襁褓艸 第二集

橘曙覧

 正月ついたち、わらはども鶯鳴きつといへば、余も聞てむと窓あけ、しばらくうちまもりをりけれど、今一声だにせず。わらはども、おのれらは聞つる物を、あやにくなるものかなといひあへり。くちをしう思へどすべなし

春もまだ む月の中の うぐひすは おもえりしつつ なくにやあるらむ (二四四)

 柳弁春

そことなく 青む六田むつたの 柳原 めにたつばかり 春もなりにき (二四五)


 花参差しんし

ひまあらく 見し枝々えだえだも 花と花 からまりあひて さきぞうめける (二四六)

 宝石山にゆきけるに、あるじよろこびて、ねもごろにもてなす

つみとりし 春の園生そのふの にひ木芽このめ にひこころみを われにさせける (二四七)

みさかなは なにはあらめど こゆるぎの 急ぎほりきて 煮たるたかんな (二四八)

 松田真信が、はじめて江門えどへ物するに

めづらしき 野山のやま野山の 秋草に うひ旅衣 すりつつやゆく (二四九)

 月前虫

身ひとつの 秋になしてや 蟋蟀きりぎりす なきあかすらむ 月のな夜な (二五○)

 雨中鹿

鹿のの しをれがちにぞ きかれける 在明ありあけの月や 雨になりけむ (二五一)

 農

いとまなの 田廬たぶせのしづの なりはひや 昼はかやかり 夜は綯索なはなひ (二五二)

 二月十日、本保に物して、河野氏にやどりて有けるに、十二日より風ひきて、うち臥たりけるを、薬の事などあるじのあつかひ物しくれけるにより、からうじて十九日の朝、病床おき出たりけり。さるをりしも今歳は寒さはげしうて、鳴んものとも思はでありける鶯の、めづらしう二声三声しけるは、いつはあれどうれしうて

うぐひすも うかれやつる たちそめて 我もうれしき 今朝の朝床あさどこ (二五三)

 本保にて蛍のむらがれるを見て

花さそふ 風にふかるろ ここちして ほたるわけゆく 野路のぢの川ぞひ (二五四)

 水風凉

枕より あとより通ふ かぜのよさ 水ある宿やどの 竹のしたぶし (二五五)

 やよひばかり、本保の河野氏にやどりをりけり。あるじ事しげしとてあらぬがちなるに、よそ人はたひとりだにとぶらひくるなく、おのれひとり宿もりしをりて、いとさうざうしう物しける時

世の人の 花見る春の すくなさに おもひくらぶる わが月日かな (二五六)

 閑居時雨

曉も 待たでしぐれに なりにけり 窓もる月を さへしむら雲 (二五七)

 古寺鐘

麓寺ふもとでら かはらのいろも かつきえて 夕ぎりがくれ ひびく鐘の (二五八)

 忠臣待旦

ももしきや はしのうへの 朝霜を 人におくれて ふみし日もなし (二五九)

 秋山路

朝かぜに ゆられておつる ささ栗に 小笠をがさうたるる 秋のみ山路やまぢ (二六○)

 市

なにひとつ うることもなく 空手むなでにて たつ市人いちびと おほきなりけり (二六一)

 赤

しづいへ 這入はひりせばめて 物ううる 畑のめぐりの ほほづきの色 (二六二)

 山家床

土のゆか むしろの上に きしかたも ゆく末もなく いびきかくらむ (二六三)

 をりにふれてよみつづけける

起臥おきふしも やすからなくに 花がたみ 目ならびいます 神の目おもへば (二六四)

吹風ふくかぜの 目にこそ見えね 神々は この天地あめつちに かむづまります (二六五)

いかでわれ きたなき心 さりさりて 神とも神と 身をなしとげむ (二六六)

 亀

はひいでて をぞならぶる ともがらの おほさくらべや 亀も始むる (二六七)

 擣衣たうい

つちをだに とる手たゆげに する子らも きぬうちならふ 里のならはし (二六八)

とほつひと 思ふ心を 手力たぢからの かぎりにこめて うつやさごろも (二六九)

 烟艸

春野やく しわざおぼえて くさもやす けぶりのなびき おもしろきかな (二七○)

 山家樋

うきふしは ぬけて見ゆれど 筧竹かけひたけ なほよの中の そとは流れず (二七一)

 納涼

口あそび いひあふしづの かどすずみ 暑さわすれの すさびとはなし (二七二)

 鹿声近

はしたなく しかなきたてて 山里の 垣ねすぎゆく 此夜このよごろはも (二七三)

