生徒指導  (第五回・5月18日)
 
 今日は前回の「サイコドラマ」に関する講評から始めます。
 「※」以下の記述はよかった部分です。「★」以下の記述はこうすればもっとよかったんじゃないかと思える部分です。両方ともあくまでも「私」の個人的な意見です。まぁ何度かやっていくと、これも変わってくるかもしれません。
 
 
 「サイコドラマ」(第一回目)
 
 第一ドラマ「不登校3日目の子のいる風景、朝食時」編
父:タカハシ・・・きびしいつっこみのあるお父さん。
母:セキグチ(マサ)・・・おとなしめのお母さん。
祖母:ヨネムラ・・・やさしいおばあちゃん。
不登校児:ヨシナガ・・・はっきりしない不登校初期の情緒不安定傾向。中学生女子。
弟:カワダ・・・クールな小学生。
先生:ミネサカ・・・やさしい先生。
 ※「はっきりとした返事ができない」・「体調不良の訴えがくりかえされる」、そういう典型的な初期型不登校の例が演出されている。夫婦関係もどちらかが強ければどちらかが理解側にまわる(あるいは無関心)のもパターンとしてはある。女系がやさしいサイドというのがこの家の特色か。兄弟の下の者は反発をもちやすいというのもよくあるパターン。心配してすぐにというより3日目でやってきた先生も本来はタイミング的にはいいところ。ソフトなキャラはそういうパターンに多い。そして「明日また迎えに来るよ」といって翌日(2日連続で)迎えに来るという設定もいい(そういうもちこみかたは「初期」の様子によってはありえる。「過度の刺激」とのバランスに注意は必要)。「明日は行くのか」とせまるお父さんと、同じことをやさしくきく先生という分け方もよかった。
 ★彼女が不登校になりつつある理由は「気弱」や「感受性」か、「思春期不安」なのか。あるいは直接的な「交友関係」「いじめ」「授業苦痛(学校嫌い)」なのか、そういうのを「詰問」とはいわないが、周囲の誰かからヒントが出てくるとストーリー的にもいい。なぜなら「その子のパーソナリティ」の擁護者が必要。「家族」の不安がでてくる頃なら先生がそのサポート役として、家族の相談役にもなるようにするのもいい。
 
 
 第二ドラマ「不登校長期化の子のいる風景、朝食時」編
父:オヌマ・・・つよいお父さん。「行かないのがダメ」。
母:スギモト・・・こまかいお母さん。お父さんと対立。
祖父:イシダ・・・貫祿・存在感あるおじいちゃん。「すべてに反抗期」。
不登校児:コムロ・・・元気な不登校。自称「鬱病」。高校生。目標喪失型。
姉:カミオ・・・サバサバ、大学生。「やめちゃえば」。
先生:アキモト・・・2ヶ月も家庭訪問に来なかった先生。「学校の他に楽しいこと  があるからか?」とつっこむ。
 ※キャラクター設定は絶妙。各キャラの台詞分けがいい(一例を上に記した)。「不登校を深刻ぶっていない」不登校児もたしかにいる。「自分の勝手だろう」「何がやりたいかわからない」「やりたいことがない」といういわゆる「アパシー型」の面もみえる。「友だちがいないし、できない」というのは現在の不登校のキー概念の一つ。ドラマのテンポ、リズム、「間」はいうことなし。
 ★60日欠席ということで、「重い」期間を過ぎてしまったという設定なのか、それまでの深刻さを誰かが語ってもよかった。とりあえずキャラ設定的にも家族に表面上の原因はみられないが、「友だち」という「学校場面」を起因とするなら中学校時代やその変化の有無を誰かに語らせてもいい。先生がヒトと接するのがうまいのに2ヶ月来なかったというのは設定としてはどうか。その理由を語らせるか、あるいは初期にも来ている、時々様子を見に来ている・・・などでもよかったのでは。出席日数限界です。
 
