吉本新喜劇の歴史上、数々の座長や専科を輩出したが
その中では座長としては最高に働いたが、専科になってからふるわない者や
逆に専科として大いに貢献したが、自分が座長として仕切った組は
あまり面白くなかった者などがいる。
さらに平座員の時が花で、座長の重責に堪えられなかった者もいる。
ここでは43年以降の座長と専科について
座長向きだったか、専科向きだったか、それ以外かについて時代順に考察してみよう。
◎花紀京 この問題について語る場合
この人こそ専科向けの代表としてあげたい人物である。
44年頃からの専科としての大活躍は言うまでもないほど有名である。
この人が舞台に出ただけでパッと明るくなる特異な能力は、特筆に値する。
組分け後、3チームに随時出演しながら
どのチームと息が合うか様子を見た後
時期時期の特別企画で、そのもっとも息の合うチームと共演するだけで
それを「○○特別豪華企画」と銘打つことが出来るほどの力量である。
しかしながら、座長としてはあまり成功していない。
38年頃座長に昇格しているが、あまりパッとせず
39年秋には座長格の2枚看板に戻っている。
40年秋には再び1枚看板に戻ったし
そのチームは44年春まで続いてこれは成功している。
その成功が大物として認識される元となるのだが…。
その後の専科としての活動が非常にすばらしかった。
しかし、その途中で仮座長を務めた組は、その割には面白くなく
得手不得手の極端さを見せた。
たぶん芸風的にツッコミの人と組む必要があり
それが座長と言うことだろう。脇役専門の人である。
◎白木みのる(参考) 吉本在籍中、座長にはなってなく、平座員から専科になっている。
この人も、一枚加わるだけでパッと明るくなる雰囲気の人だった。
テレビでまだコメディ番組が多かった頃
平参平組(三角八重、秋山たか志、奥津由三ら)にこの人が加わった形の
編成でたくさんのコントや30分番組が放映され人気を集めた。
「毎度おおきに」などがそれであるが、その編成は非常に強力だった。
なお松竹に移籍後、彼が座長を務めた「松竹喜楽座」は
面白くもなんともなかった。
そのことから彼も典型的な専科タイプということが出来る。
◎平参平 彼は何度も座長になったり専科になったりを繰り返したが
若い頃から老け役専門、脇役専門の、好々爺とした持ち味を
軸とした役者という特性によるものである。
37年頃から41年まで最初の座長を務めているが
主役は別の人がやり、彼は三枚目を担当し、笑わせるという形だ。
もちろん客は主役でなく、彼を見に来ているのである。
その後専科になるが、再三座長に復帰している。
世代交代の際に、まだ座長としては速すぎるかもしれない者が現れたとき
その人に主役をやらせて、平参平が脇を固めながら座長を務めるパターンを
多用したのである。
そこから最初の座長の時、秋山たか志や岡八郎が
その後木村進、間寛平、阿吾十朗らが輩出したのである。
座長向けとか専科向けとか言うのと違った次元で
非常に得難い存在だったわけだ。
◎秋山たか志 彼の芸風は、まじめ腐ったツッコミである。
(もちろん二枚目役者でもあったが。)
そのまじめ腐りようは、台本があるとわかっていても憎たらしいほどであった。
(ほかでこの手の芸風と言えば、平和日佐丸、上方柳次、中村春代などがいる。)
つまり笑いをやりに芸界入りした人は回されたくない役回りで
誰もやりたがらないことをするのだから重宝がられ
平座員時代はスピード出世だった。
しかし、座長向けではなかった。
表の顔だけがそれならいいのだが、彼の場合、酒飲みで横暴でオカマで
さらに座員が流行語を連発するのを嫌い、押さえつけるような形となり
煙たがられたので、彼のチームは喜劇とは言えないほど笑いの少ないものに
なっていた。
しかし、さらに専科向きではないと思う。
実際には専科経験はないが、座長なら1/3だけで済むが
専科になると全体が暗くなっていただろう。
◎財津一郎 彼は41年頃座長に昇格、44年退団するが
晩年ごくわずかの時期専科になっていた。
しかしその時期全国的に有名だったため欠演がちだったため
筆頭座長の彼に代わって、二枚看板の岡八郎が組を仕切っていた。
そのため座長としての真価はわからないままだ。
専科として随時加わりそこで主役を務めるパターンが
彼だけに関わらずスターになってしまうとそうせざるを得なくなってしまう。
