが、印象にない。記憶にあるのは人の列と地下線の暗闇。その地下を抜けたら見えるはずである六甲の山容など、忘れかけている。毎朝、この時間は死んでいるのだろうか。車窓に向ける視線の先には今と同じ風景が拡がっているはずなのだが。





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