<コラム>「サンボと他の格闘技(その13)」 2005年4月4日

 「柔術」との接点・・・(族)

 前回は「柔術」をとりいれて「サモザシータ・ビズ・アルジャー(武器なしの自己防衛術)」をつくりあげたスピリドノフをとりあげ、実は「名称」にすらその影響は残っているのだと書いた。そして最後に「スタイル」について指摘しておいた。今回の背景画像にはその「柔術」「サモザシータ」競技の風景の写真を紹介する。選手のスタイルはジャケット(袖が短い)。短パン。シューズ着用。そしてマット上での戦いである。「名称」だけの影響ではないといえないか? 現今の「サンボ」スタイルに類似する点が多い。

さて、「関節技」をきめているのにも気がつかされる。写真的には「立ち関節」の状態にもみえる。これは「サンボ」では禁止技である。足は「止め」なのか、あるいは「払って」そのまま寝技にもっていこうとするのか。解釈は分かれる。しかしイメージ的に「サンボの創始の状態に近いのでは」とも思えるのではないか。イメージだけではない。この写真は1928年のものである。一般的に「サンボ」が確立されたのは1938年6月の全ソ連人民委員会のスポーツ体育委員会で公認されたときからというように理解されている。この時より10年前に「似たスタイル」のものがあったということだ。「サンボ」が公認され、名称が決定される前にも、例えば1932年にモスクワで着衣格闘技の個人選手権が開催されたという(例えば、前掲山本の著書、9ページ)。これがサンボ史上最初の競技会ともされているが、それから比べても数年はやい。前回書いたようにディナモで同様のサモザシータの競技会は1929年に開かれている。どこからが「サンボ」という問題でもある。とにかく「名称」の先駆であり、競技会も先駆ではあった。ちなみに1927年のスピリドノフの最初の本『サモザシータ・ビズ・アルジャー(護身)の手引き』の表紙には「それは柔術」と書かれている。スピリドノフの「柔術」と「サモザ〜」と、そして後の「サンボ」との関わりについてはこれで終わりにしておきたい。

今回の画像のイメージとして、「コマンドサンボ」(正確にいうと「ヴォルク・ハンでイメージされる」と付け加えるべきか)も連想されるだろうか。内務省系ということで、また軍隊で模範にされたということで影響はあるだろう。現在の「コマンドサンボ」(主に日本でも名称)の試合ルールや技術体系は、また少し異なるところもあるようであるが、また別に書いてみたい。

ここで再三の確認をしておきたい。私は「単純思考」はおすすめしない。単純に「柔術に影響を受けた=関節技は柔術からに違いない」といいいたいのではないということを理解していただきたい。前に書いたようにレスリングの影響もあるし、様々な要素を織りまぜながら研究されてつくられていったのが「サンボ」である。「足関節技のある柔道」だから「柔道+レスリングの足関節攻めのミックス」というのも単純思考。いちおうあらためて確認しておきたい。

ただ、イメージとして私が考えていることは、少し書いておきたい。「柔術」がモデルの一つとなってロシアではじめて「護身術」という体系がつくられていった。これが「サモザシータ・ビス・アルジャー」で、戦時期ということもあり軍事教練やソ連邦の国家体制のもとで研究されることとなる。そこにもう一人の創設者ともいえるオシェオプコフ(ワシーリ・セルゲイビッチ)も加わる。オシェプコフは「柔道」をハルランピエフに教えた人物として知られるが、彼もツェスカで柔道を指導するなどしていた。1892年にサハリンで生まれ、1911年18歳で講道館柔道に入門し黒帯を取得。1914年にはウラジオストックで柔道サークルを始めている。1925年にはノボシビリスクの来て、その後に当地のディナモで「自己防衛」の指導者にもなった。以降は省略するが、いわばスピリドノフと同じラインにて競う、もう一つの勢力となったと考えてもよい。オシェプコフは全国の民族格技の代表的なものにも注目していたということで、これが「柔道」の弟子にあたるハルランピエフに継承されたとみることができよう。ハルランピエフはこれらの動きを完成させ、「サンボ」を創出したのであった。

以上のように同じく1920年代までに、連邦内において「護身術」「着衣格闘技」を研究していく動きがあった。そこから「名称」として影響を残したのがスピリドノフともいえるが、これは「柔術」の名ではない。それをもとにつくられた「護身術・自己防衛」という概念が「サモザシータ・ビズ・アルジャー」なのであり、これがまた一般的な概念となっていったのである。難しいが、例えば対抗勢力ともいえるオシェプコフらが「『サモザ〜』などいらない」とはならないわけである。「護身術」の中で柔道や、その他の要素を交ぜて新しいものをうみだしていくことが行われたのである。だから「サンボ」は柔道でも柔術でもレスリングでもない。

以前に「開祖」ハルランピエフの子息について書いた。そのアレクサンドルの著書にはこう書いてある。「ハルランピエフはスポーツを研究し、スピリドノフの柔術にもとづく自己防衛術のラインを完成させる仕事をした」と。ハルランピエフは単純な「柔道」だけではないし、師匠オシェプコフのことだけではない。「サモザシータ〜」のラインを完成させた。つまりそのライン状に「サンボ」があるということを彼の息子は論じているのである。私が考えているストーリー(持っているイメージ)も、おそらくある程度共通していると思う。

 

 


 

 サンビスト若林次郎 主催練習会

(詳しくはサンビスト若林次郎ブログを読んで下さい)
「日曜日の夜は江古田でサンボ!」 パレストラ東京で若林さん主催のサンボ練習会が定例化されます。

 

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