芸風としては大阪弁が下手で、しかし熊本出身に似合わず
東京風のあか抜けたしかも狂気を含んだスタイルなので、むしろ専科よりも
座長向けかもしれないと思う。
◎岡八郎 典型的な座長向き専科不向き人間。
チーム座長時代の面白さは空前絶後、史上最速のペースメーカーだった。
一度漫才を経験して喜劇に復帰していたため
どこかあか抜けた、役者臭さのなさが座長時代にはあった。
組分けにおいても彼を役者臭くしないための工夫が見られた。
ところが座長卒業後、専科になって各チームに随時出演するようになって
急速に臭みかついてしまうと、それまでの売りだったテンポの速さが失われ
極端な得手不得手の差を見せた。
しかも臭みの問題は、後戻りの効かないものなので
座長に戻せばそれで良いというものではなく、吉本もこの人を後三年は
座長に置いておいてほしかったものだ。
◎原哲男 この人の芸風はツッコミであるが、2枚目ではなく
半泣きツッコミであり、秋山のような憎たらしさはない。
風貌からもわかるように主役向けではない。
ただしツッコミなので専科向けでもない。
彼にとってベストなパターンと言えば
やはり彼が座長を務め、別の人が主役を務める形で
若手を養成する布陣であろう。
◎桑原和男 彼は39年頃、一度、一世を風靡しながら座長昇格ならず
2枚看板の座長格昇格は44年春、一枚看板になったのは同年秋である。
その間のほとんどを秋山組で過ごし、まじめな芝居が多かったため
勢いを失ってからの位置からのやり直しだったのが惜しまれる。
そのため座長時代あまり大きな受けはなかったが、何向けかと言えば
やはり座長向けタイプの芸風と思う。
◎船場太郎 彼は努力派である。
台本では二枚目しか回ってこないので気に入らず
アドリブで笑いをとる事で、会社側にもっと幅広い役付けを
無言で訴えた人。
座長を務めたときも非常にテンポの速い芝居を目指して努力した。
典型的な座長タイプである。
◎阿吾十朗 彼は榎本健一門下で長く東京にいた後大阪にやってきた。
その違和感が彼の持ち味であり、座長に持ち上げられたとき
作家が老け役ばかり与えたのは気の毒である。
ヘンなやくざのおっさんの役などが彼の本領発揮の場であると思うし
爆発力を持て余したようだ。
彼は強いて言えばチーム副座長タイプだろう。
◎木村進 九州から大阪進出し、スピード出世で座長に抜擢され
それも見事につとめを果たした。
病気で倒れ、一線を退くまで専科にはなっていない。
この人も典型的な座長タイプだ。
◎間寛平 その他大勢の時人気爆発し、中堅や副座長格を経験しないで
座長に抜擢された人。
抜擢されたときは、木村進との二枚看板だったのですんなり行けた。
しかし、その後、一枚看板になった後が苦しかった。
事実上の山田スミ子の女座長組になってしまった。
台本を覚えて着実に芝居するより
何が起こるかわからない爆発力が売りのボケだけに、専科向けで
しかも、やや、どのチームに加わるか偏りがちな専科が向いているようだ。
◎伴大吾 「あっちこっち丁稚」などで悪役を演じ続けその人気で座長に昇進した人。
そう何年も立たず借金地獄で失踪した。
座長在任時は勢いがあって割と好調だったが
芸風的には主役タイプと言うよりも
そこで主役がもらえるところまで成長したら、さらに活躍の場を広げて
そこで脇役を演じ、それで人気を得たらさらに活躍の場を広げて
最終的に全国制覇した脇役を目指すべきタイプだったと思う。
◎谷しげる 身の軽さといい、老け役の秀逸さといい、ボケの軽快さといい
得難いものをたくさん持っていた逸材。
典型的な3枚目である。
何向けかと言えば、チーム副座長タイプと言うべきか。
◎室谷信雄 長い苦労の末禿げてから座長昇進し、2,3年で難病で倒れて挫折した。
わざとのってから急に気づいてつっこむ芸の名手。
もっと若いうちに出世していれば当然座長タイプだったろう。
◎池乃めだか 折伏を断ったためサラリーマン生活をやめ、遅くして芸界入り。
音楽ショー、ピスボーイズから漫才の海原かける・めぐるのめぐるを経て
かなりの年齢で新喜劇入りしている。
しかも端役からはじめて座長昇進まで数年かかっている。
自分が前に出るより全体を何とかしようと考えるタイプで
完全にチーム座長タイプである。
近年まで座長格だったが、95年卒業した形になっている。
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