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− ナットクできない 番外編 −


【 卒 業 変 】













 朝まで残っていた雨は、昼前に降りきっていた。

 じめっとした冷気が、少し鼻をつんとさせる。

 校門の隅で花開いた紅梅が、ひそやかな春の足音を示していた。





(・・・・・・でとう)





 呼ばれた気がして振り返る。


 でも、僕に視線を向けてる人はいない。




 気のせいか。






(おめ・・・とう・・・・ウくん)







 気の、せいだ。




 僕はふっと息を吐いた。


 校舎の玄関に、紅白で縁取られた横断幕が掛けられている。

 胸に造花をさした卒業生が、一人で、あるいは数人で、くぐり抜けてくる。

 横断幕には『卒業おめでとうございます  青翠高校 在校生一同』の文字。

 ちょうど見知った顔を見つけて、僕は声をかけた。


「平沢」


 相手が手をあげる。


「仁科、クラス会の時間、五時半だってよー」


「六時集合じゃ?」


 首を傾げる。

 平沢は、ひらひらと手を振った。


「それがよー。成田のヤツが帰り際にいきなり、早めの集合にしたほうが遅刻者が出ないでしょー、ってよ」


 急に甲高い声色を作った平沢に、口元が緩んだ。

 ガタイのいい平沢に、女声ほど似合わないものはない。


「三十分はやくしたって、どーせ遅刻するヤツはするけどなー」


「そうだね」


 クラスの遅刻常習犯の名前が2、3人、思い浮かんだ。


「ま、アレだな。成田も最後のチャンスだからよ」


「へえ?」


「あいつさ、クラス会の最後あたりで、きっとカッコーに告白するつもりなんだぜ。

 だけどカッコーが遅刻したら、なんか台無しな感じじゃん?」


 平沢は肩をすくめた。

 カッコーは栗木勝攻(くりき かつたけ)のアダ名だ。皆が認める遅刻常習犯の一人。


「そっかあ・・・成田ってカッコーが好きだったんだ」


「俺も知ったのは年末だけどよ。

 カッコーと成田のグループに近い奴はみんな知ってたらしいぜ」


「あー、田所とか?」


「そそ。あいつら、卒業までにコクるか賭けてた」


「あ、はは」


 僕の笑い声は乾いていた。

 平沢に声がかかり、そこで手を振って別れた。

 卒業式が終わっても、まだクラス会がある。しんみりする場面じゃない。

 次に見つけた顔は、久しぶりの相手だった。


「よ、仁科。おっつー」


「茂木、おつかれ」


 懐かしい友達と会えて嬉しくなった。

 茂木は入学したてで仲良くなった仲間の一人だ。

 二年のクラス換えで別の組になり、つるむ事はなくなったけど、顔を合わせれば立ち話くらいはする。

 メアドはわかってても、ちゃんと話をしときたいと思っていた。


「新会長、けっこうイイ感じじゃね?」


「うん。僕たちの会長とどっちが上級生か、わかんないくらいだね」


「アイツはなー・・・ま、いいけどよ」


 茂木は首を振った。

 僕たちの代の生徒会長は、内弁慶の見本みたいな人だったから。

 今日の卒業式でも、新会長になった男子は、細身だけど胸をはって堂々としていた。

 足を震わせていた前会長と大違いだ。


「頼もしくていいじゃん?」


「や、なんか先輩として悔しくね?」


 茂木が口の端を歪める。

 僕は軽く笑って受け流した。

 そのまま、茂木と二人で校門を出る。

 門に立てられた卒業式の看板を背に、何人も並んで記念写真を撮っていた。

「茂木も撮りたい?」


「いんねーよ。親も来てないしな」


「そだね」


 女子はともかく、僕ら男子は高校の卒業式で親に来られても、恥ずかしいだけだ。


「仁科、あれ」


「え?」


 写メとりまくりの皆を眺めてると、茂木が軽く肩をぶつけてきた。

 視線を巡らすと−


