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番外編

縁の下の話








 壱ヶ谷(いちがや)は、新しい街だ。

 空襲の焼け野原に鉄道の操車場が設けられたのが、そもそもの始まりである。

 国鉄民営化に伴って操車場が廃止となり、広大な跡地に新駅が設置された。

 駅の近くに市役所が移転し、その周辺に民間資本が投入され、町並みの原型がつくられた。

 代償として、地域の中心だった古い宿場町 九重(ここのへ)が沈滞したが、時代の流れだろう。



 市役所から通りを一つ隔てた区画。

 様々な会社が集まり、オフィス街を形成している。

 その中に、『トライブ・コミュニケーションズ』という銘板を掲げた企業があった。

 事務室が一つきりのささやかな会社だ。

 しかしこの会社、ちょっと普通の感じがしない。

 曇りガラスの向こうは常に人の気配がしているし、出入りも少なくないのだが。

 社名だけでは、何の会社か想像できないだろう。

 登記を見る限りでは、「各種コミュニケーションの相談業務」で報酬を得ている。

 コンサルタント業というやつだ。

 だがやはり、普通の企業という雰囲気ではなかった。

 たしかに社員は礼儀正しい。

 すれ違えば挨拶を欠かさず、お辞儀はきちんと45度。身なりも整えている。

 気さくな大家が声をかければ笑顔で応じ、冗談を返すくらいのユーモアもある。

 なのに、目が笑っていない。動きに隙がない。自動車のクラクションなど不意の物音に対する反応が、尋常でなく鋭い。

 誰も彼も、カタギの人間に見えないのだ。

 ビルに同居するテナントの人々は、「ブラック企業じゃないか」と噂していた。

 もろちん反論もある。証拠は幅広い顧客だ。

 老若男女が入り混じり、服装も種々色々。皆、どこにでもいそうな人々である。

 小学生以上には見えない幼女が、1人で出入りしていた姿すら目撃されている。

 ブラック企業に単独で立ち入る幼児など、どこにもいまい。

 それでもなお、人々の疑心暗鬼をぬぐい去ることはできなかった。

 事実を言えば、彼らの想像は正しい。

 ただし、この会社の危険性は、常人の思考をはるかに飛び越えたところにあった。

 もっと言えば、危険なのは「どこにでもいそうな人々」のほうだったのである。







 トライブ・コミュニケーションズ社内−


「しばらく厄介になる」


「わかった」


 社員は提出された書面を斜め読みし、何カ所か確認するように指先で叩いた。


「住処(すみか)は決まってるんだな」


「書いた通りだ。ツテを頼って、南高梨(みなみたかなし)に用意して貰った」


「そりゃ良かった。高梨は住みやすい所だ。静かだし、海から遠い」


「そうか」


 話しながら、40がらみの社員が書類に赤鉛筆で何やら書き込む。

 男は僅かに目を細めた。


「不備があったか」


「いつまで居るか、書いてなかったのでな。まあ、大概のお仲間は空白のままなんだが」


「長居するつもりはない。面倒はかけん」


「助かる」


 社員は空欄の場所に、再び赤鉛筆を走らせた。


「もういいか」


「ああ。町を去る時に、顔だけでも出してくれるか」


「状況が許せばな」


 形だけ頭を下げて、痩せた男が立ち上がった。

 面会していた社員も、形式上の答礼で応じる。

 男は大きなカバンを、箸でも摘むように拾い上げた。何が入っているのか、みっちりと膨らんだカバンだが、重そうな様子は毛ほども見せない。

 軟体生物を思わせる足運びで、戸口へ向う。

 そこで、ふと立ち止まった。顔だけ振り返る。


「何も言わなかったが、南高梨に”こちら側”の者は住んでないのか」


 問いかけられた社員は、のけぞったままで、数秒固まっていた。

 相手の顔だけ、本当に顔だけ回転したのだ。頸椎(首の骨)が180度ねじれている。

 人間に可能な動きではない。


「た、高梨から丘を一つ隔てた三ツ栄(みつえ)にな、いることはいるんだ。

 いや、他所者と悶着を起こした話を、聞かないんで、な」

 つっかえながらの返答になった。

「ふむ・・・」


「三ツ栄より遠い双葉(そうよう)のほうが、むしろ要注意だろう。

 もっとも、神垣(かみがき)が張ってあるから、入ろうにも入れんはずだが」


 痩せた男は眉をしかめた。

 顔は社員に向けたまま、首から下を旋回させる。


「この町に神垣だと? そんな話は聞いたことがない」


 神垣は御室(みむろ)とも言う。要するに結界である。


「こっちは本庁からの通達を、そのまま言ってる。信じる信じないは勝手だ」


「いい加減な」


「人間外だけでも面倒なのに、人間以上の話は手に余る。

 っと、そうそう、コイツを言い忘れたらいかんな」


「なんだ」


「あんた、揉め事は嫌いだろう? 裏鬼門の五洋(ごよう)へは足を向けないことだ」


「ふむ。縄張り意識の強い喧嘩屋でも巣くっているのか」


「いや・・・・子育てに熱心な愛情一家、だな」


「それのどこが揉め事の種なんだ」


 いぶかしむ声に、社員は肩をすくめた。


「熱心すぎてな、手出ししようものなら八つ裂きだ」


