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古代奇人列伝 03

"舌禍列伝"


 舌禍とは「口は災いの元」。

 日本に落書や川柳があったように、地中海世界にも諧謔と風刺の伝統があり、そしてそれゆえに道を誤った人がいました。

 今回はそんな人々のお話...




1.冗談は相手を見て テオクリトス

 アレクサンドロス大王の後継者の一人、アンティゴノス一世は、「隻眼」フィリッポスの子。自身も片目が不自由でした。

 平生は自分から隻眼を冗談の種にしていたくらいですが、他人にからかわれたとなると話は別−


 テオクリトスという人、アンティゴノスから狙われる身だった時に友人から「(自分から)王の御前に出れば助かるぞ」と助言され、こう答えたそうです。


「君は僕に助かる見込みのない方法で助かれと勧めるのか」


 この事を聞いたアンティゴノスは、テオクリトスを捕らえて処刑しました。




2.逆鱗に触れるな ルキウス・スラ

 ルキウス・スラは落ちぶれ貴族の末裔。若い頃は友人の軒を借りる居候暮らしでしたが、軍務について人生が一変。全身を返り血に染めながら、ローマの独裁者に成り上りました。

 複雑な境遇で育った人物に多いことで、このルキウス・スラもコンプレックスの塊でした。そのような人物をからかうとどうなるか−


 紀元前一世紀初め、ローマ軍を率いたスラはアテナイを完全包囲します。
 しかし戦略的には東西から挟撃を受けつつあり、非常に苦しい情勢です。心労が募ります。

 そんな最中、アテナイの人アリスティオンは、城壁からこんな野次を飛ばしました。


「やい、このヒキワリ粉まぶしの桑の実面(づら)!」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 スラ家は代々、ぼつぼつと白斑点の混じった赤紫色(桑の実の色です)の顔で、その醜さで知られていました。何せ「スラ」という苗字も顔の造作に由来するもの。


 スラはアテナイに夜襲をかけ、城壁をぶち破って住民を虐殺。広場は死体で埋め尽くされ、街路は血で川をなしたといわれます。




3.口を尊びて、すなわち窮す マルクス・キケロー

 アルピヌムの人マルクス・キケローはローマの偉大な雄弁家にして哲学者。並ぶ者なき才知の持ち主でした。

 幼くして神童の誉れ高く、時の権力者に楯突いて法曹界に鮮烈デビューを飾ります(−そして勝利の直後、報復を恐れて首都から逃げ出します)。
 帰国して政界に入ると、超特急で出世階段を駆け上がり、祖国をクーデターから守って「国父」の称号を捧げられました。

 かように栄光の道をまい進してきたキケローですが、その語り口は当意即妙というより、針を真綿でくるんで突き刺すようなものでした。




 例えば元老院で、ある老人が法案に反対して「わしの目の黒いうちは認めさせぬ!」と言った時−

「皆さん、待ちましょう。

 翁はそう長く待ってくれと言っているわけじゃありませんから」




 例えば、解放奴隷の出と噂されていたゲルリウスが、大声を放するのを聞いて−

「みんな驚くことはない。この人もまた自由を求めてわめいていた人々の一人なのだ」




 例えば、若きオクタウィアヌス(後の元首アウグストゥス)の人物評をたずねられて−

「賞賛する(tollendum)べき若者だ」

 tolloには「抹殺する」という意味もある。




 例えば、ニコメデス王と男色関係にあったという噂の男が、ニコメデスの娘が訴えられたおり、旧恩を並べたてて延々と弁護するのを聞いて−

「そんな話はもうやめてくれ。

 王があなたに,そしてあなたが王に何をしてやったかは,世間周知のことだから」




 才覚も、野心も、功績も、名声も、何もかも過剰だった男はまた、敵も多く持ちました。

 キケローはかつて口を極めて罵った政敵により、斬首されます。首は広場の壇上にさらされ、政敵の哄笑を浴びました。

 それはある意味、演説で身を立てた男に最も相応しい最期だったかもしれません・・・・・・




 ちょっと殺伐とした話が続いたので、趣向を変えましょう。



4.注文はただ一つ アルケラオス

 客商売という仕事柄のせいか、床屋さん美容師さんには不思議と話好きが多いもの。ギリシアにおいてもまたしかり−


 マケドニアのアルケラオス王が、おしゃべりな床屋を呼びつけた時のこと。

 「どのようにいたしやしょう?」と問うた床屋に、王は答えました。


「黙ってやれ」




5.それはあんまりだ ポンペイウス・マグヌス

 共和政ローマの末期に活躍した名将、ポンペイウス・マグヌス。

 彼が戦役を終えて帰宅すると、愛娘と娘の家庭教師が待っていました。

 父親がいない間に娘がどれほど勉強したか、見て欲しいというわけです。

 そこで家庭教師が娘に渡した文句は、名高き叙事詩「イリアス」の一節−


「戦(いくさ)からお帰りですのね、


 討ち死にすればようございましたのに」


 そりゃないだろう!


 家庭教師のその後が気になってたまりません...




6.口さがない都鳥のさえずり ローマ市民

 都に住む人々の風刺精神は、どこの国でも変わりません。



 例えばカエサル(ジュリアス・シーザー)の時代、異民族出身の元老院議員が出た時のこと。
 血筋を尊ぶ門閥貴族はもちろんのこと、庶民ですらこの人事に嫌悪の情を抱きました。

 かくして街角にこんな落首が立てられます。


国家に幸あれ。

何人も新米議員に議堂を教えてはならぬ。

「国家に幸あれ」は公示の決まり文句






 アウグストゥスが台頭した時代。

 彼が政敵の公民権を剥奪したら、像にこんな落書きをされました。


パパは銀行屋(アルゲンタリウス)

ボクは銅器屋(コリンティアリウス)

「コリンティア」はコリントス製の青銅器のこと。非常に高価。


 アウグストゥスの銅器狂いは有名でしたから、政敵の銅器欲しさに剥奪処分をしたと思われたわけです。




 ティベリウスの時代。

 この元首、本名を「ティベリウス・クラウディウス・ネロ」といいますが、つとに知られた大酒呑みで、こんなあだ名をつけられました。


 「ビベリウス(酒盛り)・カリディウス(大好き)・メロ(酔っ払い)

Biberius Calidius Meroの意訳


 上手く考えたものです(^^;




 最後にもう一度、アウグストゥス。


 若い頃の彼と、大叔父であるカエサルの親しさは、ローマ市民の目に「普通以上」のものと映っていました。

 そこで、とある演劇が上演されたおり、以下のセリフが満場の賛同をうけることになります。



「あの稚児が指一本で世界をいかに自在に操っているか、

お前にはわからないのか」



 後世、「稚児」が本当に世界を治めようとは、誰一人として想像できませんでした...




おしまい

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