鎮魂歌です。
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『DE VITA SABINIS』
(あるイタリア人の生涯)
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イタリア軍の指揮官だった、 その男の名は、キント・サビーノ。
イタリア中部の出身だったようだ。本当は長ったらしい嫌味な名前があるのだが、誰もそんなのは知りたがらないから省略。ついでにいうと生年もわからない。当時の社会状況から、二十代〜三十代後半だろうと思うが、憶測の域を出ない。年がわからないから容姿も想像できず、個人情報など何一つ残っていない。
そんなサビーノだが、彼はある戦争において筆者の心に不朽の輝きを残し、また歴史に消えぬ汚点を残した。その落差が、筆者の感じるサビーノの魅力である。
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サビーノはジュリアス・シーザーの下で、イタリア軍のフランス侵略戦争に参加した。
紀元前57年の事だから、2000年以上も前の大昔である。イタリア軍といえば、織田信長以前の尾張兵のようなもので、弱兵の代名詞。イタリアでは中世以来、「戦争は外国人がするもの」という考えが民族意識に染み付いたまま、今に至るも変わっていない。国家の良心たるバチカンの保安すらスイス人にまかせるくらいだから、その他力本願ぶりも徹底している。
だが2000年前のイタリア軍は強かった。もう無茶苦茶に強かった。イタリア人は戦争への情熱と才能をこの時に使い果たしたんじゃないかと疑いたくなるくらい、凶悪に強かった。それに加えて司令官がジュリアス・シーザーとくれば、西洋世界では天下無敵だ。シーザーというと、クレオパトラの恋人で好色な狒々親父のイメージが強いかもしれない。それも正しい。シーザーの凄さは、どスケベであると同時に戦争も強かったところにある。
が、
常勝不敗の軍団などこの世にありはしない。
フランス侵略戦争においても然り。イタリア軍は占領地の不穏と本国の混乱に板挟みにされ、万余の戦死者と百万の餓死者を生みながら、300年続くフランス支配の基盤を築いたのである。
さて、サビーノが始めて歴史に登場するのは、侵略戦争が本格的に始まった年のことだ。
紀元前57年、すでにフランス全土に権威を確立していたシーザーがベルギーに侵攻する。分立敵対する各部族を急襲して各個に制圧しようと図ったものの、あにはからんやベルギー人の準備は万全だった。イタリア軍4万強に対しベルギー軍の総勢10万。しかもイタリア軍は 安全地帯から1000キロも突出し、援軍も期待できない。この時は、最も付き合いの古い同盟部族すら不穏な動きを示したくらいだから、危機の深刻さがよくわかる。とりわけ重大な問題が補給線で、ベルギー軍も当然、イタリア側のこの弱点を見抜いていた。
会戦地に布陣して数日後、ベルギー軍はイタリア軍本陣に陽動を仕掛けながら、後背の橋梁を急襲する。ここを落とされたらイタリア軍は終わりだ。しかしイタリア軍は持ち堪えた。わずか3千の小勢が、万余の敵を相手に大激戦を演じて、辛くも橋を守り抜いたのだ。
その小部隊の指揮官が、キント・サビーノであった。
この危地におけるサビーノの采配は、いたくシーザーのお気に召したらしい。どれくらい気に入ったかというと、翌年の戦役で・・・臨時とはいえ・・・3個ものイタリア正規軍団の指揮を任せたほどだ。いきなり、である。
ただしこの大抜擢は内部でも疑問視されたようで、サビーノは赴任早々、部下から腰抜け呼ばわりされている。軍規の厳格さで知られた当時のイタリア軍には異例のことで、シーザーも少なからず驚いた。サビーノの人事に後悔の念を覚えもしたろう。経験の浅い青年サビーノにかかった重圧は、並大抵のものではない。身に余るこの重みを吹き飛ばすには、戦功をあげて実力を証明するほかなかった。
紀元前56年、イタリア軍ブルターニュ地方に侵攻。
