わたしはすっごく嘆いてます。
どうしようもないほど惨めで、暗くなった今の世を。
えぇもう、本当にどうしようもない。
だって昼がどんどん短くなって、夜の長さが倍近くになったのだから。

『いずれ、太陽の出ている時間が完全に無くなるのではないか?』
そんな報道までニュースキャスターの口から飛び出して、
居間でテレビを見ていた両親はシュンとなったみたい。
「これから……この国はどうなるのよ」
「夜になるまで、精々がんばって働くしか無いだろうな……」
「何を言ってるの!あなたはもっと自分の心配をして。それに……あたしは嫌ですからね。会社でゾンビに混じって働くなんて」
「別に、身体の弱いおまえにまで働けとは言わないよ」

ただ夜が長くなるだけなら、まだ救いはあったのに。
政治家や、あるいは科学者の皆様方がなんなりと対処しましたでしょうよ。
ところが、夜間に『ゾンビ』がはびこるようになったからさあ大変。
昼から夜への移り変わりは、現実がファンタジーへ傾く現象となりました。
これじゃどこも慌てるばかりで、外交国もろくに援助してくれない。
対策が追いつかないのも納得です。

それでもまだ、夜は増していく。
病的な勢いで黒い時間が増えていくから、世界も人も、病んだだけ。
そう。ゾンビというのは差別用語で、所詮は思いっきり病んでしまった人のこと。
眼球が飛び出し、肉がただれ、皮膚が緑色になって理性が幾らか飛ぼうと人は人でしょう。
そう。彼らが人であるから問題なのよ。
どうしてじゃみんな、その問題の解決法に気付かない。
もはや傾く、なんて言葉では生温かった。
少しづつ日常が取って代わられる感触、それがわたしには心地良いのだけど、ね。


「いいか。『腐臭病』は完治しない病気じゃないんだ」
「そう言うあなた自身、政府を信じているようには見えないけど……」
「信じるしかないじゃないか!」
「……ごめんなさい。そうね、きっと治るわよね。個人差があるもの」

眼鏡をかけてちょっぴり禿げ気味なのがうちの父で、ゾンビ候補のほう。
痩せて、鬱気味なのがうちの母。
二人は居間の質素なソファに座っている。どっちもまだ若いのに、このところ情緒不安定。
つまり、いたって正常なの。
ゾンビが日常的に現れる社会でまともだったらまともとは言えないでしょう。
わたしは少し離れた食卓の椅子に座り、海老フライの尻尾をくわえたまま両親のやり取りをじっ、と見ていた。

母がついに『ゾンビ』という単語を口にしたのが何より新鮮。
『あんな状態』の男性は、そう呼んでしまったほうがしっくり来る。ついに認めたか。
わたしはニヤリと独りで笑う。本当は声をあげて笑いたかったけれど、
哀れみのある目で見られるのはこの上も無く癪。それなら笑う労力ってものが惜しい。

わたしはぺっと、皿へ尻尾を吐き出した。そのまま窓のほうへ視線をもっていくと、
外がもう薄暗くなってる。居間の天井近くにある時計はまだ午後三時だっていうのに。
あ、そうか。もう三時なの。

リリリリリ リリリリリ

我が家じゃテレビの上に置かれている電話がけたましく鳴り出す。
数歩で受話器をとれるのに、誰も電話に出ようとしない。
いいえ。恐らくはお隣の山田さん宅も、そのまた隣の佐藤さんだったか鈴木さん宅もそうであり、
今頃は電話がうるさく鳴っているはず。

美人のニュースキャスターはすっかり慣れたのか、いたって冷静にお決まりの台詞を言う。

「間もなく、夜時間となります。『腐臭病』の恐れのある成人男性の方は、
 最寄りの『聖診病院』へと足を運んで下さい。繰り返します、腐臭病の恐れのある……」

母は苛立気味にリモコンでテレビの電源を消し、それを合図に父が立ち上がる。
ちょうど政府からのイブニングコールも鳴り終える頃。
静けさを取り戻した居間に、父の言葉が響いた。

「……行って来る」
父の言葉は重い。溜め息まじりだろうとそれは仕方の無いこと。
「いってらっしゃい。……ちゃんと戻ってきてね」
そんな父に外套を着せてやる母の言葉には、いつものことながらほのかな愛情がこもっている。
おえぇぇ。
わたしは盛大に顔をしかめた。
だってさ。二年前じゃ考えられなかったもの、こんな光景。
わたしには外でゾンビ達がうごめく事態より信じられない。


父と母は玄関へ向かう途中に、食卓のわたしに声をかける。
「照美。父さん、行って来るから」
「…………」
わたしは空になった皿を無表情で見つめたまま、顔も合わせてやらない。

「テルも病院まで来る?」
母の言葉は見送りに来い、という催促です。
いいや、いかない。
病院の人に、ついでに母まで軟禁してくれるように頼んでいいのなら考えるけど。
わたしは片手を左右に振って、無言で愛想の無い返事をつくる。

