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Talking about
マンガについて、あるいはマンガ以外のことについてとりとめなく語る場です。
MANGA NEWSの方に書いたネタの中から選んで順次追加していくつもりです。

031230 2003年の終わりに
031130 アニメ制作現場の経済問題
031109 「ユリイカ」2003年11月号『特集:マンガはここにある』感想
031028 NHK BS1世界潮流2003「“ANIME”が世界を駆けめぐる」感想その2
031027 NHK BS1世界潮流2003「“ANIME”が世界を駆けめぐる」感想その1
031020 最近のTVアニメBEST10を挙げてみる。
030805 レンタルコミックと著作権法改正
030530 TVアニメ「ガドガード」制作遅れ放送日に間に合わず
030520-22 新しい物語をさがして
030512 少年マンガの闘い
030515 マンガ喫茶と著作権:収益の一部を業界に還元へ
030510 02年度TVアニメ市場雑感
030321 東京国際アニメフェア2003レポート by B館
030315 最近のアニメ企画に感じる詰めの甘さ
030228 「鋼鉄の少女たち」(しけたみがの)雑感
021110+030112 細田守演出回のTVアニメ「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」を観る
021230 2002年の終わりに
021210 時代を代表するアニメキャラクターデザインって?
021003 マンガの性表現をめぐる法規制の動き
020830 マンガ原作アニメ考
020721-1201 TVアニメ「フルーツバスケット」考
020720 「出版指標年報 2002」拾い読み
020303 ■資料:コミックの市場規模と性犯罪件数の推移
020302 マンガ表現規制問題をめぐる極私的不信感について
010804 「出版指標 年報 2001」拾い読み
001210 「21世紀に残したいアニメ作品BEST100」(アニメージュ01年1月号特集から)
001119 「表現と著作権を考える」第2回シンポジウムに行く
001007 マンガ喫茶、雑感
000604 「ピエタ」(榛野なな恵)を読んで
000206 「緊急シンポジウム 表現と著作権を考える」に行く
000108 90年代アニメ概観
991216 平成11年度文化庁メディア芸術祭
990917 ガルフォース その2 (消えゆく初期OVA作品)
990916 ガルフォース その1
990808 黒田問題
990705 少年マンガの冒険とスポーツ
990529 ポケモンフリッカー事件 その4
990221 追悼:みず谷なおき
990120 読み切り作品を埋もれさせないために
990115 98年度マンガランキング その1
990114 パロディ同人作品と著作権ネタ その3
990109 ポケモンフリッカー事件 その3
981103 サザエさんに会いに行く
981011 「マンガの時代」展(於 東京都現代美術館)を見に行く
980816 コミケ初見
980809 パロディ同人作品と著作権ネタ その2
980728 パロディ同人作品と著作権ネタ その1
980718 ポケモンフリッカー事件 その2
980705 アニメつれづれ
980414 フィクション宣言(「ぼくの地球を守って」)
980412 ポケモンフリッカー事件 その1
980308 97年度マンガランキング その6
980307 97年度マンガランキング その5
980306 97年度マンガランキング その4
980304 97年度マンガランキング その3
980301 97年度マンガランキング その2
980124 97年度マンガランキング その1
970831 面白いマンガが読みたい


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03年の終わりに (031230)

思いつくままに、今年の総括など。

3月、宮崎駿監督作品「千と千尋の神隠し」の米国アカデミー賞長編アニメーション部門受賞は象徴的な出来事でした。アニメバブルの追い風として働くのみならず、この受賞は宮崎ジブリのブランド化を決定的なものにしました。まだまだ社会に根強い、アニメに対する否定的な見方からも、ジブリ作品だけは例外のお墨付きを得ています。

アニメバブルの中で乱発される新作アニメの数々。一方で、マンガ雑誌の低迷は続き、売り上げ的にはメディアミックス作品の単行本頼り。マンガ市場の長いトンネルは出口が見えません。

アニメ産業への注目度は今年ますます高まりました。特に官の動きが目立ちました。個人的に昨年度のオタク貢献度MVPである文化庁はもちろんのこと、文部科学省、経済産業省、総務省などが、国際競争力を持つ日本の文化・コンテンツとしてのアニメ・ゲームの産業育成に力を入れる必要性をコメントしました。東京都は2年目の東京国際アニメフェアを成功させて、地場産業としてのアニメ振興事業を軌道に乗せつつあります。民間では、銀行などが新しい投資対象としてコンテンツビジネスモデルに関心を示しています。

しかし一方で、アニメ・マンガ・ゲームに対する立法、行政両面からの逆風も強まった年でした。いわゆる児童ポルノ禁止法の改正がおこなわれ、改正時に「想像で描いた絵」を規制対象に含むかどうかが議論になりました。絵の規制に反対する署名なども行われ、結果的に絵の規制は見送られました。

また、自民党は02年にとん挫した「青少年有害社会環境対策基本法案」を見直し、「青少年健全育成基本法案」や「青少年を取り巻く有害社会環境の適正化のための事業者等による自主規制に関する法律案」を準備しています。秋の衆院選前に発表した「小泉改革宣言 自民党政権公約2003」の中では「青少年健全育成基本法」の早期成立をめざすと明言しています。国内治安強化と相まって、メディア規制の中央立法化への動きは来年大きな山場を迎えると予想されます。さらに、全国の出版社の9割以上が集中する東京都では、青少年健全育成条例を規制強化の方向で改定しようとする動きが進んでいます。
個人的には、児童ポルノ禁止法で絵を規制しようとする論理には控えめに言っても奇怪な印象しか持たないのですが、青少年健全育成の文脈に対しては、より議論を深める必要があると考えます。青少年の健全な育成を望む方々の一部が、なぜ、歪められ誇張された性的・暴力的表現に対して、根拠に基づいた批判や正確な情報とリテラシー教育によって対抗するのではなく、ただそうした表現を有害なものとして青少年の視界から隠す(あわよくば大人の世界からも駆逐する)ことによってのみ目標が達成されると信じているのか、正直よく理解できないのですが。

また、10月には、一般書店で販売されている成年向けコミックについて、わいせつ図画頒布容疑で出版社社長、編集局長、マンガ家の3人が逮捕されるという事件が起こりました。社長については起訴され、マンガのわいせつ罪が問われた出版史上初の裁判が行われています。

著作権に絡む問題も次々浮かび上がってきました。コピープロテクト、ファイル交換ソフト、デジタル放送のコピーワンスなどなど、インターネットとデジタル技術の発展により従来の著作権の枠組みが軋んでいます。マンガの方では、巷に完全に浸透したと言っていい新古書店とマンガ喫茶の問題への取り組みが続いています。「21世紀のコミック作家の著作権を考える会」は、5月に日本複合カフェ協会などとコミックスの使用料を支払うことで基本合意。今後の話し合いの足がかりを作りました。また、秋には文化庁が、著作者の「貸与権」を、現在は適用が除外されている出版物(書籍や雑誌)に対しても認める方針を決め、04年の通常国会に著作権法の改正案が提出される見込みです。実現すれば映画・音楽ソフトなどと並んでレンタル書籍への道を拓くことになります。既存のマンガ喫茶への影響も大きいでしょう。新古書店問題の方は、中古ゲームソフト販売に関する最高裁判決(平成14年4/25)で中古売買は適法という判断が下されたこともあって、大勢に影響はありませんが、新古書店での換金目当てと見られる万引きへの対策が重要な課題となっています。

03年のトピックのひとつとして、さくら出版マンガ原稿流出事件に触れる必要があるでしょう。出版社が作家から原稿を預かったまま倒産し、作家への原稿料不払い、原稿の未返却のみならず、原稿の一部を古書店へ売っていたことが発覚し、業界に衝撃を与えました。当初、出版社元社長と古書店に感情的な批判が集中しましたが、事件の背景となった杜撰な原稿管理の実体も強く意識されるようになりました。執筆依頼から掲載、支払いまで口約束で行われることが当たり前の業界では、原稿の所有権すら曖昧です。今回の事件の被害者らが原稿返却を求めて作った「漫画原稿を守る会」は、預かり証の発行など、マンガ家の権利を明らかにするアイデアを出しています。しかし、この問題に関して出版社は完全に沈黙を守っており、マンガ家も立場の弱さを理由に反応は鈍いです。どちらの側にとっても、厄介な契約問題・権利問題から目を背けることで長年享受してきたメリットを捨てることを恐れているのでしょう。

魅力的なメディアであることと、魅力的な産業であること。自由な創作の風土を守りつつ、競争力を持つビジネスモデルをどう構築していくか。それは、想像力と創造力の問題と言えるかもしれませんし、コドモとオトナの問題と言えるかもしれません。あてがわれる作品を次々食べ散らかすだけのコドモであってはいけないし、金儲けのことと規制で縛ることばかり考えているオトナであってもいけない。いちファンとして、よきコドモオトナでありたいものです。
マンガ・アニメを取り巻く社会状況の変化に注目し、柔軟に対応していくことが今後ますます重要になっていくでしょう。

●この掲示板は、そもそも読んだ雑誌や単行本の情報やコメントを書くスペースでした。それは今も変わっていないのですが、2年半ほど前から、ネットに流れるマンガ・アニメ関連のニュースを意識的に取り上げるようになりました。というのも、アニメやマンガ関連のニュースが、一般全国紙や非マンガ・アニメ系の媒体で取り上げられる機会が、ここ数年間で明らかに増えてていると認識しているからです。この動きに注目することは、個人的な関心とも一致しています。結果的に、MANGA NEWSという掲示板のネーミングに前より近づいたようにも思います。(内容的には、他の有力個人ニュースサイトからの抜粋に毛が生えた程度で、大したものではありませんが。)
反面、個々のマンガ作品に対するアンテナが鈍りがちだったことは否めません。その代わりと言っては何ですが、HDDレコーダーの導入によってTVアニメ視聴本数が倍増し、アニメバブルの果実をリアルタイムで味わえるようになりました。現在ではマンガとアニメとニュースの比率がほぼ同じくらいになっています。(最近マンガ比率が低いかしら?いかんいかん。)
極私的には、ニュースサイトにもレビューサイトにもなりきれないところに、マンガ・アニメ系個人アンテナサイト「B館」のスタンスを見出すことが出来るのではないかと割り切っております。今後も気の向くままやっていきたいと思います。どうぞよろしく。

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アニメ制作現場の経済問題 (031130)

「版権収入をアニメーターに還元する仕組み」は、多くの人が必要性を感じていながら、実現するには難しい点を多く抱えている問題です。
アニメ制作は集団作業であり、作品への量的、質的関与も人によって様々です。制作会社に入った版権収入を、末端のスタッフまでどう配分するのか。零細の子会社、孫請け会社から他社の助っ人アニメーターまで、どの作品に誰が何枚描いたのか。作品ごとに、主要スタッフから末端制作会社まで面子が変わり、人材の流動も激しい。描いたマンガ家ひとりを相手にすれば足りるマンガとは状況が大きく異なります。制作時期から版権収入が入ってくるまでのタイムラグも大きく、2次利用を含めれば版権管理は10年以上に及ぶアニメ。たとえ作品がヒットしても、その利益を制作当時に関わった末端のスタッフまで逐一届けるのは困難です。

アニメ製作会社に版権収入が入るシステムの整備は重要ですが、たとえ官民が結集して日本のコンテンツビジネスモデルを築いたとしても、製作会社から下の末端スタッフはそこからこぼれる可能性が高い。肝心なのは、泥臭い雇用問題が山積する現場の状況をどう整備するかです。業界が長い間放置してきたアキレス腱であり、華やかに報道されるコンテンツビジネス戦略からは抜け落ちている部分です。現状では、アニメ製作会社に入った版権収入がどのように使われるのか、末端のスタッフが潤うのかは不透明な部分が多いと思います。ジブリのようにアニメーターを社員扱いにして身分を保障し、会社との交渉の場を作るのはひとつの案です。これはいわゆる春闘などの労使交渉の歴史をなぞるということで、自ら招いたツケとはいえ、長く厳しい道になるでしょう。
原稿の所有権管理すらまともにできないマンガ・出版業界と同様に、これまでなあなあでやってきたアニメ業界にとって、大きな意識改革そして痛みを伴う構造改革には消極的かもしれません。現場の人間自らがよく考えて動かなくては、かえって状況が悪化することもあり得ます。(例えば、マンガ家の権利を明確にするためにより強固なビジネス契約を導入したら、出版社の作品内容への発言力が強まったり、規定ページをこなせないマンガ家は契約違反に問われたりするかもしれない。)

業界全体の底上げとなるとまた問題です。アニメ制作費の主要な部分は人件費であり、乱暴に言えば人件費を倍に上げると制作費も倍になります。しかし出来てくるアニメの質は変わりません、というのでは、顧客を含む出資サイドが納得するでしょうか? 例えば、動画マンの月収を5万円→10万円にするためにアニメDVDの価格相場を1.5倍に上げますということになったら、購入するユーザーの反発は必至でしょう。安くないアニメを安いモノとして売り続けてきた歴史、それによって築き上げた市場と世界シェア。国内の人材育成に危機感を感じながらも人件費の安い海外への依存をますます強め、それでも「安さ」を維持しないと戦えない日本アニメ。

現在のアニメバブルは、海外販路の整備によって、制作費据え置きで市場が拡大する(売り上げが上がる)という千載一遇の機会です。同じものを作っても、お客さんが増えたから儲けも増える。ただし、必要な著作権管理やマーケティング力を整備する必要があるし、投資会社など新たなビジネス関係者も参入してくる。増えた利益の分をそちらにあらかた持っていかれたら、実際にアニメ作ってる人間の状況は変わらない。しかも、日本経済トータルで見ればそれでも困らないし、むしろ透明性・流動性が高い分、その方が好ましくすらある。製作会社がどうイニシアチブをとって利益を確保し、さらに下請けなど現場の末端にリターンを返すか?これは銀行や投資家が考えてくれる問題ではありません。

アニメ業界が抱える問題を考えていると、創作の現場を支配する「いい加減さ、曖昧さ」という混沌に辿り着きます。マンガなども含めて考えると、その混沌は究極的には自由な創作エネルギーの源泉であるという側面も持っています。しかし、そのエネルギーを保つためにも、経済的なサポートは必要のはず。(←この辺は異論もあると思うけど、食えない商売ってのはやっぱ問題よ。)周囲の様々な思惑の中で、具体的な方向性が見いだせない業界の現状は悩ましいものです。

そのうち原画・動画が完全に海外に移行して、国内はメインスタッフとデジタルアニメーターだけの少数体勢になって、始めて日本アニメ『業界全体』が潤うのかも?と怖い考えになってしまった。

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「ユリイカ」2003年11月号『特集:マンガはここにある』感想 (031109)

過去のユリイカのマンガ・アニメ特集と同様に散漫な印象を残す本特集の一方で、面白かったのは『小特集:韓国マンガ文化の現在』。日本マンガが最も読まれているお隣の国でありながら、その実状はほとんど知られていない(と思う)韓国のマンガ事情。座談会「網状言論 in Korea」と宣政佑のコラム「韓国マンガの歴史と現在」はどちらも新鮮で読み応えがあった。

宣政佑は「日本のマンガやアニメが世界に広まった一番重要な理由は、日本の作品が安かったからである」と明言する。そんな当たり前の経緯さえ、最近の日本アニメの海外進出を持ち上げる国内報道の中でコメントされることは少ない。

韓国マンガと言えば、サンデーGX連載の「新暗行御史」(尹仁完+梁慶一)のイメージくらいしかない僕ですが、韓国のマンガを巡る状況はなかなか刺激的。日本国内で韓国マンガを目にする機会は少ないが、韓国では日本マンガはほぼ全て輸入されていると言ってもいいくらいの状況だそうだ。(表現規制に触れる18禁マンガや、韓国に麻雀文化がないため麻雀ものマンガなどは除く。)韓国では自国マンガが年間約4千種あり、これに加えて日本マンガが年間5千種近く輸入されているという。これを合わせると、日本国内の年間マンガ新刊点数約9千種と同等かそれ以上の種類のマンガが出版されていることになる。それでいて、韓国のマンガ市場規模は日本の十分の一以下だという。(少数のマニアがたくさん読むということ?)

また、韓国のマンガ市場システムは政権が変わるのに伴って大きく変化するというくだりも興味深い。70年代の国民統制の中では不良マンガの取り締まりが行われ、国の許可したマンガ以外は子どもに悪影響を与えるとして規制された。流通は80年代まで漫画房(マンガ喫茶に類するシステム)中心で、分業による大量生産が行われていた(一部の人気作家は年間4百冊以上描いていた)。88年のソウルオリンピック後に日本に似た週刊マンガ雑誌が登場し、漫画房にとってかわる。しかし90年代後半になるとレンタルコミック(本を借りて家で読む)が主流となり雑誌市場は縮小する。

韓国マンガには日本のようにマンガ編集者が深く関与して作家・作品を育てるようなシステムがなく、技術面も含めて内容は作家個人に負うところが大きい。同人市場は、もともとプロ予備軍のオリジナル作品中心だったのが、99年に日本の同人誌を扱うコミックワールドが参入したのをきっかけに、日本と同様にパロディ系二次創作に席巻される状況となっている。

日本マンガの影響を強く受けながらも、アメリカ製アニメ・コミックの比重も日本以上。(そもそも韓国の本は左開きで横書き。)「純情漫画」「武侠マンガ」「学習・教養マンガ」など独特なジャンルもある。日本的オタク文化やアメリカ的センスを外から取り込みつつ、自国の文脈で作られている韓国マンガ。文法的に純化された感のある日本マンガ市場に韓国マンガが参入するのは容易ではないだろうが、日本国内でも韓国マンガの果実を味わえる機会がもっとあればいいと思う。

アニメについても、88-89年の「ドラゴンボール」のヒット、90年代半ばに映画「ジュラシック・パーク」や「ライオン・キング」が韓国の自動車産業に匹敵する興行収入を挙げたという報告書が衝撃を与えて国内の映像産業育成のきっかけになった「ジュラシック・ショック」など、面白い発言が読める。TVアニメは子ども向けのイメージが強固で、ほとんどの子どもが塾通いの韓国にあって、放送枠が夕方早く(16:30〜18:00)なので「よっぽどの幼児でないかぎり見れない時間帯」。劇場映画はハリウッドと韓国映画に占められていて、韓国の商業アニメは逆風の中にある。3DCGアニメやインターネットのFLASHアニメなど、プロードバンド先進国ならではの突破口を模索している。

マンガ・アニメを通じた韓国文化事情。
今号の「ユリイカ」で一番興味深い記事でした。

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NHK BS1世界潮流2003「“ANIME”が世界を駆けめぐる」感想その2 (031028)

「世界潮流2003“アニメ〜”」は、国内事情についての具体的な言及が欠けていたものの、言外に日本アニメを取り巻く現状に対する危機感がうかがえて、個人的にも自分の問題意識と重なるところが多く興味深い内容でした。そのあたりの切り口は浜野保樹の起用が効いていたのだろうと思います。

日本国内での日本アニメ海外進出報道は楽観的に追い風を煽りますが、日経は「ポケモン」や「ハム太郎」など自局(TV東京)作品を扱う報道が明らかに多いと思います。
それ以外の米国ヒット作品「セーラームーン」「ドラゴンボール」「デジモンアドベンチャー」「遊戯王」を並べてみれば、何のことはない、東映アニメーション作品の一人勝ちです。制作のデジタル化や海外展開のノウハウなど、僕らはもっと東映アニメを評価するべきなんじゃないかしら。(まあ「デ・ジ・キャラット」とか他の作品もあるにはありますが。)

米国アニメ市場は日本以上にキャラクター・おもちゃビジネスと連動しています。コロコロコミックやボンボンのような児童マンガ市場がないこともあり、TVメディアの力は絶対的です。番組では「ベイブレード」を売り込むためにゴールデンタイム(米国の子どもが最も家にいる土曜午前中)のTVアニメ放送枠を獲ろうとする日本の会社が紹介されていましたが、なんとか放送枠を確保できても、10以上あるアニメチャンネルの中で一番視聴者数が少ない1局だけだったりして、なかなか思うように浸透できないという。
(米国では地域によってネット局が違って複雑なので、視聴率ではなく視聴者数をモノサシにする。ちなみに現在アニメ視聴者数TOP10の中に日本製アニメは「ポケモン」「遊戯王」の2本が入っている。)

個人的には、じゃあ日本はどうするのか?という問題提起にもう少し突っ込んで欲しかったと思いました。日本の現状は、表面的にはとりあえずのアニメバブルですが、お金を出す方はマンガ・アニメ業界の独特の体質や不透明さがよく理解できないので、とりあえずわかる部分(著作権ビジネスとか)に群がるしかない。現場や末端は上がりを取られて状況は一向に改善されない。

行政も産業育成をはかる気は一応あるものの、同じ理由でどこにお金と口を出したらいいのかわからない。一方でマンガ・アニメ業界の方は、有害メディアと貶められる長年の積もる記憶もあるし、下手に行政など外部の援助を受けて余計な口出しをされてはかなわないという警戒感、不信感が強い。一部の行儀のいい作品だけ持ち上げて、他方でいわゆる「有害」なものを恣意的に切り捨てられてはたまらないわけで。

自由、混沌かつ猥雑なエネルギーこそがマンガ・アニメのパワーである、というのはかなりの部分で真実だと思いますが、食えないのはどうかと思う。このまま放置してもバブルが弾けて結局何も残らなかった、ということになりそうでコワい。
業界のどこに手を入れて何を変えるか?という構造的なことを考えるべき。言うのは簡単ですが……。

ところで、個人的には「賞」をもっと積極的に使ってもいいのではないかと思います。現在、行政主導では文化庁メディア芸術祭と東京国際アニメフェアがアニメ賞企画をやっていて、どちらも歴史は浅いもののセンスはいいので期待してます。ただ、東京国際アニメフェアは産業振興を謳うイベントだけに大作や技術系作品への注目度がより高いかもしれない。アニメーション神戸はもっと前から賞企画をやっていますが浸透度はいまいち。星雲賞は一部のSFファンの投票企画だし、アニメージュ誌の毎年恒例アニメグランプリは10代のアニメファンの人気投票。それぞれに持ち味はあるにせよ、その年のアニメ作品を総括してアニメ史に書き加えていくという視点からはいささか心許ない気がします。あとは自主制作系や若手作品への賞ですが、これはいくつかあるようですね。新海誠のヒットで今後注目される場だと思います。

同じことがマンガにも言えるかもしれない。個人的には手塚治虫文化賞などは結構いい線いってると思ってます。読者推薦票が今の10倍集まるようになればもっといいのに。

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NHK BS1世界潮流2003「“ANIME”が世界を駆けめぐる」感想その1 (031027)

10/26(日)にNHK BS1で放送された「世界潮流2003「“ANIME”が世界を駆けめぐる」 世界で快進撃を続ける日本のアニメビジネスはどこまで成長するのか」は、国内の現状にもっと突っ込んで欲しかったものの、なかなか見応えがありました。ぜひ地上波でも放送して欲しい。

アニメの海外進出をテーマに、文化と産業の両面から海外での日本製アニメ・マンガの浸透を考える。出演は、Hot Wired Japanで「日本発のマンガ・アニメの行方」を連載中の東京大学大学院助教授、浜野保樹。「ポケモン」の仕掛け人、小学館キャラクター事業センター長の久保雅一。「劇場版デジモンアドベンチャー」監督で最近は村上隆と組んでルイ・ヴィトンのプロモーションアニメなども手がけた東映アニメーションの演出家、細田守。

文化の切り口で紹介されたのはフランス。安価な日本アニメがTVを席巻していた数十年前、国は日本製アニメの放送を規制して自国製アニメを振興。そして今、仏製アニメの発展と最近の規制緩和によって、フランスのアニメーターたちは子どもの頃から親しんだ日本アニメテイストのオリジナル作品を制作する実力と自由を掴みつつある。

産業の切り口で紹介されたのはアメリカ。「ポケモン」や「遊戯王」の成功はあれど、全ての視聴者に楽しめる作品が優先される米国アニメ事情にあって、男子向けやマニア向けという印象で苦戦を強いられる日本アニメ。豊富なコンテンツを誇りながらも激しいTV放送枠争いと表現規制の中で思うように作品を送り込めないバンダイビジュアルの苦悩。

そしてお隣の韓国では、コンテンツ産業を今世紀の柱としてアニメ産業の育成に力を入れる。長い間日本アニメの下受けで経験を積んできた制作会社がオリジナル作品に挑戦。アイデアやストーリーといった部分でも追いつこうと人材育成に必死だ。(韓国は04年から日本製の映画、音楽ソフト、ゲームを全面解禁する日本大衆文化解放措置をとるが、アニメ映画は除外されている。しばし競争力で日本製アニメの後塵を拝する国内のアニメ業界を保護する措置である。)

番組では、そうした海外事情から翻って日本の状況はどうなのか?と首を傾げる。
日本のアニメを支えている力の源が、膨大なストーリーとキャラクターの蓄積であるマンガ文化にあることは疑いがない。最初から海外を想定したアニメ、例えばアメリカで売れるための作品を狙って作ってアメリカ製作品と勝負できるかというと難しいだろう。(番組で紹介された人気番組「スポンジ・ボブ」には参った。これは日本人には作れない。)

久保雅一は、コンテンツビジネスをやるにあたって日本は経験やノウハウが不足しており、契約等で厳しい環境にあると指摘する。細田守は、アニメビジネスが持ち上げられている状況でも、活況を呈しているのは上の方の著作権管理者たちで、制作現場との温度差は大きいと実感を語る。日本は、自国のアニメ・マンガ文化&産業に対してどのようなスタンスで望むべきだろうか?

個人的には、人材育成と技術開発に尽きると思う。とりわけプロデューサーの育成は急務でしょう。
(心情的には単純に制作費を2倍にして動画一枚一枚の単価が2倍になればいくらかでも末端が潤うと思うけど、それでは作品のクオリティは上がらないし、むしろ人件費の安い海外に出そうという話になってしまう。)

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最近のTVアニメBEST10を挙げてみる。 (031020)

歴代アニメを語るとき、80年代以降になるとOVAや劇場アニメの占める比率がそれなりに高くなり、特にここ10年くらいとなるとその傾向はさらに強まると思う。じゃあTVアニメはどうかと言うと、「セーラームーン」「ちびまる子ちゃん」「ポケットモンスター」など、社会的あるいはビジネス面での存在感を指標にした切り口はあるものの、作品としてどんな収穫があったのかはあまり言及されていない気がする。
というわけで、エヴァンゲリオン以降のTVアニメ(96年〜現在)を対象に、極私的ベスト10を考えてみました。エヴァンゲリオンで切ったのは、やはりこの作品は日本アニメをエヴァ以前・以後に分ける存在だったと思うからです。(ヤマトやガンダムがそうだったように。)

→閉じる世界、そして新世紀へ
●「新世紀エヴァンゲリオン」96-97年(監督:庵野秀明 キャラクターデザイン:貞本義行 制作:GAINAX)
●「無限のリヴァイアス」99-00年(監督:谷口悟朗 シリーズ構成&脚本:黒田洋介 キャラクターデザイン:平井久司 制作:サンライズ)

→リミテッドアニメという自由
●「少女革命ウテナ」97-98年(監督:幾原邦彦)
●「こどものおもちゃ」96-98年(監督:大地丙太郎)

→アニメスタイル、フロンティア
●「カウボーイビバップ」98年(監督:渡辺信一郎 キャラクターデザイン: 川元利浩 音楽:菅野よう子 制作:サンライズ)
●「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」03年(監督&シリーズ構成:神山健治 制作:プロダクション I.G)

→深夜アニメの挑戦
●「serial experiments lain」98年(監督:中村隆太郎 シリーズ構成&脚本:小中千昭 オリジナルキャラクターデザイン:安倍吉俊)
●「EAT-MAN」97年(監督:真下耕一 音楽:EBBY/梶浦由記)

→普通こそ最高の贅沢なり
●「コメットさん☆」01年(監督:神戸守 制作:日本アニメーション)
●「学園戦記ムリョウ」01年(原作&脚本&監督:佐藤竜雄 キャラクターデザイン&総作画監督:吉松孝博 制作:マッドハウス)

コメント:「新世紀エヴァンゲリオン」は基準点のような存在。アニメとしてのセンスとクオリティは評価され尽くした感もありますが、閉じていく世界と個の恐怖をえぐり出す内容が大きなインパクトを与えました。その後のアニメに大きな影響を与えたエヴァンゲリオンですが、「無限のリヴァイアス」はエヴァの描いた闇に正面から挑戦した意欲作。少年を主人公にした作品を多く手がけてきたサンライズなりの20世紀へのけじめとして評価したいです。
「少女革命ウテナ」の奔放な不条理演出には度肝を抜かれました。エヴァと並んで90年代最大の収穫だと思います。「こどものおもちゃ」はマンガ表現を取り入れた大地演出に。マンガ表現そのものは「きんぎょ注意報」「赤ずきんチャチャ」が先行していますが、少女マンガ原作のコミカルな部分とシリアスな部分を高いレベルで両立させた点を評価したいです。
「カウボーイビバップ」はアニメの映像と音楽に新しい格付けを作ったエポックメイキングな作品。海外を含めた幅広い視聴者層に通用する映像コンテンツとしてアニメ作品の可能性を見せつけました。「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」は国際品質の最前線。徹底した作り込みで大人の作品をアピールします。
90年代後半のTVアニメの大きな動きは深夜枠開拓に象徴される放送時間と局の多様化。深夜枠ならではの自由な映像表現とストーリーで最も印象的だったのが「serial experiments lain」。また深夜枠初期の作品「EAT-MAN」(ラヴィオン編)は長いカットと感傷的な音楽の真下演出で深夜枠の可能性を拓いた佳作です。
「コメットさん☆」「学園戦記ムリョウ」の2作品は、脚本や作画から背景や設定に至るまで高いクオリティを終始維持しつつ、丁寧な生活描写とわかりやすい演出で見る者を引き込んでいく秀作。表情や仕草を追っていくのが楽しくなるような生き生きとしたキャラクターを描き出す。

まあ、好みが入っているので当てになるかわかりませんが、僕はこう思うということで。ひとつでも見ていない作品がある人はぜひぜひ。(実は裏ベスト10も考えたけど挫折。)

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レンタルコミックと著作権法改正 (030805)

最近試験的に始まりつつあるレンタルコミックには、大手レンタル業者に加えて大手出版社も関わっている。コミックについて音楽や映画ソフトのようにレンタル料が出版社や作者に還元されるシステムを整備したいという業界の意思がある。レンタルコミック自体は創出期のビジネスであり、音楽CDやビデオレンタルの前例にならう方向で進めば決して無理な話ではないと思う。しかし、音楽や映画と異なり、出版物には利用料徴収の根拠となる貸与権も頒布権も認められていない。従って、貸与権の復活は法整備の要だ。

具体的には、著作権法の附則 第四条の二(書籍等の貸与についての経過措置)を廃止するとともに、出版物に関する著作物使用料の管理を行う団体とシステムを整備して、その規定を条文に加えることが必要になる。

貸与権については、レンタルコミックに留まらず、マンガ喫茶への適用が可能かどうかでその影響がずいぶん変わってくる。出版社や作家は、正規のレンタル業を創出しつつ、現在のマンガ喫茶を衰退させるか著作物使用料を徴収したいと望んでいる。マンガ喫茶のシステムは非常にアバウトでそれ故の低コスト商売なのだから、個別商品の利用状況を把握するレンタルコミックのシステムはとても導入できない。ならば消えてもらいましょう、と。出版物の貸与権が復活すればその法的根拠となり得る。

03年5月、「21世紀のコミック作家の著作権を考える会」「日本複合カフェ協会」「社団法人 日本雑誌協会」はマンガ喫茶が収益の一部をマンガ業界に還元することで基本合意した。(漫画喫茶が業界に収益還元=作者の団体などと合意へ(時事通信5/15))
しかし、マンガ喫茶サイドとしては、レンタルビデオ並のシステムを整備することを法的に強いられると業務の負担が著しく増す。マンガ喫茶のおいしい部分がほとんどなくなってしまうと言ってもいい。それを回避するためにも、マンガ業界への利益還元に積極的な姿勢を打ち出しつつ、業界団体への経済的サポートや若手作家への支援(漫画賞などの企画、出版機会の提供など)といった形の貢献によって、実質的には従来型のマンガ喫茶業務を残したいという本音が見え隠れする。
出版社・作家サイドとしては、出版物からより利益を上げるために音楽や映画ソフト並の強い著作権が欲しいと公言してはばからないわけで、そのための法整備は悲願だ。法改正に伴う混乱を回避・軽減するために、代価手段・移行手段として正規のレンタルコミックや少なくとも出版社・作者の意図を汲んだマンガ喫茶が必要なのだろう。

(新古書店問題はまた別の話。中古ゲーム訴訟では頒布権の消尽が最高裁判決で固まっているし、貸与権が復活しても状況は変わらない。)

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TVアニメ「ガドガード」制作間に合わず急遽再放送 (030530)

