松籟艸筆集 第一集
阿須波山にすみけるころ
あるじはと 人もし問はば 軒の松 あらしといひて 吹きかへしてよ (一)
秋のころ人しげく来にけるにわびて
顔をさへ もみぢに染めて 山ぶみの かへさに来よる 人のうるささ (二)
朝ぎよめのついでに
かきよせて 拾ふもうれし 世の中の 塵はまじらぬ 庭の松の葉 (三)
飛騨国にて白雲居の会に初雁
妹と寝る とこよ離れて 此のあさけ 鳴きて来つらむ 初かりの声 (四)
同国なる千種園にて、甲斐国のりくら山に、雪のふりけるを見て
旅ごろも うべこそさゆれ 乗る駒の 鞍の高嶺に み雪つもれり (五)
世をのがれてのちは、それとたのむべき生業もなく、貧しう物しければ、人もやしなはず、何ざわも自らうちしつつ辛きめのみ見つつすぎにけるを、此のごろひでりうちつづき、汲む井の水涸れぬれば、さらに遠きわたりより妻のくみはこびつつ、苦しともせで物するを、あはれに見なして
汐ならで 朝なゆふなに 汲む水も 辛き世なりと 濡らす袖かな (六)
師翁のはるばる来て、ここに旅居せらるるあひ
だに、敦賀にあからさまに物すとて行給ひける
が、あなたに久しうとどまりおはしければ、ま
ちどほに思ひてかくなむ
角鹿のうみ きよる玉藻を めづらしみ 帰るの山は 忘れましけむ (七)
遅日
のどかなる 花見車の あゆみにも おくれて残る 夕日かげかな (八)
関花
あららかに とがむる人の こころにも 似ぬはせき屋の さくらなりけり (九)
苅萱
敏鎌とり かりしかるかや 葺きそへて 聞かばや庵の あきの夜の雨 (一○)
閑居雪
中々に ふり捨てられて うれしきは 柴の網戸を あけがたの雪 (一一)
舟中雪
枯れのこる 渚の蘆に こぎふれて 散らしつあたら 柴ぶねのゆき (一二)
平泉寺の僧都と万松山にゆくとて、足羽川を舟にてくだりけり、川つづきに見およぼさるる物どもをだいにして、人々歌よみけるに、狐橋を
川岸の 崩れにかかる きつねばし 葦の茂みに 見えかくれする (一三)
閑居月
あばらなる 屋所はやどにて すみわたる 月は我にも さもにたるかな (一四)
捨られて 身は木がくれに すむ月の 影さへうとき 椎がもとかな (一五)
竹内年名が藜もてつくりたる杖くれたる時
仙人の 手ぶりにかなへ 作り出でて 心つきよき つゑにもあるかな (一六)
述懐
なかなかに 思へばやすき 身なりけり 世にひろはれぬ みねのおち栗 (一七)
花ざかりに玉邨江雪のもとにて
あだならぬ 花のもとには たえず来て 年に稀なる 人といはれじ (一八)
都にのぼりて大行天皇の御はふりの御わざ、はてにけるまたの日、泉涌寺に詣でたりけるに、きのふの御わざのなごり、なべて仏ざまに物し給へる御ありさまにうち見奉られけるを、畏けれどうれはしく思ひまつりて
ゆゆしくも ほとけの道に ひき入るる 大御車の うしや世の中 (一九)
むすめ健女、今とし四歳になりにければ、やうやう物かたりなどして たのもしきものに思へりしを、二月十二日より痘瘡をわづらひていとあつしくなりもてゆき、二十一日の暁みまかりける、歎きにしづみて
きのふまで 吾が衣手に とりすがり 父よ父よと いひてしものを (二○)
健女みまかりて後、いくばくもあらぬほどに、山本氏がり府中にものして帰るさ、れいは待むかへよろこべりしをさないがことをせちに思ひいでて
声たてぬ すもりかなしみ ねぐらにも かへりうくする 親鴉かな (二一)
人の刀くれけるとき
抜くからに 身をさむくする 秋の霜 こころにしみて うれしかりけり (二二)
野辺に、藁屋つくりて、はじめてうつりけるころ、妻のかかる所のすまひこそいとおそろしけ
れ聞たまへ、雨いみじうなんふる、盗人などのくべき夜のさまなり、などつぶやくをききて
春雨の もるにまかせて すむ菴は 壁うがたるる おそれげもなし (二三)
