ゴールデンウィークが過ぎ、五月病にかかった新入生が回復の徴候を見せ始めた頃。
放課後に先生の呼び出しを受けた。
僕一人だけ。それも担任じゃなく、進路指導の足立先生からだ。
連休前に提出した進路調査票のことで、話があるらしい。
「仁科ちゃん、変な進路でも書いたん〜?」
「お金持ちの婿養子〜とか?」
「書かないよっ」
クラスメートの言葉に少し尖った口調で応じて、僕は教室を出る。ドアの隙間から邪気のない笑い声が漏れてきた。
僕的に人生ワースト5に入る経験となった悪夢・・・”伝説の卒業式”から二ヶ月。
人の噂も七十五日、どころじゃない。
あの出来事は、学校の神話に黒々と書き加えられていた。
そりゃ、卒業生総代が壇上で、元カレに告白大演説やらかせば・・・・ね。
だけど。
僕は凡人だ。
平和が大好きだ。
平凡が一番で、ただ何事もなく日々を送りたいんだ。
なのに。
惣右衛門さんが卒業したいま、学校一の有名人という位置付けになってしまった。
ナットクできない!
− ナットクできない 番外編 −
【 ほどけぬ Leash 】 |
指定された時間に進路指導室の扉を叩いた。すぐに「どうぞ」の声が届く。
「失礼します」
滑りの悪い戸を引き、狭い部屋に入る。
狭いといっても、実際は六畳間くらいある。人間二人が入るには余裕過ぎる広さだ。
だけどその部屋は、窓以外の壁面が全て進路資料に埋まっていて、嫌な圧迫感があった。
部屋の真ん中に小さな机、それから椅子が二つ置いてある。一つに足立先生が腰掛けていた。
足立先生は教務員の服務規程を体現したような存在だ。猫背気味の体にスーツを着込み、髪をきちんと七三に分け、いつも泰然としてる。
この人が”六原サンダー”と呼ばれてたなんて、誰も信じないだろう。同年代の先生によれば、昔は相当ヤンチャな走り屋だった・・・とか言ってたけど。
あ、六原っていうのは、暴走族の皆さんがご愛用の、広くて真っ直ぐな道路がある町ね。
「座って」
手元の紙に目を通していた足立先生が、僕を横目で見て椅子に促す。
ゆっくりと、なんだか座り心地の悪い椅子に腰を下ろした。
「仁科祐くん」
「はい」
日頃の教師生活で鍛えられた太い声が指導室に響いた。
僕と目を合わせた先生が、持っていた紙を逆向きにして机に置く。
さっと見て、それが自分の出した進路調査票だとわかった。
「最初に言っておくが、別に注意や警告で呼んだわけじゃない。伝達事項があったからだ」
「はい」
緊張で入りすぎていた肩の力を抜いた。
「君が無理と考えて書かなかったのもわかるが」
・・・・・・・・・は?
「連休中の職員会議で話が通ったから、それを知らせるためにね」
・・・・・・・・・・・・へ?