 暮山雪

すみぞめの ゆふべの雲に まとはれて 白さあらはす みねのうすゆき (二七四)

 閑庭霜

庭中にはなかに たつきつねの もの音を 枯生かれふの霜に 聞く夜さむしも (二七五)

 夏よみけるうたの中に

遣水やりみづに 来てはひたれる 村鴉むらがらす こぼすはがひの しづく凉しも (二七六)

 秋庭

秋の雨 一ふりかへて 庭のさま 見する紅葉もみぢの 今朝けさの色かな (二七七)

 わらはの、朝いしつつなきいさちけるを、いたくさいなみ、うちたたきなどしける時

なづるより うつはめぐみの 力いり あつかる父の たなうらと知れ (二七八)

 岡部君の江戸へゆき給ふによみてたてまつれる

いでたち つづく小笠をがさの はるばると かくれゆくまで うちながめをり (二七九)

 贈正三位正成公

一日ひとひ生きば 一日こころを 大皇おほきみの ためにつくす わが家のかぜ (二八○)

 藤原忠文卿

荒駒あらこまの くさかむ音に 何がしの 宿直とのゐすると 人もしりけむ (二八一)

 袈裟けさのまへ

夕霜に 身はさかるれど 鴛鴦をしどりの つま思ひ羽は あだに重ねず (二八二)

 三月

おそかるも この一月ひとつきを せきにして ひとり桜の 時になしつる (二八三)

 砂月凉

そとの浜 さとの目路めぢに ちりをなみ すずしさ広き 砂すなのへの月 (二八四)

 蓮含露

たたまりて しべまだ見せぬ はなびらの ぬれ色きよし はすのあさ露 (二八五)

 竹画

あしといひ やなぎと見つつ ちからいれし 心のたけを しらぬがちなり (二八六)

 秋風

ともしびを かすめてすぐる 一かぜも 秋になりたる ねやのふしよさ (二八七)

 新樹

ほととぎす 一鳴ひとなきなきて くぐりつる 枝見るたびに なつかしのかげ (二八八)

 閏八月ばかり、多田氏にさそはれて宝石山に行て、日くるるまであそびて

白雲しらくもは ゆふべの山に かへれども たちいでむとも 人はまだせず (二八九)

 擣衣たうい処々

さえわたる 星よりしげき 槌数つちかずに きぬうつ里の 多さをぞ知る (二九○)

 辻春生、今日、歌の会ものすべきなりしを、にはかに江戸なる叔父みまかりけるにより、この会のぶべきよしいひおこす。やがて、もにこもらひをる、とぶらふついでに、今たびのまうけの題、古寺紅葉を、傷み歌になずらへてかく

見によと きのふいひける 山寺の もみぢちりぬと 聞くはまことか (二九一)

 とし、父の三十七年、母の五十年のみたままつりつかうまつる

あらはさむ 御名みなはかけても 及びなし 身の恥をだに 残さずもがな (二九二)

なにをして 白髪しらがおひつつ おいけむと かひなき我を いかりたまはむ (二九三)

いひがひも なき身のうへを わびなきて 御墓みはかのもとに うづくまるかな (二九四)

みいかりを なごめまつらむ すべなさを くりごとしつつ よよと泣くかな (二九五)

柞葉ははそはの かげに五十いそぢの おきなさび のこるかひなき しもしたくさ (二九六)

 富田礼彦ゐやひこがむすめのみまかりけるとぶらひに

墨をすり を煮やし 朝夕に つかへし容儀すがた 忘れかぬらむ (二九七)

 日高万二満が筑前国にかへるに

君が今朝 門出かどでにつくる 雪の上の 跡だにしばし 残れとぞ思ふ (二九八)

 雪朝遠樹

あけはつる 空にとぢめし 夜あらしの ゆくへしづけき 杉むらのゆき (二九九)

 いまはなき人となりにたり。府中の山本の叔父が、おのれ本保ほんぽの里にものすといひけるをり、かしこには吉野瀬の橋、いとあやふきところなりけり。いたく心づかひせよと、いひさとされけるを、此はしわたるたびごとに、老人のせちにいたはり給へりしこころのほど、身にしむばかりぞ思ひいださる。今日またここに来かかりて

こころせよと いひし一言ひとこと いつもいつも おもひぞわたる よしのせの橋 (三○○)

