「死ぬ気で東京!」のキャッチフレーズで
97年秋に、大々的に、全国ネットで、TBS系木曜20:00〜20:54のわくで開始。
「超!よしもと新喜劇」は、それから半年続き、そのあとリニューアルして
「超!コメディ60」となり、これも半年続いた。
その昔、TVの普及初期、大阪制作のコメディは
「てなもんや三度笠」「スチャラカ社員」「とんま天狗」などなど
今では信じられないほど多数、全国ネットで放送されていたが
70年代に、現行のネットワークが、安定して、東京キー局の発言力が
強まるに連れて、大阪発のコメディは、全国ネットの電波からは
消えていった。
それゆえに、在阪のコメディアン達は、大阪にいながらにして
全国的に有名になるチャンスが、徐々になくなっていき
東京に移住するか、あるいは、大阪のみで満足するかどちらかとなっていた。
というわけで、吉本新喜劇の近年のメンバーは
初期(60年代〜70年代前半)のメンバーに比べても
全国的な知名度が、著しく低く、この番組の開始は
非常に意義有るものであった。
が、どうも、力のいれどころが違ったのか
視聴率的にもパッとせず、両番組通しても1年しか続かなかった。
何がいけなかったかといえば、諸説あるが
やはり、いろいろな意見をすりあわせて、折衷案で番組を作ってしまって
中途半端なものになってしまったのが、大きいと思う。
東京移住などせずに、大阪でやっていることをそのまま持っていくか
あるいは、軸足を移さず、先鋒隊のみで、東京を意識して
ドリフターズ顔負けの、ドタバタコメディに挑戦してもよかったはず。
なのに、中取って、軸足もかなり移して
作風も、両者の中間のような、変なものになってしまった。
アドリブのテンポの良さが、まわり舞台や宙づり、ナレーションなどで消えていて
にもかかわらず、それだけ、自由度が低い芝居なのに
作り込んだ緻密さもなく、大味でテンポも悪い仕上がりとなってしまった。
失敗に気付いたか、終盤になって
あまり東京を意識しない、大阪風のくだらない、テンポも速いものに
変わりつつあったが、逃げた客は戻らず
早期撤退の運びになってしまった。
が、ある程度、無謀だとわかっていたとも言いたげに
撤退の際も、「東京進出の第一歩」と位置づけるなど
あまり、気にしていなかったようで
吉本興業としては、さらに東京支社を、2本社制(大阪、東京)の要とするなど
東京への攻撃は続く。