●故郷

 生まれ育った土地に愛着があるかと聞かれたら、一応「ある」と答える。しかしこれは本心からか、自信がない。

 両親の里は全く違い、新住民として移り住んだ先で生まれたのが私。旧来からの風習も知らず、地元の言葉もろくに使えない。そんな奴が本当に愛着を持てるのかどうか。本当の姿を知りもしないで勝手に愛着を持たれて、その土地は満足しているのかどうか。それに私は正直なところ、昔からよその地に憧れ続けてきたのだ。

 山が好きだった。漁港の近くに生まれておきながら、ずっと山に惹かれていた。山辺に住む親類宅での時間が楽しかっただけなのかも知れないが、とにかく山が好きだった。いや、今でも好きだ。そんな私が信州へ行き、雪山の雄姿や水の豊かな市街に触れて、通い詰めるようになる。そのうち優れた風致だけでなく、住む人の姿を垣間見るようになって、ふと気付いてしまった事があった。それは生まれ育った環境への「愛着」と「誇り」だ。自然と歴史に育まれた風土を愛し、誇る姿はとても頼もしく、そして妬ましかった。同じ事を福岡の街でも感じた。

 私は生まれ育った播州を誇れるのか、語れるのか。考えれば考えるほど無知な私を思い知らされる。その上愛着があるのかどうか判らないときては、迷路に迷い込んだように不安になる。

 旅に出て住宅地を歩く癖はこの頃から付いた。今から考えたらそれは「故郷」を探していたのかも知れない。一体自分はどこの人間なのか、それを見極める旅をしていたのではないか。しかしそうだとしたら未だに結果は見えてこない。このまま根無し草のようにずっと各地を彷徨い、播州にもなじめず過ごしてしまうのだろうか。

 それが一番恐い。





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