春明艸 第三集
橘曙覧
正月ついたちの日、古事記をとりて
春にあけて 先看る書も 天地の 始の時と 読いづるかな (四五四)
名所立春
八雲たつ 出雲の国の 手間の山 なにのてまなく 立つ霞かな (四五五)
春雪
白ゆきの ふる木とまたも なしてけり 芽はると見しを 春の青柳 (四五六)
茶つみの謌、金屋氏のこひによりて
茵華(つつじばな) 匂ふ少女が 玉手もて 摘みつる春の 木芽めしませ (四五七)
佐野君の、艸戸おどろかし給へりけるをよろこびて
君としも 知らで足おと 門にせし 駒迎へにも はしらざりけり (四五八)
青牛翁の許より消息に、此ごろそこの来けるに杖つきてものせりと、下部の者告たりき。ひがめにさ見けるにや。はた、さいつころよりここちつねのやうにはあらで、物せらるるよし聞をれば、いかにか、更になやましきけのそひたるなどにはあらじかと、いと心がかりになん思ふと、いひおこされけるに
目くるめく 老の坂路に たふれざる さきにと思ひ つきしなりけり (四五九)
春駒
陽炎の もゆる春野の 荒ごまは あれさせてこそ のどか成らめ (四六○)
春よみけるうたの中に
村雀 軒端をめぐる さひづりも 花ある朝は こゑいさむめり (四六一)
海浦妙泉寺とぶらひける時
所がら 入相のかねも 浦風に うちさらされて ひびく山寺 (四六二)
魚多き 浦辺にいりて 魚食はぬ 寺にやどりつ 二夜さへにも (四六三)
なまぐさき 里わけきつる 袖の臭に 叩きはばかる 山寺のかど (四六四)
群盲評古図
花もみぢ 見知らぬ色の うはさをば こころごころに さぐりてはいふ (四六五)
星
大空に ならべるよりも 人心 ものほしほしの 数やしげけむ (四六六)
美人撲蝶図
うつくしき 蝶ほしがりて 花園の 花に少女の 汗こぼすかな (四六七)
蝶うつと せし手はづれて 御園生の 花うちこぼし 立つ少女哉 (四六八)
人妬く おもふ心を 花ぞのの 蝶にうつして 臂は張るらむ (四六九)
敗荷
茎折れて 水にうつぶす 枯蓮の 葉うらたたきて 秋雨ふる (四七○)
夜山
影垂るる 星にせまりて 薄黒き 色たたなはる おぼろ夜の山 (四七一)
漁楽図
網すてて 葦間の月を 寐つつ見る 舟はもて去る 風ふかば吹け (四七二)
揩痒虎図
寐まどひて 胸かく虎の 身ぶるひに 小篠風もつ 岨の岩かげ (四七三)
雲荘畊隠図
吾庵を 外山の雲の 末に見て 小雨ふる田に 牛ぬらすかな (四七四)
雲閉る 松の戸出て 垣つ田の 暖かなるに 耒をとるかな (四七五)
升龍図
のぼるらむ 勢波を ゆりたてて 摩る墨ながす 海ばらの雲 (四七六)
老檜図
岩走る 滝もはふ根の 下行て 雲に枝さす 檜おそろし (四七七)
青松白鶴
香青なる 松の末葉に 白妙の 羽うちつけて 鶴舞めぐる (四七八)
白きはね 青葉がくれに 打たたみ よそにうつらぬ 松の上の鶴 (四七九)
万竹図
ありと有る 竹に風もつ 谷の奥 水の響を そへて鳴くる (四八○)
河隈の 巌に根はふ 竹と竹 なびきぞ回る 水を狭めて (四八一)
澗めぐり 流るる水を はるばると 靡きおくりて つづく竹かな (四八二)
滑らかに 露もつ苔路 風ありて 下陰くらき 竹の奥かな (四八三)
咏松
竜鱗 苔さへむして 白雲の 底に根ばへる 奥山のまつ (四八四)
疎竹三禽図
茂からぬ 一もと竹の 細き枝に 乗りて親まつ 雀の児みつ (四八五)
山がらと 雀と二つ 今一つ 何鳥なれか 竹くぐりをる (四八六)
竹の霜 うちとけ顔に 頭三つ 集めてかたる 友すずめかな (四八七)
竹の霜 とけて雀の 睡るかな 三つ一枝に 羽をまろめて (四八八)
臨水梅
花着て 水に浸れる 岸のうめの 枝をくぐりて 魚はしりくる (四八九)
