白蛇艸しろへみぐさ 第五集

橘曙覧


 咏剣

きもひやす 腰の白蛇しろへみ 吾魂わがたまは うづみしづめつ 山松の根に (七四○)

 破研

山にありて りやぶりたる 古硯ふるすずり うばはむとにや くも窓に入る (七四一)

破れたる すずりいだきて まど囲む 竹る心 誰にかたらむ (七四二)

くだきつる わが腕臂うでひぢの なごりをば くぼみに見する 古研ふるすずりかな (七四三)

玷瓦かけがはら すずりひとつに こころいれて 山買ふぜにを なくしたりけり (七四四)

古硯 ゆがみし石は わがたから あたひかたるな 軒の山松 (七四五)

おろかにも 山をいでしかな 玷瓦かけがはら 硯ぶくろに いれてはるばる (七四六)

松の露 うけて墨する 雲のほら 硯といふも 山のいしくづ (七四七)

 六鶴図
 啄食たくしよく

しげりたつ 葦原あしはらせばめ たづの あさり所を かへてむれたつ (七四八)

 顧歩こほ

たたみつる はねうはつら 見めぐらし 砂に足さす 浦のあし多豆たづ (七四九)

 唳天れいてん

真名鶴まなづるの 立つる一声ひとこゑ なきやみて のちひびきを のこす大空おほぞら (七五○)

 舞風ぶふう

あるかぎり ひろげしつばさ あさ風に ながしやりたる 鶴いづこまで (七五一)

 警露けいろ

寝つかれぬ 鶴のこころを ふくる夜の 松よりこぼす つゆしるかな (七五二)

 理毛りもう

すくみて 上毛うはげつくろふ 浦の鶴 沖つ荒浪あらなみ うちもおどろかず (七五三)

 疎竹そちく

ほそやかに もとあらけなく 立つ竹の 心にくくも ならびあふかな (七五四)

 勝沢牛翁先生の、老の坂路やうやうのぼれるにより、御つかへしぞかせ給はるべく、あまたたび申文まうしぶみたてまつられけれど、なにのみさたもなくて年へにけるを、こたびといふこたび、ねがひの如く、ゆるし給はる。翁よろこばるることかぎりなし。このごろ唐のがくもんする人たちにあつらへて、題淵明帰去来図といふことを詩に作らせらる。その心ばへを謌もておのれは

こころみに 松なでさせて 君を見ば にある人に よくこそは似め (七五五)

 ある日、辻春生が桃荘によばれて帰るさ、ここちあしく息ぐるしくなりて、えあゆみがたくなり、今滋に背おはれて橋こえけるが、苦しさなほやまで、背おはれても行きがたきにより、塩町なる東屋野梅が家にいりて、一時ばかり息をやすめをり、からくしてすこしここちおちゐるやうにおぼえければ、今滋、野梅二人の肩にかかりて、あへぎ喘ぎつつ家にかへり、人々にたすけられて寝どころに臥したりけり。その翌日の夜、野梅ふりはへ来て、ふしたる枕上まくらがみにをりつつ、近きころ翁のつねここちやすからず物し給へりとはききをれど、かくまでにおとろへ給へりとは思はざりけるを、昨日のありさま見はべりてのちおどろかれはべりき。そもそも、かかるみのほどにて、人がりよばれありき給はんやうの事あるべくもあらず。翁の病のやうをうかがふに、腹のうちいといとうすくなりぬるものとみえたり。されば何よりも食物のほどすごさざるやうに、もはら心もちひ給ふべきなり。さる病の身にあるをも何とも思はず、人がりよばれて、うまきもの、飽くまでくひ給はんやうの事し給へるは、翁の身にしてあるべくもあらぬしわざといふべし。今よりおのがいさめごとにしたがひて、人がりゆき給はんことはさらなり、家に在りてもくひものの量をさだめ、人の許より贈りものするなどありとも、みだりにはなくひ給ひそ。身をやしなひそこなひて、あたら命をなちぢめ給ひそと、かへすがへすいひきかせける。この野梅はをさなき時よりの友どちなれば、あだし人のやうにも思はで、年ごろかうねもごろに物しくるるなりけり。かしらかくかく、今よりはかならずぬしのいさめごとうちまもりて、食ひ物をはじめ、よろづ身のそこなひとならんやうの事は、たえてすまじきなりとちかひごとたてて、そのおのれをいたはりくるる心のうちを、よろこびつつ、夜中まで両人ものがたりしつつをりける時

