教育制度論  @(9月21日)

 前期までの授業内容についてはホームページに掲載する際に、ほぼ話した口調を再現するように意識していたのですが、もっと簡潔にでもいいのではないかといろいろご感想もいただきましたので、本講義の内容については「概要」「紹介」程度の記述にはなるかと思います。それでも、授業の内容や進み方を自分で確認することはできるかと思いますので、今回はカンタンなつくりでいきます。

 

〇はじめに・・・本講義のシラバス(授業内容)を配布して授業計画全体を説明した。
























 




※このシラバスは日本大学商学部のホームページから画像をコピーさせていただきました。
















 

 

1 ガイダンス

@「教育制度」とは何か

 全体の流れと授業の進め方、メールアドレスの説明の後、簡単な「ガイダンス」として、「教育制度」とは何か、ということについて話をした。

 新カリキュラムの科目(1・2年対応)とはいえ、後期の授業であり、すでに「教職」の授業をいくつか受講してきているのではないかと思うが、「現代教職論」等の授業で「教職」の意義などについては学んできたかと思う。ここは商学部であるが、商業・社会科等のどの教職科目をとるかに関わらず、「教職」のために必要だとされている(必修の)科目がいくつかあり、その中の一つが「教育制度論」である。この「教育制度論」は、モラルや意識といった部分とは違って、具体的な「教育」の仕組みを知っておくためにあると考える。皆さんが「教職」をとって世の中に出ていく。それで希望どおりに学校に勤めたとする。この教員には「教員免許」が必要ということもまた「仕組み」であり「条件」であり「ルール」である。これによって「教育の質」が保障されるわけで、その保証書のようなものといえる。だから、皆さんが教職のために大学でこの科目を受講する。それ自体も「教育制度」の一つということもできる。まずは身近なところから考えていきたい。

 

 次の図を書いて説明した。

皆さん(学生)はB、実際の現場である学校はC、大学(教職課程)をAとする。BはCに到達したいし、CはBを募集している。その両者間を仲介するのがAである。Aという基準・ルールを判断材料としてBとCの連絡が成立する。

 

 の部分の説明として次の表を配布。

 

 *教職に関する科目(免許法施行規則に定める科目区分等)

 科 目

各科目に含める必要事項

単位

教職の意義等に関する科目

・教職の意義及び教員の役割、教員の職務内容、進路選択に資する各種の機会の提供等


 

教育の基礎理論に関する科目
 

・教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想



 

・幼児、児童及び生徒の心身の発達及び学習の過程

教育に関する社会的、制度的又は経営的事項

教育課程及び指導法に関する科目
 

・教育課程の意義及び編成の方法、各教科の指導法



 

・特別活動の指導法

・教育の方法及び技術

生徒指導、教育相談及び進路指導等に関する科目

・生徒指導の理論及び方法、進路指導の理論及び方法


 

・教育相談の理論及び方法(カウンセリングの基礎知識含む)

総合演習

 

教育実習

 

 

 〇免許制度の仕組みとして簡単な説明。主に中学校・高校の教員は大学で養成されるが、そのためには上の必要な単位の授業が用意されていなければいけない(認可を申請して受けること)という条件準備と、それを履修・合格して、卒業してはじめて該当する都道府県から免許がおりることを説明。戦前の師範学校方式・専門養成機関方式ではなく、「開放制」としてこのシステムが許されて広い教養ある教員が求められてきたということ。そして徐々に変わる部分もあり、現在では他にコンピュータ操作や語学、保健体育の単位も求められる(大学のカリキュラムに含まれている)こと。以上は教員になるための教養であり、必要なパーツというか、そういうのを示したレシピとも例えられる。