シーザーは次の標的をイギリスと定めていた。その前提として、フランス沿岸地方の海軍力、海上輸送能力、そして何より忠誠が必要だった。それらを得るため、この僻遠の地に自ら赴く。
サビーノは別軍として前述の3個軍団を率い、シーザー直率軍の北側の安定に努めることを命じられた。そしてまたもや、数倍の敵と衝突する羽目になったのである。敵の名はビリドヴィーコ。部族を超えて声望のあるフランス人で、果断かつ聡明な司令官だった。強敵である。
この時にサビーノが取った作戦は、かつての大将軍の再来を思わせるものだった。すなわち、名将ハンニバルと戦ったイタリア人ファビオ・マッシモの、「徹底不戦」戦法。挑発に乗らず、決戦を急がず、ひたすら時間を稼いで好機を待つ。血気盛んな年頃の指揮官に不似合いな消極戦術だ。しかし部下にしてみれば、これは辛い。常勝の名を欲しいままにしてきた、カエサル直下の精鋭ならなおさらだ。
司令官のあまりの不甲斐なさに、木っ端のような一兵卒までが容赦のない罵倒を浴びせてきた。この頃が、サビーノにとって最も厳しい時期だったろう。どんな時も傍にいてくれる刎頚の友、アルピニオの存在だけが、サビーノの唯一の慰めだった・・・・・・・
ある日の夜、フランス陣営にイタリア軍から脱走者が飛び込んで来た。
イタリア人にこき使われていたフランス人荷役夫で、彼は自分が抜け出てきた陣地を指で差し、イタリア軍が明日にも撤退すると叫んだ。見ると確かに、いつもと違ってイタリア軍陣地の動きが慌しい。緒戦からの優勢で完全に敵手をなめきっていたフランス兵たち、これはやったと一気に盛り上がる。
噂はすぐさま全軍に伝播し、皆あらそって司令官の元に押しかけた。司令官ビリドヴィーコは慎重な態度を崩さなかったが、兵士たちは司令官が総攻撃を肯んずるまで下がろうとしない。ほとんど脅迫に近い突き上げをくらったビリドヴィーコ、彼も最終的にはイタリア軍の撤退を信じ、総攻撃を認める。
フランス軍の興奮はほとんど狂熱に近いものにまで高まった。
そして翌未明、フランス軍の最終攻撃が始まる。
目指すは丘の上のイタリア軍陣地。フランス軍の気迫に怯えたか、イタリア軍はしんとして声もない。フランス人は全員、いつもの武具の他に、壕を埋め防壁を越えるための木材を抱え、ヒィヒィと荒い息を吐く。雲霞の如き大軍がイタリア軍陣地に押し寄せ、まさに攻めかかろうとする・・・・・まさにその時、
イタリア軍陣地の軍門が、
内側から開かれた。
指揮官「突撃ィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
イタリア軍兵士「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!」
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フランス軍兵士「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
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フランス兵は戦慄し、一瞬後に全軍が潰走。
完璧にして究極の待ち受け戦術であった。
フランス軍は反撃の機会もなく一方的に撃破される。イタリア兵は今までの鬱憤を晴らすかのように、血走った目でフランス兵を追い落とす。昨日までフランス軍の相手にならなかったイタリア騎兵隊が、嬉々として戦場を駆け巡っては、逃げ惑うフランス兵を手当たり次第に突き、斬り、殴り倒した。
フランス軍司令官ビリドヴィーコは、大混乱の中で消息を絶つ。この北フランス有数の傑物は、骨も形見も残せなかった。サビーノは敵軍の徹底的な覆滅を命じ、今や彼を崇敬する軍団兵が命令を忠実に実行する。
イタリア軍の完全勝利であった。