父の十七年忌に
今も世に いまされざらむ よはひにも あらざるものを あはれ親なし (二四)
髪しろく なりても親の ある人も おほかるのを われは親なし (二五)
墓にまうでて
慕ひあまる こころ額に あつまりて うちつけらるる 地の上かな (二六)
竹間霰
村竹は ことなしぶなり 砕けよと 風のあられは うちかかれども (二七)
幽人釣春水
吉能川 春のなぎさに 糸たれて 花に鰭ふる 魚をつるかな (二八)
春風に ころも吹かせて 玉しまや 此の川上に ひとりあゆつる (二九)
山家樋
山ざとの かけひの竹を ゆく水も よをばもれては ながれざりけり (三○)
一すぢの ながれをうくる 竹ならで また何をかは おもひかくべき (三一)
山ざとの かけひの水の やりすてて 心とどめぬ よこそやすけれ (三二)
人にかさかしたりけるに、久しうかへさざりければ、わらはしてとりにやりけるに、もたせやりたる
やまぶきの みのひとつだに 無き宿は かさも二つは もたぬなりけり (三三)
野つづきに家ゐしをれば、をりをり蛇など出でけるを妻の見るたびにうちおどろきて、うたて物すごきところかな、といひけるをなぐさめて
おそろしき 世の人言に くらぶれば 逶迱いづる虫の 口はものかは (三四)
母の三十七年忌に〔おのれ二歳といふとしにみまかりたまひしなりけり〕
はふ児にて わかれまつりし 身のうさは 面だに母を 知らぬなりけり (三五)
紙をとぢて、米・薪やうの物をはじめ、日ごとにとりまかなはん物にあづかれる何くれの事、かいしるしおけと人のすすめけるにより、此のおきてはじめたりけり、とぢたる物のうへに、うは書きのかはりに
うるさくは 思ふものから かきつめて あらましすなり あすの薪も (三六)
かくて一月二月ばかりは、こまやかにしるしもてゆきけるがあまりわづらはしさにおこたりざまになりにたり、さて思ふに、おのがさがよ、いかにもてつけなほさんにも、かかることは、えたふまじきなりけり、よしや今はよくもあしくも、おのが心のむきにこそと、とぢたる物をもかたへにうちやりて
夕煙 今日はけふのみ たてておけ 明日の薪は あす採りてこむ (三七)
足羽川のほとりの桃の花ざかりを見やりて
紅藍に 水を纈りて あすは川 神代もきかぬ 桃さきにけり (三八)
早苗
うつぶしに 多くの植女 立ちならび 笠もたもとも 泥にさし入る (三九)
壬子元日
物ごとに 清めつくして 神習ふ 国風しるき 春は来にけり (四○)
帰雁
春かけて 門田の面に 群れし雁 一つも見えず なる日さびしも (四一)
菅原神の九百五十年の御祭に、梅花盛といふ題
をよみて奉りける
うめの 花匂ひ起さぬ かたもなし 東風ふきわたる 春の神垣 (四二)
加賀国山中の温泉にて
たをやめの 袖ふきかへす 夕風に 湯の香つたふる 山中の里 (四三)
秋田家
蚱蜢 うるさく出でて とぶ秋の ひよりよろこび 人豆を打つ (四四)
新竹
稀に来て すがる小鳥の ちからにも ひしがれぬべく 見ゆる若竹 (四五)
戸川正淳が男児うませけるに
ますらをと 成るらむちごの 生ひさきは 握りつめたる 手にもしるかり (四六)
竹
村雀 をどればわれも うかれつつ そよめきたちて ささといふなり (四七)
初秋月
蟋蟀の 声もまじりて 此の夜ごろ 秋づきかけぬ 浅茅生の月 (四八)
苔径月
露しげき 苔ぢにひとり 月をおきて ささるるものか 夜はの柴の戸 (四九)
愛山
人ごころ 高くなりゆく はてはては 山より外に 見る物もなし (五○)
樹間鹿
あはれなり 角ある鹿も たらちねの 柞のかげを 去りうげに鳴く (五一)
公につかふまつるつねの心おきてとなるべき
歌よみてくれよ、と人にこはれて
世の中の 憂きに我身を 先だてて 君と民とに まめ心あれ (五二)
越智通世が妻のみまかりけるとぶらひに