 ここすぎて、道すこしゆきけるに、島崎土夫がおのが旅居たびゐとぶらひに、本保にとて来けるにあふ。土夫、よし翁おもふかたへ行け。我も今日一日のうちにはかへらであらるべきにあらず。いでここにて別れんといはる。しかせむもほいたがふわざなり。さらば本保まで来たまへ。おのれも立かへり通雄がりゆきて、しばしだにうちかたらひ、さて、ともかくもはからひたらんよからましと、道のかたへにたたずみつつ、いひをるあひだに

いざ来ませ 通雄が家は 酒もあり あるじにこひて のみて別れむ (三○一)

 ここにて相わかれ、おのれ府中のかたへゆきけるが、途のほどにて、土夫ぬしの福井さしてゆかれける。ゆくへはるかにながめやりて

日は暮れぬ 山も見わかず なりにけり 別れし人は いづくゆくらむ (三○二)

 妓院雪

庭の雪 たはれまろがす 少女をとめども その手はたれに ぬくめさすらむ (三○三)

 侠家雪

真荒男ますらをが 手どりにしつる 虎の血の たばしり赤し かどのしら雪 (三○四)

まれびとを 屋所やどにのこして 鳥うちに 我はいでゆく たそがれのゆき (三○五)

 須賀原の三月三日初弓のいはひといふことものするにうたこはれて

弓といふ 物は男児をのこの とるものと ちごも心の いさみてや見る (三○六)

 飛騨国山崎弘泰みまかりけるよし、富田礼彦が告おこせける時、弘泰は荏名えな翁の教子にてぞある

おなじえだに やどりてありし 友鴉ともがらす 一つせたる ゆふべさびしも (三○七)

 薔薇さうび

はねならす はちあたたかに 見なさるる 窓をうづめて 咲くさうびかな (三○八)

 海棠かいだう

くれなゐの くちびるいとど なまめきて 雨にしめれる 花のかほよさ (三○九)

 楳子ばいし

あまつつみ 日をて あみ戸あけ見れば おちて梅あり その実三つ四つ (三一○)

 篆刻てんこくをたくみにして、行脚をむねとしをる江戸人、轟松居が四十賀に歌こひければ

花にふれ 月にかたしく 旅ごろも かくてとせも 重ねゆくらむ (三一一)

 杣人そまびと

うつばりに とる木は無しと そまといふ 杣に入る子も いひてなげきつ (三一二)

 佐野君の婚姻

ちとせもと ちぎる夜床よどこに うちかはす 妹脊いもせの袖や 鶴のごろも (三一三)

 海辺夏月

ひたりくる 月のかげさへ ととのひて 波間すずしき あまの呼びごゑ (三一四)

 月あかき夜ひとり夜ふかしをりて

浮雲の こころにかかる 空ならで よひばかりの 月を見まほし (三一五)

 閑居秋

芽子はぎすすき はかなき花を をりかこふ まがきにあまる 秋の色かな (三一六)

やせて咲く 垣の朝貌あさがほ 見るにつけ 秋くれかかる 伏屋ふせやをぞ思ふ (三一七)

 関鶏

逢坂あふさかの 杉の下みち まだくらき とりふみて こゆる旅人 (三一八)

 橋蛍

ながれくる ほたるの影も あらだちて 水音みづおとすごし 兎道うぢの川橋 (三一九)

 江戸人高橋氏、本保に年ごろ居けるが、こたび、うからこぞりて江戸へかへるに

一日ひとへば 一日ちかづく ふるさとの 空なつかしみ 道いそぐらむ (三二○)

 同じ時そのむすこ直言に

小笠をがさとり つゑたてまつり たらちねに 心をつくせ 岐蘇きその山道 (三二一)

 初尾花

旅びとの かちゆく野路のぢの はつをばな はつはつ笠に たれかかるなり (三二二)

 出雲国人小川正海のその国へかへるに

をりもあらば ふたたび君を 三保岬みほのさき 羅摩かがみの船の たよりもとめて (三二三)

 秋ばかり杓谷しやくだににあそびて、酒のみゑひのまぎれに、かたはらにおほきやからなる石のあるに、戯れかきける

あかくなる 顔うちふりて 秋山の まだゑはざるを あざ笑ふかな (三二四)

 青牛翁の許とぶらひてありけるついで、ことさらにこひて、書画どもとりいでさせ見ける時

品さだめ いひこころみて 古びたる 物あまたに 見もてゆくかな (三二五)

古ものの 中に君をも すゑおきて 今の世ならぬ 品と見るかな (三二六)

 川津君の、女郎花をみなへしもらひに人おこせけるを、をしみてやらで、うたよみてつかはしける

さきいでて まだいはけなき をみなへし いかでか君に まかせらるべき (三二七)