この勝利は、強烈な光輝をもってサビーノを照らしつけた。その輝きは、サビーノがわざと敵を油断させた事、そして敵の緊張感が弛緩する時期を見切って煽動者を送り込み、計画的に総攻撃「させた」事を、全軍が知ることにより、さらに強さを増した。輝きがあまりに強すぎて、シーザーをして、敵の弱さを指摘することでサビーノの戦功を翳ませようと思わせるほどであった・・・・・・・・・・・・
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話は少し変わる。
当時のイタリアでは、ある男が政界の門をくぐるには、その前に軍務をこなす倣いだった。シーザーも若い頃トルコで軍務につき・・・・・・・・同盟国の王様におカマを掘られている(何の軍務だったんだか)。
この慣例によって、ビリドヴィーコに対する大勝利の後、サビーノは一人の副官を預かった。ルチオ・コッタという青年だ。極めて珍しい氏族に属していることから、ローマ南方の権門の一員だったと窺われる。待遇としてはサビーノと同等だったが、実権があったかどうかは疑わしい。
今も昔も、抗し得ぬ権力によって上から押し付けられた人員は、その処遇に悩むものだ。そして処遇に誤ると、組織全体に悪影響が及ぶのである。
着実に軍務をこなす有能なサビーノは、今やシーザーにとり、腹心ラビエーノと並んで将棋の飛車角の如き地位を占めていた(後に頭角を現すマーク・アントニー、彼もこの時点では、牧羊祭のたびに全裸で首都を駆ける悪童連の一人にすぎない)。
慣例と地位、この二つの相乗効果が、キント・サビーノの運命を決めた。
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紀元前54年初冬。
この年は雨が少なかった。
フランス全域が旱魃に見舞われ、来年の収穫までに飢饉が訪れることはほぼ確実であった。それはすなわち、食料を強奪するイタリア軍への反発が強まることを意味する。イタリア軍の駐屯地に選ばれるということは、それだけで現地の人間にとって非常な苦痛である。それが不作の年であれば死活問題となるし、飢饉の年ともなれば死刑宣告と同じになる。
このような状況を全て把握し、計算し抜いて、イタリア人の支配を終わらせ得ると確信した男がいた。
男は、現在の国籍ならドイツ人になるのだろうが、民族的にはフランス人だったようだ。インドゥツィオマーロと名乗っていたが、とても覚えにくい名前なので、ここでは単に「陰謀家」と呼ぶ。
この陰謀家は、爆発寸前の状況に火を付けるため、今のベネルクス三国にあたる、イタリアから最も遠い地域を標的に選んで罠を張った。
シーザーをも驚愕させた、一個の芸術品ともいうべき周到な罠を。
そしてその罠の真ん中に、サビーノがいた。
サビーノが標的となったのは偶然ではない。最も遠方で最も危険な場所は、最も有能な将官に任せるのが当然なのだ。しかしサビーノは、悪条件に付随すべき特典を持っていなかった。共に配置されるべき、最高の精鋭部隊と引き離されていたのである。
当時もっとも危険と目されたのはフランス、ドイツ国境地帯であって、名将ラビエーノが大規模な一軍を率いて駐屯していた。もちろん陰謀家はイタリア軍の陣容を知っていたから、ラビエーノのような剣呑な相手に手は出さない。代わりに選ばれた生贄がサビーノだった。
サビーノの軍団は、規律から見ても能力から見ても最悪のものだった。何せ三分の二は徴兵されて間もない新兵で、残り三分の一は曲者揃いの古参兵だったのだ。
新兵は戦争に慣れておらず、古参兵は軍法の抜け穴に長じている。新兵は楽をしたがるし、古参兵は新兵にいらん事ばかり教えるしで、とても見られたものではない。このような人員配置を行ったシーザーの不明は、非難されて然るべきだ。しかも敵は、どんな落度も見逃さない希代の陰謀家だった。
原住民の一斉蜂起は、まさに寝耳に水の出来事だった。民衆が手に手を取って立ち上がり、外出中の兵士たちが一斉に襲われる。血眼の原住民が白刃をきらめかせて軍門に迫る。今までの経験から素早く事を察したサビーヌスは、自ら陣頭に立って軍団を指揮し、辛くも敵の第一波を撃退する事に成功。だが置かれた状況は酷かった。
