福寿艸
橘曙覧
今滋が、近きわたりなる友どちの許に行ける帰るさ、福寿草の有けるを買て、おのれに家づとにせむとて、もてかへり、机上にすゑて、これ見給へと、いひける時
正月立つ すなはち花の さきはひを 受て今歳も 笑ひあふ宿 (七八七)
去年の暮ばかり、三丸の殿のおもと人たちより、被風といふ物たまはりけり。不知火の筑紫の緜かあらぬか、ふくれたるさま身につくれば、いまだ着ぬ人さへあたたかに見ゆらんとおぼしく、今は冬しらぬ翁となりつるぞ、などいひほこらるる、うれしきたま物を、かへすがへすうちいただきて
雪といふ ものは見すれど 寒からぬ あやしき冬に 逢にけるかな (七八八)
同じ殿の内の、今一かたのおもと人たちよりも、かくさまなるものたまはらす。今より後、いかなる夜さむにもまくることあらじと、たま物着かさねたる肩、うち層やかして
かくばかり 針目細かに 縫し衣 いかなるかぜも 吹はとほさじ (七八九)
梅風
とがめざる かをりに心 ゆるびして 花をあらすな 梅の夜あらし (七九○)
梅畑
匂ひある けぶりを曳て 梅の花 よそめあやしき 曇りをぞもつ (七九一)
嗅梅
焚物の 立きれつきて 一にほひ 嗅する窓の 夕ぐれのうめ (七九二)
倦繍図
縫ものの あやに倦けむ 手を頬に あてて蔀に よる少女かな (七九三)
倦書図
うみつつも あだし物には 手もゆかで それとさだめぬ 書を見ちらす (七九四)
雪羅漢
功徳つく 事とや思ひ 立すくみ あだしものには 雪もまろめず (七九五)
窓高く 積ことしらで 雪仏 崩れやすかる わざにおりたつ (七九六)
冬夜月
たたなはる 雪の八重山 月いでて 昼はづかしき 空となりつつ (七九七)
古寺松
法の師の さばかりこそは 痩つらめ 軒の山松 ふとらさんとて (七九八)
行ひの 員に箒を とるわざも いれてきよむる 古てらの松 (七九九)
大御政、古き大御世のすがたに立かへりゆくべき御いきほひと成ぬるを、賤夫の何わきまへぬ物から、いさましう思ひまつりて
百千歳 との曇りのみ しつる空 きよく晴ゆく 時片まけぬ (八○○)
あたらしく なる天地を 思ひきや 吾目昧ぬ うちに見んとは (八○一)
古書の かつがつ物を いひ出る 御世をつぶやく 死眼人 (八○二)
廃れつる 古書どもも 動きいでて 御世あらためつ 時のゆければ (八○三)
湊河なる楠正成朝臣の墓石の文字を摺りとりたるを、つたへ受てもてる人のある、をりをり見かく。天地をつらぬくかの朝臣の忠ごころは、年月ふるままにひかりそはりて、やんごとなき物なるより、心ある、こころ無き、わかちなく、此摺もじを、たふとみまつるならはしとなりにたる。さはいへど、人々たくはへもたる大和心の芽、かつがつはり出る春や来にけんと、年ごろしかめられし眉根すこしはうちのばされて
年々に 御墓の文字を すりふやし 写しひろむる 君の真心 (八○四)
ある時
友ほしく 何おもひけむ 謌といひ 書といふ友 ある我にして (八○五)
草葊 さひづりめぐる 朝すずめ 寝みみに聞て 時うつすかな (八○六)
ひよりぞと 思ひて出れば 風さむし 全く好き日は 日にも得がたし (八○七)
私の 無き空にすら 全くよき 日は乏きを 人はいはんや (八○八)
頼山陽
外史 朝廷おもひに ますらをを 励せたりし 功績おほかり (八○九)
慶応四年春、浪華に行幸あるに、吾宰相君御供仕給へる御とも仕まつりに、上月景光主のめされて、はるばるのぼりける、うまのはなむけに
天皇の 御さきつかへて 多豆がねの のどかにすらん 難波津に行 (八一○)
すめらぎの 稀の行幸 御供する 君のさきはひ 我もよろこぶ (八一一)
評梅
檜垣ごし こぞめの梅と おぼしくて 匂ふ枝つき 見あげられける (八一二)
雪谷早行
明わたる 谷間を見れば 踏来つる 雪おそろしや 木の根岩角 (八一三)
天使のはろばろ下り給へりける。あやしきしはぶるひ人ども、あつまりゐる中に、うちまじりつつ、御けしきをがみ見まつる
隠士も 市の大路に 匍匐ならび をろがみ奉る 雲の上人 (八一四)
天皇の 大御使と 聞くからに はるかにをがむ 膝をり伏せて (八一五)
退筆
人に毛を 齕つくされし 圓頂 ころばかされて 塵中にをり (八一六)
雪弥勒
一夜だに 身をたもたれぬ 雪仏 其曉に 逢むと念ふな (八一七)
島田氏の理亮庵尼の七十賀
花がたみ 目ならびあへる 孫曾孫 曾孫の曾孫 産むも見るらむ (八一八)
五月節句日、伊藤政近君許より独活くれける。遠き山里よりえけるなりとて、味ひよく質の和らかなること類なし。此わたりにては、このごろ無ものなれば、こよなううれしく思ひて
うとまれぬ 匂ひ味ひ 心をば ひかれつ今日の あやめよりけに (八一九)
蛍来窓
窓に入る 雨夜のほたる しめじめと 照りて簾を おりのぼりする (八二○)
