生徒指導論 第一回(4月13日)
 
 シラバスを配布して、講義の内容とすすめかたを説明。シラバスは15回で予定しているが、実際の学部の授業は12回しかないので内容をつめていくことをアナウンスした。
 
 
 −・×・+・×・+・×・+・×・+・×・−
 
 「生徒指導論」は教育学科の科目ですが、「教職」としても必修授業でして読み替えられるものです。受講する全ての人が教職をとるのではないかもしれないけれど、多くのかたが教職免許を取得されるのではないでしょうか。教職において取得を希望する科目は国語、社会、英語、体育など様々だとは思いますが、「教員」という共通した職業の資格を得るためにはいくつか必要な共通な科目があります。そのうちの一つとなっているのがこの「生徒指導論」の授業です。
 
 教員になるためには必要不可欠なものと考えられている科目は次のようなものがあります(この表は配布していない。板書と口頭で説明した)。教職員になるための法規というか、必要単位の定められた施行規則では次のようになっています。
 
 *教職に関する科目(免許法施行規則に定める科目区分等)












 
 科 目 各科目に含める必要事項単位
教職の意義等に関する科目・教職の意義及び教員の役割、教員の職務内容、進路選択に資する各種の機会の提供等
 
教育の基礎理論に関する科目
 
・教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想

 
・幼児、児童及び生徒の心身の発達及び学習の過程
・教育に関する社会的、制度的又は経営的事項
教育課程及び指導法に関する科目
 
・教育課程の意義及び編成の方法、各教科の指導法

 
・特別活動の指導法
・教育の方法及び技術
生徒指導、教育相談及び進路指導等に関する科目・生徒指導の理論及び方法、進路指導の理論及び方法
 
・教育相談の理論及び方法(カウンセリングの基礎知識含む)
総合演習 
教育実習 












 
 
 私の時代には「教育原理」、「教育心理」、「教育社会学」、それと各「教科教育法」ですね。選択として「教育法規」「教育行政」「教育史」があるぐらいでした。「原理的」なものが多かったと思います。皆さんは違いますね。教育学科の専門科目は読替えだけれど、「教育原理」(概論)、「教育心理」、「教育社会学」が必修で、あと教育思想や教育史、それと教育方法及び技術論(教授学習論)などがありますね。あと教職コース科目の中から「特別活動」「道徳教育」をとる。「生徒指導論」も学科専門で選択すれば必修の読替えになる。他に「教育相談」などもそうですが、実際の児童・生徒とのふれあいかた、接し方、相談・支援のあり方といういわゆる「実践的」な科目でしょうか。そういうのもあります。そして、最後に「教育実習」をとる。以上をとってはじめて教員免許が申請して認可されるわけです。教師の品質保証というか、レシピみたいなものですね。
 