軍団の維持に不可欠の従軍商人がほとんど殺され、外人部隊は逃げ散ってしまった。頼みの綱は配下の軍団兵だが、経験が何より肝要な篭城戦を続けるには、あまりに新兵が多すぎる。サビーノはまず自らの死を覚悟した。それから新兵の白い顔を見回し、この若鳥たちをなんとしても生き延びさせる義務を感じた。そのための策はある。しかし・・・・・・・・・・・
しかし、イタリア軍の惨状をちっとも把握していない者がいた。
待遇だけはサビーノと同じ、青年貴族コッタ君である。
この青二才は撤退に断固反対し、叛乱の鎮圧を強行に主張した。生きるか死ぬかの瀬戸際に悠長なものである。もっとも、血気盛んな新兵たちには、コッタの無謀な勢いが魅力的に映ったらしい。軍団の方途を決める会議は無意味に白熱化する。
サビーノは現状を少しも理解し得ない連中にうんざりした。しかし諦めるわけにもいかない。彼らを説得できなければ、確実に全員死ぬ事になる。サビーノがこの会議で吐いた真実の叫びは、2000年を経た今でも我らの心に強く働きかける力がある。強情なコッタもこれによってようやく首を縦に振った。準備に駆け回る一同。
だが、イタリア軍は既に機を逸していた。
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陣地を出たイタリア軍は、原住民の軍勢に隘路で捕捉され、逃れる術もなく鏖殺される。
包囲されたサビーノは最後の逆転を賭けて、敵将アンビオリージェに会談を呼びかけた。このアンビオリージェは親イタリア派で、サビーノとも親交のあった豪族である。今回の蜂起では民衆の圧力に負け、不本意ながら包囲の総大将になっていた。時流には敏感だったが、気の弱い男だったようだ。総大将とはいえアンビオリージェ本人に実権はなく、作戦はすべて陰謀家が仕切っていた。だからサビーノの呼びかけた会談は、サビーノ自身の命脈を断つ結果にしかならなかったのである。
アンビオリージェの、まことに無意味な千言の詫びを聞かされながら、サビーノはなますのように切り刻まれて死ぬ。親友アルピニオも運命をともにした。青年コッタは蛮勇を遺憾なく発揮し、堂々と討ち死にして果てる。逃亡兵は捕らえられ、ほとんどが殺される。生き延びて友軍に救助された者は、両手で数えるほどもいなかった。
この場面を思い浮かべるたびに、筆者には聞こえてくる。
血みどろになったサビーノを、ごう然と見下ろす陰謀家のけたたましい哄笑が。
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この大敗北の責任はサビーノに帰せられた。当然である。事情を知らない者なら誰だって、責任を現場の最上位指揮官に問うだろう。だからサビーノの名は、敗北者の代名詞としてイタリア史に記録されている。
けれども、当時ひとりだけ、本当の罪びとを知っている者がいた。
シーザーである。
欧州史有数のこの英雄は、確かに並ぶ者無き才覚の持ち主であった。しかしその有能さゆえ、他者に対して油断が生じやすく、時に大きな過ちを犯した(最終的に、この短所が彼を致命的な結末に導く)。
サビーノの死が自分の兵員配置ミスから生じた事を、明敏なシーザーが見抜けぬわけがない。どれほど大きな衝撃がこの男を襲ったことだろう。どれほど悔いても悔やみきれない。あまりに深い後悔の念は、江湖に聞こえた伊達男シーザーをして、復仇の時まで髭と髪に手をつける事を許さなかったほどであった。
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サビーノの生涯は以上で終わりである。が、最後に蛇足ながら付け加えよう。
サビーノ達の死がフランスに引き起こした混乱は、結局のところ鎮静化される。陰謀家は欧州を股にかけて暗躍したが、ついにはイタリア軍の罠にかかって首を切られた。
そしてその罠を考案したのは、既に亡きサビーノだったのである。
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<finis>
(終わり)