君来艸きみきぐさ 第四集

橘曙覧



 二月廿六日〔元治二年乙丑〕
 宰相君、御猟みかりの御ついで、おのが艸蘆さうろに、ゆくりなく入らせ給へる。ありがたしともいふはさらなり。ただ夢のやうなるここちして、涙のみうちこぼれけるを、うれしさのあまりせめて

賤夫しづのをも いけるしるしの あり今日けふ きみましけり 伏屋ふせやの中に (六二○)

 其後、御舘にまうのぼるべう、川崎致高ぬしを御使として仰せごとありけれど、賤しき身のさるたふとき御まへにまうでまつらむことの、せちにかしこく思ふ給へらるる旨きこえまつりてかく

花めきて しばし見ゆるも すずなその 田盧たぶせのいほに 咲けばなりけり (六二一)

 かく聞えあげれれば、かしこくもきこしめしわけさせ給ひ、仰せのむねゆるさせ給ひけるうへに、すずなその田ぶせの庵に、さく花をしひてはをらじさもあらばあれ、といふ御謌あそばし給ひたりけり。ゆほびかなる御心ばせのかたじけなさ、ことにいひ出べうもあらねど、さりとてむなしくやはとてたてまつれる

めぐみの 露をあまたに いただきて すずろ色そふ すずなそのかな (六二二)

 華

師木島しきしまの 大倭やまとごころを みよしのの 花はをしへに よりてさくかは (六二三)

同日おなじひに いひならふべき しなひとつ あやしきまでも きさくら哉 (六二四)

うちつけに 春の真心まごころ さきもらす 花の姿すがたの しどけなきかな (六二五)

かひありと 思はれぬるは 世の中に さくら見くらす 日数ひかずなりけり (六二六)

 鈴屋先生の、敷島の大和心のうたをかしづきをりつつ、なほ漢土もろこし大倭やまとも道の大むねは、同じかるべう思ひまどへる人をさとす

山ざくら にほはぬ国の あればこそ 大和心やまとごころと ことはりもすれ (六二七)

 伊藤千邨主の三回忌に

かたらひし 人のふる声 しのぶ山 なくほととぎす 聞くにつけても (六二八)

 青松院君七十御賀に寄松祝をよま給ふによみて奉りける

脚曳あしびきの み山の奥の 松のかづら とせもかかれ 君がとしの (六二九)

 四月廿四日、加賀国山中に湯あみに物して、大蔵屋仰道がもとになんやどりをりける。仰道あらたに家つくりひろげけるが、からうじて此ごろかうまでにはととのひけるなりとて、新室の謌こひければ

まきばしら ふとしくたてし 家づくり 手うちたたきて ほめたたへ見る (六三○)

人あまた 来入きいりつどひて 夜昼よるひると 千世ちよよろづに にぎははむ家 (六三一)

 仰道、こたび、その国守よりほめられけるよしにて、そのうたこふままに

めしありて つかさのまへに いづる日も つちに手つかぬ ゆるしあるたみ (六三二)

 同じところにて、あけがたに寐ざめて、広き板敷にひとりはひいでて、空うち見やりつつ

いつもかく しづまりてのみ 在明ありあけの 月の如くは 世にすままほし (六三三)

 小曾原をぞはら西応寺やどりあひけるに、春のころ、むすめなくなりて、悲しさやらんかたなうおぼゆるを、そのうたよみてくれよといへるに、あたへたる

あかつける 小櫛をぐし見るにも 少女子をとめごが 黒髪くろかみすがた 忘れかぬらん (六三四)

 高瀬川といふところへ、川せうやうに、仰道にいざなはれ、人々ともに行ける時

とこに鳴く こほろぎ橋を 横に見て ゑひ倒れたる ごこちのよさ (六三五)

 人々酔ゑひくるへるままに、大き石ども力を出して抱きもたげ、川中へうちいれてけうありげにするを見て

ゑひ人の 水にうちいるる 石つぶて かひなきわざに ひぢを張るかな (六三六)

 五月三日の朝、いでたたんといひけるに、仰道、空くらくなりぬ。雨ふるべう思はる。明日にし給へ。今日はかへさじといふ。とかく心まどひして、事はたさざるあひだに時うつり、とどまるともなくてとどまりける。しばらくありて、空やうやううちはれ、こよなきていけになりければ