亡き母を したひよわりて 寝たる児の 顔見るばかり 憂きことはあらじ (五三)
木屋四郎兵衛が父のもにこもりをるに
言あらく いさめたまはむ 声をだに 聞かまほしくや せめてこふらむ (五四)
笠原元直が游学のため江戸に物するに
すすめやる まなびの道の 門出でも 今日と聞くには ねぞ泣れける (五五)
佐々木久波紫がことなるみえらびによりて、や
んごとなきめしにあへるに
今日のみの おもておこしに なしはつな 立てむいさをの 末を思はで (五六)
庭なる山吹の、秋花さきけるを見て
黄金色 とぼしき屋所と いふ人に 見せばや秋の 山ぶきの花 (五七)
与女見雪
妹とわれ 寝がほならべて 鴛鴦の 浮きゐる池の 雪を見る哉 (五八)
笠原元直のみまかりけるを悲みて
今日のこの なげきさせむと 同じ世に 魂さへあひて 生れきにけむ (五九)
湖上月
片田舟 かた乗りすなと いさめても 月に心の よる浪路かな (六○)
書中乾胡蝶
からになる 蝶には大和 魂を 招きよすべき すべもあらじかし (六一)
山家
白雲の 行かひのみを 見おくりて 今日もさしけり 蓬生の門 (六二)
落葉深
今朝見れば 簀の子つづきに なりにけり 夜一夜ちりし 庭のもみぢ葉 (六三)
古書ども読み耽りをりて
真男鹿の 肩焼く占に うちどひて 事あきらめし 神代をぞ思ふ (六四)
島崎土夫が子の袴着に
顔にさへ つひによらせよ しどけなく 着なす跨の 皺をさながら (六五)
中根君の江戸よりせうそこし給ける返りことに
雪わけて とのゐしに行く 島の殿 身も消えいりて かなしかるらむ (六六)
人にしめしたる
口そそぎ 手あらひ神を 先づ拝む 朝のこころを 一日わするな (六七)
幽居雪
薄じろく なりてたまれる 雪の上も 汚さで一日 見る庵かな (六八)
跡といふ ものはあらせぬ 雪のうへに 心をつけて 独り見るかな (六九)
辻春生が母のもにこもりをるに
乳ぶさこふ 児のむかしに 身をなして 泣きまよふらむ 母よ母よと (七○)
母なしは 我のみなりと 巣だちする 鶯見ても うらやまるらむ (七一)
河崎致高君の江戸へ行くに
旅ごろも 岐蘇は五百重の 山つづき やどりおくるな 朝出いそぐな (七二)
南部広矛の吾嬬へゆくに
わかれには 涙ぞ出づる 丈夫も 人にことなる こころもたねば (七三)
虎画
聞きしらぬ 獣のこゑも吹きたちて 野かぜはげしき もろこしが原 (七四)
牧笛帰野
思ふこと 無げなるものは はひ乗りて 牛の背に吹く 総角が笛 (七五)
帰り路を 牛にまかせて 我はただ 笛吹きふける 里のあげまき (七六)
古渓蛍
み谷川 水音くらき 岩かげに 昼もひかりて 飛ぶほたるかな (七七)
五月
梅子の うみて昼さへ 寐まほしく 思ふさ月に はや成りにけり (七八)
雨いみじう降りつづきて、人皆わびにわびたりけ
るころ、めづらしうはれそめたる空を見やりて
天地も ひろさくははる ここちして 先づあふがるる 青雲のそら (七九)
馬
鬐を とらへまたがり 裸うまを 吾嬬男子の あらなづけする (八○)
咏十二首内六首
辰
ややたくる 野べの朝日を よろこびて そぞろ飛びたつ いなごまろ哉 (八一)
巳
うつろひて 南にかかる 日の影に なまがわきする 花の上の露 (八二)
午
目にあまる 菜の葉の露の ひるさびし 機おる音も 里にと絶えて (八三)
申
あさりありく 鶏も塒に かへりきぬ 夕食の妻木 をりにかからむ (八四)
酉
夕貌の 花しらじらと 咲きめぐる 賤が伏せ屋に 馬洗ひをり (八五)
戌
長しとは 誰がことならむ 秋の夜も くるればはやく そやの鐘の音 (八六)
絵に竹取の翁かぐや姫に物いひをるところ
あやしくも よごころつかで おはすめり 竹の中には ありしものゆゑ (八七)
薄