 日本大学ならば「現代教職論」で意識を学び、教育の基礎理論として「教育の歴史」あるいは「教育の思想」のどちらかをとり、それから「心理学・発達論」をとって「教育の社会学」か「制度論」をとる必要がある。基礎的な知識をそれで身につけるとされたのでる。あとはカリキュラム編成や社会科指導法などの各教科ごとの授業法と、部活動指導の方法等、様々な教育方法を学ぶ。それで即戦力としての具体的な力をつけてくるようにとCサイドから求められている。そしてそういった学習指導だけではなく生徒指導・カウンセリングの方法等も学び、それらをクリアして「教育実習」を経て、はじめて合格が可能になる。以上が教員になるための手順であり必要条件であり、制度でもある、と説明した。また、東京都から取得しても、日大で学んだ結果であっても、京都や北海道で教職に就く人もありえる。であるから、全国どこへいっても通じる共通保証が必要となる。どんな大学でも認可申請が認められているのならば、あるいはどこの県で得た免許であっても、どこでも共通に評価される。これが「制度」のもつ「しくみ・能力」の一つである。

 

A「システム」の性格、機能(していること)

 さらに次のように図示して説明を加えた。

A−B−Cは連絡されていると説明したが、「循環」していると考えてもいい。またAがBCを支えているのではなく、またBやCが支えているのでもない。循環してはじめて成立している。そういうものが「制度」であり「システム」。周囲の太い青のライン(カコミ)で示したが、その仕組み(ルール)によってこの全体の空間は成立・機能しているといえる。

 

 上の説明の例えとして、「転校」や「地域」による差異が生じないように、ある統一された大きい空間の中で成り立つ「約束関係」だともいえる。またこの制度自体がどこかの部分が欠けても機能しないし、さらに全体の空間自体がなくなっても存在しないことになる。その意味で人間や生物が生きていくための「臓器のしくみ・機能」などにも例えられる。栄養や呼吸や血液の循環がこれにあたり、全体という「人間の存在・生命」がこときれればなりたたないのと同じである。もう少し大きくみれば、青色のカコミは「社会の価値観・ルール」といってもいい。ある制度があって、はじめてその他人の集団はなりたっているということである。

 ※次のようにも例えて話した・・・

 どんな学校を出たってどこの県でとったって、同じ免許なら等しいとされる。まさに「教員の資格」と「行なわれる教育の質」を保証してある程度の品質を保証するものなのです。これは皆さん、教員になろうとしている人の立場を話しましたが、例えば学校だって「制度」によって保証されているのです。どこに行ったって、どこの県だって、神奈川県と埼玉県と長崎県だって、同じ中学1年生ならばほとんど内容には基本的には差がないはずです。だから転校しても遅れる心配も少なくなるし、突出もしないが、そんなに劣るものもないのですね。まさに日本の教育は文盲もなく高水準だといわれることもある。こういうものも、「教育制度」によって保証されているのです。全国のどこの学校も同じ品質が保証されているそういう「システム」も「教育制度」なんですね。

 「制度が悪い」「制度を変えればいい」と単純に言われるが、システムを理解しておかなければ難しい。改悪はありえる。むしろ「社会のありかた」や「機能」をしっかりと考えて把握しておいて、それから「自分」(A)のサイドからはたらきかけて「実現」を求める方が可能性は高い。そういう「制度の理解」「制度とのつきあいかた」を学んでいくのがこの講義の目標の一つでもある。

 

B「教育制度」にはどのようなものがあるのか

 「教育制度」とはなにか。教科書や辞書にはだいたい次のようなことが書かれている。

 「教育制度」とは・・・教育目的を実現するために社会的に公認された、教育に関する組織や作用などについての体系をいう。基本的部分が法規によって定められているので教育法制として理解されがちであるが、広義には社会的伝統や慣習をも含む。そのために政治・経済・宗教・文化や伝統等が規定要因となることから各国で異なる面もある。学校教育制度社会教育制度、あるいはそれらの実現のための教育行政制度も含まれる。

 →今後、大きくはその順番で授業をすすめていく。

 