 
 第三ドラマ「不登校長期化の子のいる風景、夕食時」編
父:ヨシエ・・・おちついたお父さん。
母:シシクラ・・・よく話すお母さん。
祖父:ツキオカ・・・無口なおとなしいおじいちゃん。
不登校児:イノ・・・不登校8ヶ月め。中学3年。「先生は何もしてくれないんだ」。
兄:シモザキ・・・かつて3ヶ月の不登校を経験。高校生。
先生:ヤマモト・・・テンション高い教員。GTO級。
 ※いわゆる「ひきこもり」型、対人恐怖症状がみられる不登校。兄弟ともに不登校を経験というのも一つのパターンとしてある。克服して高校で「楽しい」という兄。学校に行かずに「家で勉強する」という弟。8ヶ月、部屋でパソコン(チャット)をやっていたというのもよくきく話。お父さんが帰宅するところからスタートしたり、そして「さきに寝る」というのも現実味がある。「いじめ(の疑い)を隠す」教員も立場的にはありえそうな設定。先生とあわないというのもあり。プリント等を渡しに家庭訪問というのもありえる。ドラマの脚本・シナリオ完成度は高い。
 ★8ヶ月は、やや、やりすぎか。それなら担任に「校長」や「職員会議」での話を語らせるか、あるいはフリースクール等での出席扱いを話させてもよかった。「進路・進学」に対する家族の不安や気持ちをつっこんでもよかったのでは。兄弟ともにの場合、上の者が理解者ともなれるが、しかし家族に原因の一部があることの可能性も考えられるはず。その掘り起こしか、そういうキャラがあってもよかった。その点、「いじめ」の可能性が出ていたが、兄はどうしてなったのか、どうして克服したのかを周囲か本人にいわせるのもよし。あるいは弁護にまわってもよし。
 
 以上のように簡単にまとめました。
 まぁ、「友だちがいらない」「いない」というのを演じてくれたのもありますが、これなどは「愛知県、女子高生ストーカー殺人事件」の検事調書にある犯人の少年の発言「友だちなんかいらない」というのと共通していますね。するどいところだと思います。これはご存知でしたか?(事件は知っているが発言は「知らない」との反応)
 私は彼が「友だちなんかいなくてもここ一年間、チャットやゲームで生きて来れた」という発言が、逆に「飢え」を示していると考えています。いないのに「1年間」耐えたのではなく、「1年しか」耐えられなかったというのも実際ではないでしょうか。まぁ、前回の資料からしても、この学校「空間(時間)」における「友だち」という存在というか依存というか、逆に恐怖というか規制というかは大きいものだということですね。実際に大きいと思います。またくわしくは別の機会にお話ししましょう。
 
 さて、皆さんが「どう思ったか」というのまでをふりかえって、初めてこの「サイコドラマ」はできあがります。心理学専攻の授業だと、こういうサイコドラマをかなり多くやったりしますが、今回のは「不登校」理解を目標に場面(問題)設定してのものという目標設定があるというのが特色です。
 それと、例えば完全にシナリオがあるドラマもやるというのも教育的にはありえます。もちろん弁護士会が演劇をやっているとか、「いじめはやめよう」キャンペーンだとか、高校生の演劇でのよびかけだとか、そういう「手法」としての「教育ドラマ」もあります。あれも「観たものにうったえかける」ものではあります。それに、演じているものもあらためて実感することもあるかと思います。そういう効果はあります。
 今回のはどちらかというとやっている当人たちが他者の心中を察するということのためのドラマでした。今後もこういうロールプレイングを採り入れていきます。まぁ、原理的なこと、理論的なこと、歴史的なこと、現状分析・・・、それらと同じくこの「理解」のための実践的方法も必要です。
 
 ○生徒指導に関する日本の最新の方針『心と行動のネットワーク』
 それでは、次に、『心と行動のネットワーク』という資料を読んでみたいと思います(配布)。『日本教育新聞』というものの付録についていたものですが、4月13日付けの最新の生徒指導に関する方針です。
 前回に配った『生徒指導上の諸問題の現状と文部科学省の施策について』(「平成10年度不登校状態となった直接のきっかけと不登校状態が継続している理由との関係」をみてもらった)も、この2月に出されたホヤホヤのものですが、とにかく最新の情報をいかにとらえて分析しておくかが重要な課題となります。
 ちなみに二つの資料は関係しあっていまして、2月の報告の成果があって、それが反映されて出された提言(方針)がこの『心と行動のネットワーク』です。次回までに目を通しておいてください。
 