足立先生は手元の資料から、紙片を一枚抜き出すと、僕の調査票の上に重ねて置いた。
まっさらの進路調査票だ。
途惑いの視線を向けると、足立先生が頷いた。
「調査票を書き直しなさい。第一志望は、鳳陵(ほうりょう)大学の経済学部で・・・経営学科だったな?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」
「おめでとう・・・と言っていいかどうかわからないが」
足立先生は僕を見据えた。
「鳳陵大学への特別推薦枠は君のものになった。希望通りにね」
「ふええええええええええええ!!??」
進路指導室を出て次の一歩から、僕は駆け足になった。
人影の絶えた廊下を走り抜け、階段を二段飛びで上がる。
屋上に飛び出すと同時に、胸ポケットからケータイを引き抜いた。
半年前まで毎日のように使っていた番号を叩く。
相手はすぐに出た。
『・・・・やあ、私だ。君から掛けてくれたのは久しぶりだね?』
「どーゆー事ですか!?」
僕はケータイに怒鳴りつけた。
『・・・・・・・・・・・・・・・・・』
両者に沈黙の幕が下りる。
傾いた春の日差しの中、衛星放送のアンテナを睨み付けた。
殺風景な屋上で、他に憤懣を向ける対象がなかったからだ。
肩で息をしていると、受話器からごとごとと物音がした。
『失礼、驚いて電話を落としてしまったよ。いきなりだね、ユウ』
「それはコッチの台詞です! いきなり何ですか、鳳陵大学なんて!」
『ああ、無事に話が通ったんだね。ユウ、推薦おめでとう』
「ありがとうござ・・・・」
反射的に礼を言いかけて、口をつぐんだ。
これじゃ、いつものパターンでまるめこまれてしまう。
「・・・・えっと、事情をきちんと説明してください。惣右衛門さん」
『先輩と呼んでくれたまえ。少し早いかもしれないが、君はまた、私の後輩になるのだから』
僕は呻いた。
太陽はすっかり傾いている。
水槽に預けた体は、脱力感でいっぱいだった。
鳳陵大学は、この町から通える範囲で最も有名で、一番偏差値が高い大学だ。
そして、惣右衛門さんが通学してる学校でもある。
そんな学校への、特別推薦。
足立先生は明言しなかったけど、遠回しに惣右衛門家の意向で決まったことを知らせてくれた。
惣右衛門家の意向・・・・つまり、惣右衛門さんの差し金だと。
「僕の学力で推薦なんて、あの鳳陵が受け付けるわけないじゃないですか・・・」
『特別推薦だから、大丈夫だよ』
「そもそも、僕が特別枠に入れるわけがないでしょう」
特別推薦というのは、ごく限られた成績優秀者に与えられる特権だ。
一流所を含むいくつかの大学が用意されていて、その中から希望の進路を選ぶことができる。いちおう試験も受けるけど、名前を書けば合格できると言われていた。
たしか、学年で三位までの生徒しか貰えないはずだ。
僕がそんな優秀者じゃないことは、言うまでもない。
成績なんて、せいぜい中の下だ。
『うん、君の成績ならよく知ってる』
「だったら−」
『先日、ふと思い立って懐かしの母校を訪れてね』
先輩は僕の言葉を最後まで言わせてくれなかった。いつもの事だけど。
『しばらく離れると、今まで気にならなかったことが色々と見えるものだね。鍛心館(たんしんかん)の古さが気になったんだ』
三月に卒業したばかりだが、と先輩がくすりと笑う。
「・・・・・・・・・はあ」
何を言いいたいのかさっぱりだけど、とりあえず相づちをうつ。
ちなみに鍛心館というのは、いわゆる武術練習場のことだ。剣道とか柔道の授業や部活で使ってる。
『それで理事長と歓談した際に、鍛心館を話題に上げたら、あちらも老朽化問題を認識していた。
ただし財政的に、立て直しも改修も難しいそうだ』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
『私は母校の窮状が見るに忍びなくてね・・・・
OB会のほうでお手伝いできることはないかと伺ったら、金銭的な支援が一番ありがたいと言われた』
理事長は正直な人だな、と受話器の中でからりとした笑声が響いた。
『そこで家の者に相談して・・・日を改めて、改修費用の援助を申し出たんだ』
「援助ですか」
「うん。出資者の名はOB会だけど、ほとんどは当家が出す」
「うは」
この人、さらっと言いましたよ。
建物の改修なんて数百万、もしかしたら千万単位の案件を、さらっと。
『それで話し合いの最中に、最愛の君の進路を尋ねたのだ。
そうしたら、気を利かせて特別枠を用意してくれた、と』
「思いっきり買収じゃないですか!!」
マトモじゃない!
ぜったいマトモじゃないよ!?