フジテレビで放送中のアニメ「ガドガード」(水曜26:58〜放送)が、5/28に放送予定だった第7話の制作が遅れたため、急遽先週放送された第6話を再放送するという異例の事態となった。

放送ではAパート開始直後に、画面に「都合により先週放送話数を再放送しています。」というテロップが出た。なお、本来放送されるはずだった第7話は6/11に放送される予定。(6/4はサッカー放送のため休止。)本作品は、本編の最後に次週予告編はつかない。

マンガ雑誌であれば代原が載るところ。イキのいい新人の読み切りでも読めればこれ幸いだが、TV放送では、スポーツ中継や緊急番組の帳尻を合わせる例があるとはいえ、番組を「落とす」こと事態が異例。今回は放送当日の納品予定が深夜までずれ込み、ビデオが局に届いたのは24:35だったという。

当日納品とは、言葉通り、電波に乗せて各家庭に放送するその番組が放送当日にならないと出来上がらないというリスキーな納品である。通常、放送局は事前に番組内容をチェックする。問題があれば制作サイドと対応を相談する必要も出てくる。しかし、当日納品は生放送に近い一発勝負。今回は16時納品予定だったというから、それでも放送まで12時間を切っている。もし内容に問題があっても、まともに修正する余裕はない。深夜枠で放送2時間前という事態に至っては、そのまま放送するか放送しないかの2択。無理を通して放送できた可能性もあるが、局の判断は責められないと思う。

このリスキーな納品スタイルは、しかしTVアニメではかなりあることなのだ。20年前から……いや、白黒手塚アニメの時代から、こんなことをやっている。今回のように放送2時間前というのも相当なケースだが、「放送日当日にセルに色塗ってた」「Aパート放送中にBパート撮影してた」などという伝説の数々がまんざら嘘でもなかろうと受け止められる業界である。

多くのTVアニメは数話分のストックしかない状態で始まり、数ヶ月のうちに確実に訪れるピンチを総集編やリミテッド演出でなんとか乗り越えていく。DVDセールスが主な収入源となる最近の作品では、スケジュールはそのままに作画クオリティの低下が許されなくなり、よりわかりやすい破綻として露呈されたということだろう。

破格の制作リソースが投入されているだろう「ASTROBOY 鉄腕アトム」では、放送開始時に1クール以上のストックがあったと聞く。作画も高い水準を維持している。人と時間と予算を確保すること。企画、プロデュース、マネージメントに関わる部分がアニメ業界の長年のアキレス腱だ。アニメ作品を作るのはアニメーターだけの仕事じゃない。

低コストと過酷なスケジュールの中で大量の作品を制作し、なおかつクオリティを追求する。アニメバブルでその商品価値が見直され、作り手も受け手も作品に高い水準を求めるようになる一方で、放置され続けてきたアニメ業界の脆弱な体質がそれに答えることはますます難しくなってきている。「本数は少なくてもいいから良質なアニメを見たい」という感想は僕自身も何度かコメントしているが、本来は、それだけの企画を支えられる体制を整備していこう、という方向に進むべきだろう。病人ができる範囲のことをやるのではなく、病気を治してもっと遠くまで行く体力を養う必要がある。

アニメはコストが安いというのは幻想です。(マンガも体質は似ている。)

ところで、「WOLF'S RAIN」(フジテレビ)も、このところ3話連続で再編集版総集編を放送している(15〜17話)。ホームページを見る限り次回(18話)も総集編の可能性が高い。おそらく全2クールと思われる作品で4話連続で再編集版を放送するのは前代未聞。5/23にDVDのリリースが始まっているが、DVD化の作業によって本編放送にこれほどの支障が出ることはあり得ない。

制作体制に問題があることは間違いないが、巷で騒ぎのSARSの影響か?と勘ぐってしまう。現在のアニメは、動画や仕上げのほとんど(原画の一部も)が海外発注に頼っている。その多くがアジア圏だ。香港や台湾のスタジオにトラブルがあればスケジュールに影響を受けることもある。しかも、今期のTVアニメは作画クオリティが高い作品が多い。その分制作スタッフの要求度も高く、スケジュールも圧迫される。水準を満たす技術と能力を持った国外スタジオが限られるとすれば、緊急時の対応にはますます苦慮することになる。

さて、心配なのは今後の放送スケジュール。
「ガドガード」は過去にEPISODE 5が未放送回となっている。同じ帯枠で放送中の「TEXHNOLYZE」は、第3話と4話が合わせて30分に再編集されたREMIX版として放送されている。その理由は明らかにされていないが、この帯枠は、スポーツ中継などの予定を織り込むと、既に1週足りないくらいのギリギリ(12週?)しか確保できていないのではと推測される。だとすると、さらにもう1週分を再放送に費やしてしまった「ガドガード」には今後、同時2話放送や更なる未放送回などのしわ寄せがくるかもしれない。制作が追いついていないことを考えれば、シナリオを修正して話数を削減する手もある。
もっと大変なのは4話連続総集編の「WOLF'S RAIN」。シナリオを短縮するにしても、2クール作品だとすれば第2クールを3分の2に圧縮することになる? 作品の内容的にも、先が読めない状況だ。いずれにせよ、他の新作アニメの制作・放送スケジュールにも影響することは必至。

多数のハイクオリティ作品が集中している03年、アニメバブルのほころびは意外に早く訪れるのかもしれない。
(絶対破綻しないと言い切れるのは、BS2で一度放送されている「学園戦記ムリョウ」です……。)

追記:その後「WOLF'S RAIN」と「ガドガード」は、ともに終盤4話分を残して中途半端のままTV放送を終了。未放送分は後日の衛星放送版やDVDでようやく日の目を見ることになる。(040123)

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新しい物語をさがして (030520-22)

「新しい物語」については、正直言って、その具体的な形を掴めているわけではありません。むしろ、古い物語に対抗しうるほどの力を持つ存在ってそもそもあり得るの?(出てきて欲しい)という意識に近いです。

少年マンガが持つ構造の中では「勝利」「正義」「善悪」「強さ」などの意味が、例えば「女の子を人質に取った強い悪者をぶっとばす」ことで定義されます。「古い物語」は古臭くて使えない物語という意味ではなく、むしろ根元的で非常に強い物語、イデオロギーであるわけです。

「暁星記」(菅原雅雪)という作品は、こうした古い物語の原始を読み手に突きつけてきます。人類史に深く刻まれてきた原理として「古い物語」は圧倒的な存在感で君臨している。

じゃあ古い物語だけをありがたく受け入れていればいいのかというと、そうもいかない。パターン化した構図へのフラストレーションは有る。同じ事ばかりでもう飽きたという感覚だけでなく、この構図が現実を反映していないという疑いや批判があります。子どもが年頃になると、教科書で教わったやり方で通用するほど世の中は単純ではないことを知って屈折したりしますが、これは少年誌からヤング・青年誌へ目を移すとお話のジャンルや構図がそれなりに多様化するのと符合しています。

また、少年マンガ的な「正義が悪を倒す」という構造には、断罪される運命をエクスキューズにしつつ、実は悪サイドの行いからカタルシスを得ている、という構造が寄生し安く、しかもその二重構造に対して無自覚・無批判になりがちなのが気になります。この二重構造はかなり本質的なものと思えるので、描き方によってどうバランスをとっていくかは重要だと思います。

古い物語への対抗としては、あえてパターンを壊すという手法がよく見られます。これは子どもが成長する過程で、教わってきた世界と現実とのギャップにカルチャーショックを受ける体験を再現していると考えられます。ピンチでも最後には主人公が勝つ物語へのアンチとして、主人公が負けっぱなしの物語を作る。勧善懲悪パターンに対抗して、世の中そんなにうまくいくわけないだろ、という話を作る。これらは勝利や正義といった物語の意味を相対化、解体していくアプローチです。
(アニメだと「エヴァンゲリオン」が象徴的な存在。個人的には「メガゾーン23」が。)

ただ、こうした対抗意識は古い物語を強く意識したもので、結局は古い物語の構図に依存する存在と言えます。それでは、古い物語の解体の先に、物語の新しい構図は提起されているのか? それは古い物語のような強い力を持ち得るのか?(例えば少年マンガの原理にも採用されるほどの。)という疑問が立ちはだかります。パターンや意味を壊す試みはたくさんあっても、壊しただけで終わるなら依って立つ物語は同じ。

大人から美しい物語を聞かされた子どもが、やがて青年になってその物語の歪みに気づき、こんなのは嘘だと物語を解体してみせる。で、その青年が大人になって何をするのかと言えば、親になって子どもにまた同じ美しい物語を聞かせる。世の中はそうやってぐるぐる巡っているんじゃないか。だとしたら、古い物語への抵抗は所詮「若気の至り」で、若い頃はそういう時期もあるよね、で終わってしまう。この世界に物語はAとA'とアンチAしかない。悲観的な見方をすればそうなります。
ヒーローを演出するために、これからも村人や女子どもは殺され奪われ続ける。
アンチAにとどまらないB、C、D……を見つける鍵は、カタルシスの有り様じゃないかと感じます。

個人的には、候補のひとつとしてラブコメはありじゃないかと意識してます。ジェンダーの縛からは逃れられませんが。外に向かうコミュニケーションと内面への意識という視点を抱えていて、カタルシスのベクトルがバトルマンガと異なり、力による勝利の方程式を無効化する構造も持っているので。
他に、古い物語への対抗として、個人的に興味深いアプローチだと(直感的に)思える作品としては、
TVアニメ「無限のリヴァイアス」
劇場アニメ「もののけ姫」
マンガ「Papa told me」(榛野なな恵)
マンガ「日露戦争物語」(江川達也)
あと、大河歴史物語は本質的にそういうものかもしれない。

「もののけ姫」は僕の周辺で肯定的に評価しているのは僕だけなので、あまり当てにならないかもしれません。大河歴史物語に新しい枠組みとしての資格があると思うのは、時空間的スケールの大きさによって、お定まりの構造を内部に複数とりこんで相対化できるからです。興亡史のような作品をイメージしてます。個人的なセンスでは、「新しい物語」にとって、古い構造の相対化・無効化は必要条件であって、それ以外の何らかの構造(理念)を示唆していることが十分条件だと思います。その辺が言語化できるといいのですけれど。大抵の歴史物語は必要条件は満たしている気がします。

外の敵を征服して財産や力を拡大していく物語は、世界のリソースが無限であることが前提です。世界に対して自分が十分小さいうちは有効ですが、やがて強さのインフレの果てにリソースを食いつぶしてバブル崩壊の惨状に至るという例をたくさん見てきて、実はフィクション世界もリソースは有限らしいと。「古い物語」は世界が無限に思えた時代の産物であって、同じやり方で続けていたら世界を食いつぶしかねない、という現実感覚の方が今は強い。実際、批判的切り口で物語を破綻させてみせることが昨今流行のリアルの形かもしれません。

勝利イコール勢力拡大、果ては世界の一色化、というモデルは限定的な陶酔ならともかく現実感覚としてはもう脆さが見えてる。だから成長の表現として「征服による勝利」以外のカタルシスの有り様を物語は探っていく必要があるんじゃないかと。それを少年マンガのような場所でやる必要があるかどうかは議論のあるところですが、力がある物語こそ子ども向けにやるべきものかもしれません。

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少年マンガの闘い (030512)

「ONE PIECE」(尾田栄一郎)の空島編が最近どうにも盛り上がらない。
その理由は「何を守るための誰の闘いなのか」が見えていないからだと思う。
例えばアラバスタ編は「国を救うためのビビの闘い」だった。同作品はこれまで、仲間の一人が各章のストーリーの軸を担うことで成功してきた。チョッパー然り、イソップ然り、ナミ然り。毎回行く先々でまきこまれるパターンの「冒険」でありながら状況に合った感情移入を引き出せるのは、一人のキャラクターが強い動機を担って、それが仲間と一体化する感覚があるからだ。では空島編は一体誰の闘いなのか? 神の島の事情は本来、海賊たちには他人事である。両者をストーリー上で融合させるには、動機と主体のどちらか(できれば両方)が共有される必要がある。

個人的には、空島編はロビンの闘いかもしれないと思っていた。神を名乗る支配者が滅ぼさんとしている伝説の島、そこに眠る遺跡と失われた太古の記憶。お宝探しや島の内乱を大いに絡めつつも、最後にこれが誰の闘いだったかという点で一本筋を通せれば(謎には迫るも一歩届かず、また次の目的地へ、というように)次に繋がると思うのですが。

空島編は、情報量は多いのに、キャラクターや読者がそれを受け止めるための過程を欠いたまま、文字通り戦闘に巻き込まれて方向が見えなくなっていると思う。

「何(誰)を守る(救う)ための誰の闘いか」という構図は、少年マンガ、特に暴力(直接的な力の行使を伴うバトル)を扱う作品では重要な意味を持つ。少年マンガでは「何かを守る」目的以外での暴力は肯定的に描かれないという事情がある。好きな娘や家族や故郷やあるいはプライドを守るために主人公は己を賭ける。そのとき初めて武力は条件付きで肯定され、感情移入が可能になる。功罪はさておき、それが少年マンガの依って立つ哲学だ。
現在この構図をうまく使っているのが「BLEACH」(久保帯人)。一護を助けるために囚われたルキア、ルキアを助けるために敵地に乗り込む一護と仲間たち。この明快な構図がある限り、途中でどんなジャンプバトルを繰り広げようと物語は揺るがない。逆に、こうした定番の動機が用意されないと闘いはスポーツ、ゲーム的にならざるを得ない。「HUNTER X HUNTER」(冨樫義博)はそのゲーム性を逆手にとったユニークな作品で面白いが、ゲーム世界に入る前のクラピカがいた頃の方が、物語の動機という点では強かった気がする。

さて、この構図の功罪についても少し。強い正義を描くためには強い悪が必要で、勝利のためにはピンチや敗北が、犠牲が必要になる。虐待される人々を、囚われる姫を、無惨に殺される仲間を、物語が要求するのだ。そうやって少年マンガは、数多くのヒーローとともにその十倍、百倍もの犠牲者を産み落としてきたのである。
僕はこれを「古い物語」と呼んでいる。「古い物語」の圧倒的な強さを認めつつも、これに対抗する「新しい物語」が出てきて欲しいと願っている。

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マンガ喫茶と著作権:収益の一部を業界に還元へ (030515)

>漫画喫茶やインターネットカフェの業界団体である「日本複合カフェ協会」が、収益の一部を漫画業界に還元することで、漫画家の団体などと暫定的に合意することが13日明らかになった。同協会を含む関係3団体が15日、合意文書に調印の上、正式発表する。(時事通信より)

月刊「創」6月号の特集記事によると「作者の団体など」のひとつは「21世紀のコミック作家の著作権を考える会」。同会は、02年4月にマンガ喫茶と新古書店問題について、03年4月にコミックに貸与権を認めるよう訴えるアピール文を主要マンガ雑誌に掲載している。3団体の残りひとつは、社団法人 日本雑誌協会(雑協)。会員数は約90社で、国内の雑誌発行部数の八割をカバーする出版業界団体だ。

日本複合カフェ協会(JCCA)は、複合カフェ業の健全化と発展を目的とした業界団体。会員は全国に約400店舗。様々な著作物利用に関するルール構築に積極的で、今年3月に店内での家庭用ゲームソフト利用に関するライセンス料支払いでコンピュータエンターテインメント協会(CESA)と暫定的に合意したことは記憶に新しい。

JCCAの顧問である若松修氏は日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合(CDV-JAPAN)の専務理事も務めている。CDV-JAPANの元組織は日本レコードレンタル商業組合で、80年代前半のレンタルレコード問題打開のため、84年の著作権法改正により貸与権が新設されるのに合わせて設立された組織。業界と著作権者との窓口として現在のレンタルCD、ビデオ業の基盤を創った。

「創」の記事で指摘されるように、貸与権の考えはレンタルCD、ビデオに沿ったもので、同様のシステムによるレンタルコミック業を新たに創出する分には対応できるかもしれないが、館外への持ち出しがない現行のマンガ喫茶にも「貸与」の概念を適用できるかどうかは疑問もある。そこで、マンガ喫茶については別途、業界団体同士がビジネス上の落としどころを探るべく交渉を行い、今回暫定合意にこぎ着けたということだろう。

しかし、これはゲームソフトの時ほど容易ではない。JCCAのWebサイトには暫定的に許諾されたゲームソフトタイトル一覧が掲載されているが、マンガで同様のことをやろうとすればアイテム数は数万タイトルにのぼり、しかも新刊が日々追加される。著作権を持つ作者、出版社もゲームとは比較にならない数だ。アイテムを管理して使用料を支払う側だけでなく、支払われた使用料を預かって著作権者に分配する団体の処理能力も求められる。

個人的には、以下のような思惑が流れているのだろうと思う。
・最初はとえりあえず限定タイトルのみでスタート
・ビジネスモデルを試行しつつ同時に著作権法の改正(貸与権の復活)を目指す
・大手レンタルショップと協力して、出版社自ら「正規の」レンタルコミック業を創出
・既存のマンガ喫茶の一部を取り込みながら、「違法な」マンガ喫茶を排除
・著作権者のコントロールが及ぶレンタルコミック(含マンガ喫茶)業界へと置き換え

現時点で鍵になるのは作家および出版社サイドの権利団体の実行力だ。とかく組織だったことが苦手な紙メディアが、新しい著作権ビジネスを建設的に育てていくことができるかどうか。

ところで、新古書店問題にはどのような影響があるだろうか? 思うに影響はほとんどないだろう。中古ゲームソフト販売に関する最高裁判決(平成14年4/25)によって、中古販売は適法という判断が下されている。貸与権よりも強い頒布権が認められる「映画の著作物」としてのゲームソフトにおいても最初の譲渡により頒布権は消尽するとした判決で、これに習えば書籍の中古販売業である新古書店を貸与権で規制することはできない。「消尽しない頒布権」というより強力な著作物保護を求める声も一部にあったようだが、『仮に,著作物又はその複製物について譲渡を行う都度著作権者の許諾を要するということになれば,市場における商品の自由な流通が阻害され,著作物又はその複製物の円滑な流通が妨げられて,かえって著作権者自身の利益を害することになるおそれがあり(上記判決より)』ということで現実的ではない。

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02年度TVアニメ市場雑感 (030510)

今月(03年6月号)のアニメージュ誌では、毎年恒例の読者投票によるアニメグランプリ企画。
今年02年は、全部門で1位を奪取した「機動戦士ガンダムSEED」一色に染まった。作品部門1位に始まり、サブタイトル部門ベスト5のうち4本がSEED。キャラ部門は男性女性各部門でそれぞれ1、2位を独占。声優部門は保志総一朗が女王・林原めぐみをかわしてトップ。アニメソング部門はsee-saw「あんなに一緒だったのに」の1位を始めベスト3をSEEDが独占。

サブタイトル部門ベスト5のうち唯一SEED以外の作品は「フルーツバスケット」最終話。思い返せば01年のアニメグランプリは「フルーツバスケット」が席巻したのだった。
アニメージュの主な読者層(10代半ばの男女)にとって、01年は「フルーツバスケット」、そして02年は「機動戦士ガンダムSEED」だったということ。

一応擁護するけど、「機動戦士ガンダムSEED」の第1クールは本当に面白いと思う。
サブタイトル部門の上位には毎年各作品の最終話がランキングされる傾向があるが、今年は「ガンダムSEED」序盤のエピソードがそれらを抜いて上位に挙がっている。それだけ毎回緊張感のあるストーリーで視聴者を引きつけたということ。

作品部門2位に「あずまんが大王」。ネット配信と深夜枠で流れた作品としては注目に値する。これは、アニメ作品というよりキャラクターの強さを活かしたメディアミックスへの評価と思える。

第1部はそんな感じ。
ライターによる第2部はさすがにもう少し視野の広い選になっている。人によって好みが割れるのは当然としても、「千年女優」「灰羽連盟」「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」などにきちんと光が当たるのはホッとする。複数の人が「ほしのこえ」を特別枠で挙げていて、02年の業界トピックとして充分意識されていることが伺える。

さて、ニュータイプ、アニメージュ両誌のグラビアをめくっていて、自分が面白いと思うオススメの新作がほとんど採りあげられていないか、採りあげられても後ろの方に小さくだったりするので、いつもながらがっくりする。

ただこれは仕方がない部分もある。10代半ばを中心とする読者層を考えれば、彼らの多くが見ることのできる、できれば夕方にキー局の地上波で放送されている作品を軸に編集するのは当然だ。そして夕方枠は人気マンガ原作のアニメ化に枠を占められ、個性的なオリジナル作品が入り込むのはなかなか難しい。近年アニメの制作本数が増えているが、その分は深夜枠や衛星放送で流れることになる。

しかし、質の高いオリジナル作品は、そうした若いファンにこそ見て欲しいもの。(マニアは言われなくても見るから。)

このところ毎期のように「なぜこの作品が深夜枠?」「小さい子も見られる時間に放送すべき」という声が聞かれる。対象とする視聴者層と放送時間のミスマッチが、作品本数が増えるに連れ目立ってきている。

個人的には、夕方の枠が限られている以上、人気原作のアニメ化やファミリー向け作品がそこに採用されるのはある程度仕方ないと思っている。「犬夜叉」「名探偵コナン」「ポケットモンスター」「とっとこハム太郎」などに対抗できる企画でなければ、アニメビジネス激戦区のゴールデン枠では勝負できない。

それでは夕方17〜18時台はどうなっているのか? ひところは再放送アニメの宝庫だったこの時間帯には、今ではニュース番組と再放送ドラマが並んでいる。子どもはこの時間帯には家にいない時代というわけだ。(もちろんTV東京は例外だが。)

だから、「ガドガード」は夕方に放送すべきだ、「成恵の世界」「宇宙のステルヴィア」だって深夜でなくてもいいじゃん、ところで「ハングリーハート」が深夜枠って何考えてるの?……という声には賛同するものの、じゃあ「ボンバーマン」と入れ替えるのか?「トランスフォーマー」と交換するか?と考えると、これまたなかなか難しいものがある。

そんなことを考えていたら、「昔はもっとしょーもないオリジナルアニメを夕方やってたと思う」と言われてハッとした。今では見るも恥ずかしい突き抜けっぷりの「うる星やつら」とか夕方でやってたし、(魔法少女シリーズなど)アニメファンの人生を狂わせるような意欲作が子どもが見る時間に流れていた。もちろんそれは、当時のアニメは子どもの見る作品としてしか制作も放送もされなかった(OVAもなかった)からでもあるのだが。

昔よりも作品の数が増えて、内容やジャンルもそれなりに多様化して、じゃあ、子どものファンが見られる時間帯に放送される作品もそれだけ多様化しているのだろうか? 僕らがそうだったように、彼らもまたこの時代の作品に洗礼を受けて、アニメの作り手/受け手として次の時代に繋げていけるだろうか?

もう少し何とかならないものかと思うが、とにかく作品が多すぎる。

NHK教育テレビは今春の改編でアニメ枠を拡大した。BS2で放送した作品を地上波ゴールデン枠で放送する試みは、多チャンネル時代のコンテンツのリユースのモデルとして興味深い。衛星有料チャンネルやUHF系ローカル局が売りのひとつにしている再放送アニメは、デジタル放送時代に入ってさらにその役割を増すかもしれない。

再放送アニメはもはや「懐かしの」ではなく、「初めて見る旧作」として、当たり前のように視聴者の前に登場するだろう。海外のアニメファンがそうであるように。

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東京国際アニメフェア2003レポート by B館 (030321)

東京国際アニメフェア2003は今年が2回目。アニメ産業の振興を謳うこのイベントは、アニメ関連企業の所在地が集中している東京都の肝入りで始まった。イベントを主催する東京国際アニメフェア実行委員の委員長は石原慎太郎都知事だ。

4日間の会期のうち、前半の19、20日はビジネスデーとして業界関係者を対象としたプロモーションやシンポジウムが行われた。シンポジウムのテーマは、『アニメのルーツ』『実戦コンテンツファイナンス講座』『制作現場からの提言−デジタル制作工程移行の問題点』『アニメ評論家にチャレンジ!』『コンテンツの海外展開と海賊版戦略』などなど。新しいビジネスチャンスと出会いの機会にと用意されたビジネスデー、残念ながら一般の方は入場できません。なお、コンペティション企画『東京アニメアワード』の表彰式は19日に行われました。(個人的にはビジネスデーのチケットも欲しい……面白そうでしょ。)

後半の21、22日は連休で一般公開。参加企業のブースで様々な企画が行われています。
以下、個人的なレポート日記です。

会場はビッグサイト、開場は9:30〜。りんかい線が大崎まで開通したので、新木場周りではなく大崎まわりで現地へ。ところで、JRのイオカードはりんかい線では使えず、私鉄系列のパスネットはJRで使えない。うっかり乗り越してしまうと改札での処理が複雑になるので注意。ちなみにスイカは両方で使えるので便利。コミケなどのご参考に。

昨年は西館開催だったが今年は東館2&3に。開場10分前にビッグサイトに入ったら、東館へ行く通路の手前に行列の最後尾があった。近くに臨時チケット売り場があるのでチケット(1000円)を買って並ぶ。かなりの人数が並んでいたが、開場すると意外にすんなり入場できた。昨年より会場のキャパシティがあるせいか、通路も広く確保してあって心配していた混雑はなかった。ほどよい盛況と言っていいだろう。各ブースや休憩所、カフェなどの配置もまずまず。再入場もできるのでストレスを感じることはなかった。客層は大半が30代以下。家族連れが2〜3割だろうか。男女比は7:3くらい?

入場すると、まずは右手奥の特別企画展『アニメテクニックの世界展』へ。アニメの歴史をなぞりながら制作技術の変遷を見ることができる。絵巻物やフェナキスチスコープに始まり、やがてストップモーション技法による人形アニメやクレイアニメへ。NHKのBS番宣でお馴染みの「どーもくん」やクレイアニメ「ニャッキ!」のセットが展示されている。60〜70年代のアニメクリエイターの仕事を紹介した先には、アニメの代名詞とも言えるセルアニメの制作工程の展示。台本に絵コンテに原画と、新旧の人気作品の貴重な資料が開陳されている。蒐集欲が強くない僕でも思わず欲しくなる。おんぷの原画とか。(←おい)セルアニメを象徴する巨大な撮影機を持ち込んでのデモ、そしてすぐ後にはPC画面で「ナージャ」の走りをチェックするデモと、制作技術の変化を目の当たりにする。
そうそう「まんがはじめて物語」のモグタンもいました。ガラスケースの中に。

会場には制作スタジオ、テレビ局、製作会社、小売り、海外の制作会社、業界団体、専門学校、ソフト&ハード開発会社、出版社、特設ステージ、アマチュアにベンチャーと様々なブースが出ております。以下、目に止まったところなどコメント。
あ、会場内はぬいぐるみよりコスプレお姉さん&お兄さんの方が多かったです。

>トムスエンターテイメント
昨年は、バンダイブースが歴代サンライズアニメのOP、ED特集を大きなスクリーンで流して20代男性の人だかりを作ったが、今年はトムスエンターテイメント(東京ムービー)が歴代作品OP集を披露。一連の出崎作品から「名探偵ホームズ」「おちゃめなふたご」「魔法騎士 レイアース」そして「名探偵コナン」「それいけ!アンパンマン」「とっとこハム太郎」などなど。作品が切り替わるたびにパッと注目するお客さんの層が微妙に違うのが面白い。

個人的には「スペースコブラ」や「キャッツ・アイ」(後期OP)にうっとり見とれていた。「ルパン三世PartIII」もそうだが、この当時のキャラデザインや表現に見られるセクシーさはひとつの価値だと思う。こうした表現の裏には『大人も楽しめる→セクシー』という短絡もあったと思う。それでも、アニメの艶や色気がモエーとかキターとかそっち路線ばかりになってしまった現在、目線や肉感に色気を込めるこれらの表現を懐かしく思うのも事実。(マッチョ&グラマーの時代にはもはや戻らないと思うけれど。)

>エイケン
「ガラスの仮面」「キャプテン」などのOP集ビデオを流していた。うっとり……なぜ足を止めて見入っているのが僕だけですか? そこのお嬢さん、ほら、これなんか「アイシールド21」にちょっと似てるかもよ。←「UFO戦士ダイアポロン」←似てない

>東映アニメーション
ステージで「金色のガッシュベル!!」や「ONE PIECE」のプロモイベントなど。

>フジテレビ
ステージ。「ちびまる子ちゃん」のアフレコ参加イベントにはTARAKOとキートン山田がゲスト出演。帰り際には松村邦洋が自分が選ぶアニメ10選とかやってた。

>バンダイビジュアル
昨年同様いろいろおもちゃを持ち込む。奥に約2メートルのビッグオーがどっしり立っている。

>ぴえろ
人気TVアニメのグッズ物販など。たくさん作ってますね。

>プロダクションI.G.
全長約1メートルのタチコマくん。(別ブースだったかな?)

>グルーヴコーポレーション
「なるたる」の番宣ビデオ。シイナがホシ丸に乗って海面上を飛ぶシーンや、小森withプッシュダガーなど。原作知らない人はこれが陰々滅々とした話だとは思うまい。
他に、5月からリリースのOVA「羊のうた」の静止画プロモビデオも。監督・脚本・絵コンテが杉井ギサブローというのはあまりにはまっている。制作はマッドハウス。

>東芝デジタルフロンティア
まだろくに情報のない「天罰エンジェルラビィ☆」がなぜこんなにでかい扱いなのだろう。他に「成恵の世界」とか。「覚悟のススメ」DVD化。

>ガイナックス
「新世紀エヴァンゲリオン」のリニューアル版と旧版を同一画面分割で比較する例のデモ。このフィルムのがたつきが無くなるだけでもデジタル化の意義は大きい。

>マッドハウス
03年秋公開を目指す今敏監督の新作「東京ゴッドファーザーズ」。原画コピーの裏に印刷したチラシには「千年かけても届けたい赤ん坊がいます」とジョークのようなコピーが。
「茄子 アンダルシアの夏」のチラシ。こちらはカラーで、03年夏公開予定とでかでかと刷ってある。

>?
今春の新番組「カレイドスター」のプロモビデオ。佐藤順一監督作品。まともな出来かも。本作はホリプロのアニメ初参入作品だが、avexの「チャンス・トライアングルセッション」よりはいいところまで行く気がする。

>コナミ
常に行列が途切れず?限定物でも売ってました?