浮雲うきぐもの たちまよはるる 心より ふらぬあまいみ するやどりかな (六三七)

 人にあとらへられて、此君亭といふことを

一日ひとひだに なかるべしやと ほめられし すがた見あぐる のき旦暮あけくれ (六三八)

 関時雨

須臾しばしとて せきの杉村すぎむら よるかげも なほゆるしなく もる時雨しぐれかな (六三九)

 雲雀

のぼりおり いつことゆくと いふことも あら野のひばり 春すぐすらむ (六四○)

 鶴

紅藍くれなゐの いただきたかく さしのべて いはほうへに つるさけびをり (六四一)

 芳賀真咲はがまさき江門えどへゆくに

太刀たちに すがりこそせね 雪霙ゆきみぞれ ぬれむ旅路に やりたくはなし (六四二)

 宰相君の都に上らせ給ひて、帰り給へるころ、高雄山のなりとて、ちひさき折枝に紅葉のつきたるを賜はりたりける時

高雄山たかをやま みねのもみぢの にしきをば かづきぬといひて 人に誇らむ (六四三)

 菊

秋のきく おのづからなる 花は見で うるさく人の 作りなす哉 (六四四)

山路やまぢにも へつらひあれや 菊のはな 人目にこびて 今はさくめる (六四五)

人のを うるさくからで わが秋を 岩ねにつくす 山ののきく (六四六)

 正月十五日〔慶応三年丁卯〕、おのが家にて謌の会始め物しけるに、青牛翁来たりて、やんごとなき御懐紙とり出し、かついへらく、宰相君の、今日の会ゆかしがらせ給へるあまり、おのれにゆきて、そのありさまを見てまゐり、つばらかに語りきかせよと、の給へる仰せかうぶりけるよと、しめさるる。げにこの君のなににまれ、御心ふかう物し給へる御本性ごほんじやうなるに、深き御とののうちにのみおはしましつつ、しもざまのふるまひ近く見給はんやうの事、ふつにあらざめれば、人々よりつどひ、くつろぎざまに物する円居まどゐのさまなど、御らんじほしうおぼさるらんかし。ここをもて、今日の会のはじめをはりのさま謌によみつづり、青牛翁して御らんじさせそしける。かかることは、をこごとがちに物したるなん、なかなかに御こころにもかなはんことも多からんかとて、わざとかしこまりもおかでれよみにぞよみける

人麻呂ひとまろの 御像みざうのまへに 机すゑ ともしびかかげ 御酒みきそなへおく (六四七)

まうけ題 よみてもてくる うたどもを かみ御前みまへに ならべもてゆく (六四八)

さぐりだい 手にとるやがて 頬杖ほほづゑを つきかかりけり くちたたきやめ (六四九)

ことごとく うたよみいでし 顔を見て やをら晩食ゆふげの 折敷をしきならぶる (六五○)

おいの 飯匕いひかひとりて りたるを 一口ひとくち君に ささげ見まほし (六五一)

たたみかず 狸のものの 広さにて 客人まらうど膝を おしすりてをる (六五二)

あたためて ただ一めぐり さする酒 あかくなりたる 顔つきを見す (六五三)

をせと すすめめぐりて とぼしたる 火もきえぬべく 人めきあたる (六五四)

おのがわざと 曙覧一人ひとりは ひとみちに うたなほしをる 手もうごかさで (六五五)

ふくれば はらむなしくや なりぬらむ 物足ものたらぬげに がかほも見ゆ (六五六)

客人まろうども あるじも 身をぞちぢめをる 下冷したびえつよき せまのうち (六五七)

ふ物は つくる寒さは 強くなる ちひさ火桶ひをけ すがりあらそふ (六五八)

よみいでし うたことごとく とりあつめ かみまへに すゑてぬかづく (六五九)

戸をあけて かへる人々 雪しろく たまれりといひて わびわびぞゆく (六六○)

 南部広矛が筥舘はこだてへ旅立つに
白川の 関より奥に いらむ旅 くれ山くれ 日数ひかずあまたへむ (六六一)

冬は火も こほるとさへに いふわたり かへりおくるな 霜ふらむころ(六六二)

一足ひとあしだに 入れむさきざき 島人を さと日嗣ひつぎの かしこかるゆゑ (六六三)