山中
樵歌 鳥のさひづり 水の音 ぬれたる小艸 雲かかるまつ (四九○)
塩場図を唐の心ばへにならひて
夕食には あらぬ煙を 立させて 空にぎはひを さする塩竃 (四九一)
雨漏て はては倒れむ 蜑が屋を 火に焚くまでに ふやす塩竃 (四九二)
桂焼き 玉かしがする 年ごろを 藻塩の煙 わびやたつらむ (四九三)
背面美人図
深見艸 こちむきがたき 癖をば あやしくもちし 花にもある哉 (四九四)
美しき 黒髪たれに こころをば とられて横も ふり見ざるらむ (四九五)
み額の ひかりこなたに さすごあらば 其暁も まちぞ遂べき (四九六)
ふりかへる 片頬をだにと 見たがらせ 人をも後 むかせざりける (四九七)
画石
筆採りて 五日経にけむ 明がたに ほのぼの石の 形見せけむ (四九八)
煮泉図
涌く清水 岩根ながるる 雲汲みて 鶴飛ぶ山に 松風を煮る (四九九)
つもりたる 落葉掃ひて 木の芽煮る ばかりの水を 岩間にぞとる (五○○)
歳寒三友図
霜千たび 故人あへり 玉刀自 髯ある翁 なよびたる君 (五○一)
松風酔帰国
吹おろす 風の松の葉 髯につけ 手ふり顔ふり 帰る酔人 (五○二)
帰るそら 狂ひまどひて 酔る顔 まつのあらしに すまひつつ行 (五○三)
蟻
大瀾を 反す堤の 崩れをも 引いだすこと ありの土あな (五○四)
雪竹図
薄白く なりたるのみの 雪の竹 斜めならざる すがたとぞ見る (五○五)
雨竹図
一そそぎ 濺ぎし 雨に所せく 重なりあひて なびく竹かな (五○六)
露竹図
白露の たまたま落て 枝振ふ 竹のしづくを 窓にもてくる (五○七)
風竹図
静なる 態にしばし 返るまも あらしに竹の くるひめぐれる (五○八)
懸崖菊図
花あまた 岩根によりて 咲さかる 菊高く見て わたる渓水 (五○九)
剣
福艸の 三尺に余る 秋の霜 枕辺におきて 梅の香を嗅ぐ (五一○)
牡丹
置あまる 露の匂ひも 深見草 花おもりかに 立ぞふりまふ (五一一)
北潟といふ里のわたりに、いたづらに広き入江のあるを、行末田に墾らんため、近き空地の土を掘りとり、此江填させんとする、いそぎどもあるを、今年は年凶くて産業に乏しき民どもなどはほとほと飢もすべからん勢ひなるを、思ひ歎かせ給ひ、さる扶けともなれかしと、貧しともまづしき限りをよびよせて、この土はこぶわざをせさせ、銭たぶべし、との命くだりけるにより、其こと見あつかふ司人として、南部広矛さいつごろより、彼処に在る。せうそこするついでに
痩せ姿 さぞな見るめも うき中に おり立てこそ 君すくふらめ (五一二)
其ころの事なりけり。浦べにて捕りたるなりとて、鮒あまた人に持たせておくりくれたる。さるわたりにて、事しげからん中にも、かくまでに物したまはる心の底ふかく汲とられて、うれしうおぼへらる
老が手に えとらへかねて はねめぐる 藻臥束鮒 見ぞおどろきし (五一三)
この中に二つといふものは、ことに能く動くやうなりければ、物に水いれて、放ちおきけるに日を経て、ますます勢づきけるを見る見る
網いれむ 恐れわすれて 游べかし 水とぼしくて 住うかりとも (五一四)
静なる こころの友と 見をるかな 鰭ふる魚に 我もまじりて (五一五)
わざをなみ 静にあそぶ 魚ぞ善き 夜中暁 いつ見てもはた (五一六)
戯れに
吾謌を よろこび涙 こぼすらむ 鬼のなく声 する夜の窓 (五一七)
灯火の もとに夜な夜な 来たれ鬼 我ひめ歌の 限りきかせむ (五一八)
人臭き 人に聞する 謌ならず 鬼の夜ふけて 来ばつげもせむ (五一九)
凡人の 耳にはいらじ 天地の こころを妙に 洩らすわがうた (五二○)
吾妻屋野梅がむす子の、をとな姿になりたるに
