生徒指導・進路指導論J (2002年12月20日)


「体系化」?

これまで講義で扱ってきたことを体系化すると・・・
 

@ガイダンス 
A理想的な指導とは?<(A)校務としての指導(B)相談指導(C)自立促進指導>
B生徒を「わかる」(相手の身になる・実感する)−(1)知的理解(2)感情的理解
Cカウンセラーは特効薬ではない(依存すると解決しえない)例:不登校の多様化
Dカウンセリングの初歩的方法論(ロールプレイ)−はなす。きく。みる。−
E論駁するカウンセリング−論理療法−
F新指導指針−「心と行動のネットワーク」(学校・家庭・地域の連携)−
G新指針の具体案−PEACEメソッド(計画・継続的自立指導)−例:「私語」どうする?
H「自立」(集団意見)のまとめかた−グループワーク・KJ法・ウェビング−
I進路指導傾向を読み解く−資料読解・社会学−

 

 エクササイズと理論をつなげる方法・・・これまでは単純な場面のみであった

 

サイコ・ドラマ

・即興の劇を演じることで、心理的に仮想(疑似)体験によってその状況を理解するという精神療法の方法論の一つ

 <期待される効果:ねらい>

 @「役割演技」により、役割の気持ちを理解する。

 A「劇」をみることで全体に問題が伝わる。

 B即興(予定調和的でない)によってよりリアルに問題視をできる。

 C演技がうまくいかなかったとしても、それがなぜかを振り返ることでさらに理解は深まる。

 D「家族療法」としても意味がある。

 Eもちろん「シナリオ・ドラマ」という方法もありえる。

 

●本日の実演!  タイトル 『不登校児童がいる家族の風景−朝−』

 

●家族の構成→父(女学生)、母(男学生)、お爺さんかお婆さん、子ども1、子ども2(子どものどちらかが不登校の設定、性別はどちらがどちらでもいい)、先生(生徒指導)

  計・6人 (いちおう二世帯の家族を構想してみた)

 

 ※役柄の性格設定(立場、キャラクター)・・・まかせる。話し合ってきめる。(数分間)

(例)母は心配。登校強制派。父は子育て放棄派、ゆえに母におしつける。でも子どもには甘い。祖父は「まぁま

     ぁ」と言ってなだめる。弟は「みっともない」とクール。先生は熱血教師だけど強引。・・・等。

★ストーリー
→(例)不登校になりつつある子が風邪のような症状で寝込んで3日目。その子は子供部屋にいて、残りの家族が朝食をとっている。親のどちらかが「その子はどうしたんだろう」と心配するところからスタート。あとは真に役柄を演じてほしい。家族の会話としてお互いに相手に話しかけて「ふって」ください。
 流れとして・・・、(1)不登校の寝込んだ子を誰が起こしにいくか決めて、起こしにいく。すぐに起きて来てもいいし、でもぐずってもいい。そうしたら別の家族に起こしにいかせたり、心配して数人で見に行ってもいい。
 (2)そこに、連絡を受けてでもいいし、学校に連れていこうとしてでもいいけど、生徒指導のための先生(担任でもいい)が家庭訪問してくる。親の相談を受けたり、子どもをよびに行ったりする。子どもも反応を演じてください。

 ※(本日のねらい)とにかく、なんで不登校になったんだろう? そう心配、悩むことを、劇の中で考えてみましょう。

 

資料・・・不登校について(これまでにみてきたこと)

学校生活上の影響 あそび・非行 無気力 不安など情緒混乱 意図的な拒否 複合 その他
友人関係をめぐる問題 教師との関係をめぐる問題  学業の不振 クラブ活動、部活動等への不
適応 学校のきまり等をめぐる問題 入学、転編入等の不適応 家庭の生活環境の急激な変化
親子関係をめぐる問題  家庭内の不和

 

タイプ・ひきこもりに陥る気質→おとなしい、まじめ、完全主義、神経質、感受性が強い、気が弱い、責任感が強い、内向的、強迫的な考え方(不合理な思い込み)、融通のきかない人(正義、節操ある人)

 

● ひきこもりの少年Aくんの場合・・・小学校で水泳の強化選手だったが、中学校入学後、不登校になりひきこもる。本人の証言→「いじめられた」、「自分の匂いが気になる」、「強くなくては生きていけない」、「親を不幸にしている」、「他人は信用できない」、「そういう僕は社会に出られない」。

 

● 不登校児(中学2年生)をかかえるお母さんCさんの場合・・・専業主婦で子育てをしてきたが中2で不登校になった長男にショックを受けている。本人の証言→「私が手をかけてきたつもりだが育児に失敗した」、「中2なのに、もうこの子の人生を駄目にしてしまった」、「私はダメな母親、親失格である」、「夫にもうしわけない」。

今日は授業の体系化と、そしてエクササイズと理論とをくっつける方法論として「サイコドラマ」を応用してみた。いままでの理論はバラバラだし、エクササイズも断片的であった。両方が必要とやってきたけど、実は体系化されてなかったのですね。しかし、実際に空論じゃなくて可能なのか。それを可能にする方法としてサイコドラマというのを応用してみました。なかなか頑張ってくれたし、それなりにやってみて意義があったかなと思います。