庭落花
花の塵 箒の末に かけまくも 畏き風の ちらしぶりかな (八二一)
紙漉
家々に 谷川引て 水湛へ 歌うたひつつ 少女紙すく (八二二)
水に手を 冬も打ひたし 漉きたてて 紙の白雲 窓高く積む (八二三)
紙買に 来る人おほし さねかづら 這まとはれる 垣をしるべに (八二四)
居ならびて 紙漉くをとめ 見ほしがり 垣間見するは 里の男子か (八二五)
黄昏に 咲く花の 色も紙を干す 板のしろさに まけて見えつつ (八二六)
鳴たつる 蝉にまじりて 草たたく 音きかするや 紙すきの小屋 (八二七)
流れくる 岩間の水に 浸しおきて 打敲く草の 紙になるとぞ (八二八)
豆腐歌
酸くもあらず 辛くもあらぬ 味ひを 一かどもてる 豆のしるかな (八二九)
淡しかる 味にかどもつ 豆のしる 高きいやしき 品にまじはる (八三○)
田谷邨なる桜屋といふ茶店の壁にかいつく
弱草に 杖を曳ては 来べきなり 後の山に さくらあるいへ (八三一)
四十谷邨安達氏席上
白山の 雪に鳴鹿の 川音に 貯へもてる 富びとのいへ (八三二)
松雲院にやどりをりて今は出たたむとする時
松に雲 かかるけしきを 寝つつ見て 十日あまりの 日を過しけり (八三三)
此御寺の山つづきに、鶴、巣つくれりけるを、いかがしたりけん、雛ひとつ羽がひに疵つけられたりけるがありしを、方丈いたはりて、とかく養ひたてられければ、日数へて疵癒たりけらし。雛鶴ここ去りて、もとの巣にかへりけるを、をりをりは方丈の山のあたりにかけりくと、法しばらの物がたりするを聞て
疵いえし つばさを君に 見せむとて 大空たかく 舞は入にけむ (八三四)
楢原邨、貴蔵、山に入て、何くれと木どもとりきて、杖つくりけるを、五本さへもてきてくれける。いづれもおもしろきつくりざまにて、心しらひけるほど思ひやらる。貴蔵がたのもしき心よりいひ聞せけることばを、其まま謌にいひつづけ物す
一つ杖 千とせつき経て また一つ 五つ千とせをも 続てつけかし (八三五)
病にわづらひける時
死るやまひ 薬のまじと 思へるを うるさく人の くすり飲めといふ (八三六)
死ぬべしと 思ひさだめし 吾やまひ 医師くるしめ 何にかはせん (八三七)
死ぬべかる 病を癒す 医師の 今も世にありや 吾は見およばず (八三八)
死ぬる命 とりかへさるる くすり師は 世はひろけれど 有べく思はず (八三九)
宮北君の御許より、鯉たまはりけるよろこびに
旅にある 君を朝夕 こひといふ 魚やたまへる 我こころしり (八四○)
鯉をしも たまはりたりし 正月立つ あすのはがため 外にもとむな (八四一)
示人
天皇は 神にしますぞ 天皇の 勅としいはば かしこみまつれ (八四二)
太刀佩くは 何の為ぞも 天皇の 勅のさきを 畏むため (八四三)
天下 清く払ひて 上古の 御まつりごとに 復るよろこべ (八四四)
物部の おもておこしと 勇みたち 錦の旗を いただきてゆけ (八四五)
狛逸也君の、其御名の心ばへを、謌によみてくれよと、の給へるにより、よめる
剣太刀 壁によせおきて 胯長に いねつつ高き 嚊かくらむ (八四六)
五月廿八日より病床にありけるままに、野山のけしきも見がたく、臥してのみありけるにより、つれづれなぐさむため、大きなるうつはものに、水いれ、小き魚放ちおきて、朝夕うちながむ
湛へつる 器の水に 鰭ふらせ 海川見ざる 目をよろこばす (八四七)
顔のうへに 水はじかせて 飛ぶ魚を 見かへるだにも 眉たゆきなり (八四八)
窓の月 浮べる水に 魚躍る わが枕辺の 広沢の池 (八四九)
ひれはねて 小き魚の とぶ音に 寝るともなくて 寝る目あけらる (八五○)
佐々木久波紫が、大御軍人に召れて、越後路に下れる馬のはなむけに
負気なく 勅に背く 奴等を 罸め尽して 帰れ日を経ず (八五一)
同じ時、また芳賀真咲に
大皇の 勅に背く 奴等の 首引抜て 八つもてかへれ (八五二)
吉田重郎主に
大皇の 勅頭に 戴きし 功績あらはせ 戦ひの場 (八五三)
伊蔵政近主に
朝日影 かがやきあはむ 御旗をば 戴き奉り 太刀取り進め (八五四)
小木捨九郎主に
大皇の 醜の御楯と いふ物は 如此る物ぞと 進め真前に (八五五)
岩佐十助主に
さしつたる 錦の旗の 下に立つ 身をよろこびて 太刀とりかざせ (八五六)
同じ時野村恒見に
愚にも まどへるものか 大勅 ただ一道に いただきはせで (八五七)
勅に そむくそむかず 正し見て 罪の有無 うたがひはらせ (八五八)
伊藤某、仲右衛門
大皇に 背ける者は 天地に いれざる罪ぞ 打て粉にせよ (八五九)
山内某、佐左衛門
大皇の 勅頭に いただきて ふるはん太刀に よる仇あらめや (八六○)
底本:「新修橘曙覧全集」(株)桜楓社
1983(昭和58)年5月25日 初版発行