 ひた土にむしろしきて、つねに机すゑおく、ちひさき伏屋のうちに、竹おひいでて、長うのびたりけるを、そのままにしおきて

かべくぐる 竹に肩する 窓のうち みじろぐたびに かれもえだ振る (三二八)

ひざいるる ばかりもあらぬ くさの屋を 竹にとられて 身をすぼめをり (三二九)

 癸亥きがいのとしの八月廿九日、はじめて歯一つおちけるを見て

ふけにける 吾身わがみの秋を まだ知らで 落葉あやしむ しれをの子かな (三三○)

 上月景光君の都に在るに、よみておくりける、人より物ききたることなどもありて、いさめいはまほしう思ひををるころなりけり

故郷ふるさとの 垣根の秋に 見かふるな みやこの花に 目はうつるとも (三三一)

明日香川あすかがは ふちをあさすな 流れては つきやすからむ せに心して (三三二)

 中根君のかうじかうぶりて、こもりゐ給ふころ、ひとりごとによみつづけける

秋雨あきさめに うちしをれては 君が屋の あたりの空を ながめやるかな (三三三)

年魚あゆとると あみうちひさげ ゆきがりに 行ます時に なりけるものを (三三四)

秋の花 それもなにせむ をりとりて 見すべき君に 見せられもせず (三三五)

道とほく へだてはせざる 月かげを へだたりて見る このごろの空 (三三六)

かりがねの きこゆるたびに 見やれども 玉章たまづさかけて たれるはなし (三三七)

 十三夜

おくれたる 影とはなさぬ 心より 月を今宵こよひの 空にまたれき (三三八)

 鹿声遙

とほざかる かたちのみかは 声もしか ちひさくなりて 野べをゆくなり (三三九)

 長月ばかり、府中の山本氏の女ども、これかれひきまとひきて、このいほにやどりたることありけり。着すべき夜の物など、かねて人のもとよりかりきて、そのまうけしおきけるに、思ひかけざるをの子ひとりそひきて、それにきすべき物なし。日くれてなりければ、またかりに行んもびんあしきにより、ありあふ今滋がのをその男子に着せて、今滋はおのがふしどの中にいれてさす。わらはなりしほどこそさしてもあらるれ、今はおほきなるからだになりぬれば、ひとりひとりがみじろぐたびに、よるの物よりはづれて、肩さきあらはれ、ともすれば、こわき手足つきあてなどして寐まどふままに、かの柳沢淇園きゑんの、堪忍は執行せざれば身に感ぜざるゆゑに、よく忍ぶことなりがたし。予も堪忍を守ることを思ふに、乗合のりあひの舟ばかり、事になるるに便りよきことはなしと思へば、京より夜舟にて浪華なにはにあそび、浪華よりも又舟にて京へのぼりつつ、ひたぶるに堪忍の稽古せり。人の世にある、乗あひて泊りしをりを思ひいづれば、いかほどの不自由も忍ぶに堪ざる事なかるべし。夜泊よどまりのせつなさ膝ををりて足を縮め、人の足を枕として押あひ、睡らむとすればゆすり起され、すこしまどろむと思へば、いびきに目さめて、起臥おきふしともにまかせずと、雲萍雑誌うんぴやうざつしといふものにいはれたることのあるを、げにもと思ひいでつつねどころの中にて

わびしかる 物のたとへに ひくふねも かかるうきを しやはならへる (三四○)

 府中の松井耕雪が、大きなる黒木もてつくりたるひをけくれけるを、膝のへにすゑおき、ひぢもたせ頬づゑつきて、朝夕の友とす

なでやまぬ 火桶ひをけのいろに ならひもて みがきをゆかむ うたの上をも (三四一)

よそありき しつつ帰れば さびしげに なりてひをけの すわりをるかな (三四二)

旦暮あけくれに なづる火桶を いはほにて つきぬこと葉を おもひめぐらす (三四三)

見ありきし ひるの野山の 物がたり ひをけにいひて 夜をふかすかな (三四四)

 つれづれなるままに

一人だに 我とひとしき 心なる 人に遇得あひえで 此世このよすぐらむ (三四五)

うまれつき つたなき人に まじらへば わかれてのちも ここちあしきなり (三四六)

がりきて 人あしくいふ 人はまた 人がり行て 我をそしるひと (三四七)

 寒艸

かれのこる くきうす赤き 𦱉うまたでの 腹ばふ庭に 霜ふりにける (三四八)

 田家灯

しづどちの もの語りの ありさまを たかむらごしに 見するともし火 (三四九)