女郎花 萩より上に 立ちのぶる 薄けだかく うち見られける (八八)
静処落葉
ちりちりて つもる木の葉の うはじめり 風も音無き 庭となりけり (八九)
遠山見雪
はなれうき 朝床いでて 少女子が 黒髪山の 雪を見るかな (九○)
雪朝
宵に逢へる 人にはあらねど 朝寐顔 むかひくるしき 雪の色かな (九一)
煙草買ふ銭無かりし時
けぶり艸 それだに煙 立てかねて なぐさめわぶる 窓のつれづれ (九二)
蝨
着る物の 縫ひめ縫ひめに 子をひりて しらみの神世 始まりにけり (九三)
綿いりの 縫ひ目に頭 さしいれて ちぢむ蝨よ わがおもふどち (九四)
やをら出でて ころものくびを 匍匐ありき 我に恥見する 蝨どもかな (九五)
屋上霰
音きけば あないたやとぞ うめかるる 身を打ちたたく あられならねど (九六)
竹内甚八郎が江戸へ行くに
おとに聞く とちの木山の 雪なだれ 軽く思ひて あふななだれに (九七)
佐々木久波紫がはじめて江戸へ旅だつに
うれしさも ふたつなからむ 日の本の 宝の山を うひに見むたび (九八)
神まつり
潔や さかきの青葉 すがむしろ 木綿しでなびく 神の広前 (九九)
里人の 群りつどふ 神やしろ うちひびかする 皷いさまし (一○○)
海山の 物をつくして おふなおふな 御饗奉らむ 千座五百座 (一○一)
牡丹
目をうばふ さかりは二十日 ばかりなり 国傾けの 花の色香も (一○二)
水鶏
月も影 ささずなりゆく 古沼に 声をすませて 鳴くくひな哉 (一○三)
扇罷風生竹
思はずも あふぎたたみて 見いれけり 一ゆすりする 風のむら竹 (一○四)
春よみける歌の中に
すくすくと 生ひたつ麦に 腹すりて 燕飛くる 春の山はた (一○五)
夏夜
寝よといふ 鐘はつくとも 一すずみ この小夜風に せではあられじ (一○六)
秋夜
つづりさせ 夜ふけて虫の 呼ぶ窓に 火あかくとぼし あるは誰が妻 (一○七)
冬よみける歌の中に
今朝も来て 枯木の小枝 くぐるかな 雪にあさりを うしなへる鳥 (一○八)
ある時よめる
旦暮に つく鐘の音を 八枚手の ひびきにかへて 聞くよしもがな (一○九)
松の戸にて口よりいづるままに
ふくろふの 糊すりおけと 呼ぶ声に 衣ときはなち 妹は夜ふかす (一一○)
こぼれ糸 纚につくりて 魚とると 二郎太郎三郎 川に日くらす (一一一)
我とわが 心ひとつに 語りあひて 柴たきふすべ くらす松の戸 (一一二)
人みなの このむ諂ひ いはれざる 我もひとつの かたわものなり (一一三)
友無きは さびしがりけり 然りとて 心うちあはぬ 友もほしなし (一一四)
赤穂義人録を見けるとき
影さむき しはすの月に きらめきし 剣おといかに するどかりけむ (一一五)
贈正三位正成公
湊川 御墓の文字は 知らぬ子も 膝折りふせて 鳴呼といふめり (一一六)
燈明寺邨なる、新田義貞公の石碑見まつりて
〔碑面に新田義貞戦死此所としるされてあり
此石のあるわたりを世ににたつかと人よびて
地名のごとくいひならはせり〕
にひ田塚 たたかひまけて うせぬてふ 文字よみをれば 野風身にしむ (一一七)
菅原の神
御涙の 外なかりけむ 誰ひとり 都へいざと いはぬあけくれ (一一八)
鐘の声 瓦の色も 御涙も つくしの空の うさをそへつつ (一一九)
三線
寝おびれて 鳴くうぐひすか とばかりに 弾きかすめたる 物の音のよさ (一二○)
月
人は皆 見さして寐たる 小夜中の 月を静かに 入るる窓かな (一二一)
塩を無くなして、かへかしといひけるに、銭な
くて買ひえざるなり、今日よねをつきをれば、
こぬか出でくめり、そをうりて塩かふべし、しば
らくまちたまへと妻のいふをききて、戯れに
汐のせに はやくかはりて こぬかとは からきになれて いふにぞありける (一二二)
酒人
