ウィルソン大統領の  「民族自決」は絶対の正義か?

 

去る2020年5月16日のNHKスペシァル 「日本と朝鮮半島第2回で、NHKは冒頭にウィルソン大統領を登場させ、彼の主張する「民族自決」こそ不磨の大典であり、日本はそれに従わなかったことこそ、日本統治の最大の失敗であるかの如き報道をしていた。

 私はこの意見に非常な違和感を感じた。というのは日本の台湾統治とほぼ同じ時期、同じ期間、アメリカが統治したフィリピンとの比較である。
日本が統治した台湾、韓国は今日世界の一流国である。それに対し、フィリピンは未だに発展途上国に止まっている。この理由こそ民族自決主義の失敗であろう。

ここでフィリピンの歴史を振り返ってみる。

 フィリピンは豊臣秀吉の頃からスペイン領であった。
1898年キューバ問題をきっかけに始まった米西戦争で、アメリカがスペインより奪った土地である。有力者の子弟で、ヨーロッパ留学をしている人も多く、決して未開の地ではなかった。

 フィリピンにおける米西戦争は、当時スペインからの独立運動をしていたアギナルドを支援して始まったが、いざ勝利という時点で、フィリピン軍はマニラ入城を拒否され、この後3年に亘るアギナルト軍と、米軍の戦争が始まった。これは「スペインが未開人に頭を下げる屈辱だけは勘弁して欲しい」とのスペイン総督の嘆願によるものと言われる。

 1901年アギナルドは捕らえられ、1902年にほぼ鎮圧された。
1900年からこの鎮圧の責任者となったのが、戦後日本を統治したマッカーサー元帥の父・アーサー・マッカーサーである。彼は「教育こそ最大の武器」といい、大量の教師を派遣し、大量の教科書を持ち込み、無償で教育を始めた。

又民政への移行を図り、小から大へと先ず町村制の地方自治かを進めた。

1901年初代総督に任じられたのは、後に大統領になる共和党のタフトであった。タフトは教会の所有する大規模農地をスベインと交渉し、買い取り、教会の支配が農民に及ぶことを防いだ。同時にアメリカ資本の大土地所有も禁止した。
更に独立運動により中断していた鉄道建設を再開し、フィリピン大学を建てる等、日本と同じような政策をとった。

 アメリカの政策が変わったのは1913年(大正2年)である。民主党のウィルソンが大統領に当選し、民族自決主義を打ち出した。この方針により、今までアメリカ人が占めていた高級官僚はフィリピン人に取って代わられ、同時にフィリピン人の下で働くことを嫌ったアメリカ人は大量に退職したのである。

 同時にアメリカからの投資は停滞した。即ちフィリピンの独立運動を嫌う民主党による、フィリピンの切り捨てだったのである。そしてかっては韓国より一人当たりの国民所得が遙かに多かったフィリピンは、今や韓国の1割にも満たない貧乏国となったのである。

 これより先、19世紀末、朝鮮の開国と共に、アメリカ人宣教師が大量に進出してきた。彼らは正義感が強く、慈善事業を通じ、貧しい朝鮮人の心を掴んだ。今日でも韓国最大の宗教はキリスト教といわれる。

 彼らは培材学堂、梨花学堂等を設立教育にも力を入れた。彼らは朝鮮の余りの貧しさに共産主義に惹かれた。そしてロシアと手を組み、甲午改革以降、日本の推し進める内政改革を邪魔した。

 閔妃暗殺事件以降の春生門事件、露館播遷事件はいずれも米ロの協調によるものと思われる。

 キリスト教は日露戦争の後の義兵闘争、寺内総督暗殺未遂事件、三.一独立運動を主導した。斉藤総督がキリスト教との融和に最大の精力を注いだ理由である。

 更に中国では五.四運動からその後の反日運動を主導し、大東亜戦争の原因を作った。戦後の米ソ対立により、共産主義への幻想は少しは変わったのではなかろうか。

 しかし戦後も南鮮各地で革命騒動を起こし、「これなら南鮮を統一できる」と金日成の野望に火を付け、朝鮮戦争を引き起こした。これにも懲りないのが韓国共産党である。

盧武鉉大統領は2005年、「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」を制定し、一〇〇年も前の親日派を非難し、その財産没収を可能とした。

 100年前の先祖が親日派だったからといって、その資産を没収するというとんでもない法律である。幸い盧武鉉大統領は自殺したので、このような無茶苦茶な法律は、名前のみの実効性のないものと化すことを期待している。

 最後に今一度、「民族自決の原則」は、決して最高至善の原理ではない。
 又アメリカのキリスト教牧師が、理想を追って追求した植民地搾取の打破は、とんでもない思い違いであり、日本が取った労使協調路線こそが、人類発展の何よりの道だったのである。

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