>講談社・集英社・小学館
昨年に続いて、日本マンガの世界各国版単行本を自由に読めるコーナー。思わぬ作品も。
>三次元映像のフォーラム
メガネなしで三次元映像を実現する裸眼立体ディスプレイを展示。有効視野角はまだ狭いけど、なるほど三次元に見える。ホログラフィ入りのビジネスカードを頂きました。

>クリエーターズワールド
アマチュア、ベンチャーのクリエイター12組が自作をアピール。松本大洋作品のプロモアニメなどを手がけた神風動画など。

>専門学校
学生の卒業制作などを展示。

>会場内特別上映会場
現在放送中の作品や新作のプロモビデオが流されていた。各社がビデオを持ち寄っている中で、ちょっと顰蹙だったのが「ラーゼフォン 多元変奏曲」。10分の持ち時間がある松竹が、1分間の劇場用予告編を延々繰り返し流すというあんまりな行為に出て、客席から失笑や不満の声がもれていた。プログラムリストに10分と書いてあったのでオリジナルダイジェスト版でも持ち込んだかと期待したが、全く当てが外れた。というか、劇場予告編までエヴァンゲリオンみたいだよ!
東映アニメーションの「エアマスター」プロモビデオは昨年と同じものだった気がする。よく動きそうなので楽しみ。バンダイビジュアルは3〜6月リリース予定の約20タイトルのビデオ情報。

>アニメシアターその1
レセプションホールA、Bにて。
「ANIMATRIX」を見る。
→ANIMATRIX(公式サイト)
→『アニマトリックス』DVD/VIDEO 6月3日発売決定!(MANGAZOO)
映画「マトリックス」にインスパイアされた9本の短編がひとつのDVDパッケージに。うち4本をスタジオ4℃、2本をマッドハウスが担当。本日上映されたのはその中の3本。脚本:ウォシャウスキー兄弟、監督:前田真宏による「The Second Renaissance Part1」「同 Part2」は、機械が人間を飼育しているというSF設定に注目。世界がいかにしてそのようになってしまったのかを、スタジオ4℃らしい無機質なアニメーションで描いた作品。脚本:ウォシャウスキー兄弟、監督:アンディー・ジョーンズによる「Final Flight of the Osiris」は、映画「マトリックス」のプロローグ的短編。これまたCGがよく動く。
ただ、個人的には渡辺信一郎パートが見たかったので残念。

>アニメシアターその2
レセプションホールにて、アニメアワード公募作品部門受賞作を上映。
見た中でイチオシは、アニメ作品部門優秀賞「水のコトバ」(監督/吉浦康裕)。喫茶店で4組の客がそれぞれに会話している様子をトリッキーに切り替えていくと、思わせぶりな台詞は一見とりとめがないようでいて、ふた周りするころにはいくつもの言霊が生まれ、やがてコトバの泡に浮かんで泳ぐ魚の幻想的なアニメーションに流れ込んでいく。シナリオとコンテの面白さ、セピアの映像がもたらす幻想的な雰囲気が気に入った。
特別部門、表現技術賞の「雲のむこう、約束の場所」(監督/新海誠)プロモビデオは、前作同様に天門の音楽がイメージを喚起する。新人賞「風雲猫忍録」(荒船泰廣)の妙なセンスには思わず笑ってしまった。

16:30頃退場。お疲れさまでした。
アニメはあと十年は戦える。

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最近のアニメ企画に感じる詰めの甘さ (030315)

最近のアニメ作品には、企画・製品として詰めが甘いと思うことが多い。
もっと時間をかけて設定やシナリオを練り込んだり制作体制を整えたりすれば面白くなる企画なのに、スケジュール進行に追われて生焼け状態で次々市場に出してしまっているように感じる。特に、1クール作品の場合はスタッフが作品イメージを掴んだあたりでもう終わってしまうので、生煮え感が残るケースも多い。一方、関連商品やキャンペーンなどの周辺ビジネスは、リリーススケジュールもだいたい決まってきてもう手慣れたもの。そのためアニメ作品本体の出来とのギャップがなおさら気になってしまう。

例えば目に付くのは、音楽に力が入っているのにアニメパートがそれについていけないバランスの悪い作品。一つの企画の中でも音楽パートの仕上がりは比較的早い。スケジュールを後ろに引っ張るのがシナリオと絵コンテ、しわ寄せを食うのが作画パートということになる。近年は海外発注のため作画スケジュールの調節も難しくなっている。デッドラインに無理があれば、作画のクオリティに不満がある製品が市場に出ることになる。事前にそれを回避するため、絵を動かさない絵コンテを作る。結果として完成はするけれど冴えない映像になる。だから、問題は単に絵描きが下手とかそういうことだけではないのだ。

現在放送中の「L/R」「ヒートガイ・ジェイ」「ななか6/17」「魔法遣いに大切なこと」などは、残念ながら企画が本来持っている魅力を引き出せていない。目指すレベルに対して制作リソース(時間、金、人手)の最初の設定が低すぎる。

「L/R」は、第1話のクオリティがその後影を潜め、(シリーズの本筋に関わる第8、9話で盛り返しつつあるが、)作画リソースが乏しいため音楽と美学を活かす絵が作れない。
「ヒートガイ・ジェイ」も、都市SFアクションという作画の負担が予想できる企画にも関わらず、早々とキャラ作画の崩れが見られた。アクション作画で魅せたのは第1話くらい。
「ななか6/17」は、割り切った製作姿勢であらは目立たないが、無難かつ淡々としたリミテッド演出には寂しいものを感じる。
「魔法遣いに大切なこと」は、第1話の良さは何処へやら、その後はシナリオ、絵コンテ、作画全てにおいてもの足りなく、準備不足を痛感する。映像には徹底した省力化の方針がみられる。病室は殺風景で記号的、病人の症状も病名もわからない。階段を下りる部分はOFFで処理して降りきった絵を一枚。人物が移動する場面はOFFで、手のアップだけのカットで済ませる。走り去るカットでは、人が画面の外に消えるだけで位置関係も方角も不明。

いったん世に出してしまったら作り直しはきかない。(エヴァンゲリオンくらいヒットすれば別だけど。)だからワンチャンスでなんとかベターなものを残すしかない。アニメバブルと言うけれど、制作環境が改善される様子はあまりなく、毎期同じようなことを繰り返し続けている。あえて今TVアニメフォーマットで大量の作品を作る意味ってなんなんでしょうね。せっかく作った作品も、深夜枠だと放送時間がズレまくりで、さらに終盤に毎週2話連続放送とかめちゃくちゃな扱いされるし……。

いや面白い作品はあるのですよ、マンガもアニメも。

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「鋼鉄の少女たち」(しけたみがの)雑感 (030228)

エース桃組連載の「鋼鉄の少女たち」(しけたみがの)の外伝がエース本誌に2号連続掲載。
少女たちによって構成された戦車隊という趣味性の濃い設定に戦記ロマンの美意識が合わさって、かなり凶悪な内容になっています。自軍に不利な戦況の中、少女たちの部隊には過酷な運命が次々と待ち受けます。敗走の中で多くの仲間を失い、捕虜として蹂躙され、野戦病院で命と引き替えに麻酔なしで足を切断され、引き取る身内のいない傷病兵の命は狂った軍医の手の中。少女部隊として、敗色を濃くする味方のプロパガンダに使われ、そのためにまた敵の的になります。

戦場の悲劇性や残酷さが、ロマンやある種の美としても受容されること。エンターテイメントが全てに優先するという哲学は、それはそれで一つの姿勢だとしても、知らないうちに毒に侵されて麻痺してしまわないように気を付けたい。個人的にかなり警戒してます。読者にどう消費されているのか気になるところ。

おたくビジュアル系月刊誌は、萌えコードを取り込んだ先にある刺激のかたちを求めて先鋭化しつつある……気がします。個人的に「ラブひな」みたいな歪みはオッケーなのですが「鋼鉄の少女たち」のような歪みはとてもつらい。

「多重人格探偵サイコ」連載初回の残酷描写が編集部内で問題になった一件など、少年エースは商業マンガ表現の自由度を暴力的・猟奇的方面へ広げてきた実績がある。これは(角川ホラーという言葉があったように)実写映画や小説のホラー、ミステリ人気とも関連した動きだが、ヤングジャンプが長年エロ方面の刺激を追求してきたのと同じように、猟奇・残虐表現への抑制の無さは角川エース誌の特徴のひとつと思える。そして、おたく系SFファンタジーに依って立つ月末発売月刊誌には少なからず同様の傾向が見て取れる。

視覚表現を伴うかどうかに差はあれど、物語の材料として消費される残酷表現はオーバードーズ傾向にある。例えて言えば、昔ならナイフを突きつけて脅すようなシーンで、本当に殺してしまったりする。今はそこまでしないと演出ができない……と作り手は思っているかのようだ。ファンタジーというジャンルでは刺されても普通の意味での死や罪に繋がらないような仕掛けや設定があって、その意味で表現の自由度は高いのだが、リアルの名を騙った毒が作品として消化(昇華)されないまま漫然と注入され続けるうちに、異化効果の基盤になる現実感が麻痺していっているのではないかという警戒心が個人的に強まっている。

最も多く読まれている週刊少年ジャンプの連載作品でも、以前なら『八つ裂きにしてやろうか』くらいの場面で『学校中の男子に犯されて裸で木に吊されたいか』とかなんとか言う台詞を目にするような時代になって、背筋に冷たいものを感じる。

その先に広がる新しいエンターテイメントの世界では、読者は何にカタルシスを感じるのだろう。

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細田守演出回の「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」を観る (021110+030112)
オススメ。

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■TVアニメ「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」、第40話「どれみと魔女をやめた魔女」。

8時過ぎに起きたので、最近見ていなかった「どれみ」を見ようとTVをつけた。本編が始まって数分で目は釘付け。これは……? いや、きっとそうだろう。

カットごとに次々にあらわれる奥行きのあるレイアウトと印象的な背景。通常よりかなり多い背景画を使っているというだけでなく、舞台そのものが「演じる」この感覚。画面奥に向かう分かれ道に選択を迫る交通標識。道端の店内から映すカメラは、開いた戸の波ガラス越しに歪みながら店の前を横切るどれみの姿をとらえる。弱い光がディティールを覆う屋内描写。動画もそれに合わせるように、普段のマンガ記号や誇張表現を抑え、少な目の動きをきっちり描き込んでいく。

どれみは、魔法を使うのをやめたひとりの魔女と出会う。ガラス細工の小さな工房に一人で暮らす彼女の、若い姿とはどこかうらはらの静かで優しいそのまなざし。長い時間を生き、多くの人間と出会い、死に別れ、そして残された思い出を抱えて世界中を移り住む魔女の人生。部屋の三面鏡を開けば、そこはかつて同じ時間を過ごした人たちの写真だけで埋め尽くされていて。いつか本当の魔女になったら、愛する人たちと違う時間を生きることになるという残酷な現実を、どれみはまだ察することが出来ない。

ガラス細工の技術を目を丸くして見つめるどれみが考えるのは、取り柄のない自分のこと。母が一度は望んだピアノは自分に合わず止めてしまったが、妹が母と楽しくピアノを練習している様子を見れば今も心がざわつく。ももこ、おんぷ、はづき、あいこ……みんな得意なことを持ってる。自分だけ、綺麗な形で固まれないガラスのよう。秋になっても一枚だけ色付けない葉。

元魔女を演じるゲストC.V.は原田知世。18年ぶりの声優役だという。アニメ声とはまた違ったテイストの達者な演技を聴かせてくれる。本編に魔法・変身シーンはなし。メインのふたり以外のキャラもほとんど出番がない。作品コンセプトとしては異色ながら、だからこそできる奥行きのあるドラマを見せる。長期シリーズアニメに幾つか生まれる傑作話数になった。

脚本は大和屋暁、作画監督は馬越嘉彦。演出は細田守。

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■TVアニメ「おジャ魔女どれみドッカ〜ン!」、第49話「ずっとずっと、フレンズ」。

名作の呼び声高い第40話「どれみと魔女をやめた魔女」に続いての細田守演出回である。大胆なレイアウトとカット割で魅せた40話に対して、今度はアニメ作画本来の演技力を駆使した回となった。

小学校卒業も間近。カレン女学院に合格したはづきだったが、親友のどれみと離ればなれになることに迷い、自分の気持ちを話せない。どうしたらいいか悩むはづきを、おんぷやももこ、あいこはそっと見守る。しかしはづきはやがて自分の夢を正直に受け止める。どれみはそんなはづきを祝福し、はづきが作曲した曲「Friends」をみんなで演奏するのだった。

シンプルな脚本で、ほとんどの時間を費やしてはづきの心の動きをじっくり描き込む。コミカルもシリアスも、止まっても動いてもズバズバ決まるキャラクター作画が素晴らしい。全身動作から細かい仕草まで、見ていて思わず唸る動きの数々。休み時間の教室を俯瞰するシーンでは、生徒たちのざわつきを見せながらひとり思いにふけるはづきを浮かび上がらせる。放課後の校舎のシーンで、階段の手すりにもたれ崩れ落ちるように腰を下ろす数カットが見せる心情にぞくりとさせられる。ラストの合奏シーンでは、ピアノやフルートはおろか、バイオリンやギターのコードを押さえる指までも音楽に合わせて描き込んであるという究極のこだわり。

また、この回では全編を通じて降り続く雪の美しさも印象的。その雪が、はづきがどれみに自分の本当の気持ちを告げる一時だけ降り止む。そしてまた降り始めたとき、今までふさぐ心を映すかのようだった冷たい雪が、今度はふたりを優しく包むように舞う。

脚本は成田良美、作画監督は河野宏之。演出は細田守。

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02年の終わりに (021230)

02年は小学館が強かった!IKKIは言うに及ばず、週刊少年サンデー、サンデーGX、ビッグコミックスペリオール、ビッグコミックオリジナル、スピリッツと、読者が楽しめるお話をきっちり提供してきたと思う。(唯一ヤンサンが低迷中。)また、モーニング、イブニングが面白い一方でアワーズライトやアフタヌーンシーズン増刊が休刊。若手の才気に頼った掌編よりもベテランによる骨太の娯楽ストーリーを、という傾向は不景気による保守化ともあいまって03年も続くと思われる。それは決して悪いことではなく、物語性の有り様を再評価することに繋がるかもしれない。

さて、02年の「B館」を振り返ると、日々のマンガ感想がなかなか書けていないと自覚せざるを得ません。僕自身のマンガ観、物語観の変化がその理由の一つにありますが、今後も面白い作品を面白いということ、その原点は大事にしたいです。

一方で、アニメ作品やアニメを取り巻く社会状況が面白く動いた年でもあり、アニメファンとしては刺激的な一年でした。アニメバブルはもうしばらく続くと思うので、作品を楽しみつつその周辺にも目を向けていきたいものです。

また、マンガやアニメ表現をも対象にした法規制の動きをめぐる議論も今年の大きなトピックでした。来年は国会への法案提出を含めたより具体的な段階に入ると予想され、動向が注目されます。日本が発信する価値ある文化と持ち上げられる一方で、その影響力や毒性への警戒・不信が高まり、規制を求める声になっていく。こうした光と影の二面性は、インターネットが情報革命をもたらすと同時に著作権や個人情報の扱いに問題を抱えて苦悩する姿にも似ています。

今年、第6回文化庁メディア芸術祭でアニメ部門大賞を受賞した「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦」。しかしTVアニメ「クレヨンしんちゃん」はその表現が下品だと敬遠する人も多い作品です。僕の同期の友人も「しんちゃんが自分の親を呼び捨てにするのがイヤ。自分の子どもには見せない」と言います。朝日新聞の記事では、

かつて、テレビアニメの方はPTA団体の調査で「子どもに見せたくない番組」の第3位に選ばれたこともあったが、「教育的な観点というよりは、あくまでも芸術的な観点から選定された結果、大賞に選ばれた」(芸術文化課)という。(記事より)

と書いています。映画とTVで作品内容は大きく異なるものの、教育的評価と芸術的評価というものさしの違いが指摘された点は興味深いです。

自覚のあるなしを問わず、私たちは日々マンガやアニメも含むたくさんの「作品」を評価しています。様々な価値観や好み、ものさしがあるでしょう。どう鑑賞しどう評価するかはそのまま私たち自身の姿であり、社会の有り様とも繋がっています。

非力ではありますが自分なりのやり方で参加していけたらと思います。

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時代を代表するアニメキャラクターデザインって? (021210)

自分的に面白いネタなので、勝手に挙げてみました。好みがまるわかりだな……。

80’
 安彦良和@ガンダム
 いのまたむつみ@幻夢戦記レダ
 美樹本晴彦@マクロス
 もりやまゆうじ@うる星やつら
 土器手司@ダーティペア
 高田明美@きまぐれオレンジロード
 北爪宏幸@Zガンダム
 園田健一@ガルフォース

安彦良和キャラはアニメに大きな影響を与えましたが、直接受け継ぐ人は出てこなかったというか、他人にはこの絵は真似できなかったという。ガンダム戦記のキャラデザ本流は以後 →北爪宏幸→川元利浩と流れます。動かすことを前提にしたアニメらしいデザイン。

80年代の特徴として、線の多い画風があります。いのまたむつみ、美樹本晴彦、高田明美らのデザインは本来静止画イラスト向きで、これをアニメで動かすことがある意味当時のステイタスだったような気がします。

忘れてならないのは「アニメ絵」なるものを決定づけた高橋留美子キャラの衝撃で、チャイルディッシュでつるつるしたアニメ美少女の原型をつくったのはもりやまゆうじの功績じゃないかと思ってます。土器手司はその後継で、デザインの洗練と記号化でアニメ美少女のシルエットイメージを完成させました。園田健一もそうですが、人物とメカが近しい質感でデザインされるもの80年代「メカと美少女」アニメ的かもしれません。

90’
 中嶋敦子@らんま1/2
 伊藤郁子@セーラームーン、魔法使いTai!
 結城信輝@ロードス島戦記
 中沢一登@エルハザード
 後藤圭二@ナデシコ
 川元利浩@ガンダム0083
 藤島康介@ああっ女神さまっ、サクラ大戦
 貞本義行@ナディア、エヴァンゲリオン
(田中久仁彦は?)

中嶋敦子は、高橋留美子キャラ正統後継。その後「逮捕しちゃうぞ」など。結城信輝は線が多い80年代っぽさを残しつつ中世風ファンタジーの味をうまく出したデザイン。ディードリットは名キャラ(小説版では出渕裕キャラだっけ?)。川元利浩はガンダム@サンライズ本流。

田中久仁彦は、影響を与えた側というより、80年代的なアニメ絵を基礎に90年代的な修飾が加えられていて、変化をちょうど象徴するかのようなデザイン。見るからにアニメっぽいのに、実は動かすのは難しそう?

一度は記号化したアニメ絵をどう料理するか、という課題への答えとして、シルエットの洗練を進める方向で中沢一登(線は少ないけどカッコイイ)、パーツにこだわる後藤圭二(一点突破で気持ちいいアニメ絵)など。石田敦子@レイアースなども加えていいかもしれません。骨格無視の大張キャラなど、全体バランスを思い切って崩すデザインも目に付くようになってきます。一方で、伊藤郁子キャラのシンプルかつ洗練されたデザインは非常にバランスがよく完成度が高いと思います。

藤島康介、貞本義行は90年代アニメ絵キャラのトレンド。

90年代キャラの流行といえば、目尻にピンと立ったまつげのデザインでした。
ゲーム絵の流入もトピックですがちょっとわかりません。

00’
まだまだこれからです。
平井久司@リヴァイアスは入るかも。
80、90年代からの流れでは千羽由利子とか。

オチなし。

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マンガの性表現をめぐる法規制の動き (021003)

本稿は、松文館の成人向けマンガ単行本「蜜室」がわいせつ図画頒布の容疑で逮捕(10/1)された事件の各紙報道(10/3)をうけて書かれたものです。

現在、マンガの性表現は3方向の批判にさらされています。
「人権侵害(児ポ法見直し問題など)」
「青少年健全育成(青少年条例など)」
「わいせつ(刑法175条のわいぜつ図画)」
大きく分けてこの3つです。

まず、今年に見直しが予定されている児ポ法のそもそもの目的は、現実の児童の人権保護です。従って、マンガなどの空想メディアにおいて、児童(18歳未満)に見えるキャラクターの絵が性的に描かれている場合、これを現実の児童に対する性的な搾取行為である、あるいは現実の児童に対する性的な搾取を誘導する行為であるとみなせるのかどうかが議論のポイントです。
もし架空の絵によって描かれた内容が規制対象になれば、それは架空の創作物に登場する人権侵害や犯罪を現実の児童に対する人権侵害や犯罪と同様に規制、処罰することとなり、表現の自由を著しく侵害するものと言わざるを得ません。加えて、児童ポルノに当たるかどうかの判断が、現実の被害者不在のままに判断されることも大きな問題です。

次に、青少年条例(や青環法)に象徴される青少年健全育成運動の目的は、子どもに有害な影響を与える表現を規制することです。90年前後の有害コミック規制の動きは記憶に新しいと思います。性や暴力といったある種の表現を「有害」と定め、子どもを「有害」な環境に触れさせないことによって「健全」な育成をはかる、というメディア規制の姿勢が表現の自由との絡みで議論されました。この問題の特徴は、当時から現在に至るまで、性表現を含むマンガを「子ども向けポルノコミック」としてとらえている点です。従って、出版業界側は「当初から子ども向けではなく成人向けである」と主張し、自主規制による対応策をとりました。出版倫理協議会は92年に、一定の性表現を含む雑誌や単行本に成年コミックマークを付ける自主規制を始めました。その後も、書店では成年向けコーナーに区分陳列するなどの対応をとっています。
しかし、より強い規制を求める動きは強まっており、前の国会で提出が見送られたいわゆる青環法(青少年有害社会環境対策基本法)の再提出も視野に入っています。なお「個人情報保護法案」「人権擁護法案」そしてこの「青少年有害社会環境対策基本法案」は、メディア規制3法案として、表現の自由を重視する立場から批判の声があがっています。

そして、3つ目はわいぜつの問題です。刑法175条(わいせつ文書頒布等)では、「わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。」と定めています。性表現を正面から規制するこの175条は、わいせつの定義や、国家が道徳や価値観に介入することの是非などをめぐって「チャタレイ事件」最高裁判決をはじめとする多くの裁判で争われてきました。保護法益の解釈をめぐっても諸説ありますが、わいせつとは(1)徒に性欲を興奮又は刺激させ(2)普通人の正常な性的羞恥心を害し(3)善良な性的道義観念に反すること、などとされています。
マンガなどの視覚メディアについては、端的に言えば、直接的な性器の描写を避けたり修正したりしている根拠がこの「わいせつ」問題です。しかし、数十年前は問題になったものの今では当たり前に見られるヘアヌード写真集など、時代とともにわいせつの基準が変化しているのは周知の事実です。

(脇道ですが、「ヘア=わいせつ」という感覚が長く影響力を持っていたため、日本のマンガやアニメでは裸のシーンで性毛を描かないという奇妙な慣行が定着したりました。)
要するに、今回の成年コミックを対象とした逮捕は、成年コミックマークをつけ、書店では成年向けコーナーに区分陳列され、ビニールパックをしていたこととは直接関係ありません。それらの自主規制は「青少年健全(保護)育成条例」(子どもが見ちゃいかん)への対応策であり、今回の逮捕はあくまで「わいせつ図画」としてのものです。ぶっちゃけた話、消しが十分?だったかどうかというコトです。

しかし、児ポ法見直しや青環法の問題が議論になっているこの時期にわいせつ図画としての逮捕が行われたことは、マンガの性表現の現状に対する強いプレッシャーととらえることが出来ます。過去にも同様の事例がありました。

マンガの性表現とコミック規制の問題が社会的に注目されていた最中の92年2月、警視庁は東京都内の3書店の店長など5名を「わいせつ図画販売目的所持」の容疑で摘発しました。このとき対象になったのは同人誌でした。出版業界が「青少年条例改正」の流れに対して自主規制に動き、出倫協が成年コミックマーク表示を導入したのと同じ月に行われた逮捕劇でした。その後4月までに74名が検挙され、作者18人を含む発行者45名が書類送検されました。

「青少年条例」絡みでは、92年3月に熊本の書店が県の青少年保護育成条例違反で摘発されたのが最初の摘発事例となります。

青少年条例の改定が相次いだこの時期、書店からは成年コミックマーク付きの雑誌、単行本が姿を消し、同人誌即売会では性器の直接描写の自主規制が徹底されました。その後、一時はまったく目にしなくなった成年向けマンガ雑誌や単行本は、90年代中ばから少しずつ再び店舗に広がっていきました。成年向けマークがある種のお墨付きとして機能したことで性描写自体の自由度は高まり、今やその加熱ぶりは性表現の最前線といった感さえあります。一方で、子どもを含む一般読者向けのマンガ、アニメ専門店であるまんがの森やアニメイトが成年コミックマーク付き単行本をある程度扱うようになったのはほんのここ数年のことであり、法規制に揺れた90年当時から10年近い時間がかかりました。

今回、出版社社長と編集局長そしてマンガ家が逮捕されたことで、性器にほとんど修正が入ってない成年向けコミックの出版、流通段階での自主規制を強化する動きなども予想されます。また、今回小売り書店員は逮捕されていませんが、92年の例もあるので、小売り段階での対応も見込んでおく必要があるかもしれません。

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マンガ原作アニメ考 (020830)

TVアニメの放送期間は、1クール(13話)なら3ヶ月、2クール(26話)なら半年。月刊連載マンガだったらそれぞれ3回、6回の掲載分で、せいぜい単行本1冊出せるかどうかの期間しかありません。週1回30分枠のアニメが消費するストーリーはマンガの連載ペースを遙かに凌ぎます。例えば「藍より青し」を2クールでアニメ化するのに原作単行本約10冊分のストーリーを消費しています。

マンガの先行連載でメディアミックス企画を育て、見込みがついたところでアニメ化しても、TVアニメは半年後にはストーリーにケリがつきます。その後マンガはどうするのか。ある意味「旬が過ぎた」アニメと同じ話をなぞることにメリットはあるのか。かといってオリジナル路線でマンガ作品を継続・発展させることはマーケティング上どうなのか。(実例はありますが。)

アニメのプロモーションと割り切って未完成原稿でも構わず雑誌掲載してしまう企画がある一方で、マンガ原作をアニメ化して人気が出たものの、やがて原作の貯金が尽きてしまい、間延びした展開でお茶を濁す悪習も依然として残っています。

極私的にはメディアミックス結構、マンガのアニメ化、ドラマ化も大いに結構と思っています。ただ一点、それぞれのメディアが独自の面白さを追求して自立してくれさえすれば。似てないとかイメージが違うとか、そんなことにだけ拘るのではなく、マンガだから、アニメだからこそ出せる魅力で勝負して欲しいと思います。(実写ドラマ化はその辺かなり割り切ってくれているので、逆に安心感があります。)

そんなわけで、マンガ原作とアニメの関係いろいろ。

1)お互いに刺激を与え合いつつアニメもマンガも大成功。
例えば「ラブひな」でしょうか。人気マンガをアニメ化して、放送終了後も人気に負けず原作がもうひと伸び。こういう例はなかなか出ない。
「名探偵コナン」は成功したコンテンツ。設定がしっかりしている上にシナリオの独立性が高いため長期化に耐える、という。(「金田一少年の事件簿」も似た特徴を持っていますが、こちらは「コナン」ほど寿命がなかった。)「ちびまる子ちゃん」も両方成功タイプでしょう。

2)完結した原作をアニメに料理した例。
ギリギリですがTV放送直前に原作がきっちり完結した「あずまんが大王」が相当するかもしれません。マーケティング的にはあまり好まれないものの、意外に結果オーライだったりします。名作のリバイバルものなどもここに含まれるでしょうか。「ブラック・ジャック」とか。

3)良い原作だが連載が長期化した果てに……以下略。
これはアニメ化の有無とは別に長期連載マンガならよくあるケース。ただ、アニメ化による人気が連載の長期化をもたらす要因になることも多い。例えば「GTO」でしょうか。

4)良い原作だが連載がアニメに追いつかない。
「ONE PIECE」「ドラゴンボール」など、週刊少年ジャンプ系ヒット作はこのタイプが多いです。原作の実力と人気が圧倒的で、アニメの多少の破綻には目をつぶれるだけの実入りが見込めてしまうので無理も通す。

5)割り切って原作マンガの一部だけアニメ化して「この先は原作を読んでね」とうっちゃるケース。
アニメをマンガのプロモーションに使うタイプ。「ベルセルク」とか「女神候補生」。「HUNTER X HUNTER」もかな。原作が未完である以上仕方がないということで、ある意味潔い。ただ、アニメが原作に露骨に寄生しているようで、僕は好きではない。

6)メディアミックス企画だが、アニメの放送が終了してもマンガ連載が長期に続くケース。「EAT-MAN」「エルフを狩るモノたち」など。「新世紀エヴァンゲリオン」も。マンガ作者の力量と雑誌の方針に依存する。

7)人気アニメの終了後にマンガ版の連載を始めるケース。
比較的少ない。元々アニメ企画ではないですが「サクラ大戦」とか。結構危険な試み。

8)アニメ企画に先行してマンガ連載を開始し、アニメ放送終了に合わせて終わらせるケース。正確にはマンガ「原作」ではない。ストーリーは基本的にアニメ版に忠実。
メディアミックス企画ではこれが一番スタンダードかもしれない。1年程度の時期のずれは許容範囲ということで。「フィギュア17」とか「おねがい・ティーチャー」とか「∀ガンダム」とか。アニメ版のストーリーと進行に仕切られてしまうため、マンガ単体での魅力に欠けることが多い。挙げた例はそれなりに健闘しているケースではありますが、同じ話でアニメ版に先行されてしまうデメリットは否めません。

9)原作プロットを共有しつつもオリジナル色を出す。
マンガ原作のアニメ化におけるスタンダードのひとつ。アニメ作品として成功させる可能性が高い勝負手。ただ、原作ファンからは嫌がられることも。「ああっ女神さまっ」とか、一応成功例でしょう。
逆にメディアミックス企画のマンガ版では、「七人のナナ」「スクライド」など、チャンピオンは結構上手かったと思う。
極私的には「フリクリ」はメディアミックス企画の理想型だと思います。

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TVアニメ「フルーツバスケット」考 (020721)

01年度のTV作品では代表作の一つということで、ビデオで観ました。監督は大地丙太郎。
作画・演出は安定。しかし見ていてどうにも居心地がよくない。描かれる世界は非常にナイーブ。コメディの様式でくるんではいるが、日常の皮をかぶった壮絶なコンプレックス・トラウマ・サバイバルストーリーである。うーん、悪くはないけど……やはりピンとこない。「私のことを愛してよーっ」というオーラを全編通じて感じる。寂しさとか孤独とか居場所とかコンプレックスとか愛情とか、思春期の重要なテーマを強く映し込んでいるところが評価されているのだろうと思う。

触ったらそれだけで壊れてしまいそうな、優しさと寂しさが充満した、大事な大事な空間。それが見ていて妙に居心地が悪い。元気にならない。呪いや傷に縛られて、その場にうずくまって痛みがやわらぐのをじっと待っている時間のような。もちろん前向きなメッセージはあるのだけれど、その先は見えない。例えば、保護者的立ち場である紫呉のキャラクター設定(表面的にはボケ役だが、寛容で懐が深く洞察力もあり)は、好まれる「大人」のアーキタイプだと思うけれど、彼が身につけているのは裏を返せば過度の干渉から自分(と自分の分身たる若者たち)を守るためのスキルだ。この作品の登場人物たちは誰もがサバイバーなのだ。

思春期の若者にとっての理想の大人のイメージが、ある種の世捨て人的な存在として求められてしまう傾向は面白い。アニメを見ていると、作品中に大人や親があまり登場しないことや、階級や身分にあこがれを持つ一方で集団組織からは距離を置きたがることなどに気づく。大人キャラの職業として作家や記者やカメラマンなどが好まれるのも、仕事のクリエイティビティ以上に、組織に属さないフリーな存在だという点が重要なのだと思う。

傷つくくらいなら一人でいたいけど愛されたい寂しがり屋。それでもいいんだ、生きていくんだ、というメッセージが聞こえます。でもそこには歪みもあるのです。(エヴァンゲリオンが暴いたのはその気持ち悪さだった、と思う。)

同アニメはアニメージュ誌の01年アニメグランプリを受賞している。また、原作マンガは「ぱふ」誌の01年マンガベスト第1位をとっている。(ちなみに全体の1割程度である男性票のみの集計結果でも1位。)「フルーツバスケット」は、中高生のマンガ・アニメファンから大きな支持を集めている物語だと言える。

だからこそ、「自分が嫌い」「生きていてごめんなさい」「私にはその資格がない」「力がない」と繰り返し「でも」で終わる、この作品のテーマとそれが受け入れられる背景について考えてしまう。
なぜあなたたちは、いつもどこでもどんな顔をしていても、その仮面の裏で寂しい寂しいと泣いているのか。

もしかするとあなたは、「本来もらえるはずのものがもらえなかった自分には、大事なものが欠けている」と固く信じているかもしれない。でも、もしかするとあなたは、それ以外のたくさんのものをすでに持っていることを知っていないだけかもしれない。あなたは、もう、誰かからもらうのを泣きながら待っている側ではなくて、自分で探して、作って、そして誰かにあげる側に生きているんじゃない?