千代ちよの坂 のぼりはげまぜ いさめごと うけずばつゑを うちふりてだに (七五六)

 中根雪江君の許より、の肉と梅酒とたまはりけるよろこび

せりかてて とくあつものに しまつ鳥 うまさえならず 又とらせたべ (七五七)

うめのみの いとすきびとと いはばいへ えならぬ味に ゑひぞ狂へる (七五八)

 とし〔慶応三年丁卯六月廿六日〕、つかさにめされて、今よりとしどし米賜はるべきおほせごと、かうぶりけるとき

めぐみの 露いただかむ 片葉だに そなへぬものを もり下草したくさ (七五九)

わがうへに かかるあやしや たみぐさを うるひもらさぬ 露にはあらめど (七六○)

 人の家にて、誰が筆のあとにか有らんしらず、蓮華はすのはなかきたる絵を見て、にはかにほしうなりて、譲りくるべくこはまほしけれど、その家のものにてはなし、もち主をとひければ、つねうとき人にて、さることいひいでむもはばかりあり、とてもかくても高間山のみねの白雲と思ひわきまへむより外にすべなし、物めでする心のわりなさは、我ながらせいしわびつつ、たけきこととはひとりうちうめきて

蓮華はちすばな 池のこころの 知られねば おりたちも かがれざりけり (七六一)

 日ごろへて、このうたを野梅にあひて、いひ聞かせけることありしを、野梅こころにかけてつねしたしう物する近藤某に、もののついでに語りければ、近藤某、さばかりのことならんには、おのれ身にうけて、この事はからひみんと、たのもしくいひけるにより、野梅、もしさる事ととのへえさせ給はらんには、翁いかばかりかよろこぶらん、といらへおきつつ、やがて、おのれにかかる手びきこそいできにけれ。かの人しかいふからんには、つたなからずはからふべく思はる。まことによき人にあひたりけり。翁ののぞみとげ給はんをりきにけるなりと、いひて笑ひをふくむ。おのれききて、みちびきいできにけるは、うれしきことなり。さらばおのれ近藤主がりゆきて、なほよくこひすがらまほしきを、ぬしも来てたべとて、ふたりつれだち、近藤某のもとに行つつ、何はいはず、この画はやくおのが物にせまほしき事のみ、かへすがへすいひつづけて

ゆるすべく はなのあるじに なかだちし 我にえさせよ ひともとのはす (七六二)

 さて後、近藤氏のもとより、かの画からうじて、翁にえさすべく、たばかりおふせたりけり。今よそひあたらしう物し、はこなどもととのへてまゐらせんといへば、しばらくまち給へと、いひおこせける、うれしさこよなきものから、はやう見たさに、何ばかりなき日かずをも、まちどほにおぼえつつ、また謌よみて、近藤氏につかはす

まちどほに さてもあるかな 蓮の花 この世にしては 見られざるらむ (七六三)

はすのはな もし手に入れで しにもせば 魂ゆきて 君をむらむ (七六四)

 ありありて、かけ物おのがもとにきけり。うれしさいふばかりなし。かけものいりたるはこのふたに筆さしぬらして

浮蓴うきぬなは くり返しても かへしても 見まほしかりし 蓮手にいりき (七六五)

