新喜劇ヒロインについて考えてみる

                       〜マドンナは、何処からか突然やってくる〜

            
 

                     吉本新喜劇について語る時、女優を抜きにしては語れませんが
             ここで、私が思うには「吉本は、やめにくい、排他的なようで、実は生え抜きはマドンナになれない
             ということですが、これを、68年以降にマドンナあるいは副座長級にあった人々について、考察したいと思います。

                             (帯の似顔絵は、内容とあまり関係ありません。)


  ◎ここでちょっと用語解説

●マドンナ    2枚目主演女優を、こう言うらしく、TVで吉本タレントも使っており、ネット上の掲示板などでも通用している用語。
         なので、少し気恥ずかしいがここでも使う。
         必ずしも看板が大きいと言うことではないらしい。
●副座長級   劇場プログラム等で、他の女優との間に「・」を挟んで、出演者の一番最後に一人だけ、(時には大きく)書かれる、大看板女優。
         本当はどう言うかわからないが、話を進める便宜上、この用語をここでは使います。


  ◎68年以降の概況

 なぜ、68年以降かと言えば、他のコーナーと同様、昔すぎてわからないからであるが
実際にもこのあたりで、傾向が固まってきており、後々まで歴史に残る、2大女優が副座長級にすでにあり、語りやすい。

 女優はこの頃にも多数入団しているが、なぜか、その他大勢で苦節何年頑張っても、上限があった。
そして、手に職をつけて外部から入団したり、有望新人を一発で抜擢したりして、マドンナに起用している。
そして、副座長級には、マドンナ経験者しか、上がれなかった。

 マドンナ起用については現在まで、あまり変わらず、生え抜きには、あまり解放されていない。
一方、副座長級については、78年頃、マドンナ経験のない、楠本見江子が起用されて以降
人気・実力が上回るものがその座に着くようになったが、3チーム制崩壊後、女優自体あまり重く扱われていない
ように思われる。


  ◎そして各論

芸名の前の記号(◎抜擢型、○手に職型、●生え抜き)、芸名の後の略号(マ:マドンナ、副:副座長級、)
順番は入団順では話が進めにくいので、便宜上の順序としました。



◎藤井 信子(マ副)     60年の第1回研究生の出世頭。
                       早い時期に上り詰めて、新喜劇の美人女優の名を欲しいままにした人。
                       
◎山田スミ子(マ副)     63年研究生で入るが、先輩連中を追い抜いて10代でマドンナ役に抜擢された。
                       古い舞台写真や、前田五郎著の写真集「すばらしき吉本芸人達」などを見てもわかるように
                       「愛すべき笑顔」の持ち主であった。
                        早くも67年頃には、副座長級に昇進し、岡八郎、船場太郎、間寛平など
                       ほぼ、常時、その時の注目の集まる組に配属され、マドンナとしては珍しい、怒鳴りで笑いを取る
                       役も与えられたり、重く扱われた。
                        偶然とか、最初から同じスタートラインで競わせたという感じでなく
                       非常に意識的に優遇されていたと思う。
                        それがなければ、私が、3チーム制に興味を持つこともなかったと思うぐらいである、重要な存在。

○中山美保(マ副)       最初も吉本だったらしいが、千日劇場で活躍していた経歴を持って、67年に即戦力となった。
                       どこか藤井信子似の顔つきは吉本好みだが、さらに、由利謙も顔負けの広い額を惜しげもなく
                       センター分けや、引き詰めた頭などで、丸出しにしたところなどは、甘酸っぱい違和感(重要)もあった。
                        山田スミ子と同時期だったこともあり、3チームの内の、わりと地味な組に、配属されることが多く
                       人情劇のシリアスな役が回ってくる傾向があった。
                        つまり、表裏一体であり、私の興味深いところである。
                        後年の「ゲラゲラハッピー」などのインタビューを見ても
                       「新喜劇は、昔の方がテンポが速かった。」「本当はドタバタがやりたかった。」など
                       オモロイことがやりたかった人のようだ。(だから、入団したのだろうけど。)