とくとくと 垂りくる酒の なりひさご うれしき音を さする物かな (一二三)
煖むる 酒のにほひに ほだされて 今日も家路を 黄昏にしつ (一二四)
本覚寺の庭の牡丹花見に物しけるに去年なく
なられし院主のことを思ひいでて
花に来て むつるる蝶の 羽づかひも あるじ尋ぬと 思はれてただ (一二五)
緇素見月
樒つみ 鷹すゑ道を かへゆけど 見るは一つの 野路の月影 (一二六)
遠鹿
迷ひありく 鹿の遠音に 耳たてて 我もめあはぬ 夜を重ねつつ (一二七)
春雨
月のかさ さしもあらじと あなどりし 春の雨にも ぬれつあさ庭 (一二八)
雪朝
雪ふりて 拾ふ落葉の 乏しさに 朝げの煙 たてぞおくるる (一二九)
待子規
まちよわり 母のいさむる うたたねに 夜ふかさるるも ほととぎすゆゑ (一三○)
雪
うばら垣 刺もつ枝も やはらかに なびけて雪の ふりかかりつつ (一三一)
年内立春
む月物 はこぶにはまだ 日もあるを 春はそぞろに たつの市といふ (一三二)
鶯告春
春たつと つげの小櫛も とらせずよ ほのぐらきより 鶯のきて (一三三)
松前鉄之助
蛛の巣に 顔さしあてて 三年まで 簀の子の下に 匍匐ぞかがみし (一三四)
高山彦九郎正之
大御門 そのかたむきて 橋の上に 頂根突きけむ 真心たふと (一三五)
御魚屋八兵衛
誠有れば 地の下にて 鳴く虫の 声も雲井に ひびくなりけり (一三六)
浜田弥兵衛
大湾の 首長とらへて 目の前に 日本人の 所業見せきつ (一三七)
伊勢大宮に、千日詣でといふ事しける笠因直万呂
〔松阪人にて雨龍天王社の神職なり〕
よどみなき 心の中を 宮川や 千といふ日を 渉りすましつ (一三八)
大石良雄
睡りつと あはめられしも 一くさの 名しろとなりぬ ますらをのため (一三九)
山階の 里の柴の戸 しらむにも 我が仇人の ひまやさぐりし (一四○)
間十次郎光興
血つきたる 槍ひきさげて 落くさの 柴のかくれが 我ぞさぐりし (一四一)
大石主税
うつし絵に うつして父の ありさまを 恨む恨むも 泣きし子ごころ (一四二)
近松勘六行重母
剣太刀 焼刀に我と 身をふれて 励ましやりつ 仇ねらふ子を (一四三)
祇園百合女
一つある 葉かげの莟 かき抱き 身を埜に朽たす 姫ゆりの花 (一四四)
芭蕉翁
唇の さむきのみかは 秋のかぜ 聞けば骨にも 徹る一こと (一四五)
嵐雪
内日さす 都のてぶり 東山 寝たる容儀に いひつくしけり (一四六)
塙検校
何事も 見ぬいにしへの 人なれど 涙こぼるる 不尽の言の葉 (一四七)
僧桃水
宿かりし 仏もこころ おかれけむ 鞋つくる 法の師の家 (一四八)
石川丈山翁
比叡の山 ふもとの里に 門とぢて 剣を筆に とりぞ換へつる (一四九)
朱舜水
さくら咲く 皇国うれしく 思ひけむ さつ矢遁れて 来つる唐鳥 (一五○)
武者小路実隆卿
をこになど 煙の末に 思ひしぞ 君の御ゆきに 馳せむとはせで (一五一)
僧湧蓮
疾く起きて つとめぬ身にも しむぞかし 窓にうれしき 在り明けの月 (一五二)
甲斐国徳本
人いかす 心の淵を あすか川 浅せにかへて 世をわたりつつ (一五三)
岡野左内
すがり居し 垣の山吹 飛びはなれ うしろも見ずに ゆく蛙かな (一五四)
売茶翁
木の芽煮て 此のごろ都 うりありく おきなを見けり 嵯峨の花かげ (一五五)
岸玄知
吾が物と おもはむのみを 値にて 銭はとらせつ 野路の梅の樹 (一五六)
千利休
来し君の 朝貌いかに まもりけむ 一つ残しし 花にならべて (一五七)
桃山隠者
吾がためは 径もなさぬ 桃山の 春日のどかに ひとり文見つ (一五八)
玉瀾女
此の筆は 眉根つくろふ 筆ならず 山水かきて 背に見する筆 (一五九)
契沖阿闍梨
もしほやく 難波の浦の 八重霞 やへやへならぬ しわざ立ける (一六○)