 四十谷村に、知れる人ありけり。大安寺の山に遊び給へ。おのが家を休みどころにし給へと、あまたたびせうそこす。長月ばかり、空になうはれわたれる日、子どもゐていでゆく、東屋野梅をも誘ひけり。楢原の邨うちすぎけるに、ある家よりゆくりなく声をかけて、野梅に、いづこへか物し給ふといふ。野梅云々なりとつぐ。声かけし人、さるしばらくのやすみ処は、いづこにてもよからん。わが家はこの南どなりにぞあなる。物たらはでわびしからめど、あるじぶりもせじ、客人まらうどぶりもし給はで、ただ心やすからんことをむねとはして、我がり来給はずやと、いふいふさきにたちいざなふなり。ひさご・わり子うちひろげ、さかづきとりめぐらす。あるじ心かろきをの子にて、よろづかゆきところかくとかいふやうにものす、このごろ松たけさかりとおひいづ。いで、このうしろの山にあないしはべらん。茸がり物し給へといふ。おのが山路のぼり苦しうするを見て、翁はかかるところえあゆみ給はじ。やつがれ背おひまゐらせんとて、肩さしいだす。いと心ぐるしうは思ふものから、ただいふにまかす、うばらのとげおそろしうからまりあへる道をも、心やすげにせおひありきて松たけのかさなりおひいでたる谷々見す。すこし平らなる処もとめいだし、物しきて、おのれ一人すゑおき、皆木の根・草むら見ありく。茸だにとりうれば、ただちにおのがすわりをるところにもちきあらそふ

りととる 草びら我に みつぐとて はこびつづくる ひざうづむまで (七六六)

 日くれかかりければ、皆山くだりて帰路のあらましものす。ありあふ紙とりいださせてれうたを

羊膓つづらをり ありともしらで 人のせに おはれて秋の 山ぶみをしつ (七六七)

 かくなん走りがきにものす、あるじ※(「桑+頁」、第3水準1-94-2)ひたひひぢ口などに筆はさみもし、くはへもして物かく。いとよくかく。皆の者おもしろがりてかしらをあつむ

とりなれし 手もて書くすら 思ふには まかせぬ物を 今のふるまひ (七六八)

 などほむるを、かたはらよりは、今めかしとやおもひみるらんかし。かくしておのが家にをらざるほどに、上月景光君の来給ひて、今は今はとまちをられけんを、あまりにおそなはりければ、わびて帰り給ひにけりと、おのが顔みるすなはち、がかたる。かきのこしおき給へりけん謌ふたつ、机上にある見れば 松のみをいづこの山に拾ふらん 又薬とりいくらか雲に入ぬらん などあり。かへりごとを、あくる日せうそこもて、のこしおき給へりしみうたどもかへりきて見はべり。足ずりしてくちをしく思ふ給へりし。かく三たびまでいたづらにかへしまゐらせつることのあやにくさよ

君をのみ まつの戸かくて いでつるも さびしきままの しわざとを知れ (七六九)

遠ありき やまひわするる くすりとり 山くだりきて ききつ君と (七七○)

 いかで、今日明日のほどに、いま一たびおどろかし給へ、かならず、大安寺方丈の、さいつごろおのが楢原山にあそびけるよしきき給ひて、楢はらの野鶴に、かの翁のさることありけんには、わが山寺につれ来べきを、くちをしくもいたづらにかへしぬる物かな、いかでこのごろすぐさず、今一たび山寺さしてふりはへ物すべくそそのかせと、せめ給へば、とく来てたべと、野鶴いひおこせるにより、のどかなる日まちつけて、また野梅ゐて出ゆく。楢原邨にいたり、野鶴おどろかす。野鶴、薪とりに山にのぼりて在らざりけるを、わらはよびにはしりて、ただちに帰りく。おのが面見るすなはち、その妻なるものに、此おきなの寺にものし給はんかぎりは、幾日にもあれ家にかへらであるべければ、さおもひてよと、一言いひすてて、おのれにそひく、寺ちかくなりけるわたりにて