「エヴァンゲリオン」に向けられた批判と憎悪。その一部は「フルーツバスケット」にも向かっているだろうか?
(「フルーツバスケット」が好きな人は、ぜひ「ヤサシイワタシ」(ひぐちアサ)[アフタヌーンKC全2巻]を読んで欲しいと思った。傷ついて動けないのも、動いて傷つくのも、どっちも痛い、ということ。じゃあどうする?と。)

アニメ作品としては演出に安定感があってよくできていると思う。ただ、自分はあまり惹かれなかった。よく言えば直球勝負なのだろうけど、キャラクターの性格設定、セリフ回し、ギャグセンス全てにおいて描写がわかりやす過ぎて、くどい割には物足りなさを感じる。

マンガ原作には、アニメ版のべとっとした依存感があまりない。オカルト設定、コメディとシリアスのバランス、エピソードの処理など、「花とゆめ」らしい思春期もの王道スタイルと思える。背景や時間を省略して感覚の伝達に注力する少女マンガ的作劇のおかげか、よけいなことに気を回さずテーマに集中できる。

身動きできない状況から少しずつ歩き出す物語。そういう物語が必要な人や時期はある。自分が顔を上げて生きていけるエネルギーは、誰かに与えられたものだし、自分も誰かに与えられる人間になりたい、という願いは本道だと思う。

アニメ版だと、情報量の多さが仇になってか、愛されない自分、受け入れられない自分、他人が望む形ではない自分への罪悪感や苦悩、自己嫌悪が強調されて、いささかくどくなってしまっていると思う。コンプレックスの存在によって対人関係における消極性や臆病さが肯定され、さらに「傷ついている自分」へのナルシスティックな視線に繋がっていくと、本筋のテーマが逆転してしまう。草魔一族がよってたかって「こんなにも呪われ傷ついている私を癒せるか〜癒せないだろ〜癒せないくせに〜、でも癒しておくれ〜」と本田透に寄りかかってくる話に見えてしまうというか。実際そういう部分はあるので、演出のバランスが難しいと思った。

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「出版指標年報 2002」拾い読み (020720)

01年の出版動向をまとめた2002年版「出版指標 年報」(全協・出版科学研究所)が図書館に入った。かみ砕いた解説がお気に入りの一冊だ。昨年に続いてマンガ関連の動向を拾い読みしてみたい。

(ちなみに「出版指標 年報」は一般書店では取り扱っていません。発行元へ直接申し込むことは可能ですが、結構高いので図書館を利用するのがいいでしょう。なお、文中での部数は全て推定です。「出版指標」のデータはトーハンの扱いから算出されたもので出版社・書店・顧客間の直取引は含まれないそうです。)

コミックス(単行本)
01年のコミックス推定販売金額は前年比4.6%増、販売部数では3.8%増となり、2年連続で前年比プラスとなった。主な理由は2つ。ひとつめは、週刊少年ジャンプ連載作に代表されるアニメ化作品のコミックスが好調だったこと。もうひとつは、過去の人気作品の廉価版、新装版コミックスのヒットだ。

アニメ化作品の代表格は「ONE PIECE」。02年7月には単行本第24巻が初版252万部という出版史上最高記録を達成している。TV東京が「シャーマンキング」「テニスの王子様」「ヒカルの碁」を水曜のゴールデンタイムに3本並べて放送と、ジャンプアニメが攻勢をかけている。花とゆめ連載の「フルーツバスケット」もアニメ化で原作人気を押し上げた。週刊少年サンデーは「名探偵コナン」「犬夜叉」に加えて、深夜枠で「ARMS」「天使な小生意気」をアニメ化。週刊少年マガジンも深夜枠で「はじめの一歩」を放送。
魅力的な原作がアニメ化をきっかけに新規読者を開拓して売り上げを伸ばしている様子が見て取れる。

廉価版コミックスは、新刊点数が前年比で約3倍(250点→765点)という驚異的な伸び。13社が参入し、販売部数で漫画文庫に並んだという。人気作品のリバイバルが、マンガ市場の急成長期に子ども時代を過ごしマンガに思い入れの強い20代後半から30代(〜40代?)のファンを掴んだ。低価格コミックスだけでなく、「SLAM DUNK」「らんま1/2」といった愛蔵新装版もよく売れているという。

「現在のコミック読者の中心は80年代にコミックを夢中に読んでいた、当時10代半ば〜20代の世代。年齢で言うと今の20代後半〜30代前半。」(出版指標年報2002より)

この指摘には僕自身(30歳)もズバリあてはまる。マンガは子どもだけのものではなくなった。しかし、それはマンガに強い影響を受けた世代が年を重ねているだけなのかもしれない。ゲームやインターネットなどなど、余暇時間を奪い合うライバルたちの中で、マンガは特別な存在ではなくなっている。


次に、個別の作品タイトルで見てみよう。
(部数レースに拘りはないので、気楽に読んでください。)

少年向けでは、「ONE PIECE」の快進撃は上述の通り。単行本累計刷り部数は6,000万部を越えて、1億冊も射程に入ってきた。「HUNTER x HUNTER」(初版160万部)は安定したヒット。「名探偵コナン」(初版145万部)も安定感と息の長さで1億冊到達の可能性は高い(累計約7,400万部)。「犬夜叉」はアニメ化で女性ファンなど新規読者を開拓して躍進した(18巻初版45万部→24巻初版100万部)。

青年向けでは「バガボンド」(初版117万部)が他に大きく水をあける。青年誌掲載の非アニメ化作品としては驚異的。「頭文字D」(初版105万部)は手堅い。少女向けでは「花より男子」(初版119万部)が抜け出している。「フルーツバスケット」(初版55万部)、「彼氏彼女の事情」(初版50万部)などなど。印象としては、ジャンルを越えた知名度があるかどうかやアニメ化人気なども含めて、ブレイク作品のボーダーラインは初版50万部あたりにあるように見える。ハーフミリオンヒット、とでも言いましょうか。

個人的に面白かったのは、「ああっ女神さまっ」(21巻50万部→23巻初版48万部)と「ふたりエッチ」(13巻52万部→14巻初版48万部)。「女神 VS 人妻」ヒロイン対決のデッドヒートが続く。「ラブひな」(7巻58万部→13巻初版54万部)が微妙に上回っているところが妙に味わい深い。


他のトピックとしては、01年5月に雑誌作成基準が緩和されたことを受けて、携帯ストラップやマウスパッドなどが付録に付いたコミックスが登場したことが挙げられる。「ちょびっツ」「攻殻機動隊2」などが話題になったが、基本的にマニア向けのサービス企画であり、話題性以上の魅力は感じられなかった。また、流通上は書店の買い切りとなるため、後日になって大量の在庫が店頭でたたき売られるケースも見られた……初回限定版クリスマスフィギュア付き「新世紀エヴァンゲリオン」第7巻のことですけど。ちなみにまだ売っているのを見かけます。


コミック雑誌
01年のコミック誌推定販売金額は前年比0.8%減、販売部数では2.1%減となり、96年以降6年連続で前年比マイナスとなった。93年から増加の一途をたどってきたコミック誌銘柄総数も、01年は減少に転じた。新作旧作を問わず面白い作品は手に取られているコミックスに対して、コミック誌は下げ止まる兆しが見られない。

「コミック誌はマニアックなファンに買われる傾向が年々強まり、単行本(コミックス)の発表媒体としての性格を強めているのではないか。これは文芸誌の現状ととてもよく似ている。文芸誌は赤字発行であっても、そこから生まれた単行本がヒットしてくれればトータルでの採算は合う。コミックスの好調ぶりと定期誌の衰退減少は、規模は違うが文芸誌に似てきた。」(出版指標年報2002より)

と、コミック誌の文芸誌化が指摘されるに至っている。好きな作品は単行本でまとめて読むのが主流で、場合によっては雑誌を手にとってもそこだけはとばす、という読者も。

ただ、推定販売金額が前年比0.8%減とはいえ、その下げ幅は過去3年と比べると小さい。コミック雑誌低迷の中で大きく貢献したのは、新潮社が創刊した週刊誌「コミックバンチ」である。「なつかしズム」と言われるリバイバル・続編・リメイク作品ブームはコミック誌においても01年度のトピックだった。特定作品に的を絞った増刊号、特別編集号の企画も目立った。続編・外伝中心でスタートを切った「イブニング」など、既存作品のファンをターゲットにした雑誌が登場する一方で、子ども向けコミック誌の推定発行部数は6年連続で前年度比マイナスと動きは鈍い。

「コミック誌市場はすでに大人の動き如何にかかっているのだ。」(出版指標年報2002より)
と、読者の高齢化が指摘されている。

2冊パックやおまけ付きで話題を呼んだ「イブニング」の戦略は、付録に関する規制緩和の賜物。2冊パックの場合、1冊が付録扱いなのだそうだ。

個別の雑誌タイトルで見てみると、やはりまず気になるのはジャンプVSマガジンのNo.1部数争い。アニメ化で次々ヒットをとばして部数減少に歯止めをかけるかに見えた週刊少年ジャンプは、意外にもコミック誌不振の波を受けて363→340万部と再び減少へ。作品がヒットしてもコミックスは売れるが雑誌は伸びないという悩みを抱える。しかし一方の週刊少年マガジンは、「GTO」「ラブひな」の終了もあり大幅な部数低下が続いて380→350万部へ。01年中には部数トップが交代するだろうという僕の予想は外れたが、両者の勢いに明らかな差がある以上、週刊少年ジャンプが「再び週刊コミック誌1番誌になるのは時間の問題だ。」(出版指標年報2002より)と言えよう。週刊少年サンデーも168→150万部と部数を減らした。

少女向けでは「ちゃお」(75→82万部)の好調が続いているという。「りぼん」は136→126万部。「フルーツバスケット」などを擁する「花とゆめ」は40→42万部。僕はあまり馴染みのないジャンルだが、ハイティーン向けで「少女コミックCheese!」が20→35万部と大躍進している。

青年向けではヤングジャンプ(145→147万部)、モーニング(70→72万部)が部数増。モーニングは「バガボンド」「ジパング」さらに02年は新連載「ブラックジャックによろしく」など、話題性と娯楽性を併せ持った作品に恵まれている。ヤングマガジンは前年並みをキープ、ヤングサンデーとビッグコミックスピリッツは部数減。

ビッグコミック、ビッグコミックスペリオール、ビジネスジャンプは軒並み部数減。スーパージャンプ(44万部)が前年並み。「リングにかけろ!2」ってそんなに人気あったのか。オールマン(30万部)は微増……でも、02年7月に休刊しました。結構売れていたのも意外なら、にもかかわらず休刊したのも不思議。

昨年「最遊記」のヒットで部数倍増を果たしたGファンタジーは前年並みを維持したが、その「最遊記」が新雑誌コミックゼロサムへ移籍。コミックBLADEなど新雑誌の参入でエニックス系コミック誌は流動的な状態だ。


コミック市場の今後は?
01年の出版物全体に占めるコミック関係の比率は、推定販売金額で22.9%(前年21.8%)、推定販売部数で38.2%(前年37.0%)と上昇。これは、出版不況にあってコミック関連は比較的健闘していることを示している。しかし、その粘りは「懐かしズム」という過去のヒット作のリバイバルブームによるところが大きい。読者層のターゲットはかつてのマンガファン(30代メイン)に向かいつつあるが、それがいつまで続くのかは見えない。アニメ化などを通じたキャラクタービジネスに対応できる子ども向け作品と、コアなマンガファン向けの文芸化作品とに市場は2極化していくのだろうか。

多くの世代で、マンガを読むことに対する抵抗感はもうないと思う。しかし、好きな単行本を読み、雑誌を読まないスタイルは、新しい作品と出会う機会をより限定するかもしれない。単行本を出す前の読み切り・新人作家にとっても状況は厳しくなる。

「マンガを読むことに抵抗はない。なにか面白い作品があれば読むけれど……。」
という潜在的な読者を掘り起こすには、アニメ化やドラマ化が良いきっかけになる。普段マンガを読んでいない層にアピールできた作品がヒットに繋がる。こうして、コミック市場もどんどん文芸ジャンルの構造に似通っていく。


おまけ:プロのマンガ家が食べていくにはどれだけ売れればいいのか?
(非常に粗い概算なので、あまり信用しないでください。)

設定:コミックスの印税は定価の1割。雑誌連載時の原稿料は制作費(光熱費、画材費、アシスタント人件費など)と相殺。年収500万円稼ぐには、何部刷ればいいか?

1)週刊誌の場合
1年間に50週、20P/号掲載なら年間1000P。単行本1冊200Pとして年間5冊。単行本定価400円として印税40円/冊。500万円稼ぐには125,000冊。単行本1冊当たり25,000部となります。

2)月刊誌の場合
1年間に12号、40P/号掲載なら年間480P。単行本1冊200Pとして年間2.4冊。単行本定価550円として印税55円/冊。500万円稼ぐには909,09冊。単行本1冊当たり37,879部となります。

年間生産ページ数が多いほどアシスタント等の負担も大きいだろうから週刊誌のパフォーマンスはもっと低いとして、返品率が25%で、乱暴にサバ読んで、5万部/冊あたりが到達ラインでしょうか? これは連載と単行本化がコンスタントに続いている状態の話なので、年間発行冊数が少なければ一冊当たりの要求部数はもっと高くなります。「ハネムーン・サラダ」第4巻で6万部などという数字を見ると、このハードルは十分すぎるくらい高い。

新刊点数が増えて回転も速いから、書店の棚に置かれている期間は短い。長く売れてくれる既刊本も、新古書店で買われたら印税は入らない。単行本が少ない新人作家や読み切り作家では輪をかけて状況は厳しい。

長期的には一冊当たりの単価上昇は避けられない流れだと思う。そして、これもマンガの文芸化への筋道となるのでしょうか……。

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■資料:コミックの市場規模と性犯罪件数の推移 (020303)

図1(非縮小版)

図2(非縮小版)

■注釈
1)資料は「犯罪白書」(法務省法務総合研究所)および「出版指標 年報」(全国出版協会・出版科学研究所)による。

■解説

本資料は、1970年代以降のコミック市場規模と性犯罪件数の推移を比較するものである。資料作成にあたっては、「青少年条例−自由と規制の争点」(清水英夫・秋吉健次編 三省堂 92年)から福島章「性表現と青少年」の項をおおいに参考にしている。

この項で福島は、性情報の氾濫が性非行や性犯罪を助長するのではないか、という「神話」に対して、「性情報の問題についていえば、コミックをはじめとする若者向け性情報の氾濫に反比例して、日本ではここ三〇年間、性犯罪が減り続けているのが「事実」なのである。」と述べている。確かに、示される資料(上記文献P30図1)では、60-90年にかけて強姦件数が大幅に減少していることが見て取れるが、その減少の大部分はコミック市場の統計データが始まる80年付近より以前に起こっており、高度成長がもたらした経済的・社会的安定に主因を求めるのが妥当だと思われる。そこで、本資料では、統計データをあらためて「犯罪白書」「出版指標 年報」からおこし直すとともに、70-00年のデータを採用した。

「図1 性犯罪刑法犯認知件数とコミック販売動向」では、コミック市場規模と性犯罪件数の間に正の相関は認められない。同時に、この30年で性犯罪件数は緩やかな減少もしくは横這いにあることがわかる。強制わいせつ件数については90年前後から緩やかな上昇に転じており、99-00年で急増している。上昇の原因は不明だが、社会環境の変化や法整備によって、それまで泣き寝入りを強いられていた被害者が犯罪行為を告発し易くなってきているとしたら、ひとつの説明になるかもしれない。

「図2 少年刑法犯、特別法犯の推移とコミック販売動向」では、コミック市場規模と少年性犯罪数の間に相関は認められない。ただし、図1とは異なり、ここでは認知件数ではなく検挙人員をデータに用いている。少年刑法犯のうち強姦と強制わいせつ等はこの30年間で緩やかな減少傾向にある。

特別法犯については、青少年保護育成条例の検察庁新規受理人数が00年に減少し、99年に施行された児童売春・児童ポルノ禁止法に取って代わられているのが見て取れる。90年代初等に幾つかの自治体で行われた青少年保護育成条例の改正が、少年性犯罪数に与えた影響は不明である。

コミック市場規模は90年代半ばをピークに縮小に転じている。95年以降、コミック誌は右下がりに歯止めがかからない。コミックスはヒット作品の有無によって前年比プラスとマイナスを繰り返しているが、やはり緩やかな減少傾向にある。なお「出版指標」のデータはトーハンの扱いから算出されたもので、出版社・書店・顧客間の直取引は含まれないとのこと。

■コメント

●本資料は、性情報の氾濫が青少年および成年の性行動に影響を与えないことを示唆するものではない。
●本資料は、性情報の増加が現実の性犯罪を抑制する効果を示唆するものではない。
●本資料からは、コミック市場規模の推移と性犯罪・少年性犯罪数の間に相関は認められない。

コミックに関して用いた資料は少年少女から一般向けまでを含んたものであり、いわゆるポルノコミックや成年コミックに限定したものではない。しかし、性犯罪数データが横這いまたは緩やかな減少傾向を示している(※)ことから、近年著しく成長した成年コミック市場との間にも相関は見られないものと推定される。これについては、最近20年間ほどの成年向けコミック市場の動向を表すデータを追加すれば明らかになるだろう。また、犯罪に関してもその被害者を児童に限定したデータがあれば新たな示唆を生むだろう。
(※刑法犯の強制わいせつ件数についてはあてはまらない。また、最近5年間、特に00年には強姦、公然わいせつ件数も上昇しているが、コミック市場が下降に転じている時期であり、やはり正の相関は認められない。)

福島は「このことから言えるであろうことは、日本におけるこの間の<性情報>の氾濫が、けっして彼らを<性行動>に駆り立てていたのではなく、おそらくはむしろ逆の作用を持っていることを証明している、ということである。」(上記文献P37)と述べている。その根拠として、性表現規制の厳しい韓国において強姦の少年人口比発生率が日本の約10倍高いこと(86-88年の資料)、アメリカでは強姦発生率が増加の一途を辿り90年には日本の25倍であること、日本の青少年の性行動は70年代に活発化したものの80年代には変化が止まり、これがコミック市場が売り上げを伸ばした時期と一致することなど挙げている。しかし、こうした指摘はそれだけでは性情報氾濫の有益性を支持するには不十分だと思われる。

性情報と性行動・性犯罪との関係性には慎重な検討が必要である。
性情報の性犯罪抑止効果を証明する事例としてよく用いられるのが、デンマークの例である。60年代の法改正によりポルノグラフィが解禁されたデンマークでは、その後性犯罪の発生率が急減した。この事例はポルノグラフィの有益性を示唆する証拠として用いられている。しかし、パトリシア・ウォレス「インターネットの心理学」(NTT出版)では、当時のデンマークや70年のアメリカ市場に出回っていた性描写は非暴力であり、合意に基づく性行為の描写であったと指摘されている。著者は「攻撃的なポルノグラフィは、とりわけ実世界での女性に対する差別的な態度と攻撃行動の引金となる可能性があり、心理学的に見ると、他のタイプよりましとは言い難い。」と述べている。その意味では、暴力性・倒錯性に関しては定評のある(?)日本の性表現は貴重なケーススタディを提供するかもしれない。

福島が指摘するように、青少年は性情報を貪欲に消費しているおかげで、実際の性行動や性犯罪に走らないのかもしれない。そしてこれは必然的にメディア・セックスの問題を浮かび上がらせる。現代人は、現実の代償として、いや現実の拡張として、メディア情報と深く関わって生活している。性情報の中に自らのセクシャリティを見い出してしまうこと。かつそれが現実にフィードバックする(あるいはしない)ということ。そうした生き様を、誰がどのように「評価」するのだろうか。

そう考えると、性犯罪数などよりも、むしろ個人のセクシャリティと生活スタイルの変化、そしてそれを社会がどう受容(あるいは対応)するのか、に注目すべきだと考える。

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マンガ表現規制問題をめぐる極私的不信感について (020302)

コミック表現規制をめぐる問題を考えていて思うのは、読者・作者・出版社……様々な立場でマンガに関わってきた人々が、マンガというメディアが持つ社会的な側面に対してあまりに無関心に過ぎるのではないかということだ。(無論、ここには自省も含まれる。)

92年3月、有害コミック規制問題が盛り上がっていたさなかに「コミック表現の自由を守る会」が発足した。マンガ家・編集者・出版社員といった、いわば当事者がコミック表現の法的規制に反対するため立ち上がったという意味で注目を集め、当時のマスコミにも大きく取り上げられた。発足後の配付資料には「一致点は『法規正反対』です。」とある。

現在のコミック表現に対して様々な批判があることは私たちも知っており、それについてはきちんと受けとめて議論していこうと考えています。ただ私たちが問題だと思うのは、それを法律や警察の力で取り締まろうという考え方です。

『コミック表現の自由を守る会』は、法的規制に反対するとともに、コミックに関わる当事者たちがそうした表現についての問題を議論する場として作られました。現状のコミックの表現については発起人の間でさえ評価はまちまちです。ただ、それらをお上に委ねるのではなく、自分たちの問題として論議していく場を作ろうという思いで皆が集まりました。
(会発足後の配付資料より)

表現規制反対の趣旨については、それがこの会の第一の目的であることを確認しておくにとどめ、ここではあえて上記引用部分に注目したい。法規制に反対するとともに、現状のコミック表現をめぐる問題については「きちんと受けとめて議論していこうと考えています。」「自分たちの問題として論議していく場を作ろうという思いで皆が集まりました。」とコメントしている。

そこで問いたい。
「それで、どのような議論が行われましたか?」

出版業界は91年に「成年コミック」マークを導入した。各自治体は91-92年にかけて相次いで青少年条例改正を行った。「守る会」事務局長の篠田博之(「創」編集長)は、後手後手に回った反対運動を「第2ラウンドまでは完敗」と評した(「誌外戦」183P)。ところが第3ラウンドとして意識された中央立法の動きは、規制運動の急速な衰えとともに下火になる。規制運動が下火になった原因としては、条例改正や出版社・書店での自主規制など、規制推進サイドにとって目に見える成果がもたらされたことによる、ある種の達成感が挙げられるだろう。「守る会」などによる法規制反対のアピールが中央立法阻止に貢献した、という評価もある。

そこで、問いたい。
「それで、現状のコミックの表現についてどのような議論が行われましたか?」
「現在のコミック表現に対して様々な批判があることを、どう受けとめたのですか?」

92年11月、会報「誌外戦」発刊。この頃になると、コミック規制運動は退潮。「守る会」の方も闘う相手がいなくなっていささか手持ち無沙汰になる。毎月1回のペースで開かれていた世話人会も次第に開催頻度が落ちてくる。
(篠田博之「「コミック表現の自由を守る会」法規正反対運動の中間総括」/「誌外戦」(創出版))

この記事からは、規制推進派と時期を同じくして「退潮」する「守る会」の姿がうかがえる。
90年代頭の有害コミック問題は、主として青少年健全育成の文脈でとらえられ、性表現の内容についての議論は(特に性暴力や虐待の視点からは)あまり表に出なかった。「表現の自由」と「青少年健全育成」がぶつかり、結果的に「成年向きと明示して子供の手に渡らないようにする」という一線で折り合った。性差別の視点からポルノ問題に取り組んでいた一部の勢力は、この「問題」からはある意味蚊帳の外に置かれていた印象がある。

こうした経緯から、ひとつの思いがもたらされる。
表現規制に反対した当事者たちは、つまるところ「表現の自由」の名の下に、自分が描きたいものを描き、自分が売りたいように売り、自分が読みたいように読む、という行為を全面肯定したかっただけであり、「コミック表現の現状について自分たちの問題として受け止めて議論していきたい」というアピールは、耳障りのいい方便に過ぎなかったのではないか、という不信感である。

当時の有害コミック騒動は、生まれて間もない美少女コミック市場を一時的に壊滅状態に追いやった。しかし、数年してほとぼりが冷めるにつれ、成年コミックマークのお墨付きにも後押しされて、成年コミックは以前を遙かに上回る市場へと発展してきた。この10年間をリアルタイムで見てきた作り手・送り手そして受け手たちは、コミック表現と社会状況の変化をどのように受け止め、何を「議論」してきたのだろう。「自然淘汰される」「自浄能力がある」という彼らの発言が「何もしない」ことの言い換えではない、と信じさせるに足る取り組みを行ってきただろうか。

そして10年。
棚上げになっていたラウンド3、コミック表現規制に関連する中央立法が、現在続々と準備されている。(青少年健全育成がらみの「有害社会環境対策基本法」もある。)その中でまず浮上してきたのがいわゆる「児童買春・児童ポルノ禁止法」の見直し問題だ。子どもを商業的性的搾取から守る目的の法律だが、そこで「絵」を児童ポルノとして規制しようという流れに対して、現実の被害者が存在しない絵を規制対象にすることに反対する動きが出ている。

「連絡網AMI(=Animation,Manga,Interactive GameNETWORK)」は、これらの表現規制立法に反対の立場をとる組織(メーリングリスト???)である。01年冬のコミックマーケットで頒布された同人誌「児ポ法改悪問題2001 AMI連絡帳Vol.1」(連絡網AMI)では、この問題について多くのマンガ家がコメントを寄せている。巻頭の4Pコミック「児ポ法問題に立ち向かえ!!」では、この問題と規制反対のスタンスが平易に解説されている。しかし、そこには10年前と同様に議論の不在が見て取れる。

「漫画が犯罪を助長してる証拠はあるの? 助長してない証拠もないって言いたいかもしれないけど 取り締まろうとするならそっちから証拠出すのがスジってもんだからね!」

「そんなもん子供が手に取ったらあなた叱ったらいいじゃないの それともあなた方自分の子供もきちっと叱れないのかな…?」

「なる程その目的通りならイイ法律ですね 違反者はおおいに取り締まって頂きたいものです」
(「児ポ法問題に立ち向かえ!!」(あざみの圭二)/「児ポ法改悪問題2001 AMI連絡帳Vol.1」(連絡網AMI))

一見筋の通った意見だが、これらの主張は前述した不信感を払拭してくれない。このマンガでは、規制推進派として母親やPTAのイメージを設定し、コミック表現に対する彼らの無理解と見識の低さに呆れかえる、という姿勢が貫かれている。しかし他方で、社会との関わりに無関心なマンガ擁護者は、犯罪を含む社会的要素にコミック・メディアがどう関わり、あるいは関わっていないかのデータを内に持っていない。それは有害だと思う側が調べることであって、有害ではないと思う自分たちには関係ない。(少なくとも自分から積極的には調べなくていい。)子供を「きちっと叱る」必要性は認めるが、それは親がやることであって、社会や、ましてや自分には関わりがない……。そんな読み方は意地悪に過ぎるだろうか。

表現の自由を主張するときに決まって付け加えられる「もちろん私たちもCSEC(子どもの性的搾取)には反対です。」と言う言葉は、今度も「マンガと私に関係ないところで勝手にやってください」という態度以上の意味を含んでいないのではないか。「表現の自由」の言葉の裏にあるのは「自分が好きでやっているのだから邪魔をしないで好きにやらせてくれ」という本音かもしれない。しかし、この一方通行な要求だけのコミュニケーションは、一足飛びに法規制を訴える側の姿勢と比較して、どれほど相手の心に届く力を持っているだろうか。
(もちろん、この不信感が不当に歪んだもので筋違いだという批判もあると思う。)

知らないところで知らない奴らがとんでもないことを企んでいる。では、それをいまだに知らないままでいる我々は何なのだ?
マンガとは?キャラクターとは?性表現とは?青少年健全育成とは?有害環境とは?
必要なのは、とりあえずの規制反対を叫ぶことで思考停止せずに、マンガを含む社会の有り様を継続的に考えていく姿勢だろう。

ただ好きなマンガを読んでいるだけでは、そのうちに、ただ好きなマンガを読むだけのことができなくなってしまうかもしれない。

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「出版指標 年報 2001」拾い読み (010804)

00年の出版動向をまとめた2001年版「出版指標 年報」(全協・出版科学研究所)が図書館に入ったので、マンガ関連の動向を拾い読み。この本は、統計資料だけでなく解説も詳細で、いろいろと面白いことが書いてあるので気に入っている。興味のある方は一度目を通してみるといいかも。一般書店では取り扱っていないので、発行元へ直接申し込むか、または図書館へゴー。

以下に動向の紹介と雑感を。(なお、部数は全て推定です。「出版指標」のデータはトーハンの扱いから算出されたもので出版社・書店・顧客間の直取引は含まれないそうです。)

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■コミック雑誌編
00年のコミック誌販売部数は前年比5.7%減。ピークだった95年と比べると22.3%の減少であり、年々減り続けている。程度の差はあれ、少年・少女から大人向けまでこの減少傾向は変わらない。月刊誌よりも週刊誌、子ども向けよりも大人向けの雑誌の方が落ち込みは大きく、サイクルの早い週刊誌に大人読者層がついてこなくなっていることが見てとれる。作品を雑誌で追いかける労力よりも、コミックスに絞って効率良く読みたいという意識のあらわれだろう。

00年の3大少年誌を見てみると「週刊少年マガジン」(380万部)が400万部の大台を大きく割り込んだ。昨年に続く部数減は、連載の長期化に伴う誌面の硬直化によるところが大きいだろう。98年に大ヒットした「GTO」(20巻)は充電期間を挟んで継続しているが当時の勢いはない。「はじめの一歩」(57巻)「シュート!」(累計57巻)「勝負師伝説 哲也」(21巻)と主力作品の長期化が目立っている。ヒット作「金田一少年の事件簿」(27巻)が00年12月に終了したものの、同じ作者による新連載「探偵学園Q」は探偵路線を踏襲。「コータローまかりとおる」(累計58巻)も「コータローまかりとおる!L」とタイトルを変えて継続。誌面刷新に対して編集部が消極的と見られても仕方がない状況だ。ジャンプ作品としか思えない「RAVE」、おたく心を掴んだ「ラブひな」、異色の芸能もの?「DRAGON VOICE」などユニークな試みはあるものの、雑誌全体としては停滞感の方が強い。「GTO」と「金田一少年〜」が押し上げた部数を維持することは出来なかった。
ライバルの「週刊少年ジャンプ」(363万部)は前年並み。一時は600万部に達した同誌もこの5年間で激減した。しかし、子ども向け作品に立ち返る編集方針が徐々に実を結び、部数減少に歯止めがかかった。「ONE PIECE」「HUNTER X HUNTER」のヒットに加え、00年時点ではアニメ化されていない「テニスの王子様」「シャーマンキング」「ヒカルの碁」「NARUTO」などが好調で雑誌を支える。「ONE PIECE」は連載当初から評価が高い作品だったがTVアニメ化で一気に火がついた。TVアニメの方は01年春から放送時間が水曜から日曜夜ゴールデン枠へと移動。01年には「シャーマン・キング」「ヒカルの碁」のTVアニメ化も控えている。こうした状況をみるに、週刊少年ジャンプが再び部数ナンバーワンの座を奪還する日も近いと思われる。
「週刊少年サンデー」(168万部)は微増。安定感はあるものの「名探偵コナン」に続くヒット作品が出ない同誌だが、00年秋にTVアニメ化された「犬夜叉」が好調とのこと。

青年、一般向けでは「ビッグコミック」(82万部)「ビッグコミックオリジナル」(156万部)「ビッグコミックスペリオール」(55万部)「ビジネスジャンプ」(60万部)などは比較的安定。一方で「ヤングジャンプ」(前年160→145万部)「ヤングマガジン」(前年143→130万部)「ヤングサンデー」(前年45→41万部)はそれぞれ前年比で1割ほど部数を減らした。週刊誌が厳しい中で「モーニング」は人気作「バガボンド」「カバチタレ」に加えて「ジパング」が貢献し、前年並みの70万部を維持した。部数増加傾向が続いている「ヤングアニマル」(25万部)は「ベルセルク」「ふたりエッチ」両人気作品の貢献度が高そうだ。大人向けでは、「週刊漫画ゴラク」(前年33→38万部)が「銀牙伝説ウィード」のヒットで部数増となった。週刊プレイボーイ連載の「キン肉マンII世」が成功したのを機に、「リングにかけろ2」をはじめ往年の人気作品の続編が続々登場し、ちょっとした復活ブームとなっている。また、不振のテコ入れのため「漫画アクション」がポルノ路線に転換して読者を驚かせるという出来事もあった。

少女向けは、「りぼん」(135万部)「なかよし」(50万部)「別冊マーガレット」(62万部)が前年並みをキープまたは微減。とはいえ「なかよし」はセーラームーンのヒットで200万部超を達成した93年当時の約1/4まで減らしている。「りぼん」「別冊マーガレット」もピーク時からの減少幅は100万部を超えており、この3誌は少女向けの中でもこの5年間で大きく部数を減らしたグループに入る。一方で「ちゃお」が部数を伸ばした(前年65→75万部)。「Dr.リンにきいてみて」が01年春にTVアニメ化されている。「花とゆめ」も前年36→40万部へと伸びた。こちらは「闇の末裔」がWOWOWで、「フルーツバスケット」が地上波でアニメ化されている。

ポケモンの大ヒットで97年に200万部を記録した「コロコロコミック」は124万部まで減ったがそろそろ底打ち感も。「コミックボンボン」(30万部)、「少年ガンガン」(25万部)は安定。トピックは「Gファンタジー」の躍進(10万部)。「最遊記」がアニメ化されてヒットしたことで部数倍増を果たした。人気作品で雑誌部数倍増と言えば、「美少女戦士セーラームーン」のヒットで掲載誌の「なかよし」がほぼ倍増を果たした例がある。規模の差はあれど、ヒット作品こそが雑誌を引っぱる原動力であることに変わりはない。

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■単行本編
00年のコミックス販売部数は前年比3.0%増。95年以降、コミックス販売部数は一年おきに前年比プラスとマイナスを繰り返している。プラスの原因は、96年は漫画文庫ブーム、98年は「GTO」ドラマ化による大ブレイクとされている。そして00年は、週刊少年ジャンプ連載作品の好調に加えて、廉価版コミックスの出版が相次いだことが貢献したという。旧作を再編集した廉価版コミックスは、99年に小学館が始めた「My First BIG」シリーズが好評で、コンビニ流通ルートを開拓したこともあり、その後は小学館「ブルーコミックス」、新潮社「バンチワールド」、白泉社「MY BEST SILKY」、双葉社「3coins comics」、日本文芸社「Gコミックス」、集英社「SHUEISHA REMIX」などなど、各社の参入が相次いでいる。こうした廉価版コミックスには往年の人気作品を中心に面白さがわかりやすい作品を手軽な価格で提供できる特徴がある。しかし廉価版コミックスは同じコンビニ流通の中綴じ週刊誌とも競合する。衝動買いで両方を買うまでは至らず、どちらかを選ぶとすれば面白さがわかっている方をというわけで、廉価版コミックス市場の過熱は一方で週刊誌苦戦の原因の一つにもなっている。旧作の2次利用が成果を上げているのはともかく、新作市場の魅力が低下していることは将来への不安を感じさせる。

