東京裁判の授業に関連して

『学校で学びたい歴史』を学ぶ会で、東京裁判の授業を聞きながら、「アメリカは何と不勉強のまま戦争に突っ込む国か」と思っていた。

 東京裁判では東條英機等七人が死刑となったが、なんと後にウェッブ裁判長は「東京裁判は誤りだった。米英共に日本と同じ状況に置かれたら、戦争に訴えたろう」と語ったと言われる。
 又日本糾弾の急先鋒だったキーナン主席検事も「東京裁判は公正なものではなかった」と発言したと言われる。
 石原藤夫著『靖国神社一問一答』展転社発行に記載されている多くの人の「日本無罪論」「東京裁判不公正論」を是非読んで頂きたい。

 アメリカの最大の失敗は共産主義に対する無知であった。アメリカは中国市場における機会の平等を求めて、あれだけの多くの犠牲を払ったが、結果は完全に中国市場から追い出されたのである。
 又日本・朝鮮で獄に繋がれていた共産主義者を釈放し、戦後の混乱を招いた。
 又ヨーロッパ戦線でもドイツを非難するあまり、敵の敵は味方として、ソ連と手を組んだ。完全にスターリンの「アメリカを戦争に引きずり込み、日独が潰れた跡地をごっそり頂く」戦略にはまったのである。

 冷戦が始まり、共産党追放のマッカーシー旋風が吹き荒れたとき、やり玉に挙がったのは、財務省のハリー・デクスター・ホワイトとホワイトハウスのロークリン・カリーであった。ホワイトはルーズベルト大統領の右腕と言われるモーゲンソー財務長官の信頼を得、財務次官補まで昇進している。ホワイトがソ連の工作員パブロフの影響を受けていたことが明らかになっている。
 カリーは中国問題特別補佐官であった。更にルーズベルト夫人エレノアは共産主義のシンパであった。

 アメリカの無知は朝鮮問題でも戦後の混乱を招いた。アメリカは朝鮮人の能力について全く無知であり、長期間の国連信託統治を考えていた。そして共産主義者を解放し、日本統治の一翼を担った有力行政官を追放した。この結果各地でパルチザン活動の激化を招き、朝鮮戦争の引き金になった。
 トップに立ったのはアメリカに亡命していた李承晩である。李承晩は権力欲だけ強く、国家の発展策について考える事は、如何にアメリカから金を引き出すかだけであった。

 今回のイラクでも戦後の青写真をどの様に描いていたのであろうか。アメリカへ亡命していたチャラビ等をリーダーとして考えていたとすれば、韓国の二の舞となるであろう。戦後の日本統治に見習う等の声があったが、これなど勉強不足の最たるものであろう。

 日本はフィリピン占領に当たって、マニラ市長として起用したバルガスはアメリカ統治下のフィリピン政府官房長官であり、独立時選出された大統領・ラウレルは、内相・上院議員等歴任したフィリピンの有力政治家であった。フィリピン独立運動の闘士であり、日本に亡命していたリカルテを政府要職につける事はなかった。
ラウレルは日本の傀儡政権と言われる事を恐れ、日本人の顧問は実質的にはGM極東地区総支配人であった浜本正勝しか起用しなかった。日本はそれを許容したのである。それでも地方でのゲリラは押さえきれなかった。

 アメリカはイラクでフセイン政権の幹部をすべて追放したが、果たして正しい選択だったであろうか。フセイン追放後早一年以上たつ。その間治安は回復するどころか、ますます悪化している。これはアメリカの占領政策の失敗である。ようやくフセイン政府の一部高官の復帰が検討されている。
 フセイン逮捕の時の惨めな扱いは、いやな予感がしたが、イラク人捕虜への虐待が明らかになりつつある。この問題は今後のイラク復興に当たっての最大の問題となろう。
 アメリカはフセインを裁判に掛けると言っているが、この混乱時たとえイラク人による裁判であっても、東京裁判同様勝者の裁判となり、公正な裁判は期待できない。
私はフセインは政情が完全に安定するまで丁重に監禁し、イラクの将来について徹底的に話し合い、彼の知恵も活用することを考えるべきだと思う。フィリピン独立運動のリーダー・アギナルド大統領は後に上院議員として活躍している。その故知をもっと学ぶべきではなかろうか。

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