 そして、実はこれは「生徒指導」は皆さんの時代になって、つい最近になって、教職のための必修になったのです。「必要」だとされたんですね。唐突ですが、いま教育改革国民会議などというものがありまして、いろいろ話題になっていますが、それと同じように1980年代にやっぱり「教育問題」が話題になったんですね。時の総理大臣中曾根ヤスヒロさんが文部省主導にはまかせておけないとなって、緊急課題として首相直轄の「臨時教育審議会」というのを招集して改革路線をすすめた。そこでは「不登校」「自殺」「いじめ」「校内暴力」などがあってその「子どもの荒れがわからない」となったんですね。で、ゆとりも必要だし道徳・モラルも必要となった。
 不思議なもので「いまの17歳」はモラルが足りないとかつめこみすぎではないはずなんです。彼らが小学校・中学校・高校と受けてきた教育は、この臨教審改革で「そう変えられた」はずなんですね。むしろその前の世代よりはゆとりもあるし、モラルもついていなければ教育の効果がないということになります。逆の効果が出てしまったんですかね。
 とにかく、この改革は平成元年の学習指導要領改訂に反映されます。皆さんもそういう教育を受けてきたはずですね。この時、なんとか問題行動を、心身の未発達や幼児性人格、あるいはひきこもり等の問題について、そういう問題行動の把握のためにと考えられて、「消極的生徒指導→積極的生徒指導」という転換があったんですね。「生徒を知ろう」となった。
 それで、昭和63年12月の教育職員免許法改正を経て、平成2年4月入学生から、「特別活動」「生徒指導」が教職単位の必修とされたわけです。教員の身につけておくべき必須の知識・能力となったんですね。ですから、新しいもの、ゆえに指導担当者・教材等まで課題が多いものだと言えます。
 混乱しちゃうでしょうが、私の考え的には、昨日のドラマ(R-17)で放映されたシーンですが「校門指導」が象徴していますが、取り締まりますね。問題を防ごうとする。全国的スローガンとして「服装の乱れは心の乱れ」なんてことばすらあった。で、その考えで取り締まる。そうすると、隠れます。隠すし、隠されてしまう。表面に出なくなるんですね。ストレスもたまるでしょう。親や校長が「普通の生徒(子)だった」というのは当り前で、そういう風に統制されているんですね。表面を・・・。だから見えにくくなっていると思います。みせりゃいいかとか、自由にしとけばいいかというとそうではないんですが・・・。難しいですね。
 
 私も大学の教員になる以前に女子高校で教育の現場に立っていた時期があるのですが、そのときに役に立った大学での教職課程科目というのは正直にいってすぐに役に立ったものなんてなかったのではないかと、つまり現場にいっていろんなことを身につけたと思うのですね。これは人それぞれかもしれません。でも、この「生徒指導論」はもしかしたら役に立つんじゃないかと信じています。私は受けたことがないので・・・。そういう最新の悩みとか問題をとりあげてみたいです。
 現場では「即戦力」の教師を大学で養成するよう求めてくる。でも、それはかなり無理があります。私も社会科(地理・歴史&公民)の教師でしたが、現場で教える際に一生懸命勉強してなんとかできたという感じでした。教材研究とか準備が教科教授法の授業を受けるだけで即戦力になることなんてそんなにないと思います。生徒に接していないのにカウンセリング能力が即戦力になるはずがありません。原理的科目は即戦力として発揮するものではなく、精神として内在させるべきものです(そういう大事なものと考えます)。
 そういうように思いますが、この「生徒指導論」はうまくいけば現場で活躍するのに「即、役に立つ」ものであるともいえましょうか。そういうことを学び、身につけておくことがこの授業の存在意義かもしれません。
 
 話がとぶのですが、縁というか因縁というか、私個人には新しいことをするときにロールモデルというかそういうときに問題がおこるんですね。女子校に勤めた年、その時ドラマで問題になっていたのは『高校教師』でした。女子校で真田ヒロユキさん扮する新任教師と女生徒との禁断の愛というやつですね。そういう時に自身が新人だった。そして、今回、不登校とかに関心をもっているからそういう関心やつきあいはあるんですけど「生徒指導論」をもつことになった。でもメンタルフレンドの経験はあってもカウンセラーではない私が、教職経験はあるけれどこの大学で教えるということになて・・・、まぁ頑張らなければいけないのですが、そんな時、昨日ですね・・・、ドラマでスクールカウンセラーの物語「R−17」が始まった。中谷美紀さん主演ですね。17歳という高校生の、最近「恐るべし17歳」とか称される問題行動が多いのではないかと危惧されるそういう世代である17歳の学校での精神的葛藤を綴ったドラマ・・・、そういうのが始まった。
 これも奇妙な縁だと思うので折にふれてお話しさせていただきます。見ていない人にはわけがわからないんですけど、なかなか興味深いところもありました。あの「カウンセリング」も生徒指導の一つなんですね。
 そして、昨日のドラマでセクハラ体育教師がやっていた「校門指導」・・・、あれがまさに「生徒指導」の一つです。持ち物検査とか服装とか頭髪の取り締まりですね。遅刻も取り締まるというか、閉じてしまって、それで「校門圧死事件」などという痛ましい事件も思い出されます。そういういろいろな問題点を含む、生徒を取り締まっているもの・・・、あれが「生徒指導」としてイメージされるものではないでしょうか。
 
