異民族支配と民族主義

 今日、民族自決の原則と民族差別の解消は共に当然の事のように思われている。しかしこの二つは本来は対立する概念である。コソボでは民族自決の原則により、アルバニア人に自治権を認めた。この結果セルビア人が迫害されている。そもそもこの紛争の原因はセルビア人によるアルバニア人の差別から発したものであり、更に遡るとアルバニア人の勢力拡張にセルビア人が反発したことに起因する。従ってこの解決は民族自決ではなく、どうすれば民族差別をなくせるかでなければならなかつた。その知恵を国際社会が出す事こそ重要だったのである。


日本でも民族分裂の危機があった。明治維新である。当時日本は勤皇派と佐幕派に分裂した。もし将軍慶喜がまだ戦力を残していながら、天皇に絶対恭順の意志を表明しなかったら、今日の日本はどうなっていたか分からない。イギリスに支援された勤皇派とフランスに支援された佐幕派で日本は真っ二つに割れ大変な事になったと思われる。この慶喜の決断は日本では不評であるが、この決断こそ日本を救ったと私は考える。しかし幾つかの藩は最後まで抵抗した。当時の国民は藩に対する帰属意識と、日本国に対する帰属意識は相半ばしていたのではなかろうか。従って敗者は被差別グループになる危険があった。
 

当時の日本のリーダーは破れた幕府側の優秀な官僚を早期に要職に起用した。最後まで函館に立てこもり、幕府に抵抗した榎本武揚は外務大臣他数多くの要職を歴任している。更に最後まで戦った東北地方への鉄道を、東京と京都・大阪を結ぶ東海道線より、早期に着工した。(完成は東海道線が先)東北の中心・仙台には、師団、高等学校を設置し、東京の第一に次ぐ第二の栄誉ある名称を与えている。一方官軍の中心となった山口、鹿児島には師団も帝国大学も設置しなかった。このような配慮により、日本の中の地域対立は免れたのである。それに反しほぼ同時期に統一を果たしたイタリアでは、主導権を握った北部の搾取により南北格差が生じ、今日に及んでいる。又イギリスでもアイルランド問題の根元は、アイルランドを征服したクロムウェルの圧制に起因している。そのような勝者が敗者を罰する、ヨーロッパの思想が今日の民族対立、民族差別を生んでいるのである。

 次に異民族支配は悪であると言った観念がある。しかし2000万人もの犠牲者を出したと言われる文化大革命時の中国人は、香港在住の中国人とどちらが幸せだったろうか。私は国民の生活を安定させ、差別をなくし、自由に発言できる社会をつくる事が国民の幸せだと思っている。ただ同一民族の支配者の方が、差別が少なく、自己実現の機会が多いという希望的観測から、異民族支配より、同民族支配が望ましいと一般に考えられているのだと思う。この事は業績の良い外資系企業に勤めることと、業績の悪い日本企業に勤めることがどちらが幸せかと言う事につながる。一般的にはやはり日本企業に勤める方が良いと思う。いかに給料が良くても差別されたのでは決して幸せではない。しかし外資系でも実力を評価してくれ、きつちり処遇してくれれば、資金がないため、やりたいこともやらせてくれない日本企業に勤めるより良いのではなかろうか。

 第一次世界大戦の後のパリ平和会議で、アメリカは民族自決を主張し、日本は民族差別の撤廃を主張した。今日アメリカは肌の色、言葉の違いを超え、アメリカ人として、アメリカに対する忠誠心を求めている。ようやく建前としての民族差別が解消された。当時日本が主張していた五族協和が実現しつつあるのである。

 一方日本は民族差別の撤廃を主張しながら言っていることと、していることは違っていたと非難されている。日本は確かに、併合当初朝鮮人を差別した。総督府には議会は設置されず、朝鮮居住者は内地人を含め、参政権は認められなかった。台湾人に対する政治的差別は、当時中国との関係が終始ぎくしゃくしていた事もあり、朝鮮人に対する差別以上であった。特に当時会員百万人を号した韓国最大の政治勢力であり、日韓合邦を積極的に主張し、韓国併合の道筋をつけた一進会までも、政治活動を禁じたことは、日本の最大の失敗である。