雑誌は買わずに読みたい作品はコミックスでという傾向は強まっており、単行本部数が掲載誌部数を上回るケースは珍しくない。アニメ化などで固定ファンがついた作品ではこの傾向が顕著で、例えば「ああっ女神さまっ」(50万部)は「月刊アフタヌーン」(23万部)の倍以上となっている。掲載誌の部数を倍増させた「最遊記」は初版45.6万部と掲載誌の4倍以上を刷っている。それはそれとして、00年単行本作品のトピックはやはり「ONE PIECE」。過去に「ドラゴンボール」がなし得なかった初版200万部超えを達成した。

全体的に00年のヒット作にはアニメやドラマ化された作品が比較的少なかったという。このことは、比較的新しい作品が読者の支持を集めていることを示唆する。個々の例を挙げることは難しいが、週刊少年ジャンプ連載作品の好調にその傾向を見てとれるかもしれない。力のある原作がアニメ化されると原作へのリターンも大きい。00年にアニメ化され、コミックスの売り上げにも貢献したとされる「ONE PIECE」「HUNTER X HUNTER」「はじめの一歩」「犬夜叉」「ラブひな」「最遊記」などは、どれも連載開始時にはメディアミックス展開が未定だった作品である。一方で、企画時点からメディアミックス路線でアニメと併走するマンガ作品が90年代以降増加しているが、こちらは固定客層を超えて伸びてくるケースが少ないように思う。ストーリー展開やペース配分に他メディアからの影響を受け安く、マンガ単体としての魅力に欠けるケースが多い。アニメを当てればデカい、というのは昔も今も同じだが、マンガへの見返りの大きさは当然マンガ作品の魅力に拠るところだ。

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■新古書店による影響落ち着く?
「出版指標 年報 2001」では、00年にコミックスの販売部数が前年比プラスとなったことなどから「新古書店の影響も99年以前と違い、脱した感もみられる。」とコメントしている。

新古書店は出版されて間もない書籍を安価に販売してしまうから新刊書店の売り上げに大きな影響がある、という説もあったが、実際に最も影響を受けているのは「新刊書店で売られている既刊本」だろう。新古書店の登場以降、新刊書店では既刊コミックスの動きが鈍くなったという。これに対して、新刊書店では店頭での新刊販売比率を上げる対応をとった。小学館コミック営業部によると、新刊対既刊の割合は以前の5対5から7対3にまでなっているという。つまり、新古書店と競合する既刊本よりも、新刊の売場スペースを増やす手を打ったのだ。単行本の売り上げは発売直後が最も大きい。思い切って新刊にシフトすることで新古書店との差別化を図る戦術は一定の効果をあげているようだ。しかし、このやり方には弊害もある。流通に占める新刊の比重が増すため、既刊本の重版がかかりにくくなるというのだ。良質な作品が長く売れ続けるスタイルから、発売直後に一気に売り切り、その後は新古書店市場で長くリサイクルされていくスタイルへ。この転換で一番割を食うのはマンガ家であることは容易に想像される。01年5月の「21世紀のコミック作家の著作権を考える会」のアピール文では、印税収入につながらない2次市場の拡大が作者の権利をおびやかす危険性が指摘された。01年6月の日本ペンクラブによる「著作者の権利への理解を求める声明」でも、マンガ喫茶・新古書店問題に対して著作権者の権利保護を法改正も視野に入れて進めるべきと主張されている。

00年のトピックとなった廉価版コミックス出版ラッシュも、新古書店への対応という側面がある。ペーパーバックスタイルの廉価版コミックスは耐久性がなく、本棚にずっと置くよりもその場限りの読み捨て傾向が一段と強くなっている。こうした廉価版コミックスは雑誌と同じく2次市場での価値が低い。新古書店にしてみれば、新刊との価格差もさしてアピールできず、買い取ってもクリーニングの手間で足が出るし、新作ほど回転も良くないので店内スペースを食う、と散々な商品だと思う。つまり、新刊市場にとって廉価版コミックスは2次市場へ出回ることの弊害が少ない効率のいい商品と言える。多くの出版社がこのジャンルに力を入れてきた理由はこんなところにもあるのかもしれない。ただし、前述したように作品の2次利用の裏で新作市場の活気が失われることはマンガ界にとって望ましいことではない。

新古書店やマンガ喫茶の影響について説得力のある報告や統計はいまだ出てきていないと思える。出版不況の中、影響が大きく採りあげられるコミックスよりも、新古書店とはあまり縁がないはずのコミック誌の方が部数の落ち込みは大きいという事実がある。00年のデータでも、コミックス販売部数が上向いたのに対してコミック誌の部数減少傾向には歯止めがかかっていない。マンガ雑誌・単行本の売り上げ不振に新古書店やマンガ喫茶の影響がないなどとは言わないが、原因はそれだけでは済まないというのが現状だ。最も大きな原因は、既存流通システムによる国内市場が既に飽和していることにあると思っている。環境整備の進むオンライン書店も、表面的には共存といいつつ実際は既存書店とのシェアの奪い合いになるだろう。

読みたい本や作品はどこで手にはいるのか。安く、あるいは早く、そして確実に。書籍は「コンテンツ」「ソフト」というカタカナ語にその意味を変え、映像や音楽とともに情報の海へと投げ出されていく。その中で読み手と作品はどうやってお互いを見つけていくのだろうか。

誰か在る。出会え。出会え。

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「21世紀に残したいアニメ作品BEST100」 (アニメージュ01年01月号特集から)(001210)

アニメージュ01年01月号の特集は「21世紀に残したいアニメ作品BEST100」。
編集部の推薦と読者アンケートを元に選んだ100作品を紹介している。とはいうものの、結果的に読者アンケートから選ばれたのは10作品のみで、残り90作品が編集部のセレクションである。というのも、読者アンケートの結果がここ数年の作品に集中してしまい、企画意図とのミスマッチが否めないからだと思われる。読者アンケート上位には「CCさくら」「HUNTER X HUNTER」「最遊記」「ONE PIECE」「ラブひな」……といった最近の作品が連なり、アニメージュの読者層、少なくともアンケート参加者における低年齢層の比率が高いことを示している。また、キャラクター主導の人気作品に票が集まっており、最近のアニメ作品消費の有り様を反映している。

読者アンケートの結果からは、90年代コミケ世代とでも言うべきアニメファン像がみてとれる。しかし、それ以外の層はどこへいったのだろう。ポケモンを楽しんでいる子どもたちは? アニメネタならご飯が何杯でもいける20〜30代のコアなファンたちは? 彼らはアニメを見ているが、アニメ誌は見ていないかもしくは参加する気がないと思える。このことは、アニメ情報誌が幅広い年齢層のアニメファンにとって魅力的な媒体になっていないことを示している。アニメ誌の中では比較的硬派イメージのある老舗アニメージュにあっても、「アトム」までとは言わずとも「ガンダム」すら本企画アンケート上位10作品に入らないという結果に、アニメ文化の地盤の弱さと、メディアとして自らの立ち位置にジレンマを抱えるアニメ誌の苦悩がうかがえる。

極私的には、こうした企画で商業アニメの歴史と成果を俯瞰するのは大事なことだと思っている。編集部の選んだ90作品は、バランスを考慮したセレクションでなるほどと思わせる。併録されたクリエイター個人によるセレクションが各自バラバラであるのも当然のことで、だからこそ一方で好みを抑えて俯瞰した視点に意味がある。
最近、過去の作品があらためてDVDソフト化されるケースが目立ってきた。「メガゾーン23」「ウインダリア」といった極私的にも思い入れの深い作品や、「バース」のようなOVA黎明期の作品がリリースされるのはありがたいことだ。願わくば、こうした作品がオールドファンの懐古のためだけでなく、新しいファンにも新たな出会いをもたらすものであって欲しいと思う。

そのためにも、アニメ作品史を広い視野でまとめた文献やデータベースの存在は重要だろう。昨今のディープさを売りにした企画本ラッシュも、資料としてはいささか扱いにくい。その中で、もうずいぶん前に出版されたジ・アート・シリーズ「劇場アニメ70年史」「TVアニメ50年史」(徳間書店 アニメージュ編集部編)の2冊は貴重な資料だ。(僕は手元に持っていないので古本屋を探しているのだが見つからない。)公開日と上映時間、スタッフ名に加え、あらすじと簡単な解説が、なんと大正6年の作品から載っている。年間ベスト企画用に毎年放映データリストを作っていたアニメージュらしい良い仕事である。アニメージュ創刊10周年記念だったこの本の発行は89年。収録は88年劇場公開作品までであり、「となりのトトロ」「AKIRA」「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」(いずれも88年公開)がぎりぎりセーフといったところで、今となっては古さは否めない。

アニメージュは98年に20周年を迎えている。ぜひとも2000年までに発表された作品を追加した「20世紀日本アニメ史」を、「劇場アニメ」「TVアニメ」「OVA」の3冊にまとめて出版して欲しい。高くても買いますよ!できればこうしたデータが5年おきくらいにまとめられるといいのだが。

アニメ誌だからこそ出来る企画がなぜか読者と乖離してしまうといういささか残念なジレンマを抱えるアニメージュ。一方で、はなから割り切ってそんな総括特集など組まずに、01年の新作情報と関連メディアの話題に集中するニュータイプ。元気がいいのは確かに後者なのだ。アニメ系コンテンツに敏感に反応し、自身も積極的にメディアミックス戦略の一部たろうとするニュータイプの姿勢は、ここ数年のアニメ誌再編の動きの中でひとつの雛形と言える。

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「表現と著作権を考える」第2回シンポジウムに行く(001119)

コミケット主催の第2回シンポジウム「表現と著作権を考える」に行った。
11/18(土)14:00〜17:00、渋谷フォーラム8の10階ロイヤルホールにて。参加費1000円なり。
なお、以下はKoujiの極私的レポートであり、正確性・客観性について(努力はしますが)保証はいたしませんのでご理解・ご了承下さい。

今年2月に行われた「緊急シンポジウム 表現と著作権を考える」(東京ビッグサイト国際会議場 2/6 13:30-17:00・有限会社コミケット主催)に続く、表現と著作権に関する勉強会企画の第2回。シンポジウム形式の企画は今回でひとまず終了。前回分も含めて、シンポジウムの内容をまとめた冊子を2001年夏をめどに刊行する予定とのこと。 前回の参加者は500-600名程度に留まり、主催者側が期待した同人誌の描き手の参加があまりなかったという。今回は日程や概要を往復ハガキで問い合わせるというある種の敷居の高さもあって、150名程度の参加とあいなった。20〜30代がメインで、半数以上が前回も参加した方だったようだ。

作家、評論家をパネリストに迎えた前回に対して、今回は弁護士など法律の専門家を招いて、より実際的な発言が飛び交った。パネリストは以下の通り。(敬称略)
牧野二郎(弁護士)---インターネット時代の著作権に関する活動で知られる
飯田圭(弁護士)---マンガジャパンの顧問弁護士
石井裕一郎(弁理士)---コミケ参加歴も長い
みなもと太郎(マンガ家)---最近はコミケにも参加
米沢嘉博(司会)

全体としての感想は、とても面白く有意義な内容だったということに尽きる。
僕が無知なせいもあるが、前回の10倍くらいためになったし、楽しくもあった。

第1部(14:00〜15:15)では、米沢氏のイントロの後、4名のパネリストがそれぞれの立場で順番に発言する形で進んだ。インターネット時代の著作権に関わる問題、著作人格権と経済権、特許と商標について、著作者の権利、引用についてなどが話題にのぼった。法律そのものは確たる存在として広く公開されているものの、例えばパロディ同人誌ならこれでグッズ類の場合はこちら、キャラを上手く似せて描くほど複製権に引っかかりやすくなります等、個々の概念を具体的な事例に置き換えて話してくれるので直感的にわかりやすく、弁護士・弁理士のスキルとはつまりこういう部分にあるのだなと感心した。
作家の立場から発言したみなもと氏は、前回のシンポジウムに聴衆として参加されていたそうで、今回のシンポには事前にかなりの準備をして臨まれた様子。30年のマンガ家歴の間に体験した事例を豊富な資料とともに披露された。中には一同爆笑もののエピソードも。ご自身の関心を主に「作品内の風景やモノに既存の企業名や製品名を使ったらまずいのか(既存名称の使用)」「作中で歌を歌ったり替え歌を書くのはどうなのか(楽曲の使用)」「昔は映画などを元ネタにしたマンガ作品などもあったが?(メディアの違いを含む2次著作の問題?)」の3点にまとめて、これが本シンポジウムの実質的な流れとなった。みなもと氏の発言は、描きたいから描く、描いたら読んでもらいたい、という率直かつ一貫した立場からストレートに発せられるもので、コメントする弁護士・弁理士の方も答えやすく、聴衆にも身近に受け取れたのではないだろうか。

休憩をはさんで、第2部(15:35〜17:00)では、1部でみなもと氏の挙げた3つのポイントについて他のパネリストが答えるという形で進んだ。
例えば、既存名称等の使用については、多くの場合は商標法と不正競争防止法に関して適法であろう、ただ民法上の不法行為(名誉毀損とか?)の問題が出てくる可能性は残るのではないかとのこと。僕の印象では、通常の使用はほぼ問題なく、よく耳にする名前を一字変えたりする自主規制のほとんどが意味のないものと思えた。ただし、写真資料の使用については判例もあり、写真の著作権がより具体的に解釈されている。
こうした話題も、実際の会場では「やくざが乗ってるベンツをビンツとかいうわけにもいかない」「ガメラ3で京都が破壊されるが、特撮映画の場合は地元が喜んで協力しているケースが多くて争いにならない」「他人の撮った写真を使いたくなくても、地球の写真はNASAしか持っていないが?」など、俎上に上がる事例は具体的で面白く、会場は終始リラックスした雰囲気で進行した。

企業において、現状では著作物を積極的に利用して利益を出そうとする広告宣伝部門と、著作物の権利を主張して利益を出そうとする知的財産部門との連携がうまく取れていないケースもあるのではという示唆は、様々な形でのコミケと企業との関わりや、ポケモン事件を考えるときに大事な視点だろう。

パロディに関しての議論は特に興味深かった。 フランスはパロディを法的に認めているが、一方でそれは内容(パロディであるか、その批評性)が法解釈として判断されることでもあり、批評性や風刺は裁判で判定する性質のものかという疑問も強い。日本の場合、パロディ立法の下地がなく、基本的には内容の性質に関わらず著作権者の意に反しているかどうかが問題になる。であれば、内容の正当性をあれこれするのでなく、表現の自由そのものを拡大していく方向性が重要になってくるだろう。ガレージキットの一日版権などはコミケでは現実問題として不可能、というだけでなく、許諾を得るという行為そのものが表現の自由を自ら縛ってしまうことにならないか、という視点があり得るのだ。
(極私的には、今後は商行為としてのパロディ同人誌制作・流通・販売により注目する必要があると思う。表現の自由がそこにどう絡んでくるのか曖昧な部分が多く、法律を含めて知識を持つことが重要だ……なかなか難しいが。)

シンポジウム終了時、今回のシンポの内容に関する出版物については事前に準備会と連絡を取って欲しいとのコメントがあった。個人webサイトの日記や掲示板で話題にするのはどうなのか?と尋ねたのだが、テープを文章におこして本人のチェックを経て公式の冊子を作る予定であること、小規模な勉強会という性質もありパネリストの方々には個々の立場からより踏み込んだ発言も伺えたこと、不正確な記述などがあって著作権を考える企画が著作権を侵害してしまうことになってはまずいということなど、配慮すべき点も多いだろうという答えであった。
そういうこともあって、今回B館で極私的レポートをするのはどうしようかとも思ったが、会場でのやりとりのニュアンスや自身のセンスを総合して、結局書くことにした。発言の引用や発言者の特定は極力避けるなど配慮はしたつもりだが、至らない部分もあるだろう。なにより、今回のシンポジウムの面白さを伝えるのには全く力不足なのを残念に思う。来年夏のオフィシャル冊子を楽しみに待ちたい。

僕は、コミケットが主催して著作権に関する勉強会企画を行うことは重要で意義のあることだと思っている。第1回シンポの参加者の少なさは極私的にも予想外だったし、そのことが第2回の際に「意図的に敷居を高くして小規模に」という方向性を導く理由のひとつになったのであれば残念だ。持ち出しでやっている自主企画だけに、マンガや同人誌に関わっている人々の関心・意識に支えられるものであって欲しいと思った。宣伝はもっとしてもよかったと思うがなあ。

終了後、別室で米沢氏やパネリストの方々と自由に話せる場が設けられた(17:20〜、会費1000円)。数十名の参加者がこちらにも参加し、パネリストを囲んで1時間以上をすごした。尽きない疑問・質問に最後まで丁寧に対応していただいたパネリストの方々に改めて感謝したい。

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マンガ喫茶、雑感 (001007)

現在、新古書店と同じくらい問題をはらんでいる商売がマンガ喫茶だろう。
渋谷のマンガ喫茶を例に取れば、単行本は2〜5万冊、新聞・週刊・月刊誌の最新号はもとより単行本の新刊もリアルタイムで入荷される。PCとPS2をずらり並べたインターネットコーナーとゲームコーナーは当然の設備(ゲームソフトも貸してくれる)になっている。そのまま夜を明かせる大きくてクッションのいいリクライニングチェアも完備。フリードリンク制で別途食事メニューもある。そんな店がごろごろしている。

実は今日も利用したのだが、3時間読みまくっても約1000円なり。斜め読みが結構あったので20冊以上読んだろうか。1冊あたり50円を切る計算だが、もちろん作者や出版社には1円も入らないはず。
"消費者"としては、本来買わなければ中身を見ることも叶わない作品や書店におかれなくなった単行本を安く読めるマンガ喫茶の存在は正直ありがたい。ただ、今のマンガ喫茶はそこだけでマンガ生活が完結できてしまうほどの質量を備えている。極端なことを言えば、マンガ喫茶で雑誌と新刊をフォローして、欲しい単行本は新古書店で買えば済んでしまう。出版社と書店の危機感は想像に難くない。

とはいえ、これだけ蔵書が充実してくると、マンガ喫茶はユーザーにとって図書館にも似た機能を持ち始める。新刊ですらあっという間に店頭から消えていく一般書店に対して、手塚全集に始まり青林堂の単行本の数々から「のらくろ」に至るまで、多くの入手困難な本やシリーズ本が少年ジャンプ最新号と同じ手軽さで読めてしまうマンガ喫茶の魅力は否定しようがない。こうした機会が、既存のマンガ資本とは異質な流れからもたらされているのは皮肉な話だ。マンガ喫茶は、扱っている作品の価値を知らないかもしれないが、その商品価値に対しては非常に敏感なのだ。

これまで利用したマンガ喫茶はどこも「バガボンド」「ベルセルク」が手垢にまみれてボロボロになっている。新刊市場の縮図とも言えそうなこの光景が、いつまで縮図の位置に納まっているかはわからない。

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「ピエタ」(榛野なな恵)を読んで (000604-000618)

「ピエタ」(榛野なな恵)
(ヤングユーコミックス・集英社)全2巻。
「本当に愛されなかった少女とあふれるほど愛されて育った少女が出会った(本文より)」
壮絶かつ鮮烈な再生の物語。
榛野なな恵作品の登場人物達が紬出す言葉は、繊細な感情を解読するように冷静に掘り下げていく。人間を、感じ欲望するブラックボックスとしてとらえることに満足せず、より自由で複雑な人間らしさを獲得するために闘いの舞台に立つものたち。その姿は、奇跡じみたストーリーの限界を超えて読み手に肉薄し、鋭い刃を突き立てる。

榛野なな恵作品は戦闘的です。
「Papa told me」を読んでそう思い、「卒業式」でさらにその思いを強くしました。「ピエタ」はその攻撃性をさらに先鋭化させた感があります。というのは、「Papa told me」では多くの場合、社会の常識に従順で本質的には悪意のない人々が無自覚な愚かさゆえに他人を傷つける行為として描かれていた「敵」が、より明確な悪意・殺意のイメージとして登場するからです。文字どおり生きるか死ぬかの瀬戸際で展開される物語は、ついに義母の有り様を否定し彼女の夢を奪います。それが闘いの果てにもたらされる敗北ではなく、報いとしての強いられた自滅であることが、「ピエタ」という作品の寓話性を強めています。義母は最後まで自分の感じ方、考え方を変えることはありません。「敵」はついに物語から葬り去られ、顧みられることはありません。残酷な切り捨てですが、潔いとも取れます。強大な敵と見て本気で戦うのなら、本当に護りたいなら、迷わず剣を振るのだ、という覚悟。それは単なる無神経とは異なります。「ピエタ」では、各キャラクターがおとぎ話の登場人物のようにその人格以上のものを背負っていると思います。

「笑って手をとり合うのは もっとずっと後でいいのよ
その前に やらなきゃならないことは たくさんあるはずだもの」
(「Papa told me」ダイヤモンド スカイ より)
という台詞は印象的です。なにも相手の幸せを否定したいわけではない。むしろ逆で、自分と異なる存在を脅威としてとらえ、同化か沈黙かの二者択一を迫ることが認められない。それは同時に自らへも跳ね返る詰問です。生々しい孤独や憤りや絶望や嫉妬や憧れを抱えたまま日々に立ち向かおうとするなら、その手段が和解でなく闘争であったとして、なんら臆するべきものではないし、せめてエールを送りたいと思うのです。
(読み手の精神状態によっては正直キツいときもありますが。)

義母の人格を掘り下げることによって世界を相対化するやり方はあるし、そういう描き方を選ぶことも可能でしょうが、この作品の場合は意図的に酌量の余地がないように作られています。「Papa told me」のバランス感覚などと比較するとその違いは明らかです。だからなおさら酌量は必要ない、あるいは本筋ではないとして読み進めていけます。ただ、一方で義母の言動のエキセントリックさがいささか常軌を逸しており、人物描写としては作品からやや浮いてしまっているという欠点も抱えています。そのため、読者に「ここに描かれた問題は、なによりもこの義母さえなんとかすれば改善するだろう」と思わせる隙を与えてしまい、しかもその通りに義母が退場してしまうため、「苦悩の元凶である悪者がいなくなったからこれで安心」という懲悪寓話的な読みを誘導します。しかしそれは作品の主題からは外れるでしょう。

父親は短絡と無関心に逃避して責任逃れをする人物として描き込まれていますが、義母のキャラクターはあまりに純粋に描かれるために、一個の人物造形というよりはヒロインがこの世界で生きることを脅かす社会的・直感的偏見を象徴する存在と考えられます。その意味では、正当化する余地はないと同時に義母を糾弾する甲斐もまたないわけで、改めてこの作品は、「否定されようがどうしようが生き延びる」という話であって、「否定しないためにどう変わるか(変えるか)」という話ではないのだと思います。

むしろ「ピエタ」がより注意深く向き合おうとするのは、主人公2人の選択が自律でなく自閉へ、共生でなく寄生へと迷い込んでしまう危険性です。作中に登場するカウンセラー夫婦によって幾度も注意と警戒が語られるように、こちらは切り捨ててよいものではなく、長い時間をかけて検証されるべき問題でしょう。

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「緊急シンポジウム 表現と著作権を考える」に行く (000206)

「緊急シンポジウム 表現と著作権を考える」(東京ビッグサイト国際会議場 2/6 13:30-17:00・有限会社コミケット主催)に行った。会場はあの逆さピラミッドの中だ。
テレコ持参の方もちらほら目についたので、そのうちどこかで詳細なレポートが出ることを期待したい。以下はKoujiの主観を通したレポートであり、事実を忠実に反映していない可能性があることをご了承いただきたい。いやマジで。(出席された方でここが全然違う、等ご指摘ありましたらお願いします。)
(文中パネラー氏名は名字のみ。)

企画の位置づけとしては、パンフレットから米沢氏の文を引用すると「実際の事例、フランスのパロディ法、現状などを様々な面から語り合うことで、認識を深めていこうというのが目的です。決起集会でも結論を出すための討論会でもない、勉強会の第1回とお考えください。」ということだった。
冬コミで前売り券を販売していたことからもわかるように、企画者サイドとしては実際に同人誌制作に関わっている人の参加を意識/期待していたようだが、米沢氏の終了間際のコメントによると現実の反応は期待より鈍かったらしい。聴衆は座席の6-7割で500人くらいだったか。20代男性が中心に見えた。

「第一部 著作権と引用」では、冒頭に米沢氏がイントロとして著作権法について簡単に説明した後、夏目氏がマンガ評論活動での経験を中心に話し、私見として著作物の引用が成立すると考えられる条件を目的(報道・批評・研究)、引用元の明記(題・作者・初出)、必然性(引用部分と他の記述との主従関係)、同一性保持(原典に忠実に引用する)とまとめた。パネラーの方々からは引用やそれにまつわる許諾云々の体験談が披露された。作家・編集サイドも決して著作権絡みの知識・経験は充分ではないと重ねて指摘された。

予想していたことではあるが、著作者側は全般に引用や許諾には寛容と感じられた。一度世に出した自作に対しては厳しい批評であろうと甘受する、というコメントは複数のパネラーから出た。問題になるのは編集・出版社や製作会社など、著作権者が組織であったり複数に渡るケースだと思うのだが、これについては突っ込んだコメントはなかった。パネラーが創作、評論等で活躍する描き手中心だったこともあり、自作品への引用、利用に対する関心の高さが目立った。「ゴーマニズム宣言」訴訟の重要性は多くの方が意識しているようで、マンガ図版引用の一定の目安を提示するものとして今後も注目すべきだろう。

「第二部 パロディと著作権」では、竹熊氏が、パロディが独立した表現として認められているフランスでの、パロディの法的位置づけについて話した。1957年に制定された新著作権法(?)第41条4項では、著作者が禁止できない行為を以下のように定めている。すなわち家庭内などでの私的な利用、(上述したような)適正な引用、そしてパロディ、パスティーシュ、カリカチュアである。判例としてはスヌーピーのパロディアンソロジー本やターザンのパロディアニメ映画についての訴訟で原作者・制作会社が敗訴しているという。仏語の壁もあって資料収集が難しく竹熊氏は苦労されたことと思うが、この辺りはいずれなにかの形で報告にまとめて欲しいものだ。つまり、フランスの場合はパロディとして成立していることが明確ならオーケーらしい。紹介された学説によると、パロディを構成する要素としては、笑わせ効果、原作と混同されない独立性、原作の益を害さないこと、などがあるという。アメリカの場合でも「fair use」という考えがあって、目的、性質、流通量、実質性、原作の利益を侵害するかなどの点についての抗弁が認められない場合は著作権侵害とされる傾向だという。

このような場面で登場するパロディという言葉は、いわゆるやおい系などの作品とは概念にずれがあることには注意する必要があるだろう。実際に描き手としてパロディをどうとらえるかと言う点では、とり氏が、設定や絵柄をただ借りるのではなく二重三重に捻って生み出すものと意識しているとコメント。いしかわ氏もなんでもかんでもパロディなのかという疑問を発していた。一方で高河氏は、自分にとってパロディというイメージはまさにアニパロややおい等を含むものだとコメントした。夏目氏は、法の議論とは別問題と断った上で、模倣やパロディや同人創作を文化の伝承・土壌という意味でとらえることもできるとコメント。米沢氏と竹熊氏は、絶対的なオリジナルは存在し得ないという言説を引いた。


全体としては、コミケ準備会主催でこのような企画が出てきたことを評価している。一方で内容的には、第1回ということもあってか、既にある程度議論の下地がある「引用」と「狭義のパロディ」についての基礎講座的なものに終始した印象がある。
パンフの米沢氏のコメントを再度引くと「実際の事例、フランスのパロディ法、現状などを様々な面から語り合う」となっているが、二部構成で最初の2つを採りあげたものの、おそらく最も身近で切実な「現状」、すなわちパロディ同人誌の著作権上の問題や市場のあり方、これまでの関連事件、同人誌制作者の知識や自覚、著作者側とのトラブルの可能性などについては、最後の15分程度でいくつか発言があったに過ぎない。高河氏がファン同人誌でもし原作者から文句を言われたらごめんなさいと引くのが自分のポリシーだと発言した。多くのファン同人活動者が同様の意識を持っているかも知れないが、極私的には、いしかわ氏が現状はそれで済む状況ではないと返したことを支持する。(そう言えばポケモン同人誌事件にすらほとんど触れられなかった。)

主催がコミケ準備会で米沢氏がパネラー兼進行役なのでいきおいコミケの話になるが、コミケットは場であり自分の作品には自分で責任を持つ、というのがコミックマーケットの従来からの姿勢だ。しかし場を与えることは内容に許可を与えることとは違う。準備会代表の米沢氏自身の発言にもあったが、むしろ「放ってある」という意識を持つべきだ。参加者が自分のやっていることの社会的意味を考える努力が必要だ。そして、多くの未成年者を含む参加者に対してそうした自覚を持つ機会を与える努力を現在のコミケがしているかと問えば、今回のシンポジウムを加点してもとても充分とは言えないだろう。コミケのポリシーである「場を提供」という言葉は、悪く言えば地雷原にそのまま放っておくことである。無論それは一貫した一つの姿勢としてありだという考えもある。ただ、お互いを人柱にしあうような現状を続けることが同人活動全体にとっていいことだとは思えない。

この第1回シンポジウムで採りあげられなかった第三のテーマは、ずばり「商品性」だと思う。高河氏が、描いた物を一人でも多くの人に読んでもらおうとすればコミケに出そうとなると発言していたが、多くの作家がその目的のために「商品として流通/販売させる」という手段を選んでいる。値段を付けて不特定多数に販売する以上、商業誌作品との明確な境界はない。しかも同人作品の流通ルートは多くの営利企業の関与を含め急速に整備され、流通上の差別化は曖昧になってきている。パロディ作品には商品価値があり、その商品価値の一部は有名原作のキャラや設定を使用している事実に支えられている。原作家や出版社、製作会社は作品に対してどのような権利を持っているのか、どこまで要求できるのか。

第2回シンポジウムは、秋に企画される見込みだという。
・「商品」としての側面から同人作品の現状を採りあげる
・編集/出版/制作サイドからパネラーを加える
・やっぱ今後は弁護士のような立場の方も必要。
・採りあげて欲しいテーマや質問などを事前に受け付ける
・事前アンケートを行う(コミケ参加者、各出版社など)
・事後アンケートを行う(シンポ参加者対象)
・やはり進行には人を立てて、米沢氏はパネラーで出た方がよいでしょう
など検討していただけるとより意義深いと考える。

……でも、正直言ってこの問題はコミケ準備会の手に余ると思う。同人界にあってコミケは象徴的立場になってしまっているから期待も風当たりも強い。むしろどこぞの雑誌ででも取材・特集してくれた方が客観性の点でもふさわしいのだろう。何故そうした動きがないのか? ニーズが少ないからだとすれば、これすなわち同人活動に直接/間接に参加している我々の意識の低さの証明でもあるのかもしれない。

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90年代アニメ概観 (000108)

アニメージュで90年代総括特集記事。こういう企画は節目節目にやっておくべきだと思う。
記事を流し読みしながら(活字が小さくて読みにくい!)極私的に考えてみる。

90年代アニメはメディアミックスの時代だったと言えましょう。
いくつかのポイントでまとめてみたい。

>社会
アニメージュの特集記事では、70年代から80年代始め、すなわちヤマト〜ガンダムが社会的インパクトをもたらし、アニメというメディアを築いていった時期を第1次アニメブームとし、それに対して90年代を第2次アニメブームとしてとらえている。90年代のアニメで社会的インパクトを持った作品としては、まず「美少女戦士セーラームーン」(92〜)があり、「新世紀エヴァンゲリオン」(95〜97)があり、「もののけ姫」(97)があって「ポケットモンスター」(97〜)が来る。これらの作品はいわゆるアニメファンの枠を越えて視聴者を獲得し商業的に成功を収めたことに加え、アニメが(子ども以外にも)魅力的なコンテンツたり得ることを認知させることに貢献した。情報メディアの充実を背景に、人気に火がつき初めてからの強力なプロモーション、マーケティングが威力を発揮した。

>作品
80年代アニメを「メカと美少女キャラ」で象徴するなら90年代は「美少女キャラ」一人勝ちの時代だろう。
80年代の劇場映画やOVAで作家性を重視した作品が多く作られる中で、アニメが優れた創作メディアであることは、証明されたが、作り手と受け手のフィードバックの中から大きな方向性として浮かび上がってきたのが「かわいいオンナノコ(2次元美少女)」というキーワードだった。いかに魅力的なヒロインを描くかが作品の重要な要素となった。少女キャラ人気を決定的に印象づけたのはやはり「セーラームーン」だろう。登場するヒロインたちは同性の子どもたちからのみならず、高い年齢層の男性アニメファンからも大きな支持を受けた。マーケティング的にもキャラクターは一人歩きしていった。同人ワールドの急速な成長に象徴されるように、パロディというキャラクターの消費システムは作品にも影響を与えるようになった。
(キャラという点ではいわゆる声優ブームにもスポットが当たるが、極私的には、声優タレントがアニメ・ゲーム業界内で生産・消費されているうちはまだエミュレーションに過ぎないのではないかと思う。)