 話が飛躍するんで混乱させていますかね。配布したプリントに書いてありますが、例えば英訳で考えてみる。教育学科科目の英語訳表記では「Education Guidance」と訳されています。他大とか文部省の研究機関の表記だと「Guidunce for Junior High School Pupils」とか「School Guidance and Counseling」というのもあります。一定していないというか混乱があるんじゃないでしょうか。とにかく「ガイダンス」というお手本・手引き・導き的なものであり、「カウンセリング」という相談的なものも含んでいる。そういうものが目指されているはずなんですね。生徒の悩みに答え、手助けし、いい方向を示してあげる。ところがさっき言った「校門指導」のように管理的なものではないか。
 そういう「難しさ」があります。徐々に学んでいきたいです。
 
 もっと話がとびますが、いちおうこの授業の前に以前いた女子校にそこの校内組織について電話できいてみました。
 「校務分掌」というものですが、今は「教務部」「進路部」「生活指導部」「社会福祉部」に分かれているそうです。私がいたころは「総務部」というものもあった。






 
  学校内におけるシステム <校務分掌>
A.教務・・・
B.総務・・・
C.進路・・・
D.生活指導・・・
@生徒部・生徒指導係→→頭髪、風紀、問題行動への対応等
         A生徒部・生徒会
E.社会福祉・・・






 
 
 先生方の何人かはそういうところに関わっていて、「教務」なら時間割管理とか教科書注文、それに試験の構成とかをする。授業関係ですね。「総務」は机とか庶務的なものも含んで対応する部署で、「進路」はもちろん進路指導と情報の収集。お願いにいったり、あと入試部というのが中にありました。「社会福祉」は地域との連繋をやっていました。それで「生活指導」部に「生徒指導係」がありました。風紀の取り締まり、そういう目標の設定、集会の企画、あと放課後の巡回、それと各種教員研修なんかにも代表して出席していました。それで生徒会も指導していた。
 「生徒会」って皆さんは関わっていましたか。「選挙」があったり会長や役員が選ばれて、文化祭とか体育祭とかそういうのをやったり生徒集会をやったり。自治的なすごい積極的な生徒会もあるでしょうし、先生主導の生徒会もあると思います。一見生徒主導でも実は選択肢は先生が用意していたり・・・、教員と生徒の間に立つというか、教員の下にいるというか、微妙な線はありますね。あれもうちの女子校では「生徒指導」の一環としてありました。
 またボランティアだって、某大学の入試なんかでは判定の際にその有無がポイントになるんですね。内申書に書けるし、だからそのためにやるという(経歴をつけるためという)本末転倒現象がおきる。それで、生徒会活動だって下手したらそういう「点取り」イメージでみられていることもありますね。「サラリーマン生徒会長」だとかそういうイメージで揶揄されることもある。管理か、生徒の自治かの問題。学校行事を教員主体でやることなどから実質的に生徒会の「自治」は制限されているのだと思います。例えばそれはいま教授の先生方の時代に、1960年代には「大学紛争」とかがあって、学生と教員・学校側とが衝突したりしました。先生方の数人はその時に若い教員として学生と対峙していたか、あるいは学生として火炎瓶を投げていたか・・・。そういうふうに分かれていたんですね。これは「高等学校」でもおこったことです。彼らは「自治」を求めた。だから衝突してその結果、学生の介入を制限するようにしたり、政治的運動を制限したりしたんですね。取り締まった。その後、受験とベビーブーム世代でどんどん学校が増加し、受験激化していくとき、今度は消極的に無関心になっていった。そしたら本当に距離が開いてしまったのですね。それで「わからない」。わかりたいし、指導が必要だとなる。生徒会は学校行事やクラブの必修化などもあって衰退というか制限されていったのではないか、そして内申書とかも影響するようになって変容しつつあるのではないかと思います。
 