この行動が仇になったか、母はまたわたしへの評価を低くしたようだ。
母は忌々しく溜め息をついた。残念ながら、彼女はわたしの感情が分からないらしい。

「しかたないさ。照美は照美で、蔵土が死んでまだ立ち直れてないんだろう」
父が困ったフォローを入れてくる。
それを聞いたわたしは、思わず狂ったように笑い出してしまう。そして、叫んでいた。
「兄さんは死んでないわぁ! 死ぬわけないじゃない!」

二年前の『あの日』を境に、愛しの蔵土兄さんは居なくなった。
病死した兄さんの死体が、搬送先の病院から消えた。
だ・か・ら・こ・そ、よ。根拠として、わたしには充分過ぎる。
死んでも死んでいない、すなわち生きていると仮定することになんの問題があるでしょう。
わたしのほうに問題ありとする時点で、この両親は確実に狂っている。
あれほど愛し合った兄妹の片割れの想いが届かないなんて、口には出さないけどありえない。

こんなやり取りしたあとは、両親は決まって困ったような顔をして笑う。
そして、会話は切り上げられる。
なにせ父も母も、自分たちのことで精一杯。
だからこそ、かつては離婚だのなんだの騒いでた家庭が。
ほら。手を繋ぎ合って、互いの心配をしあうほどに回復している。
そもそも一歩この議論に足を突っ込めば、じゃあ夜時間の父(など)は「生きているのかどうか?」と、
専門家が繰り広げている無駄なカオスの繰り返しになっちゃう。

車のエンジンがかかり、車が我が家から離れて行く音を耳にしながら、
わたしはけらけら笑った。
「『腐臭病』ばんざ〜い」
一言呟くと、わたしは居間の食卓をあとにし、横幅の狭い階段をかけあがり……
兄さんの部屋だった部屋に駆け込んだ。

わたしは、ここに一切の私物を持ち込んでいる。
もともと広くはない部屋だから、今や床もベッドもあらゆるところで物だらけ。
兄さんの枕の傍らには、わたしの枕が置いてある。
クローゼットにかけられた兄さんの沢山の服、間を挟むようにしてわたしの服をかけてある。
こうすることで、うんと近くに兄さんを感じられるから。
両親からはこの部屋を気持ち悪がって、なるべくわたしを入れまいとする。ひどい話。

今日のわたしは真っ先に兄さんの椅子に座ると、個人的な趣味を省略してさっさとノートパソコンを動かした。
黒いスクリーンを占めていた白い頭蓋骨の絵が消え失せ、書き込みだらけのBBSがあらわれる。
ページの一番上とタイトルはゾンビネスになっている。
管理者の名前はティルミン。
ここに目を通すのが、わたしの至上の悦びである事はほぼ間違いないだろう。

『ついに私もゾンビ手に入れました アドレス載せます』 
『怖くてみれない……つか何用?』
『観賞。見た目は全くフツーの人間と変わらず』
『見た、ありえない!ゾンビじゃなくね?私の彼氏より綺麗なんだけど!』
『うちの彼がゾンビになったっぽい。』
『元気ダセ』
『72見た。本当に美形。これが管理人の言ってた真の彼氏ってやつ?』

「いや、”彼死”。”カレデス” ですからぁ〜」
わたしは笑いながら書き込んで、書き込みボタンをクリックする。
今日の日付といまの時間を伴って、わたしの書き込みが黄色い字で表示される。
二分待っただけでページ更新。するともう、多彩な色で多くの書き込みが並んでる。

『↑本人?』
『この文章から放たれる悪寒はたぶんティルたん 前にも増して語呂のセンスが悪い』
『カレデスは某アニメ終了直後に撒かれたティルミン語、誰も使わずにすたれた』
『本人なら、今頃もう水無月に居るんじゃね?』
『水無月の控え室から書き込んでる疑惑』
『リハやれよ!!』
『ゾンビと手繋いでる画像でも載せてくれないと信用できん』

常連の書き込みは見ていて楽しい。
わたしはまだ自室だけど、クラブハウスの水無月までは準備すればすぐに行けるんだ。
でも、早いとこみんなを安心させておこう。
わたしはクローゼットから、兄さんのとサイズ違いの赤い燕尾服を取り出した。
それをいったんベッドの上へ放り投げ、服のボタンをひいふうみいとっとと外すなり
電光石火の早ワザで燕尾を身に纏う。
続いてスカートを黒パンツに変え、ロングソックスを履けばステージ衣装の出来上がり。
仕上げとして、腰まで伸ばしている金髪をゴムで縛る。
いつも思うに、燕尾以外にお金がかかってない。
いやいや、些細なことだ。
この瞬間、わたしはティルミンそのものになり、わたしは消え、ボクになる。
ボクは、部屋の隅に立てかけた鏡に身を映した。
金髪をポニーテールにし、太股が

ノートパソコンと靴をバッグへ放り込み、わたしは床に置かれた私物を踏みながら、ベランダへ躍り出た。
今日は満月だ。
星も見えないまっくらな夜空に、ぽっかり穴が開いているかのような存在感。
窓を開けて外へ出るなり、凍えるほど冷たい夜の風がわたしに吹き付けて、わたしは気持ちよく深呼吸した。
 
続いて、その息を両手にほうっ、と吹きかける。
するとまあどうでしょう。