○片岡あや子(マ副)     59年、すでに13才でゲスト出演、プログラムにも重く扱われていた。
                       「片岡」は仁左衛門にも通じる亭号である。(先代の孫弟子???)
                        68年再合流して、意外にも低い看板ながら、マドンナ役が主だった。
                       実力が認められ、70年には副座長級に昇進。
                       73年チャンバラトリオの伊吹太郎と結婚するも、78年頃まで第一線で活躍。
                       その後も、吉本制作の、新喜劇以外の番組で活躍したが、48才で死去。

◎津島ひろ子(マ)       74年入団して、まもなく、マドンナ役に抜擢。
                       それまでの新喜劇にないタイプの顔で、甘酸っぱい違和感に溢れていた。
                        上が詰まって、抜擢型とはいえ、副座長までは遠い感じが、そこにはすでにあった。

◎園みち子(マ)         人生幸朗門下という。矢間通子の名で、バラエティのアシスタントや大喜利の座布団運びなど
                       やっていたが、突然新喜劇にも、マドンナ役に抜擢されて出演。10代だったと思う。
                       長く、主演女優をつとめたが、看板は大きくならず、低いままだった。

●楠本見江子(副)      マドンナ経験なしで、副座長級に上り詰めた第1号の実力派。
                       (初期に活躍した、老け役のベテランに、もしかしたらいたかもしれないが。三角八重とか河村節子とか)
                       コミカルな演技と、その愛らしい雰囲気で、視聴者の人気は、マドンナより当然高かったと思う。
                        いとしこいし門下らしいが、67年入団にしては、下積みも長く、生え抜きと認識したい。
                       69年秋頃、岡八郎の組に配属された頃から、コミカルな三枚目役で、受けていたので
                       そのあと、非マドンナの上限に上り詰めるのは速かった。そのあとの壁は高かったが・・・
                       78年頃ようやく昇進、しかし結婚引退。近年は吉本に在籍し、新喜劇以外に出演中という。

●藤里美(副)           松竹新喜劇退団後、69年入団と言うが、手に職型でなく、「その他」も長かった。
                       ブス役で活躍するも、楠本が岡・船場路線上で目立っていたのに比べ
                       チーム運が、イマイチだったこともあり、非常に遅れて人気が出ていった。
                        マドンナ経験なしで昇進。香川登志夫が彼女の大ファンを公言してはばからなかった。
                       三枚目役の体当たり演技で、人気も高かったが、健康に恵まれず(肝炎だったか?)挫折した。

○末成由美(副)        剣劇出身。74年入団後、うまく上が空いていたせいもあり、スムーズに出世。
                       「吉本コメディ」で楠本見江子・南喜代子・藤里美とともに4婆に抜擢されたことも有名になる起爆剤に。
                        その、恵まれた強運を生かし、マドンナ経験無しで、昇進。
                       3枚目ドタバタ女優として大成した。一時は、完全に彼女の時代があったように思う。(ほぼ全部主演)

●浅香秋恵(マ?)      76年入団。下積みも長く、目立たない役が多かった。
                       純情可憐な脇役ばかりで、普通なら、そこが上限の筈だったが、楠本と藤のいなくなった隙間に
                       ようやく滑り込んだ感じで、3チーム崩壊にもかかわらず、座長の恋人役とか
                       いい役が回ってきた時期があった。
                        特に、木村進との共演で、3枚目主演女優に転身し、活躍したが、短かった。
                        やめよっかナを前にして、島田一の介と漫才を組むが解散。
                       新喜劇で、脇役で出演し続けている。

