生徒指導・進路指導論K(2003年1月10日)

 

「いじめ」を理解し、対応策を考える。その対応やPEACEメソッドの必要性を社会学的に説く。

「いじめ」を国際比較からみる

 ・・・先入観として、「日本は『いじめ』が多い社会」というのがあるか? しかし、この先入観は「いじめ」を本当に理解しているといえるのか。なぜ、こんなにも「いじめ」への危機感があるのに、その問題が解決(減少)にいっていないのか?(それとも解決しつつあるならその実態を知ろう!) なぜなら、「不登校」でも同じように私たちは「先入観」はあるが、正しくその状態の多様性や実際をあまりにも知らないのではなかったか。それによって「知っている」と思って重要視されない状態ではなかったか?

 

  図1                          図2

  <図1>でみると、「いじめられた経験」つまり「いじめ」の数は、日本より「イギリス、オランダ、ノルウェー」の方が多い。つまり単純にいえば「日本は他国より『いじめ』が多い」という先入観は正しいとはいえない。これは比較してはじめて確かにある。ただし問題は「質」である。<図2>のようにいじめ被害が個人に「頻繁」に繰り返され、さらに「継続」して長期化しているという率では「日本」がもっとも高い。続いて「ノルウェー」で、少ないのは「イギリス、オランダ」である。単純に言えば「日本の『いじめ』は深刻だ」ということになる。まさに「弱いものいじめ」の構図である。ここで上の4国を比較した意味を説明すると、規模の似た国家というのもあるし、イギリス・オランダとはつきあいも深く、影響もみられるかと思う。しかしノルウェーとはそこまで深い共通点があるのではない。ところが「教育制度・学校体系」を比べてみる(図は略)。イギリス(イングランド)の学校制度やオランダ(ドイツ風の)学校制度と日本は違う。ところがノルウェーとは同じ単一線型の学校制度である。いい意味で平等・公平に大学進学への機会が保証されている。もちろん「学校制度のせいでいじめがある」というのでは解決策はあまり見込めない。そうではなくて、「いじめが見えにくい」「価値観が統一されやすい」制度的特徴が「あるかもしれない」という考え方をしたい。それを気をつけて解決策として、「可視性」を高めていくべきである。

  図3                         図4

  解決策として「教育」の中身をみる。「陰湿なのが少ない」のは「文化・伝統」だからといってあきらめるべきなのか。「指導」の方向性が見いだせないか? <図3>は「見て見ぬふり」をする割合。イギリス・オランダは高学年になると「傍観者」でなくなってくる。日本は残念ながらますます高まる。<図4>は「止める」割合。同じ結果が出ている。上の他国では止めたり、見ぬふりをしなくなったり、あたりまえだが年齢とともに「倫理観」「理性」が育っていると思えるが、日本では逆に、より止めなくなる。するといじめられる対象はものすごくつらい状態へとなっていく。これは「教育的」にすばらしい「効果」なのだろうか。「大人になる」という意味が違うのだろうか。「受験・競争」などにだけ責任をおしつけるべきではなく、ここでは他国がなぜ少なくなってくる(止めるようになる)のかを考えるべきである。実は「イギリス」ではPEACEメソッドの原型である「ピア・カウンセリング」や生徒自治・学校自治の方法論が確立されている。ジェントルマンシップでもよいが、そういう風土や伝統がつくられている。そういう「伝統」をつくろうというのが「PEACEメソッド」の目的ではなかったか。「学校の伝統をつくりあげていく」「意識をかえていく」とは実はこういうデータ分析からも必要性がみえてくる。「オランダ」は多民族のいる多様な文化形態をもつ国家でもある。だからこそ問題点ももつが、多様さを受け入れ、認める風潮がある。ゆえに自立性や、透明性が高いという特質もある。それが「見えにくさ」をなくしているのではないか。それも「多民族だから」ですますべきものだろうか。

   図5                         図6

 さいごの図は「見えにくさ」である。<図5>は「いじめ被害者」が語ったことであるからリアルさもある。「いじめだと認識していなかった」などの台詞が周囲からある。これも「見えにくさ」であり、そういう状況が蔓延するほどに悲惨に、救われないものとなる。「クラスの友だちの対応」がどうであったかについて、日本は「なくそうとした」「なくそうとしない」「知らない」が同じ程度の率であった。イギリスは「なくそうとした」友だちが47%以上と高い。「知らない」率は日本とは大きく変わらないかもしれないが、止める率が高いといえないか。教育の効果であろうか。オランダは「なくそうとしない」のは異常に多く、つまり数字どおりなら「止めない」ようにも思える。しかし「事実を知らない」率の低さに注目されたい。透明性・可視性が高い。「認識していなかった」というのが少ないだろうと思える。つまり「イギリス、オランダ」だと救われる率が高い。これはPEACEメソッドでいう「コーピング」機能である。<図6>は「保護者」「教師」という大人によるフォロー状況を比較している。これは3ケ国ともに「クラスの人(友だち)」より大人の方が倍以上「見えにくい」というのが事実というのを示している。透明なオランダでさえ「子ども」に見える方が圧倒的に高く、大人まで伝わっていきにくいというのがわかる。ここから考えるべきことは、可視性である。教員に見えない理由は何か? 「認識不足」があるのなら、実態を知りながら意識して学んでいくべきである。「信頼性」がないから相談できないのだとしたら、カウンセリングの「方法」もそうだが、それ以前にコミュニケーションラインとして人格や通常の人間関係をつくりあげていなければならない。それでも大人には相談や見える率も少ないであろうから、そのために「子ども」側を「教育する指導」が必要であろう。少なくとも、日本ではできていなくても、イギリス・オランダでできているのならば、そういうものを実態的に考査していくべきである。「PEACEメソッド」はカナダ、オーストラリア、ニュージーランド等の英語圏で実施され効果が確認されつつある。「日本だからできない」というのは証明できるであろうか。少なくとも、本日のデータから、「いじめは深刻ではない」と楽観的に何もしないでいいという実感が得られただろうか?

 (リアクションペーパーを配布→回収)