「 醍醐桜 」を見に行く  
     
「醍醐桜」は、NHK大河ドラマ「武蔵」のロケ地として全国にその名を知られることとなった古老の大樹一本桜である。 岡山県北(落合町)の奥深い山中にある小高い丘の頂にある。
その見事な雄姿については以前から噂に聞いており、一度見てみたいと思っていたが機会がなく実現しないままであったが、 ちょうど開花の時期に帰郷することとなりこの機会にぜひにと思い立って出かけてみることにした。
昼飯を済ませて直ぐに出発し、広域農道を西に向かい県道181号線に出て落合町に向かう。
この街道は「出雲街道」として古くから京から出雲に至る往来の幹線として栄えた街道であり、かって応仁の乱に破れた 後醍醐天皇が囚われの身となって隠岐に流された際に辿られた街道である。181号線をそのまま進むと久世町に至るが、 美作追分で「落合」方向のサインに従って左に折れて>姫新線に沿った旧道を行く。このあたりはあちこちに桜が見られ今 まさに春爛漫の風情である。
やがて「中国自動車道」を潜り抜けると左手に「落合駅」を見て旭川を渡る。橋を渡って直進し落合の街に入り坂を下ると 県道313号線に出る。信号を左折して町中を過ぎ旭川の支流である備中川に沿ってそのまま進むと右手に道の駅「醍醐の里」がある。 「醍醐の里」を過ぎて暫く進むと右手に橋が見え、たもとに表示された「醍醐桜」の案内に従って右折して橋を渡る。後は案内に沿って 山間の道を進み、およそ4Km程行くと左に分かれる小道への分岐点に再び「醍醐桜」の看板がある。 小道に折れて直ぐに最初の駐車場があり、この日はウイークデイにもかかわらず満車状態であった。
愛想の良い駐車場の「看板娘」さんに、
「この先に駐車場はありますか?」と聞くと、
「あるにはありますが何所も満車ですよ。」と言うので、
「ここから醍醐桜までどのくらいあるの?」と重ねて問うと
「およそ3K程ですがこの渋滞状態だと上の駐車場まで車が数珠つなぎじゃろうけん歩いたほうが早いで」とのこと。
ならば、車が出るのを待ってここに駐車して歩こうか・・と決めて
「どのくらい待てば空くかなあ?」と聞くと、ニコニコと愛想良く
「なにしろ皆さん歩いて登られているので何時になったら帰ってこられるか?」とつれない答え。
「見ての通りのこまい(小さい)車じゃけん何とか隅のほうにでも置けんかなぁ?」と懇願すると
「そうじゃなぁ」と暫し見渡して
「それじゃ、あそこのバスとバスの合間にでも置きんさる?」と場所を見つけてくれた。
 
小川に沿って渋滞待ちの車の列を横目に登って暫く行くと次ぎの駐車場があり、その先に「近道」の案内があって右手に細い山道があり、 登口に設えられた籠の中に竹製の杖が入れてあり「自由にお使い下さい。」との張り紙がある。この杖の用意の意味はやがて判明することになる。
この日は絶好の桜日和であり、谷川のせせらぎに混じって聞こえてくる小鳥の囀りを楽しみながら久々のハイキング気分で山道を登り始める。
が・・・山道は徐々に急な登坂となり木枠の階段が延々と続いていて、さっきの「杖」の意味がやっと判ってきた。道幅も、下ってくる人と身を横にしてすれ違う程に狭い。 登り始めの頃は、前後を行くおばちゃん達の賑やかな嬌声もこの辺りに来るとすっかり静まりかえり皆黙々と登って行く。降りて来る人に
「未だどれ位あります?」と息も絶え絶えに聞と、
「あとフタ(2)頑張りじゃなぁ!」
「え〜!!まだそんなにあるん?」
「まぁ頑張って行きんさい!それだけの値打ちはありますけん。」
休み休みかれこれ20分ほど登ったころ急に山が開けて畑が現れ、急な斜面に数軒の家が点在しているのが見えてくる。ここで再び数珠つなぎの車の列に出くわすことになるが、 今登って来た道をはるかに迂回して続いている車の列で、車内のウンザリ顔を横目に見ながら脇に逸れて斜面の細い道を更に進む。辺りには黄色い小花を一杯につけた三椏 (ミツマタ) が群生していて「一万円札の原料です」と洒落た札などが立っている。
そして、南に目線を転ずるとその先の小高い丘の上にただ一本聳え立つ「醍醐桜」が目に入ってくる。近づくにつれ正に巨木であることに驚く。これほどまでに巨大な桜の樹は未だ かって見たことがない。今丁度満開で堂々たる雄姿である。約千年を生き抜いてきたといわれるこの桜の大木が何故此処に在るのだろうか?と不思議である。
高さ約18m枝張り約20m幹周り約7mの見事な姿は、隠岐に流される後醍醐天皇がここに立ち寄りその姿を褒め称えたと言い伝えられたことから「醍醐桜」と呼ばれるように なったのだそうで、大河ドラマ「武蔵」のロケ地として全国的に名が知れるようになるまでは近在の人々が年々の開花を待ちわびてこの桜の下で宴をはって楽しんできたのであろう。
周りには墓地があり、幾重にも連なる山並みを見渡せるこの丘は、土地の人々にとって死者を葬るに最も適した場所であったろうと思われる。
 
墓地のとっつきに古い民家を改装したものと思われる一軒の茶店があり、大入り満員の賑わいである。ここに眠る亡者達にとっては、 桜の季節が終わるまでさぞかし休まらぬ日々であろうかと察せられる。
巨木の周囲をぐるりと回って板張りの歩廊が敷かれていて見物の列が連なっている。この着飾った「古老の美女」をカメラに収めようと、 あちこちにアマチュア、プロの三脚が並び、地元のテレビと思われる連中が機材を担いで撮影の準備をしている。夕刻からのライトアップ を待ち構えているのだそうだ。
残念ながら点灯の時間までは居られず、ポツポツと降り始めた小雨の中、来た坂道を下った。この坂道は「大勢坂」と呼ばれ、後醍醐天皇 を大勢の人々が見送った坂であるとの由来からついた名であると後になって知った。
駐車場まで戻ると数台いた観光バスも既に去っており、愛想の良い「看板娘」さんの姿も無い。脇にある休憩広場で缶コーヒーを飲みながら 幽閉されてはるばると隠岐に流されて行く後醍醐天皇の心情に思いをめぐらせながら辺りに目をやると、一帯に可憐な紫の花が咲いているのに気づいた。 このあたりは「かたくり」の群生地であったのである。
それにしても、天皇が辿られた出雲街道は、「久世」「勝山」を経て「新庄の宿」から山陰に抜けており、この地よりはるか北を通っている。
・・・にもかかわらず、この地まで足を運ばれて春爛漫を楽しまれたとすれば、さすが天皇とは優雅なものであったのかと感じ入りながら帰路についた。
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