植民地=搾取は共産主義の根本的な間違い

韓国併合100年記念日に際して

 

 平成三年十一月、朝日新聞は朝鮮に於ける慰安婦問題のキャンペーンを始めた。私は売春禁止法が制定された頃には、もう社会人であり、慰安婦がどのような商売であるかを知っていた。朝日新聞の、慰安婦と挺身隊をごっちゃにしたような、余りにも甚だしい間違いキャンペーンに怒り、四十年以上愛読していた朝日新聞の購読を止めた。

平成五年細川首相が訪韓し、日本の朝鮮統治について謝罪した。私は何で日本が朝鮮に詫びなければならないのか、分からなかった。当時私は会社退職後の、第二の人生も落ち着き、比較的時間的余裕があったので、本格的に勉強しようと思い、大学院を受験した。幸い國學院大学が、「変わったのが来たな」と受け入れてくれた。かくて第二の人生と第三の人生を並行的に歩むことになったのである。

 私の疑問は二つ

 1,何で日本の植民地だった台湾・韓国が世界の先進国の仲間入りし、欧米諸国の植民地が後進国として停滞しているのか。

2.親日的な台湾と反日的な韓国の違いは何に起因するか。の二つであった。

そこで私は台湾・韓国とアメリカが統治したフィリピンの三者を比較することとした。日本が台湾を併合したのが一八九五年、韓国を併合したのが一九一〇年、アメリカがフィリピンを領有したのが一八九八年である。ほぼ同じ時期、同じ期間統治している。比較するには最適である。

 私はエンジニアである。数字を扱いつけているので、人口の推移から衛生・治安・教育・各種産業・インフラ整備等色んな事を調べて修士論文とした。この修士論文を、東大三鷹寮のOB会で知り合った龍渓書舎の北村社長に依頼し、出版して貰ったのが「データから見た日本統治下の台湾・朝鮮プラスフィリピン」である。私が贈呈したある人からは、「色んな統計が出ているので、何か一寸調べたいときには便利だね」との評を頂いている。

 これを書いていて感じたのは、国鉄民営化の嵐の中での、労使協調路線の勝利である。即ちマルクス主義では「資本家は労働者の敵である」のに対し、労使協調路線では「労働者と資本家は企業間競争のパートナーである」ということであった。更にソ連・東欧諸国の崩壊、ケ小平の登場により、マルクス経済学は全く破綻している。

 即ち「植民地は宗主国から搾取される」のではなく、「植民地と宗主国は国家間競争を勝ち抜くためのパートナー」なのである。

 この事を明確に主張しているのは、昭和六年、東京銀行倶楽部での宇垣総督の朝鮮総督就任演説である。「第一次大戦時、外見上ドイツ、ロシアの一州となってドイツ、ロシアと一体化しているかに見えたポーランドが、戦争が長引き、苦しくなると、母国を裏切るようになった。これは外見上一体化しているように見えても、精神的、物質的に一体化していなかった為である。朝鮮ではどうかと考えると、四年前斉藤前総督がジュネーブ会議に出張中、余が代理総督として執務したときに比べ、世界的な恐慌のため、精神面から見ても、物質面から見ても悪くなっている。(中略)

この対策としては、内地人の仕事を少し朝鮮人に回すと共に、産業を開発して仕事を作り、朝鮮人にもっと仕事を与えなければならない。では朝鮮で興すべき産業は何か。まずは豊富な金、鉄鉱、石炭等の鉱業資源の開発である。更に北朝鮮の森林資源、未開拓の原野、海岸線の有効利用、水力資源、豊富低廉な労働力等開発すべきものは多数ある。ただ足りないものは人の知恵と資金である。是非列席の皆さんの協力をお願いする。」と言っている。

そして彼は古来朝鮮には金の飾り物が多いことに目を付け、金の採掘に奨励金を出した。その結果うち捨てられていた鉱山が復活し、多様な有用鉱物が発見された。それと共に道路が整備され、製錬、機械修理等の工業が出生し、電化が進み、急激に工業化されたのである。

 それより先の大正末期、後に日本工営の社長となり、世界の水力発電に大きな貢献をした久保田豊は朝鮮を旅行し、その時買ってきた大量の地図から、鴨緑江上流の扶戦江、長津江をせき止め、逆方向の日本海に落とすことで大変有利な水力発電ができることを発見した。

しかし如何に有利な計画でも使ってくれる工場がなければどうにもならない。当時最大の電力使用業界は化学肥料であった。彼は友人の森田一雄と共に森田の友人・日本窒素の野口遵社長を口説き落とし、日本海側の興南に一大化学工場を建設させたのである。それ以降、野口と久保田の二人三脚により、水力発電・化学工場を中心とした一大工業地帯を建設し、朝鮮の産業革命といわれた。

そのハイライト・水豊発電所は一〇万キロワットの発電機を七台設置した大発電所であり、この一連の鴨緑江開発は、アメリカのルーズベルト大統領が遂行したテネシー河開発(TVA)と匹敵する大事業であった。

昭和三四年北朝鮮への帰国運動が始まった時、北朝鮮は「地上の楽園」と言われたが、この工業化により、一人あたり国民所得は韓国の一・五倍程あったのである。

 宇垣は工業の発展以上に農業改革に力を入れた。彼は二宮尊徳を見習い、「心田開発」を主張した。宇垣に呼ばれ、指導に当たった山崎延吉は「奉公の精神、協同の精神、自助の精神」を唱えた。