 閨怨けいゑん

火にはじく たまの音づれ 懼々おづおづも 吾背わがせのゆくへ 人にとはるる (六六四)

荒き波 よる昼おもひ さわがれつ 水漬みづしかばねに 君やまじると (六六五)

くさむさむ かばねと思ひ さだめけむ 君ゆゑきえむ つゆの身のはて (六六六)

させむと 泣児なくこのこころ とる歌も 父は千里ちさとと 声をくもらす (六六七)

とりむ えみしが首を さかなにて 背子せこのませむ 待酒まちざけみつ (六六八)

ほことりて 君ゆきしより 年とせ れど櫛笥くしげを あけし日はなし (六六九)

 初午はつうま

稲荷坂いなりざか 見あぐるあけの 大鳥居おほとりゐ ゆりうごかして 人のぼり来る (六七○)

 春田雨

ふ牛の 背にひたりつく 雨の花 はらはで明日あすも かけよかうすき (六七一)

 大野人布川正興、やよひばかりとぶらひく、その見せける白山百首の中なるうたによりて

ゆるぎけむ 白嶺しらねおろしに いざいざと ふきたてられ 君も来つらむ (六七二)

 そのあくる日、ここの桃花見に物すとて、今滋さそひて出ゆきける、おのれひとり家にのこりゐて

くれなゐの 雪うちはらふ 花のそで かへすがへすも うらやまれける (六七三)

 山口清香が別墅べつしよ二足菴即景

川杙かわぐひに ふれてゆれあふ 浪のせに はねをすりては 小鳥むれたつ (六七四)

 ある時よめる

月艸つきくさの うつりやすかる 心より もとをうしなふ 国人くにびとのさが (六七五)

 某氏の別業べつげふに、よばれてゆきたりけり。主人は知らぬ人なりけり。河津君して、ここの山水のけしき見がてら、一たびきてえさせよと、いひおこされけるにより、ゆきたるなりけり。そのあくる日河津君許より、きのふはいかにありけん。ここちそこなはれなどはせざりしやなど、人してとぶらはれけるかへりごとに

山里やまざとと いへどうるさき ことまじる ただ吾廬わがいほを いでざるがよし (六七六)

 松間鶯

ひきの 在所ありかさぐりて 見る松の しげみいとなく くぐる黄鳥うぐひす (六七七)

 連峰霞

芳野山よしのやま 高ねつづきに たつかすみ れて青根の 薄青うすあをく見ゆ (六七八)

 ある時作る

まうけのみ むさぼる国に 正しかる 日嗣ひつぎのゆゑを しめしたらなむ (六七九)

神国かみぐにの 神のをしへを よろづの 国にほどこせ 神の国人くにびと (六八○)

 閑夜冬月

霜のうへに 冬木ふゆきのかげを うす黒く うつしてふくる 庭中にはなかの月 (六八一)

 夜氷

月かげを こほりの上に はしらせて ※(「さんずい+冗」、第4水準2-78-26)しづみにしづむ はの川音かはおと (六八二)

 海辺雪

松をのみ しほたれさせて あま少女をとめ ゆきに小櫛をぐしを とる朝げかな (六八三)

 伊吹舎いぶきのや先生のかきすて給へりし反古ほぐ一ひら、今の先生よりうけて持つたふるに、うた一つそへてくれよと、芳賀真咲まさきがこひけるにより、よみてあたへたる

これやこの ふみふければ 夜七夜よしちやも でありきとふ 神の筆蹟ふであと (六八四)

 聚蟻

庭潦にはたづみ あまつ時をば しらではと みなごろしには ありもこりけむ (六八五)

かすかなる ありも力を あはすれば 我に千重ちへます 物をゆるがす (六八六)

楯矛たてほこを ふせあだまつ つはものの のりいでくる 土あなの蟻 (六八七)

つちうへに おちちけむ くだものの あまがは[#「襄+瓜」]くろめて 蟻のむらがる (六八八)

むれよびに ひとつはしると 見るがうちに 長々しくも つくる蟻みち (六八九)

ものかげに 穴はかならず よりてほる 蟻はいくさの のりうまくえて (六九○)

縦横たてよこに むれひく蟻の すみやかさ たへに軍の 法をそなへて (六九一)