『人聞きの悪いことは言わないでくれたまえ。私は純粋に愛校心を発露しただけだ。
君のことは雑多な話題の一つでしかない。ユウを推薦するのは、あくまで学校側の判断だよ』
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
この口調のまま理事長たちを恫喝する惣右衛門さんの姿が、脳裏にありありと浮かんだ。
その場に間違いなく同席したはずの、仁王像のような恩田さんの姿も。
首を振り、盛大にため息を吐き出した。
「あの、惣右衛門さん・・・せっかくの話ですけど、僕が鳳陵みたいな有名大学に入ったところで、学力不足で中退するのがオチじゃ・・・・」
『そんな心配はするだけ無駄だよ。
一流だろうと三流だろうと、大学など入ってしまえば何処も同じだ』
「夢も希望もないこと言わないでください」
むしろ「身も蓋もない」という感じだ。
「そっ、それにお金が。そう、鳳陵なんて、ウチみたいな家には学費が高すぎますよ」
ウチは貧乏じゃないけど、あんな名門大学の学費は重すぎる。
『そうやって、君はすぐに負の面を考えるね。安心したまえ、学費なら私が出す』
「ええっ! 親戚でもないのに、惣右衛門さんのお家から学費なんて、とても貰えませんよ!?」
『家に負担はかからないさ。私個人のポケットマネーで十分だ』
「はあ〜・・・・・」
顎がかくっと落ちた。
ポケットマネーで大学の学費って・・・・
いかんともしがたい考え方の落差に何も言えなくなる。
『もう、ユウったら・・・・ユウ♪』
惣右衛門さんが、歌うように僕の名を呼んだ。
「・・・・・・・・・・・はい」
『君はまだ、余計なことを気にしなくていいんだよ。
大切な事はだね、より良い環境に身を置き、大きな器を備えた人間に成長することだ』
「大きな・・・?」
『うん』
彼女は、染み入るようなゆっくりした口調で説いた。
『鳳陵は、ただ名門と呼ばれるだけじゃない。たしかにね、五つ星がつくような都内の学校と比べたら、設備や通学の利便性で劣る。
だけど教授陣は一流だし、才能豊かな若者を育てる教育力と、新進気鋭の学者を容れる度量は負けない』
「・・・・・・・・・・・・・」
『私はね、ユウ・・・君のポテンシャルを、信じてるんだ。
ユウは私と並び立つ存在になると』
「えっと、それは・・・?」
『だから君は、私を信じて勉学に励んでくれたまえ。
大学の経営学なんて実務と比べたら遊びみたいなものだけど、早くから大きな数字に慣れておくのは悪くない。
私の家は実力主義だから、若くても力量次第で挑戦できる事が増えるしね』
「ちょっ、惣右衛も−」
なんか、ナチュラルに不穏当なことを言ってません?
『それじゃ悪いけど、会議があるから切らせてもらうよ。
実務は任せきりとはいえ、経営方針だけは社長の専権事項だ。
それにケータイで話しながら挨拶するのは失礼でもある』
「は・・・ご苦労サマです・・・・」
『ありがとう。私はいつも願っているよ・・・ユウが、私の横に立つ日が早く来るようにと』
最後に(一方的に)再会を念押しして、惣右衛門さんは電話をきった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「なーんーでー そーなるんだああああ!」
あーもーあーもー。
何がなにやら。
何をどうすればいいのか。
頭がぐちゃぐちゃの状態で帰宅。
すると、家の前に黒塗りの高級車が駐まっていて−
「それではご子息をお預かりいたします」
居間で惣右衛門さんが、三つ指をついてウチの母さんに挨拶してました (´・ω・`)
「まあまあ、何から何までお心遣いをいただいて・・・・こちらこそ、末永くよろしくお願いします」
勝手に人間を受け渡しするなあああああああ!!
「つか、先輩は会議じゃなかったんですか!」
「やあ、おかえり。君の声を聞いたら、どうしても会いたくなってね・・・・」(ぽっ)
助けてーっ!
(Endless?)