韓国は朴正煕大統領時代に急発展を遂げたが、その中心となったセマウル運動との違いは、奉公が勤勉に変わっただけである。

 更に朴大統領は浦項に大製鉄所を建設し、工業化の起爆剤とした。当に宇垣の政策を引き継いだものであった。

 北朝鮮の国章を右に示すが、中心の水力発電所は水豊ダムであり、強力な重工業を軸とする自立的な近代工業の象徴であり、周囲を飾る稲穂は農業発展のシンボルであるが、宇垣の前は、北朝鮮で米を食べるのは、平壌周辺等黄海側の平野部だけであった。その他は粟や黍、豆類等雑穀を主食としていたのである。

 宇垣の前任者は斉藤実である。三・一独立運動の後を引き継ぎ、三代、五代の総督として、二期約十年勤めた。

彼が就任直後最も力を入れたのが、三・一独立運動後の国民融和である。三・一独立運動の主力はキリスト教と天道教であった。

 その頃の米人宣教師は全く共産主義の先兵となっており、その二ヶ月後、中国でも五・四運動を引き起こしている。未開の地へ布教に来た彼らは、正義感から現地の貧富の格差が許し難く、共産主義にかぶれたのであろうか。その後も引き続き、中国で排日運動の先兵となり、大東亜戦争の遠因を作った。このキリスト教宣教師と、徹底的に話し合い、宣教師が嫌う鞭打ちの刑を廃止する等、融和に努めている。現在韓国の宗教のトップはキリスト教である。彼らとの和解が極めて重要だったのである。

又天道教とは親日派として有名な一進会の分かれである。併合の二年ほど前、虎の威を借る狐で、総督府の威を借り、不正を働く人が多くなったので、総督府は一進会を解散させた。その恨みを持つ勢力が天道教である。そのリーダー崔麟を僅か三年で釈放し、徹底的に話し合い、更にアイルランドの独立運動を視察させた。その結果、彼はすっかり親日派に転向し、親日派のリーダーとなったのである。

斉藤実の最大の貢献は教育の普及である。公立学校を大増設し、教育の普及を図ると共に、内地の学校へも進学の道を開いた。京城帝国大学を日本六番目の帝国大学として建設し、高等文官への道を開いた。

 朝鮮人というと大変抑圧されていたと思われるが、朴春琴は東京の深川を地盤として、昭和七年、一二年の二回も衆議院議員に当選している。これは属地主義で内地に住む朝鮮人は選挙権も被選挙権も持っていた。逆に朝鮮に住む日本人は選挙権も被選挙権も無かったのである。

昭和二〇年三月朝鮮に住む人にも参政権が与えられたが、選挙が無く選挙権を行使することはなかった。

 尚舛添要一氏の父が若松市会議員に立候補されたときのビラには、ハングルでルビが振ってあったとのことである。当時はハングルでも投票できたのである。

 この結果栄達した朝鮮人としては左記のような人たちが挙げられる。

衆議院議員 朴春琴 東京深川二期当選

貴族院議員 朴泳孝・尹致昊他九人

陸軍 洪思翊中将 金錫源大佐(シナ事変で大活躍)

侯爵七人、伯爵三人、子爵一七人、男爵三〇〜三二人

総督府高級官僚 道長官一一人中五〜六人が朝鮮人の指定席であった。中でも李軫鎬は道長官を歴任後、総督府学務局長から貴族院議員になっている。又厳昌燮も総督府学務局長になっている。

これらの努力の結果、シナ事変が始まってから、昭和十三年特別志願兵を募集した所、約四百人の募集に対し、約三千人も応募したのである。そして十八年にはなんと五千三百人の募集に対し、三十万人の応募があつた。そして特攻隊として戦死した人も二十人近くもいたのである。

日本と朝鮮の一体化は着実に進んでいたのである。

戦後、韓国・台湾は急速に発展し、世界の先進国の仲間入りをした。戦前の植民地で韓国・台湾ほど発展した所はないと思う。これは日本が灌漑設備を始め、インフラ整備に力を入れたからであろう。特に教育等人作りに力を入れた為である。

 一方同一国であった、韓国と北朝鮮は大差がついている。元々北朝鮮は寒い地域であり、南朝鮮よりは貧しかった。しかし日本時代、北朝鮮の国章に明らかなように、水力発電を中心とする工業化、稲作技術の進歩により、南朝鮮より豊になったのである。一九六五年の一人あたり国民所得は韓国の一.五倍あったのである。これが現在では韓国の一〇分の一にも満たない。如何に共産主義が間違った理論であったかが明らかである。

植民地だったから日本に搾取されたというのは、共産主義の論理である。日本は宗主国と植民地は国家間競争に勝ち抜くためのパートナーとして、将来的には完全に一つの國になるよう努力した。韓国併合がなければ、韓国も今の中国・北朝鮮並みの貧乏国に止まっていたのでは無かろうか。

 次にフィリピンとの比較である。

 フィリピンは秀吉の頃からスペインの植民地であった。蒸気船の進歩、一八六九年のスエズ運河の開通により、ヨーロッパへ留学する人が増え、韓国併合の頃は、韓国よりも進んでいたくらいである。フィリピン大学が開校したのも一九〇八年であるから、韓国併合前である。一九〇〇年軍政長官となったマッカーサー元帥の父は「教育こそ最大の武器」といい、教育に力を入れている。

 しかし一九一三年民主党政権に変わると、フィリピン人による自治政策に変わった。そしてアメリカ人官僚は大量に退職し、フィリピン人に変わった。それと共にアメリカからの投資は減少し、入植者はアメリカに帰った。自治政策という名のフィリピン切り捨て政策だったのである。日本の同化政策が非難されているが、同化策を取り、人材を育成したからこそ韓国・台湾が発展したのである。

参考 1人あたり国内総生産

  世界国勢図会(1988年)、2004・5年

        1970年   2000年  

日本     1982  37550 

韓国      275   9762

北朝鮮    (330)   540

台湾     (386) 13878

フィリピン   183    995

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