ありと蟻 うなづきあひて 何か事 ありげにはしる 西へ東へ (六九二)

雨の花 ひとつこぼるる 露のに ありたまりえぬ 石のうへかな (六九三)

 赤心報国

真荒男ますらをが 朝廷みかど思ひの 忠実心まめごころ を血にそめて 焼刃やきば見澄みすます (六九四)

国のため おもやせつる はらわたを 筆にそむとて わが世ふかしつ (六九五)

あだに向き しり[#「ニクヅキ」+「寛」]たたきけむ 古人ふるびとに ならひてこそは くにに仕へめ (六九六)

正宗まさむねの 太刀たちよりも 国のため するどき筆の ほこふるひみむ (六九七)

国を思ひ られざる夜の しもの色 月さす窓に 見るつるぎかな (六九八)

国汚す やつこあらばと 太刀抜て あだにもあらぬ かべに物いふ (六九九)

松葉まつのはの よるおつるにも 耳たてつ 枝ならさざる とはおもへど (七○○)

 ひとりごとに

幽世かくりよに いるとも吾は 現世うつしよに あるとひとしく 歌をよむのみ (七○一)

歌よみて 遊ぶほかなし 吾はただ あめにありとも つちにありとも (七○二)

 真宗寺刀自とじ君、夫君に後れてのち、小きいほ作りて、ひとりかきこもらるる菴の名を、おのれにつけてくれよとあるにより、合掌庵としたまへといひて、ついでにうた

あはすらむ 手つきのさまも いさぎよく 壁さす月に ながめらるらむ (七○三)

 かけはし民也の許にゆきけるに、むすめの琴とりてくみといふもの、ことさらにひきてきかせければ

うつくしき 声とはききつ 山とめで 水とほめけむ 耳はもたねど (七○四)

 久しくわづらひてありけるころ

おろかにて やみがちにする 老人おいびとは 世にあるもありと 思はれなくに (七○五)

 二月廿六日〔慶応元年丙寅〕、今日は宰相君の、去年、伏屋ふせやに入らせ給へりし日なるをとて、ことさらに、ぬち掃ひきよめ、御舘のかた、はるばる拝みまつりなど、せめて物しける時

あなかしこ 思へば去年こぞの 今日なりき 葎生むぐらふわけて きみましし (七○六)

 御簾中ごれんぢゆう君の御母君の六十一の御賀のうたつかうまつるべく、仰せありけるにより、よみてたてまつる

少女をとめさび かくてかへり ももかへり くり返しませ としの緒手巻をだまき (七○七)

 なが月ばかり、
宰相君の東郷山にたけがりせさせ給ひ、御みづからとらせ給へりしたけ、あまた賜はらせける、いとありがたく戴きまつりて

秋のを ひろげたてつる 松のかさ いただきまつる もろ手ささげて (七○八)

 三丸殿のおもと人たちの、大安寺にまうで給ひぬとて、かの山の松たけあまたたまはりける、せうそこして、よろこびきこえけるついでに

秋ふくる 西の山寺やまでら いかなりし 岩がきもみぢ そむるそめざる (七○九)

秋のかを さとうちもらす いへづとに 君が山路やまぢの あそびをぞ思ふ (七一○)

 野村恒見、子多くもちたれど、皆むすめのみにてありけるを、たび生れたりけるうひ孫なむ、めづらしう男児にてありけりと、いふをききて

君が家に まれに生るる 男児をとこごの 立つるうぶごゑ 勇ましきかな (七一一)

 辻春生がはじめてみやこに物するに

ことにのみ ききすぐしけむ みやこがた 見まさりすらむ 目をつくるより (七一二)

 河野通雄が刀き、氏名うぢなよぶことを、おほやけよりゆるされけるいはひに

ゆるされて つるぎとりく 民のをさ 民はぐくみに ふるへごころ (七一三)

うけばりて 世にうぢの名を よぶことを 許し給ひき 河野かうのうぢの家 (七一四)