 また、国際的な視点でもこの生徒指導のことは見ていくことが必要ですかね。たとえとしてアメリカ合衆国の学校のシステムをあげました。まずクラスという概念ですね。HR(ホームルーム)というものがないことが多いと思います。もちろんat homeな関係を築くものとしてつくられたもので、これも輸入概念なのですが、しかし日本のホームルームは生徒からの「情報収集と道徳教育・規律の場」的になっているところも多いのではないでしょうか。その点、米国のシステムは選択・移動制の授業ですからレコード・ルームとかいう「連絡」の時間はありますが基本的に「とりしまり」の時間はないのですね。微妙に各校・各州で異なりますが原則的に全員を集めて諭す場というのはないです。他の講義用につくった資料ですが、教室内の机の配置を見ていただいてもわかるのではないでしょうか。きわめて参画型の学習者中心の構造なのですね。一般的には自立・自学とかいわれますが、これは実際には切り捨てられる面もあって、不登校が少ないのは退学するからだという面もあるのですが、しかしだいぶ日本とは違っています。前にもいいましたが、日本では陰湿な「いじめ」がある、といいますか「いじめ」というと陰湿な密室的なイメージがありますが、米国では少年たちによる「からかい」的イメージが強いと思います。映画のシーンなどにもそういう「文化・慣習」というのはあらわれていますね。例えばBack to the Future”で主役マーティの父がハイスクール時代にいじめっこビフにいじめられるシーン・・・。からかい的でしたね。誰かが「やめろっ」とか言って女学生がピンタでもしようものなら恥ずかしくてやめるような・・・、そういう感覚。実際に校庭やオープンなスペースで集団でからかうのが多いのではないでしょうか。もちろん陰湿なものが皆無だなんていいません。でも、日本では陰湿中心なような気がする。それは「かくされる」という面があるのじゃないかと思います。こういった話は森田洋司という社会学者(大阪市立大学教授)の研究、『世界のいじめ/日本のいじめ』などに描写されています。参考になります。
 
 さて、あまった時間なんで、少しまめ知識的な話をさせていただきます。
 「原理的」「歴史的」なことばかりだと面白くないという人もいるのですが、皆さんの必修で学んでいると思いますが佐藤秀夫先生の話なんかには面白くて学ぶべきところが多くあります。
 「制服」とか「行事」とか「天皇制」なんていうのも、ある種「生徒指導」であって、そういうふうにしつけられてきたわけですね。そういう「人間像」が求められていたし、実際に「期待される人間像」なんて中央教育審議会答申もあったぐらいでした。「最近の若者は」というか、そういうふうに「こうあるべき」という嘆きが記されたりしましたし、それは常に言われ続けてきたことでもあります。
 実際に「制服がかわいい」とか「こういう行事がある」とかが学校の「売り」になって入学希望者が殺到するところもありますよね。その学校の方針・生徒指導が受け入れられているともいえますね。そういうのも生徒指導の一つです。
 それで、佐藤先生が授業で述べているかどうかはわかりませんが、以前学会のシンポジウムでの発言で「近代のしつけ」について発言されているのを聴きました。「馬」の調教に関しての話でした。佐藤先生の持論では、近代以前では馬の「轡(くつわ)」の内側には刃がついていて、つまり馬は口の中の頬に刃を刺されてコントロールされていたというのですね。そのために手綱を右にひかれれば右に向かわないと刺さって「痛い」のですね。それで左右や止まることをコントロールできたという。・・・今なら動物愛護協会に訴えられますが・・・、ですから近代にはそういうのは「野蛮だ」とされたのですね。それで餌や育てることで教育的に「飼育・調教」するようになったのではないかというのです。同時期に子どもへの鞭の使用が野蛮だとされてきていると仰られています。面白いですね。
 ちなみに私も動物の飼育に興味がありまして、馬の博物館も自宅の近所にありますし、その歴史も調べてみたことがあるのですが・・・、例えばアメリカ開拓史のカウボーイの時代に、・・・西部劇を思い起こしていただければわかるのですが、・・・カウボーイのファッションとしてブーツのかかとに「拍車」がついていますね。キラキラとしてクルクルとまわり金属製のやつです。これは「飾り」でしょうか。・・・いや、これで実は馬の腹を挟んだり蹴ったりして操縦するというものでもあったのだと思います。馬に乗ったことがあるというか、アメリカ合衆国で習ったのですが、コツはしっかりと腿ではさむことだと思います。そして、膝から下の下腿をつかって微妙にコントロールするのではないかと思います。
 たしかに、佐藤先生の言うようにこれが近代以前の蛮性だとしたら、馬は常に出血していたわけですし、やりきれないものですね。そして近代以降、そういう慣習がなくされていった。それでそういった風潮の中で教育観が・・・、生徒指導観がかわっていったのだとも考えられますね。「歴史」もけっこう見直すべき面白さがありますよ。実際に「野蛮だ」と考えて後進国を「近代化してあげよう(解放・開放してあげよう)」と傲慢に考えて「植民地化」が推進されたような構造もあるのですから・・・。
 今日はここまでで終わります。
 
