<コラム>「サンボと他の格闘技(その8)」 2005年3月28日

 「レスリング」との接点・・・

 「かわず掛け」。私が魅せられた技であるが、それだけではない。私は、ここから「日本」と「サンボ」が始まったといえると考えているのだ。

1955(昭和30)年1月から2月までの間に、日本レスリングチームが「鉄のカーテン」の向こう側、(旧)ソ連に遠征に出かけたが、それが「サンボ」との出会いとなる。

まず明らかになるのが「シュリッツ旋風」が日本との最初の接点ではないということ。そして日本最初の公式なサンボ体験はここにあったということだ。

1930(昭和5)年。八田一郎氏らを中心に、日本で「アマチュア・レスリング」が広められはじめた。やがて世界選手権、五輪に出場し活躍する選手も出てくる。その後の昭和30年前後において、「秘密のベール」に包まれていた国家「ソ連」の選手は世界大会でダントツの成績を残していた。八田氏をはじめとするレスリング協会は「ソ連」に渡って遠征試合と合宿をすることにかけていた。「強い選手と練習することが強くなる方法」・・・、単純だがすごい行動力と感心する。

そして1955(昭和30)年1月に13人の選手団が約1ヶ月間、ソ連を転戦することを実現させた。

 

この当時の新聞・報道を調べてみると、そこに「サンボ」に関する記述を見つけることができる。ちなみにこの遠征時に、日本選手たちはソ連選手のスタンドでの強さと足払い、「かわず投げ」に驚いている。

例えば、2月21日付「報知新聞」では帰国後の笹原正三選手の手記が寄せられている。そこには「立ちワザ、特に投げワザの鋭さは日本選手の比ではなく、組んだらすぐこちらの身体が浮かされるぐらいの強い力でワザをかけてくる。こちらの新聞でも報道されたと思うが、日本の相撲のかわず投げに似た投げワザが一番強く、岩井も笠原もこの攻め手に苦杯をなめさせられた。」と書かれていた。前掲ベログラゾフの技がまさにこんな感じ。そして次の記述に注目されたい。

 「このワザは日本の相撲や柔道からヒントを得たものでなく、サンボーに古くからあるワザで例えばこちらがタックルに入ると首を抱えて柔道の大内刈のように足の内側から足をからませて投げ、すぐフォールにとびこんでくる。

 サンボーは投げワザにしても柔道以上にレスリングに直結したものが多い。(以下略)」

 

この時に笹原氏は「サンボ」について「レスリングに直結したものが多い」と書いている。これは日本の当時の「レスリング」が柔道出身者が転向することが多く、その技術をいかして世界で活躍していたからであろう。ところがソ連の方が「投げ」の技術が強かった。そしてそれには「サンボ」があったというのだ。ちなみに3月1日付「アサヒスポーツ」でも、選手団に同行した菅沼俊哉氏が「ソ連の選手は投技(例えばカワズ掛け)が得意であるが、これはソ連独特の立技サンボ(柔道とレスリングの合の子のようなもの)に負うところが多いようである。」と述べていた。

笹原氏が言うように、すでに遠征中に「かわず」等について報じられていた。また「サンボ」についても情報が伝えられていた。2月2日付「アサヒスポーツ」には、「日本レスリング選手団の一行は、二月二日午後七時モスクワの“建設者クラブ”体育部で日本の柔道の紹介と、柔道によく似たソ連レスリング“サンボウ”を見学し、柔道と“サンボウ”の模範試合を行った。」 (2月5日の朝日新聞にもほぼ同文が掲載)とあったし、2月12日「朝日新聞」にも帰国した石井庄八コーチ談として「モスクワではサンボーという柔道に似た競技があり、これが向うの選手の投げ技の母体になっているともいえます。柔道を教えてくれとのことで向うのサンボー着衣をかりて小玉、石井、笹原らがやりましたが、大変熱意をもって質問してきました。」とすでに模範試合や練習を体験したことも記されていた。日本人で「サンボ」を最初にやった人間たちとして、もっとも古い記録なのである。

さて、その結果はどうなったのか。

2月12日「毎日新聞」に寄せられた笹原氏の手記では、「立わざでは日本が一番強くなければならないところなのだが、日本の柔道に似た“サンボン”が各地で盛んに行われている関係でどの選手も立わざが強い。中でもムサシヴィリ、メコキシヴィリ、バロワーゼはカワズ掛や大外刈、内掛がうまく岩井、笠原、兼子らがこれにかかって敗れている。モスクワでサンボンと柔道の交歓試合をやったが、これは向うが本職の選手だったからこちらは分が悪かった。」と書かれている。チーム団長の小玉正巳氏も2月15日「報知新聞」で「日本が『柔道の国』であるのと同じようにソ連は『サンボの国』である」と評価し、練習試合では「石井コーチが内股でソ連選手を倒した以外はほとんどボンボン手玉にとられた。」と証言している。ちなみに現在のアマレスラーとは違って、当時のレスラーたちは柔道の高段者たちでもあった。

2月16日「新潟日報」には遠征に参加した笠原茂選手、飯塚実選手(ともに明大)らの座談会記録があるが、サンボのことを「ロシア柔道」と表現していた。そして笠原は、「われわれ一行の中にも柔道出身者が相当いたので自慢半分親切気をだして柔道を教えてやろうと、かえつて投げられていた(笑声) 一試合十分(日本柔道は七分)技とり三本勝負というルールだが、日本の柔道に似た技がたくさんあり、レスリングにも共通した面が多い。」と発言していた。以上が、初のサンボ体験の結果であったのだろう。

 前述の小玉氏の同じ記事をもう少し紹介しておきたい。重なる部分を前後を含めて紹介する。

   このスポーツは体力を養うとともに不屈の精神を鍛練し動作を円滑敏しょうにさせるためには非常に有効だ。日本選手もモスクワの道場で『サンボ』の練習をやってみたが、石井コーチが内股でソ連選手を倒した以外はほとんどボンボン手玉にとられた。私も柔道五段という昔とった『キネヅカ』の手前、彼らに負けるのは口惜しいのでガラ空きの首を両エリをおさえて絞めつけたら『キャー』という大声をあげて『反則だからダメだ』というゼスチュアを示した。

 いずれにせよこのスポーツで鍛えられた選手は腰の力、上体の動き、足ワザの器用さが身についている。飛行機投げをやったりタックルから寝ワザに持込み関節ワザをとるし、ジャンプして胴または脚部をカニばさみにして自分の身体ぐるみ投げるなどワザは全く自由自在だ。

 日本の柔道もよく研究しており、両者で一定のルールを決めて対戦すれば非常に面白い試合になるだろう。この柔道対サンボの交換試合をニコラス・ロマノフ体育局長に話したら、非常に興味をもちルール・ブックを交換することを約束した。昨年度世界選手権でウェルター級チャンピォンとなったバロワーゼなどの巧妙な足ワザ、腰投げなどはこの競技の持ち味を十分発揮したものだ。笠原(明大)兼子(中大)なども押していた試合を投ワザでフォールされたのだから日本選手も『立ワザが強い』などと安閑としてはいられない。 」

 

動きがクイックでダイナミック、絞め技はない、足が器用に動き、カニばさみ系の技もある。このときも「これがサンボ」であった。そして「柔道との交流試合」を提案していたこと。・・・以上の事実が示されている。ちなみにいうまでもなく「シュリッツ旋風」のサンビストたちは「レスリング選手団」について来日したのであった。

 (続)

 


 

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