 疫病神がいた。


「・・・・・・・・・うぐっ」


 相手も同時に僕を見つけたらしく、小さな手を振っている。


「何がうぐ、だ。お前を待ってたんだろ。

 うらやましーぜコンチクショウ」


「・・・・・・・」


 僕は黙って視線を落とした。

 胸のあたりがツキンとする。


「じゃ、仁科またな。メールするわ」


「ん、また」


 気を利かせたつもりの茂木に苦笑いを向けてから、僕はため息を吐いた。


 予想はしてた。


 してたけど、ね。


 仕方なく、ゆっくり手を挙げる。

 『彼女』が歩を進めると、潮が引くように人波が分かれた。

 堂々と歩んでくる、ダークグレーのスーツを身につけた、小柄な女性。


「ユウ、卒業おめでとう!」


「ありがとうございます、惣右衛門先輩」


 僕の天敵、惣右衛門あきら先輩が、満面の笑みで祝福をくれた。


「おめでとう、仁科」


「ありがとうございます」


 相変わらず、影のように惣右衛門先輩に付き添う、恩田勝次先輩にも頭を下げる。


「他ならぬ君の晴れの場、本当は卒業式にも出席したかったのだが、あいにくと公用があってね。

 この時間に間に合わせるのが精一杯だった・・・すまない」


「いえいえ。お気持ちだけで十分ですから」


 十分 = お腹いっぱい ですから。


 もしも来賓席に先輩がしれっと座っていたら、今日の卒業式は人生最悪の思い出に追加されただろう。

 出席者の中に一年前の悪夢・・・『伝説の告白卒業式』を知らない人はいないのだから。


(・・・あれ?)


 ふと別の可能性を考えて、いかつい顔の恩田先輩に目を向ける。

 尋ねるように首を傾げると、恩田先輩は無言で肯定した。


 あー、やっぱり誰かが裏で手を回したんだ・・・・

 惣右衛門先輩を、卒業式に出席させないように。


 去年の大惨事を思えば当然だろう。

 とはいえ、先輩の行動を阻害するのは、惣右衛門グループのアイドル的存在を、敵に回すような事。

 それはきっと、惣右衛門家の内外を巻き込んだ一大プロジェクトだったに違いない。

 作戦を見事に完遂した人たちに、尊敬すら覚える。


 世の中には、僕なんか比べものにならないスゴイ人たちがいるんだなあ。


 間違いなく作戦の中枢にいたはずの人物へ、僕はもう一度、敬意をこめてお辞儀した。


「ユウ、君に卒業祝いの贈り物をしたいんだ。

 受け取ってくれないか?」


「え、今、ですか」


「うん・・・・勝次」


「おう」


 恩田先輩が、脇に抱えていた厚紙の箱を開ける。

 惣右衛門先輩は箱に両手を差し込み、中身を僕へ掲げてみせた。


「どうかな。サイズはピッタリ合うはずだが」


「えっと・・・・先輩、これは?」


 先輩が僕に差し出したのは、藍色のブレザー。

 受け取ると、見た目より軽いわりにしっかりした生地の感触がした。

 高校の制服に似た仕立てで、そっくりなだけにかえって作りの良さがわかる。

 胸に金糸のエンブレムが縫いつけられていた。


「私たちの、鳳陵(ほうりょう)大学の制服だよ。

 普段は着ないけれど、公式の場所で着用するんだ」


「は、はあ・・・」


 戸惑いながら応じた。

 僕は入学(させられる)予定の大学に、制服が存在することすら知らなかった。

 と、先輩が何か言いたげな顔になっていた。


 いけない。


「あの、ありがとございます、先輩。

 嬉しい、です」


「そうか」


 何とか笑顔を作ると、惣右衛門先輩がホッとしたように口元を緩める。


「良かった。さっそく着てみてくれ」


「え、ここで?」


「もちろん。もし合わなかったら、入学式までに直さねばならないからね

 君の母上にサイズを訊いてから注文したから、間違いはないはずだが」


 我が家に潜むスパイの存在を暴露しながら、先輩がしたり顔で人差し指をたてる。


(かーさん・・・)