いつ来ても 世はなれはてし この寺は かどるからに ここちにする (七七一)

 こたびは、寺のうちにても、一ころはるかにへだたりてしつらひたる松雲院〔塔主とよふ〕にやどらすべしと、はじめより方丈のいひふくめおき給へりしなりとて、そのかたへあないす。げにいとおくまりたる所にて、くりやなどへは廻廊つづきにこそはあれ、道は一丁半ばかりもあるべう思はれて、物しづかなる、ことになき所になん。このながながし廓を、こともなくうちはしりつつ、往来ゆききして、物はこびなど野鶴ひとりしてあるじす。さるは、翁ば、そこ松雲院のあるじになりて、おきなの心にかなはんやうによろづものせよと、方丈のかねてうちまかせおき給へりしなりとぞ。夜になりて埋火うづみびかきひろげ、三人みたりが物がたりしをるところのさうじあけて、ゆくりなくいりくる人あり。顔よく見れば上月景光君なりけり。いかにしてかかるならんと、いぶかしさに、しばしは物もえいはず

こだまもや 君にへんげて つるかと かほまもられつ ともしびのかげ (七七二)

 こだまのへんげ人、いひけらく、我はたれかれとつれだちて、今朝ここにきたり、ひねもすあそびて、遊びつかれ、やどりけるなるが、翁き給へりと、方丈のつげ給へる、きくとひとしく、いまとぶらひにものしつるなりけり、処しもあれ、かやうなる山寺にて、思ほえずかたみにやどりあへる、いかなるすくえんにかとて、かつあやしみ、かつよろこぶ。廻廊のかたより、しそくとりて入くるいりのけはひす、野鶴おどろおどろしき声たてて、方丈の来給へるなりといふ。やがてまどゐしをる中にうちまじり給ひ、今日はるばるものしつることをよろこび給ふ。こはかへさまなるわざものし給へるものかな。おのれまづみもとにいたりて、みせうそこつかうまつるべきなるを、などわびていふ。しばらくありて、へんげ人も方丈も、ここ去り給へりけり。あくる日の朝、山口清香とぶらひにく。この人も上月君らとひとつむれにてぞある。またそぞろはしきおとして、孝顕寺方丈長谷部南邨君をはじめ、よべ相やどりの客たち一むれ、うちつれ来給ひ、思ひもよらぬところにて、たいめすることかなとて、何くれ物がたりし給ふ

山寺の いはほのほらの 相やどり 一夜ひとよぬれあふ 衣手ころもでの露 (七七三)

 野鶴が、今朝、茶のはなのをりえだのもとに、おほきなる松たけ、さしそへたる花瓶のあるを見て、おのもおのもけうじつつおもしろがる

ゆくりなく かく来たりあひ やどりあひ かたりあふことも あればある物か (七七四)

 夜中にめざめて、戸あけ、あちこちながめわたす

あはれとは そよこの事ぞ 杉むらに すきてほのめく 在明ありあけの月 (七七五)

 まつ茸さかりとおひいづるころなりければ、朝夕たけの盗みとりきて野鶴のもてなす

食ひあきて ありつる物の あぢはひも 煮ざまによりて 新しく食ふ (七七六)

 方丈とうしろの山にのぼり、小亭に入りて、よものけしきをみる

うちわたす 野山の広さ ゆく水の ながさ目にあく 時なかるべし (七七七)

 年ごろ、御寺のすりつかうまつるたくみなりとて、高屋村某いできて、物かきてくれよといへば、かきてとらす。このたくみ、おのが里わたりにては、今よりのち、鮭のうをおびただしうよりくるを、大網もてとらふるなり。さかりなるころは、いとおもしろく、あないしはべらむ。かならず見にき給へと、ねもごろにいふ

あみいれて 大魚とるらん 舟あそび まつとしきかば 日頃ひごろへず (七七八)