 本保の河野氏に、日ごろやどりをり、暁がた寐どころ中にて

朝出あさでいそぐ 旅寐ならねば にはとりの 声も夜中に なしてうちきく (三五○)

 銭乏しかりける時

よねぜに なほたらずけり 謌をよみ ふみを作りて 売りありけども (三五一)

 暮秋虫

聞く夜あり 聞ざる夜あり 秋のむし なきやむころに なりやしぬらむ (三五二)

 咏剣

弱腰よわごしに なまものつくる 蝦夷人えみしびと わが日本ひのものとの 太刀たちをがみ見よ (三五三)

七重ななへにも 手もてげなば まがるらむ 蝦夷えみしの国の 太刀たちたちかは (三五四)

 社頭雨

古社ふるやしろ ありと知られで 見ゆる火の かげものすごき 山ぞひの雨 (三五五)

 水上月

てのひらに むすびあげたる 水の月 さてたもたるる よしのれかし (三五六)

 梅雨留客

子規ほととぎす ならねどまれに 声ききし 君はかへさじ さみだれのそら (三五七)

 山行さんかう伴鹿
日ごろ来る 我をば知りて 秋の山 鹿もたもとに つのたれてよる (三五八)

 雨中旅

くさまくら つかれて寐たる 宇都うつの山 うつ雨くるし すげの古がさ (三五九)

 落葉

柴門しばのかど しばしたたずむ 足もとを 木葉このはうづむ 一あらしかな (三六○)

 池水鳥

津国つのくにの こやとかたみに よびかはし なきかはすらむ 池の鴛鴦をしどり (三六一)

 辻氏の双松閑戸

紅藍くれなゐの 塵を二樹ふたきの 松の葉に うづめさせたる 庭の山ざと (三六二)

 花下会友

かはらけの 酒にも山の さくらにも 散るといふことを いとふもと (三六三)

 松岡幸山長遠、この九月十六日みまかりけるよし、聞てとぶらひに物しけるに、その妻なる者、わづらひてありけるほどに、ありとありし事ども、かき崩しいひいでて、いたう歎きけるありさま、いとあはれになん。長遠世にありし時、神世ながらの医道のはやうせて、古き医書といふ物の世に伝はれるが無きをいたく歎き、たらはぬながらに大同類聚方だいどうるいじゆはうのただ一部、今も世にのこれるを、大綱にとりて、なほあだしもろもろのふみどもにつきて、いささかもこの道によしある事のあらんをとりひろひ、一つの医書著さんと思ひおこして、貧しき身ながらその事にかかづらふことだにいへば、得がたき書をも遠きさかひより、もとめいだしなど、おふなおふな力をつくして、今はその書、かねてのあらまし、なかばにすぎて綴りいでけるものから、なほ全くはなしをへでありけるを、思ほへずうちわづらひて、はかなく成りにたる。妻なる者に、しかじかのふみいづこにかと、とひけるに、涙こぼしつつ文筺ふばこどもさぐりめぐりて、七册の文とり出だす。見もてゆくに、おのれは医のことしらねば、つくりざまのよしやあしやは見わかねど、薬名病名をはじめ、よろづいりほがなる事どもを、皆、皇国語みくにことばもて仮字かながきに物したるさま、皇国おもひの志のまめまめしさ、たふとしともたふとし。いつばかりにかありけん、ここに来けること有けるに、かつがつかきつづりたる物とりいだし見せて、しるしざまいかに思ひ給ふらん、などいひたりしことのありけるなど思ひ出られて、袖うちしぼらるるに、妻なる者また、かの人今といふきはにもこの文のこといひいでて、今三巻ばかりになりにたるを、くちをしく書をへで、我は目ふたぐことよと、うちなげきつつ、やがてなくなりぬるにこそと、うちかへしうちかへし、語るをきくに、むねふたがるを、せめてねんじて謌をだにとて、霊代たましろのまへにたむく

一部ひとともの ふみかきをへむ ほどをだに この長遠を 世には在らせで (三六四)

一ともに ちたらずとて なげかめや 世に無き文を かきし七巻ななまき (三六五)

書きつがむ 人またありて 功績いさを つひにはまたく ならむゆくすゑ (三六六)

えみし唐土から きたなき国の すべからぬ くすしのふみを 一人かき出づ (三六七)

 寒艸

うつりゆく 下葉したばいかにと 見けるまに 霜いただきつ 庭の萩原 (三六八)

 松田信言が都へいでたつに、五月ばかりにまかへり来べういふ

まちわぶる 心をくみて ほととぎす おのがさ月の をりたがはすな (三六九)