 アンタまで先輩の味方ですか。


「仁科、卒業証書を預かろう」


「・・・お願いします」


 恩田先輩に卒業証書の筒を渡す。


「私は制服を持つよ」


「は、はい」


 女の人が近くにいる事に圧迫感を覚えながら、着なれた制服から腕を抜く。

 ざっくり丸めた制服を渡し、藍色のブレザーを着込む。


「・・・・ふむ」


「うん。似合ってるよ、ユウ」


 先輩二人が揃って頷いた。


「ピッタリ、です」


 肩幅、袖の長さ、襟周り、曲げた肘の当たり具合。

 初めて着たのに、まるで違和感がない。


「ありがとうございます」


 今度のお礼は自然に言えた。

 先輩が満足そうに微笑む。


「いい仕上がりだ。さすがシニョール・ゴルディーニの仕事だな。

 勝次もそう思うだろう?」


「ああ、マエストロ直々の作品だけある」


「はい?」


 聞き流せない言葉が耳に引っかかり、僕は恩田先輩を見上げた。


「マエストロって、何ですか?」


「気にするな、仁科」


「ユウの気にすることじゃないよ」


「吊しより少しマシなイージーオーダーのブレザーだしな」


「そうとも。ちゃんとしたスーツは成人式にでもプレゼントさせてもらうよ」


「は、はあ・・・・」


 先輩二人に勢いで誤魔化された気がしたけど、追求しないことにした。

 そのほうが、間違いなく精神的に良いから。

「それじゃ、卒業記念の写真をとろう」


「え、それならクラスの皆でー」


わたしたちの写真を撮るんだ」


「は、はひ・・・」


 彼女は笑顔だったけど、目が笑ってなかった。





 卒業式の看板を背景に、先輩とツーショットで撮ったり、飛び入りで惣右衛門先輩のファンを名乗る女子達と一緒に撮影されたり、二桁に届くくらいシャッターを押された後。


 たぶんこれで着納めになるだろう、高校のブレザーを見下ろす。

 周りにはお約束だけど、ぽろぽろ涙を流す女の子が何人もいるわけで。

 僕もちょっとだけ、しんみりした気持ちになった。


「それじゃユウ、家まで送らせてもらうよ」


「そんな、悪いですよ」


 主に、僕の精神衛生上。


「いや。君の卒業式に出席できなかったから、せめてものお詫びだ。

 それに大学のブレザーも、歩いたら荷物になるからね」


「大丈夫ですよ。お気持ちだけいただいてー」


「 わ た し が 送りたいんだ」


「・・・・・お言葉に甘えます」


「うん」


 当然のように頷いた惣右衛門先輩が、右手を挙げて軽く振る。

 すると人の群れが、モーゼの渡る海のようにぱっくり割れた。

 そうして姿を現す、黒塗りの・・・


「あの、先輩? これは・・・」


 姿を現したのは、名前だけなら誰でも知ってる超高級車だった。


「大事な君の卒業式だからね。

 無理を言ってお爺様から借りてきた。

 遠慮せず乗ってくれたまえ」


 にっこり笑って車を指し示す、惣右衛門先輩。


 神殿の柱を模して作られ、ピカピカに磨きあげられたグリル。その頂点に燦然と輝く精霊のシンボル像。

 おそろしい出力と速度を容易に想像させる巨大なフロント部と、それが当然と思わせるほど長大な車体。

 パッと見で長さが十メートル以上あるだろう、左ハンドルのスーパーロングボディ。

 こんな車、どこの日本車メーカーも作らない。


「い、いやいやいやいや!

 いくら何でも、やりすぎじゃないですか!?

 学生の乗る車じゃないですよ!」


 強烈な存在感を放つ車両の前で、バカみたいに首を振った。

 一縷の望みをかけて恩田先輩に顔を向ける。

 この状況で惣右衛門先輩の意志を変えられるのは、このヒトしかいない。


「・・・・・・・」


 恩田先輩は、大きな肩をすくめるだけだった。


 がっでむ!


 どうやら天と地の狭間に、僕の味方はいないらしい。


 お嬢様自らドアを開けてくれてるものの、予想を遙かに飛び越えた事態に躊躇(ちゅうちょ)する僕。

 と、背中から囁き声が届いた。


「・・・この車って、アレっしょ?  王様とかアラブの大富豪が乗るー」


「さすが惣右衛門さんだよねぇ」


「燃費すっげー悪そう」


「地震でガソリンなくて、被災地じゃ困ってるのに・・・」


「やっぱお金持ちは違うよなぁ」


「犯罪的」




 僕のせいじゃないよーっ!?



 結局、注目度満点の超高級車で自宅まで搬送された。

 乗っていた間、ずっと脳裏で再生されていたのは、「町内引き回しのうえ獄門!」という時代劇の名奉行の台詞。


 そうして、夜の卒業クラス会は、乾杯から一段落した途端に僕の吊し上げ大会へと早変わり。

 どうしようもないほど思い出に残るお別れ会になりましたとさ。





orz








〈終わり〉























<蛇足>




「先輩、ちょっとお聞きしたいんですが」


「なんだい、ユウ?」


「いただいた制服に縫い付けてあるネームが『惣右衛門』になってるんですけど・・・・

 これって間違いじゃ」


「そんな大事なことを間違うわけないじゃないか。ユウのために仕立てた服だよ?」


「いや、だから、どうして−」


「ユウも18歳だし、近いうちに名字が変わるだろう?

 それなら早めに慣れておいたほうがいいと思ってね」






「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」











「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」




















何だって!?










(本当に終了)





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