 皆さんの感想を収録します。
 
 「サイコドラマ」(第一回目)
 
 第一ドラマ「不登校3日目の子のいる風景、朝食時」編
父:タカハシ・・・1幕目、父・学校には何がなんでも行かなければならないと思っている父親をイメージしてみました。イスを横並びにしたのは失敗でした。会話がしにくかったです。不登校三日目というのは少し想像しにくく、長期の子に言うような発言と変わりがなかったように思います。先生役は、それぞれまったく印象が違って、積極的な人、学校側の責務として来ている人と、どれもありえるなと思いました。まだ自分の中で不登校の家族の感じがつかめてなくて、テレビで言われているような表現しかできなかったように思い、実体をもっと理解すべきだと思いました。
 
母:セキグチ(マサ)・・・私のグループでは、不登校になりつつある子が風邪のような症状で寝込んで三日目で、その子は子ども部屋にいて、残りの家族が朝食をとっているという場面を想定して劇を演じ、私自身は母の役を演じたが、実際に自分が親で自分の子が不登校だと思うと、対人関係・いじめ・学業など何が原因で悩んでいるのかといったことを究明し、学校の先生とともに、その子の悩みを一刻も早く解決していく必要があるということをサイコドラマを通じて何よりも実感した。そして、時にはカウンセラーが指導する「教育相談」(カウンセリング)を受けるといった工夫も必要に応じて考えて行かなければならないと思った。また、私のグループにおいては不登校児を中学生と仮定したのに対して、他のグループでは不登校児を中学生、高校生と仮定したが、小・中学生は義務教育段階であるから何とかしてでも学校に行かせなければならないし、高校生も大学受験の準備や社会に出て必要不可欠な知識を学ぶ重要な時期だと感じた。
 
祖母:ヨネムラ・・・私は「なだめる」感じでやりました。なだめつつ「学校に行くように」と思ったけど、不登校の子どもを学校へ行かせるのは難しいなと思いました。理由をきいても簡単にはうちあけないということも、なんとなくわかりました。
 
不登校児:ヨシナガ・・・私は三日目朝の不登校中学生をやりました。三日目ということで、行くか行かないか、どうすればいいのか難しかった。三日目は、これから長期的な不登校になるかどうかの時期で、すごく微妙な時期だと思った。二回目の班のような不登校生徒のパターンは、今の時代、すごくありがちなような気がする。学校に楽しいことが見つからないとか、その他にもやりたい事は特にないとか思っている不登校児は実際にいるだろう。同様に三回目の班のようなひきこもりの型も多いだろうと思う。昔なら不登校=いじめなどが原因という考えが主流だった気がするが、現在は2・3回目の班のような原因もかなり多いのではないか。
 