 おのが草蘆さうろの中にひそみをりつつ、心のうちにひとりたのしと思ふことの朝夕おのづからありけるを、をりをりそぞろによみうかびたる謌のつもれりけるを、青牛翁見て、これ書つらねてくれよと、いはれけるにより。書てまゐらせけることの有けるを、翁、
宰相の御まへにもていで、御らんぜさせられけるを、御意ぎよいにやかなひたることのありけむ、このえせ謌のすがたにならはせ給ひ、かしこくもよみいで給ひて、これ曙覧に見せよと、の給へりしよし、翁うけたまはりつたへ、御謌見たてまつることとなりけるを、いたくかたじけなく、更によみてまつれる

雀等すずめらが さへづりごとに 大鳥おほとりの 声あはせむと 思ひかけきや (七一五)

こころき 雀鷦鷯ささぎの さへづりを なに風ふきて そらにつたへし (七一六)

 そぞろによみいでたりける

人臭ひとくさき 世にはおかざる わがこころ すみかを問はば 山のしら雲 (七一七)

はしたてて いつかのぼらむ 短山みじかやま 高山神たかやまがみの いますいほりに (七一八)

人の目に 見えぬ高山たかやま 短山 神のいほりを のぞくよしもが (七一九)

たいといふ たくはなるれば 天地あめつちと 我のあひだの 垣一重ひとへなし (七二○)

天地あめつちの あひだへだて なきたまを しばらくたいの つつみをるなり (七二一)

物皆ものみなを 立つ雲霧くもぎりと 思へれば 見る目ぐ鼻 幽世かくりよと同じ (七二二)

幽顕よみうつし 一重のせみの もさへず 人のもたぬ わがまなこには (七二三)

美豆山みづやまの 青垣山の 神樹葉さかきばの 茂みが奥に 吾魂わがたまこもる (七二四)

嚴凝いつごりと 神習かむならひゆく 斯吾魂このわがたま いよよますます 嚴凝いつごりしてむ (七二五)

 海浦妙泉寺日穂法師の、そのわたりにてとれる紫菜しさいを、手づからいとうつくしき物につくり出けるを、自らもてきてくれたりける、見るに色にほひ麗しく、あぢはひこよなし。この紫菜てふのりの大王のやうにたふとびいふめる浅草あさくさのなどよりも、遥かに品あがりてさへなんある。はじめもらひけるほどに、これかれの人にわかちやりたるを、とりかへさまほしうさへ思ひなりぬるばかりなるも、わりなきしうとなむ。日かずへて、よろこびを便たよりにつけて

いぶかしや のち五百年いほとせ すぎぬれば かかるたへなる のりさへにいづ (七二六)

三世みせのこと 知りとほるてふ ほとけすら とかざるのりを さづく我等に (七二七)

 内田君のもとより、唐紙・からの扇おくりたまはりけり。使つかひのをの子に、このよろこびみづからゆきてきこえんと、いひつかはしければ、またふりはへ使つかひおこせて、さては中々に、そこをわづらはするなかだちとなり、大かたの世人めきてをかしからず。かならずくなと、いひおこせられければ、ゆかで、うたをもたせてやりたりけり、雨そぼふる日にてぞありける

のどかなる 雨のおとづれ ききめでて いでぬことには なしつ柴戸しばのと (七二八)

 失題

なにわざも わが国体くにがらに あひあはず いたおもみし 物すべきなり (七二九)

まのあたり たよりよげなる 事がらも のちいたりて さあらぬが多し (七三○)

おそるべし 末世すゑのよかけて 国体くにがらに 兎毫うのけばかりも きずのこさじと (七三一)

ことにより かれ善事よきこと もちふとも こころさへには うちかたぶくな (七三二)

そのわざを とり用ふれば おのづから 心もそれに うつる恐れあり (七三三)

のまへの 事いふならず まがつみの のこらむ末の 世を思ふなり (七三四)

いさぎよき 神つ国風くにふり けがさじと こころくだくか 神国かみぐにの人 (七三五)

 武士もののふ

たふとかる 天日嗣あまつひつぎの 広き道 までき道 ゆくな物部もののふ (七三六)

真心まごころと いはるべしやは 真ごころも 正しき道に よらでつくさば (七三七)

大綱と 天日継あまつひつぎを まづとりて もろもろの目を む国と知れ (七三八)

天皇すめらぎに 身もたな知らず 真心まごころを つくしまつるが わが国の道 (七三九)


底本:「新修橘曙覧全集」(株)桜楓社
   1983(昭和58)年5月25日 初版発行