古代奇人列伝 01 "親子列伝"
1.親バカ クィントゥス・ハテリウス 早口で知られた人です。 愛児セクストゥス(日本語で”六郎”)を愛するあまり、その児が夭逝したのち、”六番”と聞いただけで号泣したとか。 「光」と聞いただけで激怒した、東洋の某専制君主を思い出します。 愛情深いのはよろしいですけど、付き合わされる周囲は迷惑だった事でしょう。
2.爺バカ アシニウス・ポリオ カエサル、オクタウィアヌスの有能な側近であり、凄惨な市民戦争を生き残った強運の人ですが... ある年、オクタウィアヌス主催の運動会で、孫が足を骨折してしまいました。 この事故に悲憤慷慨したポリオは、元老院で運動会批判の大演説を展開、ついに廃止に追い込みます。 現代に例えれば国会で騎馬戦廃止を訴えるようなものです。 当時の社会情勢を考えれば、憤慨すべき事や議論すべき事は、他にいくらでもあったはずですが......
3.子供が馬鹿 コンモドゥス ”哲人皇帝”マルクス・アウレリウスは、著書の冒頭で自分と関わったほぼ全ての人々に対して、感謝の気持ちを込めて彼らの長所を列挙しています。 ある意味自慢話に近いことを、実に長々とたっぷり聞かせてくれるのですが、一章まるごと感謝と礼賛で埋め尽くされた文中に、息子の名前は一度たりとも出てきません。 実際、アウレリウス帝の息子コンモドゥスは、感謝にも礼賛に値しない正真正銘の馬鹿殿でした。 コンモドゥス(Commodus)の名は中国の"恵帝"に相当しますが、臣民にたっぷり恵んだのは恩賞ではなく"死"。 彼以降、大ローマは衰亡の坂を転がり始めるのです。
4.トンビが鷹を産んだ ポンペイウス・ストラボー カエサル(シーザー)と天下を争った、大ポンペイウス。その華やかな経歴と絶大な人気はあまりに有名ですが、彼の父親は天下の嫌われ者でした。 ストラボー、すなわち”やぶにらみのポンペイウス”とあだ名され、金にがめつく喧嘩っ早い事で知られていたそうです。 このストラボーは、イカズチに撃たれて死にました。 雷電はユピテル大神の使者。 当時の人々がこれをどう受け取ったかは、想像に難くありません。
ストラボーの遺骸は棺桶から引きずりだされ、意趣返しに供されたと聞きます。
おまけ.二世は大変 グナエウス・ポンペイウス 上述大ポンペイウスの息子です。英雄の後継者としてそれなりに注目を浴び、市民戦争時は、ローマの最も重要な保護国に赴任していました。 ですが運命とは残酷なもの。 父がカエサルに敗北すると、落ち目になった息子はあっさりフラレてしまいました。 あれまぁ... 父と家門の名誉と男のプライドをいっぺんに失ったグナエウス。 しかし彼は何とかスペインに落ち延びて、健気にも父の戦争を続行するのです。
ちなみにグナエウスを捨てた"国一番の美女"、たしか名前はクレオパ(以下省略)。
おしまい
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