韓国における歴史認識

近頃の韓国は一寸おかしくなっている。例えば反日法の制定や、親北朝鮮・反米の動きである。  前者はの正式名称は「日帝強占下の親日・反民族行為真相究明に関する特別法」というおどろおどろしいものである。  又後者では、与党ウリ党の鄭議長が、「(北朝鮮の恐ろしさを知っている)六〇才以上は投票せずに寝ておればよい」と発言し、謝罪発言に追い込まれている。

 韓国では政策教科として国史教育が極めて重視されてきた。この事は歴史の事実を教えることより、歴史認識の教育を重視すると言うことであり、言い換えれば歪曲された歴史認識を子供に刷り込む事である。 この民族主義偏重の教育が、同一民族は悪いことをする筈がないとの偏見を生み、親北朝鮮・反米の動きとなり、前述の大物政治家の発言となったのである。

 彼らは金日成の野望により、全朝鮮が荒廃した事を忘れたのであろうか。朴正煕による「漢江の奇跡」が始まるまで、年間数億ドル・国家予算の半分以上をアメリカの財政援助に頼っていたことを忘れたのであろうか。忘れたのではなく、教育されていないのであろう。 又金日成・正日親子の暴政を見れば、同一民族だから国民は幸せになったなど、絶対にあり得ないことだと分からないのであろうか。

先日カール・エッカート著『日本帝国の申し子』を読んだ。ここでは、日本統治下で朝鮮人資本の京城紡織がどの様に発展したか、日鮮一体となり満州へ如何に進出するかが議論されていることが書かれている。これは韓国歴史教科書が主張する「民族企業は一九三〇年代に入って植民統治体制が強化されると、日帝の巧妙な弾圧によで解体されたり、日本人企業に吸収・統合された場合が多かった。従ってこの時期の民族企業活動は一九二〇年代に比べ大きく萎縮せざるを得なかった」を全面的に否定するものである。京城紡織が設立されたのは一九一九年であり、殖産銀行の支援により一九二〇年代に経営基盤を固め、大きく飛躍したのは一九三〇年代である。

又戦後の韓国において起きた民衆運動は主なものだけで、
一九四六年大邱暴動事件、
一九四八年 済州島蜂起事件
同年の 麗水.順天反乱事件
一九六〇年 ソウルにおける反政 府流血デモ
一九八〇年 光州事件等がある。

 中でも済州島蜂起事件は三〇万人程度の島で、一〇年近く継続し、五万人とも八万人ともの人が殺されたと言われる。 又一九六〇年の李承晩失脚の元となった、反政府デモではデモ隊への発砲により、一〇〇人以上死に、負傷者は千人以上に及んだ。  光州事件では死亡者数は明らかでないが、光州の死亡統計では毎月二三〇〇人程度の死亡者が、一九八〇年五月には四九〇〇人に跳ね上がっている。

 日本の三・一独立運動の犠牲者は、総督府の調べでは五五三人にすぎず、死刑に処せられた人は一人もいない。異民族支配なるが故に、現在の韓国政府より苛酷な支配だったと言えるのだろうか。

 歴史教育は歴史認識を教えるのではなく、歴史の事実を教えてこそ、新しい時代にどの様に対処するかの方策が生まれる。その中で国定教科書が検定に変わったことは新しい動きとして注目される。  月曜評論三月号によれば、インターネットの世界で、一万人ー五万人の「親日派」の若者が育っているとのことである。ようやく韓国も大人の世界に入るのであろうか。

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