筑前国孝子荘助
かれとこれ 片足々に 踏みしめて つひにそむかぬ 両親の言 (一六一)
僧元政
不二の根も 背に負ひ来つる 吾が母の 御蔭の下に 見てや過げけむ (一六二)
池無名
勢田の橋 その人とほく 去りて後 すてし扇を 見ほしがる哉 (一六三)
小沢蘆庵
うらやまし 嵯峨山ちかく 家ゐして 花の便りを 得たる身の上 (一六四)
飛騨国富田礼彦、おほやけのおふせにて、去年
より此の国の堀名といふ山里に物しをる、春ば
かりとぶらひたりけり、ここは近きころ白がね
出づとて、礼彦はじめて其のつかさにまけられ
て、おふなおふないそしみけるにより、日ごと
にほり出だすかすおほくなりつつ、今のさまに
てかんがうるに、つぎつぎふえゆなんずるやう
になりなど物がたるをききて
歳々に さかゆく御世の 春をさて 咲きあらはすか 白がねの花 (一六五)
春さむき 越の山辺に 白銀の 花守りしつつ 庵むすぶ君 (一六六)
夜昼と 手人いざなひ 御つぎ物 掘りうがたする 白がねの山 (一六七)
人あまたありて此のわざ物しをるところ、見めぐりありきて
日のひかり いたらぬ山の 洞のうちに 火ともし入りて かね掘り出だす (一六八)
赤裸の 男子むれゐて 鑛の まろがり砕く 鎚うち揮りて (一六九)
さひづるや 碓たてて きらきらと ひかる塊 つきて粉にする (一七○)
筧かけ とる谷水に うち浸し ゆれば白露 手にこぼれくる (一七一)
黒けぶり 群りたたせ 手もすまに 吹き鑠かせば なだれ落つるかね (一七二)
鑠くれば 灰とわかれて きはやかに かたまり残る 白銀の玉 (一七三)
銀の 玉をあまたに 筥に収れ 荷の緒かためて 馬馳らする (一七四)
しろがねの 荷負へる馬を 牽きたてて 御貢つかふる 御世のみさかえ (一七五)
礼彦がをるところのさうじを見れば、短冊・色
紙やうの物あまた押したり、聞くに此のさうじ
市よりもてくるほどに、途にて薪おはせたる牛
のあへるが、にはかに痛くあれて角ふりたつる
ほどに、さうじに疵つけたりとて、えだちつか
へつる人どもいたうかしこまり、いかがはせん
とわびけるを、礼彦露ばかりも憤るけしきなく、
そのままここにたておきつつ、つきたる疵ども
の上に、紙をおほきくもちひさくも切りてほど
よく押ならべ、自らひとりでにかう画をも歌を
も、おかしう書きすさびたりけるなりとなん、
げに物のつかさとなりては、よろづのことなる
かぎりは、人のあやまちしつらんをも、あなが
ちに責ることなく、見直し聞直しせんこそ、神
習ふおほやけ心にはあらめ、と此のしわざをい
たくほめて
物めぐむ 心獣に 及びつつ 角つきたてし 罪もとがめず (一七六)
礼彦、春になりて故郷より孫生まれけるよし告
げきたりけるを、男児にさへありけり、とよろ
こぶこと限りなし、いかでこのいはひ歌よみて
とを、こふままに
万代の 色ぞ見せける 高山の 松のひこばえ 初みどりより (一七七)
まだ知らぬ 児の拳も かからんと ふとる蕨も うち見らるらむ (一七八)
蕎麦いだしてもてなしけるをあまた食ひて戯れに
蕎麦の実の 角をとりたる あるじぶり 円く居よりて 腹つづみうつ (一七九)
かへりかかりけるに、はるばるおくりきて、今
はわかれむとするに、礼彦はた、ここの任はて
て日を経ずその国に帰るべきなり、ときけば
衣手の 飛騨は百重の 山のあなた 君も又こじ 我も行きえじ (一八○)
君もこじ 我も行きえじと 思へども またゆくりなく 逢ふことも有らむ (一八一)
高山に さかえて立てる 松がえの さかえていませ 千世といふ世も (一八二)
三崎高子、さいつごろ其のもととぶらひたりける
ことありけるに、うつくしき扇とり出しくれなど
しけるを、ほどなううちわづらひてみまかりにた
る、あはれそのをり、かうならむとも思ひたらず、