C「制度」をイメージしてみると・・・

 「制度」の「制」は、「整えておさえること」という意味、まさに「制する」という意味のもの。「制度」というのは「定められたきまりごと」といえるであろう。英語では「システム(system)」で「〜〜系」だとか(例えば「水系」とか「山系」)「組織」とか「装置」「設備」という意味をもつ(このぐらいのことは事典類に書いてある)。educational systemが「教育制度」の英語訳となる。

 「制する」というのはマイナスイメージなところもある。他にも、制御、制裁、制覇、制約、制限、制止、制服などと「ちからづく」的イメージのあることば。後に「制」がつく場合でも、節制とか、体制、統制、編成など「計画的」に感じることば。しかしマイナスイメージにも感じるが、良い面もある。保証され、それによって守られる。「制御」も「コントロールする」といえばマイナスであるが、人個人をでなく、全体のためにするなら公平ともとれる。そういう水準に保つよう舵をとるというコントロールは必要とされる。「制裁」(罰するというイメージも、そんなに悪くならないというよさもある)、「制約」「制限」「節制」(長持ちするという面もある)、「制服」(同じ意識がつくられやすい)とかの状態によっては好ましいこともある。

 「学校」そのものも実はこういう「イメージ」視されていないか。何か「画一的」「硬直性」があり、「権威的」な「抑圧」の場であるかのような、それによって「個性」が削られるのだという論調。こういうマイナスイメージそのものがみられるもの。これが「学校」であり「制度」の共通点である。実は「学校」は学校教育制度として社会の中の制度になっているし、さらにはさっき言った教職免許と同じく人間が通過していく時の品質保証のシステムでもある。こういうことを考えていきたい。さらに外国との違いにも注目していく。慣習や文化の違いにも注目しておきたい。

 

D自己紹介から「制度」を考えてみる

 以下は話し言葉で書き記す(当日、話したこと)。

 

 私は自己紹介になりますが、お恥ずかしながら高校の教壇に5年間立っていました。私立の女子高校でした。あとフリースクールにもかかわり、不登校とかひきこもりに臨床的にかかわって考えてきています。そういう問題も「学校」に行けないということですから「学校制度」に対立するという位置にあるということでもあります。これも「制度外」なんじゃなくて、「制度」の問題です。そういう話しもしていきたいと思います。

 外国との比較では「制度」とはどのようなものかという性格がよくみえてくると思います。一ついうと、私の姉は高校時代にいま話題のアフガニスタンに留学していたのです。国立カブール大学の近くのザルゴナ・ハイスクールというところに行っていたのですね。父親が語学を身につけさせようとしたのです。姉はあの「ひげ文字」読めるのです。ペルシャ語が話せるのです。オリンピックのイラン・テヘラン大会で通訳になるのが夢だったのですね。ところが、夢は壊れます。高校3年の途中にソ連(旧)軍が侵攻してきて戦争になったのですね。いまのビン・ラディン氏が前面に登場したのがこの戦争でした。高校は閉鎖、全土の学校は閉鎖され、学校は「なくなった」のです。それで、外国人は帰国となって帰ってきた。日本では高校の2学期にあたる時期でした。まぁ無事に帰ってきてよかったのですが、しかし「学校」が卒業を目前にして消滅したのです。それが戦争ですね。で、実家は神奈川県にあるのですが、公立の高校、私立の高校に交渉したのですが、高校3年の2学期途中から受け入れることは拒否されました。理由は「日本の教育を受けていないから」なんですね。「制度」(保証)外だというのですね。近県も探しましたが当時は受け入れてくれるところはなかったのです。帰国子女とかそういうことが有効に語られる時期ではなかった。高校1年生としてなら受け入れるというのですよ。・・・みんなそういう応えでした。で、困ったのですが、全国のつてを探したら秋田県の私学である秋田経済大学附属高校(当時の名称)が「3年2学期途中からでいい」と受け入れてくれまして、それで姉は「アフガン→秋田」と、笑えない転校をしました。だから彼女の履歴書では卒業は秋田の学校なんです。まぁ、探したら「あった」のですね。しかし、海外との関係ではこういう例はかなりあったと思います。