 そのところしり給ふ君よりたまはりたる牡丹の絵に、うちそへおくべきうたよみてくれよと、ある人のもとよりこひけるにより、よみてとらせける

みめぐみの つゆ余りある うれしさを つつもらして 開らくはなびら (三七○)

大きなる 花のうへにも おきあまる めぐみの露の 色ふかみ草 (三七一)

 伊藤千村ぬしのみまかりけるに

青葉山 なく時きぬる ほととぎす 今歳ことしは君に きかせざりけり (三七二)

 林美鷹がみまかりけるに

君ひとり また無くなりし 友の数 ふやして我を 泣かせつるかな (三七三)

 覊中きちゆう更衣かうい

あらたむる ころもひとつも なつこだち 若葉にはづる 旅すがたかな (三七四)

 宰相君よりたまはりたる題、待雪

初雪の ふりなつかしく 見なされむ をりをはたさぬ 冬枯ふゆがれの庭 (三七五)

 江樓流蛍

ながれては 水もほたるも 釣殿つりどのの 簀子すのこの下を くぐりあひけり (三七六)

 剣

はしる 白蛇しろへみなして きらめける 焼太刀やきだち見れば  ひとりえまれつ (三七七)

 真宗寺君の男児うませけるに

けものみな ひざ伏せさせむ 獅子ししの声 生れながらに 立つるちごかな (三七八)

 瀑布

茂りあふ 青葉あをば々々を ふきゆすり 伊吹いぶきふきかくる 水煙かな (三七九)

 ある寺

何ごとも 時ぞとおもひ わきまへて みれど心に かかる世の中 (三八○)

わすれむと 思へどしばし わすられぬ なげきのうちに 身ははてぬべし (三八一)

 人のこひによりよめる三社のうた
 伊勢大宮

神樹葉さかきばの 蔭ものふかき 五十鈴川いすずかは 骨身にしみて 清したふとし (三八二)

 石清水

男山をとこやま さかゆく御世みよを 常磐とことはに 見そなはすらむ 峰の神墻かみがき (三八三)

 春日山

かすが山 ふもとの芝生しばふ ふみありく しかのどかなる 神やしろかな (三八四)

 大国主神

八十神やそがみに ひとりおくれて おひたまふ ふくろにこもる ちぢのさきはひ (三八五)

 事代主神

天地あめつちと ともに久しく 天皇すめらぎの 御尾前みをさきつかへ 国まもる神 (三八六)

 護摩堂といふところの蔦のもみぢ見に、人々とともに物したりけり。近きころ心なきもののかりはらひたりけるよしにて、蔦なくなり、いはほのあたりいとさうざうしう見ゆ。さりとて、いたづらに帰らんもくちをしう思ひて、この山の石ほりいだすことをなりはひとするどものをる、ちひさきいほりにいり、酒あたため、かはらけとりめぐらしなどす。やうやうゑひごこちすすみゆくままに

もみぢ葉の 今は見られぬ 岩上いわのうへも つたなしとせず ゑへる顔ばせ (三八七)

 寒樹交松

色あせぬ 松にまじりて からみあふ 枝ぶりむき がらしのもり (三八八)

 瀑布

かつふれて いはほかどに 怒りたる おとなひすごき 山のたきつせ (三八九)

 源義家朝臣

年をし 糸のみだれも 君が手に よりてをさめし ひむがしの国 (三九○)

 西行

心なき 身にもあはれと なきすがる には涙の かからざりきや (三九一)

 暁時雨

まどくらく にはかになりて 在明ありあけの 月をよこぎる 村しぐれかな (三九二)

 島崎土夫主の、軍人いくさびとの中にあるに

いもが手に かはるよろひの 袖まくら られぬ耳に 聞くや夜嵐よあらし (三九三)

帰りこば 脚結あゆひひもも とかぬまに まづ顔見せよ まちつつあるぞ (三九四)

朝夕あさゆふに あひて語らふ 君こねば さびしきいほに さびしくぞる (三九五)

 上月君のとほき国にあるに

海中わたなかに 風にあへりと きくからに たちさわがれつ わがこころさへ (三九六)

白雪しらゆきの ふるにつけても ふる人の 遠き旅路たびぢに るをこそ思へ (三九七)

 同じ時河津君の許に

浪華なにはの海 船出ふなではなれぬと ききしより 我も心の ただよひてのみ (三九八)

日数ひかずあまた 大海おほうみの上に ただよへる 心いかばかり わびしかるらむ (三九九)

 佐野君のもとに

君はやく 帰れをとのみ 思はれつ み母のみ顔 見るたびごとに (四○○)