◎片山理子(マ?)       本当に在籍していたのかと言うほど不思議だが、名場面集に名を残す。
                       「アシスタントの片山理子です」は「漫談の滝あきらです」以上の名セリフである。
                       新喜劇では、わずかに主演作を残し、オンエアもあった。
                       が、そのうちの一本は、室谷信雄がやりとりの途中でばらしてしまったが園みち子の代演だった。
                        吉本制作の、新喜劇以外のコメディではマドンナ役で活躍した。
                       その手の、歴代のタレント中でも、美人度は非常に高く、逸材だった。

○中西喜美恵(マ)      やめよっかナの途中で、他の劇団から即戦力合流。
                       しばらくは、他の女優にはマドンナが回らない独占ぶりだった。
                       喜劇的マドンナではなかったようで、一線を退いてから、浮いた感じがするのは私だけだろうか?

○未知やすえ(マ)      漫才ブームの一翼を担ったやすえ・やすよのやすえ。
                      抜群の知名度を以て、3枚目女優で即戦力デビュー。
                      いつごろからか?(たぶん、日曜正午が「ファンキーモンキー寛平先生」だったあたりからか?)
                      マドンナ役が回って来始め、中西喜美恵より年上にもかかわらず、その座を奪った感がある。

○高橋靖子(マ)        ミスコン受賞歴、時代劇出演暦などが豪華な、たぶん即戦力マドンナ入団の人。
                      およそ新喜劇らしからぬ風貌は、違和感も十分で、極めて甘酸っぱく、逸材マドンナの筈。
                      にもかかわらず、ほとんど主演作を残さぬまま、近頃、脇役が多い。
                       すでに、高齢でもあり、役者臭くならない内に使わなければ、いつ使うねんと思う。
                      染まってしまえば、甘酸っぱさなど、残るはずもなく、勿体なさすぎるのです。


     ◎番外編     このページを書きながら、2,3引っかかるものがあり、書き加えたい。

河村節子   68年には、すでに、若い藤井・山田・中山の台頭で、一線を退いていたが、脇を固めていた。
       ワカナ・一郎門下で、玉松一郎の最後の相方だった経歴を持ち、新喜劇は初期から参加。
        最初は、禿げじじい(平参平ら)が主演の出し物が多かった新喜劇で、恐妻役で活躍し
       銀盆殴りや嫁いびりなどで、暴れ回り、看板も、副座長級だった。
        マドンナ勢の台頭の後も、看板は譲ったが、役柄はそのままで、重要な脇役を演じた。
       共演が多かった、中山美保の老け転向後の芸風は、彼女にどこかインスパイアされている感がある。
        肝硬変で、夭逝した。

南喜代子   三遊亭柳枝夫人で相方だった人。
       新喜劇では後発で、副座長級になる隙間もなかったが、強烈な個性で、それ以上に貢献した。
       女性でありながら、悪役3人組のセンターになったり、股を広げて誘惑のポーズで寝たりと
       恐るべき3枚目ぶりも演じ、なのにゲラで、共演者に笑わされながら我慢する姿もおかしく
       非常に、後世に影響を与えている。

マブ、OPD  お笑いの世界では、絶対的な力を持つ、吉本興業ですが、歌手の育成はイマイチで
       しかも、歌手として売れないと見るや、お笑いに転向させるやり方が、常套化してますが
       ここからも、新喜劇の脇役が多数出ました。
       OPDの転向初期の、新喜劇の最初の数分間など、何事かと思うほど台本的に、妙なキャピキャピ感(いい言葉が浮かばん(^^;))
       を取り入れようとして、無理していたと思う。
        坂田朗子は注目していたが・・・・・

上記の、非マドンナ入団の上限・・・  楠本見江子が、実力で副座長級を勝ち取るまでは、確実に存在していた壁があり
                      演技がうまかろうと、美人であろうと、その高い壁を越えられなかった。
                      完全に上限にたどり着いていたと思われる人々は
                      安田光子、西川洋子、そして南喜代子だと思う。

ヘレン杉本  変な外人役で、歴代女優中でも抜群の人気と実力だった人。だが、68年以前の話なので、ここでは省きました。


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