>技法
セルにトレースした線画に塗料で着色する、いわゆるセルアニメの手法は主役の座から降りようとしている。既に国内ではセルは製造されておらず、一色ごとに調合が必要な塗料も数年前の時点で国内製造は零細1社のみ。動画、彩色の作業はアジアを中心とした海外発注に多くを依存しており、エンディングクレジットで外国人の名前を目にするのが当たり前になった。国内では人材育成の危機が叫ばれる一方で、コンピュータを導入した作画・制作システムが急速に導入され始めている。日本製リミテッドセルアニメはデジタル制作への移行によって技法的にも変化していくだろう。
ポケモン・フリッカー事件は象徴的だった。セルで一般的に用いられていたフリッカーと透過光が原因と考えられる視聴覚刺激によりTVを見ていた数百人が倒れた事件は、映像表現に携わる人々に大きな衝撃を与えた。

>メディアミックス
昔からアニメとマンガは兄弟のようなものだったが90年代はそこにゲームが加わった。マンガ→TVアニメ化→アニメ映画化という従来の展開は過去のものとなり、ひとつのコンテンツは小説(雑誌、文庫)、アニメ(TV、OVA、劇場)、ゲーム(コンピュータ、カード)、音声ドラマ(ラジオ、CD)などを縦横無尽に駆使して展開されるようになった。市場は、求められているものが「アニメ的コンテンツ」であり、「アニメーション」である必要はないことに気づいたのだ。その核にあるのは「キャラクター」と「ドラマ」である。

>極私的展望
「アニメ系」コンテンツが持つ魅力と、それを構成する要素に注目。

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平成11年度文化庁メディア芸術祭 (991216)

平成11年度(第3回)文化庁メディア芸術祭受賞結果は以下の通り。

マンガ部門大賞
「I'm home」(石坂啓)
優秀賞
「国立博物館物語」(岡崎二郎)
「遥かな町へ」(谷口ジロー)
「ALL NUDE」(すぎむらしんいち)
「同じ月を見ている」(土田世紀)

アニメーション部門大賞
「老人と海」
優秀賞
「ホーホケキョとなりの山田くん」
「上京物語」
「月の夜の話」
「おじゃる丸2」

デジタルアート[インタラクティブ部門]大賞
・エンターテイメントロボットAIBO
優秀賞
・シーマン〜禁断のペット〜
・明和電機 ライブパフォーマンス
・Earth from Above on the web
・motion dive2 日本語版

デジタルアート[ノンインタラクティブ部門]大賞
・愉快な機械
・「鉄コン筋クリート」
・「劇場版ポケットモンスター/ルギア爆誕」
・Tall Small Stories
・檜山 巽3EXHIBITION TOKYO:1999

こうして見ると、デジタルアート・インタラクティブ部門でシーマンや明和電気が、ノンインタラクティブ部門でデジタルアニメ「鉄コン筋クリート」とポケモン劇場版が受賞しているのに対して、マンガ&アニメーション部門はどうも保守的な印象を受ける。その中で、アニメーション部門大賞を受賞した油彩アニメーション「老人と海」は、ロシアのアニメ作家アレクサンドル・ペドロフによる職人芸的な作劇を高度なデジタル処理で演出するという、お互いの技術の魅力と特長を活かした作品づくりが印象的な素晴らしい作品である。とはいえ、これからの日本アニメ作品はアニメーション部門よりむしろデジタルアート・ノンインタラクティブ部門に応募した方がちゃんと評価してもらえそうだ。

さてマンガ部門だが、この中で僕が読んでいるのは「I'm home」(石坂啓)、「国立博物館物語」(岡崎二郎)、「遥かな町へ」(谷口ジロー)の3作品。
今回「I'm home」(石坂啓)が大賞を受賞したことは感慨深い。ビッグコミックオリジナルにシリーズ連載された同作品は、極私的に高く評価している佳作であり、一方でなぜか周囲の話題に上ることは少ない作品だからである。
30代のサラリーマンである主人公は、あるとき突然自分が最近5年間の記憶を失っていることに気づく。愛している妻と娘とはかなり前に離婚してしまったらしい。しかも既に新しい妻と息子がいるという。なぜ自分は記憶を失ったのか? ここ数年の自分はどんな人物だったのか? 次々突きつけられる見知らぬ事実に混乱する主人公。さらに不思議なことに、今の妻と息子の顔だけがまるで仮面をつけているように表情が全く見えないのだ。親戚や職場の仲間に自分のことを尋ねてまわり、離婚した前の家族と再婚した今の家族との間で揺れながら失われた自分を捜す中で、男の前に見えてくる「自分」の断片は、彼をいっそう戸惑わせていく・・・・。
家族や社会とのつながりの中で生きる人間の、存在の曖昧さや哀しさを描いた「I'm home」(石坂啓)。単行本はビッグコミックス(スペシャル)上下巻で発売中。

審査講評では同人誌系の応募作にも触れられていて、公募方式の利点とも言えそうです。デジタルアート部門では静止画、デジタルアニメに加えwebや商業ソフトなども対象になり得るという入り口の広さは評価できます。あとは選考センスですね。

直接関係はありませんが、岡崎二郎作品ではSFショートショート作品集「アフター0」(全6巻)の素晴らしさを何らかの場できちんと評価して欲しいと思ってます。

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ガルフォースその2(消えゆく初期OVA作品) (990917)

昨日OVA「ガルフォース」について書いているうち、約10年ぶりに見てみようと思い立って、ビデオレンタル屋へ行くが、いつのまにか同作品が店頭から消えていることを知って愕然とする。

ここ数年、TV放送される作品の多くがレンタルリリースされるようになったのに加え、昔のTV作品も積極的に販売、入荷されてきている。レイズナーやバイファム、コンバトラーVやボルテスV、ザンボット3になんとバクシンガーまでが棚に並んでいる。そして今年はファーストガンダムがリリースされ、TVシリーズ作品がレンタル屋の棚を賑わせている。ところが、こうした巻数の多いTVシリーズが棚を埋める影で、80年代の初期OVA作品が消えていっている。「ガルフォース」の初期作は消え、平成版「ガルフォース -The Revolution-」が残るのみ。「バブルガムクライシス」も消え、最近のリメイクTVシリーズ「バブルガムクライシスTOKYO2040」があるのみ。寂しい限りである。前作への思い入れがある者にとって、リメイク作品の登場は複雑な気持ちだろうが、一方で、リメイク作品の存在が前作ソフトの延命に繋がる例もある。初期TV深夜枠の佳作「EAT-MAN」(ラヴィオン編)は、続編「EAT-MAN'98」の登場によってレンタル屋の新作コーナーに再び並ぶようになった。「ガルフォース」より古い佳作「メガゾーン23」はその後PartII、PartIIIが作られたことに加え、「マクロス」シリーズのいとこ的扱いで食い下がっている気がする。極私的には「幻夢戦記レダ」「ウインダリア」というOVA初期いのまたむつみキャラ作品が店頭から無くなってしまったのは惜しまれる。「ブレンパワード」のスタッフ関連ででも残しておいて欲しかった。(「ブレンパワード」は結局、富野監督作品ということでガンダム周辺作扱いになる。)
限られた店頭スペースの獲得競争の中で、OVA初期の佳作が多く表舞台から消え去っていくのは残念でならない。

さて、TVシリーズのレンタルリリース化はなにも初期OVA作品にばかり厳しいわけではない。TVシリーズ自身、次々とリリースされる新作におされて同様に消えていく運命である。第1クールのユニークな演出が印象的だったTV作品「ミラクル☆ガールズ」なども、一時レンタル屋に並んだ後消えていった、惜しまれる作品の一つである。

いやいや、LDソフト化されている作品はそれでもまだましだ、という声もある。やぶうち優の同名マンガ原作のTVアニメ作品「水色時代」は、とうとうビデオ、LD化されずにアニメ史に埋もれようとしている。

日々マンガ雑誌をめくってマンガは一期一会だなあと感じるのと同様に、アニメもまた歴史に定着しづらいメディアであるのが現状だろう。マンガよりも歴史が浅いアニメ界だが、既存作品の評価と保存を意識し始めるのに早すぎることはない。


近年、アニメに限らず映像作品のLDソフト化が盛んだが、LDの未来も安泰ではない。DVDビデオ再生機能が付いているプレイステーション2の発売はDVD普及の起爆剤となるだろう。DVDビデオが映像ソフトの標準となったとき、過去のLD資産が全てDVDに移行出来るかと言えば、楽観は出来ない。マニア向けの限定LD boxが多く市場に出て、その営業成績がわかっている以上、DVD発売タイトルにある種の選択がかかってくることは充分考えられる。ハードウェアの世代交代に伴って、多くのLDソフトも埋もれていくのだろう。

ただ、デジタル技術の進歩が生み出すブレイクスルーはある。コピーライトの問題が絡んでくるのでややこしいが、今やPCがあればCD, CD-R, MD, MP3などをちょこちょこつまむだけで音楽ソフトのアナログ=デジタル変換やメディアの置換は容易なのだ。映像ソフトにも容易に利用できるこれらの技術によって、ごく限られた需要に対しても低コストでのソフト制作・販売が可能になるかもしれない。

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ガルフォースその1 (990916)

「ガルフォース」というOVA作品がある。数年前にもリメイクされたがそれはまあおいといて(^^; 、オリジナルはOVA初期の佳作である。
第1作「ガルフォース エターナルストーリー」は、少女+メカというOVAの売れセンを定着させ、C.V.を人気声優でかためてイメージソングのCDも出すというアニメ商売の典型を確立した作品なのだが、逆に言えば、幼いOVA市場にあって、作品の人気によって続編以下数多くのシリーズ作品と関連ビジネスを生み出す力を示した初めての作品である。

ストーリーは、人間(女だけ)と不定形生命体(オトコ)が宇宙を二分して果てしない戦争を続けている世界で、ヒロイン7人が乗る宇宙船がとある惑星を目指すなかで遭遇する戦闘や陰謀を描いていく。
少女オンリー世界といっても、このころの作品にはまだ理屈が付いていて、バランス的にもSF要素の方が強い。女と男が戦うネタは既に「マクロス」があるのだが、「ガルフォース」の場合は設定がもっと歪んでいる。園田健一キャラのアニメ美少女で一方の陣営を揃えるというあざとさの裏返しなのか、オトコ的イメージを担った相手陣営は、甲羅のようなアーマーに身を包んだ液体状の不定形生物がくぐもった男の声で喋る、という屈折ぶり。つまり「女←→男」ではなく「アニメ美少女←→わけわからん液状生物」という痛烈な皮肉を効かせているのだ。
物語では、両陣営が不毛な戦争を終わらせる突破口にと、どちらの陣営にも属さない「人間の男」を誕生させる秘密作戦が進行する。ヒロインたちは、彼女らを実験台(犠牲)にして生まれた少年を巡ってまた争いを始めた両陣営を拒絶し、未開の惑星に自分たちの思いを託すのだった。

------
「ガルフォース ETERNAL STORY」(1986年)
7点。
見どころは、
1)90分弱の尺に効果的に織り交ぜた質の高いボーカル3曲(鈴木聖美、Look、小比類巻かおる)
2)園田キャラ+メカバトル、SFアクションの娯楽性
3)暗めのストーリーを上手くカバーしたラストシーン
4)宇宙船の武装「曲がる光弾」
5)深読みの面白さ
など。

「ガルフォース2 DESTRUCTION」(1987年)
5点。
見どころは、名ゼリフ「戦っている……? まだ、戦っている……」からEDの名曲「cosmic child」へ流れていくラストシーン。

「ガルフォース3 STARDUST WAR」(1988年)
5点。
凡作だと思う。だが、「SFメカものアニメにあって、クライマックスに主人公たちがとる積極的行動が、戦闘or破壊行為ではない」という点において、希有な作品である! 極私的にはそのユニークさで一目おいている。実際話は面白くないんですが。


とまあ、いわゆる宇宙編3作はそれなりに個性があって見られる作品だと思う。その後作られていく地球章やらなんやらは……それとして。第1作の人気にあやかってシリーズになだれ込んだ先にあるものは、いずこも同じとか……。

「ガルフォース」関連でもっとまともな(^^; 情報源は、例えば以下のサイトなどご参照下さい。
ソルノイド情報局ティーラー分室/ガルフォース資料館
http://www.aaz.mtci.ne.jp/~ken2/GFORCE.HTM

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黒田問題 (990808)

8/8(日)の産経新聞9面のコミックレビュー記事( http://www.sankei.co.jp/paper/today/book/08boo012.htm )で「大王」(黒田硫黄・イーストプレス)が紹介されているのだが、その内容が……。
「これを読むまで男性だとばかり思っていた」
「従来の「女性コミック」の枠を越える」
「女性の感性と男性の描線を持ち得た黒田硫黄」
あいたー。
先日細井さんの日記( http://www.fan.gr.jp/~hosoi/ )でも触れられていた、いわゆる黒田問題(黒田硫黄の性別ネタ)がこんなところにも。

黒田問題は、既刊単行本「大日本天狗党絵詞」4巻の表紙折り返しで、作者が女性であることをにおわせるような写真と発言を載せたことも手伝って、マンガ読みの間では以前からネタになっていたが、今回「大王」に収録された描き下ろし作品「まるいもの」で作者自らが女性キャラとして登場していることで再燃した。

極私的には作者の性別に拘る気はないのだが、やはり冬目景が女性だとか読むと驚いたり、驚いた自分にさらに驚いたりしてしまうのも本当である。まあ、昔スピリッツ(だっけ?)に南Q太が載ったときに作者を男性と思ったくらいで、僕自身の判別眼はたいしたことない。

思うのだが今回のレビュー記事のように、何かを紹介するとき、作品の面白さよりも「実は作者は女性」「実は若干高校生」「実は親が誰々」という切り口でもって訴えようとすることがしばしばある。それは僕自身よく使う手でもある。関心を持ってもらうため、注意を引きつけるために有効なこともあるし、必ずしも不当なことだとは思わないが、作品本来の魅力はまた別なところにあるということを忘れてはいけない。

え、結局男なのか女なのかって?
それはね……

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少年マンガの冒険とスポーツ(990705)

少年マンガにおいて「冒険」と「スポーツ」は好まれるテーマであり、そうした作品が雑誌を引っ張ることが珍しくない。例えば、一昔前のジャンプでは「ドラゴンボール」「スラムダンク」がその2つに相当したのだろう。現在のジャンプでは「HUNTER×HUNTER」「るろうに剣心」「封神演義」などがそれにあたるが、人気はともかく魅力の点では今ひとつ抜け出たものがないように思える。ジャンプお得意のバトルマンガではシチュエーションとして武闘会、疑似試合形式が好まれるが、これは闘いという冒険要素とスポーツ的要素を同時に演出するためだと解釈できる。バトル作品が持つゲーム要素(勝負の技術的駆け引き、トリックの面白さ)は、少年マンガに限らない普遍的な魅力だ。しかしゲームの面白さを越えて読者を深く物語に感情移入させることは思う以上に難しいのかもしれない。(「遊戯王」「ジョジョの奇妙な冒険」を始め、一連の対決・蘊蓄ものは良くも悪くもアイデアの魅力に頼りがちになる。)一方で、スポーツマンガのこだわりはやはりキャラクターにある。しかもそれはいわゆる「等身大の」キャラクターであろう。典型的なヒーロー像には、勇者的な力を持つヒーローと、自身を重ねることのできる等身大のヒーローの2種類があり、「冒険」と「スポーツ」は少年マンガの中でその2つを描いてきたのかもしれない。

少年マンガには「視点は低く、視線は高く」の精神がどこかに息づいているように思う。というか、極私的にそうあって欲しいという気持ちがどこかにある。(別にそんな作品ばっかりである必要は全くないのだが。)

冒険とスポーツ。
そんなわけで、最近の週刊少年ジャンプにあっては「ONE PIECE」と「ヒカルの碁」に注目なのである。碁はスポーツじゃないというツッコミはもっともだが、この作品にはいくつかのルールとしがらみを織り交ぜながら確かに等身大のスポーツマンガ精神が描かれていると思うのだ。

週刊少年マガジンでは、「GTO」と「はじめの一歩」がそれに当たると思う。
週刊少年サンデーでは、「からくりサーカス」と「MAJOR」だろう。
そう見ると、この2作品が両看板になっているマガジンの近年の好調も頷ける。一方、サンデーの看板は……、どっちでもなく、やっぱ「H2」や「犬夜叉」かなあ。作家嗜好というか、サンデーの個性が表れているかも。(「H2」だってスポーツマンガでしょ、というツッコミはもっともだが、極私的にはあだち充作品の魅力は演出の変化球だと思うので……。)

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ポケモンフリッカー事件その4 (990529)

世田谷区砧にあるNHK放送技術研究所一般公開が行われているので見に行った。

ハイビジョンテレビやプラズマディスプレイなどの美しさに感嘆したり、立体映像テレビや音声認識ソフト、点字プレイヤーといった多様な技術の一端に触れたりと、なかなかに楽しい。一般の来場客にもわかりやすいプレゼンテーションを工夫しつつ、それぞれのコーナーにはNHKの本職技術者がついて技術的に高度な質問にも対応してくれるサービスぶりは、さすがにテレビ持ってるだけで受信料を取りにくる公共放送だけのことはある。映像おたくなら生唾ものの機器も盛りだくさんだ。僕は映像技術に関しては素人だが、いたるところに置かれたオシロスコープからは日頃目にしている映像が「信号」であることがあらためて実感された。
 

しかし、、極私的収穫はなんといってもいわゆる「ポケモンチェッカー」、アニメーション等の映像技術に関するガイドラインに対応した参考用映像計測機器、その実機(NHK版)を見ることができたことだろう。

展示されていたのは、NHKと民放連が1998年4月に発表したアニメーション等の映像手法に関するガイドライン(※1)に基づき、NHK放送技術研究所の指導を得てADVANTEST社(※2)が開発した「アニメ等ガイドライン用参考計測器」(※3)である。本体に接続されたVTRで再生中のビデオ画像をリアルタイムで測定し、何分何秒に赤/青フリッカーや高コントラストの画面転換があったかを記録すると同時に、ガイドラインの条件に抵触する部分を測定画面上に赤いアラームで表示する。再生後は測定ログを見ながら該当部分の頭出しなどの操作ができる。機能やインターフェイス自体も簡素で、操作も簡単そうであった。

展示ブースでは担当の方にお話しを伺うことができた。(一度お話しした後、また聞きたいことができたので再訪問すると担当者が変わっていたのでお2人に伺ったことになる。)ただ、お互いに充分な知識と責任ある立場での会話ではないし(相手の方は製作に関わる立場でもない)、僕も記憶でこれを書いているので以下の内容は決して公式性、正確性を保証したものではない個人的解釈・見解であることはお断りしておく。

この機器をいつから実際に使用しているかについては、今年からという答えが返ってきた。参考計測機を開発したことはNHK、TV東京がそれぞれ1998年4月に報告(※4※5)しているが、今回展示された機器はもう少し後のものということだろう。アドバンテスト社では1999年3月末からこの機器の販売を開始している(※3)。

では、どの番組にどのように使用しているのだろうか?
全番組に対しては計測が行われてはおらず、一部のみが対象となっているという答えだった。特定の番組名は出しにくいと断りながらも、アニメや音楽番組が例に挙げられていた。「特定コンテンツに対して使用しているのは、全番組に適用するのが労力的に難しいからか、それとも全番組に使用する必要はないと考えているからか?」と質問したところ、実際に特定番組を選んで計測するというよりも、むしろ試写等で問題があると思われた部分に対してこの機器による測定を行い、その結果も参考にしつつ最終的な判断は人間が行うのだという点を強調されていた(※4)。この機器はあくまでガイドラインに適合しているかどうかを確認する際の参考として用いられる「参考計測器」なのである。この機器にパスしたからといって安全のお墨付きは決して出せない。同様にこの機器でアラームに引っかかったからといって危険かどうかは現段階では全くわからない。この問題に関しては「臨床データを得るのが困難」であることにも触れていた。

さて、本ガイドラインが英国ITC(Independent Television Commission)(※6)の番組コード及びガイダンス(※7)を参考にしたものだが、こちらはアニメに限ったものではない。また、「テレビ映像の視聴覚機能に関する規程を設けているのは、郵政省で調査した範囲では、英国のみである。」(※8)。それでは、英国ではこのガイドラインはどのように運用されているのだろうか?これに関しては担当の方も詳しくはないということであった。ITCのガイダンスでは、違反した場合に注意、警告、罰金、免許撤回の措置が段階的に取られるが、本ガイドラインにはその種の規定はない。

これまでに問題の可能性が指摘され実際にこの機器を使用したことがあるかという問いには「ある」という答えであった。また、事件以後製作サイドで制作時から配慮がされているケースも多いという。音楽番組「ポップジャム」などでは事件以後照明などに配慮されているそうだ。

TV東京はNHK、民放連のガイドラインとは別に自社独自のガイドラインを定めている(※5※9)が、こちらで使用されている機器はどのようなものか、という問いには基本的に同じものだろうという答えであった。TV東京の発表した計測機器も同じくアドバンテスト社との開発によるものであることを確認した(※5)。この機器は、設定を変更することでアラームを出す判定レベルを変更させることが可能だそうだ。例えば、画面の輝度変化が20パーセントを超える急激な場面転換に対してアラームを設定されているのを、15パーセントでアラーム判定を出すようにするといった設定変更ができる。TV東京では独自の基準を設定した機器を使用していると思われる。

過去に放映されたコンテンツを再放送する場合についての扱いだが、放送当時に問題が生じなかったものでも、問題が生じる恐れがある場合は編集されるであろうし場合によっては放送できないことも充分考えられるとのことであった。過去の作品の再放送に関しては、今回のフリッカー関連に限らずとも、例えば差別用語の問題や社会の流れによって現在放映することが難しいケースが多々あるそうだ。また、自局製作でないコンテンツなどは契約条件の折り合いなどで放映できない場合がある。(例えば映画などはノーカット、ノー編集、ノートリミングなどの条件を相手が出してくる場合、状況によっては放映ができない。(ノートリミング要求ってのは世界のクロサワ作品だってさ(^^; 。)

一つ驚いたのは、本ガイドラインには「今後の分析・研究の結果等により、必要に応じて改訂す
る。」との文がある(※1)のだが、本ガイドライン発表後、定期的見直しの見通しに関しては未決定であり、研究班なども設置されていないらしいことである。NHK内ではどうなのかと尋ねても、わからない、という答えが返ってきた。この機器は計測ログを取ることは可能だが、測定ログを活用した分析研究などが行われているのか不明である。

この計測機器は現状ではNTSCのみに対応している。
ハイビジョン等の画面解像度の違い、ディスプレイの大きさ、色調や明度の設定、視聴条件(部屋の明るさ、視野に占める画面の割合、視聴者の性別・年齢・体調等)などは当然反映できない。無論、それらが人間の視聴覚に与える影響について自体がまだほとんど解明されていない。

極私的結論としては、各種番組での幅広く背景データを収集する意義と持続的研究の重要性を強調したい。
現状で他の番組に比べてアニメが問題とされているのは、実写と比べて画面の広い面積を同一色が占め、またフリッカー等が多用されていることと、何より大人より子どもの方が光刺激に対して敏感な傾向を示すという点が大きい。しかしITCのガイダンス自体、1993年のカップ麺のCMに対する苦情が契機になっているのだし、コンテンツの違いを過度に意識する意味には疑問を感じる。CG技術の進歩やディスプレイの大画面化・方式変更などをにらみ、幅広い番組に対して放映時間帯、視聴者層、計測結果、該当表現等を記録・解析することで、判断の「確からしさ」を向上させていく継続的努力が重要である。まだまだ曖昧な根拠のガイドラインとの合致を判定するためだけに機器を使用するのではなく、データを積極的に活用していかなくてはならない。無論、データを積み重ねても最終的なネガティブの証明は難しい。しかしそのことにより映像コンテンツの充実と視聴者の安全の両方に貢献できるということを指摘したい。

------
以下に参考として各ガイドラインを転載する。

アニメーション等の映像手法に関するガイドライン(※1)
<1998年4月8日 日本放送協会/(社)日本民間放送連盟>
1.  映像や光の点滅は、原則として1秒間に3回を超える使用を避けるとともに、次の点に留意する。
(1) 「鮮やかな赤色」の点滅は特に慎重に扱う。
(2) 前項1の条件を満たした上で1秒間に3回を超える点滅が必要なときは、5回を限度とし、かつ、画面の輝度変化を20パーセント以下に抑える。加えて、連続して2秒を超える使用は行わない。
2.  コントラストの強い画面の反転や、画面の輝度変化が20パーセントを超える急激な場面転換は、原則として1秒間に3回を超えて使用しない。
3. 規則的なパターン模様(縞模様、渦巻き模様、同心円模様など)が、画面の大部分を占めることも避ける。
------
テレビ東京:アニメ番組の映像効果に関する製作ガイドライン(※5)
1)1/3秒(フィルムでは8コマ・テレビフレームでは10フレーム)以内で1回を超える光の点滅は避けるべきである。
2) 急激なカットチェンジや急速に変化する映像も、光の点滅と同様の影響を与えるので、1/3秒に1回を超える使用は避けるべきである。
3)赤色を単色で使用した点滅やカットチェンジも危険である。ただし、単色の赤色を除く色の組み合わせで、それが同じ輝度(明るさ)であれば問題はない。
4) 輝度差のある規則的なパターン(縞模様・渦巻き等)は、原則として避けるべきである。
------
ITCガイダンスの概要(※7)
・ テレビが原因となってPSE症状発現者の視聴者が発作を起こすリスクを完全に除くことはできないが、不要なリスクを軽減する措置を講じることは可能。
・ 3Hz(1秒間に3回)より多くの速度の光の点滅や急変化画像、明滅画像は避けるべきである。
・ 縞模様、渦巻き模様、ダーツボードのような模様の画像が画面の大半の部分を占めるような映像は避けるべきである。
・ 規則正しいパターンの画像が移動したり、明滅することは、特に有害。
・ コンピュータグラフィックの精細な画像についても、テレビ画面で25Hz(1秒間に25回)の明滅を起こすことがあり注意が必要である。

------
<以下、関連リンク>

(※2)ADVANTEST社
(※3)「アニメ等ガイドライン用参考計測器R2311」を発表 (1999年3月31日 プレスリリース)

NHK
(※4)「アニメーション等ガイドラインの参考計測機の開発」(1998年 4月8日)

社団法人 日本民間放送連盟(民放連)
(※1)(報道発表)民放連とNHKで「アニメーション等の映像手法について」ガイドラインを策定(1998年 4月8日)

テレビ東京
「ポケットモンスター」に関するお問い合わせ」
(※5)「広報発表資料」(1998年4月9日)
(※9)「開局35周年記念事業 特別講座「テレビが視聴者に与える身体的、社会的影響について」 」

英国
(※6)ITC (Independent Television Commission)

郵政省
(※8)「放送と視聴覚機能に関する検討会」報告(1998年 6月26日付)
「放送と視聴覚機能に関する検討会中間報告(本文) <医学的アプローチを中心としたセルアニメーション表示手法に関する中間報告>」(1998年 4月6日付)
「放送と視聴覚機能に関する検討会」中間報告(1998年 4月6日付)
(※7)「英国事情調査報告(ITC番組コードについて)」(1998年 1月13日付)

厚生省
厚生関係審議会議事録等 大臣官房 障害保健福祉部(厚生科学特別研究「光感受性発作に関する臨床的研究」班会議議事録含む)
 
 

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追悼:みず谷なおき(990221)

マンガ家のみず谷なおき氏が亡くなられました。
二月八日に自宅で就眠中に亡くなられるという、いわゆる突然死だったそうです。38歳でした。

中学3年の時、友人にすすめられてはまったのが「人類ネコ科」でした。その絵のうまさとギャグンス、そしてなによりも作品世界に流れるあたたかいまなざし。単行本を何度読み返したかわかりません。ラブコメの傑作として長く残る作品でしょう。
「ブラッディエンジェルズ」を経て、「Hello ! あんくる」の中断以降、その個性的な絵を目にできない時期が何年も続きました。しかし昨年ついに「バーバリアンズ」で復帰。単行本あとがきで氏は一度は筆を折ることも考えたとその胸の内を明かしておられました。そしてやはりこれからもマンガを描いていこうという思いが語られていました。
みず谷なおきがまたマンガを描く!いつかまたみず谷なおきの学園ラブコメが読めるかもしれない。これはうれしいことでした。その後のみず谷なおき作品は、雑誌連載ではなく書き下ろし単行本という出版スタイルをとることになります。
氏はこの春にも未完であった「Hello ! あんくる」の完全版を出版するべく作業を進めておられたといいます。
そんな矢先のこの訃報には、ただ驚き、無念でなりません。

一読者の僕にとって、氏の存在は「人類ネコ科」に代表されるいくつかの作品との出会いによって記憶されるにすぎません。ただ、その記憶がまぎれもない僕の一部であり、それがなければ今の僕ですらあり得ないという当たり前のことが、そのとんでもない尊さと重みが、どうかほんの少しでも、届きますように。伝わりますように。

マンガはひとがつくる。
もっともっとよみたかった。
 

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読み切り作品を埋もれさせないために(990120)

読み切り作品には、
書き手にとって、いろんな作品に挑戦できる創作上の利点と、単行本になりにくいので収入上の欠点がある。編集サイドにとって、雑誌に意外性と取っ付き安さをもたらす利点と、質的に不安定で単行本にもなりにくい欠点がある。読み手にとって、新しい感動・才能との出会いをもたらす利点と、当たり外れが大きいという欠点がある。

あたりさわりがない結論を言うと、「面白い短編」という実例の存在がとても大事です。で、せっかくある実例を読み捨てや雑誌の路線変更で埋もれさせてしまうのは惜しい。

読み切り作品の数が市場に多くても短篇集が出せるとは限りません。現状では短編や読み切りの描き手の多くは新人によるものです。新人作家が数本の読み切りを経て連載へ移行していく場合、過去の読み切り作品が埋もれてしまうことはよくあります。(人気が出た後に埋もれている初期作品に注目が集まり、初期作品集を求める声があがるのもよくある話です。)短編集という形にこだわりすぎると、読み切りの本数が一冊分に満たない場合その作品は埋もれてしまいます。僕はこうした読み切り作品は連載作品の単行本に抱き合わせて収録した方がいいと思います。読み切りの多い少女マンガでは珍しくない方法です。

また、連載を持つ作家が同時に読み切りを描くのが(労力面で)難しいのは事実でしょうから、連載作品=毎号掲載という常識を少し緩めて、ときに数号の休載などを挟み、他の作品(読み切りなど)を発表できる機会を設けるといいと思います。近年勢いのある同人テイストの雑誌では毎号掲載はもはや常識ではなくなっています。ただ、連載の合間に発表される読み切り作品が結局埋もれてしまうのでは、作家や雑誌にとって負担が大きく連載を中断した甲斐がありません。従ってこの場合にも読み切り作品は連載作品の単行本に収録するべきです。

連載と並行して他誌に読み切り作品を発表した場合も埋もれることは多いでしょう。単行本を出す際、作家自身が発表原稿のイニシアチブを取れる環境が大事です。連載が単行本の発行とリンクしていることは多いですが、読み切りの場合は作家自身が原稿を管理して、別作品単行本への収録や作品集の企画を出版社に持ち込むという道を積極的に活用するといいでしょう。複数の出版社・雑誌で発表された作品が一冊の単行本にまとまって発行される例は、成年コミックなど非大手出版社から出た単行本ではよく見ます。

多くの読み切り作品が埋もれている理由のひとつは、大手少年・青年マンガ雑誌出版社の「連載=毎号掲載」「単行本=単一作品収録本」という意識にとらわれすぎているためだと思います。
読み切り・短編といいますが、その広義は、4ないし8ページ程度のカラー作品から、短期集中連載までと多様です。多様な作品に誌面を提供し、かつそれらを単行本にして稼ぐために、編集部&作家は単行本としてまとめることを見越した作品製作をより柔軟に意識して欲しいと思います。短編が3本あるから今度は中編に挑戦して1冊にしようとか、同じ読み切り形式でも単行本のタイトルを張れるオムニバスシリーズを狙うとか。こういうことは改めて書かずとも今でも当たり前にやっている戦略ではあると思います。あとは雑誌の掲載スタイルが、長編連載主義を少し緩和して様々なスタイルの読み切りに場を提供できるようになればいいのですが・・・。

まず、単行本で欲しいという読み切り作品があること。そして、「この短編面白いよ」「この人の読み切り面白いよ」と人に言うとき、その作品が入手できる環境があること。
現状は、売れるものが必要というより売る気に欠けている状況にも思えます。売ってみる気になるには、売れたという先例が必要というのもわかりますが、一見卵と鶏の堂々めぐりのようで、実はどっちが先かは決まっています。
 

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98年度マンガランキングその1(990115)