荒波あらなみに ただよひぬれど つつがなく 舟つきたりと きくぞうれしき (四○一)

 佐々木久波紫主くはしの許に

舟出ふなですと ききつる日より 難波なにはの海 なには思はず 君をのみこそ (四○二)

年も今は たちかへりと いふなるを 何時いつばかりかは 君顔見かほみする (四○三)

 畑中君のもとに

おほかたの 旅だにあるを いかにして とほき舟路ふなぢに 君をやりけむ (四○四)

かみ白き おきなにてます 父君を おきてゆきつる こころいかならむ (四○五)

 宮北君の許に

黒駒くろこまに のりてゆきつる うしろかげ 目にある君の いまはいづくに (四○六)

日に三たび こまあゆませて かよへる 顔をば早く みやの北の君 (四○七)

 松田真信主の府中に軍人の中に在るに

遠からぬ あたりには在れど 顔見ずて あれば千里ちさとを へだつるも同じ (四○八)

いもも子も まつ田の君を 草枕くさまくら 旅路におくが うれたかりけり (四○九)

 ある時

水車 ころもふ世と なりにけり 岩根木根立きねだち もの言ひいでむ (四一○)

 洛東岡崎の尚綱のもとより、都にのぼりよと、あまたたびいひおくりける、かへりごとに

春たたば 谷のうぐひす いでたたむ 友を求むる 声をたよりに (四一一)

 都に久しう物しをる佐藤誠がもとよりも、尚※(「糸へん+烱のつくり」、第4水準2-84-33)と同じさまに、おのれに都に上るべくいひさとせるかへりごとに

さそふらむ 水のまにまに 浮艸うきくさの 身は何所いづこへも よすべかりけり (四一二)

 辻春生主の今荘駅に軍人の中にあるに

夜昼よるひると むらがる人を よびたてて 声うちからし かけめぐるらむ (四一三)

ふきあるる 嶺の夜あらし 火矢の音 ぬるありとも いかでねられむ (四一四)

 竹内篤主のいくさ人の中にあるに〔此ぬし妻を迎へて日かずいくばくもあらぬほどに出たちて行たるなりけり〕

太刀たちとりて いづこへゆきし あひそめて まだ日もあらぬ いもうちすて (四一五)

 正月八日青牛翁御使にて
 宰相君より煙艸賜りたりけり、御謌さへそへさせ給へりけり。その御謌は「安御代やすみよかまどの煙のみならでけぶりくゆらせしづ伏屋ふせやに」とあそばしたりけり、いとかしこくいただきまつりて、かく

けぶりぐさ しづ伏屋ふせやに くゆらせて 君のめぐみに むせぶあさゆふ (四一六)

 山口清香に筆かりて、返しにもてゆきたりけるに、途にておとしたりけん、かしこにいたりてふところさぐれど筆見えず。いかにともすべきやうなくて、かく

うれしさを つつみ余れる そでなれば 筆もたまらで すべりおちにけむ (四一七)

 辻春生主の、ことにめさげられたりけるいはひに

忠実まめごころ つかへの道に つくしけむ いさをのしるし あらはれにけり (四一八)

 雨中新竹

風ふけば かよりかくより まろびおつる 露もなまめく 雨の若竹わかたけ (四一九)

 冬埜

倒れたる すすきくぐりて 行く水の 末もさびしき 野辺の冬がれ (四二○)

 夜虫

つづりさせ いつまでよびて この虫は ること知らに 夜をあかすらむ (四二一)

 ある日、多田氏の平生窟より人おこせて、おのが庵の壁のくづほれかかれるをつくろはす。来つるのこ、まめやかなる者にて、此わたりはさておけよかめりと、おのがいふところどころをも、ゆるしなう机もなにもうばひとりて、こなたかなたへうつしやる。おのれは盗人のいりたらん夜のここちして、うろたへつつ、かたへなるところに身をちひさくなして、このをの子のありさま見をる。我ながらをかしさねんじあへで

あるじをも ここにかしこに おひたてて 壁ぬるをのこ 屋中やぬち塗りめぐる (四二二)

 十五夜、れいよりもいとあかくて、窓に入るかげこよなき物から、誰ひとりとひ来る人もなく、なかなかにさうざうしう思ひ、よひよりうちふしけるが、寐どころの中にて

てあかす をしさはあれど 此月このつきを いたづら人の 見ふかすもうし (四二三)

 月

さかづきの かずもあまたに なりにけり たけなはすぎて めぐる月かげ (四二四)

