ハーブアルパートを語る時、ティファナブラスを抜きにしては語れませんが
ひとまとめにティファナブラスといっても、その発表時期により
メンバーも、音楽性も、微妙に違います。
ここでは、それについて検証してみたいと思います。
Herb Alpert & The Tijuana Brass(1962)
トランペッターとしてのデビュー・アルバムとなる
「Lonely Bull」にはこうクレジットされている。
が、これはどこまでが、アルバムタイトルで
どこまでがアーティスト名か、判別しにくい面がある。
この名前自体がアルバム名で
「Lonely
Bull」はフューチャリングナンバーとも、見て取れる。
というのも、トランペットは、テープ操作による多重録音で
スタジオミュージシャンとのセッションになっているが
これも、ダビングを繰り返しており
ソロアルバムの要素が強い。
スタジオミュージシャンの写真は裏ジャケットにあり
ハーブとジョン・ピサノ(ギタリスト)以外は
後の正式メンバーとは、別人となっている。
また、音楽性が、まだ固まってなく
多様性があり、表題曲以外は、マリアッチにそれほど
こだわっていない。
翌年発売の、セカンドアルバムで、マリアッチ志向が
強くなる。
Herb Alpert's Tijuana Brass(1963〜1965)
実質上の、ソロアルバムで、当時の最先端の技術で
数名のスタジオミュージシャンと、セッションを行っている状態が
続いており、セカンドアルバムは
「herb alpert's tijuana brass Vol.2」と銘打っている。
ついに、サードアルバム「South Of Border」(1964)で
この名が、アルバムタイトルから外れ、純然たるアーティスト名となる。
ここでは、マリンバ、ビブラフォン奏者で、座付き作曲家で
自らバハ・マリンババンドを主宰するジュリアス・ウェクターを
セッションと作曲に加えており、後年のサウンドが
すでに固まりつつある。
そして、さらに翌年「蜜の味」が大ヒット。
これを受けて、アルバム「Whipped Cream & Other
Delites」を発表。
TV出演や、公演の必要が生じ
正式メンバーで固める必要が出てきて
架空グループの歴史は、ここに終わる。
Herb Alpert & The Tijuana Brass(1965〜1971)
大ブレイクして、正式メンバーが結成された。
ハーブ・アルパート (トランペット)
ジョン・ピサノ (ギター)
ボブ・エドモンドソン(トロンボーン)
トニー・カラッシュ (第二トランペット)
ニック・セロリ (ドラムス)
パット・セネター (ギター)
ルー・パガニ (ピアノ)
このメンバーで、TV出演、公演などをこなす。
が、レコードは、たぶん、以前の延長で、セッションミュージシャンを
集めて行われているであろう事は、メンバーに
重要なバイブ奏者ジュリアス・ウェクターの名が無いことからも
うかがわれる。
Herb Alpert & The TJB(1974〜1975)
ハーブ・アルパート自身のヒットが、出なくなり
さらに、カーペンターズのブレイクなどで、副社長としては
多忙だった時期を経て、少しオリジナルメンバーと違った布陣で
再結成公演もやり、アルバム2枚を残した。
ここでは、テープ操作の感は薄く
(それでも、やってはいるが)
ライブを重視しており、往年の演奏と感じが違う。
ソロ時代(1976〜 )
ここには1984年のHerb Alpert & Tijuana Brass による
アルバム「ブリッシュ」も含むが、ティファナブラス解散後
ソロに転じて以降、非常に豪華なメンバーでセッションを行っている。
そのため、メンバーを明記し、また、そのメンバーの影響が
サウンドにも、色濃く現れている。
が、「ブリッシュ」は、メンバーが明記されてなく
ティファナブラス再結成と銘打ったこのアルバムは
どのような構成で、演奏されていたのだろうか、興味深い。