弟:カワタ・・・一番目弟です。もう少し会話に加わりたかった。下よりも上の兄弟の方が良かったかも。
 
先生:ミネサカ・・・先生役として出演しましたが、何を言えばいいのかよくわからなくて、無口な先生になってしまった。実際に教師になったら、さすがにあれではまずいと思った。不登校三日目という設定は難しいと思う。三日で気づくのなら、不登校になる前に何らかの手が打てると思う。他のドラマを見て・・・。不登校児の役はそれぞれ個性があったとは思うが、皆、どこかなげやりな感じだった。演じたわけではないが、不登校児とはそういった感情を抱くものなのだろうかと思った。
 
 
 第二ドラマ「不登校長期化の子のいる風景、朝食時」編
父:オヌマ・・・緊張して、あまりセリフが言えませんでした。でも周りがどんどん意見を出してくれたので、自分が父親役、というのを忘れて聞き入ってしまいました。だいたいの役割設定をしただけで細かいセリフは全く決めていなかったけど、実際にやってみて、誰かが意見を出して、その場で即座に考え意見を述べ、それを繰り返すことは「実際に登校拒否の現場にいる」こととして、本当に深刻真剣に考えるきっかけとなりました。だから「即興」でということなのか、とわかりました。
 
母:スギモト・・・私は長期化した不登校児の母をやりましたが、やっぱりアドリブというのはとてもきつかったです。でも他の人の演技を見たり、自分達が演技をやってみてわかったのは、案外その人々の役や個性を決めてやってみれば、その人の頭の中にある知識でけっこうそれなりの方向性というのがあいまいにもでき上がっていくものだなと思いました。例えば、自分は母、演技によって息子という立場の人がそれなりの立場から考えて言葉を発し、私はその息子を見ている母の立場から言葉を発する。授業の最後で先生もおっしゃいましたが、これは他人を知るという上でかなり有効な方法だと思いました。でもまさかこんな演技でさえもそうなってしまった事にとても驚きました。ぜひとも今回のような画期的なことをまた先生には提案してほしいと思います。
 
祖父:イシタ・・・演じてみて、その内容がどうのこうのよりも、その10分間、真剣に「人間」について考えていた自分がいた。つまり私は何かを学んでいた。その何かとは教育の難しさから始まる教育への虚しさかもしれない。
 
不登校児:コムロ・・・私は第2幕で不登校三ヶ月目の不登校児の役をしました。はじめは少し戸惑いましたが、演じているうちに、一見みるとわからない理由で不登校になる子の気持ちがわかったかなと思います。他の二つの組のサイコドラマもそれぞれの状況がよく出ていて、不登校と一言でいってもいろいろな理由があるのだなと思いました。
 
姉:カミオ・・・私は2幕目の不登校児の姉をやりました。弟はもう高2だし、いじめられて不登校になっているわけでもなさそうなので、自分の好きにすればいいというように思っている姉でした。私は結構、等身大の役だったのでやりやすかったです。家族に不登校児がいたり自分自身がそうだったという経験はないけれど、もしあったら家にいても何かと気をつかわなければいけないのかと思いました。今回のような弟の場合はそうでもないけれど・・・。不登校児の年齢や原因によって家族の接し方も変わってくると思いました。けれど、いずれにせよ親は悩むだろう・・・と思うと子育てはたいへんだとつくづく感じました。
 
先生:アキモト・・・先生と生徒が話しすぎて、そのマンツーマン(一対一)のような状況では学校でもやろうと思えばできるので、家庭訪問の意味がなくなってしまった気がする。家庭訪問の意図を、「生徒と話をし、様子を知る」のか、「先生(学校での子どもの様子)と親(家庭での子どもの様子)とをつなげる」のかで、またやり方は変わってくるのかもしれないと思う。自分のやり方(へたなカウンセリングのようなもの)では、いつか生徒に「知ったつもりで、いい気になってんじゃねえよ!!」と嫌われるだろうと思った。
 