なに心なうてありけるを、にはかにはかなうなり
ゆき、此扇はたしらずしらず長きよのかたみとな
りぬと思へば、見るに心うちしをれて
君にまた あふぎと思ひしを 今はただ 涙をたたむ 物となりけり (一八三)
秋訪田家
余所人は 見なれぬ里の 一くるわ 稲こきやめて 我をゆびさす (一八四)
秋衣
狩ごろも 縫ひし花ずり 背に着せて 小鷹すゑたる ふりはやく見む (一八五)
暮秋鹿
小牡鹿の 蹄にかかる 今朝の霜 あはれ鳴く音も 消えむとすらむ (一八六)
山家老松
眉白き 翁出で来て 千とせ経る 門の山まつ 撫でほむるかな (一八七)
閑居風
かけがねを かくればはづし はづしして 夜ただ寐させぬ 柴の戸のかぜ (一八八)
田家煙
山ぞひの 鹿猪田につづく はなれ邨 家なみまばらに 立つ煙かな (一八九)
漁村
家々の 窓の火あかし 網むすぶ 手わざに夜をや ふかすなるらむ (一九○)
行路雨
雨ふれば 泥踏みなづむ 大津道 我に馬あり めさね旅びと (一九一)
古寺雨
風まじり 雨ふる寺の 犬ふせぎ しぶきのぬれに うつるみあかし (一九二)
笠原白翁が十月ばかり都へのぼるに
木芽山 雪ふらむ日も 遠からじ 都よしとて 帰りおくるな (一九三)
寺田清遠の父、この四とせばかりわづらひて、
物もいひえず、足もたたでありけるを、清遠
夫婦露怠ることなう夜昼いたはりつかうまつ
りしに、齢七十あまりにて、今年みまかりた
りけるとぶらひに
きのふまで 床の辺さらで ありし身の よるべなみだの ひまやなからむ (一九四)
温かに 着せまつらむと 妹と背が とりし衾も いまはかひなし (一九五)
忘れては 小床なでつつ たらちねの み膝こひしみ 独り泣くらむ (一九六)
咏四時華
朝出でて 夕に還る それならで 芳野の山を うづむしら雲 (一九七)
言ひよれど いなともうとも いはぬ色に 水もながるる 堰出の玉河 (一九八)
松も皆 むらさき色に なりにけり はひまつはれる 総の多さに (一九九)
都への たより絶ゆべき 冬ならで 雪になりゆく 垣根おもしろ (二○○)
ほととぎす 啼きて来ぬべき 夜のさまを 軒に知らせて うち薫りつつ (二○一)
いつもいつも たそがれまちて 匂ふかな 人通はする 宿にもあらぬを (二○二)
露をおもみ 風をまつらむ すがたにぞ みながらなりし 宮城野の原 (二○三)
今朝もまた いぎたなくせし 懈怠を 見おくれたりし 垣根にぞ知る (二○四)
さらぬだに 人の物いひ 嵯峨の野に 紐とき出でて なにぞあだめく (二○五)
ゆひそへし 竹もゆがみて 初霜の おきうげにする 一もとの秋 (二○六)
色匂ひ 品をあらそふ 春秋に 我あづからぬ 花の仙人 (二○七)
風さゆる 冬のはやしに 白雪か とばかり見えて 匂ふものあり (二○八)
寒僕
なりひさご 市より取りて くる酒も おのが夜さむは 温めぬなり (二○九)
降りたまる 霙の中に 足いれて ふるふふるふも 人のしりゆく (二一○)
寒婢
鶏の音に よびおこされて うつ石も とる手わななく 暁の霜 (二一一)
寒燈
ともすれば 沈む燈火 かきかきて 苧をうむ窓に 霰うつこゑ (二一二)
寒猫
埋み火に 夜がれせずなる 老いねこま 霙にぬるる 妻ごひはせで (二一三)
寒枕
冷えいらむ 夜をもいとはで うれしきは さしのべたりし 妹が手まくら (二一四)
雪朝行人
ふたりとは まだ人も見ず 雪しづれ 朝日におつる 杉のした道 (二一五)
煙
あないぶせ 銚子かけて たく藁の もゆとはなしに 煙のみたつ (二一六)
川千鳥
夕浪の よりつかへりつ 磯松の こずゑさわたる 村ちどりかな (二一七)
よればより かへればかへり 夕波の さわぎにつるる 川千鳥かな (二一八)
筑紫人日高万二満が其の国へかへるに
程すぎて 帰らぬ君と 夕占とひ まつらむ妹に とく行きて逢へ (二一九)