マンガ情報誌「Comnavi」1998年度マンガベスト100記事について。
以下に上位と注目作を転載する。

1位「MONSTER」(浦沢直樹)ビックコミックオリジナル、小学館
2位「あずみ」(小山ゆう)ビックコミックスペリオール、小学館
3位「賭博黙示録カイジ」(福本伸行)ヤングマガジン、講談社
4位「GTO」(藤沢とおる)週刊少年マガジン、講談社
5位「ONE PIECE」(尾田栄一郎)週刊少年ジャンプ、集英社
6位「ベルセルク」(三浦建太郎)ヤングアニマル、白泉社
7位「め組の大吾」(曽田正人)週刊少年サンデー、小学館
8位「はじめの一歩」(森川ジョージ)週刊少年マガジン、講談社
8位「グラップラー刃牙」(板垣恵介)週刊少年チャンピオン、秋田書店
8位「七夕の国」(岩明均)ビックコミックスピリッツ、小学館

13位「TRIGUN MAXIMUM」(内藤泰弘)YOUNG KING OURS、少年画報社
19位「総理を殺せ」(作・森高夕次 画・阿萬和俊)ヤングサンデー増刊 大漫王、小学館
28位「バガボンド」(井上雅彦 原作・吉川英治)モーニング、講談社

選出法は昨年と同様。文化人芸能人、ライター、大学漫研、Comnavi編集者、読者アンケートの性別世代別集計の結果をまとめた選者50名による1位=10点→10位=1点の傾斜配点方式でランキングした。この集計スタイルでは、だいたい50位以降の作品は、2名以下の選者の投票によるランク入りである。54位(11点)の次が61位(10点)、79位(9点)で以降は圏外である。

感想。上位は定番ここに極まれりといった感あり。1、3、7、8位が昨年に引き続きのベスト10入りということから見ても、堅実な選び方であることが見て取れる。僕も「グラップラー刃牙」以外は読んでいるが、確かにどれをとってもメジャーな面白さを持った作品ばかりで、胸を張ってお薦めできる。つい先日連載が完結してしまった「七夕の国」を除けばすべて現在連載中の長編ばかり。このあたりはマンガ界の状況を象徴している。

少女・レディース系が15位「ハッピー・マニア」(安野モヨコ)、16位「BASARA」(田村由美)まで出てこないのはやはり問題。選者がある程度男性に偏っているのも原因のひとつだろうが、それ以上に、女性読者は少年・青年系作品も読んでいるが、男性読者は少女・レディース系を読まないという傾向があるためだろう。(僕も人のことは言えない(--; 。)

面白いランキングでは、19位「総理を殺せ」がある。単行本1巻が出ているものの知名度はまだまだ。2024年から30年前へタイムスリップしてしまった主人公が、将来核のボタンを押す未来の総理大臣を事前に殺そうとする。主人公は身内もいない現代をさまよい、阪神大震災などを体験していく。
28位「バガボンド」は、連載開始が98年9月。本企画の集計〆切を考えれば猛烈なスタートダッシュといえよう(期待票込み?)。物語はまだ始まったばかりだが、迫力と上手さを感じさせる。

さて、ベスト100中で単行本になっていない作品のランクインはわずかに4つだった。
28位「バガボンド」(井上雅彦 原作・吉川英治)モーニング、講談社
61位「おぼっちゃま刑務所」(花輪和一)マンガの鬼アックス、青林工藝社
79位「Forget me not」(鶴田謙二)モーニング 新マグナム増刊、講談社
79位「シリーズ神戸在住」(木村紺)アフタヌーン、講談社
「バガボンド」以外はそれぞれ一人の選者による推薦。また、読み切り短編のランクインはなかった。
 

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パロディ同人作品と著作権ネタその3(990114)

「ポケットモンスター」のキャラクターを使用した成年向マンガ同人誌を製作・販売した人物が逮捕された事件が14日付の各紙で報道された。
関連情報に触れる機会がなかったので、オンラインの1/14日付朝日新聞朝刊に「ピカチュウそっくりの漫画を制作・販売した女性を逮捕」という記事が僕の情報源である。

京都府警生活環境課は13日に著作権法違反(複製権の侵害)の疑いで容疑者の女性を逮捕した。ピカチュウなどポケモンのキャラクターが登場するわいせつな内容の漫画を描き、B5判、29ページの冊子を1部900円で販売していた疑い。300部を印刷、うち約120部を販売したとみられる。著作権者の任天堂(本社・京都市)などが今月5日、告訴していた。任天堂広報室は「部数は少ないが、ポケモンのイメージを壊す内容で見逃せなかった」とコメント。

今の同人界は、例えるなら地雷原の上で無邪気に遊んでいるような状態に思える。
そこに地雷があることに多くの人は気付いているが、自分が踏むとは思っていない。誰かが踏んで吹っ飛ばされたら、とりあえず負傷者のいるあたりに近寄らないようにしようと考える。地雷を埋めた者たちも、埋めた場所やどこまで近づいても安全かを示そうとはしない。
胸を張って遊べる環境を整備することはできないのだろうか?少なくとも、地雷の存在とその効力について理解を深めることが必要だ。出版社、印刷会社、イベンターを巻き込んだなんらかの指針の例が欲しいところだ。全員が賛同する必要はないが、例えばイベント単位、作品単位で同人誌の部数・価格・流通形態に関して一定の落としどころを探ることはできないだろうか。近年の同人マンガ界が商業マンガ・アニメ全体に与えている影響を製作サイドは過小評価すべきではない。気まぐれに起爆スイッチをonにするのではなく、対象を明示して積極的に見解を表明して欲しい。それが議論の契機となるものであればなおよい。作品の消費形態のひとつとしてパロディ創作をどこまでなら認めるか?

「暗黙」という落としどころに頼り続けるのは危険が大きいというのが極私的見解。
(現状では、大きな即売会のオーガナイザーも、参加者同様に、不言不服従に徹しているかに見える。個人が個々の同人活動について製作サイドと直接交渉するのが難しい状況では、オーガナイザーにある程度のイニシアチブを期待したいが・・・・。パンフ・カタログでは著作権等に言及しているのだろうか?参加者には未成年も多いはずだ。)
 

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ポケモンフリッカー事件その3(990109)

極私的には「ポケットモンスター」という作品は、例のTVアニメフリッカー事件とその後の表現規制と分けて考えることができない。この件では、結果としてアニメ表現とそれに関わる場は一敗地にまみれたわけだ。TVアニメというジャンルそのものが、他のTV映像作品(ドラマ、CM、ミュージッククリップ、各番組内で使用されるCGなど)よりも一段厳しい規制を課せられ、かつそれを受け入れてしまった。問題の本質である「映像(光や画面の点滅等)が人体(中枢神経系)に与える効果、影響」そのものはまだ解明されていない。規制は英国のITC(Independent Television Commission)番組コード及びガイダンスを参考にしたもので、こちらはアニメに限ったものではない。(テレビ映像の視聴覚機能に関する規程を設けているのは英国のみである(郵政省調査)。)

無論、放映する度に数百人の人間が卒倒するような番組をTVで流せるはずはないのだが、事件後一日も早く目に見える対応対策をと腐心した結果、なんとなくアニメだけに蓋をされたような苦さの残るオチとなった。問題になったのが「ポケモン」以外にもNHK教育テレビのアニメ「YAT 安心! 宇宙旅行」であり、ともに子供を主対象としたアニメ作品であったことがその原因だろう。昨今のアニメに光の激しい点滅を含む技法を多用する傾向があったことは無視できないが、中枢神経系がアニメと他の番組を区別しているはずもない。多くの十代の若者にとって身近なミュージックビデオクリップ等の映像には、光線を含む色彩の使い方、動き、カットワークの激しさを追求したものも多く、視覚刺激が興奮や快感をもたらす効果は周知のことだ。最近はTVの硬派番組でもコーナーの頭などで短いカットや光線を散りばめたCGフィルムを使う例がみられる。デジタル技術の進歩で、CGやビデオエフェクトなど凝った映像表現が身近にあふれている。

肝心なことは何も明らかにならないまま、アニメは「根拠」よりも「安全」を優先させて自らを縛った。いささか歩きにくいほどにきつく。それが妥当なものであるかどうか、科学的見地からの評価はまだない。縛ったことに満足して、メカニズムの解明が忘れられてしまわないことを強く願う。

日本のアニメ作品は、この事件を契機に

1)放映枠中に「テレビを見るときは明るい部屋で画面から離れてみましょう」という注意書きを流すようになった。
内容自体はテレビが普及していった当時に盛んに言われたことだ。ここ10数年、あまり表だって聞かれなくなっていたが・・・。番組によっては、キャラクターが注意書きをアナウンスする(「快傑 蒸気探偵団」)、OPの前にBGMと演出でアレンジして流す(「彼氏彼女の事情」)など工夫しているが、本編中に映像にかぶせてテロップを挿入する例も多い。TV録画組のファンは昔から放映中のニュース速報や地震速報を恐れたものだが、今やデフォルトになってしまった。ちなみに、この注意書きはアニメ以外の番組にはない。

2)透過光を用いた激しい光の点滅は使用しなくなった。
ポケモンフリッカー事件では、画面の広い範囲が赤と青の透過光で激しく切り替わる爆発カットが問題となったが、後の規制では色は問わない。点滅の速さも抑えられた(毎秒3回以下?)。内容に関係なく機械的に測定して問題があるシーンが検出されるという、いわゆるポケモンチェックが導入されたとかされないとか(じゃあなんでアニメだけ?)。

3)過去のTV放映作品の再放送、OVA作品、劇場作品のテレビでの放送が難しくなった。
最も影響が大きいのがこの点。従来アニメで一般的に使われていたフリッカー表現の多くが2)にひっかかるため、旧作品の多くが再編集やビデオ処理を追加されることなしにはTV再放送ができなくなった。規制後に再放送された「機動戦艦ナデシコ」「マクロス7」やOVA作品では、フリッカー部分はコマ落ちのようにカクカクした動きや静止画になっており、見るものに違和感を与えた。当然、地方局ではそれが初放送という場合もある。フィルム再利用の際、新たに手間と時間をかけて修正することになるので、コストを恐れて旧作品の再放送の機会が減少することが危惧される。

などの影響を被っている。
極私的には「特定表現を規制した科学的根拠が明かでない」「アニメに限定する根拠がない」の2点から、本規制の在り様には問題があると考える。
 

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サザエさんに会いに行く(981103)

長谷川町子美術館へ行った。

長谷川町子。言わずと知れた国民栄誉賞受賞マンガ家、「サザエさん」の作者である。
そもそも長谷川町子美術館とは長谷川町子の記念館ではなく、長谷川町子が生前自分の所蔵している美術品を展示公開するために美術館(最初は長谷川美術館といった)をつくり自身が館長になったものである、ということを知った。

とはいえ、やはり訪れる方々はサザエさんとその作者に感心があるので、館内に設けられた一室、町子コーナーに人が集まるのも必然だろう。サザエさんの原画に加え、長谷川町子が自分の生い立ちなどをユニークな絵文字やマンガで描いているのが面白い。14歳で田河水泡氏(「のらくろ」作者)に弟子入りしたことから、朝日新聞朝刊での長期連載中、幾度も休載したいきさつまで、のびのびした語り口で明るく描いている。

長谷川町子の自伝的物語としては昭和54年放送のNHK朝の連続テレビドラマ「マー姉ちゃん」を思い出す方も多いだろう。「サザエさん」第1巻出版の時、B5横とじという変形版にしてしまったため書店においてもらえず返品の山の中で途方にくれたものの、これに懲りずに借金して第2巻をB6版で出版し、こちらがとぶように売れた勢いで返品分の第1巻もさばけてしまったという痛快なエピソードを覚えている。

よく作者を作品中のキャラクターに例えることがあるが、展示物を観るとご本人の自由闊達な人柄があふれていて、なるほどサザエさんの生みの親であるなあと納得する。いいと思った絵を画家の名も知らずに買ってしまい、自分でも粘土をこね、ついには美術館も建ててしまう。
大正9年に生まれ、平成4年に亡くなった。戦前、戦後の日本と共に歩んだ、昭和の人であった。

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「マンガの時代」展(於 東京都現代美術館)を見に行く(981011)

東京都現代美術館で催されている、
「マンガの時代 The MANGA Age -手塚治虫からエヴァンゲリオンまで-」展を見に行った。
なかなかボリュームのある企画展で予想以上に楽しめた。

パンフレットで以下のようにコメントされている(一部)。
「今回の展覧館では、戦後のストーリーマンガがどのように発展・展開してきたのかを各々の時代において共通する様式性の変化をみせるとともに、様式の変化に深く関わっていると考えられる、リアリティに対する考え方や、「カッコよさ」のイメージの展開を提示しようとするものです。また、これほど多くの読者を魅了する、マンガとは何かという根本的な命題についても展望を示そうとする試みです。」

展示内容は、戦後ストーリーマンガの歩みを年代別、おおまかなジャンル別に分け、各作品1〜数ページの原稿を配置して構成されている。大量の資料を淡々と配置してあり、押しつけがましい講評がなくてよい。普段はなかなかまともに考える余裕のない、マンガの歴史像に思いをいたす貴重な機会である。

イラストレーションを控えてポップカルチャーと区別し、一枚絵の風刺マンガを除いて政治的視点を抑え、生原稿展示を控えてモノクロコピーを多用することで懐古意識を防ぎ、太古の壁画ルーツの記号論、批評的考察やアニメーションジャンルからも分離して、マンガとはなにか?を示そうとする美術館らしい企画。
あくまで戦後ストーリーマンガに拘った展示姿勢が、観るものに今なお途についたばかりのマンガ史への注目を誘う。

絵の展覧会と違ってマンガ原稿にはフキダシがあるので、見て回るのに時間がかかる。およそ3〜4時間みておいたほうがいいだろう。「デビルマン」をはじめ、名作がおそらく著作権絡みで展示に含まれていなかったのは残念だ。難しいことを考えなくても、10メートル四方ほどに拡大コピーされた「ギャラクティカ・マグナム!」(リングにかけろ)や網状電脳世界(攻殻機動隊)だけでも見る価値はある。

場内では声優による音声サービスという変わった試みもしている(別料金)。協賛のオリンパス光学が提供するバーコード読みとり式音声再生装置を装着し、展内ガイドをうけるのだ。珍しさはあるが、内容はつまらなかった。ただ、マンガの歴史はアニメの歴史でもあるのだなあと思った。

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で、感想。
50年代は、やはり手塚治虫で語るしかない。ストーリーマンガの原型を作ったアイデアの奔流に圧倒される。

60年代は、極私的印象では、この時期にストーリーマンガ、劇画の基本的な文法はすでに確立しているように思える。今見ても違和感を感じないデザインやドラマのリアリティ、SFの台頭と深いテーマ性がみてとれる。白土三平はすごい。

70年代は、ジャンル膨張の時代と思える。確立されたマンガ文法はあらゆる物語を描こうという欲求に見事に答える。60年代の終わりに少年マガジン、サンデーが創刊され、週刊マンガ雑誌がメインストリームとなる少年マンガ市場を開拓していく。と同時に、少女マンガというジャンルが花ひらいた時代でもある。いわゆる「24年組」(この呼称についてはCOMIC BOX1998.8月号の特集「20世紀の少女まんが」で再検証されているが)と呼ばれる作家たちによる革新的な作品が、ストーリーや表現において少女マンガを他のジャンルと区別できるほどSPECIALなものに成長させた。

僕は1971年生まれなので、70年代の終わりからマンガを読み始めたことになる。そのため、少女マンガの黄金時代の作品群に触れる機会はなかった。(それで今苦労している(^^; 。)小学生時代に出会ったマンガは、60年代の豊かな遺産(でも少年向け中心)と、熱く膨らみ始めた少年マンガであった。

この展覧会では触れられていないが、70年代に注目しておきたい流れがもう2つある。
一つはコロコロコミックに代表される子どもジャンル。「長編ドラえもん」「ゲームセンターあらし」「プラモ狂四郎」など、その時代時代の子どもをターゲットとしたメディアミックス戦略で市場をリードしていくことになる(チョロQ、ミニ四駆、ハイパーヨーヨー、ポケモンなど)。

あと一つは直接マンガに関係ないが、テレビゲームの誕生。小学校中学年頃、クラスで裕福な子の家にテレビゲームのテニスやブロック崩しが入って、みんなで遊びに行った記憶がある。その後前述のマンガ「ゲームセンターあらし」が生まれたように、近所の駄菓子屋やデパートにインベーダーゲームが入って、柄の悪い中学生がやってるのを後ろからのぞき込んだりしていた(笑)。

僕は、マンガ世代、アニメ世代はある意味今30代の人を指すのが適当だろうと思っている。マンガ・アニメが一般に広く流通し始めた時代に生まれ、共に生きてきた世代だからだ。一方、ゲーム世代は同じ理由で20代が相当するだろう。小学生の頃インベーダーが登場、そしてクレイジークライマーギャラクシアンパックマンドンキーコング、中学の頃にはファミコン登場でゼビウスに始まりスーパーマリオにドラクエ(この頃パーソナルコンピュータなるものも登場、PC6001とか8001へ、NECの時代が始まる)、そのうちスーファミ、さらにPS。今はパソコンもあふれる時代になってしまった。その流れを脇に見ながら育ってきた。
・・・脱線した。

80年代は、あらゆるジャンルに手を付けたマンガが市場を膨らませていった時代である。週刊少年ジャンプが成長し600万部を超える怪物雑誌となった。また、ラブコメ、等身大の青春路線がブームとなった。僕は思春期にこの流れにぶち当たってしまい、その後のマンガの読みに大きな影響を受けることになる。「電車の中でいい年したサラリーマンがマンガを読むとはなんだ」というネタが聞かれてきたように、マンガはいずれ卒業するものから長くつき合っていくものに変化していった。少年誌の出版社は青年誌、ヤング誌を創刊し、消費者の世代別シフトを上方に延ばし、従来のマニアックな青年誌との距離もせばまった。

さて、展覧会では80年代以降、をひとくくりにして90年代を特に分けていない。すでに終わりに近づいている90年代は、どんなキーワードで80年代と区別されるのだろうか?
「停滞と混沌の時代」「模倣と複製の時代」「アダルト・レディースの時代」さて? COMIC BOX1995.7月号で「まんがは終わったか?」という問が発せられているように、90年代のマンガには表現法、市場的な点で過去と比較して革命的な変化はないように感じられる。それが一部に閉塞感を産み出しているのは確かだ。ただ、極私的には80→90年代の節目に起こった連続幼女誘拐殺人事件とそれに続く有害コミック騒動、それらを乗り越えた先に生まれたアダルトコミックジャンルのいかがわしいおたくエネルギーは無視できない動きだと思うし、一方で、もともと懐の深い少女マンガが社会の中に貪欲にテーマを探し始めたレディースコミックジャンルもトピックだろう。あと、おたく系でブレイクした同人活動という「参加する」マンガ文化がどう根を張っていくか。

展覧会を見ながらあれこれ思いを巡らした。
帰りに秋葉原に寄って、本屋でフロアいっぱいのマンガを眺めた。数十年後にまた展覧会があったとしてもそこには展示されないだろう、目に映るほとんど全てのマンガ作品たち。
歴史の重要性を認識した上で、でも歴史は生きるものじゃなくて学び考察するものだから、あふれかえった全てのものに囲まれた日常を重ねていくことでしか、時代を感じることはできないのだなあと思い、昔読んで衝撃を受けた「ドラえもん」のセリフをあらためて噛みしめた。

タイムトラベルで町の100年史を見ようというのび太にドラえもんは答える。
「100年の歴史は、100年かけないと見きれない」

------
「マンガの時代 The MANGA Age -手塚治虫からエヴァンゲリオンまで-」
http://www.via.or.jp/~imnet/mot/special/special28.html
(来年2月には広島現代美術館でも開催予定)

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コミケ初見(980816)

はじめてコミケに行きました。前々から一度見たいと思っていたのですが、とうとう行ってしまいました(笑)。(いつでもいけるところに住んでいると、逆になかなか足が向かない典型でしょうか?)
行くならやはり日曜日だろうと言うことで出かけましたが有明に到着したのは13:30すぎ(終了16:00)。正味2時間ほどしか見てまわることは出来ませんでした。この日(最終日)は西館1階が文芸・歴史・JUNEなど、2階が企業ブース、東館が男性向創作その他、というラインナップでしたが、事前にカタログチェックをしたわけでもない僕は競歩のように一巡りしただけで2時間が過ぎ、その規模の大きさを実感することが出来ました(そもそもそれが第一の目的でした。あれが×3日間だものねえ)。

結局購入したものはなかったのですが、表紙を目で追うだけでもいろいろ楽しいものがありました。一発ギャグ的なものはやはりいい。パロディは面白い。しかし、表紙がみんな豪華できれいですねえ。中味までなかなか見られませんが(下調べが必須というのもうなずける)。スレイヤーズとか、ずらーっとはるか向こうまでならんでいるのを見ると、ファンってありがたいと思います。壁配置サークルってのも実物を見られたし(笑)。(西館1階に、ひとつ「ヴァンデミエールの翼」本があったんですが(おおっ)、見本のみらしかった。)企業ブースにはマガジン編集部の持ち込みコーナーがありました。

特筆してしまいますが、コスプレは見てて楽しいっ。お祭り感覚にあふれていてよい。全体的な印象では、みなさんとても手作り感覚でかつ凝ってます。企業ブースにいるお姉さんたちのコスプレよりも楽しい感じ。おお、あそこにヴァッシュが歩いてるーとか(笑)、わかるオモシロサというか。さくら(サクラ大戦も、CLAMPのも)とかアキハバラ電脳組とか多かったです。バーチャロンもいた。ビジュアル系バンドのファンと思われる人たちは、人形と見間違う美しい服飾とメイクで魅せてくれました。一番のお気に入りはシシ神の首のぬいぐるみを抱えたサン(もののけ姫)でした。

総じて、文化祭的な活気に満ちた濃い空間でした。加えて、運営もしっかりしている印象を持ちました。有明という場所の広さが活きるゆったりした配置で荷物を持った人の移動も容易(僕が行った頃はもうかなり空いていたと思われますが)、コミケ名物の行列はトイレに限らず自動販売機その他について整然として。思ったより年齢層が高く、年2回恒例のコミケに参加者が慣れていることが見て取れました。
ボランティアの準備委員会・スタッフの皆さんの奮闘に感謝したいと思います。

久々のお祭りでした。

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パロディ同人作品と著作権ネタその2(980809)

著作権について。まあ僕も著作権についてはど素人ですが。

原則的には
1)原作の設定、物語、キャラ等を使用して商売をするなら、原作者の許可を取り(契約を結び)、原作の存在を明示し、利益を正当に分配することが望ましい。
2)原作を改編して製作した作品を公に発表するなら、原作者の許可を取ることが望ましい。
3)上記2点を原作者は正当な権利として要求できる。(つまり「利益」と「イメージ」。)
と考えています。

曖昧だ曖昧だと言われている著作権ですが、マンガやアニメの同人活動について実際に「原則的」解釈を試みると、意外と似たようなところに落ちついてしまうのが面白いところです。例えば

「著作権について〜マンガとの関係〜」
http://www.linkclub.or.jp/~yoo/top_under/etc/copyright.html#index
園田健一先生のファンと著作権問題のページ「Fantasia」内の
「アニメ・漫画・ゲームのファンページと著作権問題を考える」
http://www.age.ne.jp/x/cq682138/hanken/tyotop.html

上記サイトは作家側、ファン側の考えの一例として参考になります。「原則的」解釈には大きな差はない印象です。ただ現状にてらしてその解釈との齟齬に違和感を感じている人が多いのは事実でしょう。

パロディ同人活動をする側は
1)著作権侵害を承知でやる。
(皆やってるし黙認されてるし・・・でもほんとはまずいんだけど・・・やばくなったら逃げよっと)
2)著作権侵害だからやらない。
(原作好きだし・・・でも鑑賞だけじゃなくてもっと作品を楽しみたいのに・・・)
3)著作権侵害にならないように手続きを踏む。
(同人活動でのパロディを認めてもらおう!)

パロディ同人活動をされる側は
1)著作権侵害を黙認する。
(宣伝効果あるし人気の証拠だし・・・でも内容や流通は過激になる一方だし・・・)
2)著作権侵害だと訴える。
(作品の権利を守らなくては。でも強く言うと嫌がられるし、人気に響くかな・・・)
3)著作権侵害にならないように手続きを踏む。
(原作の権利に配慮してもらおう!)

現状では、3)の行動が両者ともいまひとつ盛り上がってきていないのは残念です。現状では個人が製作サイドにアプローチしても許可を得るのは難しいですし、製作サイドも認める範囲や手続き、検証等の曖昧さと煩雑さから許可を出すことに否定的に見えます。で、双方よほどのことがない限りは黙ってる方がいい、寝た子は起こさないほうがいいということかもしれません。

業界における同人活動の重要な地位を認識するなら、著作権との関係を議論して認めるところは認めて環境を整備した方が結局はメリットになるのではないでしょうか。うしろめたさを抱えつつ好きな作品とつき合うよりは。

>キャラクターイメージをひどく壊すものが大規模に流通

現状は「キャラクターイメージをひどく壊すものが大規模に流通」してるように思えます。
極私的には、一般書店で売られている無許可アンソロジー本などはアウトにしか見えず、なぜ放置されているのか誰かに説明して欲しいくらいで(笑)。出版社が同人作家の承諾を得て(原作だけを無視して)同人原稿を集めて編集・製本し、きっちりバーコードつけて書店に積んで売ってるわけですから。(売り上げは同人作家にも行くのだろうか?やっぱ原稿買い取りかな?どっちにしろ商用です。中には、写植の際に意図的にキャラクター名だけを1文字ずつ変えてあるアンソロ本もあります。)しかも一方ではちゃんと表紙にマルCつけて売ってるアンソロ本も少なくないわけで、これでは「許可が取れないもので商売してまーす」と言ってるようなもんです。

ふゅーじょんぷろだくとなどはずっと以前から、同人誌、同人活動に対して積極的に発表の機会を設けていますし、加えてCOMIC BOXなどの専門誌などでマンガを考える場を提供しています。この会社が執拗にマルCなしでアンソロ本を出し続けている裏にはそれなりの論理があるのでしょうか?うーむ。
また、GAINAXは同人活動にはめっぽう理解があると思いますが、先日の報道では「著作侵害だ」「公序良俗に反する」などとのたまっているので、なにがしか規範はあるらしい。(それとも黙認の裏返しの二枚舌?)うーむ。

というわけで、ふゅーじょんぷろだくと vs GAINAXの訴訟がぜひ見てみたいのです(^^; 。

それよりもCOMIC BOXで同人ビジネスと著作権の特集をやりませんか?>ふゅーじょんぷろだくと様

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パロディ同人作品と著作権ネタその1(980728)

本日、テレビ東京のニュース番組「ワールド ビジネス サテライト」で、先日報道された(980712)同人アニメ訴訟に関連して、
「侵される著作権 同人ビデオのボーダーラインは」
という短い特集が放送された。番組ではビデオに絞っていたが、マンガも同じことである。

パロディ同人誌(ビデオ etc.)は著作権上の問題をはらんでおり、オリジナルの権利を無視して大手を振って流通されてよい性質のものではない。現状は黙認されているに過ぎず、それは既に怠慢の域に達している。
「同人」ブランドが商品価値を持った今、創作の自由とオリジナルの権利をどう共存させていくか。明確な線引きがない現状だからこそ、見て見ぬフリをするのではなく、パロディと著作権、商業流通と同人活動について当事者たち自身が積極的に考えていかねばならない。現在、パロディ「同人」作品の流通は一般書店、専門店、即売会、通信販売、インターネットと、多様化している。著作権、版権所持者は自身の見解を声に出して欲しい。きちんとした訴訟例がいくつかあればなおよい。

番組では、同様のEVAもの同人アダルトビデオについて、ガイナックスの佐藤裕紀第一事業本部部長がインタビューに対して
「こんな商品、こんな形でね、出てしまうのは大変かなしい事態。他のファンの方にも申し訳ない。明らかに我々のキャラクターの著作侵害にあたる、ここは一番大きな問題。そして、内容的には公序良俗に反しているという部分が大変大きい」
とコメントしていた。申し訳ないがしらじらしく感じてしまう。ガイナックスが現状を知らないはずはない。
一般書店で「新世紀エヴァンゲリオン」(貞本義行)単行本やフィルムブックの横にふゅーじょんぷろだくとのEVA同人アンソロジー本がならんで売られている例もある。
「かなしい」という表現は、不本意だが容認する、と解釈してさしつかえないのでしょうか?

同人という場が(ファン活動の場として、自由な創作の場として)重要な意味を持つことに配慮した上でなお、度を過ぎた流通には毅然とした態度で対応するべきだ、というのが極私的意見。

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ポケモンフリッカー事件その2(980718)

ポケモンフリッカー事件の影響が、旧作に大きな影響を与えている。ニュースグループを斜め読みしただけだが、再放送やローカル局で放映され始めた「ナデシコ」「マクロス7」「スレイヤーズ」などの作品中のフリッカーシーンがことごとくストップモーション的に改変されて、鑑賞上でも違和感を与えているという。現在、TVアニメ放映時には本編冒頭に「鑑賞上の注意」のテロップが出るのが当たり前のようになっているし、上述の「lain」無料レンタル予告ビデオにも、冒頭に収録映像がTV放映用と異なる点のアナウンスがあった。

NHK教育テレビで放送された、アニメ・CG・実写を意欲的に融合した作品群(「ナノセイバー」等)は、ガイドラインへの抵触部分が多く部分的な修正が不可能として、再放送ができない、ひいては今後の活用が見込めないということで原版の保存すら危ぶまれているという。
http://www.piedey.co.jp/aland/gd/ns_1.html

いかにフリッカー表現が今までのアニメでスタンダードな技術であったかがわかる。それに変わる技術はいずれ生まれるだろう。しかし、この事件は過去のコンテンツを「危険物」へと変えてしまった。

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アニメつれづれ(980705)

アニメージュの20周年記念特集号が出ている。
歴代の表紙を追っていくと、アニメとの長いつきあいを思い返して興味深い。

僕にとって元々アニメ=ロボットもの限定、しかも変形合体ものであった(今も好みは変わらないって?)。
マジンガーZでありゲッターロボでありコンバトラーVである。しかし家庭の方針により、当時全盛の「超合金」おもちゃは買ってもらえず、番組自体もほとんど見ていない。あのころデパートのおもちゃ売場は魔法の空間だった。

「機動戦士ガンダム」の再放送もロボットものだから見始めた(この頃には親の許可を取る知恵がついていた)。で、社会現象ともなった怒涛のガンプラブームへ突入するのである。小遣いやお年玉はほとんどこれに消えた。
アニメで初めて凄いと思わされたのは、初めて子どもだけで観に行った「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙」。ろくに映画も見たことのない子どもが出会った衝撃。ガンダムは「特別」になった。
つまりガンダムだけが特別なのであって、それ以外は依然ただのアニメであった。
(「ムーミン」「ヤッターマン」は楽しみながら観ていた記憶があるが。)

そして、極私的ターニングポイントは1984〜6年に訪れる。

1984と聞いてにやりとした人はかなりのアニメファンである。
そう、劇場用長編アニメ「風の谷のナウシカ」「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」が並び立った伝説の年である。
「ナウシカ」は、ただただ面白かった。理性のはいる余地はなかった。
「マクロス」は、バルキリーに魅了されていた僕のメカ心のツボを押しまくってくれた。また、音楽の力を初めて自覚した。クライマックスで、ミンメイの歌と振り付けと戦闘シーンがシンクロするシーンに確かな「技」の存在を感じた。加えて、当時すかいらーくがキャンペーンでマクロス劇場版グッズを揃え、飯島真里が主題歌でザ・ベストテンに出た。

僕はマクロス劇場版を通じて、アニメ作品が、作り手の技術に裏打ちされた製品であり、かつ興業目的の商品であることを自覚したのである。
おもちゃとしてのプラモデルではなく、初めてLPを買った。慣れないレコードの扱いにミスって思いっきり傷を付けたりした(泣笑)。ムック本も買った。スタッフの名前を覚えた。(板野サーカス!(笑))

この頃からアニメージュ誌との自覚的なつきあいが始まった。当時の編集長は現スタジオジブリプロデューサー鈴木敏夫。「ナウシカ」の魅力や舞台裏に迫り、アニメが「出来たもの」ではなく「作られるもの」であることを伝えた。
1984〜5年に同誌に連載していたマンガ「とどのつまり・・・」(押井守/森山ゆうじ)は、少年マンガとSFばかりを読んでいた僕に不条理or形而上的マンガ表現の魅力を教えてくれた思い出深い作品。(押井守の出世作「うる星やつら2」は数年後にテレビで観た。)

その後僕は、嗜好を分析する手段(情報)を得て、初期OVAの佳作「メガゾーン23」にハマっていった。変形バイク、ガーランドにロボット心を、東京全体が虚構であるという設定にSF心を刺激され、主人公が世界の流れを変えられず敗北するラストに衝撃を受けた。(音楽もよかった。そう、鷺巣詩郎である。)
初めておたく的に踊った。平日のモーニング上映に行って怪しまれたり、レンタルビデオをダビングしたりした。(勢いで「メガゾーン23 PARTII」なる凡作にもハマり、劇場上映初日に初電で新宿歌舞伎町へ行って行列を作ったり、宮里久美(知らないだろー(爆))と握手したりした。)

1980年代半ば以降、家庭用ビデオデッキが急速に普及し始め、それにともないビデオレンタルという商売も急増していく。(最初の頃は大手などなく、建物の脇の小さい階段を上がった奥にある薄暗い店の中で、目つきの悪い兄ちゃんがタバコを吸いながら接客していたりして、結構怖かったものである。値段もビデオテープ自体まだ高かった。)

OVAという新ジャンルは、ファンに対してより「通」であることを要求した。おもちゃを売るためではない作品は、作り手と受け手が慣れるまでは企画も内容も試行錯誤が多かった。情報のリンクが重要になる時代が始まっていた。(例えば「ウインダリア」という佳作では、いのまたむつみ、新井昭乃、藤川桂介をチェックした、というように。)情報は作り手に何が売れるかを教え、市場にはメカ&美少女ものが溢れだし、また情報は受け手に企画やスタッフの動向を教え、「先週の○○、××さんが作画監督してたねえ」などという会話がファンの間で当然のように交わされるようになった。

そんなこんなで、客観的に見れば僕は典型的な80年代アニメ世代なのかもしれない。(思うに、この層が社会人となって購買力を持ち、現在のおたくメディアを支えている。)

1990年代に入ると、アニメ作品はファン層をより確信犯的に狙い撃ちし始める。 80年代後半から目に見えて膨張し始めたコミックマーケット(コミケ)が、アニパロ同人やファンの一大イベントとなった。(「キャプテン翼」の大ブレイクは、作り手たちに新しいアニメの楽しみ方があらわれたことを気付かせた。)
作り手、売り手、買い手の思惑はより自由にかつ露骨にあらわれ、業界の体質や経済的社会的基盤の無さが作品の中味に映り込むようになった。売れ筋、狙いすぎと思える作品が急増し、粗製濫造の時代もあった。(←最近はまたこの傾向が目に付くようになってきた。)

アニメは好きだけど、アニメの面白さってなんだろう?
90年代頭のヒット作「ふしぎの海のナディア」が何かを象徴していた。
僕はこの物語の面白さがとうとうわからなかった。
(一番印象に残っているのは、中盤の作画や撮影の荒れの無惨さである。)

アニメって一体何なのだ?この映像と音の魔術の魅力につながる世界。
しばしば登場する佳作を楽しみつつ、もう少しあっちこっちからも眺めて見ようと。
それが僕にとっての90年代アニメなのかもしれない。
(80→90年代への移行期に無視してはならないのが「連続幼女誘拐殺人事件」である!)