 また話がとびますが、「R−17」で「校門指導」が行なわれていて、生徒が取り締まられている。これはきわめて日本的なんじゃないかと思うんですね。実際に外国ではどうなのか、こういうのも考えてみる必要があります。
 とにかく価値観というか、国語・算数(基礎)・理科・社会(科学の内容)・音楽・美術(芸術)・体育・技術(技術)という教科での知識習得や、学級活動やクラブなどでのリーダーシップ育成などを、全部の完成を求めるという傾向があるのではないでしょうか。どれか一つ特筆するものがあればいいというような、そういう考えかたが僕の知る限りアメリカ合衆国などではそうなんですね。そういう違いはあるかなと。で、「知識(教科)」と「人間関係・経験・交友など」で人間の完成があると考えられているとすれば、その「集合」の枠内を満たして「社会性」が身につくと構想されているわけでして・・・、その枠内からはみ出す「逸脱行為」という問題行動を防ぐことで社会性を保持しようという部分が「生徒指導」の役割とも考えます。ちょっと難しいですかね。
 今回ははじめなんですが、ちょっと混乱してしまってうまく説明できていないと思います。それで、参考の文献をいくつかあげておきます。私が目をとおしたもののうち、特におすすめのものには★をつけておきますし、今後ときどき使って授業をすすめます。
 
 最初なんでアンケートにご協力をお願いします。
 まず今後、ホームページも活用して情報を公開しながら授業をすすめていきます。レポートの提出もメールにしようかなとも考えていますが・・・
 @eメールやインターネットの使用は可能ですか。
 A高校までの経験で「生徒指導」といったものはありましたか。
 B生徒会活動は生徒の自主的・自治的なものでしたか。
 C自己PRやご意見等をお願いします。
 
 *資料として文部科学省のホームページから「生徒指導」に関するコメント部分
 *文部省「教育改革の推進−現状と課題」(昭和62年12月)の一部
 *生徒指導・進路指導に関する各種文献の定義等
 
 
<参考文献>
◆島田啓二『H.C.マッコーンの教科外活動理論におけるガイダンスに関する研究』学文社、1999年。(*ホームルームと教科外活動について。Harry Charles McKown, 1892-1963)
◆坂本秀夫『生徒会の話〜生徒参加の知識と方法〜』三一書房、1994年。(*生徒会の現状について)
◆柿沼昌芳『「甘い」指導のすすめ−学校は24時間営業か』三省堂、1995年。(*校門指導らについて)
★諸富祥彦『カウンセリング・テクニックを生かした新しい生徒指導のコツ』学習研究社、2001年(*積極的生徒指導、カウンセリングについて)
◆田中雄『成功指向の生徒指導−職員会議、生徒指導研究ノートから−』東洋館出版社、1990年
★板倉聖宣、「たのしい授業」編集委員会『たのしい「生徒指導」』仮説社、1999年
◆坂本昇一『<やる気>の生徒指導』(小学校創造選書95)小学館、1985年
★渡辺弥生、丹羽洋子、篠田晴男、城谷ゆかり『学校だからできる生徒指導・教育相談』北樹出版、2000年
★山下一夫『生徒指導の知と心』日本評論社、1999年
★森谷寛之、田中雄三『生徒指導と心の教育−入門編−』培風館、2000年
◆宇留田敬一、加藤隆勝(編)『新生徒指導基本用語辞典』明治図書、1984年
★宮崎和夫『生徒指導の理論と実践』学文社、1994年
◆木原孝博『子どもが心を開く生徒指導−いじめ問題への学級社会学的アプローチ−』ぎょうせい、1988年
◆木原孝博『現代生徒指導論』教育開発研究所、1984年
★稲垣應顕、犬塚文雄『わかりやすい生徒指導論』文化書房、2000年
★滝充『学校を変える、子どもが変わる』時事通信社、1999年