雪江晩釣
島山の 色につづきて 釣夫の 着る笠白し たそがれの雪 (二二○)
馬上眺望
鞍橋に 手をうちかけて 駒の足 明石ならねば 須磨にむけさす (二二一)
松田真信、しはすのつごもりの日、子うませ
けるに
一日だに 年のうちにと 鶯の いそぎたりけむ はつ音いさまし (二二二)
安居邨弘祥寺に春ばかり人々とともに行て
すすけたる 仏のかほも はなやかに うち見られけり うぐひすの声 (二二三)
人の、ある山亭に日ごろやどりをる、とぶらひ
けるに、きのふはまろうどあまたありて酒のみ
踊りけうじけるに、ひきかはりて、今日はいと
さうざうしきを、ひとりそこの来ける、いとあ
やにくなることかな、などいひて、いたくわぶ
るけしきなり、おのが心には、さるをりに来あ
はさざりしを、なかなかに身のさいはひぞとひ
とりよろこびつつ、ひそかに
水鳥の 立ちさわぐこそ うたてけれ かばかり清き 山川に来て (二二四)
中根君の、御仕へごとはげしうわたらせられし
さを、いつごろより、すこしのどやかなる道に
ひ入り給ければ、かくてぞしばらく身もやしな
ははれ給んと、よそよりもよろこばれけるを、
またにはかにめされて、あまりさへ遠きところ
へ、はるばる物し給ふこととなりけるわかれに
我がむれに 入れて歌よみ 遊ばむと おもひし君の また江戸へゆく (二二五)
社頭松
斧いれぬ 神の御山の まつの木は 千代にさかゆく 枝葉しげりて (二二六)
荒和祓
明日よりは 夏の暑さも あらびこじ なごみわたれり 瀬々の川かぜ (二二七)
故水戸中納言君の御一周忌に、寄月懐旧といふ
ことをよませ給へるに、よみて奉れる
にはかにも 隠るる月か 筑波山 ことしげき世を 中空にして (二二八)
飛騨国、富田礼彦が五十賀
君と我 いそぢはかくて 経にきけり 百のよはひも いざもろともに (二二九)
初雪
うつくしく ふれるはつ雪 ことの葉の 跡つけつくる やすらはれける (二三○)
春月
打ちなびく 柳のけぶり はづれても 猶うちくもる はるの夜のつき (二三一)
島田良郷みまかりて後、とぶらひに物して
読みさしの 書ちりぼへる 文机の あたりさびしき 窓のうちかな (二三二)
ふるさと人小槌屋善六が八十八賀
知る人の 無くなるが多き 故さとに ひとりある翁 千代もかくもが (二三三)
幽居花
屋所のはな さけば苔路を かき掃きて こてふににたり 春の稀人 (二三四)
遅日
うぐひすも 鳴つかれたる 声させつ 淀川づつみ ながながし日は (二三五)
石
地にいつ 落ちけむ星の 雲の根と なりかたまれる 千引なるらむ (二三六)
佐藤誠が春ばかり江戸へ行くに
うぐひすも つねよりことに 声ひきて 門おくりする 君が朝だち (二三七)
ゆくさきに 見と見む花の 歌袋 肩たゆきまで おもりゆくらむ (二三八)
武蔵野の はてなく待たせ わびさすな 老いませる父 いはけなき児に (二三九)
岡部君の御許より、人してあまたたびめしけれ
ど、いなみまをしければ、来たる人、さらば歌
だによみてたてまつれといひければ、よみける、
時は五月ばかりなりけり
水かさます さ月の川に さす小舟 とにもかくにも のぼりわづらふ (二四○)
勝沢青牛翁の江門へ行き給ふに
ほととぎす のみかは我も 此の朝け 君に別れて なきつ一声 (二四一)
この翁、かなたへ物し給ふこと、あまたたびに
およびけるを思ひて
道すがら 馬ひく子らも 目をつけて また来ませりと 君をいふらむ (二四二)
多田氏に行きて、酒のみて酔ひたるままに寐こ
ろびたりけるが、目さめて見ればあるじをらず、
雨をやみなうそぼふる、あくびしつつあたり見
まはし、自ら茶うちすすりなどして、すべり出
できて
雨の音 聞く聞く寐たる 手まくらの 夢のうちにや 帰り来にけむ (二四三)