我よりも 高くなりたる 男ぶり よろこぶ親の 心たふとめ (五二一)
春水満四沢
道の辺の 桑の立木も 沢水の 中になりたり 春の雪解 (五二二)
示人
君臣 品さだまりて 動かざる 神国といふ ことをまづ知れ (五二三)
首夏
若葉さす ころはいづこの 山見ても 何の木見ても 麗しきかな (五二四)
さびしかりける日
ほしかるは 語りあはるる 友一人 見べき山水 ただ一ところ (五二五)
かたる友 見べき山水 一つづつ それだにあらぬ 此の世此くに (五二六)
山本君の丹巌洞によばれて
つらなれる 山見てすがる 欄干に 肝つぶさせて 飛ぶ魚のおと (五二七)
里梅
風のうめ 斜にふきて ちりぞ入る 藁うつ戸口 牛吼る窓 (五二八)
里に入る すなはち匂ひ かがせつる 梅に来にけり 石ばしの爪 (五二九)
秋になりたる空ながめやりて
秋たつや 先すみわたる こころには 月もおくるる 物とこそ見れ (五三○)
山家積年
杉菴 すぎておもへば 世の外の 山の月日も 短かかりけり (五三一)
山にても なほうき時は いづこへと 迷ふ心も もたえて幾とせ (五三二)
歳あまた 累りきつる 軒の雲 はれよかしとも 今はおもはず (五三三)
老の身の ゆく末かけぬ かけ作り よろぼひつつも 山に在へぬ (五三四)
竹久友
朝夕の まじはり深く しげりゆく 竹ならはばや 重ぬらむ世も (五三五)
狛君の別墅二楽亭
広き水 真砂のつらに 見る庭の ながめを曳て 山も連なる (五三六)
早梅
ところせく 香をもつ梅に せまられて あるにもあらず 年も成けむ (五三七)
春をいそぐ 心さこそは うかれけめ 花笠ぬひて 梅くるひいづ (五三八)
田蛍
夜もなほ ほたるのかさを 引く水の うへにあらそふ 小田のつづき哉 (五三九)
池蓮
しづまれる 華うごかして 夕蛙 はす咲く池を とびくぐるかな (五四○)
早梅
手かくれば 匂ひ起しつ おりたちて 春といはれぬ 梅には有ども (五四一)
静見華
木の本に もろ膝くみて 苔むしろ さくら見る日に しく物ぞなき (五四二)
閑対泉石
山たかみ 雲吐く岩根 ゆく水は 翅ひたしに 来る鳥もなし (五四三)
三丸殿のおもと人師子君、かねて歌みせなどし給へりし物から、いまだたいめせでありけるを、今日はじめて艸廬おどろかし、今たび殿中のみつかへしぞきて、東にかへり給はんとのあらましなるよしつげ給へる。あふとわかると、うれしさかなしさ、なにとも思ひまどはしくて
逢ふからに わかれを告て 人をかく わびさせにくる 心なになり (五四四)
府中の青木夏彦とぶらひたりけるに、なくなりし父翁のこといひいでて、袖うちしぼる。こぞの秋ばかり、此家にやどりをり、朝とくおき出たりけるに、隻鶴翁きて、今おのがかたに、湯わきてはべり。茶一つまゐらすべし。いで来給へとて、いとよくもてなされしことなどありけるを、おもひいでて、おのれもともにうちなかれつつ
窓のうちに 我をよび入れ 朝目よく 木芽にやして くれし君はも (五四五)
問よれど われをまつ風 音もせず 釜の上しろく 塵たまりつつ (五四六)
おのがすみか、あまたたび所うつりかへけれど、いづこもいづこも家に井なきところのみにて、妻して水汲みはこばすることも、かきかぞふれば廿年あまりのとしをぞへにける。あはれ、今は、めもやうやう老にたれば、いつまでか、かくてあらすべきとて、貧しき中にもおもひわづらはるるあまり、からうじて井ほらせけるに、いときよき水あふれ出づ。さくもてくみとらるべきばかり、おほうあるぞいとうれしき。いつばかりなりけむ。しほならであさなゆうなに汲む水も、からき世なりとぬらす袖かなと、そぞろごといひけることのありしが、今はこのぬれける袖も、たちまちかわきぬべう思はるれば、この新しき井の号を袖干井とつけて