 
 第三ドラマ「不登校長期化の子のいる風景、夕食時」編
父:ヨシエ・・・私は自分の家の父親を想像して演じてみた。不登校になってしまった子どもが家にいたとしたら、父親としては息子に学校に行ってほしい気持ちがあっても、そのことを息子に伝えたりすることはできないんじゃないかと思う。発する言葉(学校へ行ってきなさい)をマクに包んで、直に伝わらないように子どもに対して言葉を選ぶ。父親としては、なぜ、子どもが学校に行かなくなったのかわけもわからず、気がついた時には長期化しており、学校に行かない日常がまるであたりまえであるかのようなっていて、いまさらその問題に直面する気持ちにもなれないのだと思う。しかし不登校の問題は子どもにとってあまりかかわってほしくない問題であるとしても、そこに目を向けない態度というのはより子どもを傷つけることになると思う。もちろん「学校へ行け」といって行かせられて問題が解決するほど簡単な問題でないことは承知である。
 
母:シシクラ・・・
 
祖父:ツキオカ・・・
 
不登校児:イノ・・・
 
兄:シモザキ・・・私は、不登校の弟にばかり周囲の注目が集まってしまう為に不満を感じているという設定で(弟が学校に行けば、自分にも注目が集まるかも・・・という理由から、学校に行かせようとする)その兄を演じました。ちなみに兄も不登校の経験があるという設定も加えました。途中から演じきれなくなり、不登校についてのつっこんだ会話をすることができず、やや不満です。他のところでは、長期化・朝の班がリアルでよかったと思います。
 
先生:ヤマモト・・・
 
 観客
クボタ・・・不登校の理由は、しっかりしたものではないのだろうか。いじめとかはっきりした理由もあると思うが、なんとなくというのが本人以外にはすごく難しいと思った。
 
ナカザワ・・・不登校児への接し方の難しさを感じました。また、一言で不登校児といいつつもその背景は様々で、学校にただ何か行きたくない子や、いじめられてる子など、特に第二ドラマが即興とは思えない程、よくできていたと思います。みなさん、特に不登校児役の人は、自分の体験か、ドラマなどの影響かわかりませんが、その役になりきれていました。私は人前が苦手なので、すごいなぁと、感心しました。とにかく、おもしろかったです!!
 
キシダ・・・正直に思った事はもう少し一人一人の「不登校」というものに対する考えを見せてほしかった気がする。初めてだから仕方がない事ですが。初期朝食は現実的にいつ起こってもおかしくないような現実味がすばらしいと思い、そして気をつけようと思いました。長期朝食は問題点がはっきりしていてとてもわかりやすかった。長期夕食型は、あの喜劇のような中に見える暗い部分をもう少し強調すればもっと良くなると思いました。どの作品も目からウロコが落ちました。この方法は皆にもわかりやすいと思いました。
 
フクミ・・・一つ目の班は先生がなにか強引さが足りなかったように思える。学校に来る意味、友だちをつくることの大切さ、集団行動の初歩的なものを教える意味で大切だとのことを教えるべきだ。二つ目は教師がいろいろな生徒の気持ちをききだすのはいいが、それに対しての返答でこうした方がよいというより、まずとことんわかってあげられることが大切だと思った。三日目は不登校児の気持ちがあまり聞き取れてない親やどうしようもない教師がもどかしくてしかたなかった。なによりもとことん子どもの気持ちになること。「俺はこう思う」では心は開いてくればいと思う。
 
スズキ・・・一は、あまり「学校行け、学校行け」と頭ごなしに言うと、不登校児の唯一の居場所である家庭にも居づらくなってしまい、苦しめてしまうと思う。二は、教師役の人が生徒と一対一で対話しており、生徒の気持ちをうまく引き出していたと思う。三は、あまり個性的な教師も考えものだと思った。やはり家庭と担任教師の信頼関係は大切だと思った。
 
トミイ・・・不登校の劇を見て、みんなしっかりできてたと思う。僕だと、ちょっとはずかしいと思ってしまい、できないと思う。学校に行かない原因としてあげられるのがいじめや、たんなる行きたくない病みたいに精神的な問題もあると思う。やっぱり数日も休んでいたら体調とかそんな問題ではないと思う。そこのところを追求して、生徒と生徒の間に何があるのかとか追求するべきである。学校で勉強しなくても他に塾にかよって勉強するというのも悪くないと思う。