 しかし内地では朝鮮人にも参政権を日本人と同等に与えたのである。東京からは朴春琴が衆議院議員に2回も当選している。貴族院議員にも何人か任じられている。洪思翊は陸軍中将まで昇進している。終戦で実現しなかったが、次回総選挙では衆議院に朝鮮から18人選出される事になっていた。アメリカで黒人に参政権を認めたのはいつだろうか(1965年?)。ジャッキー・ロビンソンが黒人として始めて大リーガーになったのは戦後である。日本は朝鮮人差別を非難されているが、アメリカより遙かに差別は少なかったのである。

 併合当時の朝鮮は識字率といい、所得といい、インフラの整備といい、内地に比べ大幅に遅れていた。税収が上がらず、金ばかりかかる地域である。日本人が、朝鮮人に同等の権利を与えなかったことは、日本人の立場から考えると当然のように感じられる。

 更に不幸だったのは初代韓国統監・伊藤博文が暗殺された事である。韓国では犯人の安重根は英雄視されているが、総合的な理性的判断を欠いた暴挙と言わざるを得ない。というのは当時のリーダーの中で伊藤ほど民主的な考えを持った政治家はいなかったのである。伊藤は日本の憲法を作り、自ら政友会を組織し政党のリーダーとなった人であり、選挙の重要性を知った政治家であった。又性格として人の意見を良く聞いた。反日的だった西北学会の鄭雲復会長も一九〇九年には、伊藤への手紙に「吾人も国会議員となり東京に出て議会に列することになるべきや」と書いている。安重根は日本で最大の民主的政治家を暗殺したのである。更に最後まで韓国併合に反対した第2代統監曽祢荒助が胃ガンで亡くなった。この文治派の大物二人の死亡後、第3代統監(初代総監)に就任した寺内正毅はこの二人の対極にある武断派のリーダーだった。彼は几帳面で細心、反日活動の温床となるのを恐れ、すべての政治活動を禁じたのである。
 
健全な民族主義は国の発展に欠かせないとの意見がある。確かに今日の韓国の発展は朴正煕大統領が「日本だけには負けるな」と煽った強烈な民族主義が一因となっている。ただここで注意しなければならないのはNationには2つの意味があることである。一つは国であり、一つは民族である。ここではNationの意味は国家と規定する。日本が求めたのは朝鮮人も台湾人も、同じ日本国民として日本国への忠誠であった。今日のアメリカが肌の色、言葉の違いを乗り越えてアメリカへの忠誠を求めているように。多民族国家では民族の為は国の分裂を企むものであり、百害あって一理もない。必要なのは和の精神であり、民族差別の解消である。朴正煕が主張したのはむしろ民族主義と言うより国家主義と言うべきものである。

 国の発展には国民の自立精神、健全な国家主義は極めて重要である。しかし行きすぎた国家主義は、国際的な孤立を招く。多角経営の民間企業で、会社の発展には自社製品愛用運動は極めて大きな力となる。しかし同時に他社の情報が入りにくくなり、技術の発展を阻害する面もある。そのバランスが必要であろう。

 最後に私の意見をまとめる。

1.今日世界には多くの民族紛争がある。この解決に被差別グループは民族自決を求め、実施されている。しかしこれにより新しい被差別グループ生まれる。従って民族紛争の解決は民族自決ではなく、和解でなければならない。必要な事は和の精神であり、森首相が主張する「すべての宗教に寛容で敬虔な神の国」である。

2.求められる社会は「生活が安定し、差別がなく、自己実現のチャンスが与えられる社会」である。支配者の国籍、人種は無関係である。異民族統治は悪であるとの偏見を捨て、どのような政策が成功し、どのような政策が間違っていたか考えることである。貧困からの脱出、民族紛争の解決に先進国の助けを要する国は多い。

3.Nationalismには2つの意味がある。国に起因するものと民族に起因するものである。そこで国に起因するものをNationalism、民族に起因するものをRacismと定義する。国の発展にNationalismは必要だが、Racismは多民族国家では百害あって一利もない。また行き過ぎたNationalismは決して得策ではなく、国際主義とのバランスをとることが必要である。

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