<コラム>「サンボと他の格闘技(その12)」 2005年4月3日

 「柔術」との接点・・・(族)

 「柔術」をロシアで最初に教えた人物として確認されている「スピリドノフ」。彼がディナモ等で教えた「武器なしでの防御&攻撃方法」と「サモザシータ・ビズ・アルジャー」(самозащита без оружия)が「コマンドサンボ」やスポーツとして私たちがプレイする「サンボ」のもととされる一つと考えられている。前回はそこまで書いた。

 すると「サンボの源流は柔術なのか?」と思われるかもしれないが、私は「柔術だけ」とか「サンボ=柔術」(ロシアン柔術とでもいわれるか)などと単純にいうつもりはない。そうではなくて、「影響がみられる」「関係がある」というのを再確認しておきたいだけなのである。少なくとも従来いわれるように「柔道の弟分」(これも単純ないいかた)ではないだろうと確認しているわけである。まぁ、「柔術」から「柔道」や「サンボ」に枝分かれしたと考えれば、設立年から時系列的に考えたとき、たしかに「弟分」といえないこともない。それならば「ブラジリアン柔術」も弟分となる。いや、下手をすると、すべての格闘技は「人類みな兄弟」的に確認していかねばならなくなる。もっと大きくいえばすべての競技、すべてのスポーツ、すべての文化活動・・・。きりがない。

 続ける。・・・あくまでも丁寧に起源を追い、整理しなおす。私はそれをいま勉強していることなので、ここに書いているというだけのことである。

 スピリドノフによって研究・教授されたこの「護身術」体系は、1927年〜33年までの間に“самоз”・  “сам”・“самозащита без оружия”などと呼ばれていた。「ディナモでスピリドノフなる人物が内務省で柔術を教えていたらしい」ということがこれまでも指摘されてはいたが、もう少し詳しく書けば、これはデモンストレーションも行われたし、1929年2月にはディナモ・モスクワ競技会も開かれている(一般には非公開)。

 私は、このсамозащита без оружия”の呼称が「サンボ」という名称のもとになったと考えている。三つの単語の頭文字をミックスしてсамб оとなるというわけである。もちろん、これは古い文献には書かれていることなのだが、新しい文献になると違う説も出てきている。ビクトル古賀『これがサンボだ!』でも、「サンボ(SAMBO)とは、「武器」を「持たない」「自己防衛術」という三つのロシア語の頭文字をとって組み合わせた合成語であると一般的に語られてきた。しかし、「自己防衛」だけの短縮語という理解が正しいといわれている」(7ページ)とされている。この本は比較的に新しいので「新説」が紹介されているとはいえるし、また「いま」読み返すからこそ「意味」が理解できる。「一般的に語られてきた」というのが、今回、「いま」の私が説くのと同じ説である。

ちなみに新説「自己防衛」とはсамооборона без оружия(武器なしの自己防衛)の“самооборона”の短縮形という説である。たしかに比較的に新しく、そして大きい『ロシア語事典』類(日本でいう「国語事典」)には“самб о”の項目にこちらが意味として書いてあるのも事実である。私が持っている(ロシアでも比較的に)新しいサンボの入門書(ガトキン:2003年)にも「サモオボロナの略語」と書かれている。その意味でビクトル古賀の著書に書かれたものも新しい。

しかし、私は「それ」をふまえて考えた上で、「いま」なお「サモザシータ〜」こそ源流ではないかとここに指摘したい。それが「名づけられた時」の意味を大切にしたいのだ。このコラムにも共通するが、解釈は後から付け加えられるのが常である。開祖ハルランピエフの『サンボの技術−ТЕХНИКА БОРЬБЫ САМБО』(1960年)ではもちろん「サモザシータ〜」合成語説。1970年代の大会要項にもこの説明があるし、また1980年の著述(シンコ『格闘技サンボ』)にもこちらのみが書かれている。ところが、80年代中頃から前述の新説が書かれるようになってきた。この変化の明確な理由は私にはわからない。おそらく「造語」よりも、わかりやすくするためと「護身」をさらに強調することで大衆化をめざす意図はあったのではないかと想像してはいる。まさか「サモザ〜」は「柔術系」だとか「内務省系」だからとか、の政治的意図はないだろうとは思うのだが・・・。創設から約40年を経て、意識の変化や薄れがみられたのかもしれない。日本でも「柔道」や「空手」「相撲」の語源や意味を深く考える人は少ないのではないか。そして全指導者でそれが一致しているといえるであろうか。おそらくそういうレベルのことが起こってきたのではないか。いずれにせよ、私は「いま」原点に戻って、あるいは「異説」を理解した上で創設時の意志を尊重したいと考えている。すると「サモザシータ・ビズ・アルージャ」の名称を使っていたスピリドノフの影響は大きいともいえる。それはロシアで最初の「護身」という系統の考えかたであり(前回に書いた)、その技術には「柔術」が含まれていた。もちろん他にも様々な格闘技が研究されていた。アメリカ合衆国、イギリス、フランスらの格闘技(例えばボクシング)も研究したとされている(ミハイル・ルカシェフの論文「サンボの創造」)。しかし、スピリドノフといえば「柔術」とされているのもまた事実である。その柔術をベースに考案された「護身術」が、後に「名称」としては「サンボ」につながっているのであった。影響のほどがうかがえるのではないか。

 

 ちなみに、今回の背景画像がその「柔術」「サモザシータ」選手の写真である。前列真ん中の人物がスピリドノフ。選手のスタイルに注目されたい。ジャケット。短パン。シューズ着用。「名称」だけの影響なのか?

 (続)

 


 

 サンビスト若林次郎 主催練習会

(詳しくはサンビスト若林次郎ブログを読んで下さい)
「日曜日の夜は江古田でサンボ!」 パレストラ東京で若林さん主催のサンボ練習会が定例化されます。

 

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