親日の台湾・反日の韓国

(韓国のキリスト教と共産主義)


戦前同じような統治をした台湾は親日国になり、韓国は反日国になっている。何が違ったか考察する。

1.台湾の親日

 この原因は比較的はっきりしている。終戦と共に占領国として入ってきた蒋介石軍が余りにもお粗末だったことである。1945年10月17日、蒋介石軍の本隊12000人が基隆に上陸した。規律正しい日本軍を見慣れた彼らにとって、占領軍のみすぼらしい服装、規律の乱れは驚きであった。又日本の敗戦と共に始まった急激なインフレは彼らに対する不信感を抱かせた。

47年2月密輸たばこ売りの取り締まりに端を発したいざこざは、忽ち全島に波及し、全台湾規模の暴動に発展した。この対策に本土より13000人の増援部隊が派遣されたが、彼らは米軍の援助で装備された近代的部隊であり、抵抗する台湾人を片っ端から射殺、約2週間でこの暴動を鎮圧した。又この反乱に関わったと見なされた人たちは、裁判もなく射殺された。この事件で殺害された台湾人は28000人に及ぶ。

 中国は広い国であり、彼らの言葉は台湾では全く通用しない。例えば昔北京は「ペキン」と発音されたが、今は「ベージン」である。上海語と北京語の違いだそうだ。台湾に観光旅行に行ったとき、京劇を見たが、台湾人は何を言っているのかさっぱり分からないという。それは京劇で使われているのは広東語であり、我々が使うのはビン南語だという。つまり台湾人にとっては、日本も蒋介石政府も同じ異民族支配だと言うことである。

 それと共に無視できないのは李登輝総統の存在である。そして彼を登用した蒋経国総統の功績である。この事については説明の必要は無いと思う。

2.韓国の反日

韓国と台湾を比較すると、違いが目立つのはキリスト教信者の比率である。

 韓国ではキリスト教信者が約30%を占め、宗教的には最大勢力である。その内、プロテスタントが約18%、カソリックが11%である。(ウィキペディア)カソリックはフランス系、プロテスタントはアメリカ系が多い。カソリックは大東亜戦争中も日本と国交を維持したことにより明らかな如く、中立的であったのに対し、プロテスタントは終始、反日的であったように感じる。

 それに対し、台湾ではプロテスタントは3%以下であり、台湾に反日が少ない理由の1つのように思われる。

韓国の歴史書を読んで気づくのは、神社参拝の強制に対する非難が非常に強いことである。1931年満州事変において、平安北道の安武知事が戦没者慰霊祭にミッションスクール関係者の出席を要請したことに始まる。戦争の拡大、激化と共に、要請から強制に変わった。所がキリスト教は一神教であり、他の宗教の神に祈ることは、今まで築いた神との信頼関係を失うこととなり、絶対認めることが出来なかった。

 日本でも同じ問題が起きているわけであるが、日本では「神社参拝は国民的儀礼であり、宗教問題として扱うべきではない」との理論付けで、朝鮮ほど問題となることはなかったようだ。特に火を扱う工場でのふいご祭り、建設工事での地鎮祭等では、宗教を理由に参加しなければ、仲間から爪弾きされるであろう。その点カソリックは融和的であった。戦時中も日本に大使館を持ち、戦後靖国神社をどうするか、問題となった時、存続に力を貸してくれたのが、ローマ法王庁であった。

 この神社参拝問題では、特に長老派の抵抗は激しく、2000人の牧師・教徒が逮捕され、1938年頃から次第に朝鮮から撤退することとなった。  小生は富山県高岡市の坂下幼稚園の出身であるが、その母体の金沢市の北陸学院も1940年3月に日本から撤退している。北陸学院の場合は日本人有志により、引き取られ、学院は継続したが、朝鮮の一部の学校では、アメリカ側の資産売却・貸与の拒否や、朝鮮側の引き取り能力の不足により、廃校せざるを得なかったようである。

 この神社参拝問題が根にあるのか、韓国の反日の最大勢力はキリスト教プロテスタントと共産主義者のように思われる。これはプロテスタントは法理論から言っても、原理主義であり、共産主義に走りやすい点があるように思われる。

3.キリスト教の反日運動の歴史

 

 併合前の義兵闘争、3.1独立運動に対する、キリスト教の果たした影響は極めて大きかった。前述の神社参拝問題を考えると、今日の反日運動もキリスト教信者が主力となっているのではないかと思われる。

 キリスト教では信者の数により、アメリカの本部より布教費が出たため、布教に熱心で、「貴方方は搾取されている。一緒に頑張りましょう」と、反日・共産主義を吹き込むことが、信者獲得に一番効果があったように思われる。