 大学の編入とかでも単位の認める認めないの問題がありますね。高校までの転校とは違う。それは専門性があるからですが、「制度が違うのだ」となるのですね。でも秋田では大丈夫なのに関東ではだめだというのはどうなんでしょうか。

 不登校の子は本当に学校に行けない子がたくさんいるのですが、あとひきこもりの子に関わっていますが、中学校に5日間しか行っていない子がいる。義務教育ですよ。ではどうなっているか。頼んで校長先生にサインをもらって、卒業させてもらいました。すると、実際には学校に行かなくていいのじゃないかとなる。でも、こもった子は例えばその学校から離れてさらに卒業できたとかなると一つ殻がとれることもあるのです。だから必要に考えての行ないでした。でも制度的に可能というのは事実なんですね。それから、例えばフリースクールへ来るのを出席に換算してもらったり、あるいはフリースクールに来るのは場所が違うから交通費が学割にならないという問題もありました。それも学校や教育委員会に交渉して学割にしてもらうのです。そういう「制度」にはたらきかけることはできるのですね。「やれば、できる」のです。

 品川区が学区の自由化というのでしょうか、公立校の枠をとっぱらいまして、日野市とか追従していくところもある。まぁ、試みとしてはいろいろ行なわれています。しかし、これは「制度」の硬直に働きかけているのですが、しかし必ずしもそうではないという事実(やっていないところ)もあります。たしかに理不尽なところもあります。私自身、住所が学区のはじっこだったので、最も遠い距離を通っていました。小学校6年間ですね。で、中学校も同じ学区です。歩いて30分かかるし、山の上まで登るんです。うちはとなりの山の上みたいな位置ですが、実は学区外の中学が、うちの山のすぐ下にあって、ここへは5分ぐらいで通えるのです。こんなバカなことがあるのですね。区分けなわけですから。

 で、うちの親も姉の時もそうでしたがわりとよく交渉する人間でした。それで交渉して教育委員会に訴えて、それで近い方の(学区外の)中学校へ通えるようになったのです。つまり、「ダメ」と完全に決まって硬直したものではなくて、実は個別の対応で変えられる可能性があるのです。そういう事実があります。ここには二重の問題がある。「やれるところと、やっていないところがある」という事実。もう一つは「やれることが一般に知らされていない」という事実です。うちの場合は、私は転校というかできて、姉は県内ではだめだった。成功失敗はありますが、そもそも、ここでそういう手続きをせざるをえなかったのは「制度化」されていたからです。

 ちょっと、とりとめのない話で難しいと思ったでしょうが、次回から内容に入っていきます。・・・「制度」とは何か。どのようにつくられたのか。なんのためにあるべきとされたのか。や、小学校・中学校が義務教育なのはどういう根拠があるのか、等について考えていきます。海外のシステムとの比較をやっていきます。本日は第一回目でガイダンスですから、皆さんにアンケートに答えてもらって終わります。

 

 

 以下のアンケートに協力をお願いした。

@ 教職免許資格取得のために本講義を受講していると思いますが、取得を希望する科目名を教えてください。

A教職課程(等)を選択したあなたは、本講義にどんなことを期待していますか?

B「教育に関する制度的事項」とは何か。本講義のテーマですが、現時点でどう考えていますか。自分なりに・・・

C国際的な視点から比較すると、日本の教育はどのように評価することができるでしょうか。自分なりに・・・

D「教育の制度」について、関心のある事項はありますか。あるいは教育問題について興味のあることはなんですか。

Eeメールやインターネット等は使用していますか。使用しているとしたらその方法や頻度、目的はどのようなものでしょうか。

F自己アピールを書いてください。今、興味をもっていることや、これから学んでいきたいこと、身につけたいことなど。

 

  メールアドレス: koga1999@mti.biglobe.ne.jp

       http://members.tripod.co.jp/TJCougar/index.html

       http://www5b.biglobe.ne.jp/~koga1999/index.html