90年代にもいろいろあるがいい加減止めておく。なんにせよアニメとは長いおつきあいである。

で、マンガについてもほぼ同じくらい長いおつきあいがあり、今も続いているのである(^^; 。

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フィクション宣言(「ぼくの地球を守って」)(980414)

「ぼくの地球を守って」(日渡早紀)について。

この作品をあれこれ語るとき、やはり「フィクション宣言」(極私的に命名)は忘れるわけにはいかないでしょう。

・「フィクション宣言」とは?

「ぼくの地球を守って」は作品としては「前世もの」ジャンルに分類されることが多く、登場人物たちの前世の存在がストーリーの幹となっています。物語の最初の方に、前世の記憶を頼りに現世に転生した仲間を捜すため、オカルト雑誌の読者コーナーに「(前世の仲間の名前)を探しています」という投書をして、実際に仲間と出会うことができたという展開があります。

ところが当初から人気の高かった「ぼくの地球を守って」の連載が進むにつれ、前述のオカルト雑誌のモデルとなった実在の雑誌「ムー」をはじめとするオカルト系雑誌の文通・募集コーナーには、自分の前世や、前世での仲間を探したり、情報提供を求める投書が増え始めました。例えば「私は水の騎士の記憶を持つものです。前世で炎の騎士、石の騎士だった友人を探しています。また、ユーリトス、ファストールという名前に心当たりのある方、カイの門を開く鍵の在処をご存じの方は情報をお寄せください。お待ちしています。」という感じの投書です(文はKoujiの創作)。この手の文面が読者欄のそこここで踊り、さながらちょっとした前世ブームの様相でした。(記憶ですが、何かの雑誌か新聞の記事にもなりました。)

面白いのは、これらの投書の主のかなりの部分が本気で「前世」を探していたと考えられることです。「前世の存在」は、現実の生活にドラマを感じない空虚さから「冒険の主人公」「今の自分ではない自分」を夢見る気持ちを刺激し、主な読者層である十代の女性たちとシンクロしたのかもしれません。そのこと自体の是非はともかく、当然その過熱ぶりに注目も集まり、問題視する声があがるという展開になりました。曰く「読者が没頭するあまり現実と混同してしまっている。こどもが安心して読めない」とでもいうところでしょうか。

結果として、どうなったか。
作者の日渡早紀みずからが単行本の1/4スペース(これ、少女マンガ独特の慣習ですね)で「これはあくまでおはなしにすぎません」という趣旨のいわば「フィクション宣言」をしたのです。
物語の作者が、その物語が進行しているまさにそのページのすぐ隣で「これはつくりごとです」と宣言する。
読者と勝負する作家であること以前に、こどもの前に立つ大人であることが優先された、これは極私的にいろんなことを考えさせられた事件でした。
日渡早紀は、この巻と次巻の1/4スペースでこの問題について書いています。宣言に対してのファンからの反応「もちろん当然」「夢を壊さないで」などなど。日渡早紀はどう考え語ったのか、実際に一読されることをお薦めします(該当巻は8、9巻)。 (現在手元に単行本がなく、読み返したのも数年前のため、上記内容にも正確さを欠く点が多々あることと思われます。ご了承ください。申し訳ない。)

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ポケモンフリッカー事件その1(980412)

TVアニメ製作へのデジタル彩色・オンライン編集導入について。
思ったより実用されているようなのであちこち見てみたら、あるある。この1年で全く珍しいものではなくなってしまった。

面白いのは、動画以降の作業がデジタルになると、透過光などの特殊撮影技術が従来のような形では使えなくなることだ。もちろんそれに替わる技術や、さらにデジタルならではの新しい表現も生まれてくるだろうが、新しい技法は予算と時間のある劇場用作品などの場で試行錯誤の中から生まれてくるものだろう。そうした技術が機材・ソフトの進歩やコスト低下によって広く定着するまでの間、現場にはデジタルによる恩恵とともに幾つかの技法が封じられる期間がしばらく続くことになる。

そのメリット、デメリットを考えたとき、動画以降のデジタル化がいわゆる「お子さまに安心してお見せできます」的作品を中心に用いられている現状は面白い。その背景には、安定した需要と歴史を持つ子供アニメ(?)の大手製作会社がデジタルへの移行を長期的視野で進めてきた事実があるのだが、作品の性格上もメリットの方がうわまわっていると納得できる。一方で「趣味的で表現が過激」(笑)な作品は、今までリミテッドの枷をカバーするためにも撮影技法を駆使してきた。爆発シーンを始めとして透過光なんかびかびか光りまくりである。最近のデジタル(CG)の導入も特殊効果的な挿入が多い。

そこでポケモン事件である。
「デジタル製作アニメ→現状での技術的制限→デメリットの少ないファミリー向けアニメに有効」
「爆発セルアニメ(笑)→表現に撮影技術への依存高し→現状でのデジタル製作はいまいち不安」
という図式が、TV映像に関するガイドラインの導入でどう変わるのか。
ある種の表現技法が同じように制限されるなら、むしろデジタル導入で新しい表現を模索した方が結果的に得だ、ということでデジタル化を後押しする力になるのだろうか。(おそらく流れはもう変わらない。あとは早いか遅いかだ。)

気をつけたいのは、「光らないアニメ」と「光るアニメ」が、子供に見せていい作品かそうでないかという議論の材料に使われる可能性だ。現状では一見内容との相関が感じられてしまうが、それぞれは全く別の問題だろう。

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郵政省:放送と視聴覚機能に関する検討会中間報告(本文)
<医学的アプローチを中心としたセルアニメーション表示手法に関する中間報告>
http://www.mpt.go.jp/pressrelease/japanese/new/980406j702.html

テレビ東京:ポケットモンスターに関する最新情報
http://www.tv-tokyo.co.jp/pokemon.htm

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97年度マンガランキングその6(980308)

ぱふ4月号に、97年マンガベストテン企画。 探せば意外にたくさんあるもんですね、この手の企画。
ぱふの読者層もまた一癖あるのだけれど、長い時間をかけてファンと共に築き上げてきた信頼関係が強み。編集サイドと読者がお互いの求めているものをある程度察している感じ。
ちなみに読者投票総数2885票、うち93%が女性。年齢層は1歳刻みのヒストグラムで記載されている。
普段は読んでないのだが、意外に情報の質量はあなどれないと感じた。今まで採り上げた数々のランキング企画の中で唯一、短編部門、新人部門を設定している点も無視できない。
そして何より、今号の誌面の約4分の1を割いて「1997年度まんが家作品リスト」を掲載していることは特筆に値する。プロにしかできない作業というものは確かにあり、それが読者にとっても価値の高い情報となる。

各賞上位を転載する。

長編賞
1「封神演義」(藤崎竜)
2「グラビテーション」(村上真紀)
3「るろうに剣心」(和月伸宏)
4「新世紀エヴァンゲリオン」(貞本義行/GINAX)
5「X」(CLAMP)
6「BRONZE -ZETSUAI」(尾崎南)
7「っポイ!」(やまざき貴子)
8「め組の大吾」(曽田正人)
9「原獣文書」(なるしまゆり)
10「BASARA」(田村由美)

13「彼氏彼女の事情」(津田雅美)

短編賞
1「少年残像〜Boy's Next Door」(由貴香織里)花とゆめ
2「ユガミズム」(藤崎竜)週間少年ジャンプ
3「WILD CATS」(清水玲子)LaLa
4「ROMANCERS」(浅美裕子)週間少年ジャンプ
5「光の庭」(あとり硅子)Wings
6「ウワサ'97」(マツモトトモ)LaLa
7「メテオ・ストライク」(和月伸宏)週間少年ジャンプ
8「爪先立ちて歩く幽霊」(岡崎武士/佐藤嗣麻子)Amie
9「海の時計」(あとり硅子)Dear
10「死刑台の72時間」(篠原千絵)プチコミック

25「岸辺露伴は動かない」(荒木飛呂彦/岸辺露伴)週間少年ジャンプ
26「空に羽が・・・」(藤田和日郎)週間少年サンデー

新人賞
1 影木栄貴「世紀末プライムミニスター」Wings
2 武井宏之「仏ゾーン」週間少年ジャンプ
3 木々「風の記憶」LaLa
4 種村有菜「神風怪盗ジャンヌ」りぼん
5 高橋和希「遊☆戯☆王」週間少年ジャンプ
6 寿らいむ「花らんまん」りぼん
7 大和名瀬「FAN」GUST
8 金田一蓮十郎「ジャングルはいつもハレのちグゥ」少年ガンガン
9 遠藤浩輝「EDEN」アフタヌーン
10 加倉井ミサイル「しびとの剣」コミックBIRZ

12 若菜将平「仮面天使」アフタヌーン
28 大洋星太郎「今日のだいちゃん」ヤングサンデー

男性キャラ、女性キャラ、アニメ作品、アニメキャラ、CD、声優、ベストコンビ賞は略。

結果はなるほど ぱふ やなぁ、と思った(偏見込み)が、変なところで面白い。その、なんというか、少年・青年誌はジャンプしか見てないらしい(爆)という印象があって。実はこれは大事なことで、「封神演義」「るろうに剣心」などを目当てにジャンプを手にとることで、その他の作品に触れる機会が生まれているという事でもある。(お気に入りの作家の読み切りを挙げているだけの気もちょっとするが。)しかし男女の立場を変えれば同じ事が言えるのは、過去に紹介したランキングものを見ていただいた方には言うまでもないことだろう。
あとり硅子はWINGS誌上で おっ と思ってちょこっと触れたことがある(971128)。マツモトトモは「キス」という単行本が出ていて、マンガ喫茶でふと手にとって結構気に入った記憶がある。それ以外の少女系は極私的にはまたしても全滅。マンガ好きといってもせいぜいこの程度である。

そんななかで、新人賞9位に遠藤浩輝の名があるのは驚き。はー、やるもんだねぇ(感心)。

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97年度マンガランキングその5(980307)

「98コミックランキング みんなのマンガ」(監修=村上知彦)(毎日ムック・毎日新聞社)について。

ここのところ続いているランキングネタものの中で一冊だけ薦めるとすれば、これでしょう。
よくも悪くも人気投票の域を超えない他のランキング企画と一線を画し、マンガには一家言ある選者たちの「大人の視線」が、結果的に魅力的かつ多様な作品を紹介する場を作り出すことに成功している。
マンガ雑誌相関図や編集長インタビュー、毎日新聞のマンガ関連ニュース記事、書店売り上げベスト作品、マンガ文化、市場の概観、評論本の紹介など、マンガを産業、社会面からとらえる姿勢に好感が持てる。かつ文章自体は平易で、新聞感覚で楽しく読める。
巻末に、紹介した作家、作品名の索引が掲載されている点も評価できる。(先日紹介した「一億人の漫画連鎖 コミックリンク」などは、1000作品と豪語しているくせに雑多に配列したあげく索引もなく、大きな減点である。)

上位を転載する。
1「ドラゴンヘッド」(望月峯太郎)
2「「坊っちゃんの時代」 不機嫌亭漱石」(谷口ジロー/関川夏央)
2「MONSTER」(浦沢直樹)
4「ピンポン」(松本大洋)
5「残酷な神が支配する」(萩尾望都)
6「真夜中の弥次さん喜多さん」(しりあがり寿)
7「陰陽師」(岡野玲子/夢枕獏)
8「ぼくんち」(西原理恵子)
9「フラグメンツ」(山本直樹)
10「YASHA 夜叉」(吉田秋生)

玄人好みの作品が集まった印象だ。谷口ジローは以前から評論家には評価が高い作家で、「坊っちゃんの時代」はようやく完結した12年に渡る大作。「陰陽師」も、昨年からなにかのランキングに顔を見せている評価の高い作品。「真夜中の弥次さん喜多さん」は現在コミックビームの連載で注目している「弥次喜多 in Deep」の前身にあたる作品。西原理恵子のランキング上位への登場は他誌で見られないのが不思議。山本直樹がベスト10に入るのは選者投票ならでは。
僕がまともに読んでいるのは1、3、4、9だが、この10作品、もはや順位がどうこうではない個性派ぞろいと言っていいだろう。

この本では他にも下位ながら注目の作品にもページを割いている。(下位もなかなか面白いラインナップになっている。45位に「国立博物館物語」(岡崎二郎)が入ってたりして。)

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97年度マンガランキングその4(980306)

ああ年度末。またコミックランキングもの登場。
書籍、コミック情報誌「ダ・ヴィンチ」(リクルート)のコミック・ダヴィンチコーナーの本年度記事を中心にまとめた「一億人の漫画連鎖 コミックリンク」(リクルート ダ・ヴィンチ編集部 メディアファクトリー)。
巻頭文のさわりを。
「「最近、面白いマンガはないねぇ」よく耳にする台詞です。本当にそうなのでしょうか?ただ言えるのは、膨大な発行点数を誇るマンガ誌やコミックの中から、自分に合う作品と出会いにくくなっている、という事実です。おそらく、面白いマンガは誕生してきているのです。そこで、私たちは「コミックリンク」を提案します。」
コミックリンクとはマンガのジャンル、テーマ他様々な接点でアクセスし、未知の面白い作品にめぐり会っていくことだそうだ。内容的には完全に作品・作家重視の編集で雑多な印象。既にマンガ好きな読者を対象に、好きな作品(作家)を手がかりに他の作品を紹介していくという感じ。

さて、ランキングの方はマンガファン5315人(男性1839 女性3476)のアンケート(一人3作品投票方式)による結果。統計的には充分な母集合で、かつ女性票が多いことに注目したい。
以下に各部門の上位を転載する。

少年・青年マンガランキング
1「SLUM DUNK」(井上雄彦)
2「MONSTER」(浦沢直樹)
3「るろうに剣心」(和月伸宏)
4「すごいよ!!マサルさん」(うすた京介)
5「金田一少年の事件簿」(さとうふみや(原作 金成陽三郎))
6「行け!稲中卓球部」(古谷実)
7「名探偵コナン」(青山剛昌)
8「ドラゴンヘッド」(望月峯太郎)
9「おたんこナース」(佐々木倫子)
10「封神演義」(藤崎竜)

少女・レディースマンガランキング
1「残酷な神が支配する」(萩尾望都)
2「BASARA」(田村由美)
3「ガラスの仮面」(美内すずえ)
4「輝夜姫」(清水玲子)
5「動物のお医者さん」(佐々木倫子)
6「おたんこナース」(佐々木倫子)
7「赤ちゃんと僕」(羅川真里茂)
8「花より男子」(神尾葉子)
9「おいしい関係」(槙村さとる)
10「YASHA-夜叉-」(吉田秋生)

古今東西殿堂入り名作マンガランキング・・・は略。女性票が多いことを反映してか1位はなんと「BANANA FISH」(吉田秋生)。

コメントは・・・あまりない。対象は97年にあるいは最近まで連載していた作品、と結構制限が緩いことは触れておく。少年・青年マンガの方はあくびが出そうな面々。少女・レディースは・・・佐々木倫子以外は僕は全滅(爆)。聞いたことある名前ばかりなのできっとこちらも定番ものと見た。「残酷な神が支配する」は幅広い層から高い評価を受けているようだ。

それにしても、この手の企画はどうしても長編連載作品ばかりが揃う。マンガ喫茶の存在などを考慮に入れても、なかなか気軽に読む気になれないのが痛い。単巻ものなら・・・例えば「脂肪という名の服を着て」なんてタイトル聞いただけで読みたくなるんだが。

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97年度マンガランキングその3(980304)

僕はマンガのことをあまりに知りません。日本国内の出版の部数、売上の4、3割を占める巨大産業。そこには含まれない非商業マンガ。ジャンルの境界を行き来するイラストレーションや絵物語。ただ、たまたま手に触れた作品との間に生まれた価値を確かなものとして感じるだけです。
読み手にとって、自分が一番おもしろいと思った作品に投票することが、もっとも誠実で正当な行為ではないかと思います。
その結果のランキングであれば、結果はどうあれ意味のあるデータです。「外」の人のことを変に気にするのは逆効果になるのではないでしょうか。なにより、自分は「内」であるという根拠などないのですから。

さらに、読者層も無視できません。100万人が読んでいる作品を読者の1%が面白いと思って投票したら、1万人が読んで90%が面白いと思う作品よりも上位にランキングされるのは当然です。ランキングには、単に作品の内容がどうという事以外にも、どれだけ多くの人に届いているかというポイントも入っているという事です。これはマンガの現状を考える上で重要な点です。
純粋に内容で選ばねばいかん、という場合、一定のノミネート作品群を一定数の選者に全部読ませて投票しなければなりませんし、その結果のランキングには別の長所短所が生まれるというだけです。

そんなわけで、むしろデータをどう読んでどう評価するかというのが面白いところです。いってみれば、ありのままの「内」の結果を、どう「外」に通じる視点で見るか、ということでしょうか。
1位でしたおめでとう、だけで終わりなのかどうか、ここから先が編集サイドの(あるいは読み手の)腕の見せ所(楽しみどころ)。その意味では確かに既存のランキングは物足りない点もあります(正直お祭りでもいいという気持ちもありますが。)

コミッカーズの方でちと不満だったのは、せっかくの上位作品へのコメントが投票者の応援メッセージだけという点。ある程度のマスが推したその作品の魅力をもっと突っ込んで解説して欲しかった。
(なんで松本大洋や黒田硫黄がテクニック賞に入ってないんだ〜という憤りはもちろんありですが、かといってなんであんな作品が入ってるんだという批判はこの場合実りがないです。)
情報誌としての立場からか、Comnaviの方は読者コメントも解説や選評的な視点が多少感じられます。創刊3号でのランキング発表ということで、応募期間や購買層の読みにくさなどに制限があったことは無視できないと思っています。

面白いマンガが読みたいと思って、いろんな雑誌を流し読みとも言えない失礼な態度で読み散らかしていると、めいっぱい広げたはずのアンテナが実は穴だらけであるかのような、申し訳ない気持ちになることがあります。何冊もの雑誌、何10本ものマンガを読みあさるより、1冊の作品をじっくりと読んで心に刻み、いろいろ思いを巡らせてときには夜をあかしたりする方が個々の作品にとって誠実な態度なのではないかと思います。

で、そうしたつきあいができる作品が知られていないところに埋もれているかもしれないと思って、また読みあさっちゃうんですが(笑)。

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97年度マンガランキングその2(980301)

コミッカーズ、4月号の特集は「決定!ベスト・コミック・ランキング」。
お祭りやねぇ。各賞のトップ10を転載する。

最優秀ストーリー賞(話がおもしろい、盛り上がったなどストーリーやネーム、シナリオの優れた作品)
1位「新世紀エヴァンゲリオン」(貞本義行/GAINAX)
2位「封神演義」(藤崎竜)
3位「るろうに剣心」(和月伸宏)
4位「ベルセルク」(三浦建太郎)
5位「MONSTER」(浦沢直樹)
6位「多重人格探偵サイコ」(田島昭宇×大塚英志)
7位「BASARA」(田村由美)
7位「め組の大吾」(曽田正人)
9位「無限の住人」(沙村広明)
10位「ONE PIECE」(尾田栄一郎)

最優秀テクニック賞(絵やコマ割が美しい、かっこよい、新鮮だったなど、作画技術に優れた作品)
1位「BASTARD!!」(萩原一至)
2位「無限の住人」(沙村広明)
3位「封神演義」(藤崎竜)
4位「多重人格探偵サイコ」(田島昭宇×大塚英志)
5位「CLOVER」(CLAMP)
6位「I''s」(桂正和)
7位「X」(CLAMP)
8位「新世紀エヴァンゲリオン」(貞本義行/GAINAX)
9位「るろうに剣心」(和月伸宏)
10位「ベルセルク」(三浦建太郎)

ベストコミッカー賞(97年度最も優れた活躍をした絵描き系クリエイター)
1位 宮崎駿
2位 貞本義行
3位 藤崎竜
4位 CLAMP
5位 田島昭宇
6位 和月伸宏
7位 村田蓮爾
8位 鶴田謙二
9位 三浦建太郎
10位 鳥山明

ベストキャラクター賞・・・は略。

読者874名(10代女性36.2%、10代男性24.7%、20代女性16.7%、20代男性15.4%、30代以上7%)(男女比は45:55)の投票により決定された。
さて、いかがでしょうか?以前紹介したComnaviのランキングと比べて、コミッカーズらしさが感じられる結果だと思います。同人活動をしている読者も多いことを反映してか作家人気の傾向が見て取れます(藤崎竜、和月伸宏、田島昭宇など)が、テクニック賞にCLAMPが2作品、桂正和、萩原一至、コミッカー賞に村田蓮爾、鶴田謙二が入ってくるなど、雑誌が読者のセンスを信頼した結果が良い方向に現れたように思います。

コミッカーズ、今号は表紙が鶴田謙二。ランキング企画以外には、これから期待する作家として鶴田謙二、田村由美、安野モヨコのインタビュー+特集。デジタルアニメーション革命として大友克洋、森本晃司、今敏のミニ対談。アメコミ完全読本としてトッド・マクファーレンの「SPAWN」記事にアメコミの歴史、作品の紹介。 いつにもまして元気がいい。

「マンガは絵と言葉の魔法である」という事実をテクニックという側面から真剣に見つめた結果、今最も熱くマンガという表現、作家のうみだすセンスに近づいている雑誌、コミッカーズ。
自分ではマンガを描かないというマンガ好きにもぜひ手にとって欲しい。

さて、マンガ周辺雑誌にしだいにおもしろいものが育ってきつつある。
情報誌系のComnavi。
テクニック系のコミッカーズ。
あと、必要なのは・・・マンガというメディア(or 業界 or 産業)全体を俯瞰した角度からとらえ、同時に作品批評と社会への視点を盛り込んだ雑誌・・・・マンガ版キネマ旬報(?)かな。安易にサブカルに溺れないことも大事。
あとは、読者の自由な情報・意見交換の場・・・・ファンの集いとしては昔ながらのぱふやファンロードが強いけど、むしろネット内のニュース、フォーラムのような形式が適しているか?

現状では、非アニメ絵系作品や、女性誌、読み切り作品などを評価する場が不足しているのが一番の問題だと感じている。

(990131追記:99年1月現在、Comnaviは試行錯誤の繰り返しでぱっとしないし、コミッカーズは季刊になってしまっている。マンガ情報誌は根付かないのだろうか?)

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97年度マンガランキングその1(980124)

Comnavi 3号。
目玉記事は、comnaviが選ぶ1997年度マンガBEST100。以下、BEST10を転載する。
1位「MONSTER」(浦沢直樹)小学館・ビックコミックオリジナル
2位「ピンポン」(松本大洋)小学館・ビックコミックスピリッツ
3位「カイジ」(福本伸行)講談社・ヤングマガジン
4位「赤ちゃんと僕」(羅川真里茂)白泉社・花とゆめ
5位「犬夜叉」(高橋留美子)小学館・少年サンデー
6位「はじめの一歩」(森川ジョージ)講談社・少年マガジン
7位「蒼天航路」(原案・李學仁 画・王欣太)講談社・モーニング
8位「め組の大吾」(曽田正人)小学館・少年サンデー
9位「新世紀エヴァンゲリオン」(貞本義行 GAINAX)角川書店・少年エース
10位「おたんこナース」(原案・小林光恵 画・佐々木倫子)小学館・ビックコミックスピリッツ

・・・集英社がないねぇ(笑)。5作品を小学館がとり、ストーリーものに強いイメージを裏付けした印象だ。講談社が3つ、白泉社とエヴァンゲリオンが一矢報いたというところ。

さて、このランキングはcomnaviが選んだ選者(文化人、芸能人、大学漫研、comnaviライター・編集者)と約2000通の読者ハガキをもとに決定された。(読者票は年代、性別で6つに分けられ、選者6人分として集計されている。)選者50名の全ポイントが表になっているので見やすい。
全体の印象としては、メジャー指向ながらそれなりに筋の通った順位だと思う。1位5位はできすぎ、2位8位は当然、4位7位は読んでなくて、9位は面白いと思った。
9位「新世紀エヴァンゲリオン」の獲得ポイントを解釈するととても面白い。30代以降女性を除く全読者層でポイントを獲得しているが、他の選者からは1ポイントも入っていない(!)。つまり読者票がなかったらこの作品はBEST100にすら入らなかったのである。また、BEST100の下位約20作品は獲得ポイント10点で同順位だが、このうち大半はただひとりの選者が1位に選んだことによるものである。つまり、今回のランキング企画というのはそういった規模、性質のものであることを読者はふまえておかなくてはならない。(そもそもマンガランキングという行為自体が本来わけがわからんという批判も充分説得力を持っている。)

マンガベストランキング企画の意味は、知名度+印象度でオッケーだと思う。どんな傑作だろうが、読まれなければ面白いもつまらないもないじゃんかという事実は受けとめないといけません。なんでこんな面白い作品をみんな知らないんだ〜と思うこともありますが、逆の場合もあるので結局とんとんかと。

ちなみに「FSS」16位、「ギャラリーフェイク」24位、「ベルセルク」36位。 アフタヌーン勢は「無限の住人」36位、「ああっ女神さまっ」57位、「大日本天狗党絵詞」60位、「地雷震」79位。(なんのひねりもない(笑)。「大日本〜」が入ってるだけでもまだましとしてあげましょう。)
「ジオブリーダーズ」は選外・・・(大激怒!マンガ界の流れを無視しとるぞ〜!)

今回のランキング企画の極私的意味はどこにあるか。
1)未読の4位「赤ちゃんと僕」を読みに僕がマンガ喫茶へ行くだろうということ。
2)9位の作者 貞本義行の「完結まであと何年かかるかわかりませんが、必ずゴールしますのでこれからもずっと応援して下さいネ」とのコメントが読めたこと。
3)面白そうなマンガがいっぱいあるなぁ、と思うこと。
来年は、ぜひ完全作品リスト作製に挑戦して下さい>Comnavi

最後に「B館」の住人としてこのランキングとのシンクロ率を測ってみた。
BEST10以内・・・フォロー8、未読2
BEST30以内・・・フォロー14、未読12、未知4
BEST100以内・・・フォロー36、未読45、未知19
そんなところ。

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面白いマンガが読みたい(970831)

面白いマンガが読みたい。

ただそれだけのはずが、気がつけば一ヶ月にのべ五十冊を超えるマンガ誌を読みとばすようになってしまった。三時間読みふける雑誌もあれば、コンビニで十秒ページを繰るだけの雑誌もある。ごくまれにでも、佳作に出会ったときは本当にうれしい。だがその喜びにはいつもスリルの感覚がつきまとう。 「もし今見逃していたら、二度とこの作品を読む機会はなかったかもしれない。」

マンガ雑誌は読み捨てのメディアである。一冊の中には少なくとも10本以上の作品が掲載されているが、人気作やお気に入りの数本をチェックした後、雑誌は再び開かれることはない。あとはゴミになるだけだ。 掲載される作品の多くは連載という形をとり、連続したストーリーの一部を描いている。読者は毎号細切れのパーツを接ぎ重ねながら、自分の頭の中で物語を進める。そして、気に入った作品をもう一度読みたいときには単行本を購入する。一冊の雑誌は作品のサンプルを集めたカタログのようなものだ。

雑誌は毎号、限られた時間で読者を引きつけ、かつ飽きさせず、次号への期待を抱かせなければならない。それはそのまま作品への要求となり、作家に大きな負担を強いることになる。

こうした荒々しい環境の中から幾多の傑作が生まれてきたことは事実である。マンガは過酷な条件に答えるためのノウハウを数多く生み出してきた。毎号訪れる見せ場、インパクト重視の過激な描写、飽きられない展開や次号への引き。だが一方で、ステロタイプなストーリーと快楽原理の中から吐き出された作品が、作家性は抑圧されたままに惰性で消費されていくケースも目に付く。

大手マンガ誌は、常に新しい読者層の開拓を望んでいる。だが同時に、既存の読者が離れていく危険性のある冒険的な作品には多くのページを割けない現実がある。では、比較的マイナーな雑誌はどうだろうか。実は新興マイナー誌の方がむしろ、市場に食い込むために個性を出そうとして、掲載作品を同系色に揃えがちだ。多くの読者を引きつける王道作品を欲しがる気持ちも大手以上だろう。今や常道となったメディアミックス企画も、作品を最大公約数的な内容に拘束する傾向がある。

さて、そんな連載作品の中にまぎれるようにして、時折掲載される読み切り作品がある。多くは各誌が企画した新人マンガ賞の受賞作や、受賞後の新作短編などである。 彼らの多くは連載という激流の中に顔を見せることはない。何故か? 未熟さをその理由に挙げることはたやすい。だが、中には既成の方法論に収まらない個性の存在を強く感じることもある。連載ノウハウを無視した構成、一般受けしないが表現力豊かな絵柄、実体験から生まれた深い洞察。そして、読み切りという一作品につぎ込まれた情熱。

そんな彼らの作品を何処に求めればいいのだろう?

市場の肥大はその問いに一応の解決を与えるかのように見える。ここ数年、大手出版社は増刊号という形で連載ペースに適さない個性的な作品や読み切りを掲載するスタイルをとり始めた。また興亡激しいマイナー誌では新人作家の掲載チャンスもそれだけ大きいのも事実だ。 だが現実には、一人の読者が手に取る雑誌の数にはおのずと限界がある。数え切れないほどたくさんの雑誌、膨大な量の作品。市場は多様化したかもしれないが、読者が多様な作品と出会う機会はそれほど増えていない。

さらに悪いことに、読み捨てというメディアの性質が追い打ちをかける。書店に置かれる数週間、あるいは数日の間に出会えなければ、その作品は存在しないのと同じだ。特に単行本が約束されていない新人や読み切り作品にとって、この賭けはいっそう分が悪い。

マンガの大海原で、作品と読者はお互いを見つけることが出来ぬまま、いずれはどちらかが力尽きて舞台から消えていく。

市場は混迷の時代に入り、「マンガは終わった」という声さえ耳にする。しかし、単なるオマージュにとどまらない優れた作品を求める想いは強まる一方である。機会を逃せば二度と読めない上質の読み切り作品を、より多様化した作品群を・・・・。そんな欲求に答えてくれるマンガ雑誌はないのだろうか?

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