 橋苔

目をわたす たよりばかりと 見られけり こけになりたる 谷の古はし (四二五)

 中根君の、開発かいほつといふ里にしるよしして、狩にゆき給へるみともにて、そこなる賤が家にいりたりけり、あるじとおぼしきをの子、とく門の外にはしりいでて、みむかへつかうまつりなどするさまを見て

めぐまるる 身のうれしさを あらはして 膝折伏をりふする しづみ顔 (四二六)

 やがて瓶子へいじもていでて、海山の物をつくしてけうす

みさかなは なによけむとて かはらけを 君のつづきに 我にさへくる (四二七)

 夜ふけて帰り給ふに、物がたり打しつつみともつかうまつる

月かげを ふむふむあゆむ 川ぞひの 道は帰さも いそぐものかは(四二八)

 ひひなのかたに

少女子をとめごが 妹背いもせの道の うひまなび つきづきしくも ならべもてゆく (四二九)

 朝夏艸

暑き日に よれし草葉も 朝露あさつゆの ひるま忘れて おきかへりつつ (四三○)

 夏月透竹

なつの夜の 月の初霜 おきあかす 竹の下陰したかげ さむくもあるかな (四三一)

 宮北君の、艸庵とぶらひきて、帰り給はんとする門送かどおくり物しけるに、そこにつながれてある馬の手綱とりて、こは近きころ得つるなるが、心にかなひておぼゆるなり。いかに見給ふやとの給へる。おのれさるすぢにはうときものから、すぐれてたくましげになん見なさるる。やがてうち乗りて、一足あゆませ給はんとする時

千里ちさとゆく 陸奥みちのく馬を われ得つと たてがみなでて ゑめるますらを (四三二)

 林下幽閑

日たけても 檜杉ひすぎのおくの 檜皮ひはだぶき 枝うつりして ふくろふの来る (四三三)

 加賀国打越村某寺のこひによりてよめる、
 弓波山十勝
 栞湖朝晴

ことの海 しらべ調ふ うら波に にほひあひたる 朝日かげかな (四三四)

 千松湾雨声

浜づたひ まさごたたきて 降る雨に こずゑ鳴りくる 松の邨だち (四三五)

 茗圃めいほ香風

朝ゆふの 風も木芽このめの 春の香に うちふく頃と なりにけるかな (四三六)

 七曲逕行人ななめぐりのみちゆくひと

ありよりも ちひさく見えて 行人ゆくひとを ながめめぐらす ななめぐりかな (四三七)

 菅神祠桜花

ちはやふる 神の御まへに 匂ひあひて 斎垣いがきの桜 さきいでにける (四三八)

 矢田埜積雪

むねわけに わけなやみ来る かち人に 矢田野やたのの雪の 高さをぞ知る (四三九)

 鐘楼晩靄

夕がすみ かかるさびしき 鐘のに 今日もくれゆく 山寺の庭 (四四○)

 御幸橋羣蛍

ここをせと あつまりくらむ 光もて 蛍も橋を つくるな夜な (四四一)

 翠眉山落月

おちかかる 山辺の月を をしみ余り あかときつゆに たちぞぬれける (四四二)

 牛鼻崖漁燈

牛のはな すがたをかしき 岩角いはかどを 夜目よめにも見せて 続く漁火いさりび (四四三)

 花

さくら花 かくていつまで をりとも く世といふは あらぬなるべし (四四四)

みねのはな さきいづる見れば こづゑにも たちつづかれぬ しら雲のいろ (四四五)

はなぶさを つけずしもあらで 山ざくら ほころにぶる こころにくさは (四四六)

 蘭画

山におひて 人きらふらん 花の絵を みかはやうども 書く世なりけり (四四七)

 門柳

陽炎かぎろひの もゆる岡辺に つくる屋の かどの青柳あをやぎ かぜに枝ふる (四四八)

わらぶきに にはとりさけぶ しづかど 一もと柳 ひるしづかなり (四四九)

 青柳風静

うちのぼる 佐保路さほぢのやなぎ なびく見て ふくらむ風に 心づくかな (四五○)

つゆをだに ゆりはこぼさぬ 春かぜを 小枝をえだにもちて なびく青あをやぎ (四五一)

 雲雀

うちふるふ はねも心の すすむには おくるといひて ひばりなくらむ (四五二)

 人にしめす

眼前まのあたり いまも神代ぞ かみ無くば 艸木くさきおひじ 人もうまれじ (四五三)




底本:「新修橘曙覧全集」(株)桜楓社
   1983(昭和58)年5月25日 初版発行