「おいおい。飴屋の幽霊にしては過激だな」


 飴屋の幽霊とは、幼子を残して死んだ母親が、子を思って成仏できず、幽霊となって墓場で愛児を育てたという話である。

 社員は口の端を吊り上げた。相手の目を見たまま、首を振る。


「飴屋の幽霊じゃない。ヒナヒメモリだ」


「ヒナヒメモリ! 七社の無著(むぢゃく)か!」


「そういう呼び名もあるのか。今は相棒の猫又も揃ってるぞ」


「緇盧御前(しろごぜん)まで・・・ここは三途の川の土手っ縁か」


 眉から口まで歪めて唸る男を、社員はぼんやりした顔で眺めた。

 実は内心で、少しばかり心地よさを感じている。

 社員は様々な人外と遭遇し、理不尽かつ不愉快な場面も多々目の当たりにしてきた。

 傲慢だったり粗暴だったりするモノノケが、一匹の化生の名を挙げるだけで汗を滲ませ、首をすくめる姿に、胸がすく思いなのだ。

 もちろん自分とて、無数の悪名を頂く美貌の狼と顔を合わせれば、ガマガエルさながらに脂汗を垂れ流すわけだが。


「裏鬼門と言ったな。近づかないことにする」


「賢明だ」


 痩せた男は大きなカバンを持ち直し、先ほどより心持ち重い足取りで出口を向った。


「予定より早く、街を離れるかもしれん」


「それはそちらの自由だ」


 扉が閉まった。

 ペタペタした足音が遠ざかり、事務所に静寂が戻る。

 それまで片隅で気配を消していた男が、音もなく立ち上がった。

 隙のない身ごなしだが、まだ若く見える。

 若者は応接セットを眺め、床に目を止めた。来客の通ったあとに、粘液の跡が細く伸びている。

 肩を軽く回して、掃除道具を取る。モップを粘液の上に走らせながら、年上の社員へ聞いた。


「先輩、今のは何のモノノケですか」


「蛞蝓だ」


「カツユ・・・ですか」


 首を捻る後輩に、男は鼻を鳴らした。


「わからない事は自分で調べろ。そうでないと覚えんからな」


「は、はい」


「知識は多ければ多いほどいい。相手に舐められたら最悪だ」


「了解です、先輩」


 力が足りなければ、本当に舐められるのだ。アカナメにぺろんと一撫でされて失神した同僚もいる。

 かつゆ、かつゆと、小声で呟く後輩を尻目に、社員はソファに腰を落とした。

 指でこめかみをグリグリと押す。

 どんな小者であっても、モノノケは油断ならない存在だ。

 こちらの言葉の間違い一つ、相手の気持ちの揺れ一つで、人命など木の葉より軽く吹き飛ばされるのである。


 他支部の事だが、尼僧の姿をした醜い老婆が来訪した時の話だ。

 老婆が帰った後、ジャガイモみたいな痘痕(あばた)面を笑った女性社員がいて、それが老婆の地獄耳に届いた。

 口の悪い女性社員は、その夜に”全身脱毛”の刑に処せられ、出社拒否→退職というお決まりの流れになったそうだ。

 老婆の正体は、カミキリムシと呼ばれるモノノケだった。


 この話は、組織に配属された新人が、一度は必ず耳にする。

 そして「相手が温厚なモノノケで良かった」と締めくくられる決まりなのである。



「それにしても、先輩」


「なんだ?」


「五洋のオオカミって、マジで怖がられてるんですね。あんなイイ女なのに」


「イイ女か。まあ・・・・・・お前は若いからな」


「は?」


 意味を掴めずポカンとした後輩に、先輩は黙って首を振った。

 外見に惑わされるのは、愚か者か未熟者と相場が決まってる。

 五洋に巣くったバケモノの本性は、海千山千の古狸が避けて通るほど恐ろしい。


「あの蛞蝓、七社の無著と呼んでいたな」


 無著は羅刹女(らせつにょ)・・・つまり凶暴な悪鬼の一人だ。

 仏道に帰依するまでは、人を殺し、肉を喰らうことに何のためらいも無かったとされる。


 越中源氏の百騎喰い。


 呱子の千人鏖殺(みなごろし)。


 ンブズィ将軍殺害。


 ロアーマレイのフーリガン虐殺。


 他にも、木曽や駿河で。また佐賀と岡山でも。カナダやモスクワで起こした事件もあった。

 単独の犯行と化け猫が共犯だった件とが混じっているが、いずれにしろ表沙汰になったものだけで「人間の」被害は万を超える。

 歴史の影に埋もれたり、ただの天災とされたり、人外だけで処理された件も含めれば、どれほど損害が膨れあがるか知れない。

 歩く災厄と言っていい。


「言い得て妙だ」


 軽い偏頭痛を覚えて目の上を揉んだ。


「それでも・・・本当に怖いのは、知られてないヤツのほうだろうがな」


 大上美守を名乗るニセ教師が有名なのは、ニホンオオカミの最後の生き残りである事と、数々の武勇伝によるものが大きい。

 ところが、そんな狼女でも太刀打ちできるかという強大なヤツが居るのだ、この町には。


「まったく、ぞっとしないぜ」


「先輩、何か?」


「何でもない。それより気をつけろ。あのオオカミは人食いだぞ」


「うっ・・・・は、はい」


 思わず姿勢を正した後輩へ、社員は重々しく頷いてみせた。



「見た目はアテにならないんだ。


 化け物も、人も、な」




(終わり)








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