 日露戦争までは宣教師対日本というより、ロシア・アメリカ連合軍対日本という構図であった。春生門事件にアメリカ人宣教師が関わっていたことが明らかにされている。日露戦争後の動乱は、全てキリスト教と天道教の連合軍対日本の構図に変わった。

 ハーグの国際会議後の義兵闘争は、安重根に代表されるようにキリスト教が主体であった。次に1911年寺内総督暗殺未遂事件が発生している。この事件は未遂であり、えん罪説もあるが、アメリカに本部のある新民会という大がかりな組織が、統監及び、五賊七賊、大臣を暗殺することにより、外国の同情を買う事を狙ったとされる。

 この事件では149人送検され、3人獄死、23人釈放、123人起訴された。内105人有罪となつたので、105人事件といわれる。

 一審では尹致昊等6人が懲役10年、最低でも5年となったが、二審では一転、取り調べは寛大になり、結局三審で6人が懲役6年、他は無罪となつた。それも大正天皇崩御の恩赦で全員釈放された。尚主犯とされた尹致昊は、三・一独立運動では穏健派に転向、1945年には貴族院議員に任命されている。但し、終戦と共にその職を返上している。

又三・一独立運動の主力もキリスト教であり、この収拾に着任した斉藤総督の最大の使命はキリスト教との和解であった。犯人の刑をできるだけ軽減し、最高刑が懲役3年に過ぎない。これは斉藤実総督によるキリスト教との和解策によるものと言われている。

 尚この年中国でもアメリカ人宣教師は5.4事件を起こしており、中国ではその後も反日テロ、反日プロパガンダを繰り返し、遂に大東亜戦争に追いこんだ。アメリカ人宣教師による排日プロパガンダについては、ラルフ・タウンゼント『暗黒大陸・中国の真実』、フレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズ『中国の戦争宣伝の内幕』が詳しい。

 

4.戦後の反日

 終戦の大詔が発布されたとき、朝鮮総督府政務総監・遠藤柳作は、今後の政治を任せる人として呂運亨、安在鴻を指名した。共に反日運動で投獄された経験者である。このような人を指名せざるを得ないくらい、韓国の世情は悪化していたと言うことであろうか。やがて亡命していた李承晩、金九が帰国し、激しい生存競争の末、李承晩が生き残った。李承晩は反日・反共であった。

 一方アメリカは共産党の脅威に全く無知であり、韓国を戦勝国の一員として講和会議に参加させることを考えていた。この事はアメリカ人宣教師の反日キャンペーンが如何に激しかったかを物語るものでは無かろうか。これは英国の反対により認められなかったが、韓国と日本は戦ったことが無く、当然である。

 共産主義の怖さを知らなかったアメリカは、共産主義者として監獄に入っていた人たちを調べもせず、解放した。このためストが多発し、インフレと相まち、一挙に社会不安が拡大した。アメリカもこのミスに気づき、46年9月、左翼系のゼネストを禁止し、次第に共産党抑圧策に転向、47年には全評は非合法化された。

 しかし、その後も智異山、済州島を中心とする反政府運動は激烈を極め、北朝鮮による南北統一の野望の原因となった。

 韓国の混乱を収束させたのは、朴正煕である。61年政権を握った朴正煕は、日韓基本条約を締結し、日本から多額の資金援助を獲得した。日本からの援助で浦項製鉄所を建設し、工業化の第一歩を踏み出すと共に、彼は宇垣総督の農村振興運動に倣い、セマウル運動を立ち上げ農村の自立化を目指した。

 所が左傾化している日本のマスコミは、彼の強権的なところを嫌い、左翼の金大中を応援した。そして極左の盧武鉉大統領に行き着いた。彼は日本統治時代の「親日派」の子孫を排斥弾圧する法律(日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法及び親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)を施行した。しかしこの法律は明らかに法の不遡及の原則に反し憲法違反である。なんとこの法律により100年前の李完用首相の遺族の財産を全て没収するという暴挙を行ったのである。

 これでは親日派は韓国に住めない。日本に次々に亡命・帰化したのである。

5.結論

 戦後、日本同様、韓国のマスコミ、歴史学会は、完全に赤化した。特に歴史学界では、長老学者は、若い時の論文を全否定する事が出来ず、学生は教授の論文を否定することが難しい。実社会ではマルクス主義は崩壊した理論であるが、歴史学会では未だにマルクス主義全盛である。そして韓国の論文はマルクス主義の空理空論が、難しい言葉で羅列されており、私のような理科系の人間は何を言おうとしているのか、さっぱり分からない。つまり実証的な研究が少ない。

韓国の反日の主力はキリスト教であり、これにはキリスト教信者への神社参拝の強制が大きく影響しているように思われる。昭和の初期中国に於けるキリスト教宣教師の、米国向けの反日キャンペーンはすごく、大東亜戦争の原因となっているが、朝鮮人宣教師の反日キャンペーンもその一助となっている。

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