濡しこし 妹が袖干の 井の水の 涌出るばかり うれしかりける (五四七)
紅葉勝華
花といへど ほとほとまけも すらむかし そめてこがるる 秋山のいろ (五四八)
世の中のありさま思ひなげかれて
せめておちし 涙もいまは 尽はてて 空うちにらみ から泣をする (五四九)
府中にものして貴志氏にやどりをりけるころ、佐々木久波紫主、角鹿に物すとて、此里すぎられ、ことさらにおのれをとぶらはる。その夜、ここなるたれかれと、もろともに夜ふくるまで物語りしをりつつ、わかれむとする時
中々に おとづれをだに せでゆかば 別れむうさも 知らであらましを (五五○)
短册ばこに歌かきてとこはれて
いつはりの たくみをいふな 誠だに さぐればうたは やすからむもの (五五一)
しきしばこにも
すずり石 きしらふ音を 友にして 謌かきつけつ 今日も日ぐらし (五五二)
独楽吟
たのしみは 艸のいほりの 莚敷 ひとりこころを 静めをるとき (五五三)
たのしみは すびつのもとに うち倒れ ゆすり起すも 知らで寐し時 (五五四)
たのしみは 珍しき書 人にかり 始め一ひら ひろげたる時 (五五五)
たのしみは 紙をひろげて とる筆の 思ひの外に 能くかけし時 (五五六)
たのしみは 百日ひねれど 成らぬ謌の ふとおもしろく 出きぬる時 (五五七)
たのしみは 妻子むつまじく うちつどひ 頭ならべて 物をくふ時 (五五八)
たのしみは 物をかかせて 善き価 惜みげもなく 人のくれし時 (五五九)
たのしみは 空暖かに うち晴し 春秋の日に 出でありく時 (五六○)
たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無りし花 咲ける見る時 (五六一)
たのしみは 心にうかぶ はかなごと 思ひつづけて 煙艸すふとき (五六二)
たのしみは 意にかなふ 山水の あたりしづかに 見てありくとき (五六三)
たのしみは 尋常ならぬ 書に画に うちひろげつつ 見もてゆく時 (五六四)
たのしみは 常に見なれぬ 鳥の来て 軒遠からぬ 樹に鳴しとき (五六五)
たのしみは あき米櫃に 米いでき 今一月は よしといふとき (五六六)
たのしみは 物識人に 稀にあひて 古しへ今を 語りあふとき (五六七)
たのしみは 門売りありく 魚買て 烹る鐺の香を 鼻に嗅ぐ時 (五六八)
たのしみは まれに魚煮て 児等皆が うましうましと いひて食ふ時 (五六九)
たのしみは そぞろ読ゆく 書の中に 我とひとしき 人をみし時 (五七○)
たのしみは 雪ふるよさり 酒の糟 あぶりて食て 火にあたる時 (五七一)
たのしみは 書よみ倦る をりしもあれ 声知る人の 門たたく時 (五七二)
たのしみは 銭なくなりて わびをるに 人の来りて 銭くれし時 (五七三)
たのしみは 世に解がたく する書の 心をひとり さとり得し時 (五七四)
たのしみは 炭さしすてて おきし火の 紅くなりきて 湯の煮る時 (五七五)
たのしみは 心をおかぬ 友どちと 笑ひかたりて 腹をよるとき (五七六)
たのしみは 昼寝せしまに 庭ぬらし ふりたる雨を さめてしる時 (五七七)
たのしみは 昼寝目ざむる 枕べに ことことと湯の 煮てある時 (五七八)
たのしみは 湯わかしわかし 埋火を 中にさし置て 人とかたる時 (五七九)
たのしみは とぼしきままに 人集め 酒飲め物を 食へといふ時 (五八○)
たのしみは 客人えたる 折しもあれ 瓢に酒の ありあへる時 (五八一)
たのしみは 家内五人 五たりが 風だにひかで ありあへる時 (五八二)
たのしみは 機おりたてて 新しき ころもを縫て 妻が着する時 (五八三)
