●<コラム>「サンボとは何か?」 2006年12月24日
サンボとは何か? 宣伝のようで恐縮ですが、今回の背景画像につかっているブックレットが出版されました(東洋書店:ユーラシア・ブックレット、600円)。もう2ヶ月前ぐらいに出たのですが、とくに宣伝も何もしておりません。書店の「格闘技・スポーツ」のコーナー(書架)にも置かれないと思いますので、なかなか目にふれる機会もないかと思います。そういう「売れ方」をねらった営業活動も一切しておりません(置く場所により売れ方が異なるため、書店ではそういう営業活動を重視します)。 たんたんと、ただ書いて、まとめたものです。実はここのコラムに過去に書いたものに、さらに詳しくデータ等をあげて加筆したものです。これもあくまでも「サンボの紹介」になればいいという気持ちで書いてみました。 もともと、・・・いつか「サンボ」の歴史・文化について、まとめてみたいと考えてはいました。それは、おそらく、高校時代に、レーワン・テディアシビリさんに教わったとき、またマディアシビリさんにサンボ着をプレゼントされたときに、はじめてそのような想いをもったのだと思います。その後、レスリング生活を終え、サンボの世界クラスの選手とふれあったとき、さらに強烈にそのような想いをもちました。「こんなにすごい選手、すごい技術があるなら、それを紹介しないといけない」と思ったのですね。 当時も、格闘技ブーム(UWFブームやプロレス雑誌週刊誌化のころでした)でしたから、ビクトル古賀氏をはじめ、様々なサンボの語り部はいました。しかし、どうしても、何か釈然としないというか、私には物足りない説明に感じられたのです。 人間は、それぞれ観念・こだわりがあります。同じことをみても、あるいは同じ技を解説するにしても、表現の違いや考えの異なる部分もあるわけです。それはそれでいいのですが・・・。たぶん、ビクトル氏のものをのぞいては、おそらく「ロシア人(つまり「本家」)」の立場から語られなかったのではないかと思うのです。先哲に対しておそれ多い言葉ですが、おそらく「本質理解」たりえなかったと思うのです。そしてビクトル氏の場合、地道に研究・追究するというより、楽しみ、映えるものを好みます。自分が楽しいか、他者を楽しませられるかを判断材料とするところも多い人間です。ですから、地道な基礎に向かうよりは、応用技・抽象的世界へと進みやすいのです。 例えば、技術でいえば、いきなり必殺技や複雑な技、難しい技を好み、紹介します。これは本人のこだわりや価値観の問題なのです。また、ビクトル氏は長く、東海大学等の柔道の強豪校で教えていましたし、すぐにプロ選手を相手に教授していたわけです。ですから、これはこれで良いのです。そういう人たち(層)には応用やコツを教えれば、すぐにのみこめるでしょうから・・・。そういうのがいままでの「サンボ」だったのではないでしょうか? 私は、もっと基礎的なものが大切だと思ったのです。基礎が面白くないものといわれようとかまいません。基礎なくして、技術の発展もなにもないと考えるからです。もう、一部のプロや強豪が強くなるためにサンボを学ぶという時代ではなく、真剣に底辺を拡大する時期じゃないでしょうか。そう考えるのです。なぜなら、一部の人にだけ知られる技術、一部の人間だけのカリスマ性というだけでは、普遍化は難しいと考えるからです。事実上、教えるのがいまい人もいれば、そうではない人もいます。ですからより素晴らしい技術者・指導者をちゃんと格付けじゃないですけど、しっかりと認知していくシステムも重要です。いまは素晴らしい技術をもった人物が現れてきています。そういう人たちを中心にサンボの技術講習をひろめるべきです(ちなみに私はそういう主義のため、基礎や基本しか指導できません→不足している部分は「優れた指導者」におまかせするし、学ぶものの主体性・判断にまかせています)。 そのうえで、「サンボ」そのものの理解を広めるというか、一度確認しておく必要があると思うのですね。それでこのようなものを書いてみたというわけです。 「通史」「通説」をとりあえず、敬意をもちながら見直してみました。ロシアの資料もいくつかはみながら、いちおう全体像を描くようにはチャレンジしてみたのですが、・・・もちろんすべてを書けたわけではありません。今後もじっくり考えて、いつかいいものを書きたいなぁ〜と思っています。 と、以上のような立場・考え方ですので、とくに宣伝もしないでいたわけです。本や研究書の価値はその公刊期日です。このときに、こういうことを考えていたという、そういう自己満足的ではありますが、ここを第一歩にして、また「あまりみえない」活動を続けていきます。 |
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