 方丈、人のもてきてまゐらせつるなりとて、松たけ一つかきたるかみゑ取りいだして、謌かけといはる。かほしかめつつ筆とる

入相いりあひの 鐘のひびく 杉むらの 下道したみちふかく かをる秋の (七七九)

 このみてらにつたはれる屏風、久隅守景のかきたる画、さいつ年も見けることはありけるが、今日またねもごろにもてゆくに、大かたのところにて、守景ぞ、守景ぞと、いひて見するとは、さらにやうかはりて、まことに魂いれて物しけむ。筆のいきほひ見ゆ。なかにも周茂叔の手に蓮華はすのはなもちてあると、李太白の瀑布見て立るとの二図は、ことにぬきいでて、しんにせまるとかいふべき画のにほひなり

これやこの こひぢのごと くろがねの すずりすりたつ 腕とぞいふべき (七八○)

 かくて三日あそびをりて、家路に杖を曳きたりき。今は三とせ四年もやすぎつらん。松井畊雪がもとにて書画ども、あまた見わたしける中に、高島芙蓉のかきたる不尽山ふじさんのゑ、めとどまりてほしく思ひけれど、かくともえいはでやみにけるを、このごろわづらひて何ごともただ物うくおもはるるまにまに、夜ひるふすまひきかづきてのみ有ければ、心のうちいよよ物さびしくなりもてゆきつつ、はかなきことどもいたづらに思ひめぐらさるるくせなん、あやにくなるにつけ、ある夜ねざめに、ふとこのふじの画、にはかに見まほしうなりけるにより、いとあぢきなく、しひたるわざにはあれど、かの絵ゆづりくるべく、夜あくるまちて、便りもとめ、畊雪のもとに、其よしいひやりけるに、畊雪すみやかにうべなひて、人してもたせおこせたりけり。いひやりはやりつるものの、いかがかへりごとすらんと、思ひわづらひてありけるほどなりければ、画とりいだすとひとしく、病もなにもうちわすれ、やがて壁にかけさせて、しばしは目もはなたでぞありし

痩肩やせかたを そびやかしても ほこるかな 雲ゐる山を 手に入れつとて (七八一)

見し富士の 画そらごととは なしはてぬ 心のくもり 去りぞ尽せる (七八二)

 上月君の、明日故郷にやどりける夜、この庵いとちいさきに、松の黒木くろきもて作りたる大きやかなる火桶ひをけつねすゑおけるを、今滋とふたり、ひをけのかたへにちぢまり寝る。狭きこといふばかりなし

ななまきに ひをけをまきて 足だにも のべえぬいほに 竜うちねぶる (七八三)

 かくて、夜すがら、いをねかぬれば、をりをり頭もたげて、窓の外うち見などす

更科さらしなや をばすて山に まさる月 なぐさめたりき はのねざめを (七八四)

 秋の七夜を一夜になしけむばかりおぼえられし夜も、からうじてしらみければ、両人ともに起あがりけるに、朝食しつらひてもてく。この庵、年ふりたる庭中に、わざと木ども、しげらひたるかげによりて、あやしくことそぎて作りなしたれば、おのづから遠き山中やどりたるやうなるここちせられて、いとけうありておぼゆるに、あるじの君こころしらひして、食ひもののしかたをはじめ、何くれのうつは物ども、駅路うまやぢおもはせたるありさまに、こしらへたてられたりければ、いとど旅ごこちそはりて、わが国のさかひはなれざるところのやうには思はれず

ここにして 岐蘇きその山路の 旅ごこち あぢははるるも いのちなりけり (七八五)

 あるじの君、初ゆきにはかならずここにものして、朝のけしき見給へといはる

わがための あすのふるさと 今一夜ひとよ ての朝けの 雲を見にむ (七八六)


底本:「新修橘曙覧全集」(株)桜楓社
   1983(昭和58)年5月25日 初版発行