たのしみは 三人の児ども すくすくと 大きくなれる 姿みる時 (五八四)
たのしみは 人も訪ひこず 事もなく 心をいれて 書を見る時 (五八五)
たのしみは 明日物くると いふ占を 咲くともし火の 花にみる時 (五八六)
たのしみは たのむをよびて 門あけて 物もて来つる 使えし時 (五八七)
たのしみは 木芽瀹して 大きなる 饅頭を一つ ほほばりしとき (五八八)
たのしみは つねに好める 焼豆腐 うまく烹たてて 食せけるとき (五八九)
たのしみは 小豆の飯の 冷たるを 茶漬てふ物に なしてくふ時 (五九○)
たのしみは いやなる人の 来たりしが 長くもをらで かへりけるとき (五九一)
たのしみは 田づらに行し わらは等が 耒鍬とりて 帰りくる時 (五九二)
たのしみは 衾かづきて 物がたり いひをるうちに 寝入たるとき (五九三)
たのしみは わらは墨する かたはらに 筆の運び 思ひをる時 (五九四)
たのしみは 好き筆をえて 先水に ひたしねぶりて 試るとき (五九五)
たのしみは 庭にうゑたる 春秋の 花のさかりに あへる時々 (五九六)
たのしみは ほしかりし物 銭ぶくろ うちかたむけて かひえたるとき (五九七)
たのしみは 神の御国の 民として 神の教を ふかくおもふとき (五九八)
たのしみは 戎夷よろこぶ 世の中に 皇国忘れぬ 人を見るとき (五九九)
たのしみは 鈴屋大人の 後に生れ その御諭を うくる思ふ時 (六○○)
たのしみは 数ある書を 辛くして うつし竟つつ とぢて見るとき (六○一)
たのしみは 野寺山里 日をくらし やどれといはれ やどりける時 (六○二)
たのしみは 野山のさとに 人遇て 我を見しりて あるじするとき (六○三)
たのしみは ふと見てほしく おもふ物 辛くはかりて 手にいれしとき (六○四)
秋のころ賤嶽にのぼりて
血になりし 昔おもへば なまぐさき 色とぞ見なす 秋の梢も (六○五)
旅にて
今朝見れば あかきもみぢに 霜ふりて 秋風さむし 岨のかけ道 (六○六)
養老瀑布見に物して、岩根に腰かけなどしつつ、あたりを見めぐらすに、なべて人げんの世かいはなれたるやうにおぼえらる
こくたちし 人かあらぬか 岩ばしる 滝よりおくに たきぎこるおと (六○七)
伊勢外宮にまうで頂根突きをりつつ
一日だに くはではあられぬ 御食たまふ 御めぐみ思へば 身毛いよだつ (六○八)
内宮にまうでて
おはします かたじけなさを 何事も しりてはいとど 涙こぼるる (六○九)
御ひかりを 朝夕うくる 御めぐみは 身を粉にすとも むくひえられじ (六一○)
山室山にのぼりて鈴屋先生の御墳拝みて
宿しめて 風にしられぬ 花を今も 見つつますらむ やまむろの山 (六一一)
おくれても 生れし我か 同じ世に あらば履をも とらまし翁に (六一二)
みやこにのぼりてありけるころ、山紫水明処といふはなれやにやどりをりて
むらさきに 匂へる山よ 透とほる 水の流れよ 見あく時無き (六一三)
山紫水明処に在ける程なりけり、大田垣蓮月尼の急注かしくれけるを誤りわりたりけるをわびて
ゆく水の ゆきてかへりぬ しわざをば いひてはくゆる 鴨の川岸 (六一四)
早鶯
呉竹の 葉山がくれの 枝うつり 羽音ばかりは させつうぐひす (六一五)
風光日々新
あらはして 日々に入たつ 春の色を いつはらざりき 梅ややなぎは (六一六)
痩馬図
見るめなく 脊梁すぼれる 痩馬の 鬣みだし 秋かぜに鳴く (六一七)
逸馬図
溢るらむ 力ほこりに みをやきて 蹄蹴たつる つなぎうまかな (六一八)
洗馬図
馬あらふ 西の厩の 柳かげ 落星みみを うちふりて立つ (六一九)
底本:「新修橘曙覧全集」(株)桜楓社
1983(昭和58)年5月25日 初版発行